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             も み の 木 歌 集   
                      2 0 0 6 年 度 
                       第 一 部


    2005年(3)   2006年(2)


1  1/17
   母に向かう淡き記憶の接点を
            皆で語るあらたまの日に


2

   たまきはる命の著書なり手にとれば
            石見
(いわみ)の海や大和の山あり

万葉秀歌(一) 久松潜一著 を読んでいます。82歳で亡くなった著者の
絶筆とのことです。

3

   手の中のホットコーヒー温かし
             享年95歳通夜の帰りに

4
   若き日の想いが残る「琉璃の岸」
             探し至れり地下書庫の中


二十歳の頃、北原三枝主演の「琉璃の岸」という映画を観ました。
また、いつか本で読んでみたいと思い、太田洋子という作者の名前を
しっかりと覚えていました。しかし、その後、探すことはできませんでした。
最近、わかったことですが、
府立図書館の地下書庫の中にはあるようです。

現在、通勤途上のお寺の掲示板に書かれている俳句です。

行き行きて 倒れ伏すとも 萩の原   曾良

5

   滑り台の桁より見える朝の空
            幼き日にも出会った青空 
 

6

   ふり返り右折するごと天の道
            朝の光が背に流れ来る

7
   浦島という名の居酒屋街にあり
            暖簾潜れば四次元なのかと

8
   小鳥たちの集いあるらしセキレイが
            御陵の堀を越えて行きたり
 

9

   真ん丸い残月見えし望月の
            夜明けて帰る後ろ姿の

10
   幼児にも達成感があるらしい
            戸棚を開けては閉めては歓声

11  1/26
   雪予報あれど思い出温かし
         上海蟹の季節となりぬ    
       

先日、テレビのニュースで上海ガニが映っていました。
そうそう上海ガニの季節です。
もう10年も前になりますが、研修の帰りに、友人と一緒に
食べたことを思い出しました。

12

   また誰か嘆く人あり朝の霜 
         福良すずめも気づかぬけれど


  君が行く海辺の宿に霧立たば吾が立ち嘆く息と知りませ 
          万葉集巻十五 3580
(あなたが行く海辺の宿に夜霧が立ちこめたら、それは私の嘆きの
息だとお知りください)
中西進先生の講座で
「雲とか霧とかは、人間の呼吸だと思われていた。自然と人間は
同体。嘆きが立ち上って霧になるのだ。神秘的な風景である。
他」のお話がありました。

13

   なだらかな金剛の峰終盤に
         背伸びしたよな頂がある


毎朝、近くの槇尾川を渡るとき、遠くに葛城、金剛の峰が見えます。
金剛山の特徴は、頂がヒョイと三角に上がっています。
山の頂といえば、数年前、八幡平に行ったとき、見えると
思わなかった鳥海山が見えた時の驚きは今も忘れられません。
鳥の頭のような頂を遠くに見たときは、背中がぞぞーっとするような
感激を覚えました。昔の人が山を神のように崇めたのは、
わからないことではありません。

14  2/22

   節分の豆が落ちたる朝の道
             寒くはあれど春は来にけり   
 

15

   遠き日に歌いし歌の花なれや
             エリカの花とめぐり遇いたり   
  

これがエリカの花?
と懐かしく思いました。確か、西田佐知子が歌っていました。

 エリカの花散るとき
青い海を見つめて 伊豆の山かげに
エリカの花は 咲くという
別れたひとの ふるさとを
たずねてひとり 旅をゆく
エリカ エリカの花の咲く村に
行けばもいちど 逢えるかと

16

   保育所の観察箱で一生
(ひとよ)越す
             飛べない蝶に菜の花贈らむ    


観察箱で飼育していた卵が、もう蝶になりました。
外へ逃がすと、寒さで死んでしまいます。
菜の花を入れてあげました。

17

   伊予柑の甘煮散らしたひな寿司を
             食めば故郷の香り拡がる


いい香の伊予柑の皮を甘煮にして、煮豆を作ってお寿司に散らしたり、鶏肉の
マーマレード煮や丼の隠し味に使ったりしてみました。

18

   子どもらに他人
(ひと)を信じることなかれと
             語りし後は虚しさ残れり

 子どもが被害にあうニュースに心を痛めます。
 保育所の朝の集会で、『一人で遊ばないこと』『一緒について行かないこと』など話しています。

19
  3/14
   暮れなずむプラットホームに春の風
             悠久よりのひとときを待つ

暮れ泥む(クレナズム)。日が暮れそうでなかなか暮れないでいる春の空です。

20

   今朝早く君に逢いたり遠き日の
            時間を停めた微睡
(まどろみ)の中

21
   街角のエステのポスターどう見ても
            チャングムと思ふ化粧落とせば 

最近は、「宮廷女官チャングム」に嵌っています。エステの前にあるポスターは、
アイシャドウーを濃くしていますが、確かにチャングムです。

22

   わが心弥生の空に吹き揚げて
            いつか飛びたし桜咲く頃

桜の梢がほんの少しですが、赤くなってきました。

23

   わが言ひし申し送りは的確と
            君は言ふなり「気力と体力」と

毎日忙しく過ごしている私の後任者が、私が申し送った言葉は、正しかったと先日
会ったときに言われました。もう、自分の言ったことも忘れていたのですが、
「気力と体力がいる職場だ」と言ったのだそうです。
私も今、ある研修で発表するプレゼンテーションを作っています。
自分の仕事を、あらためてまとめることが、また勉強になります。

24

   パキパキと新雪を踏む朝の道
            出遭った人の足跡辿る


通勤途上にあるお寺の掲示板には、

 闇の香を手折れば白く梅の花   也有

の句が書かれていました。私は、凡河内躬恒の歌を思い出しました。

心あてに折らばや折らむ初霜のおきまどはせる白菊の花   凡河内躬恒

(あて推量に折れるものならば折ってみようか。一面に置いた初霜が見分け
難くしている白菊の花を)

闇の中の白い梅
初霜のなかの白い菊
今日は今年一番の積雪の中、駅まで歩いていきました。 

25  3/19

   眠れぬ夜 職場離れる友の念  
           思へば白き春の雪降る


あれほど仕事が好きだった友が、職場を離れます。
彼女なら、無償でも、自分でお金を払ってでも仕事を続けたかったと思います。
残念です。しかし、彼女のことですから、自分の体力に合った趣味や
ボランティアをまた見つけていくことと思います。

26

   もう一年 また一年と経たりなば
           桜は君の化身となるらむ

       
27

   今朝見れば雪柳の花ボツボツと
           愛しき白で咲き始めたり

今日は、大阪国際交流センターで保育所保健セミナーがあり、私が発表した分科会では、
沖縄、鹿児島、長崎、島根など遠くから来られた若い看護師や保育士も聴講してくれました。
これから保育所保健に関わっていく人たちの熱い気迫を感じ、頼もしく思いました。
 
28  3/26

   うらうらと上野市駅前芭蕉像
             ここはどこだと佇みており


26日(日)は、伊賀上野へ行き、芭蕉翁生家、蓑虫庵、芭蕉翁記念館などを周ってきました。
芭蕉についてはあまり知らなかったのですが、今回、学んだことは、
芭蕉のお母さんは、四国の宇和島出身であったこと。
芭蕉は、次男であるが、長男である兄の名は、命清(のりきよ)という名前であったこと。
(芭蕉が崇拝する西行の名も義清(のりきよ))
芭蕉が求めた「自然」は、荘子の影響も受けていることなどなど。
芭蕉の自然とは、深川に転居して、幸運にもめぐり合った佛頂から、禅はともかく
漢学一般、中でも特に老荘思想について体系的に教授されたこと。
そのことにより、芭蕉の人生が急展開し、特に『荘子(そうじ)』については、芭蕉の
自然観全体に影響を与えた。ことなど。
上野城の桜はまだ咲いてはいませんでしたが、いくつかの歌碑が立っていました。

さまざまの事思ひ出す桜哉  芭蕉

3月27日(旧暦では5月)は、芭蕉が奥の細道紀行に出発した日だそうです。
駅前の街の真ん中で、ひょうとした姿で空を見つめて佇んでいる芭蕉像は、
孤高というか、どこかへまた出かけてしまいそうな様子をしていました。

29

   ふっくらと桜の蕾膨らみて
              結びて開くグーの手出揃う


仁徳天皇御陵前の桜並木を見上げると、まんまるい蕾になっています。

30

   月ヶ瀬の谷の底より湧き上がる
            紅白梅は春告げるなり


月ヶ瀬の梅は今が見ごろでした。桜に比べてやはり梅はおしとやかというかポッポッと
咲いていました。

31  4/13
   徒然に徒然の道徒然と
            歩めば思ふ徒然のこと


4月9日は、京都の花園駅に集合し、兼好のお墓のある長泉寺、崇徳院や
西行縁の仁和寺、兼好の双が丘、徒然の道、待賢門院や西行縁の
法金剛院へ行ってきました。
御室桜はまだ咲いてはいませんでしたが、ソメイヨシノや枝垂桜を見る
ことができました。
兼好のお墓の前には、一本の桜の木があり、徒然草の

〜花は盛りに月は隈なきをのみ見るものかは〜(137段)

(花は満開の花だけを、月は一点の曇りのない月だけを見るものであろうか)
の言葉を思い浮かべました。お墓の横には、

契りおく花とならびの丘のへにあはれいくよの春をすぐさむ    兼好

の歌碑もありました。
「双の丘に無常所(墓所)をまうけて、かたはらに桜を植えさすとて」と書かれており、
この墓所の前の桜は、兼好の意思であったのだと気づきました。

32

   兼好の墓前に桜咲きにけり
             無常を語り今盛りなり


33   5/02

   保育所のホールに寝転び愚図ってる
            君がなんだか羨ましい日  


気に入らなければ、ホールや廊下に寝転んでぐずっているR君。
大人に何かを訴えたいことがあるのでしょうが、自分の気持を出せる
ところがあるというのは、幸せなのかもしれません。

34

   桜花いつか散りゆき平常の
            褻
(け)の装いに心を纏ふ

35

   「最近気がついたことなのですが」と
            老師は熱く蒲生野歌を説く       
 

今年も中西進先生の万葉集の講座を聴かせていただいています。
先生は、時々、「最近気がついたことなのですが〜」と、万葉集歌の
解説をされることがあります。一生学者なのだと感じます。

蒲生野の歌
@あかねさす紫野行き標野行き野守は見ずや君が袖振る  
       万葉集1−20  額田王
A紫草のにほへる妹を憎くあらば人妻ゆゑにわれ恋ひめやも 
       万葉集1−21大海人皇子

大海人皇子(後の天武天皇)は、額田王を娶り十市皇女が生まれている。
その後、額田王は、40歳も過ぎて、天智天皇の後宮に入った。異例のことである。
額田王は、基本的には大海人皇子を愛していたのはよくわかる。

@ の歌は、大海人皇子が袖を振っている。袖を振るというのは、相手の魂を
呼ぶことである。額田王は、大海人皇子に誤解をされっぱなしで今日まで
過ごしてきていたのかもしれない。しかし、今、皇子は、袖を振ってくれている。
私を憎んではいないのだ。
Aの歌は、大海人皇子が、「憎んでなんかいないよ」と歌った歌である。

36

   気がつけばいつも私を置いて行く 
             弛まず歩む時間といふもの    
    

〜時間とは、「前と後ろに関しての運動の数」である〜  アリストテレス
放送大学で、今年度前期は、「自己を見つめる」渡邊二郎著 を学ぶ
予定ですが、理解が出来るかどうか心配です。

37

   ぶつぶつと吹きこぼさぬよう若菜にて
            壁を作りて食む明日香鍋  


日帰りで、何度か飛鳥まで行ったことがありましたが、連休中に1泊2日で
明日香村へ行ってきました。今回も、なかなか明日香全体を廻ることが
出来ませんでしたが、大体の位置関係がわかりました。
橿原神宮―孝元天皇陵―豊浦の宮跡(推古天皇が即位した場所)―
甘樫丘(蘇我入鹿の屋敷があったところ)―埋蔵文化財展示室―飛鳥坐神社―
飛鳥寺(飛鳥大仏)―酒船石―板蓋宮跡(蘇我入鹿が暗殺された場所)―
川原寺跡―岡寺―橘寺(聖徳太子生誕所)―二面石―亀石―天武天皇・
持統天皇御陵―鬼の俎―鬼の雪隠―吉備姫王墓・猿石―飛鳥駅

民宿でいただいた飛鳥鍋は、クリームシチュウ風味でした。
<飛鳥鍋の作り方>
鶏ガラスープ400cc  牛乳1リットル  塩  みりん  白味噌
鶏肉 白菜 新菊 牛蒡 葱 豆腐 シメジ うどん コンニャク 
スープを小鉢に少し取り、生姜を入れていただきます。
最後には、ご飯を入れて卵と海苔を入れておじやにしました。
牛乳が吹きこぼれないように火の具合を加減し、鍋の回りに野菜で
壁を作って煮ます。

38

   動ぜずに千四百年間座し居たる
            飛鳥大仏二面の顔持つ


マップに「飛鳥寺は、飛鳥の臍である」と書かれていました。蘇我馬子が
飛鳥寺を建て、飛鳥大仏を造られてから今年の4月8日で1398年になるそうです。
造られた当時は、大仏(釈迦如来)の両側には菩薩様を従え、大仏様の周りは
32kgの金で飾られていたそうです。1196年に雷が落ち、お寺が焼かれたとき、
大仏様は真っ赤になって焼かれ、全身を覆っていた金が全部落ちてしまい、
その後、約600年間は、お堂もなく雨ざらし日ざらしのまま、時には藁や草を
被せられていたそうです。建立された当時から台座を一歩も動かずに坐している
日本最古の大仏様であるとのことでした。
建立当時、中大兄皇子や蘇我入鹿、藤原鎌足などにも拝まれたであろう大仏様は、
向かって右側から見れば優しく、左側から見れば厳しいお顔に見えました。

39

   甘樫丘
(あまがしのおか)と入鹿(いるか)の首塚と
            事の真意は飛ぶ鳥に聞け

蘇我入鹿が暗殺された板蓋宮跡から眺めると、屋敷のあった甘樫の丘と入鹿が
建立した飛鳥寺の間に入鹿の首塚(供養塔)がありました。

40

飛鳥人の蘇
(そ)といふ味の複雑さ
測り知れない古に似る


飛鳥の蘇(古代のチーズ)をいただきました。

41

ジェンダーも性の差別も唱えずに
        飛鳥の風で緋鯉は泳ぐ


五月晴れの空に、真鯉も緋鯉も風をいっぱいに受け雄大に元気よく泳いでいました。
                                  

42  6/08

   日傘さし猿石亀石二面石
              天井のない博物館廻る


5月は、明日香村へ二度行ってきました。ボランティアで入鹿の首塚を案内して
くださった方は、この辺りは、天井のない博物館だと説明されていました。

43

   車中にて奇声を発す学生の
             白きワイシャツ新しき靴


発達障害をもっている少年かもしれません。真っ白いワイシャツに、
親御さんの思いが伝わってくるように感じました。

44

   千姫の祈りと書かれし絵画には
             怪しく哀しき眼の女
(ひと)おはす

姫路の大手門通を歩いていると、「千姫の祈り」という絵が飾ってあり、千姫の
半生が書かれてありました。姫路城でくらした10年が、70年の生涯のなかで、
もっともおだやかで幸せな歳月であったのかもしれません。

45

   挨拶は交わさなけれど公園の
            ボール蹴る子を春秋見ている

46

   名を呼べど答えぬ幼にワンワンと
            言えばワンワン苦心の会話す

 
 1歳半の孫との会話です。

47

   生きる力溢れんばかりに口あけて
            ヨーグルト食む児の写真を飾る


梅雨の川心おくべき場とてなし  龍太

通勤途上のお寺の掲示板に書かれている歌です。
近畿地方も、もう梅雨に入った模様です。

48  6/27

   地蔵様は親しみあれど菩薩様 
            朝ごと道を問ひて拝する 


49

   人恋ふることを重荷と思ひもて
            心模様を濃淡で書く


「ひとこふることをおもにとおもひもて」
崩し字を読めるように、毛筆のかな字をまた練習し始めました。

50

   雪の日の彼の人の背の寂しさを
            君は知るやと聞く友が居り


       2005年(3)  2006年(2)

         以上、  2006年06月27日まで

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