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山家集 殘集        

 岩波文庫  佐佐木信綱校訂 山家集


  殘集


       聞書集の奧にこれ書き具して參らせよとて、人に申しつ
       けて候へば、使の急ぎけるとて、書きも具し候はざりけ
       ると聞き候て、人に書かせて參らせ候。必ず書きぐして、
       申し候ひし人の許へ傳へられ候べし。申し候ひし人と申
       し候は、きたこうぢみぶ卿のことに候。そこより又ほか
       へもやまからむずらむと思ひ候へば、まからぬさきにと
       くと思ひ候。あなかしこ。兵衞殿の事などかきぐして候。
       あはれに候な。
       奈良の法雲院のこうよ法眼の許にて、立春をよみける
 01  三笠山春をおとにて知らせけりこほりをたたくうぐひすの瀧

       同じ房にて、雨中落花といふことを
 02  春雨に花のみぞれの散りけるを消えでつもれる雪と見たれば 

       夢にほととぎす聽くといふことを
 03  ひとかたにうつつ思はぬ夢ならば又もや聞くとまどろみなまし

       隣をあらそひて杜鵑を聞くといふことを
 04  誰がかたに心ざすらむ杜鵑さかひの松のうれに啼くなり

       杜鵑によせて思ひをのべけるに
 05  待つやどに來つつかたらへ杜鵑身をうのはなの垣根きらはで

       郭公
 06  聞かずともここをせにせむほととぎす山田の原の杉のむら立    ▲

       雨中郭公
 07  たちばなのにほふ梢にさみだれて山時鳥こゑかをるなり

 08  杜鵑さつきの雨をわづらひて尾上のくきの杉に鳴くなり

       五月待郭公といふことを
 09  あやめ葺く軒ににほへるたちばなに來て聲ぐせよ山ほととぎす

       早苗をとりて時鳥を聞くといふことを
 10  ほととぎす聲に植女のはやされて山田のさなへたゆまでぞとる

       人目をつつむ戀
 11  芦の家のひまもる月のかげまてばあやなく袖に時雨もりけり

       知らせでくやしむ戀
 12  吾が戀は三島が沖にこぎいでてなごろわづらふあまの釣舟     ▲

       爲忠がときはに爲業侍りけるに、西住・寂爲まかりて、
       太秦に籠りたりけるに、かくと申したりければ、まかり 
       たりけり。有明と申す題をよみけるに
 13  こよひこそ心のくまは知られぬれ入らで明けぬる月をながめて

       かくて靜空・寂昭なんど侍りければ、もの語り申しつつ
       連歌しけり。秋のことにて肌寒かりければ、寂然までき
       てせなかをあはせてゐて、連歌にしけり
 14  
思ふにもうしろあはせになりにけり

       この連歌こと人つくべからずと申しければ
 14  
うらがへりつる人の心は

       後の世のものがたり各々申しけるに、人並々にその道に
       は入りながら思ふやうならぬよし申して           靜空
 15  
人まねの熊野まうでのわが身かな

       と申しけるに
 15  
そりといはるる名ばかりはして

       雨の降りければ、ひがさみのを着てまで來たりけるを、
       高欄にかけたりけるを見て                  西住
 16  
ひがさきるみのありさまぞ哀れなる  

       むごに人つけざりければ興なく覺えて
 16  
雨しづくともなきぬばかりに

       さて明けにければ、各々山寺へ歸りけるに、後會いつと
       知らずと申す題、寂然いだしてよみけるに
 17  歸り行くもとどまる人も思ふらむ又逢ふことの定めなの世や

       大原にをはりの尼上と申す智者のもとにまかりて、兩三
       日物語申して歸りけるに、寂然庭に立ちいでて、名殘多
       かる由申しければ、やすらはれて
 18  
歸る身にそはで心のとまるかな

       まことに今度の名殘はさおぼゆと申して         寂然
 18  
おくる思ひにかふるなるべし

       かく申して良暹が、まだすみがまもならはねばと申しけ
       む跡、かかるついでに見にまからむと申して、人々具し
       てまかりて、各々思ひのべてつま戸に書きけるに
 19  大原やまだすみがまもならはずといひけむ人を今あらせばや    ▲

       人に具して修學院にこもりたりけるに、小野殿見に人々
       まかりけるに具してまかりて見けり。その折までは釣殿
       かたばかりやぶれ殘りて、池の橋わたされたりけること、
       から繪にかきたるやうに見ゆ。きせいが石たて瀧おとし
       たるところぞかしと思ひて、瀧おとしたりけるところ、
       目たてて見れば、皆うづもれたるやうになりて見わかれ
       ず。木高くなりたる松のおとのみぞ身にしみける
 20  瀧おちし水のながれもあとたえて昔かたるは松のかぜのみ

 21  この里は人すだきけむ昔もやさびたることは變らざりけむ

       いまだ世遁れざりけるそのかみ、西住具して法輪にまゐ
       りたりけるに、空仁法師經おぼゆとて庵室にこもりたり
       けるに、ものがたり申して歸りけるに、舟のわたりのと
       ころへ、空仁まで來て名殘惜しみけるに、筏のくだりけ
       るをみて                             空仁
 22  
はやくいかだはここに來にけり 

       薄らかなる柿の衣着て、かく申して立ちたりける。優に
       覺えけり
 22  
大井川かみに井堰やなかりつる

       かくてさし離れて渡りけるに、故ある聲のかれたるやう
       なるにて大智コ勇健、化度無量衆よみいだしたりける、
       いと尊く哀れなり
 23  
大井川舟にのりえてわたるかな

       西住つけけり
 23  
流にさををさすここちして

       心に思ふことありてかくつけけるなるべし。名殘はなれ
       がたくて、さし返して、松の下におりゐて思ひのべける
       に
 24  大井川君が名殘のしたはれて井堰の波のそでにかかれる

        かく申しつつさし離れてかへりけるに、「いつまで籠り
        たるべきぞ」と申しければ、「思ひ定めたる事も侍らず、
        ほかへまかることもや」と申しける、あはれにおぼえて
 25  いつか又めぐり逢ふべき法の輪の嵐の山を君しいでなば

        かへりごと申さむと思ひけめども、井堰のせきにかかり
        て下りにければ、本意なく覺え侍りけむ
        京より手箱にとき料を入れて、中に文をこめて庵室にさ
        し置かせたりける。返り事を連歌にして遣したりける    空仁
 26  
むすびこめたる文とこそ見れ

        このかへりごと、法輪へまゐりける人に付けてさし置か
        せける
 26  
さとくよむことをば人に聞かれじと

        申しつづくべくもなき事なれども、空仁が優なりしこと
        を思ひ出でてとぞ。この頃は昔のこころ忘れたるらめど
        も、歌はかはらずとぞ承る。あやまりて昔には思ひあが
        りてもや
        題なき歌
 27  うき世にはほかなかりけり秋の月ながむるままに物ぞ悲しき

 28  山の端にいづるも入るも秋の月うれしくつらき人のこころか

 29  いかなれば空なるかげはひとつにてよろづの水に月宿るらむ

        北白河の基家の三位のもとに、行蓮法師に逢ひにまかり
        たりけるに、心にかなはざる戀といふことを、人々よみ
        けるにまかりあひて
 30  物思ひて結ぶたすきのおひめよりほどけやすなる君ならなくに

        忠盛の八條の泉にて、高野の人々佛かきたてまつること
        の侍りけるにまかりて、月あかかりけるに池に蛙の鳴き
        けるをききて
 31  さ夜ふけて月にかはづの聲きけばみぎはもすずし池のうきくさ

        高野へまゐりけるに、葛城の山に虹の立ちけるを見て
 32  さらにまたそり橋わたす心地してをぶさかかれるかつらぎの嶺 

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注1  ▲マークは重出歌
    06番は46P、12番は156P、19番は190Pに初出。
注2  ルビは省略しています。
注3  連歌は上句と下句で一首と計算しています。
注4  急、又、消、房、芦、雪、梢、卿、寒、戸、尊、文、葛、々の異体字、
    蓮、逢、返、道、
    上記文字については、変換不能のため、同一文字を
    使用していません。            
    
赤字は連歌。                 (阿部 記)
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  底本
■  著名   新訂 山家集
■  著者  西行法師
■  校訂  佐佐木 信綱
■  発行者 大塚 信一
■  発行所 株式会社 岩波書店
■  初版  1928年10月05日 第 1刷発行
■  発行  1999年07月05日 第62刷発行
 
 底本の親本
  著名  聞書残集
  
 入力
  入力者     阿部 和雄
  入力完了日  2002年05月14日
 校正
  第一校正者  阿部 和雄
  第二校正者  大山 輝昭 氏 
  校正完了日  2002年05月30日

以上

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