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こあ〜こお こか〜ここ こさ〜ころ


五月会→「熊野」43号参照

【こがらし】

 「木を吹き枯らす風」の意。(木嵐=こあらし)の転とも。
 晩秋から冬にかけて吹く冷たい北寄りの季節風。
             (講談社「日本語大辞典」から引用)
 
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01 山里は秋の末にぞ思ひしる悲しかりけりこがらしの風
           (岩波文庫山家集89P秋歌・新潮487番・
       西行上人集・山家心中集・新勅撰集・西行物語)

02 暮れ果つる秋のかたみにしばし見む紅葉散らすなこがらしの風
           (岩波文庫山家集89P秋歌・新潮488番)

03 こがらしに峯の紅葉やたぐふらむ村濃にみゆる瀧の白糸
           (岩波文庫山家集91P冬歌・新潮500番)

04 こがらしに木葉のおつる山里は涙さへこそもろくなりけれ
           (岩波文庫山家集170P雑歌・新潮935番・
         西行上人集・山家心中集・玉葉集・万代集)

○たぐふらむ

 「類ふ・比ふ」と表記し、並ぶ、一緒になる、共に行動する、
 という意味合いを持つ言葉です。

○村濃(むらご)にみゆる

 濃く薄くのこと。濃い部分と淡い部分があるということ。
 濃さが一定していないこと。

○瀧の白糸

 瀧から落ちてくる白く見える水の筋を糸にたとえて表現した
 ものです。

(01番歌の解釈)

 「私の山家では、秋の末になって初めて思い知るのである。
 木枯らしの風がなんと悲しいことかを。」
                (和歌文学大系21から抜粋)

(02番歌の解釈)

 「今日で秋が終わってしまう。その名残にもう少し見ていたい。
 木枯らしよ、紅葉を散らさないでくれ。」
                (和歌文学大系21から抜粋)

(03番歌の解釈)

 「木枯に峯の木の葉が伴われて散ってくるのであろう。普段は
 白糸となって落下する滝の水なのに、紅葉が交じってまだらに
 見えるよ。」
            (新潮日本古典集成山家集から抜粋)

(04番歌の解釈)

 「木枯に木の葉が散り落ちる山里では、涙までもがもろく
 落ちることだよ。」
            (新潮日本古典集成山家集から抜粋)
 
【こからまほしき】

 和歌文学大系21では「濃からまほしき」と表記されています。
 「濃からまほしき」の文法については、手持ちの古語辞典では
 分からず、図書館に行って調べましたが、それでも分かりません
 でした。
 「濃く」+「からむ?」+「まく」+「ほし」だとは思いますが、
 確信がもてません。
 意味は「濃くあってほしい」ということです。

(まほし)

 平安時代になって用いられだした希求の助動詞。
 「○○してほしい」という希望を表します。動詞の未然形を受け
 て、形容詞のシク活用と同等の活用をします。「まほしき」は
 「まほし」の連体形の活用です。
 岩波文庫山家集では詞書に5回、01番歌以外には下の5首があります。

 おのづから来る人あらばもろともにながめまほしき山櫻かな

 何となく住ままほしくぞおもほゆる鹿のね絶えぬ秋の山里

 程ふれば同じ都のうちだにもおぼつかなさはとはまほしきに

 とにかくにいとはまほしき世なれども君が住むにもひかれぬるかな

 あかつきと思はまほしき声なれや花にくれぬるいりあひの鐘

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01 かさねてはこからまほしきうつり香を花橘に今朝たぐへつつ
           (岩波文庫山家集144P恋歌・新潮587番)

○新潮版歌

 新潮版では以下のように「こからまほしき」は、「乞ひえまほしき」
 となっています。

 かさねては 乞ひえまほしき 移り香を 花橘に 今朝たぐへつつ
              (新潮日本古典集成山家集587番)

(01番歌の解釈)

 「袖を重ねての共寝を重ね、染みこませようと思う移り香を、
 今朝は花橘の香をその移り香にたぐへつつ、逢った折のことを
 懐かしむことだ。」
            (新潮日本古典集成山家集から抜粋)

 「何度もあなたに逢って、あなたの移り香をもっと濃く身につけ
 たい。そう思っていたら、今朝強く香った花橘にあなたの匂いが
 した。」
                (和歌文学大系21から抜粋)

【こがらめ】

 小雀(こがら)のこと。「小雀」で「こがら」「こがらめ」と読む
 ようです。
 「め」は「奴」のことだと思いましたが、どの辞書にも「奴」は
 ついていません。
 「奴=め」は、軽んじて言う時や、へりくだっていう時に、体言
 に付いて用いられる言葉です。
 (あいつめ)(ばか者め)(わたくしめ)などの用法と同じです。

 「こがら」はシジュウカラ科の翼長12センチほどの小鳥。
 頭部は黒く、背面は灰褐色。森林に住み雑食性。
 日本全土で繁殖しています。

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01 ならびゐて友をはなれぬこがらめのねぐらにたのむ椎の下枝
           (岩波文庫山家集167P雑歌・新潮1401番)

○ねぐらにたのむ

 椎の木は五月頃に古い葉は落ちますが、和歌では落葉しないもの
 として詠まれてきました。
 葉がたくさん繁っていることから、「ねぐらにたのむ」という
 表現をしたものと思います。
 コガラは雌雄で行動するとのことであり、ねぐらは雌雄が同衾
 する場でもあります。コガラの雌雄は羽を交わして寝るという
 習性があるそうですから、ここは同衾する雌雄の関係性をあえて
 「友」としたものだろうと解釈できます。

(01番歌の解釈)

 「一緒に並んで友と離れない小雀が、寝る場所としてたのみに
 している椎の木の下枝よ。」
            (新潮日本古典集成山家集から抜粋)

 「いつも並んで友から離れようとしない小雀は、いつまでも
 落葉しない椎の木の下枝を塒(ねぐら)と決めている。」
                (和歌文学大系21から抜粋)

古今後撰拾遺→「庚申」126号参照

【獄卒】

 地獄で閻魔大王に仕えている役人(鬼)のこと。

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     閻魔の庁をいでて、罪人を具して獄卒まかるいぬゐの方
     にほむら見ゆ。罪人いかなるほむらぞと獄卒にとふ。汝
     がおつべき地獄のほむらなりと獄卒の申すを聞きて、罪
     人をののき悲しむと、ちういん僧都と申しし人説法にし
     侍りけるを思ひ出でて
 
01 問ふとかや何ゆゑもゆるほむらぞと君をたき木のつみの火ぞかし
             (岩波文庫山家集253P聞書集217番)

○閻魔の庁

 三途の川を渡った死者が初めに行く冥界の庁舎。閻魔王宮のこと。
 王宮では閻魔大王が死者の存命中の行為を取り調べて地獄に行くか、
 それとも天国に行くかという採決を下します。
 古代において、仏教がこういう思想を持つのも仕方のない面が
 あったものだろうと思います。 

○獄卒まかるいぬゐの方に

 地獄の獄卒の鬼が行く乾の方角ということ。
 「まかる」は「罷り」のことで、行ったり来たりすること。
 出入りすること。
 「乾」は「戌亥」で、北西の方角。

○ちういん僧都

 生没年未詳。1160年少し前の没と見られています。説法の達人の
 ようです。
 仲胤(ちゅういん)僧都の説話が「宇治拾遺物語」などに伝わって
 いるとのことです。

(歌の解釈)

 「地獄に連れて行かれる罪人はたずねるとか、(あれは何のため
 に燃える火だ)と。獄卒が答えて言うには(あなたを薪にして
 焚く、あなたが積み重ねた罪の火だよ)」
                (和歌文学大系21から抜粋)
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02 ゆくほどは縄のくさりにつながれておもへばかなし手かし首かし
             (岩波文庫山家集253P聞書集218番)

○手かし首かし

 手枷(てかせ)、首枷のことです。(かせ)は(かし)とも読みます。
 犯罪人の自由を奪い、手や首を拘束するための器具です。

(歌の解釈)

 「地獄に行く途中は罪人たちは縄の鎖につながれて、思えば
 悲しいよ。はめられた手かせ首かせは。」
                (和歌文学大系21から抜粋)

 「地獄へ行く罪人は、行く途中は、縄になっているくさりに
 つながれて、考えてみれば悲しいことだ。手かせ足かせを
 はめられている。」
           (渡部保氏著「山家集全注解」から抜粋)
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     かくて地獄にまかりつきて、地獄の門ひらかむとて、罪
     人を前にすゑて、くろがねのしもとを投げやりて、罪人
     に対ひて、獄卒爪弾きをしかけて曰く、この地獄いでし
     ことは昨日今日のことなり。出でし折に、又帰り来まじ
     きよしかへすがへす教へき。程なく帰り入りぬること人
     のするにあらず、汝が心の汝を又帰し入るるなり、人を
     怨むべからずと申して、あらき目より涙をこぼして、地
     獄の扉をあくる音、百千の雷の音にすぎたり

03 ここぞとてあくるとびらの音ききていかばかりかはをののかるらむ
             (岩波文庫山家集254P聞書集219番)

○くろがねのしもと

 「しもと」は鞭のこと。鉄で作った鞭をいいます。

○対ひて

 「対ひて」は「対して」のことです。相対することです。
 和歌文学大系21では「対ひて」は「むかひて」と読ませています。

○爪弾きを

 指鳴らしのことです。親指の腹に中指をあてて強く弾けば大きな
 音がします。不平不満や非難を表しているそうです。

○あらき目

 獄卒自体は容貌怪異なのかどうか分かりませんが、地獄の役人で
 あり、(鬼)とも解釈される以上は、もとから荒く猛々しい目を
 しているのかもしれません。

(歌の解釈)

 「獄卒がここだといって開ける地獄の扉の音を聞いて、罪人は
 どれほど恐れおののかれるだろうか。」
                (和歌文学大系21から抜粋)

 「ここが地獄だぞと言って開ける扉のはげしいすさまじい音を
 きいて、どんなに、そのおそろしさにおのずからおびえおのの
 かれることであろうか。」
           (渡部保氏著「山家集全注解」から抜粋)
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     さて扉ひらくはざまより、けはしきほのほあらく出でて、
     罪人の身にあたる音のおびただしさ、申しあらはすべく
     もなし。炎にまくられて、罪人地獄へ入りぬ。扉たてて
     つよく固めつ。獄卒うちうなだれて帰るけしき、あらき
     みめには似ずあはれなり。悲しきかなや、いつ出づべし
     ともなくて苦をうけむことは。ただ、地獄菩薩をたのみ
     たてまつるべきなり。その御あはれみのみこそ、暁ごと
     にほむらの中にわけ入りて、悲しみをばとぶらうたまふ
     なれ。地獄菩薩とは地藏の御名なり

04 ほのほわけてとふあはれみの嬉しさをおもひしらるる心ともがな
             (岩波文庫山家集254P聞書集220番)

○地獄菩薩(地蔵菩薩)

 地蔵菩薩は日本では観世音菩薩や阿弥陀仏とともに親しまれて
 いる菩薩といえます。
 釈迦が入寂してから弥勒菩薩が現れる56億7千万年後までの
 期間に渡って、全ての人々の悩みや苦しみを救う菩薩だと
 言われます。
 仏教の六道とは地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上の六世界
 を言いますが、この全てに地蔵菩薩は関わっています。
    (松濤弘道氏著「仏像の見方がわかる小辞典」を参考)

(歌の解釈)

 「暁ごとに地獄の炎を分けて罪人を見舞う地蔵菩薩の憐れみの
 嬉しさを、おのずと思い知られる心であったらなー。」
                (和歌文学大系21から抜粋)
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(地獄絵のこと)

「地獄絵を見て」という詞書のある連作27首の中の歌です。

 見るも憂しいかにかすべき我がこころかかる報いの罪やありける
             (岩波文庫山家集251P聞書集198番)

 この連作は上の歌から始まっています。
 西行の見た地獄絵は誰が描き西行はどこで見たものかということ
 は分かっていません。

 鎌倉期の地獄絵は恵心僧都源信の「往生要集」の影響を受けた
 ものが多いそうですが、それ以前にも地獄絵はいくつか描かれた
 ようです。
 渡部保氏著「山家集全注解」では「当時、東山長楽寺の巨勢広高
 筆の壁画がもっとも有名であった。」と記述されています。

【こぐれが下】

 樹が繁茂していて、その地面近くは暗くなっていること。
 その場所のこと。

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01 すがるふすこぐれが下の葛まきを吹きうらがへす秋の初風
       (岩波文庫山家集56P秋歌・新潮1013番・夫木抄)

○すがる

 古今集では「じが蜂」と説明がありますが、ここでは鹿の
 異名とのことです。

○葛まき

 葛の葉の葉先が巻いていて、玉のように見える状態のことです

(01番歌の解釈)

 「鹿の伏す木の下闇の葛巻きの葉を、初秋の風が吹いてうら
 がえしているよ。」
             (新潮日本古典集成山家集から抜粋)
           
【苔】

 多くは湿気の多い日陰に成育し、葉と茎がはっきりと区別できず、
 花が咲かない地衣類などの植物の総称です。
 土、岩、水などに生えます。
 
 「苔が生える」→古くなったことを指します。
 「苔の下」→墓場のこと。草葉の陰のこと。
 「苔の衣」→出家者などの粗末な衣服のこと。

 和歌では他に「苔の袂」「苔の袖」「苔の狭衣」「苔の庵」
 「苔の道」「苔のむしろ」「苔の扉」などの言葉が使われています。
 
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01 あをね山苔のむしろの上にして雪はしとねの心地こそすれ
         (岩波文庫山家集99P冬歌・新潮540番・
             西行上人集追而加書・夫木抄)

○あをね山

 青根山=青根が嶺=奈良県吉野山の主峰。
 山頂付近に金峯神社があります。

○苔のむしろ

 苔が一面に生えている状態を敷物に見立てて言う言葉です。
 青根山は万葉集以来、「苔のむしろ」の言葉が詠みこまれて
 詠われています。
「むしろ」はイグサや藁などを編んで作った敷物のこと。

 「み芳野の青根が峰の苔むしろ誰か織りけむたてぬき無しに」
            (万葉集巻七 1120番)
 
○雪はしとね

 敷物のこと。転じて寝床のこと。「雪はしとね」で吉野山が雪の
 深い所であるということを表しています。

(歌の解釈)

 苔がさ筵のように一面に生えた青根山のまさにその上に
 雪がふれば、真っ白い布団のような感じだね。
              (和歌文学大系21から抜粋)
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02 山ふかみ苔の莚の上にゐてなに心なく啼くましらかな
       (岩波文庫山家集138P羇旅歌・新潮1201番)

○ましら

 猿の古語です。「まし」だけで猿を言いますが「ら」をつけて
 接尾語としています。

(歌の解釈)

 「山が深いので一面に敷きつめた苔の上に坐り、無心に猿が
 啼くことでありますよ。」
            (新潮日本古典集成山家集から抜粋)

 この歌は京都の大原に住んでいた寂然との贈答歌10首のうちの
 一首です。
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03 しにてふさむ苔の莚を思ふよりかねてしらるる岩かげの露
        (岩波文庫山家集212P哀傷歌・新潮850番)

○岩かげの露

 固有名詞か普通名詞かの断定はできません。
  (岩かげ=岩陰・石影)は京都市にあった地名ですが、江戸時代
 初期には消滅してしまいました。
 金閣寺の東北、左大文字山の東麓付近を指していた地名です。
 現在の京都市北区衣笠鏡石町にあたります。
 このあたりには一条天皇と三条天皇の火葬塚もあります。蓮台野
 の西方にあたりますので、平安時代には葬送の場として位置付け
 られていたようです。
 「露」は普通は「露のようにはかなく消えていく人間の命」その
 ものを表す言葉ですが、ここではそれとともに「陽の射さない岩
 の影の露はなかなか消えなくて、人にも気づかれない」という
 意味も含んでいるようです。

(歌の解釈)

 「死んでから伏すであろう苔の筵のことを思うと、生きている
 今から、その倒れ伏す岩陰の露が思い知られるよ。」
             (新潮日本古典集成山家集から抜粋)
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04 岩間とぢし氷も今朝はとけそめて苔の下水みちもとむらむ
   (岩波文庫山家集15P春歌・新潮欠番・御裳濯河歌合・
   西行上人集・御裳濯集・新古今集・玄玉集・西行物語)

○今朝は

 詞書に「初春」とありますので、立春の日の朝のことです。

○みちもとむらむ

 ひらがな表記では「道も止むらん」かとも思えますが、ここは
 「道求むらん」です。
 和歌文学大系21では「道もとむ也」とあります。

(歌の解釈)

 「岩の間を閉ざしていた氷も立春の今朝は解け始めて、苔の下を
 潜り流れる水が流れ出る道を探し求めている。」
                 (和歌文学大系21から抜粋)
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05 誰かまた花を尋ねてよしの山苔ふみわくる岩つたふらむ
         (岩波文庫山家集26P春歌・新潮57番・
          西行上人集・山家心中集・西行物語)

○よしの山

 大和の国の歌枕。地名。奈良県吉野郡吉野町。
 青根が峯を主峰とする広い範囲を指します。
 西行も吉野山に庵を構えて住んでいたと見られていて、奥の千本
 には西行庵があります。
 ただし、現在の西行庵のある場所に実際に西行の庵があったか
 どうかは不詳のようです。
 岩波文庫山家集には「吉野山」の名詞のある歌は59首あります。

(歌の解釈)

 「吉野山の処女苔を踏み分け、断崖の岩を伝いしてまで、花を
 見に行くなんて、私のほかに一体誰がするものか。」
                 (和歌文学大系21から抜粋) 
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06 晴れがたき山路の雲に埋もれて苔の袂は霧くちにけり
         (岩波文庫山家集69P秋歌・新潮960番)

○霧くちにけり

 霧が朽ちるとは解釈に戸惑いますが、一首全体から見ると、苔の
 僧衣が霧に何度もさらされたことによって朽ちてきた、という
 ことが分かります。

(歌の解釈)

 「晴れにくい山路の雲に埋もれての生活に、自分の墨染めの
 衣は霧に朽ちてしまったことだよ。」
             (新潮日本古典集成山家集から抜粋)
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07 苔うづむゆるがぬ岩の深き根は君が千年をかためたるべし
     (岩波文庫山家集142P賀歌・新潮1172番・夫木抄)

(歌の解釈)

 「苔に埋もれ、微動だにせず根を下ろした岩は、わが君の千歳の
 齢をゆるがぬものとしたことでしょう。」
             (新潮日本古典集成山家集から抜粋)
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08 熊のすむ苔の岩山恐ろしみうべなりけりな人も通はず
         (岩波文庫山家集166P雑歌・新潮962番・
           西行上人集・山家心中集・夫木抄) 

○うべなりけり

 (うべ+なり+けり)で、なるほど、道理で、という意味に
 なります。
 現代でもそれほど使われる言葉では無いように思いますが
 「むべなるかな」という言葉と同義です。いかにももっともな
 ことだという同意、賛意を表している言葉です。
 新潮日本古典集成山家集では「むべなりけり」となっています。

(歌の解釈)

 「熊が住んでいる苔むした岩山はおそろしいので、人も通って
 こないのはもっともなことだよ。」
             (新潮日本古典集成山家集から抜粋)
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09 杣くたすまくにがおくの河上にたつきうつべしこけさ浪よる
      (岩波文庫山家集166P雑歌・新潮欠番・夫木抄)

○杣くたす

 樵が切り出した杣木を組んで筏にして川を流すこと。

○まくにがおく

 和歌山県伊都郡かつらぎ町上天野を水源とする真国川とのこと
 だといわれます。紀ノ川の支流になります。

○たつきうつべし

 「たつき」とは木こりなどが用いる刃の広い斧のことです。
 木材を伐採するために「たつき」を振るうという意味になります。

○こけさ浪よる

 和歌文学大系21では「苔小浪」として、苔のように見える非常に
 小さい波としています。
 水面に近い所で木を伐採していて、その振動が水面に波をたた
 せているものでしょう。

(歌の解釈)

 「筏流しをしている真国川は、その水源地で樵が斧を振るって
 いるらしい。水面に苔のように肌理細かい波がふるえている。」
               (和歌文学大系21から抜粋)            
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
10 岩せきてこけきる水はふかけれど汲まぬ人には知られざりけり
        (岩波文庫山家集227P聞書集09番・夫木抄)

○こけきる水

 「苔切る水」か「苔着る水」なのか、よく分かりません。
 どちらでも意味は通じるように思います。

(歌の解釈)

 「岩がせきとめて苔を着ているような水は深いけれど、汲まない
 人には深さがわからないよ。」
               (和歌文学大系21から抜粋)
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11 こけふかき岩の下ゆく山水はまくらをつたふなみだなりけり
           (岩波文庫山家集242P聞書集117番)

(歌の解釈)

 「苔が深く生えている岩の下を流れてゆく山川の水と見えた
 のは、なんと枕を伝い流れる私の涙だったよ。」
               (和歌文学大系21から抜粋)
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    阿闍梨兼堅、世をのがれて高野に住み侍りけり。あから
    さまに仁和寺に出でて帰りもまゐらぬことにて、僧綱に
    なりぬと聞きて、いひつかはしける

12 けさの色やわか紫に染めてける苔の袂を思ひかへして
        (岩波文庫山家集178P雑歌・新潮919番・
               西行上人集・山家心中集)

 新潮版山家集では「兼堅」は「源賢」「僧綱」は「僧都」と、
 なっています。

○阿闍梨兼堅

 生没年、俗名不詳。「源賢」とも「兼賢」とも表記されていま
 すが、仁和寺の文章では「兼賢」です。
 藤原道隆の孫で顕兼の子供といわれます。
 1164年、崇徳院が讃岐で没した年に法橋に任ぜられたようです。
 87ページの「覚堅阿闍梨」とは別人です。
 兼堅がいつごろ阿闍梨の官職名を許されたのかわかりません。

 「阿闍梨は宣旨をもって補せられたのであるが、師僧たちより
 解文(げふみ)といって推選する申文を上(たてまつ)った
 のが多い。」(松田英松氏著、官職要解)
 ということですから、師の僧の推挙によって阿闍梨という官職が
 許されたものでしょう。
 阿闍梨は他に伝法阿闍梨と、一身阿闍梨があります。後白河院も
 一身阿闍梨となっています。

○僧綱

 (そうごう)と読み、高い地位にある僧侶の官位の総称です。
 624年9月当時のお寺数46、僧侶816人、尼569人とあり、官による
 掌握、管理のために、僧正、僧都を置くことが定められました。
 682年3月にも「僧正、僧都、律師を任じて僧尼を統率させる」と
 あります。
 新潮版山家集では、この歌の詞書では「僧都」とあります。

○わか紫に染めて

 浅い紫色、薄い紫色のことですが、位階としては僧都も薄い紫色
 の衣の着用は許可されていたものでしょう。
 紫色は植物の紫草の根を用いて染めるのですが、根から染料を
 得がたく、かつ染めるのも大変難しくて、それゆえに高価でも
 あり、すべての色の中で最高の色とされていました。
 後の、江戸時代初期に起きた「紫衣事件」は、紫色の衣の着用は
 勅許を得ずに、僧侶が勝手に決めたことから起こりました。
 
○苔の袂

 官位のない、普通の僧の衣のこと。墨染めの衣の袂のこと。
 この歌では俗世間的な出世を望んでいないということ、むしろ
 拒んでいることの象徴として用いられています。

(歌の解釈)

 「粗末な苔の衣を着る境涯を思いかえして、袈裟の色を紫に
 染め僧都の地位についたのですね。」
             (新潮日本古典集成山家集から抜粋)
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    やがてそれが上は、大師の御師にあひまゐらせさせおはし
    ましたる嶺なり。わかはいしさと、その山をば申すなり。
    その辺の人はわかいしとぞ申しならひたる。山もじをば
    すてて申さず。また筆の山ともなづけたり。遠くて見れば
    筆に似て、まろまろと山の嶺のさきのとがりたるやうなる
    を申しならはしたるなめり。行道所より、かまへてかきつき
    登りて、嶺にまゐりたれば、師に遇はせおはしましたる所の
    しるしに、塔を建ておはしましたりけり。塔の石ずゑ、
    はかりなく大きなり。高野の大塔ばかりなりける塔の跡と
    見ゆ。苔は深くうづみたれども、石おほきにしてあらはに
    見ゆ。筆の山と申す名につきて

13 筆の山にかきのぼりても見つるかな苔の下なる岩のけしきを
        (岩波文庫山家集114P羇旅歌・新潮1371番)

○大師の御師

 弘法大師空海の師、仏教創始者のシャカ(仏陀)のことです。

○筆の山

 香川県善通寺市の我拝師山のこと。標高481メートル。
 麓に曼荼羅寺があります。

○かきつき登り

 「掻き付き登り」。しがみつくように、よろばうように登ると
 いう様を言います。筆の山の(筆)と(かき)は縁語です。

○高野の大塔

 高野山金剛峰寺の中央にある宝塔のこと。
 平安時代でも高さ48.5メートル、本壇回り102.4メートルという
 巨大な規模の建物でした。現在の大塔は昭和12年の建築といわれ
 ます。

(歌の解釈)

 「筆の山に、筆で字を書きつけるごとく、かきついて登り、見た
 ことだよ。今は苔の下に埋もれてしまっている塔の礎の様子を。」
             (新潮日本古典集成山家集から抜粋)

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01 深き山は 苔むす岩を たたみあげて ふりにし方を 納めたるかな
            (岩波文庫山家集欠番・新潮1511番)

○ふりにし方

 経てきた過去。古い時代のこと。
 西行自身に即して言えば、出家して新しい世界の中に身をおいて、
 出家前のさまざまな思い、煩悩などを固く封印したというふうに
 解釈できます。

(歌の解釈)

 「自分が世を避けて住むこの深山は、苔の一面に生えた岩を畳み
 上げ、昔をそのまま残して変わることはない。それに比べてわが
 身はどうであろうか。」
             (新潮日本古典集成山家集から抜粋)

 この歌は新潮版の山家集にしかない歌です。西行辞典は岩波文庫
 山家集をテキストとしていますので、この歌については気がつか
 ず、先号の「苔」の項に書き漏らしてしまいました。
 ここで補筆しておきます。
 岩波文庫山家集190ページに「百首の歌の中、述懐十首一首不足」
 とありますが、不足している一首は上記歌です。

【心地】

 自分の気持ち、気分のこと。思慮、考え、様子、受ける感じなど
 についてもいう言葉です。

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01 櫻さくよもの山辺をかぬる間にのどかに花をみぬ心地する
           (岩波文庫山家集31P春歌・新潮75番)

○かぬる間

 新潮版では「兼ぬるまに」としています。
 一箇所ではなくて、あちらこちらの山の桜を兼ね合わせて、という
 意味です。

○よもの山辺

 四方のこと。辺りの山のすべてということ。

(歌の解釈)

 「桜の咲いている四方の山辺をあちこちかけて花見に廻っている
 と、のどかに花を見るなどという思いはとてもしないことである。」
             (新潮日本古典集成山家集から抜粋)
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02 今日のみと思へばながき春の日も程なく暮るる心地こそすれ
           (岩波文庫山家集42P春歌・新潮172番)

○今日のみ

 春の日はこの日で最後だということ。

○程なく暮るる

 まもなく暮れるということ。今日で春が終って、明日から夏に
 なるということ。三月晦日の日の歌です。

(歌の解釈)

 「春も今日が最後と思うと、春の一日は長いはずなのに、あっと
 いう間に暮れてしまうような気がする。」
                (和歌文学大系21から抜粋)
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03 世のうきにひかるる人はあやめ草心のねなき心地こそすれ
          (岩波文庫山家集47P夏歌・新潮721番)

○世のうきにひかるる

 「世のうき」は、憂世であり、つらい世の中のことですが、ここ
 は俗世と解釈したほうが良いです。
 仏門に帰依しての生活ではなくして、俗世の社会や日常に惹かれ
 ている人々を批判的に言っているものです。

○心のねなき

 心の根がないということ。心の奥底がしっかりとしていないと
 いうこと。
 出家者、仏教信仰者の優位性みたいなもの、信仰者の自負みたいな
 ものが当時の社会にも、そして西行その人にもあったものでしょう。

(歌の解釈)

 「憂き世に心が引かれる人は、あなたからいただいた菖蒲草が
 沼からすぐ引けてしまうように、心の根が浅いように思います。」
                (和歌文学大系21から抜粋)
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04 杣人の暮にやどかる心地していほりをたたく水鷄なりけり
          (岩波文庫山家集50P夏歌・新潮232番)

○杣人

 樵などの山を生活の場としている人々のこと。

○水鶏

 (くいな)と読みます。戸を叩くような鳴き声を出します。
 水辺の草むらに住むクイナ科の鳥の総称です。
 体色は黄褐色で30センチほど。ミミズや昆虫などを捕食します。
 北海道で繁殖し、冬は本州以南に渡ってくる渡り鳥です。

 和歌に詠われている水鶏は、クイナ科の一種のヒクイナであり、
 20センチ強。このヒクイナは東南アジアやインドなどに分布して
 おり、日本には夏に飛来して繁殖します。
  
(歌の解釈)

 「樵夫が夕暮れに宿を借りに来たのかと思って、一瞬期待して
 しまったら、庵の戸を叩くような音で水鶏が鳴いたのだった。」
                (和歌文学大系21から抜粋)
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05 つねよりも秋になるをの松風はわきて身にしむ心地こそすれ
          (岩波文庫山家集56P秋歌・新潮257番・
           西行上人集・山家心中集・新拾遺集)

○なるを

 地名。現在の兵庫県西宮市鳴尾町のこと。
 「秋になる」ということと地名の「鳴尾」を掛けています。

(歌の解釈)

 「秋になると、鳴尾の松風はふだんより格段に身に染みて
 あわれ深い。」
                (和歌文学大系21から抜粋)
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06 小笹原葉ずゑの露の玉に似てはしなき山を行く心地する
       (岩波文庫山家集57P秋歌・新潮972番・夫木抄)

 新潮版では以下のようになっていて、「はしなき」は「石なき」
 と変わっています。

 小笹原 葉末の露は 玉に似て 石なき山を 行くここちする
            (新潮日本古典集成山家集972番)

○はしなき山

 なんということもなく山を行く感じだ・・・という意味になり、
 人生を象徴的に捉えた歌だとも解釈できます。
 「石なき山」は具体的な描写であり、単純に石がない山という
 解釈で良いと思いますが、梁塵秘抄の以下の言葉から採られた
 表現のようです。

 梁塵秘抄 229

 「崑崙山には石もなし 玉してこそは鳥は打て 玉に馴れたる
  鳥ならば 驚く気色ぞさらになき 」

(歌の解釈)

 「小笹の茂る原では、葉末に結ぶ露は玉に似て、石がない玉
 ばかりの山を行く心地がするよ。」
            (新潮日本古典集成山家集から抜粋)
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07 鹿の立つ野辺の錦のきりはしは残り多かる心地こそすれ
         (岩波文庫山家集61P秋歌・新潮1160番・
            西行上人集・続詞花集・西行物語)

○錦のきりはし

 忍西入道の詞書にある「色々の花」という言葉を受けてのフレーズ
 です。野の花の錦も裁ち切られて・・・ということです。

(歌の解釈)

 「鹿の声が送られて来ず、秋の野辺の景色を織った錦の、ちょうど
 鹿が立っている部分だけを裁ち切ったような、秋草のみの錦は、
 まことに心残りなことですよ。」
             (新潮日本古典集成山家集から抜粋)

 忍西入道との贈答歌です。下の詞書と歌に対しての返し歌です。

   忍西入道、西山の麓に住みけるに、秋の花いかにおもしろ
   からんとゆかしうと申し遣わしける返事に、いろいろの花を
   折りあつめて

 鹿の音や心ならねばとまるらんさらでは野辺をみな見するかな
   (忍西入道歌)(岩波文庫山家集60P秋歌・新潮1159番・
            西行上人集・続詞花集・西行物語)

 「鹿の声だけは自分の思いのままにならないので、秋の野に
 留まっていることでしょう。鹿の声さえお送りできれば、これで
 秋の野辺の情景をすっかりお見せすることですよ。」
             (新潮日本古典集成山家集から抜粋)

(忍西入道)

 すべて不詳です。「異本山家集」では「西忍」とあります。
 16ページの「静忍法師」、あるいは186ページの「浄蓮」と同一
 人物かともみられています。

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08 たぐひなき心地こそすれ秋の夜の月すむ嶺のさを鹿の聲
          (岩波文庫山家集74P秋歌・新潮397番)

○さお鹿

 「さ」は美称の接頭語。「お」は雄のこと。雄鹿のこと。

(歌の解釈)

 「秋の夜の月の澄みわたる峯に鳴く小牡鹿の声は、何とも
 いえずあわれな心地がするよ。」
             (新潮日本古典集成山家集から抜粋)
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09 世の中のうきをも知らですむ月のかげは我が身の心地こそすれ
   (岩波文庫山家集77P秋歌・新潮401番・西行上人集・
       山家心中集・宮河歌合・玉葉集・御裳濯集)

(歌の解釈)

 「世の中の憂きことも知らず空に澄みわたっている月は、我が身
 のそうありたいと思っている境遇と同じような気持がするよ。」

 ○自分の理想とする境地が澄んだ月と同じような心地がする・・・
             (新潮日本古典集成山家集から抜粋)
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10 ながむるもまことしからぬ心地してよにあまりたる月の影かな
         (岩波文庫山家集80P秋歌・新潮355番・
               西行上人集・山家心中集)

○まことしからぬ
 
 まこととは到底思えそうにないこと。現実離れしている光景。

○よにあまりたる

 「よに」は「夜」と「世」を掛け合わせています。
 夜とは違って昼のような・・・、この世のこととは思えない
 ような・・・ということ。

(歌の解釈)

 「ながめていても、これが現(うつつ)かと疑われて、とうてい
 この世のものとも思われない月だなあ、あまりさやかに澄む
 光に昼かとばかり思われて・・・。」
             (新潮日本古典集成山家集から抜粋)
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11 有明の月のころにしなりぬれば秋は夜ながき心地こそすれ
          (岩波文庫山家集80P秋歌・新潮360番・
                西行上人集・山家心中集)

○有明の月

 明けきらぬ夜明けがたの空に、月がまだ残っていること。
 その月のこと。月齢16日以後の夜明けの月を言います。
 
(歌の解釈)

 「明けても月が残る時節になったので、秋には夜が
 長いような気がしてくる。」
                (和歌文学大系21から抜粋)
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12 なかなかにくもると見えてはるる夜の月は光のそふ心地する
          (岩波文庫山家集81P秋歌・新潮370番・
                西行上人集・山家心中集)

(歌の解釈)

 「曇りそうに見えて晴れた夜は、最初から晴れていた夜より
 むしろ、月の光が増しているようだ。」
                (和歌文学大系21から抜粋)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
13 枯れはつるかやがうは葉に降る雪は更に尾花の心地こそすれ
          (岩波文庫山家集97P冬歌・新潮528番・
              西行上人集追而加書・夫木抄)

○かやがうは葉

 茅の葉っぱの上の方のこと。葉の表側のこと。

○更に

 また、重ねて・・・ということ。
 秋に実際に見ているけど、冬になって改めて見た感じがすると
 いうこと。

○尾花

 ススキの別称です。ススキに穂が出た花薄の状態を言います。
 ススキはイネ科の多年草。山野に自生し、高さは1〜2メートル。
 葉は線形。秋に茎の先に30センチ程度の花穂をつけます。
 秋の七草の一つです。

(歌の解釈)

 「すっかり枯れはてた茅の上葉に雪が降って、今また改めて
 秋の尾花を見る心地がするよ。」
                (和歌文学大系21から抜粋)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
14 あをね山苔のむしろの上にして雪はしとねの心地こそすれ
           (岩波文庫山家集99P冬歌・新潮540番・
               西行上人集追而加書・夫木抄)

○あをね山

 青根山=青根が嶺=奈良県吉野山の主峰。
 山頂付近に金峯神社があります。

○苔のむしろ

 苔が一面に生えている状態を敷物に見立てて言う言葉です。
 青根山は万葉集以来、「苔のむしろ」の言葉が詠みこまれて
 詠われています。
「むしろ」はイグサや藁などを編んで作った敷物のこと。

 「み芳野の青根が峰の苔むしろ誰か織りけむたてぬき無しに」
            (万葉集巻七 1120番)
 
○雪はしとね

 敷物のこと。転じて寝床のこと。「雪はしとね」で青根山が雪の
 深い所であるということを表しています。

(歌の解釈)

 苔がさ筵のように一面に生えた青根山のまさにその上に
 雪がふれば、真っ白い布団のような感じだね。
                (和歌文学大系21から抜粋)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
15 うの花の心地こそすれ山ざとの垣ねの柴をうづむ白雪
          (岩波文庫山家集99P冬歌・新潮541番)

○うの花

 ウツギの花。ウツギはユキノシタ科の落葉潅木。初夏に白い五弁
 の花が穂状に群がり咲く。垣根などに使う。

 ○卯の花腐しー五月雨の別称。卯の花を腐らせるため。
 ○卯の花月ー陰暦四月の称。
 ○卯の花もどきー豆腐のから。おからのこと。
               (岩波書店 古語辞典から抜粋)

 ウツギは枝が成長すると枝の中心部の髄が中空になることに由来
 し、空木の意味。
 硬い材が木釘に使われたので打ち木にちなむという異説があります。
 花期は五月下旬から七月。枝先に細い円錐花序を出し、白色五弁
 花が密集して咲くが匂いはない。アジサイ科。
             (朝日新聞社 草木花歳時記を参考)

 ユキノシタ科とアジサイ科の違いがあります。これは分類学上の
 違いによるものであり、どちらでも良い物と思いますが、最近は
 ユキノシタ科はアジサイ科に含まれるようです。
 ○○ウツギと名の付くものは他にたくさんあり、科も違います。
                 
(歌の解釈)

 「山里の垣根の柴を白雪が埋めてしまい、あたかも卯の花が
 咲いたような心地のすることだよ。」
             (新潮日本古典集成山家集から抜粋)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
16 花とみる梢の雪に月さえてたとへむ方もなき心地する
        (岩波文庫山家集112P羇旅歌・新潮1362番)

○たとへむ方

 「方」とはもちろん人のことではなくて、方途がないということ。
 たとえようがないということです。

(歌の解釈)

 「花かと見まがわれる梢の雪に冬の月がさえた光をおとし、
 たとえようもない心地がするよ。」
             (新潮日本古典集成山家集から抜粋)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
17 瀬をはやみ宮瀧川を渡り行けば心の底のすむ心地する
        (岩波文庫山家集118P羇旅歌・新潮1426番)

○宮瀧川

 奈良県を流れる吉野川の吉野の宮滝付近の流れを指しています。
 詞書に「りゅうもんにまゐるとて」とあり、「竜門」には竜門岳、
 竜門の滝があります。竜門岳南麓には竜門寺もありました。
 
(歌の解釈)

 「流れの速い瀬なので心して宮滝川を渡って行くと、心が奥底の
 方から澄み透ってくるような気がする。」
                (和歌文学大系21から抜粋)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
18 今宵こそあはれみあつき心地して嵐の音をよそに聞きつれ
        (岩波文庫山家集134P羇旅歌・新潮916番・
                西行上人集・山家心中集)

 この歌には以下の詞書があります。

 「ことの外に荒れ寒かりける頃、宮法印高野にこもらせ給ひて、
  此ほどの寒さはいかがするとて、小袖はせたりける又の朝
  申しける」

○宮法印

 「法印」とは僧侶の最高の位階を表し、法印大和尚を略して法印
 と言います。僧位では法橋、法眼、法印があり、僧官では律師、
 僧都、僧正があります。

 宮の法印とは元性法印のこと。崇徳天皇第二皇子のため、この
 ように呼びます。
 1151年から1184年の存命。母は源師経の娘。
 初めは仁和寺で修行、1169年以降に高野山に入ったそうです。
 崇徳天皇は鳥羽帝と待賢門院の所生で西行とも親しく、西行に
 すれば宮の法印は孫のような感覚だったのではなかろうかと思い
 ます。 

○小袖はせたり

 「小袖はせたり」では意味が通じないと思います。新潮版では
 「小袖給はせたり」となっています。
 小袖(肌着に類する衣料)を宮の法印からいただいたということ
 です。

(歌の解釈)

 「小袖を賜りました今宵こそは、法印様のお憐れみのことに厚い
 心地がし、外を吹く嵐の音を他人事(よそごと)として聞きながら、
 あたたかく過ごさせていただきました。」
             (新潮日本古典集成山家集から抜粋)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
19 たてそめて帰る心はにしき木の千づか待つべき心地こそすれ
         (岩波文庫山家集143P恋歌・新潮579番・
             西行上人集追而加書・西行物語)

○にしき木

 ニシキギ科の落葉低木。5月頃から6月にかけて目立たない小さな
 花が咲き、秋に赤色の実を付けます。
 枝の節と節の間にコルク質の翼ができるという著しい特徴があり
 ます。紅葉の美しさで有名です。そのことによって「錦木」と
 名づけられたようです。

 この歌にある「にしき木」は東北地方にあった錦木伝説を踏まえ
 た歌です。

 錦木は立てながらこそ朽ちにけれ狭布(けふ)の細布むねあはじとや
              (能因法師 後拾遺和歌集651番)
○千づか

 千束(ちづか)のこと。千個の束のこと。
 錦木を一日一束ずつ千日立てるということ。

(歌の解釈)

 「錦木を初めて立てて女の門から帰る心は、千束立てるまで待つ
 ことはできそうもなく、早く取り入れてほしいと願うのみである。」
             (新潮日本古典集成山家集から抜粋)

(錦木伝説)

 昔東北地方で行われた求愛の習俗で、男が思う相手の家へ通い、
 その都度一束(ひとつか)の錦木を門前の地面に挿し立てたと
 いう。 女が愛を受け容れるまで男はこれを続けるので、とき
 には無数の錦木が立ち並ぶことになった。千束が上限であった
 ともいう。
                  (Wikipediaから抜粋)

 この伝説を元にして世阿弥が謡曲「錦木」を書きました。
 それ以後、この伝説が広く知られるようになったそうです。
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20 さりとよとほのかに人を見つれども覚めぬは夢の心地こそすれ
     (岩波文庫山家集157P恋歌・新潮1256番・夫木抄)

○さりとよと

 「さり」は「然(さ)も有り」のことで、そうだ、そのとおりだと
 いう意味。
 「とよ」は強調を表す格助詞(と)に、間投助詞(よ)が接続した
 ことばです。最後の(と)は接続助詞。

 和歌文学大系21では「さかとよと」となっています。
 これは「然=さ」に副助詞「か」の付いた言葉で、(そうか)という
 ほどの意味です。「とよ」は上と同じです。
 「さりとよと」も「さかとよと」もほぼ同義的な言葉です。

(歌の解釈)

 「これが夢にまでみたあの人との逢瀬の瞬間かと、ほのかに
 あなたに逢いはしたものの、まだぼんやりしていて夢を見続けて
 いる気がする。」
                (和歌文学大系21から抜粋)

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 

21 とはれぬもとはぬ心のつれなさもうきはかはらぬ心地こそすれ
         (岩波文庫山家集159P恋歌・新潮1279番)

○心のつれなさ

 相手の心のことではなくて自分の心の動きのこと。
 ひたすらに逢いたいのにじっと我慢するしかないことの、自責の
 思いから出ている言葉。

○うきはかはらぬ

 逢えずにいることの、やるせない思いは同じだと言うこと。

(歌の解釈)

 「私が来ないのを待つのもつらいでしょうが、行きたいのに
 訪れないでいる私もつらいのです。あなたと同じくらい私も
 苦しいのです。」
                (和歌文学大系21から抜粋)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
22 なげかじとつつみし頃は涙だに打ちまかせたる心地やはせし
         (岩波文庫山家集161P恋歌・新潮1312番)

○打ちまかせたる
 
 狂おしい感情を抑えて自然に任せること。成り行きに任せること。

○やはせし

 「やは」は係助詞で、この場合は反語表現となります。
 「いや・・・しない」ということになり、打ちまかせたとは
 思えないという意味になります。

(歌の解釈)

 「嘆くものかと涙が人目につかないようにしていたあの頃で
 さえ、決して成り行き任せに生きていたわけではなかった。
 人目など気にしなくなった今は、嘆いてばかりで更に一日一日が
 苦しい。」
                (和歌文学大系21から抜粋)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
23 さらにまたそり橋わたす心地してをぶさかかれるかつらぎの嶺 
    (岩波文庫山家集270P残集32番・新潮欠番・夫木抄)

○そり橋

 反った橋のこと。半月状に中央が高くなっている橋のこと。

 役小角が葛城一言主の神に命じて岩橋を架けようとした伝説を
 参考にして詠まれた歌です。

○をぶさかかれる

 (をぶさ)は緒房のこと。織物の末端の糸をかがったり束ねたり
 して装飾を意図して施したもの。それが(架かる)ということ。
 いろんな色で装飾された房の「虹」が架かっているように見える
 ことを言います。

○かつらぎの嶺

 「葛城」は地名で固有名詞です。奈良盆地の西南部一帯を指し、
 古代豪族の葛城氏のゆかりの地です。 
 「葛城の山」は標高959メートル。金剛山の北側に位置します。

(歌の解釈)

 「途絶えしたまま架かる久米の岩橋の上にさらにまた反り橋を
 渡すような感じで、虹が懸かっている葛城の峰よ。」
                (和歌文学大系21から抜粋)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
24 すみ捨てしその古郷をあらためて昔にかへる心地もやする
          (岩波文庫山家集174P雑歌・新潮801番)

○すみ捨てし

 何らかの理由で住んでいる所を出たということ。

○心地もやする

 「もや」は係助詞で「・・・だろうか」という軽い疑問の思いを
 表します。

(歌の解釈)

「一旦は捨てて離れてしまわれた故郷に帰られ、改めて昔にたち
 返ったような気持ちになられていることでしょうか。」
            (新潮日本古典集成山家集から抜粋)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
25 世の中を捨てて捨てえぬ心地して都はなれぬ我が身なりけり
         (岩波文庫山家集192P雑歌・新潮1417番)

(歌の解釈)

 「この世を捨てて出家はしたけど、すっかり隠棲してしまった
 わけではないので、やはり俗世間にあるのに似た境遇だなあ。」
            (新潮日本古典集成山家集から抜粋)

 「出家はしたのにまだ俗世を捨て切れていない気がする。修行の
 旅に出ようという決断もできないまま、私はしがみつくように
 まだ都にいる。」
                (和歌文学大系21から抜粋)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
26 きしかたの見しよの夢にかはらねば今もうつつの心地やはする
          (岩波文庫山家集192P雑歌・新潮761番)

○やはする

 「やは」は係助詞で、この場合は反語表現となります。
 「いや・・・しない」ということになり、うつつとは思えないと
 いう意味です。

(歌の解釈)

 「今まで過ぎて来た年月が、寝た間に見たはかない夢にかわらな
 いので、現在もうつつの心地がしょうか、夢の続きのように
 思われることだ。」
            (新潮日本古典集成山家集から抜粋)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
27 いかでとも思ひわかでぞ過ぎにける夢に山路を行く心地して
        (岩波文庫山家集206P哀傷歌・新潮808番・
                西行上人集・山家心中集)

○思ひわかでぞ

 意識が飛んで、物事の分別がつかないでいるような状態。

○山路を行く

 この場合は実際には高野山の山路なのですが、死者である西住
 法師とともに死出の山路をたどっているような錯覚の状態も重ね
 合わせていると解釈できます。

(歌の解釈)

 「何を思っていたのか全く分別もなく、往復の山路を過ぎて
 しまったことです。夢の中で山路を辿るような心地がして。」
            (新潮日本古典集成山家集から抜粋)

 この歌は西行としばしば行動を共にした西住法師の死亡の時の
 寂然との贈答の歌です。西行は西住法師の遺骨を持って高野山に
 帰り、納骨しました。
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28 ふけて出づるみ山も嶺のあか星は月待ち得たる心地こそすれ
         (岩波文庫山家集224P神祇歌・新潮欠番)

○あか星

 金星のこと。神楽歌に「あか星」に触れた歌があります。

(歌の解釈)

 「夜が更けてから深山の峯に金星が出る。いつもは暗い深山が
 明るく見えるほどで、待っていた月が出たのかと思い誤った。」
                (和歌文学大系21から抜粋)
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29 風あらき磯にかかれるあま人はつながぬ舟の心地こそすれ
         (岩波文庫山家集212P哀傷歌・新潮846番)
 
○あま人

 新潮日本古典集成山家集では「あま人=蜑人(あまびと)」と記述
 し、中国南方の海岸地方の水上生活をする人たちを指しているとの
 ことです。「蜑」は「たん」と読みます。
 和歌文学大系21では「海人」としています。

(歌の解釈)

 「風の荒い磯にさしかかった蜑人(あまびと)は、繋いでない舟の
 ように頼りない心地がするであろうが、この世もそれと同じ
 ことであろうよ。」
            (新潮日本古典集成山家集から抜粋)
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30 大浪にひかれ出でたる心地してたすけ船なき沖にゆらるる
         (岩波文庫山家集212P哀傷歌・新潮847番)

(歌の解釈)

 「大波に引かれて沖に出たような心地がして、助け舟もない沖で
 大波に揺られるような、無常のこの世だなあ。」
            (新潮日本古典集成山家集から抜粋)
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31 月やどる波のかひにはよるぞなきあけて二見をみるここちして
            (岩波文庫山家集238P聞書集92番)

○波のかひ

 「かひ」は、二枚貝からくる「二身」の(貝)と、(甲斐)を掛け
 合わせているものと思います。舟の(櫂)も考えられます。

○二見

 三重県伊勢市(旧度会郡)にある地名。伊勢湾に臨んでおり、
 古くからの景勝地として著名です。伊勢志摩国立公園の一部で、
 あまりにも有名な夫婦岩もあります。日本で最初の公認海水浴場
 としても知られています。

(歌の解釈)

 「月が宿る波の効果によって夜がない。蓋を開けるように夜が
 明けて二見浦を見る心地がして。」
                (和歌文学大系21から抜粋)
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32 雪わけて外山をいでしここちして卯の花しげき小野のほそみち
            (岩波文庫山家集236P聞書集70番)

○外山

 人里に近い山のこと。里山・端山のこと。

○卯の花

 卯の花を雪に例えることは常態化しています。

 卯の花はウツギの花のこと。ウツギはユキノシタ科の落葉潅木。
 初夏に白い五弁の花が穂状に群がり咲く。垣根などに使う。

 ○卯の花腐しー五月雨の別称。卯の花を腐らせるため。
 ○卯の花月ー陰暦四月の称。
 ○卯の花もどきー豆腐のから。おからのこと。
               (岩波書店 古語辞典から抜粋)

 ウツギは枝が成長すると枝の中心部の髄が中空になることに由来
 し、空木の意味。
 硬い材が木釘に使われたので打ち木にちなむという異説があります。
 花期は五月下旬から七月。枝先に細い円錐花序を出し、白色五弁
 花が密集して咲くが匂いはない。アジサイ科。
             (朝日新聞社 草木花歳時記を参考)

 ユキノシタ科とアジサイ科の違いがあります。これは分類学上の
 違いによるものであり、どちらでも良い物と思いますが、最近は
 ユキノシタ科はアジサイ科に含まれるようです。
 ○○ウツギと名の付くものは他にたくさんあり、科も違います。
 
○小野

 山科区の随心院あたり。
 左京区の三宅八幡あたりから大原にかけて。
 右京区の周山街道沿い。京都には著名な「小野」の地名は以上の
 3カ所あります。
 西行歌の殆どは左京区の大原近辺を詠んだ歌と見ていいでしょう。

(歌の解釈)

 「雪を分けて外山を出て来た心地がして、卯の花が繁っている
 小野の細道よ。」
                (和歌文学大系21から抜粋)
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33 行きちらむ今日の別を思ふにもさらに嘆きはそふここちする
         (岩波文庫山家集207P哀傷歌・新潮809番)

○行きちらむ

 めいめいが散り散りに別れ行くこと。
 藤原成通の忌明けの時の歌です。
 成通本人との贈答歌は岩波文庫175ページ新潮730.731番、133ページ
 小1082.1083番の二回あります。

(歌の解釈)

 「今日で忌が明けて勤行の僧も分かれて帰って行くのを見ていると、
 入道を失った悲しみが一層募るような気がいたします。」
                (和歌文学大系21から抜粋)

 この歌は侍従大納言藤原成通の遺族との贈答歌です。
 藤原成通は1162年に没しています。西行45歳の時です。
 西行は成通とは蹴鞠などを通じて懇意にしていました。

(藤原成通)

1097年生、1062年没。享年66歳。1159年出家して法名は栖蓮。
蹴鞠の名手として知られていて西行の師匠とも言われています。
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34 露しげく浅茅しげれる野になりてありし都は見しここちせぬ
    (岩波文庫山家集185P雑歌・新潮欠番・西行上人集)

○浅茅しげれる野になれて

 その土地の荒廃ぶりをいう表現です。

○ありし都

 「ありし都」は京都の都を言います。
 1180年6月に平清盛が兵庫県の福原に遷都を強行しました。すでに
 源平の争乱が始まっていて、各地で源氏に呼応する勢力が林立して
 いました。そういう情勢下の遷都でしたが同年の11月には再び京都に
 都が戻されました。
 たかだか半年に満たない「ありし都」なのですし、歌は誇張が
 入っているといえるでしょう。この半年に満たない期間に西行が
 京都に戻ってつぶさに都の実際のありようを見たという形跡はない
 ので、伝聞などを参考にして、この歌を詠んだものだと思います。
 
 ちなみに平氏一族が八条の館などを焼き捨てて都を落ち、西海に
 走ったのは1183年7月、壇ノ浦での平氏滅亡は1185年3月です。
  
(歌の解釈)

 「露の滋く置く浅茅の生い茂った野となって、かつての都は
 昔見た心地がしないよ。」
                (和歌文学大系21から抜粋)
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35 桃ぞのの花にまがへるてりうそのむれ立つ折はちるここちする
         (岩波文庫山家集167P雑歌・新潮1400番)

○桃ぞの

 自生している桃の園ではなくて、人の手によって植栽されて
 いる桃の果樹園のようです。当時でも果樹は栽培していた
 ものでしょう。

○花にまがへる

 桃の花と似ていて、花と見間違うということ。
 鷽を桃の花に見立てています。

○てりうそ(照鷽)

 雄の鷽です。顔から喉が薔薇色(ピンク色)をしています。
 アトリ科の小鳥で翼長8センチ程度。
 本州中部以北から北海道にかけて生息しています。
 
(歌の解釈)

 「桃園の花に紛れて見分けが付かない照鷽の群れが、一斉に飛び
 立つと花が(うそではなく)本当に散ったのかと思う。」
                (和歌文学大系21から抜粋)
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36 くれなゐの色に袂のしぐれつつ袖に秋あるここちこそすれ
         (岩波文庫山家集154P恋歌・新潮704番・
                西行上人集・山家心中集)

○袂のしぐれ

 西行歌によくある表現で、涙で袂が濡れることです。

(歌の解釈)

 「恋人に飽きられて流す紅の涙が木の葉を紅葉させる時雨の
 ように袖に落ち、紅色にかわったその袖にあたかも秋がある
 ような心地がするよ。」
            (新潮日本古典集成山家集から抜粋) 
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37 葉がくれに散りとどまれる花のみぞ忍びし人にあふここちする
          (岩波文庫山家集147P恋歌・新潮599番)

○花のみぞ

 ここにある「花」は「桜の花」であるとは明示していませんが、
 詞書に「寄残花恋」とありますので確実に桜の花のことです。

(歌の解釈)

 「葉がくれにわずかに散り残っている花を見る時は、それこそ
 心ひそかに想っている人に逢えたような気持がするよ。」
            (新潮日本古典集成山家集から抜粋) 
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38 君が代は天つ空なる星なれや数も知られぬここちのみして
         (岩波文庫山家集142P賀歌・新潮1177番)

○数も知られぬ

 亀や鶴のように寿命の長いとされているもの、あるいは松などの
 ように常緑のものなどは縁起の良いものとして賀歌に詠まれて
 きました。
 もちろん、そういうものだけでなくて数量が無限にあるものなど
 も賀歌の素材となっています。

(歌の解釈)

 「君が代は大空の星ともいうべきものであるよ。星の数が限り
 ないように、いついつまでも続く心地ばかりがして。」
            (新潮日本古典集成山家集から抜粋)
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39 ただは落ちで枝をつたへる霰かなつぼめる花の散るここちして
      (岩波文庫山家集96P冬歌・新潮546番・夫木抄)

○枝をつたへる

 一本の枝を移動しつつある状態のこと。

○つぼめる花

 桜の蕾。霰が桜の蕾のように見えたということ。

(歌の解釈)

 「直接地面には落ちないで、霰が桜の枝を伝って落ちている。
 桜の蕾が散ったのかと気が気でなかったよ。」
                (和歌文学大系21から抜粋)
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40 秋すぎて庭のよもぎの末見れば月も昔になるここちする
     (岩波文庫山家集95P冬歌・新潮欠番・西行上人集)

○よもぎ

 キク科の多年草。山野に自生します。高さは1メートル位まで。
 若葉は草餅、葉は薬用、葉裏の綿毛は「もぐさ」になります。

 襲(かさね)の色目では、表は萌黄、裏は濃い萌黄、または表は
 白、裏は青で五月に着用することが決まっていました。

 歌では多くは浅茅や葎などとともに荒廃した住処などを言う時に
 用いられる名詞です。
 岩波文庫山家集では8首の「蓬」の西行歌があります。

○月も昔

 八月十五夜、九月十三夜などの月と違って、秋が過ぎてからの
 冬の月はどこか、はかなげで侘しくて、そのことを西行自身の
 年齢や生涯ということと照応させていると思います。
 高齢になってからの歌のはずです。
 
(歌の解釈)

 「秋も過ぎて庭の枯れた蓬の葉末を見ると、そこにさす月の
 光も昔のものとなったような心地がするよ。」
                (和歌文学大系21から抜粋)

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41 春としもなほおもはれぬ心かな雨ふる年のここちのみして
         (岩波文庫山家集13P春歌・新潮1060番)

○春としも

 「春年も」ということではなくて、「春」「と」「しも」が接続
 した言葉です。「と」は接続助詞、「しも」は副助詞「し」と、
 係助詞「も」の複合語です。
 主に受ける言葉を強調する役割を持ちます。
 また、「しも」の下に打ち消しの言葉をともなって、部分否定の
 役割も持ちます。
 「誰しも」「必ずしも」「無きにしも」「折しも」などの形で
 現在でも使われる助詞です。
 この歌では「しも」の後に「なほおもはれぬ」とありますので、
 年が明けないうちに立春になったけど春とは思いにくいなーと
 いう軽い否定の意味となります。
 
(歌の解釈)
 
 「年内に春が立ったが、なお春になったとは思われないなあ。
 雪ではなく雨が降るけれど、旧(ふ)る年に雨が降る心地
 ばかりがして。」
            (新潮日本古典集成山家集から抜粋)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
42 秋の夜の月を雪かとながむれば露も霰のここちこそすれ
         (岩波文庫山家集79P秋歌・新潮317番・
               西行上人集・山家心中集)

(歌の解釈)

 「秋の夜の月のさやかな光に照らし出される景色を、雪が降った
 のかと見まがうと、さらには一面に置く露も、霰のように
 思われることだよ。」
            (新潮日本古典集成山家集から抜粋)

 「ながむれば」は新潮版では「まがふれば」となっています。
 その場合は「見間違えれば」という意味になります。
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43 からす羽にかく玉づさのここちして雁なき渡る夕やみの空
    (岩波文庫山家集67P秋歌・新潮421番・西行上人集・
       山家心中集・宮河歌合・御裳濯集・新拾遺集)

○からす羽

 文字通り鳥の「烏の羽」のことです。

 日本書紀に第30代敏達天皇の時代に高麗から烏の羽根に墨で
 書かれたものを献じてきたという記述があります。
 この烏の羽根を湯気で蒸して紙に押しつけると、書かれた内容が
 読み取ることができたといわれます。

○玉づさ

 「玉梓=たまあずさ」の略語で、手紙のことです。
 伝言などを伝える時に、使者は梓の木で作った杖を用いたので、
 そこから来た言葉です。

(歌の解釈)

 「烏の真黒な羽に墨で記した玉章は文字が判読し難いけれど、
 それと同じような気持になるよ。夕闇の空を鳴きながら
 わたってゆく雁は、手紙の文字を思わせるその列(つら)なり
 飛ぶ姿も見えないで・・・。」
            (新潮日本古典集成山家集から抜粋)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
44 鶯の聲に櫻ぞちりまがふ花のこと葉を聞くここちして
    (岩波文庫山家集38P春歌・新潮欠番・西行上人集)

(歌の解釈)

 「鶯の声につれて桜が散りまごうよ。その有様はあたかも
 桜の花の話す言葉を聞くような心地がして。」
                (和歌文学大系21から抜粋)
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45 白河の春の梢のうぐひすは花の言葉を聞くここちする
      (岩波文庫山家集31P春歌・新潮70番・夫木抄)

○白川

 白川は京都市左京区を流れる小さな川です。比叡山と如意が嶽の
 間、滋賀県の山中村を源流としています。北白川天神宮の前を
 過ぎて白川通今出川、真如堂の東を南流し、南禅寺の西、動物園
 の東で琵琶湖疎水と合流しています。かつての白川は、これから、
 三条通りの北を西に流れて鴨川と合流していたそうですが、現在は
 この部分の白川本流はありません。
 代わりに、勧業会館の西端から夷川発電所にと向かっています。
 平安神宮前で分岐して、祗園を流れる川も現在は白川といいますが、
 これはかつての白川の支流の小川です。
 従って、西行の歌にある白川が川を指す場合は、現在の平安神宮
 あたりから以北を流れる白川を指しています。  
 地名としては、鴨川の東を現在の九条以北を白川と呼び、北白川・
 南白川・下白川の呼び名があったそうです。
 ただし狭義の地名としては滋賀県と通じる山中越えの周辺一帯を、
 「白川村」と言っていました。
              (平凡社「京都市の地名」を参考)

(歌の解釈)

 「白川の、春美しく咲いた桜の梢に鳴く鶯の音は、あたかも
 桜が語りかける言葉を聞くような心地がすることだ。」
            (新潮日本古典集成山家集から抜粋)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
46 月みれば風に櫻の枝なべて花かとつぐるここちこそすれ
         (岩波文庫山家集25P春歌・新潮1069番・
              西行上人集追而加書・夫木抄)

(歌の解釈)

 「月を見ると、月の光で春風に桜の枝がゆれているのが見え、
 花が咲いたと告げているような心地がするよ。」
            (新潮日本古典集成山家集から抜粋)

 新潮版では「枝なべて」は「枝なえて」となっています。
 萎える様を言い、ここでは枝がなよなよとなっている状態、風で
 少し揺れている状態を言います。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
47   十月十二日、平泉にまかりつきたりけるに、雪ふり嵐はげ
    しく、ことの外に荒れたりけり。いつしか衣川見まほしくて
    まかりむかひて見けり。河の岸につきて、衣川の城しま
    はしたる、ことがらやうかはりて、ものを見るここちし
    けり。汀氷りてとりわけさびしければ

  とりわきて心もしみてさえぞ渡る衣川見にきたる今日しも
         (岩波文庫山家集131P羇旅歌・新潮1131番)

○十月十二日

 京都を花の頃に旅立って、平泉に着いたのは10月12日。半年以上
 を費やして平泉に行っています。何箇所かに逗留して、ゆっくりと
 した旅程だったはずです。

○平泉

 現在の岩手県西磐井郡平泉町のこと。清原(藤原)清衡が1100年
 頃に岩手県江刺郡から平泉に本拠を移して建設された仏教都市
 です。清衡が建立した中尊寺の金色堂は1124年に完成した時の
 ままで、一度も焼失していません。奇跡的に残りました。
 金色堂には清衡・基衡・秀衡の三代の遺体(ミイラ)があります。

○衣川

 平泉の中尊寺の北側を流れている小流で、北上川に注いでいます。

○見まほしくて

 「あらまほし」などと同様の用い方です。
 「見」「まく」「ほし」が接合して、縮めて使われている言葉
 です。
 「見)は見ること。「ま」は推量の助動詞「む」の未然形。
 「く」は接尾語。「ほし」は欲しい、のことで形容詞。
 (強く見たいと思って)というほどの意味です。
 
○衣川の城

 藤原氏の衣川の館のこと。もともとは奥州豪族の安倍氏の柵「城」
 がありました。
 秀衡のプレーンでもあり藤原泰衡の祖父でもあった藤原基成の居住
 していた館です。衣川に面していたといいます。
 義経の衣川の館は最後に平泉に落ち延びて以後に建てられた高館
 のことです。(義経記から)
 ここが源義経の最後の地と言われます。現在は「高館義経堂」と
 呼ばれています。小高い丘にあり、中尊寺からも衣川からも少し
 離れています。

○しまはしたる

 衣川の館は城構えのため、館の外側を垣などで囲んでいる状態を
 言います。

○ことがらようかはりて

 「事柄、様変わりて」のことです。
 この歌自体が初度の旅の時のものとみなされますので、再度の
 旅の時に初度の旅のことを振り返って・・・という意味ではない
 はずです。
 事柄とは、自身で見たことはないけど、かねて聞き及んでいた
 安倍氏の衣川の柵(衣川の城)の状況と対比させているものと
 思われます。

○とりわきて

 格別に。特別にということ。

○今日しも

 「しも」は十月十二日という「今日」を特に強調する言葉です。

(歌の解釈)

 「平泉に着いたその日、折りから雪降り嵐がはげしく吹いたので
 あったが、早く衣川の城が見たくて出かけ、川の岸に着いて、
 その城が立派に築かれているのを見、寒気のなかに立ちつくし
 ながら詠んだ・・・(略)
 衣川の城を見に来た今日は、とりわけ心もこごえて冴えわたった
 ことだ、というのである。寒い冬の一日、はるばると来て、歌枕
 であり、また、古戦場でもある衣川を初めて見た西行の感慨が
 出ている歌である。」
              (安田章生氏著「西行」から抜粋)

 「衣河を見に来た今日は今日とて、雪が降って格別寒い上、とり
 わけ心にまでもしみて寒いことである。」
                (和歌文学大系21から抜粋)
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48   北まつりの頃、賀茂に参りたりけるに、折うれしくて待た
    るる程に、使まゐりたり。はし殿につきてへいふしをがま
    るるまではさることにて、舞人のけしきふるまひ、見し世
    のことともおぼえず、あづま遊にことうつ、陪従もなかり
    けり。さこそ末の世ならめ、神いかに見給ふらむと、
    恥しきここちしてよみ侍りける

  神の代もかはりにけりと見ゆるかな其ことわざのあらずなるにて
         (岩波文庫山家集224P神祇歌・新潮1221番)

○北まつり

 岩清水八幡宮の南祭に対して、賀茂社の祭りを北祭りといいます。
 
○はし殿

 賀茂両社に橋殿はあります。この詞書ではどちらの神社か特定
 できませんが、上賀茂神社だろうと思えます。
 
○へいふし

 新潮版では「つい伏し」となっています。
 膝をついて平伏している状態を指すようです。

○東遊び

 神楽舞の演目の一つです。現在も各所で演じられています。
 
○ことうつ陪従

 (陪従)は付き従う人と言う意味ですが。その陪従が神楽舞で
 琴を打つということです。
 しかしこの時には勅使に付き従ってくる琴の奏者である陪従も
 いなかったということになります。

○みと

 「御戸・御扉」のことです。

○力あはせ

 上賀茂神社で行われた9月9日の重陽の節句の神事として
 行われる相撲を指しています。

(詞書と歌の解釈)

 「賀茂祭の頃に賀茂社に参詣したのですが、具合良く、少し待った
 だけで朝廷からの奉幣の勅使が到着しました。勅使が橋殿に着いて
 平伏して拝礼されるところまでは、昔ながらのしきたりのままでした。
 ところが東遊びの神楽舞を舞っている舞人の舞い方は昔に見た
 ものと同じ舞とは思えないほどにお粗末で、舞に合わせて琴を打つ
 人さえいません。これはどうしたことでしょう。いくら末法の時代
 とはいえ、この事実を神はどのように御覧になっていることだろう。
 まったく、恥ずかしい気がします。」

 「人の世のみならず、神の代もすっかり変わってしまったと見える
 ことだ。琴の陪従もいなくなり、祭のことわざ、舞人の振舞も昔の
 ようではなくなったことにつけても」
            (新潮日本古典集成山家集から抜粋)
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49   徳大寺の左大臣の堂に立ち入りて見侍りけるに、あらぬ
    ことになりて、あはれなり。三條太政大臣歌よみてもて
    なしたまひしこと、ただ今とおぼえて、忍ばるる心地し
    侍り。堂の跡あらためられたりける、さることのありと
    見えて、あはれなりければ

  なき人のかたみにたてし寺に入りて跡ありけりと見て帰りぬる
    (岩波文庫山家集186P雑歌・新潮欠番・西行上人集)

○徳大寺の左大臣の堂

 徳大寺のこと。保元元年5月(1156)に放火により炎上しています。
 徳大寺の左大臣とは藤原公実の四男で藤原実能のこと。西行は
 実能の随身でした。

○あらぬことになりて

 焼失してしまったことを指します。

○三条太政大臣

 藤原公実の次男で、実能の兄の実行のこと。

 この詞書は徳大寺実能の別荘である徳大寺を訪れた時のものです。
 ただし、徳大寺焼失後ほどない時期のものでしょう。1157年9月
 に藤原実能は死亡していますので1157年、もしくは1158年の秋の
 ことだと思います。
 焼け跡がまだ完全には整備されていない頃のことだと考えられます。
 この徳大寺で歌会などもあって、藤原実行が歌を詠ったことが
 分かります。
 この歌会は何年のことか分かりません。西行が実能の随身だった
 1140年までのことか、それとも出家してからのものか不明です。
 実能の建てた徳大寺での歌会とするなら1147年以降のことです。
 ともあれ、西行はこの実能の家系に連なる人々とは終生、親しい
 交流があったものと思います。203Pには右大将公能との贈答歌も
 あります。

(詞書と歌の解釈)

 「一首にしみじみとした気分が歌い据えられている。亡き実能が、
 その人を偲ばせるものとして建てた寺に西行はいま訪れて来て
 いるのであるが、かつての面影は全くない。しかし焼跡の整理が
 され、修築もされる様子をみて、「跡ありけると見て帰りぬる」
 という言葉になっているのではなかろうか。「跡ありけり」は、
 邸宅と、実能の跡を継ぐ公能とを絡ませた感慨だととれるので
 ある。(後略)」
          (窪田章一郎氏著「西行の研究」より抜粋)

 「今はなき実能公が形見としてお建てになられて寺に入って、
 まだその跡が残っていると見て帰ってきたよ。」
                (和歌文学大系21から抜粋)

(徳大寺左大臣の堂)

 藤原実能が衣笠山の西南麓に山荘を営みました。この山荘の中に
 得大寺(徳大寺とも表記します)を建てました。1147年に堂の
 供養がされたので、その年に落成したものと考えられます。
 これが徳大寺左大臣の堂です。
 それで実能は徳大寺の祖と言われます。
 しかしそれより先に藤原実成が同所に寺院を営み、これを得大寺、
 あるいは徳大寺といい、その辺りが地名として徳大寺と言われて
 いました。
 実能の立てた徳大寺は1156年の保元の乱のはじまる直前に賊徒に
 より放火され、灰燼に帰しました。百錬抄では「勇士乱入」と
 して、放火犯を褒め称える言葉を使っていますが、これは政治的
 な意図があるのでしょう。もしくは「勇士」という言葉の解釈が
 現在とは違うのかも知れません。
 実能は1157年に死亡しています。実能の跡を継いだ公能も1161年
 に死亡しましたので、焼けてしまった徳大寺の再建は進んでいな
 かったものと考えられます。
 ここに新たに寺を建てたのは公能の嫡男の実定(1139〜1191)です。
 実定は後徳大寺の左大臣と呼ばれ、百人一首にも撰入しています。
 81番です。
 この徳大寺は1458年(1450年とも)に藤原公有が細川勝元に譲り
 渡して、竜安寺となり、今日に至ります。
 竜安寺の枯山水式の石庭は白砂と15個の石でできていて、特別名勝
 に指定されています。古来、虎の子渡しと呼ばれてきました。
 一説には北斗七星をかたどったものとも言われます。
 また、境内南部にある鏡容池は美しい池です。徳大寺の頃からの
 ものと言われますので、西行もこの池畔にたたずんだことは確実
 だろうと思います。
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50   奈智に籠りて、瀧に入堂し侍りけるに、此上に一二の瀧
    おはします。それへまゐるなりと申す住僧の侍りけるに、
    ぐしてまゐりけり。花や咲きぬらむと尋ねまほしかりける
    折ふしにて、たよりある心地して分けまゐりたり。二の瀧
    のもとへまゐりつきたり。如意輪の瀧となむ申すと聞きて
    をがみければ、まことに少しうちかたぶきたるやうに流れ
    くだりて、尊くおぼえけり。花山院の御庵室の跡の侍り
    ける前に、年ふりたる櫻の木の侍りけるを見て、栖と
    すればとよませ給ひけむこと思ひ出でられて

  木のもとに住みけむ跡をみつるかな那智の高嶺の花を尋ねて
        (岩波文庫山家集120P羇旅歌・新潮852番・
          西行上人集追而加書・風雅集・夫木抄)

○那智

 紀伊の国の歌枕。和歌山県の勝浦町にあります。
 熊野那智大社・青岸渡寺(如意輪堂)があります。
 落差133メートルの那智の瀧はことに有名です。

○二の滝・如意輪の滝

 那智の滝(一の滝)の上流にある滝の一つ。落差は20メートル程。
 二の滝と言われます。二の滝の上流に三の滝があります。

○花山院

 968年〜1008年まで在世。41歳没。第65代天皇。冷泉天皇の長子と
 して生後10ヶ月(2歳)で立太子、17歳で即位していますが、わず
 か二年間の在位で19歳の時に退位、出家しました。
 藤原兼家の姦計にころっと騙されてしまったというのが真相です。
 出家した花山院は熊野をはじめ諸国を回りました。
 衰退していた観音霊場の中興の祖とも言われています。
 冷泉天皇の血を引き継いだのか偏執狂的な一面があったことも
 知られています。
 勅撰の拾遺和歌集は花山院の命によるものです。

○栖とすればとよませ給ひ

 「木の本をすみかとすればおのづから花みる人に成るぬべきかな」
                  (花山院 詞華集272番)

 上の花山院の歌のことです。
 花山院はこの歌で出家者であるのに花に執着する俗っぽさを
 言っています。そういう意味では西行の桜に対しての感覚とは
 随分と隔たりがあると言えるでしょう。

(歌の解釈)

 「那智の高嶺の花を尋ねて、花山院が桜の木の下をすみかとされ、
 心を澄まされたあとを見たことだ。」
            (新潮日本古典集成山家集から抜粋)
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51   三重の瀧をがみけるに、ことに尊く覚えて、三業の罪も
    すすがるる心地してければ

  身につもることばの罪もあらはれて心すみぬるみかさねの瀧
        (岩波文庫山家集123P羇旅歌・新潮1118番・
         西行上人集追而加書・夫木抄・西行物語)

○三業の罪

 「身業、口業、意業の総称。種々の善悪果報のもとになる、
 からだ、ことば、心の行為」
             (大修館書店「古語林」から抜粋)

○ことばの罪

 口から際限もなく発せられる言葉自体の持つ罪のこと。
 ことに、言葉をたくみに飾り立てて和歌を詠む行為を指して
 いると解釈できます。

(歌の解釈)

 「身に積もった罪も、和歌を詠む罪も滝行によって顕現し、洗い
 流された。三重の滝を拝むと心の罪までも濯がれるようだ。」
                (和歌文学大系21から抜粋)
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52  大井川舟にのりえてわたるかな

       西住つけけり

   流にさををさすここちして
  (前句、西行・付句、西住)(岩波文庫山家集268P残集23番)

○大井川

 京都市西部を流れる川です。丹波山地に源流を発し、亀岡市、
 京都市西部、八幡市、そこで宇治川及び木津川と合流して淀川と
 名を変え大阪湾に注いでいます。
 現在ではこのうち、京都市の嵐山までを(保津川)、嵐山付近を
 (大堰川)、渡月橋下流を桂川と言います。

(連歌の解釈)

 前句
 「船に乗ることができてこの大堰川を渡るよ(仏の法を得て
 彼岸に到達するよ)」

 付句
 「流れに棹さす心で(この機会を逃すことなく世を背こうと
 いう心で。)」
               (和歌文学大系21から抜粋)

(連歌)

 「詩歌の表現形態の一つです。古くは万葉集巻八の大伴家持と尼に
 よる連歌が始原とみられています。平安時代の「俊頼髄脳」では
 連歌論も書かれています。
 以後の詩歌の歴史で5.7.5.7.7調の短歌が、どちらかというと停滞
 気味であるのに対して、連歌は一般の民衆にも広まって、それが
 賭け事の対象ともなり爆発的な隆盛をみます。
 貴族、公家も連歌の会を催し、あらゆる物品のほかに金銭も賭け
 られたということです。
 「連歌師」という人たちまで出て、白川の法勝寺、東山の地主神社、
 正法寺、清閑寺、洛西の西芳寺、天龍寺、法輪寺などでも盛んに
 連歌の興行がされました。
              (學藝書林刊「京都の歴史」を参考)

 後にこの連歌の形式が変化して、芭蕉や蕪村の俳諧、そして正岡
 子規によって名付けられた俳句にと引き継がれます。
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53 水の音は枕に落つるここちしてねざめがちなる大原の里
 (寂然法師歌) (岩波文庫山家集139P羇旅歌・新潮1212番・
              西行上人集追而加書・夫木抄)

○大原の里

 京都市左京区にある地名。比叡山の西の麓に位置していて、平安
 時代は隠棲の地として知られていました。
 寂光院、三千院、来迎院などがあります。

 この歌は高野山にいた西行と大原にいた寂然との贈答歌の中の
 一首です。
 各十首ずつあり、西行歌は初句が「山深み」で始まり、寂然歌は
 結句が「大原の里」で終ります。

(歌の解釈)

 「大原の里はよく眠れないのです。旅寝同然の山家に暮らして
 いるので、水の音がすぐ枕元に聞こえて夜何度も目が覚めます。」
                (和歌文学大系21から抜粋)

(寂然法師)

 大原(常盤)三寂の一人。藤原頼業のこと。西行とはもっとも
 親しい歌人。
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54 ふししづむ身には心のあらばこそ更に歎もそふ心地せめ
 (藤原成通遺族歌)(岩波文庫山家集207P哀傷歌・新潮810番)

○ふししづむ身

 成通を亡くして、その悲しみが大きくて、打ちのめされている
 状態。気持ちが落ち込んでいる状態。

(歌の解釈)

 「悲しみに伏し沈む身にもし心がありましたら、あなたのお言葉
 通り更に歎きも添う心地がいたしましょうものを・・・
 (今は悲しみのためにそう思う心もございません。) 
            (新潮日本古典集成山家集から抜粋)

 この歌は下の先号136号33番歌の返しとしての成通遺族の歌です。

 行きちらむ今日の別を思ふにもさらに歎きはそふここちする
  (西行歌)  (岩波文庫山家集207P哀傷歌・新潮809番)

 次の歌も添えられていました。

 たぐひなき昔の人のかたみには君をのみこそたのみましけれ
         (岩波文庫山家集207P哀傷歌・新潮811番)

【九品】
 
 通常は「くほん」と読みますが、ここでは「ここのしな」と
 読みます。
 仏教用語です。浄土にも九つの階級があるといわれ、上から上品・
 中品・下品、そしてそれぞれが上生・中生・下生に分かれている
 ということです。合計して九つの階級です。

 人の死に際して阿弥陀如来が極楽から迎えに来ると言われていて、
 そのとき迎えに来る方法にも上の階級に応じて、九つの形がある
 そうです。

 仏像はさまざまな形で手指を組んでいますが、これを「印=いん」
 と言います。極楽から人を迎えにくる阿弥陀如来は九品仏と言い、
 それぞれの階級を表す印を結んでいます。

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01  九品にかざるすがたを見るのみか妙なる法をきくのしら露 
             (岩波文庫山家集246P聞書集153番)

○妙なる法

 言うに言われぬ心地よい、なんとも言えずすばらしい、お経と
 いう意味です。

○きくのしら露

 「きく」は「聞く」と「菊」をかけています。
 菊の花に乗っている白い露は清純さを象徴し、その露を飲むと
 長寿に効き目があると思われていたようです。
 同様に菊に乗っていた露がしたたり落ちたものとして「菊の下水」
 があり、これも縁起の良いものとされていました。
 万葉集には菊の歌はありません。
 余談ですが、菊は天皇家の紋章にもなっています。

(01番歌の解釈)

 「九種類に身を飾る阿弥陀仏を見るだけでなく、その霊妙な
 教えを聞く、菊の白露を汲むような楽しみ。」
                (和歌文学大系21から抜粋)

【こころぶと】

 「心天」「心太」と表記し、食品の(ところてん)のことです。
 古くは「古々呂布度」と表記していました。
 この歌では「心天草」を縮めていう「てんぐさ」を指します。

 海生植物のテングサを煮詰めてとかし、その汁を固めたものが
 (ところてん)となります。酢や醤油をかけていただきます。
 私は愛媛県西宇和郡の出身ですが、子供の頃にはどの家庭でも
 自分の家で「ところてん」を作っていました。
 現在でもテングサを採集して、販売しています。

 「ところてん」からは「寒天」が作られます。長野県茅野市が
 有名な産地ですが京都府亀岡市近辺でも寒天作りが盛んでした。

 清滝の水くませてやところてん  芭蕉

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01 磯菜つまんいまおひそむるわかふのりみるめきはさひしきこころぶと
          (岩波文庫山家集116P羇旅歌・新潮1381番)

 新潮版では以下です。読みも記述します。

磯菜摘まん 今生ひ初むる 若布海苔 海松布神馬草 鹿尾菜石花菜  

いそなつまん いまおひそむる わかふのり みるめぎばさ ひじきこころぶと
    
○磯菜

 磯に自生する海草のこと。

○わかふのり

 生えたばかりの布海苔のことです。少し赤色の海苔で、昔は接着剤
 として糊の原料にもなったようです。
 
○みるめ

 「海松」と書いて「みる」と読みます。海草の一種です。
 「みるめ」は「みる」と同義で「海松布」「海松藻」と表記
 します。食用にしていました。

○きはさ

 岩波書店の古語辞典、大修館の「古語林」にも載っていません。
 和歌文学大系21や新潮日本古典集成山家集では「神馬草」と表記
 しています。
 ネットでは「神馬藻」「神馬草」として(じんばそう)と読み、
 海草のホンダワラのこととあります。
 この神馬草が(きはさ・ぎばさ)と呼ばれていたのは、東北の
 山形県などであり、庄内地方の方言とのことです。
 この方言がなぜ西行の歌に取り入れられたのかは不明です。

○ひしき

 ホンダワラ科の海草で、ヒジキのことです。

(01番歌の解釈)

 「さあ、今生え初めた海藻を採ろう。若布海苔・みるめ・
 ほんだわら・ひじき・てんぐさ等を。」
            (新潮日本古典集成山家集から抜粋)
   
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