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         も み の 木 歌 集   
                  2 0 0 3 年 度 
                  第二部


051
   求めてはいけない人とよい人の
          区別と言ふなり家族の起源は  


052
   「週刊誌風に読めば」と断れば
          光源氏もマザコンロリコンと言ふ 
 

「週刊光源氏 総集編」の副題は「源氏物語を女性週刊誌風に読む」だそうですが、
一度読んでみたいものです。

053
   やはり梅はぽっぽと咲くなりつつましく
          桜はわーっと咲くと言ふけど 


奈良の月ヶ瀬へ梅を見に行ってきました。今年はまだ寒く、咲き始めでした。でも、
所々に梅がぽっぽと咲いていました。3月中旬にもなれば、名張川沿い、山の斜面
などに、紅梅白梅が見事に咲くと思います。

054
   風が行く木津川沿いを梅渓
(うめだに)
          月ヶ瀬橋に山頭火碑たつ 


上野市の芭蕉の足跡を訪ねた時でしょうか。月ヶ瀬を詠んだ山頭火の句碑が
月ヶ瀬橋のたもとにありました。
        ここから月ヶ瀬といふ梅へ橋をわたる
            五月川一目萬本月瀬橋       
                 山頭火

055
    つま先まで泡につつまれぽっかりと
           月ヶ瀬の風と空を見てみる 


月ヶ瀬温泉があります。梅渓の露天風呂、石鹸は檜の香でした。  

056
    月ヶ瀬の梅も縁起を見てゆけば
           天神様への信仰にあり 


菅原道真・天神様への歴史的な信仰の深さを感じます。   


057
   若き日の想えば苦き思い出も
          ほこり払えばかがやいていた   
   

その時は悩んでいたことでも、それがあったからかえってよかったのだのだと
思うこともあるように感じます。

058
   家隆はいったいどこで見たのだろう
          ビルの谷間の夕陽が丘行く 


四天王寺の近くに夕陽が丘というところがあります。この夕陽が丘のことが、
西行MLで話題になりました。これは、新古今集の撰者として知られる
鎌倉時代の歌人藤原家隆(ふじわらのいえたか)(1158〜1237)が晩年
この地に住み、

     契りあれば難波の里にやどり来て浪の入日を拝みつる哉

と詠んだことにちなんで付近一帯が夕陽山と名づけられ、やがて現在の地名に
なったものだといわれています。先日、用事で行く機会がありましたが、
またゆっくりと歩いてみたいと思っています。

059
   ひたすらにただ回るなりキラキラと
          カタクチイワシのバベルの塔あり 


海遊館へお別れ遠足に行きました。ラッコ、イルカ、たくさんの魚がゆうゆうと
泳いでいました。中でも、カタクチイワシはただひたすらに一つの柱を中心に
回っています。
ただ単純に回っているだけなのですが、やはりなにかの目的があるはず、
もしかすれば、海へとつながるバベルの塔なのかもしれないと思いました。

061
   小魚を提灯みたいに従えて
          「ジンベエザメ様のお通り〜」 


子どもが「「ジンベエザメはやさしいんやで」と言っていました。周りにだんじりの
提灯のように、小さな魚を従えて、ゆったりと「ジンベエザメ様のお通り〜」という
風情で泳いでいます。子どもに囲まれた母親のようにも見えるので優しく感じる
のかもしれません。

062
   春一番教育基本法頼もしく
          「宗教的な情操教育」 


宗教の自由は守られるべきだと思いますが、人や物への感謝の気持や、
西行の歌にもありますが、
   「なにごとのおはしますかはしらねどもかたじけなさに涙こぼるる」
というような心も大切なのではないかと感じます。

063
   親鸞の後生の大事も知らずして
         磯長
(しなが)聖徳太子廟参りき 

先日、ある講演で、親鸞上人のお話を聞かせていただく機会があったのですが、
親鸞が19歳のとき、精進しても闇は晴れず、比叡山から磯長(しなが)聖徳太子
御廟へ訪ねて来て、不眠不休の祈願をされ、4日目の明け方、精も根も尽き果て
失神した時、聖徳太子が目の前に現われてお言葉をいただいたとのことでした。
(磯長の夢告)
この磯長聖徳太子御廟へは、平成14年の年末に西行MLの人たちと一緒に
行きました。はっきりとは覚えていないのですが、聖徳太子の御廟の横に、
親鸞上人縁の碑かなにかがあったように思います。

064
   耳の日にツチ・キヌタ・アブミ話さず
          カスタネットの音を聞かせる 


3月3日は桃の節句でもありますが、耳の日でもあります。保育所の子どもたちに
耳の大切さについて話しました。解剖生理的なことは話しても難しいので、
「聞くこと」「身体のバランスをとること」「耳が二つあるから、聞こえてくる方角が
よくわかること」などについて話しました。 

065
   この春も桃の節句の桃咲きて
          嫁ぎし娘の雛を飾らむ 


もう、飾らないでおこうかなあと思っていたのですが、雛祭りの前日に出しました。
雛あられだけは大分前から用意をしていました。   

066
   遙より望めば梢に霞たち
          大阪城は花の香満つらむ  
  

昨日、遠くからですが大阪城を見ました。周りの木々が白く霞んで見えるところが
あります。きっと、梅が満開なのだろうと思って見ました。
今は、スギ花粉がピークの時期でマスクをかけてお花見に行こうとは思いませんが、
明日ありと思ふ心のあだ桜夜半に嵐の吹かぬものかは  親鸞
このままでは、満開の梅も見ないで終わるかもしれません。

067
   かげろうの日記のはじめに書かれおり
          先輩として書き残す意義 


かげろう日記は今から千年以上も前に道綱(道長の異母兄弟になる)の母が
書きました。訳文ですが、先日読みました。時代は変わっても、人生の悩みは
あまり変わらないなあと思いました。

  かげろふのあるかなきかにほのめきてあるはあるとも思はざらなん

かげろう日記は、わが身のようにたよりない「かげろう」が、自分の運命に似て
いるように思い、この歌からつけられたようです。日記のはじめには、自分の身の
上を話すことによって、これからの若い人に人生の儚さを教えたいと書かれています。
この後に続く「和泉式部日記」も「紫式部日記」も、日常の出来事というより、作者の
考え方や言っておきたいことが書かれていて、作者の喜び悲しみが響いてくる感じが
します。 

067
   花生
(あ)れば哀しき声す
         時愛しみ思ひ溢れて桜散る散る
 

楽しみに待つ桜ですが、この季節はなんとなくさみしい季節でもあります。
咲きそろった心に染みる花であればあるほど、儚さを感じます。
まだ、桜はこれからですが、観たいと思う心と、早くこの時期が過ぎ去って欲しいと
いう気持が入り混じります。
 
    世の中にたえて桜のなかりせば春の心はのどけからまし  在原業平

068
   家隆の夕陽ケ丘を下るなり
           我は現身
(うつせみ)研修へ急ぐ 

3月15、16日は、四天王寺夕陽ケ丘近くの国際文化交流センターで保育所保健の
研修がありました。夕陽丘の坂道を下りながら家隆の歌を思い出しました。
その時、また近いうちに、ゆっくりと、その縁を尋ねて来てみようと思いました。
そういえば、先日も夕陽ケ丘へ来た時にそう思いました。 
「今 来む(すぐ行きましょう)」 です。

    今来(いまこ)むといひしばかりに長月の有明の月を待ち出でつるかな 
              素性法師

(「すぐ行きましょう」と、あなたが言ってよこしたばっかりに、夜の長い九月の
明け方の月を、まるで待っていたかのように迎えてしまったことですよ。)
「今すぐ行くよ」「今出ましたよ」 蕎麦屋の出前のようにも聞こえます。
本当に、夕陽ケ丘へは、近いうちに行きたいと思っています。

069
   家隆の夕陽ケ丘の歌を解く
          清水坂あり愛染坂あり 


3月21日の春のお彼岸に、大阪天王寺区にある夕陽ケ丘へ家隆の歌を訪ねて
行ってきました。
四天王寺→ 一心寺→ 安居神社境内の真田幸村の戦死跡碑→ 
清水坂→ 愛染坂→ 愛染神社→ 大江神社→ 藤原家隆の塚

      契りあればなにわの里に宿り来て波の入日を拝みつるかな    
                    藤原家隆

今は、ビルの谷間にある家隆塚です。海も全く見えません。坂の下にも街並みが
広がっています。でも、今回散策してみて、この歌の歌われた情景が少し想像
できたように思われます。家隆の塚は、地下鉄谷町線「四天王寺夕陽ケ丘」を
下りればすぐ近くにあります。
上のルートでの写真を撮影しました。御覧願います。

     http://www10.ocn.ne.jp/~y4824/ietakatuka-1.htm
         
070
   いにしえはあかねに染まる丘があり
           海を臨みし浄土の門より

四天王寺の浄土の門(西門)に立てば、海が見えたのだと思います。
   
071
   つくつくと野辺の片すみ春日和
         写真の土筆はVポーズする 


壁のカレンダーの土筆を見ているとそんな感じがします。   

072
   割り切れぬπの調べを打ち破り
         四捨五入して桜は咲くなり


円周率のπの調べというのがあるそうです。3.1415-------
これこそ、割り切れないというのでしょうね。理屈はともあれ桜は今年も咲きます。

073   
   赤ちゃんで生まれた日なり今日の日は
         めぐる年ごとさくらの花さく  


私も桜の咲く頃、牡羊座生まれですが、同じくこの時期に生まれた人のことです。
そういえば、鉄腕アトムも牡羊座。もうすぐ生まれます。

074
   どっさりと洗濯物が春風に
         旗めく午後など達成感あり
     

息子が洗濯物をみやげに持って帰った日曜日の午後、そんな感じがしました。

075
   菜の花と飽和に近き雪やなぎ
        土手のシンフォニー桜咲き初む 
  

いつもの春の景色です。

076
   幸せの尺度を思う
      人気俳優自殺のニュースしずかにさみしい   


事情などは全くわかりませんが、他人(ひと)の幸せなどは外からは見えませんね。

077
   蜂の巣に見える高層マンションの
        灯り見ながら帰る夕暮れ 


働き蜂が巣に帰る心地がしました。

078
   「オッケーデース」と応える娘等と仕事する
          面白くもあり四半世紀差


「はい」と応えずに「オッケーデース」と応えるわが娘の世代の人達と仕事を
しています。まだ若いですが、皆しっかりした信念を持っています。

079
   三十年飾りし雛の思い出を
          娘と納めし春の淡島 


三十年間飾ったお雛様を、嫁いだ娘と一緒に淡島神社へ奉納しに行ってきました。
すぐ側の海には友が島が見えます。

080
   醍醐味なりしだれ桜のカーテンを
          潜り抜けたる春の一日
(いちにち)

西行オフ会で4月6日醍醐寺へ行ってきました。古い大きな桜の木が境内には
たくさんあって、桜の下を潜ってきたような一日でした。 

081
   醍醐寺の桜見ながら語りあふ
          心は身にもそはずなりけりと 


見事な桜を見ていると、西行の桜にあくがるる歌を思い出しました。

082 
   友と会ふ西行と会ふ桜樹
(さくらぎ)
          人集はせるものと思へり 


083
   足もとに風に吹かれて花びらの
          メッセージとどく扉開けば 

   
昨日まで表面張力一杯に咲いていた桜が、今日はもう散り始めています。
外に出ると、もう足元まで花びらが運ばれて来ています。

084
   「おまけのおまけのきしゃぽっぽ」
          本当は誰がために歌ふ ぽっぽー 


保育所の子どもに、「もう、次の子にブランコを代わりましょう。」と言っても
「まだ代わらない。」と言った場合など、保育士さんが「そしたら、もう少しおまけして
あげるからね。」という意味で、「おまけのおまけのきしゃぽっぽ ぽーっとなったら
代わりましょ ぽっぽー  はい 交代」と歌って、納得させて、次の子に代わらせる
ことがあります。
よく、この歌を歌っていた保育士さんが、この4月で異動になり転勤していきました。
転勤していくとき、送別会の席で次のような話をされました。
自分は、この保育所へ転勤してきた当時、子どもの登校拒否のように、職場に行き
たくなくなった。車で通勤してきても、駐車場の車の中から出られなくて、ぎりぎりの
時間まで座っていた。その頃、ある同僚が、いつも車のドアを外から叩いて、
「もう、ええやろ。もう、行こう。」と促してくれていた。
そんな話をされました。
彼女は、車通勤ですが、昨年転勤してきた私は最寄の駅から自転車通勤でした。
車は停滞していますので、私の自転車と彼女の車は先になったり後ろになったり
するので、彼女はよく私の姿を見てくれていたようです。
「今日、車の中から、姿を見たけど、自転車をこぐ姿が重たい感じだったよ。」とか、
「今日は、どうして自転車をユータンさせたの?」(実は郵便ポストを探していた。)
とか、笑いながらですが、よく言われていました。多分、彼女なりに気遣ってくれて
いたのだと思います。
そんな彼女のことを考えていると、この歌をまた思い出しました。
彼女は、もしかしたらあの頃、駐車場の車の中で、この歌を自分自身に歌っていた
かもしれない。
「もう少し時間をあげるからね。そしたら交代よ。」
そういう思いをした彼女だから、私にも気遣ってくれたのかもしれない。そんな気持で、
この歌をまた歌ってみました。

085
   石川を渡りて仰ぐ紫の
            葛城山麓西行塚あり 


金剛葛城山系から流れ出る水脈を集めて、南河内地域を流れる石川は、
南大阪で最長の川です。その河川敷に沿って石川河川公園があり、
この公園には「西行うたのみち」と名付けられたエリアもあります。

086
   お習字の手本にいいと思ひつつ
            弘川といふ案内板見る


弘川と書かれている案内板を見ると、お習字を練習する字にいいなあと思いました。
この少ない画数の技法を要する字をバランスよく書くのは難しい。

087
   花びらは花恋ふ人の上に帰す
            願いし歌碑にも眠りし塚にも


本坊に座っておられる弘川寺の奥様は、いつも暖かく迎えてくださいます。
今年は4月6日が弘川寺のお祭りでした。その日のことを聞かせていただくと、
お天気に恵まれて、桜もちょうど満開で、たくさんの人で賑わったと話されて
おられました。西行塚の広場では野点もして、好評だったそうです。
私が訪れた12日は、雨上がりのせいか人も少なく、ゆっくりと散っていく桜を楽しむ
ことができました。 以下は弘川寺の画像です。
     http://www10.ocn.ne.jp/~y4824/hirokawa2003.html

088
   春爛漫病める大気の中にいる
           鳥も桜もマスクの私も       
   

2月から5月の母の日あたりまで、毎年、春の病(花粉症)に罹ります。植物が子孫を
残そうと活動する時期です。自然植物と現代文明との戦いでしょうか。

089
   さようなら今年のさくら春といふ
           愛別離苦のフォルダ閉じる
 

4月19日、もう桜は葉桜になってしまいました。
MLの友人が下記の歌を書かれていました。

     花ちらで月はくもらぬ世なりせば物をおもはぬ我が身ならまし
                    西行法師
(花は散ることなく、月は曇ることのない夜.......そんな世であったならば、自分は
もの思うことはないであろうに。)
散らない桜なら、こんなには歌われないですね。

090
   園庭の雑草畑の虫たちよ
           午睡の時間にさあ引越しだ
 

虫の好きな子どもたちのために、園庭に雑草畑が作られました。
でも、虫の取り合いで、けんかがはじまります。虫はおもちゃじゃないのよ。      

091
   楽しいと言いつつ羽根を繕ひて
           何創り給ふ機を織る君 


自分の羽根を織り込んでいく。商売などもギャンブル性があると思います。

092       
   病院へ来るたび思ふ
           病める子は輝いており命重たく


先日、保育所の子どもに付き添って府立の小児保健センターへ行ってきました。
車椅子の子、酸素ボンベを携帯している子、歩行器で歩いている子、ハンディを
もっている子どもたちですが、皆保育所の健常児以上に輝いて見えました。
懸命に生きている姿だからです。         
    
093
   西行も春の野に出て若菜など
          摘まれしと思ふ語らいあひて 
 

4月29日、吉野奥千本を訪ねました。西行庵の周りには今年最後と思われる
山桜が3本くらい残っていました。もう、吉野は新緑に衣更えしていました。
西行庵の前の斜面にはわらびが生えていて、暖かい陽射しの中でしばらく
わらびを摘みました。ほんとうに少しの時間でしたが、楽しいひと時でした。

094
   シャガの名を思い起こせり野に来れば
         昔の人に会ふ心地して


先日より、職場の同僚が生けてくださっていた花の名前が思い出せなかった
のですが、吉野に来てやっと思い出しました。吉野の山道には、青々と茂った
葉の中に淡い色のシャガの花がたくさん咲いていました。自然を背景に在る
シャガと花瓶の中のシャガでは様相が全く違っています。

095
   咲き残る桜が肩にふれて散る
         吉野の春の終
(つい)を惜しみて

山道を行くと、ぱらぱらと何かが落ちてきました。桜が散っているのです。

096
   若葉より急落下する雀の子
         たわむれ遊ぶ五月晴れの日


097
   サッカーのボール追う子とベンチにて
         眺める女
(ひと)見る朝の公園

毎朝の通勤経路の公園の情景です。

098
   遥かなる古代の国の味がする
         ツタンカーメンエンドウ飯炊く 
     

保育所でえんどう豆を収穫しました。普通のエンドウとサラダエンドウ、紫色の
ツタンカーメンエンドウがありました。ごった煮の豆御飯ができました。
ツタンカーメンという豆は、異国情緒や歴史を感じさせます。

099 5/04    
   葛城の行者の滝に吹く風は
          恵の風なり山吹の風 


約1000mの葛城山へ登ってきました。体力の限界を感じました。約2時間かかりました。
頂上のツツジはまだ蕾でしたが、大勢の人がロープウェイで登って来ていましたので、
葛城銀座通りになっていました。登る途中にある役行者の滝は、滝壷から吹いてくる
涼しい風が気持ちよく、登っていく途中の人達が休憩をとっていました。        

100  5/04
   枝打ちの終えたる檜の山道を
          木の間の青空めざして登る  
   


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         以上、2003年05.04まで

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