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         も み の 木 歌 集   
                  2 0 0 3 年 度 
                       第一部



001
   新しき年になりけり竹すずめ
         昨日の空と変はりなけれど 


2002年の年の暮れに当麻寺へ行ったとき、竹林で雀が囀っていました。  

002       
   街を行く他人(ひと)が別れを予言する
         芸能界の他人
(たにん)の春秋          
         
お正月のテレビ番組には、今年の芸能界の予測というのがありました。

003
   リンクにて誰に語らむ人生の
         独り歩み来し戦場の跡を


004
   あしひきの山のしずくに立ち濡れた
         命に向かひし恋の絶唱


          大津皇子、石川郎女に贈る御歌一首
     あしひきの山のしづくに妹待つと我立ち濡れぬ山のしづくに

           石川郎女、和へ奉る歌一首
     我を待つと君が濡れけむあしひきの山のしづくにならましものを

和歌というのは、もとは和(こた)うる歌という意味であったという。
これらの歌は、遠く民謡の掛け合いにもあるように、相手の言葉、物言いを
逆手にとって唱和している。妙味。

005
   相聞の万(よろず)の言葉に迷い入る
         恋ひて歌ふも逆説的なり 

006
   見上げればブルーベリーの天底に
         弓張りの月沈みて在りぬ   


仕事を終えて帰る時の空、もうお月様が出ています。

007
   この街でふと逸れたり追憶の
         地図を辿ればビルの谷間で 

   
008
   めでたくも哀しく思う歌もあり
        「今日降る雪のいや重
(し)け吉事(よごと)

       新しき年の始めの初春の今日降る雪のいや重(し)け吉事(よごと)
                  万葉集卷二十・四五一六

(新年のはじめての今日、めでたく降る雪のように、いよいよ、よいことの重なれよ)
今年の年賀葉書で、二人の友人がこの歌を書いてくださった。大伴家持の歌です。
万葉集はこの歌で終わっています。家持は、この歌が読まれてから後26年間生きて
いますが、この後の歌は残っていません。政治上の紛争で、失意のうちに因幡守と
なってへ左遷されるように山陰へ赴むき、759年1月1日に詠まれた歌との事ですが、
この歌は、このように解説されています。
その日の山陰地方は、霏々(もやもや)として雪が降ったのであろう。多くの役人
たちの前で「いやしけよごと」と祈った家持の気持はどのようなものであったことだろうか。
左遷されて遠くへやって来た山陰での第一春は彼にとっておそらく折りしも雪を運んで
来た暗い空のように暗いものであったに違いない。彼は自分で自分を激励しなければ
ならなかったのである。「いやしけよごと」は、自らを救うための祈りではなかったかと
思われる。彼はときに42歳であった。(万葉集 時代と作品 木俣修)
歌の背景を考えると気持が暗くなってきますが、おめでたい歌ですね。

009
   手袋が握りこぶしで落ちている
          畑が霜で真っ白な朝  


通勤途中の路上に、霜を被った手袋が落ちていました。

010
   人間の身体の仕組みを話すなり
         戦いごっこする五レンジャー達に
 

戦いごっこで、友人にパンチをしたり蹴飛ばしたりする子どもに、身体の大切なことを
話しました。大切な脳を守る頭蓋骨というヘルメットがあること、風船のような肺や
人の握りこぶし大の心臓のこと、心臓から血液を送り出している心音、脈拍のこと、
背骨のこと、手足の骨や筋肉のこと、胃や腸、排便のこと、腸の長さは6mもあること、
腎臓はソラマメの形をしていること、膀胱が一杯になったらおしっこに行きたくなること
等々。一つでも壊れたら、困ること。
だから、みんな怪我をしないように!
友達にも怪我をさせないように!
五歳児でも真剣に聞いていました。

011
   いはめやもと詠まれし歌は謎めきて
          主なき梅は哀しかりけり


「西行・定家・実朝」手崎政男著 さ・え・ら書房 読みました。
ちょうど年齢的には親、子、孫の三代に相当します。それぞれに味わい深い歌風が
ありました。
実朝の歌には、自分が歌の家元であるという姿勢の定家の歌とは違い、自分の
実感を正直にもっともふさわしい言葉で言い表し、生き生きとした感じがあります。
実朝は、数え年28歳であえなき最後をとげられますが、「ひとり思ひを述べは
べりける歌」は気になりました。

     おほきみの勅をかしこみちちわくに心はわくとも人にいはめやも

(上皇のおことばを恐縮に思い、いろいろこみ入ってめんどうなことだと心は千々に
乱れるけれども、このことはだれにも話してはいけないことだと思う。)
万葉調といわれる実朝の歌

     箱根路をわれ越えくれば伊豆の海や沖の小島に波のよる見ゆ
      大海の磯もとどろに寄する波われてくだけてさけて散るかも

012
   「いつ来るの回転寿司が美味しいよ」
          再度のメール「春になったら」


「行く」と言っていないのに、娘から「何時来るの?」といつも退屈そうに
迷惑そうに言ってきます。

013
   金剛の峰より見える六本の
          高き煙突この街にあり


山の上から遥かに見えている大きな煙突が、この街の臨海にあります。         

014
   そのむかし精気あふれた白髪の
         君は淋しく髪染められし


男性の白髪は、自分に自信を持っているようで魅力があると思います。

015
   うなずきも声も出せずにマチュピチュの
         話聞くなり歯科治療室 


かかりつけの歯科の先生が、昨年、インカ帝国のマチュピチュの遺跡に行って
来られたそうで、歯科の治療中に話してくださったのですが、相槌を打つことが
出来ませんでした。  

016
   着飾りし持統天皇は店頭で
         カルタ売られる看板娘


15.1.18 「百人一首への招待」同志社大学 吉海直人先生 のお話を
受講しました。
百人一首の1番は天智天皇ですが、女性のカルタの方がカラフルなので、
2番の持統天皇がカルタの一番上に置かれて売られています。極端な場合は、
一枚目の持統天皇のカルタだけがカラフルで、二枚目からは白黒になったりして
いることもあるそうです。

017
    古典的鑑賞はなし競技には
        「うか」「はげ」でとる決まり字のあり
 
        
カルタ競技には、「決まり字」というのがあって、「うか」といえば「はげ」
74番 憂かりける人をはつせの山おろしよはげしかれとは祈らぬものを
をとる。

018
    万葉の歌人も京へ呼び寄せて
        定家の世界で歌を詠ませし 


百人一首のカルタでの持統天皇の衣装は、奈良時代であるのに、十二単のような
ものを着ている。平安時代に身を置き換えた持統天皇である。歌もまたそうである。

     春過ぎて夏来にけらし白妙の衣ほすてふあまの香具山(百人一首)
     春過ぎて夏来るらし白妙の衣ほしたりあめの香具山(万葉集)

万葉集の歌は「たり」で写実的、百人一首の歌は「てふ」で、目の前に見えていない、
平安朝からまぼろしを見るように歌われている。
     
019
   七年の月日を越へて訪なへば
          近き空より涙の雨降る 


平成15年1月26日には、名古屋で保育所保健研究大会があります。
平成9年1月には、その大会は大阪でありました。大阪の研究大会の実行委員長
だった彼女は、その大会が終わった数日後に、安心するかのように亡くなりました。
一年前から準備してきた大会でしたが、途中で体調を崩されたのです。
亡くなる前の数ヶ月間は病床についていました。今年はもう7回忌です。
先日お参りさせていただきました。ちょうど、お家の前に着いた頃に、
雨が降ってきて、何故か彼女の涙のように感じました。     

020
   西行も心の倉庫を押し開き
          歌を詠まれし反芻しながら  
   
  
「子どもの心の育ち 〜大人が大切にしたいこと〜」
    15年1月23日  神戸女学院 人間科学部教授 生野照子先生
の講義を受けました。
「過去の思い出の中で、痛み、悲しさのない人はない。心の倉庫にはなにがしかを
押し込めて、何かの時には心の扉が開くことがあるが、普通は、心の倉庫に閉じ込めて
皆頑張っている。
心に荷物が詰まっていることが、その答えを求めて階段を登る力になっているの
だなあと思うことがある。今のその人がどういう人生を歩いているかによって、
その経験がプラスになっているかマイナスになっているかがわかる。
トラウマと言う言葉は違うなあと思う。ケロイドとして残るような気がする。
私はそういう言葉は使いたくない。嫌いである。
グッサと心に突き刺さることがあれば心に残る。心に突き刺さるというのはどこに
突き刺さるのか。魂というところ(spiritualのレベル)まで突き刺さる経験がある。
その一経験は、磨けば光る魂の経験だと言いたい。悩んだりしながら心の倉庫に
入れている。少しずつ反芻しながら自分の心を成長させている。愉快な楽しい
経験だけでは成長できない。辛い体験でしか見えない成長があると思う。
(先生の講義の一部です。)」
このお話を聞いて、西行が歌を詠む姿を思いました。詠まざるをえない気持、
私にもわかる気がします。

021
   ひとひらの心の痛みは歌となり
          粉雪の中溶けてゆくなり


022
   味噌煮込みうどんを食べる寸暇でも
          名古屋に来たという証にて 


1月26日(日)に、全国保育所保健研究会が名古屋であって日帰りで行ってきました。 

023
   指先が痛いと泣く児の手を包む
          庭の生垣雪の花咲く


いつも薄着で遊んでいる5歳の女の子が、外で遊んでいる時、急に「指が痛い〜」と
べそをかきはじめました。寒さを通り越して、痛みになったようです。部屋に入り、
生温いお湯に手を浸けると元気になりました。

024
   密度増す冷たき空気の沈む朝
          ひかり背に受け御陵前行く 


いつもより早い電車に乗ったので、一つ駅を乗り越して仁徳御陵前を
歩いて通勤しました。  

025
   真っ白に凍れる塊の伊吹山
          その峰照らす凍れる月影  
     

実際には朝の伊吹山を見たのですが、月が照らす夜の伊吹山は---と、
想像しました。

026
   旋回し「もうええの」と去っていく
        Wordのイルカわが娘
(こ)の様なり

PCのOfficeアシスタントをアニメーションのイルカにしているのですが、
ファイルを閉じると、「もういいの?」という素振りで去っていきます。
用事を頼んだときの娘の態度に似ています。

027
   認証のパスワードにて解けていく
        画面は青き宇宙潜める   


028
   お薬を泣かずに飲むと約束す
       ビタミンアイの処方箋にて
    

いつもお薬を嫌がる児が、朝から担任の保育士さんと約束していたそうで、
泣かずに飲みました。

029
   絶対に30日はだめだと言う
       梅見ハイキング2月の調整 
 

2月の予定を調整したとき、30日の予定も入れてしまいました。友人からの
返信メールには、「30日は都合が悪いです。Aさんも都合が悪いと思います。
絶対に!」と書かれていました。しばらくは気がつきませんでしたが、壁の
カレンダーを見て、やっとわかりました。

030
   感情の渇きて軋む世にありて
        緩衝材なる西行歌よむ   


西行の歌の中でも特に私の好きな歌です。

世をすつる人はまことにすつるかは捨てぬ人こそ捨つるなりけり
年たけてまた越ゆべしと思ひきや命なりけりさやの中山
願はくは花の下にて春死なむそのきさらぎの望月のころ
仏には桜の花をたてまつれわがのちの世を人とぶらはば
心なき身にもあはれは知られけり鴫立つ沢の秋の夕暮
なにとなく春になりぬときく日より心にかかるみよしのの山
春風の花を散らすと見る夢はさめても胸の騒ぐなりけり
今日もまた松の風吹く丘へ行かむきのふすずみし友にあふやと
あらしこす峰の木の間を分けきつつ谷のしみづにやどる月影
ここをまたわれ住みうくてうかれなば松はひとりにならむとすらむ
古畑のそばの立つ木にゐる鳩の友呼ぶ声のすごき夕ぐれ
さびしさに耐へたる人のまたもあれな庵ならべむ冬の山里
吉野山去年のしをりの道かへてまだ見ぬ方の花をたづねむ
深き山に住みける月を見ざりせば思い出もなきわが身ならまし

031
   白鷺は車犇く橋の上を
         越えて飛ぶなり雨上がりの朝

032
   「うれしいかもしれない」なんて話す人
         うつり紅色プリムラが咲く

テレビを見ていると、ある方が、他人の感情を話すように自分のことを
「うれしいかもしれない」と言われていました。違和感がありました。

033
   埋めざりし二人を隔てる距離がある
         その距離把みて相聞歌詠む

2月9日(日)に、歌集合評会があって行ってきました。
小林久美子氏の「恋愛譜」の自選二十首をある方が批評されました。
主に相聞歌における相手との距離について、話されました。
下記の歌は、私が印象に残った小林久美子氏の歌です

 深い河わたるとき手を取ったのはあなたではないと気づき目覚めぬ

 ふみを書く夜がしずかになくなって靴をそろえたりしたのち眠る
 ふたすじの並木はすっと点になる遠いところで落ちあうように

普通の日常の言葉で歌っていても、しずかさ、さみしさ、空虚さが
にじみ出ていると感じました。

034
   歌集合評会からの帰り道に
         友と別れて惣菜を買う 

紺野万理氏、枡屋善成、黒瀬珂瀾、小林久美子、大辻隆弘、
5名の歌集の歌集合評会が、大阪であったのですが、皆様、他の
人の歌もたくさん読まれていて、よく勉強されておられました。

035
   木枯らしの吹く声聞けばふるさとの
          母の味する葛湯おもへり 


寒い夜は、吉野へハイキングに行った時に買ってきた葛で葛湯を作りますが、
気持まで温かくなります。

036
   かげろうの日記を読めばいつの世も
          菊はうつろぎ哀しかりけり 


百人一首 第五十三番

   嘆きつつひとり寝る夜の明くるまはいかにひさしきものとかは知る 
            右大将道綱の母

「ものとかは知る」は、係り結びの反語です。知っていますか?知らないでしょう。

037
   かげろうは日記で心の葛藤を
          昇華されしか「私書きますわよ」


林 和清先生の百人一首の講義を受けました。かげろう日記は、
「私かきますわよ」の始まりだと言われていましたが、これは、「源氏物語」をはじめ、
後の文学に大きな影響を与えた日本初の私小説です。感性の鋭い人であったが
故の苦しみも大きかったのではないかと思われました。

038
   人ひとり失うことの大きさを
          友は語りて「吉野へ行こう」と
   

長く療養されていたお母様を亡くされた友人が、「人ひとりを失うことの重さ」を
話されていました。

039
   春になれば光りかがやき花の咲く
          「吉野へ行こう」とわれも言ふなり 


040
   朝あけの山のふもとのすそもよう
          高速道路に光灯りて  


2月16日は、日帰りで東京へ行く用事がありました。
早朝の出発、深夜の帰宅になりました。新幹線から見た景色です。

041
   山の間に朝靄がたちゆっくりと
          もう起きるらし近江平野は  


042
   雨の日も地上を行くなり新宿の
          高層館を傘回し見て 


東京へ行っても歩くのは、新宿西口から都庁を通りすぎて五丁目までです。
地下鉄で二駅ありますが、貴重な歩くコースです。帰りは地下鉄で新宿、そこから
JRに乗って新幹線で帰ってきます。保育所保健関係機関紙の編集会議です。

043
   手作りのビーズの指輪はわが指に
         水留めおり海の色して  


手作りのビーズの指輪を娘がプレゼントしてくれました。
深い水の色です。

044
   窓見ればぼたん雪など降りだして
         五時から始まる会議案じる 


東京は雪でした。曇った空もですが、臨時会議の内容も意見調整が必要でした。

045
   保育者の生涯学習話し合う
          保育所保健の向上めざして 
 

046
   留守席の網棚の服を少年が
          拾いてわれと目で話すなり


東京からの新幹線は指定席をとっていたのですが、車椅子を設置する場所が
あるなど、障害を持っている方が座る場所のようでした。東京駅を出発する時、
私の席の前に、駅員さんに介助されて、視力障害を持つ青年が来られ、一人で
座られました。米原で降られるようで、駅員さんが、「米原駅にも連絡しておきます。」
と言われていました。駅員さんは、「大丈夫ですか?」と聞かれて、去っていかれました。
その後、その青年は、一人で荷物を網棚に置き、ジャンバーを脱いでたたんで
その荷物の横に置き、白い杖も折りたたんで同じくその荷物のところに置かれました。
荷物が落ちてこないように奥の方へ押し込み、何度も手で触ってきちんと置かれました。名古屋を過ぎた頃その青年は、さっと立って、多分お手洗いだと思うのですが、
歩いて行かれました。一人で大丈夫かな?と思ったのですが、多分どなたか近くに
いる男の方が場所など教えてあげられるのではないかと、勝手に思って私は
自分の席からは動かず心配だけしていました。ちょうど、その時に、網棚の服が
何かのはずみで落ちてしまい、前に座っていた少年の肩に触れたのです。少年は
その服を拾い、後ろへ向いて見わたしたのですが、その時、少年の目と私の目が
合いました。少年は、網棚を指差して目で聞かれたので、私も目でうなずきかえしました。無言の会話です。少年は服をたたんで網棚に返しました。しばらくして、青年が帰って
来られたのですが、座席の背もたれを触りながら数えて、自分の席を見当されたのだと
思いました。通路側の席には誰も座っていなかったので、窓際の自分の席へ戻られ、
まず、網棚の荷物を手で触って場所を確かめられました。服に手が触ったとき、
その青年の顔はにこっとほころびました。しばらくして、もうすぐ米原に着くという
アナウンスがあり、服を着て、荷物を降ろされているときに、乗務員さんが来られ、
介助されて降りていかれました。ホームには、米原駅の駅員さんがホームまで迎えに
来ていて、一緒に歩いて行かれる姿が見えました。

047
   胸飾るビーズのバッグのアクセサリー
           かがやく夢が詰められており 


あることのお礼にといって、友人からビーズで作った小さなバッグのアクセサリーを
贈っていただきました。本当に小さなかわいいバックです。白く輝いています。
雅子様がつけられていて、有名になったものと同じだそうですが、友人の息子さん
(多分二十歳前後の)が作られたのだそうです。実はまだつけていないのですが、
つけてみようと思っています。

048
   なにとなく一歳過ぎれば今生の
          波分りしか悩む顔する  


こぼれるような笑顔を見せていた赤ちゃんが、発達の段階でしょうが、一歳も
過ぎて周りの状況把握が出来るようになってくると、表情が変わって見えることが
あります。世の中には、思うようにならないこともあるのだということがわかって
くるのではないかと感じられます。なんだか、ふと見せる表情が、考えているように、
悩んでいるように見えました。

049
   思ふなり疲れしときは合谷と
         胸鎖乳突筋が関はりあること 
  
   
肩こりのツボにはいろいろありますが、胸鎖乳突筋の付根を指圧しますと、
手の親指と人差し指の間にある合谷に響くのが感じられます。

050
   葵とはあふひ逢う日に通じると
         葵祭の説明にあり   


「恋愛と性愛」編者 服部早苗・山田昌弘・吉野 晃 発行所 早稲田大学出版部
を野崎理氏の紹介で読ませていただきました。050、051、052は、その本に関した歌
(印象に残ったこと)です。
葵祭では、行列に連なる人々が双葉葵を髪に飾って参加するが、その「あふひ」
とはそもそも男女の「逢う日」に通じていた。と書かれてありました。


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         以上、2003年02.22まで

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