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京都写真集 マガジン41号
若一神社 新玉津神社 俊成社
若一神社
西大路通り八条東側に数本の楠が繁っています。その楠に
隠れるように、小さな社があります。若一神社です。
平安時代、この地は平忠盛の邸宅がありました。忠盛没後は平清盛が
伝領しています。平家物語など読んでも、たびたび出てくるところです。
西八条の館は平家都落ちのときに、平氏の手で焼かれました。
忠盛の西八條の館の中心地は現在の梅の小路機関車館のあるあたりで、
この若一神社は西八條邸の鎮守社だったもののようです。
(忠盛の八條の泉にて、高野の人々佛かきたてまつることの侍り
けるにまかりて、月あかかりけるに池の蛙の鳴きけるをききて)
◎ さ夜ふけて月にかはずの聲きけばみぎはもすずし池のうきくさ
(270ページ)
平清盛像です。西行と面識がありました。
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俊成社と新玉津神社
烏丸松原にある「俊成社」です。ビルの谷間にこの祠と由緒を記した立て札のみが
残ります。山家集259Pに「五條三位入道大宮の家に・・・」とありますので、
実際の邸宅はもう少し西寄りにあったと思います。
俊成は晩年には五條東京極に住んでいました。:現在の松原室町辺りです。
259 (五條の三位入道、そのかみ大宮の家にすまれけるをり、寂然・西住
なんどまかりあひて、後世のものがたり申しけるついでに、向花念
浄土と申すことを詠みけるに)
◎ 心をぞやがてはちすにさかせつるいまみる花の散るにたぐへて
(259ページ)
松原烏丸西入るにある新玉津神社です。俊成の宅地に建てられた神社です。
1186年創建との社伝があります。この神社に隣接して和歌所がありました。
俊成の五條京極邸は1180年に炎上しています。定家の明月記によると1192年に
再建されたとの事ですが、この新玉津神社との関わりからみると、五條京極邸の
位置や広さについて不明な点が多くあります。