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 せ〜せこ  せた〜せり


  せたむる・せと・迫門・せにせむ・せみ・ひぐらし・芹・

【せたむる】

(責むる)と書いて(せたむる)と読みます。他動詞、マ行下二段活用。
過ちを咎めること。強く責めること、という意味です。
    
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01 おぼつかな何のむくいのかへりきて心せたむるあたとなるらむ 
           (岩波文庫山家集153P恋歌・新潮678番)

○おぼつかな

「覚束無し」のこと。
対象がぼんやりしていて、はっきりと知覚できない状態。また、
そういう状態に対して抱くおぼろな不安、不満などの感情のこと。
心もとなさを覚える感情のこと。
「おぼつかな」は西行の愛用句とも言えます。

○むくいのかへりきて

仏教の因果応報の思想からくる言葉です。過去世にまで遡って
悪因があるから当然に悪果があるという思想は仏教の悪い所だと
私個人は思います。

○あたとなるらむ

「あた」は「仇」のこと。自分のしたこと、あるいは自分の身内
などが過去にしたことが結局は自分に返って来て、それが自分を
責めさいなむ原因となっているということ。

(01番歌の解釈)

「一体何をした報いがわが身にかえって来て、心を責めさいなむ
仇となるのであろう。何ともわからないことだなあ。」
            (新潮日本古典集成山家集から抜粋)

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      せばまくのきぬ→第116号「きりきわうの夢」参照
      せれう→第73号「大原」参照        
      千載和歌集→第178号「寂超長門入道・隆信」参照
      せんじの局→第143号「斎院・斎王・斎宮」参照
      千日はてて→第128号「高野(02)」参照
      千人あつめて→第125号「結縁」参照
      仙の宮→第115号「京極太政大臣」参照
      善通寺→第173号「釈迦・世尊・大師の御師」参照

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【せと】

「瀬戸」と表記し、流れの速い海峡のことです。

07番歌の「迫門」は他に用例歌がありません。岩波文庫山家集の
校訂者である佐佐木信綱博士が用いられたものと思います。
当該箇所は新潮版の山家集では「瀬戸」と表記されています。
古書では「迫門」の表記がたくさんありますので、西行時代は
「迫門」と書き表していたものと思います。

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01 淡路がた磯わのちどり聲しげしせとの塩風冴えまさる夜は
      (岩波文庫山家集94P冬歌・新潮548番・万代集)

02 あはぢ潟せとの汐干の夕ぐれに須磨よりかよふ千鳥なくなり
           (岩波文庫山家集94P冬歌・新潮549番・
                西行上人集・山家心中集)

03 あはぢ嶋せとのなごろは高くとも此汐わたにさし渡らばや
         (岩波文庫山家集168P雑歌・新潮1002番)

04 月さゆる明石のせとに風吹けば氷の上にたたむしら波
          (岩波文庫山家集81P秋歌・新潮376番・
        西行上人集・山家心中集・玉葉集・夫木抄)

05 せと渡るたななし小舟心せよ霰みだるるしまきよこぎる
          (岩波文庫山家集96P冬歌・新潮544番・
                西行上人集・山家心中集)

06 せと口に立てるうしほの大淀みよどむとしひもなき涙かな
     (岩波文庫山家集154P恋歌・新潮694番・夫木抄)

07 汐路行くかこみのともろ心せよまたうづ早きせと渡るなり
         (岩波文庫山家集168P雑歌・新潮1003番)

     うしまどの迫門に、海士の出で入りて、さだえと申す
     ものをとりて、船に入れ入れしけるを見て

08 さだえすむ迫門の岩つぼもとめ出ていそぎし海人の気色なるかな
         (岩波文庫山家集116P羇旅歌・新潮1376番)

○淡路がた

淡路島にある干潟のこと。特定の場所を指定していませんが、
02番歌では須磨と近い淡路島北方の干潟のはずです。

○磯わのちどり

「磯回=いそみ・いそわ」で、磯に沿って行き巡ること。また、
磯が曲がり続いているような湾のこと。入り江のような場所。
そこに群がる千鳥を言います。

○汐干

明石海峡の干潮のこと。潮が引いてくれば沖合いに向かって浜が
長くなります。

○須磨

神戸市の西部にある地名。瀬戸内海に面していて、淡路島とは
近い距離にあります。
古代は須磨に関がありました。須磨までは摂津の国、それ以遠は
播磨の国でした。
万葉集にも詠まれ、また源氏物語にも「須磨」の巻があって、
古い時代から有名な所です。
 
○あはぢ嶋

大阪府、香川県、及び兵庫県の明石市や神戸市に近接する瀬戸内
海東端の島。現在の行政区としては兵庫県に属します。島の中心
は洲本市。
本四連絡橋が通じてから、兵庫県から淡路島を通って香川県まで
車で通行できるようになりました。
記紀にある国作り神話で最初に作られた島が淡路島。和歌でも
万葉の時代から「淡路潟」「淡路の瀬戸」「淡路島山」などと
詠まれてきました。千鳥を詠み合わせた歌が多いのですが、
「淡」という文字に掛けて、あわあわとした情景を詠んだ歌も
あります。
岩波文庫山家集の95ページの「絵嶋の浦」と、116ページの
「しほさきの浦」も淡路島にある地名とみられています。
尚、新潮版の山家集では「あはぢ潟」はなく、すべて「あはぢ嶋」
として記載されています。岩波文庫の類題本とは伝わり方が違い
ますから、それが「潟」と「嶋」の違いの出た原因でしよう。

○せとのなごろ

(なごり=余波)
海上の風がないだ後、波のまだ静まらないこと。
(なごろ=余波)
風が荒く波が高く、潮のうねること。また、そのうねりのこと。
                 (広辞苑第二版から抜粋)

広辞苑第二版では「なごり」と「なごろ」の意味が違いますが、
03番歌は(なごり)の意味で用いられています。
風や波が最も強く荒れている状態から脱して、風はおさまった
けれども波はなお高いという情景を指しています。
(せと)とは明石海峡を指します。

○汐わた

(わた)は(わた=曲)のことで湾曲している所のことです。
(この潮曲に)は和歌文学大系21では
「塩曲ー海水が陸地に入り込んだ所。湾。」としています。
要するに前出の「磯わ」とほぼ同義です。

○明石

兵庫県にある港湾都市。東経135度の日本標準時子午線が通って
います。
播磨の国の著名な歌枕です。明石に続き潟・浦・沖・瀬戸・浜
などの言葉を付けた形で詠まれます。
明石は万葉集から詠まれている地名ですが、月の名所として、
「明石」を「明かし」とかけて詠まれている歌もあります。

○たたむしら波

風が白波を折りたたんで、波が折り重なっているように見える情景。

○たななし小舟

舟べりに棚のない小さな舟のこと。大型船と違って舷側に波を防ぐ
為の棚板や、人がもたれかかる為の柵もない小さい簡便な舟です。

○しまきよこぎる

(しまく)は(風巻く)の文字をあてています。
(し)は(風)の古語です。暴風が吹き荒れている状態をいいます。

○せと口

海峡の入口のこと。

○よどむとしひ

岩波文庫山家集では「としひ」に「とびひの」と傍書されています。
和歌文学大系21及び新潮版山家集の解説では「淀む年日」のように
解釈されています。

西行学第二号「西行歌の特殊語彙」と題する宇津木言行氏の論考では
06番歌の「としひ」が取り上げられています。この丁寧な考察に
よれば、「としひ」はもともとは「とゝひ」となっていたとのことです。
そして「ととひ」「とどひ」「ととい」「ととみ」という言葉が方言
として存在しており、潮流が「上げ潮」と「下げ潮」が入れ替わる
時間帯の「潮合い」を指す海洋民族語とのことです。
従って06番歌の下句は「淀んで流れがとどまることなく滂沱として
流れ降る涙を詠んで、悲嘆にくれる恋の表現としたのである。」
と、結ばれています。
卓見だと思いました。

○かこみのともろ

左右に揃っていなくて片方だけにしか付いていない艫艪。
艫とは舟の後尾のことです。小さな舟の艪は後尾に付けます。
一丁艪ですから一人で操作する小さな舟です。
(かこみ)とは普通は周囲、周りのことを言いますから、
(かこみのともろ)という言葉は、釈然としないものを感じます。

○うしまどの迫門

「うしまど」は備前の国の地名。現在の岡山県の南東部にある
邑久郡牛窓町のこと。瀬戸内海交通の要衝として栄えました。
「迫門」は「瀬戸」の古い表記です。「せと」と読みます。

○出で入りて

海中に潜ったり、浮かんだりして・・・ということ。

○さだえ

海生の巻貝の一種。磯に生息しています。
殻はこぶし型で大きさは10センチ前後になります。身は食用ですが、
殻はボタンなどに加工されています。
太平洋産の殻は尖りがなく日本海産には突起部分が多いとの説が
あります。

○岩つぼ求め

海中の中の岩が自然にくぼんだところ。そういう所にさざえが
多くいます。そういう所を捜し求めてということです。

(01番歌の解釈)

「淡路潟では磯廻から千鳥の鳴き声が頻繁に聞える。明石海峡
から吹き付ける潮風がいつもより冷たい夜は。」
                (和歌文学大系21から抜粋)

(02番歌の解釈)

「淡路島と須磨との間の瀬戸(海峡)の潮が引いて、その間の
狭くなった夕暮に須磨から通うてくる千鳥が鳴いているよ。」
          (渡部保氏著「山家集全注解」から抜粋)

(03番歌の解釈)

「ようやく風が静まった。淡路島の瀬戸はまだ名残の波が
治まっていないが、この湾曲に沿って一気に渡ってしまおう。」
                (和歌文学大系21から抜粋)

(04番歌の解釈)

「月の光が冴えて海面が氷のように明るく輝く明石の瀬戸に風が
吹くと、白波が氷の上に畳み重なったように立つことだよ。」
            (新潮日本古典集成山家集から抜粋)

(05番歌の解釈)

「瀬戸をわたる棚無小舟よ、用心するがよい。海上は霞が乱れ飛び、
暴風も横なぐりに突き切り吹いていることだ。」
            (新潮日本古典集成山家集から抜粋)

(06番歌の解釈)

「瀬戸の入口に激しく音をたてて流れる潮も、一時は満潮で静かに
淀むこともあるのに、自分の恋の思いはそんなふうに静まりかえる
年日はなく、とめどなく流れる涙だなあ。」
            (新潮日本古典集成山家集から抜粋)

(07番歌の解釈)

「艫艪が片方にしかない舟が海路を行くのが見える。気を付け
なよ。その先にまた渦の早い瀬戸を渡るのだから。」
                (和歌文学大系21から抜粋)

(08番歌の解釈)

「さざえの棲んでいる瀬戸の岩のくぼみを探し出して、いそが
しく潜っては採っている海士の様子であるよ。」
            (新潮日本古典集成山家集から抜粋)

【せにせむ】

「瀬にせむ」と書き「瀬」は、拠って立つ場所を表します。
「立つ瀬がない」という場合の「瀬」と同義です。
「せむ」の(せ)はサ行変格活用「す」の未然形、(む)は助動詞
(む)の終止形。「せむ」で(しよう・したい)という希望なり意志
なりを表します。
「せにせむ」で(場所としよう)(ここにしたい)という意味になります。

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01 聞かずともここをせにせむほととぎす山田の原の杉の村立
     (岩波文庫山家集46P夏歌、263P残集・御裳濯河歌合・
              新古今集・御裳濯集・西行物語)
 
○山田の原

伊勢神宮外宮のある一帯の地名。外宮の神域。古代から山田の町
の人たちと外宮は密接に結びついてきました。

○杉の村立

杉の木が林立している状態のこと。

(01番歌の解釈)

「たとえ鳴く声をきかなくても、ここを時鳥を待つ場所にしよう。
山田の原の杉の群立っているこの場所を。」
               (和歌文学大系21から抜粋)

【せみ】

初夏から初秋にかけて出現するセミ科の昆虫の総称です。
世界では約1600種、日本では32種がいるそうです。
幼虫は地中で数年から十数年間いるそうですが、さすがに
西行法師もそのことまでは知らなかったでしよう。

【ひぐらし】

セミ科の一種で早朝や夕方の薄暗い時刻に金属質の「カナカナ」と
いう鳴き声で鳴きます。
秋の景物の一つで、なんとなく山里を思わせる雰囲気があります。

◎先号199号で「せみ」の項は記述しましたが、私のミスで「蝉」
 が欠落していましたので新たに「ひぐらし」も加えて記述します。

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  水辺納凉といふことを、北白河にてよみける

01 水の音にあつさ忘るるまとゐかな梢のせみの聲もまぎれて
           (岩波文庫山家集53P夏歌・新潮231番)

02 柳はら河風ふかぬかげならばあつくやせみの聲にならまし
           (岩波文庫山家集54P夏歌・新潮1019番)

03 山里の外面の岡の高き木にそぞろがましき秋の蝉かな
           (岩波文庫山家集63P秋歌・新潮295番・
               西行上人集追而加書・夫木抄)

○北白河

京都市左京区にある地名です。現在の白川通り以東、今出川通り
以北の一帯を指します。
「北白川」の地名入り詞書は合計五回あります。岩波文庫山家集の
53.54.85.270の各ページ。及び89ページの「をしめども…」歌も
西行上人集では詞書に「北白川」の地名が入っています。

○まとゐ

人々が集まって車座になること。団らんのこと。

○柳はら

柳の木が立ち並んでいる原のこと。

○やみぬべきかな

「止みぬべき」で物事の終わりを言います。
もう恋の気持ちを終わりにしなくてはどうにもならないという感情
を表しています。

○空蝉

「現身=うつせみ」「空蝉=うつせみ」で、現身は「この世・現世」
などを表します。空蝉は「蝉や蝉の抜け殻」を表します。
現身からいつ頃からか空蝉に転じたようですが、その過程で蝉の短い
命、はかない人生を掛けて読まれるようになりました。
むなしさ、はかなさなどを強調するために枕詞的に「空蝉」が用い
られるようになりました。
「空蝉」は人の世の空しさを導き出すために詠まれていると言っても
良いと思います。

○此身からにて

「この身空にて」と思わせます。蝉の抜け殻のようになって、自分の
実体はここにはないような、茫然自失の感覚をいいます。

○あしひき

「山」という名詞を出すための枕詞。「あしひき」の解釈は諸説
あり、本居宣長の説を引くと、「あしひき」は「足引城」といい
ます。「足は山の脚の意味、引は長く引き延べたること、城は
山の一構えを指し一構えの中の平らな所」を指すようです。
本居宣長の説では説得力に欠けるような気がします。
(01番歌の解釈)

「ここ北白川では、涼しげな水の音に、集まった人々も暑さを
忘れてしまうことだ。梢に鳴く蝉の暑苦しい声も流れの音に
まぎれてしまって。」
            (新潮日本古典集成山家集から抜粋)

(02番歌の解釈)

「川風がもし吹いてこなかったら、柳原の木陰とはいえ、蛙ならぬ
蝉が鳴くので暑くてかなわなかったよ。」
                (和歌文学大系21から抜粋)

(03番歌の解釈)

「山里の外面の岡の高い木に、そぞろに秋のあわれをかきたてる
かのように、秋蝉の鳴く声が聞こえてくることだ。」
            (新潮日本古典集成山家集から抜粋)

(04番歌の解釈)

「ついに叶えられることなく終わってしまう恋であろうか。空蝉の
この身ゆえの、魂のぬけがらのようになるまでに思う歎きは。」
            (新潮日本古典集成山家集から抜粋)

(05番歌の解釈)

「私の山家では、松風の音がしんみりと美しくて、更に寂しさを
添えるように蜩が鳴く。」
                (和歌文学大系21から抜粋)

(06番歌の解釈)

「山陰だから暗いのだと思ううちに、梢にひぐらしの声が聞こえて、
本当に日が暮れたことを告げるよ。」
                (和歌文学大系21から抜粋)

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【せり・芹】

セリ科の多年草の植物。どこにでも普通に見られる植物です。
夏から初秋にかけて40センチほどの直立した頭頂部に、白い小花を
笠状に付けます。食用になり、春の七草の一つです。

「芹摘む」という言葉は「身分の尊い女性が芹を食べる所を見た
身分の低い男が、その女性を思って芹を摘んで届けたけれど、相手に
されなくて徒労に終わった」という逸話から、届かない恋慕のこと、
思い通りにはいかないこと、しても無駄な事の例えとしてあります。

以下の3首はすべてその逸話を踏まえた歌です。

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01 かつすすぐ澤のこ芹のねを白み清げにものを思はするかな
          (岩波文庫山家集163P恋歌・新潮1344番・
                  西行上人集・夫木抄)

02 ななくさに芹ありけりとみるからにぬれけむ袖のつまれぬるかな
       (岩波文庫山家集242P聞書集115番・西行上人)

03 何となくせりと聞くこそあはれなれつみけむ人の心しられて
          (岩波文庫山家集189P雑歌・新潮1033番・
                西行上人集・山家心中集)

04 むなしくてやみぬべきかな空蝉の此身からにて思ふなげきは
         (岩波文庫山家集163P恋歌・新潮1337番)

05 松風の音あはれなる山里にさびしさそふる日ぐらしの聲
          (岩波文庫山家集170P雑歌・新潮940番・
                西行上人集・山家心中集)

06 あしひきの山陰なればと思ふまに梢につぐるひぐらしの聲
         (岩波文庫山家集274P補遺・西行上人集・
                御裳濯河歌合・御裳濯集)
○かつすすぐ

(摘み)かつ(すすぐ)で、(摘み)を省略していると考えられます。

○ねを白み

引き抜いて、洗ったばかりの小芹の根が白いということ。

○ななくさ

ここでは春の七草です。正月7日に粥に入れて食べる風習があります。
セリ、ナズナ、ゴギョウ(母子草)、ハコベ、ホトケノザ(田平子)、
スズナ(蕪)、スズシロ(大根)の7種が春の七草です。
これとは別に秋の七草もあります。

○つみけむ人

先述の逸話にある身分の低い男を指します。同時に、叶うはずのない
片思いをしている多くの男性諸氏を言うのでしよう。

(01番歌の解釈)

「摘むとすぐに水で洗う沢の小芹が白くて清らかなように、
さっぱりとあきらめて物思いなどしないでいたいものだ。」
               (和歌文学大系21から抜粋)

(02番歌の解釈)

「七草の中に芹があったよと見ただけで、芹を摘んだ昔の人の
涙で濡れただろう袖が、身につまされることだなあ。」
                (和歌文学大系21から抜粋)

(03番歌の解釈)

「何となく芹という名を聞くことこそあわれだなあ。芹を好まれた
后にひそかに思いを寄せ、摘んで献じた昔の人の心が知られて。」
            (新潮日本古典集成山家集から抜粋)

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