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さあ〜さか さか〜さほ さむ〜さん

項目


さかしき・さかしく・さかひ川・さかひの松・逆艪=さかろ(かこみのともろ)・
鷺・さぎじま・さきたまの宮・さくさみの神・櫻井の里・桜貝・さくら鯛・桜の宮

ささがに・ささぐり・ささの宿・ささめの小蓑・さざれ水・讃岐=さぬき・實方・
佐野の舟橋・さは・さひが浦・さほの川原


【ささき】→「賀茂」参照
【ささめの小蓑】→「あやひねる」参照
【さだのぶ入道】→「観音寺入道生光」参照

【さかしき・さかしく】

 険しいということ。山の勾配がきついということ。
 危ないということ。
 岩波文庫版では「さかし」の「か」は濁点が付いていませんが、
 古語辞典では「さがし」と、濁っています。

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01 はひつたひ折らでつつじを手にぞとるさかしき山のとり所には
       (岩波文庫山家集40P春歌・新潮163番・夫木抄)
              
02 あらち山さかしく下る谷もなくかじきの道をつくる白雪
        (岩波文庫山家集99P冬歌・新潮欠番・夫木抄)

○折らで

 つつじの木を折らないこと。観賞用には手折らないけれども、
 険しい山を登るとき枝に掴まるようにして登るということ。

○とり所

 掴まるために手に握るということ。

○あらち山

 越前の国と近江の国の境界付近にあった山。越前の歌枕。現在は
 「あらち山」と呼ぶ山はありません。
 滋賀県の琵琶湖北端の海津から福井県の敦賀の間に西近江街道が
 通じています。この街道沿いにある敦賀市疋田から山中という町
 の間の西側一帯が、「あらち山」と見られています。
 疋田には「愛発小学校」「愛発中学校」があります。
 ここには古代三関の一つである「愛発(あらち)の関」が設けら
 れていました。しかし、長岡京時代の789年に廃止されています。

 「あらち山」はたくさんの歌に詠まれています。歌の作者は
 「あらち」とひらがなで表記したと思われますが、校訂者によって
 (有乳)(新乳)などの文字が当てられています。

 「義経紀」では義経一行の逃避行のルートとして、この「愛発山」
 の山間を通ったことが書かれています。とても険しい山として
 描かれていて、義経の北の方(正妻)はこの山頂で出産したという
 描写があります。

○かじき
 
 「かんじき」のこと。「かんじき」とは、

 「泥土、氷、雪上などの歩行に用いる特殊な履物の総称。足の
 埋没や滑りを防ぐため履物の下に着ける。足裏より広い枠状や
 輪状のもの」です。
                 (日本語大辞典から抜粋)

(01番歌の解釈)

 「岩を這い伝うような険しい山を登る時には、生えている躑躅を
 力草にする。美しい躑躅を手折ることなく手に取れる、それが
 険しい山路のいい所。」
                (和歌文学大系21から抜粋)

(02番歌の解釈)

 「有乳山は険しくて、谷へ下る道もないほどだが、白雪が谷を
 埋めて、かんじきで歩く道を造ってくれた。」
                (和歌文学大系21から抜粋)

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◎ あらちやま雪ふりつもるたかねよりさえてもいづるよはの月かな
                   (源雅光 金葉集313番)

◎ うちたのむ人の心はあらちやまこしぢくやしきたびにもあるかな
                (詠み人知らず 金葉集634番)

◎ 矢田の野に浅茅色づくあらち山嶺のあわ雪寒くぞあるらし
                 (柿本人麿 新古今集657番)

【さかひ川】

 場所と場所を隔てる境界となる川のことです。
 この歌では利根川のことであり、詳しくは利根川の支流の
 渡良瀬川の事だとみられます。

  下野武藏のさかひ川に、舟わたりをしけるに、霧深かりければ

  霧ふかき古河のわたりのわたし守岸の船つき思ひさだめよ
           (岩波文庫山家集70P秋歌・新潮欠番・
                  西行上人集・万代集)

○下野武蔵

 下野の国と武蔵の国のこと。

 武蔵の国とは現在でいう東京都と埼玉県及び神奈川県の一部を
 合わせた広大な地域でした。武蔵の国の国府は東京都府中市に
 ありました。

 下野の国は現在の栃木県のことです。
 
○古河

 「古河(こが)」は歌では(けふ)と読みます。
 場所は現在の茨城県古河市のことと見られています。
 古河市は下野の国ではなくて下総の国です。
 だから「古河の渡り」は正確には下野と武蔵の境ではなくて、
 下総と武蔵の国の境ということになります。
 一字違いですし、書写した人のミスの可能性もあります。
 とはいえ、「古河の渡り」のある利根川の上流は下野と武蔵の
 境になりますから、詞書を必ず「下総武蔵のさかひ川」としな
 ければならないほどのミスでもなかろうと思います。

(歌の解釈)

 「霧が深く立ちこめる今日のこの渡りの渡し守よ。対岸の船着き
 場に舟をうまく着けるよう決意しておくれ。」
                 (和歌文学大系21から抜粋)

【さかひの松】

 ここでは住宅と住宅の中間に茂っている松の木のことです。

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   誰がかたに心ざすらむ杜鵑さかひの松のうれに啼くなり
 (岩波文庫山家集263P残集04番・西行上人集追而加書・夫木抄)

○心ざす

 心を向けること。好意を持っているということ。

○うれに啼く

 「うれ」は「末」という文字をあてます。
 松の木の梢の先端の方でほととぎすが鳴いている現象を言います。

(歌の解釈)

 「時鳥は一体誰の方に心を寄せているのだろうか。隣り合う家の
 境の松の梢で鳴く声が聞こえる。」
                 (和歌文学大系21から抜粋)
 
【逆艪=さかろ】

 艪(ろ)でこぐ舟は普通は艫(とも)に艪をつけます。
 艫とは船尾のことです。艪には∪状の穴を開けていて、その穴を
 艫近くに固定した∩状の取り付け金具に合わせ入れて、艪をこぐ
 ことによって舟は前進します。
 船首である舳先(へさき)に付けた艪を逆艪といいます。船尾
 方向に向かって前進することが目的として設置された艪です。

 平家物語巻十一では源義経と梶原景時がこの逆艪のことで諍いを
 起こしたことが書かれています。義経と景時の反目は結果として
 頼朝と義経の離反の一因にもなったものと思います。

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01 逆艫おす立石崎の白波はあしきしほにもかかりけるかな
         (岩波文庫山家集250P聞書集196番・夫木抄)

○立石崎

 二見浦にある夫婦岩付近のことを指しているそうです。
 地元の方々は夫婦岩そのものを立石(たてしっさん)と親しみ
 をこめて呼んでいるとのことです。

○白波

 波頭が立って白く見える波のこと。
 盗賊の異名としての意味を持ちます。

(01番歌の解釈)

 「逆艪(舟のへさきにも艪をとりつけて、舟が逆にも進めるように
 したもの「逆さ事」にもかける)を押して舟を進めてゆく立石崎
 (伊勢二見浦夫婦岩を立石、立岩という)のあたりの白波にあう
 のは都合のわるい潮にかかったことよ。逆事をする立石崎の
 あたりに住む盗賊(海賊)はわるい機会にあったことだ。
 (捕らえられたことを言うか。)」
         (渡部保氏著「西行山家集全注解」から抜粋)

 「逆艪を押す立石崎のあたりにたつ白波は、舟が悪い潮の流れにさし
 かかったと見え、海賊は悪い時に及んだなあ。」
 ▽難解歌。海賊の破滅する運命を皮肉に詠むか。
                 (和歌文学大系21から抜粋)

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 下の歌が雑歌にあります。西行辞典では90号です。転載します。
 これによると、舟は両舷に艪を備えていて、片側しか艪のない
 ことを「かこみの艫艪」、舳先に付ける艪を「逆艪」と言って
 いたことが分かります。

【かこみのともろ】

 艫の左右に揃っていなくて片方だけにしか付いていない艪のこと。
 艫とは舟の後尾のことです。小さな舟の艪は普通は艫に一つ付け
 ます。一丁艪ですから一人で操作する小さな舟です。
 (かこみ)とは普通は周囲、周りのことを言いますから、
 (かこみのともろ)は、釈然としないものを感じます。

 汐路行くかこみのともろ心せよまたうづ早きせと渡るなり
         (岩波文庫山家集168P雑歌・新潮1003番)

(番歌の解釈)

 「艫艪が片方にしかない舟が海路を行くのが見える。気を付け
 なよ。その先にまた渦の早い瀬戸を渡るのだから。」
                (和歌文学大系21から抜粋)

 「潮路を行くかこみの艫艪よ。十分注意せよ。また渦の早い
 瀬戸をわたるのだから。」
            (新潮日本古典集成山家集から抜粋)

【鷺】 

 コウノトリ目サギ科の鳥の総称です。全世界に約65種が生息して
 います。
 日本には留鳥もいますが、南方から渡ってくるサギが多いとの
 ことです。京都でもアオサギなどはよく見かけます。
 脚は細く長く、鋭いくちばしで小魚やカエルなどを捕食します。

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01 あはせばやさぎを烏と碁をうたばたふしすがしま黒白の濱
     (岩波文庫山家集126P羇旅歌・新潮1385番・夫木抄)

02 をりかくる波のたつかと見ゆるかな洲さきにきゐる鷺のむら鳥
           (岩波文庫山家集167P雑歌・新潮979番・
                 西行上人集・山家心中集)

 新潮版では以下のようになっています。

 折りかくる 波の立つかと 見ゆるかな さすがにきゐる 鷺のむら鳥

    天王寺へまゐりたりけるに、松に鷺の居たりけるを、
    月の光に見て

03 庭よりも鷺居る松のこずゑにぞ雪はつもれる夏のよの月
         (岩波文庫山家集108P羇旅歌・新潮1076番)

○たふし

 伊勢湾にある答志島のことです。鳥羽市に属しています。
 鳥羽市佐田浜港から船で10分ほどの距離にあります。
 驚くべきことに、この島には「岩屋古墳」があります。

○すがじま

 答志島の南に位置する「菅島」のことです。

○洲さきにきゐる
 
 「洲=す」とは川や海の水流の作用によって土砂などが運ばれて、
 それが堆積して水面上に出たものを言います。
 三角州、中洲などと言います。
 その洲の先端のほうに白鷺が飛んできて群れている状態を指します。

○鷺のむら鳥

 群れている白鷺のこと。

(01番歌の解釈)

 「合わせてみたいものだ。鷺と烏とがもし碁を打ったならば、
 どうなるだろう。答志の浜の白石と菅島の浜の黒石とを使って。」
                (和歌文学大系21から抜粋)

(02番歌の解釈)

 「寄せては返す白波が立っているかのように見えることだ。
 鷺が群れ来ている様子は、何といっても。」
            (新潮日本古典集成山家集から抜粋)

(03番歌の解釈)

 「庭も白く見えるが、それ以上に白鷺がとまった松の梢の方が、
 夏の月夜なのにまるで雪が積もったように白く見える。」
                (和歌文学大系21から抜粋)

【さぎじま】

 新潮版山家集では「崎志摩」としていて、三重県志摩郡波切付近
 とあります。西行山家集全注解では(志摩の国波切西南にある島)
 と明記されています。歌の感じと海流の関係をみれば、それで
 良いのかもしれません。

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01 さぎじまのごいしの白をたか浪のたふしの濱に打寄せてける
          (岩波文庫山家集126P羇旅歌・新潮1383番)

○たふしと申す嶋

 伊勢湾にある答志島のことです。鳥羽市に属しています。

(01番歌の解釈)

 「鷺を思わせる崎志摩の白い小石を、高く激しい波が
 答志の浜に打寄せたことだよ。」
            (新潮日本古典集成山家集から抜粋)

【さきたまの宮】
 
 武蔵の国埼玉郡行田にある前玉(さきたま)神社のことだといわ
 れています。
 現在の埼玉県行田市には115文字の銘文入り鉄剣(国宝)が発見
 された稲荷山古墳を含む「さきたま古墳群」があります。
そのことからみても、古代から繁栄していた土地だろうと思わせます。
 「さいたま」という地名は、古代には「さきたま」と読んでいま
 した。
 前玉神社には下の歌の西行歌碑があります。

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01 和らぐる光を花にかざされて名をあらはせるさきたまの宮
            (岩波文庫山家集280P補遺・夫木抄)

(01番歌の解釈)

 「光を和らげて仏様の垂迹されたその光を、美しい花の上に飾り
 つけて、有名になった埼玉郡の前玉神社よ。」
         (渡部保氏著(西行山家集全注解)から抜粋)

【さくさみの神】

 不明です。伝本によって「さへさみ」「ささなみ」「さへさき」
 などに別れています。
 和歌文学大系21では「作神(さくがみ)、道祖神(さえのかみ)
 の異称か」とあります。
 
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01 みをよどむ天の川岸波かけて月をば見るやさくさみの神
      (岩波文庫山家集82P秋歌・新潮968番・夫木抄)

○みをよどむ

 文意的にみて「水脈淀む」しかありません。
 水脈(みお)とは、一般的には船が航行できる水路のことを
 言います。転じて水の流れをも指します。

(01番歌の解釈)

 「天の川は満面水を湛えて、流れは淀み、波が岸を打つ。
 どうやら「さくさみの神」が月見をしているようだ。
                (和歌文学大系21から抜粋)

 「水脈の淀む天の川の岸では波も立たず、さへさみの神は水に
 うつる月を見ているだろうか。」
            (新潮日本古典集成山家集から抜粋)

【櫻井の里】

 奈良県桜井市、京都市左京区、愛知県小牧市などにも「桜井」は
 あり、特定はできないそうです。
 この歌は夫木抄に「摂津の国」とありますので、大阪府三島郡
 島本町の「桜井の里」とみなして良いと思います。
 桜井の地名は現在も島本町に残っています。

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01 小ぜりつむ澤の氷のひまたえて春めきそむる櫻井のさと
            (岩波文庫山家集16P春歌・新潮984番・
             西行上人集・山家心中集・夫木抄)

○小ぜり

 芽を出したばかりのセリのこと。

(01番歌の解釈)

 「芽吹いたばかりの芹を摘む。その沢に張った氷も春風に溶け
 出して、桜井の里は逸早く春を感じさせる。」
                 (和歌文学大系21から抜粋)

【櫻貝、さくら貝】 (山、171・234)

 「浅海の砂底にすむニッコウガイ科の二枚貝。殻長約3センチ。
 殻高約1.3センチ。
 殻は扁平で薄く、桃色花弁状で光沢がある。貝細工用。
 北海道から九州、朝鮮半島に分布。」
           (講談社刊「日本語大辞典」から引用)

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01 風吹けば花咲く波のをるたびに櫻貝よるみしまえの浦
          (岩波文庫山家集171P雑歌・新潮1191番・
            西行上人集・山家心中集・夫木抄)

02 花と見えて風にをられてちる波のさくら貝をばよするなりけり
             (岩波文庫山家集234P聞書集56番)

○花咲く波

 打ち寄せた波が砕けて白い泡になっている状態を「波の花」
 と言いますが、西行時代にそういう言葉があったのかどうか
 分かりません。仮に当時でも「波の花」という言葉があったと
 しても、西行は知らなかったものだろうと思われます。

 白波を花に見立てて桜貝の縁語としてはいますが、波の花と
 いうには微妙なズレを感じます。
 もちろん、そのズレがあっても差し障りは感じません。

○みしまえの浦

 三島江は摂津の国の歌枕です。淀川の河口近くの西岸にあり、
 現在の大阪府高槻市三島江を中心としていた浦を指します。
 三島・三島江・三島江の浦・三島の入江・三島川などの形で
 地名が詠み込まれ、万葉集以来、薦や葦などのある情景を
 詠まれて来ました。

 みしま江の入江の真菰雨降ればいとどしをれて刈る人もなし
             (大納言経信 新古今集228番)

 みしまえにつのぐみわたるあしのねのひとよのほどに春めきにけり
               (曾爾好忠 後拾遺集42番)

(01番歌の解釈)

 「風が吹くと花が咲いたように白波が幾重にも折れかえって見え
 るが、その度ごとに桜貝が打ち寄せられる三島江の浦だよ。」
            (新潮日本古典集成山家集から抜粋)

(02番歌の解釈)

 「風のために折れ重なって散る波が花と見えたのは、そうか、
 その波が桜貝を岸に打ち寄せるからだったよ。」
                (和歌文学大系21から抜粋)

【さくら鯛】

 沿岸にすむスズキ目の海水魚。体長は20センチ程度。
 雌雄によって体色が異なり、雄は鮮紅色、雌は赤黄色。
 食用になりますが、うまくはないそうです。
 千葉県から長崎、朝鮮半島に分布。
            (保育社刊 図鑑「魚」を参考)
 
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01 霞しく波の初花をりかけてさくら鯛つる沖のあま舟
         (岩波文庫山家集116P羇旅歌・新潮1379番)

○波の初花

 咲いたばかりの桜の花のように、白く美しい波のこと。
 春の海の情景を浪漫的に詠んでいる言葉です。

(01番歌の解釈)

 「たなびいている霞の中から、折り返す白波が初花のように見え、
 その沖合で海士たちの舟は桜鯛を釣っているよ。」
            (新潮日本古典集成山家集から抜粋)

【櫻の宮】

 伊勢神宮内宮にある桜の宮のことです。

 岩波文庫山家集の詞書は
 「櫻の御まへにちりつもり、風にたはるるを」となっていて、
 これは西行上人集追而加書の詞書をそのまま転載しています。

 他方、御裳濯集では
 「内宮にまうでて侍りけるに櫻の宮を見てよみ侍りける」
 という詞書が付いています。
 御裳濯集の詞書によって、伊勢神宮内宮の風の宮であることが
 わかります。

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01 神風に心やすくぞまかせつる櫻の宮の花のさかりを
         (岩波文庫山家集125P羇旅歌・御裳濯河歌合・
          西行上人集追而加書・御裳濯集・続古今集)

(01番歌の解釈)

 「神の吹かせる風に安心してまかせたよ、桜の宮の桜の
 花ざかりを。」
          (渡部保氏著「山家集全注解」から抜粋)

【ささがに】 (山、57・172・213・283)

 (細蟹)(笹蟹)と表記しています。
 もともとは「笹が根」であったらしくて、笹の根の形態からその
 形が似ている「蟹」や「蜘蛛」を指すようにもなりました。

 初期は(蜘蛛)(蜘蛛手)を引き出すための枕詞として用いられ
 てきましたが、次第に蜘蛛の異名にと代わりました。
 そして「曇る」とか「糸」を掛けて詠まれるようにもなりました。
         (笠間書院刊「歌枕・歌ことば辞典」を参考)

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01 ささがにのくもでにかけて引く糸やけふ棚機にかささぎの橋
           (岩波文庫山家集57P夏歌・新潮263番)
         
02 ささがにのいと世をかくて過ぎにけり人の人なる手にもかからで
          (岩波文庫山家集172P雑歌・新潮1552番)
          
03 ささがにの糸に貫く露の玉をかけてかざれる世にこそありけれ
         (岩波文庫山家集213P哀傷歌・新潮1514番)
           
04 天の川流れてくだる雨をうけて玉のあみはるささがにのいと
            (岩波文庫山家集283P補遺・夫木抄)
           
○けふ棚機に

 「きょうたなばたに」と読みます。7月7日の節句のことです。
 たなばたとは、節句の七月七日のイメージが強いかと思いますが、
 原意としては布を織る道具のことです。
 
 1 織機。また、それで布を織ること。織る人。
 2 はたを織る女性。
 3 織女星。ベガ。
 4 五節句の一つ。七月七日。また、その日の行事。
             (日本語大辞典から抜粋)
 
 とあるように本来は機織り(はたおり)の道具そのもの、そして
 その道具を用いて、はたを織ること自体が棚機(たなばた)でした。
 
○かささぎの橋
 
 かささぎはスズメ目カラス科の鳥の名称。ハト程度の大きさで
 腹部が白い。豊臣秀吉の朝鮮出兵の折に移入されて北九州に住み
 着いたと言われています。福岡県の県鳥に指定されています。

 陰暦七月七日の牽牛星と織女星が一年に一度逢うという七夕伝説
 があります。この時、天の川にかかる伝説上の橋が「かささぎの橋」
 と言われます。かささぎが翼を連ねて掛け渡すといわれています。
 なお、壬生忠岑の歌によって、御所の階段をも「かささぎの橋」と
 いうこともあったようです。

 「かささぎの渡せる橋の霜の上を夜半に踏み分けことさらにこそ」
                  (壬生忠岑 大和物語)

 日本書紀の推古六年夏四月の条に以下の記述があります。

 「六年夏四月。難波吉士磐金至自新羅、而献鵲二隻。乃俾養於
 難波杜。因以巣枝而産之。」

 これにより、推古朝に朝鮮半島の新羅の国からカササギが献上
 されて、難波社(森之宮神社)に放鳥されたことがわかります。

○いと世

 「いと」に「世」が接続した形と、ささがにの「糸」と「世」が
 接続した形の両方の意味が掛けられています。
 「いと世」で、(本当に人生というものは)(まさに人生という
 ものは)という意味になり、「糸世」で(糸のように細くはか
 ない人生)という意味に解釈できます。

○人の人なる

 人間が人間としてふさわしい様子。人間らしいこと。

○糸に貫く

 露の玉の内側を蜘蛛の糸が通っているかのように見える状態。
 ちょうど真珠の中心に穴を明けて糸を通して首飾りにしたものと
 同じようなことです。

○世にこそありけれ

 それがこの世のありかたという物だなーという嘆息的なことば。

○玉のあみ

 蜘蛛の巣の糸が全面的に露の玉を付けている状態。

(01番歌の解釈)

 「蜘蛛が糸を四方八方にひきわたして巣をかけているが、あの糸
 は今日鵲の橋を渡って行く織女に貸す(供える)ための願いの糸
 であろうか。」
            (新潮日本古典集成山家集から抜粋)
 
(02番歌の解釈)

 「切れやすい蜘蛛の糸のようにはかないこの世を、人の中の人
 ともいうべき、権勢の人の引き立ても蒙らず、過ぎてしまった
 ことである。」         
            (新潮日本古典集成山家集から抜粋)

 「読者のみなさん、私はこんな風に生きてきました。一人前の
 立派な人間としての待遇を受けることもなく。」  
                (和歌文学大系21から抜粋)

(03番歌の解釈)

 「美しい宝玉を首にかけ、頭に飾り立ててはいても、実は、通す
 糸は蜘蛛の糸のように切れやすく、玉の方も露のようにすぐに
 消えてしまう。そのようにこの世はなんともはかないものなのだ。」
                (和歌文学大系21から抜粋)

(04番歌の解釈)                

 「天の川から流れてくだる雨を受けて、その雨の雫で玉のように
 美しい網をはるくもの糸よ。」
          (渡部保氏著「山家集全注解」から抜粋)

【ささぐり】
 
 植物の栗の一種。シバグリの異名。シバグリは山栗のことだとも
 言われます。実の小さい野生種の栗です。

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01 山かぜに嶺のささぐりはらはらと庭に落ちしく大原の里
 (寂然法師歌)(岩波文庫山家集139P羇旅歌・新潮1214番・
                    玄玉集・夫木抄)

○嶺のささぐりはらはらと

 嶺にある、ささ栗の木の実が、強い山風に吹き飛ばされて
 里の庭にまで落ち来ることを言っています。
 
(01番歌の解釈)

 「山風のため、峯のささ栗がはらはらと庭に一面に落ち敷く
 大原の里であります。」
            (新潮日本古典集成山家集から抜粋)

【ささき】 (山、146)「賀茂」参照

【ささの宿】 (山、122)

 大峰奥駆道にある笹の宿のことです。十津川村にあり、涅槃岳の手前です。
 大峰奥駆け道の第23番靡きですが、現在は「ささの宿」というものは
 ないらしく、「乾光門=けんこうもん」に相当するようです。

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01  ささの宿にて

  いほりさす草の枕にともなひてささの露にも宿る月かな
          (岩波文庫山家集122P羇旅歌・新潮1109番・
                 西行上人集・山家心中集)

○いほりさす

 大峰修行の時に小笹で西行は簡単な庵を自分で作ったものとも
 思われます。

(01番歌の解釈)

 「篠の宿に仮寝をすると、庵に漏る月が笹原一面の夜露にも
 宿って、一緒に旅寝をしているようでもある。」
                 (和歌文学大系21から抜粋)

【ささめの小蓑】 (山、161)

【あやひねる】
○綾織のごとくひねり編む。(新潮日本古典集成山家集から抜粋)
○綾織物のように編むこと。(和歌文学大系21から抜粋)

【綾】紋様を織り出した絹。織り目がななめ線の織物。綾織り。
【綾織物】綾を織り出した美しい絹織物。
                 (日本語大辞典から抜粋)

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1 あやひねるささめのこ蓑きぬにきむ涙の雨を凌ぎがてらに
                (岩波文庫山家集161P恋歌)

 新潮版では以下のようになっています。

 綾ひねる ささめの小蓑 衣に着ん 涙の雨も しのぎがてらに

○ささめ
 【莎草】チガヤに似たイネ科の野草の名。しなやかで、編んで蓑・
 筵などに作る。ささのみ。    (広辞苑第二版から抜粋)

○きぬにきむ
 衣のようにして着る、衣のつもりで着るという意味。

○涙の雨
 涙を雨に見立てています。深い悲しみをいうための誇張表現です。

  (歌の解釈)

「綾織物の衣ではなく、茅織りの蓑を着ることにしよう。あんまり
 泣いて涙は雨のように滂沱と流れたので、蓑でもないと凌げそうに
 ないから。」
                 (和歌文学大系21から抜粋)

「ささめを綾織のように編んだ小蓑を衣として身につけよう。恋の
 悲しみゆえの涙の雨をもしのぎがてらに。」
             (新潮日本古典集成山家集から抜粋)

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◎ 山賤の結びてかづくささめこそ衣の関と雨を通さね」
                   (寂蓮 夫木抄)

◎ 五月雨にささめの蓑も朽ち果てて濡れ濡れぞ行く野原篠原
                   (源宗光女 月詣集)
【さざれ水】

(細ら=ささら)の変化した言葉で(細れ=さざれ)のことです。
 この言葉の下に「石」「水」「波」などの名詞をつけて用いられ
 ます。細かい・小さいという意味です。
 ここでは流れの細さ、流れる音の小ささ、水流の勢いの無さなど
 を思わせます。

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01 底すみて波こまかなるさざれ水わたりやられぬ山がはのかげ
 (岩波文庫山家集250P聞書集195番・西行上人集追而加書・夫木抄)

○わたりやられぬ

 渡ろうとしても渡れない気持ちになるということ。
 清流に足を踏み入れることによって、水が濁ることを避けたい
 気持ちが出ています。

○山がは

 (山側の影)でも(山川の影)でも、少しくしっくりと来ない
 ように思います。
 和歌文学大系21では(山川の影)としています。
 
(01番歌の解釈)

 「底が澄んで波の細かに立つさざれ水は、渡ろうとして
 渡れない山川の姿よ。」
                 (和歌文学大系21から抜粋)

【讃岐=さぬき】

 旧国名で、現在の香川県のこと。
 瀬戸内海に臨み、県庁所在地は高松市。

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01   讃岐の國へまかりて、みの津と申す津につきて、月のあか
    くて、ひびのてもかよはぬほどに遠く見えわたりけるに、
    水鳥のひびのてにつきて飛びわたりけるを

  しきわたす月の氷をうたがひてひびのてまはる味のむら鳥
         (岩波文庫山家集110P羇旅歌・新潮1404番)

02   讃岐にまうでて、松山と申す所に、院おはしましけむ御跡
    尋ねけれども、かたもなかりければ

  松山の波に流れてこし舟のやがてむなしくなりにけるかな
         (岩波文庫山家集110P羇旅歌・新潮1353番・
       西行上人集・山家心中集・宮河歌合・西行物語)

03   讃岐にて、御心ひきかへて、後の世のこと御つとめひま
    なくせさせおはしますと聞きて、女房のもとへ申しける。
    此文をかきて、若人不嗔打以何修忍辱

  世の中をそむく便やなからましうき折ふしに君があはずば
     (岩波文庫山家集182P雑歌・新潮1230番・西行物語)
 
04   讃岐へおはしまして後、歌といふことの世にいときこえ
    ざりければ、寂然がもとへいひ遣しける

  ことの葉のなさけ絶えにし折ふしにありあふ身こそかなしかりけれ
     (岩波文庫山家集183P雑歌・新潮1228番・西行物語)

  しきしまや絶えぬる道になくなくも君とのみこそあとを忍ばめ
         (寂然法師歌)(岩波文庫山家集183P雑歌・
                  新潮1229番・西行物語)
 
05   讃岐の位におはしましけるをり、みゆきのすずのろうを
    聞きてよみける

  ふりにける君がみゆきのすずのろうはいかなる世にも絶えずきこえむ
         (岩波文庫山家集184P雑歌・新潮1446番)
 
06   新院さぬきにおはしましけるに、便につけて女房のもとより

  水茎のかき流すべきかたぞなき心のうちは汲みて知らなむ
 (讃岐の院の女房歌)(岩波文庫山家集184P雑歌・新潮1136番)
 
  程とほみ通ふ心のゆくばかり猶かきながせ水ぐきのあと
         (岩波文庫山家集184P雑歌・新潮1137番)

 讃岐の院の女房歌は実際には崇徳院の歌です。こういう体裁を
 採らずに、崇徳院としての和歌の贈答では差し障りがあった
 ものでしょう。
 この後も崇徳院から2首、西行から1首の贈答歌があります。

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○みの津

 現在の香川県三豊市三野町にある三野津湾のことです。
 JR予讃線で観音寺駅と多度津駅の間に三野津湾が見えます。

○津

 船が停泊する港のこと。川の場合も「津」と言います。

○ひび

 「魚を捕る仕掛けで、浅海に枝付きの竹や細い木の枝を立て並べ、
 一方に口を設け、満潮時に入った魚が出られないようにしたもの。
 また、のり・牡蠣などを付着・成長させるため海中に立てる竹や
 細い木の枝。」
            (大修館書店「古語林」から抜粋)

○ひびのてまはる

 海流によって流されないように、ひびを支えるための木を「ひび
 の手」と言い、ひびの手に止まることもなくアジガモが旋回して
 いる様子を説明しています。

○月の氷

 月の澄明な光に照らされて海面が氷を張り詰めたように見える
 状態。

○味のむら鳥

 アジガモと言い、トモエガモの異名です。単純に「アジ」とも
 言います。マガモより小ぶりのトモエガモの群れのことです。

○松山

 現在の香川県坂出市林田町。

○院おはしけむ御跡

 保元の乱に敗れた崇徳上皇が讃岐の国に配流されて、住んでいた
 場所。香川県坂出市林田町の雲居御所跡のことだと言われます。
 讃岐での崇徳院の行在所は、保元物語では松山(坂出市)から直島
 (香川郡)、次いで志度(さぬき市)にと移転して、志度で崩御。
 1164年8月26日。46歳。
 坂出市の白峰稜に葬られました。
 
○かたもなかり

 松山の行在所が跡形もなくなっているということ。

○波に流れてこし舟

 讃岐の国の松山まで船に乗って渡ってきたこと。
 自身の命、人生という小舟が、時代の波のうねりに翻弄されながら、
 流されてたどりついたということ。

○御心ひきかへて

 心を引き換えること。交換すること。
 今までの心持ちと違って、別のものに改心すること。

○若人不嗔打以何修忍辱

 「もしひといかりてうたずんば、なにをもってかにんにくを
 しゅうせんや」と読むようです。

 もし人が怒って私を打たなかったならば、私はどうやって忍辱を
 修行実践することができたでしょうか。
 (忍辱とは屈辱を耐え忍ぶこと。菩薩行である六波羅蜜の一つ)

○うき折ふし

 1156年の保元の乱での敗北、それに続く讃岐配流を指します。

○ありあふ身

 その場に居合わせた状態。巡りあわせたこと。

○しきしま

 日本の国のこと。大和の国のこと。
 「敷島の道」では日本の和歌の伝統を指します。

○絶えぬる道

 和歌の伝統が崇徳院の讃岐配流によって絶えようとしていること。
 このことが詞花集改撰作業の挫折を意味しているならば、常盤三寂
 にとって大変にショックな事だったと言えます。

○なくなくも

 悲嘆にくれながらも・・・。

○讃岐の位
 
 讃岐の院としてあったということ。讃岐院。
 保元の乱後に配流された1156年から1164年崩御までの崇徳院の
 こと。1177年に崇徳院の諡号が贈られましたから、実際には
 1156年から1177年までの崇徳上皇を指します。

○みゆきのすずのろう

 「すずのろう」は「鈴の奏」のことです。
 天皇の行啓の際に用いる鈴を賜るよう奏上することです。

○いかなる世にも

 時が移って、いつの時代になろうと永遠に。
 崇徳院に対しての儀礼的な言葉ではなくて、親しい関係にある
 者の情を感じさせる言葉です。

○水茎

 「筆や筆跡」のことです。
 「水茎」という言葉が、なぜ筆や筆跡を表す言葉として使われ
 だしたか、それはどんな理由からなのかは不明のようです。
 万葉集では「水にひたる城」という意味で使われていました。
 「筆あるいは筆跡」を表す言葉としては平安時代から使われだした
 ようです。

○かたぞなき

 どうして良いかわからない、どうすべきか、その方法がないと
 いうこと。

○程とほみ 

 場所と場所の距離的な遠さを表します。

(01番歌の解釈)

 「海上一面に照り輝く月の光のために、氷が張ったのかと疑って、
 海面におりずにひびの手の上を飛び廻っているあじ鴨の群れよ。」
            (新潮日本古典集成山家集から抜粋)

(02番歌の解釈)

 「ここ松山の地に配流された崇徳上皇は、帰京の悲願も空しく
 そのまま当地で崩御されてしまったのですね。」
                (和歌文学大系21から抜粋)

(03番歌の解釈)

 「修行のきっかけが見付からなかったかもしれませんよ。
 あんなにひどい目にもしお逢いにならなかったならば。」
                (和歌文学大系21から抜粋)

(04番歌の解釈)

 「新院が讃岐におうつりになり、和歌の道がすっかり衰えて
 しまった時節に生きてめぐり逢うわが身こそ悲しいことです。」
             (新潮日本古典集成山家集から抜粋)

 「新院の遷御によって絶えてしまった和歌の道に、涙ながらも
 あなたとだけ新院の御跡をーー在りし日の和歌が盛んであった
 折を偲びましょう。」
     (寂然法師歌) (新潮日本古典集成山家集から抜粋)

(05番歌の解釈)

 「崇徳天皇の行幸。鈴の下賜を願い出る奏上が聞こえて、鈴が
 高らかに鳴り響く。いつまでも永遠に鈴は鳴り続けること
 だろう。」
                (和歌文学大系21から抜粋)

(06番歌の解釈)

 「手紙をどのようにしたためたらよいか分かりません。
 私の心の中はどうぞお察し下さい。」
  (讃岐の院の女房歌) (新潮日本古典集成山家集から抜粋)

 「讃岐とは遠く隔たっているので、通うこともできず、心が
 通うだけだから、せめて気のすむまで心の中を手紙にしたためて
 下さい。」
             (新潮日本古典集成山家集から抜粋)

【さだのぶ入道】 (山、215)

【實方】

 藤原実方。生年不詳、998年没。995年陸奥の守に赴任。
 殿上で藤原行成と口論した果てに左遷されたと言われます。
 任地先で客死。落馬して死亡したという説があります。後述。

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01  みちのくににまかりたりけるに、野中に、常よりもとおぼしき
   塚の見えけるを、人に問ひければ、中将の御墓と申すはこれが
   事なりと申しければ、中将とは誰がことぞと又問ひければ、
   実方の御ことなりと申しける、いと悲しかりけり。さらぬだに
   ものあはれにおぼえけるに、霜がれの薄ほのぼの見え渡りて、
   後にかたらむも、詞なきやうにおぼえて

  朽ちもせぬ其名ばかりをとどめ置きて枯野の薄かたみにぞ見る
    (岩波文庫山家集129P羇旅歌・新潮800番・西行上人集・
              山家心中集・新古今集・西行物語)

○みちのく

 陸奥の国のこと。現在の東北六県は、当時は陸奥国と出羽の国の
 二か国でした。

○常よりもとおぼしき

 普通より、ということ。野中にはありえない立派な塚・・・と
 いう意味になります。
 没後150年ほどを経ても実方の墓として誰かに管理されていたと
 解釈していいものと思います。

○さらぬだに

 そうでなくとも・・・という意味。墓は他の場所よりも哀感を
 覚えるということを言っています。

○枯野の薄

 現在も、実方の墓に向かう道の辺に植えられています。

(01番歌の解釈)

 「不朽の名声だけをこの世に残して、実方中将はこの枯野に骨を
 埋めたというが、その形見には霜枯れの薄があるばかりだ。」
                (和歌文学大系21から抜粋)
  
(藤原実方)

 生年不詳、没年は998年11月とも12月とも言われます。陸奥守と
 して陸奥に赴任中に客死しました。40歳に満たない年齢と思われ
 ます。
 藤原北家流師尹(もろただ)の孫。父の定時が早世したので叔父
 の済時の援助を受けて育ったといわれます。
 左近将監、侍従、左近少将、右馬頭などを歴任して、994年に左近
 中将。翌年に陸奥守として陸奥に赴任。

 「古事談」によると、藤原行成との軋轢があり「歌枕見て参れ」
 と一条天皇から命を受けて陸奥守に左遷されたとあります。
 実方が陸奥に赴任したのは、その説以外にも自発説ほかいくつか
 の説があります。どれが本当か分かりません。
 「源平盛衰記」によると笠島の道祖神社の前を下馬せずに通り
 過ぎたために落馬して命を落としたと書かれています。
 お墓は現在の宮城県名取市愛島にあります。西行の「朽ちもせぬ」
 歌の歌碑も建っています。ただし碑文は風化して殆ど読み取れません。
 家集に「実方朝臣集」があります。中古三十六歌仙の一人です。

 この歌は確実に初度の旅の時の歌ですが、同じ旅の時の一連の
 歌から離れて一首のみ、ぽつんと採録されています。そのことが
 気にはなります。

 なお、芭蕉の「おくのほそ道」では、芭蕉は行き過ぎて実方の墓
 には行かなかったのですが、人から聞いたこととして、「形見の
 薄今にあり」と書いています。
 「おくのほそ道」は脚色が多くて、そのままでは信用できません。
 ですが、同行した曽良随行日記と照らし合わせると旅の実際の
 様子が分かります。曽良は「行過テ不見」とのみしたためて
 います。従って芭蕉が行った当時は「形見の薄」があったのか
 どうかは不明です。

 白州正子氏は「西行」の中で以下のように記述しています。
 「竹林の入り口に、勅使河原流の外国産の枯尾花が植えてあり、
 大げさに(かたみの薄)と記してある。いうまでもなく「奥の
 細道」の「形見の薄今にあり」の薄で、歌枕もここまでリアリ
 ズムに徹すれば何をかいわんや。」

 実方は死後に雀に姿を変えて都に戻ってきたという伝説があり
 ます。もとは中京区でしたが移転して現在は左京区にある
 「更雀寺」が、その伝説を留めています。

 「かくとだにえやはいぶきのさしも草さしも知らじな燃ゆる思ひを」
               (藤原実方 百人一首51番)

【佐野の舟橋】

 群馬県高崎市の烏川にかかります。
 群馬県に佐野市がありますが、現在は佐野市ではなくて少し
 西方の高崎市上佐野町・下佐野町にあたります。
 万葉集にも詠われている古くからの歌枕です。
 「船橋」とは、小舟を並べてその上に板を渡して川越えできる
 ようにした施設です。いわば仮の橋です。

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01 さみだれに佐野の舟橋うきぬればのりてぞ人はさしわたるらむ
        (岩波文庫山家集50P夏歌・新潮223番・夫木抄)

○ うきぬれば

 普段と違って五月雨で水かさが増えた分だけ、舟橋が高く
 浮き上がったということ。

(01番歌の解釈)

 「降り続く五月雨のため、佐野の舟橋が浮いてしまったので、
 人々はその舟に乗って棹をさし川を渡ることであろう。」
            (新潮日本古典集成山家集から抜粋)

【さは】

 「然は」と表記します。
 副詞「然=さ」に係助詞「は」が接続した言葉です。
 そのように、そうは、それでは、それならば、そうなら、という
 ほどの意味となります。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

01 おろかなる心のひくにまかせてもさてさはいかにつひの住かは
        (岩波文庫山家集196P雑歌、253P聞書集216番・
         西行上人集追而加書・新古今集・西行物語)

02 いひすてて後の行方を思ひはてばさてさはいかにうら嶋の筥
         (岩波文庫山家集213P哀傷歌・新潮1521番)
                  
03 山の端の霞むけしきにしるきかな今朝よりやさは春のあけぼの
           (岩波文庫山家集14P春歌・新潮02番)
              
04 世を厭ふ名をだにもさはとどめ置きて数ならぬ身の思出にせむ
      (岩波文庫山家集19P春歌、197P雑歌・新潮724番・
         西行上人集追而加書・新古今集・西行物語)
                 
○さてさはいかに

 さてそれではどのようになるというのだろう・・・という意味。
 この歌は聞書集では結句が「思いは」となっています。

○後の行方

 死後の世界のこと。

○うら嶋の筥
 
 浦島太郎が亀を助けて竜宮城に行ったという説話のこと。西行の
 時代にはすでに浦島太郎のお話はできていました。浦島の物語は
 日本書紀や万葉集にも記述があるそうですから、古いお話です。
 原典は「丹後国風土記」ではなかったかと思います。
 「筥」は箱のことで、玉手箱を指します。

○しるきかな

 はっきりと現れていること。目立ってみえること。著しいこと。

 「しるし」を名詞化した用法で「著けく」と用います。
 源氏物語にも「しるき御さまなれば・・・」とあります。

○世を厭ふ

 俗社会を厭うこと。仏門に入ろうとする志があるということ。

○数ならぬ身

 問題にされないこと。問題にされるだけの身分ではないと
 いうこと。

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(01番歌の解釈)

 「愚かな心の引くままに、よし身をまかせたとしても、さて
 それではいったいどうなるだろうか、臨終の思いは。」
               (和歌文学大系21から抜粋)

(02番歌の解釈)

 「後世のことは知らないと言い捨てていて、いざ死を迎えてから
 死後の行方を思い始めても、さてどうでしょうか。
 開けて悔しい浦島の箱、後悔は必至です。」
               (和歌文学大系21から抜粋)

(03番歌の解釈)

 「山の端が霞む様子で立春は明瞭だ。それなら春の曙というのは
 今朝からなのか。」
               (和歌文学大系21から抜粋)

(04番歌の解釈)

 「世を厭い出家を願った人であったという名だけでも後の世に
 留め置き、ものの数にも入らないわが身の思い出にしょう。」
           (新潮日本古典集成山家集から抜粋)

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05 さらばたださらでぞ人のやみなましさて後もさはさもあらじとや
         (岩波文庫山家集144P恋歌・新潮591番)
             
06 人はうし歎はつゆもなぐさまずこはさはいかにすべき心ぞ
         (岩波文庫山家集153P恋歌・新潮682番・
                西行上人集・山家心中集)

07 さはといひて衣かへしてうちふせどめのあはばやは夢もみるべき
         (岩波文庫山家集154P恋歌・新潮701番)
         
08 今はさは覚めぬを夢になしはてて人に語らでやみねとぞ思ふ
         (岩波文庫山家集157P恋歌・新潮1260番)

○やみなまし

 (止み)に助動詞(なまし)の接続した言葉。
 「終わってほしい・・・」という希望を込めた意味になります。

 この歌は「然=さ」を多用して、心情の深さ、微妙さを表そうと
 していますが、言葉遊びに終始しているとも言えそうです。

○こはさはいかに

 そうしたらこれは一体どうしたら良いのだろう?ということ。

○さはといひて

 そうはいっても・・・という意味。

○めのあはばやは

 「目も合わせないので夢でも逢うことができない」ということ。
「やは」は打ち消し、反語の係助詞です。
 西行歌には「やは」の付く歌が20首以上あります。以下二首。

 山里に家ゐをせずば見ましやは紅ふかき秋のこずゑを
         (岩波文庫山家集104P冬歌・新潮欠番)

 なげけとて月やはものを思はするかこち顏なる我が涙かな
    (岩波文庫山家集149P恋歌・新潮628番・西行上人集・
     山家心中集・御裳濯河歌合・千載集・百人一首86番)

○やみねとぞ

 先述の「やみなまし」に似ていて、ほぼ同義です。
 終止、消滅、終結、完了を強く願う言葉です。

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(05番歌の解釈)

 「一旦逢った後二度と逢わないのならば、初めから逢わないまま
 で終わってしまってほしいものである。逢っておきながらその
 後はそんなふうに逢うことはできないというのだろうか。」
            (新潮日本古典集成山家集から抜粋)

(06番歌の解釈)

 「恋しい人はつれなく、恋の歎きは少しも慰められることはない。
 さてこれはいったいどうしたらよいわが心であろうか。」
            (新潮日本古典集成山家集から抜粋)

(07番歌の解釈)

 「それなら夢であなたに逢おうと夜の衣を裏返して横にはなるが、
 眠ることなどできそうになく、たとえ眠れたとしてもあなたには
 逢えなかったであろう。」
               (和歌文学大系21から抜粋)

(08番歌の解釈)

 「思いが届かないなら、もうそれならつらい物思いから覚めない
 日々をすべて夢だとみなしきって、あなたには何も知らせないで
 終わりにしてしまおうかとも思う。」
               (和歌文学大系21から抜粋)

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
                  
09 のがれなくつひに行くべき道をさは知らではいかがすぐべかりける
         (岩波文庫山家集188P雑歌・新潮905番)
                
10 これやさは年つもるまでこりつめし法にあふごの薪なるらむ
         (岩波文庫山家集218P釈教歌・新潮884番)

11 せきかねてさはとて流す瀧つせにわく白玉は涙なりけり
         (岩波文庫山家集161P恋歌・新潮1311番)
                 
12   野に人あまた侍りけるを、何する人ぞと聞きければ、
    菜摘む者なりと答へけるに、年の内に立ちかはる春の
    しるしの若菜か、さはと思ひて

  年ははや月なみかけて越えにけりうべつみけらしゑぐの若だち
         (岩波文庫山家集18P春歌・新潮1061番・
              西行上人集追而加書・夫木抄)

13 待ちわびぬおくれさきだつ哀をも君ならでさは誰かとふべき
    (寂然法師歌)(岩波文庫山家集210P哀傷歌・新潮834番)

○つひに行くべき道

 人間の生きる過程を言い、最終的な死を意味します。

○すぐべかり

 過ごすこと。過ぎゆくこと。

○こりつめし

 「樵り集め」「樵り積め」と書きます。
 木を伐採して一ヶ所に集めること。一ヶ所に積み上げることを
 言います。

○あふご

 (おうご)と言い、物を担ぐ天秤棒のことです。
 和歌では「逢う期)を掛けて詠まれるようです。

○月なみかけて

 月日が経巡ること。月日の経過のこと。
 月並み、月次などと書きます。

○うべつみけらし

 (うべ+つみ+けら+し)です。(うべ)は(むべ)、(つみ)
 は(摘み)、(けらし)は(けり)の連体形(ける)に推量の
 助動詞(らし)が接合して縮まった言葉です。
 通しての意味は(だから摘んでいるのだなあー)というほどの
 ことになります。 

○ゑぐの若だち

 (ゑぐ)は芹の古名。または(黒慈姑=くろくわい)の古名とも
 いいます。黒クワイは春先に新芽が出ないそうですので、和歌
 文学大系21では「えぐ=芹」としています。
 
「黒慈姑」
 カヤツリグサ科の多年草。水中に生じ高さ数十センチ。塊茎は
 クワイに似、黒紫色。まれに食用とする。

「慈姑」
 オモダカ科の多年草。中国原産。秋、長い花茎を出し、白い三弁
 の花を輪状に綴る。水田に栽培し、地下の球茎は食用。

○おくれさきだつ

 係累、親しい人との死別を言います。

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(09番歌の解釈)

 「誰ひとりのがれる術もなく、最後的に行くことになる死への
 道程をそのようには知らないで、どうやって日々を送れると
 いうのであろう。」
               (和歌文学大系21から抜粋)

(10番歌の解釈)

 「これは喩えれば、長年に渡り樵り集め荷い棒にかけた薪のよう
 なもので、年積もるまで修行した結果有難い仏の教えに逢う
 機会を得たことなのだ。」
            (新潮日本古典集成山家集から抜粋)

(11番歌の解釈)

 「おさえかねて、それではとばかり流す滝つ瀬に湧く白玉は、
 思えば自分の涙であることか。」
            (新潮日本古典集成山家集から抜粋)

(12番歌の解釈)
 
 「月日の経過とともに、年内立春となってしまった。道理で野
 では人々が若菜を摘み、山里の自分の所では柴の若芽を積み
 延べたごとく思われるよ。」
            (新潮日本古典集成山家集から抜粋)

 新潮版では「ゑぐ」ではなくて、「しばの若立」とあります。

(13番歌の解釈)

 「ずっとあなたを待っていました。死別の悲しみに沈む
 私たちを、あなた以外の一体誰が、本当に理解して慰めて
 下さるというのでしょう。」
         (寂然法師歌) (和歌文学大系21から抜粋)

【さひが浦】

 紀伊の国にある雑賀浦と思われます。伊勢にも同じ地名の所が
 あったとも解釈できますが、そうではなくて紀伊の国の雑賀浦を
 伊勢の国の続きとみなしていると考えられます。
 和歌文学大系では「さびる浦」として(古びて趣のある浦)と
 注しています。

 (雑賀浦=さいがうら)

 紀の川河口から雑賀崎にいたる海岸で、かつての景勝地。
 現在は埋め立てられて和歌山南港となっています。

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01 伊勢島や月の光のさひが浦は明石には似ぬかげぞすみける
         (岩波文庫山家集84P秋歌・新潮1473番)

○伊勢島

 伊勢の国にある多くの島々を指しています。

○明石には似ぬ

 月の名所の明石で見る月とはまた趣が違って見える月のこと。

(01番歌の解釈)

 「伊勢の国の狭日鹿浦は、あの「月明かし」といわれる明石の
 浦とは異なった、冴えた月の光が澄みわたっているよ。」
            (新潮日本古典集成山家集から抜粋)

【さほの川原】

 大和(奈良県)の佐保川の川原のことです。
大和には「佐保姫」と「立田姫」があり、中国の五行説では東が
 春を指していることによって、大和の東に位置する佐保の佐保姫は
 春を象徴していると見られています。
 対になっている立田姫は秋を象徴しています。

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01 見渡せばさほの川原にくりかけて風によらるる青柳の糸
           (岩波文庫山家集23P春歌・新潮54番・
           西行上人集・山家心中集・新拾遺集)

○くりかけて

 たぐりよせて、引っ掛けるという意味です。
 柳の枝が風のために近寄ったり引っかかったりねじれたりする
 光景を言います。

○青柳の糸
             
 万葉時代から「青柳の糸」という表現がされています。
 「青柳の糸」は春を象徴する表現でもあって、古来、たくさんの
 歌に詠まれてきました。
 春になって芽吹いて、黄緑色に繁る糸のような枝先を垂らして
 いるさまに生命力の旺盛さとか、強靭さ、しなやかさを感じる
 ことができるでしょう。
 
(01番歌の解釈)

 「古都平城京を見渡すと、佐保川の河原に風が吹いて、青柳の
 枝が糸のようにたぐられたり引っ掛かったりねじれたり、その
 一体感はまったく見事に春の景色だ。」
 「修辞を駆使して春景を賛美。」
                (和歌文学大系21から抜
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