もどる

 つ〜つゆ  つゆ〜つる

           津・津の国・つたのほそ江・躑躅・つつじ・つぼ・露   
           
         つい垣→第143号「斎院・斎王・斎宮」参照
      月なみかけて→第153号「さは」参照
      月なみわかぬ→第67号「うらやむ・うらやましき」参照
         月の桂→第122号「雲井」参照
         月の氷→第162号「しきわたす」参照
       月よみの森→第122号「雲井」参照
       月よみの社→第31号「伊勢」参照
        月のみや→第99号「かたみ・籠・かた」参照
          筑紫→第82号「おほわたさき」参照
       つくまの沼→第182号「菖蒲・さうぶ・菖蒲かぶり」参照
       つげがほに→第116号「きりぎりす」参照
       土御門内裏→第106号「加茂・賀茂」参照
        つちはし→第107号「唐国・唐土」参照
       つなでひく→第186号「新院・讃岐の院・崇徳天皇」参照
      常よりもけに→第146号「西住・同行に侍りける上人」参照
   常よりもとおぼしき→第154号「さらぬだに」参照
        つばくらめ→第109号「雁・雁がね」参照
        翅にかけて→第103号「門田」参照
        翼ならべし→第69号「枝かはし・枝ひぢて」参照
          つばな→第195号「すみれ・菫」参照
     つひに行くべき道→第153号「さは」参照
          つぼ井→第70号「えぶな」参照
        爪木に通草→第175号「寂然 (02) 贈答歌(02)」参照 
         爪弾きを→第173号「しもと」参照
       つめのつるぎ→第99号「かたみ・籠・かたみ」参照 
       つらなりし昔→第125号「結縁」参照
      つららひにけり→第172号「しも」参照
           釣殿→第107号「唐錦・から絵」参照
      剣の枝にのぼれ→第173号「しもと」参照
         つれなき→第172号「しも」参照

【津】

舟の停まる設備のある港を言います。船着き場のこと。
西行歌では「津」として単独では無くて、固有名詞として「みの津」
「難波津」が一度ずつ出てきます。
「みの津」「難波津」はすでに記述済みですから、以下を参照願い
ます。ここでは歌の紹介のみにします。
「みの津」第187号「新院・讃岐の院・崇徳天皇 (2)」参照。
「難波津」第219号「ちどり・千鳥」参照。

【津の国】

旧国名で摂津の国のこと。淀川の西側一帯、現在の大阪府北部と
兵庫県東南部にあたります。古来、多くの歌に詠われてきました。

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01 津の國の難波の春は夢なれや蘆の枯葉に風わたるなり
      (岩波文庫山家集93P冬歌・新潮欠番・西行上人集・ 
        御裳濯河歌合・新古今集・玄玉集・西行物語) 

02 津の國の芦の丸屋のさびしさは冬こそわきて訪ふべかりけれ
           (岩波文庫山家集102P冬歌・新潮559番・ 
         西行上人集・山家心中集・言葉集・夫木抄) 

03 津の國のながらの橋のかたもなし名はとどまりてきこえわたれど
           (岩波文庫山家集197P雑歌・新潮欠番・ 
                 西行上人集・山家心中集) 

     六波羅太政入道、持経者千人あつめて、津の國わたと
     申す所にて供養侍りける、やがてそのついでに萬燈会
     しけり。夜更くるままに灯の消えけるを、おのおの
     ともしつきけるを見て、

04 消えぬべき法の光のともし火をかかぐるわたのみさきなりけり
          (岩波文庫山家集108P羈旅歌・新潮862番) 

05    讚岐の國へまかりて、みの津と申す津につきて、月の
     あかくて、ひゞのてもかよはぬほどに遠く見えわたり
     けるに、水鳥のひゞのてにつきて飛びわたりけるを

  しきわたす月の氷をうたがひてひゞのてまはる味のむら鳥
         (岩波文庫山家集110P羇旅歌・新潮1404番)

06 千鳥なくふけゐのかたを見わたせば月かげさびし難波津のうら
  (岩波文庫山家集243P聞書集126番・西行上人集・夫木抄)

○難波

淀川と大和川に囲まれて大阪湾に面していた一帯を難波と
いいます。古代は上町台地を除いて湿地帯でした。
海岸線も現在よりはずっと東方にありました。
     
○芦の丸屋

(あしのまろや)=蘆で作った庵のこと。麻呂という一人称に
かけていて、寂しさ、わびしさを強調しています。この歌から
見れば西行は難波にも庵を構えていたのかもしれません。

○冬こそわきて

冬が一番寂しさを味わえるので、冬にこそ訪ねてきてほしい…
という願望。

○ながらの橋

現在の大阪市北区と東淀川区を結んでいる淀川に架かる橋。
古来、歌枕であまりにも有名な「ながらの橋」も現在の橋のある
付近に架けられていたものでしょう。

 難波なる長柄の橋もつくるなり 今は我が身をなににたとへん
                  (伊勢 古今集1051番)

○六波羅太政入道

平清盛のこと。清盛出家は1168年、51歳の年です。

○持経者

法華経を専門的に読誦する僧侶のこと。

○千人あつめて

千人の僧侶による供養を指しています。

○津の国わた

(津の国)は「摂津の国」のこと。(わた=輪田)は神戸市兵庫区に
あり、現在の神戸港の一部分を指します。
1180年、清盛が遷都した福原は、輪田のすぐ北です。

○萬燈会

法会の形式の一つ。懺悔や贖罪を願って、一万の燈明を灯して供養
することを目的とした法会です。
この法会は1172年3月に行われました。

○ともしつきける

(灯し継ぎける)です。火が消えそうになっても次々と灯し続ける
ことです。

(01番歌の解釈)

「この歌の調子の豊かさは、直接に作者の気息に触れる味わいを
もっている。この気息は、本質的には独白である。そして、独白の
中に難波江の冬枯の自然が生き生きと表現され、髣髴としてくる
感銘が与えられる。人間と自然とが一体となる境地である。対象
として把握されているのは、自然を夢と見ている無常観である。
普遍の自然に季節の推移をみているのであるが、それを見ている
人間は、さらに無常な存在である。」
      (窪田章一郎氏著「西行の研究」569ページから抜粋) 

「やわらかくゆるやゆかにうねる上三句のなかで、ゆたかな過去が
観想され、するどくさびしい下二句のなかで、眼前のしょう状たる
風景が観照されている。各句の最後の音がo・a・a・i・iと
なっていることも、やわらかいうちにも強く沁みとおってくる一首
の調べを形成する上に役立っているであろう。一首全体、人生その
ものを象徴している趣が感じられるのである。」
         (安田章生氏著「西行」234ページから抜粋)
(しょう状の「しょう」の漢字は文字化けのため使えません)

01番の歌は御裳濯河歌合29番と新古今集に採録されています。
西行晩年の作とみられています。御裳濯河歌合での俊成の判は
「幽玄の体なり」と評価していますが、私も西行歌を代表する
傑作の一首だと思います。
後拾遺集にある能因法師の以下の歌が本歌と言われます。

「心あらむ人に見せばや津の国の難波わたりの春の景色を」
              
(02番歌の解釈)

「摂津の国の葦葺きの粗末な小屋の寂しさは、常のことではあるが、
特に冬にこそ訪れ、その寂しさを味わうべきだ。」
            (新潮日本古典集成山家集から抜粋)

(03番歌の解釈)

「摂津の国の長柄には橋の跡形もない。長柄の橋というその名は
留まって昔から聞き続けているけれども。」
                (和歌文学大系21から抜粋)

(04番歌の解釈)

「末法の世なので消えてしまいそうになる法灯の光を、ここ大輪田泊
では盛大な法会によって見事に灯し継ぎ、勢いを盛り返しているよ。」
                (和歌文学大系21から抜粋) 

◎詞書に明示はされていませんが、この法会には西行自身も臨席して
いたものと思います。清盛に招かれて参加した可能性もあります。
確証は一切ないのですが、西行は単なる招待客ではなくて、企画や
運営・進行に携わっていたのかもしれません。

【つたのほそ江】

「津田の細江」は播磨の国の歌枕。
姫路市内を流れる船場川の河口付近の地名です。船場川は古くは
飾磨川と言っていたそうです。
姫路市内の川の流路も平安時代と比較すると大きく変っているものと
思えます。現在の船場川は市川と夢前川の間にあり、姫路城の外堀
から続いていて、瀬戸内海に注いでいます。
河口付近に「飾磨区細江」の地名があります。
歌は他に「頼政集」に「津田の細江」歌があります。
    
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01 流れやらでつたのほそ江にまく水は舟をぞむやうさみだれのころ
  (岩波文庫山家集250P聞書集190番・西行上人集追而加書・夫木抄) 
          
○まく水

よく分かりません。「渦巻く」の「渦」を省略した形のようです。
古語辞典を見ても「まく」は「渦」の意味を包摂した言葉ではないよう
です。歌意から見て「撒く」でもないでしょう。

○舟をぞむやう

舟を「もやい綱」でつなぐことです。
「もやう」は舟を岸や他の舟と繋ぐことを言います。そのための綱を
「もやい綱」と言います。

(01番歌の解釈)

「流れきらないで津田の細江に渦巻く水は、舟を岸につなぎとめる、
五月雨頃よ。」
               (和歌文学大系21から抜粋)

【躑躅・つつじ】
    
植物のツツジのこと。ツツジ科ツツジ属の総称で、現在では500種
ほどもあるそうです。
桜が終わった五月の初め頃の季節に盛りを迎えて満開となります。

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01 はひつたひ折らでつつじを手にぞとるさかしき山のとり所には
        (岩波文庫山家集40P春歌・新潮163番・夫木抄) 

02 躑躅咲く山の岩かげ夕ばえてをぐらはよその名のみなりけり
            (岩波文庫山家集40P春歌・新潮164番 
                西行上人集追而加書・夫木抄) 

03 神路山岩ねのつつじ咲きにけりこらまがそでの色にふりつつ
             (岩波文庫山家集280P補遺・夫木抄) 

○はひつたひ

立って歩くことのできない険しい地形なので、這うようにして
伝いながら行くこと。

○折らで

つつじの木を折らないこと。観賞用には手折らないけれども、
険しい山を登るとき枝に掴まるようにして登るということ。

○さかしき山

険しいということ。山の勾配がきついということ。
危ないということ。
岩波文庫版では「さかし」の「か」は濁点が付いていませんが、
古語辞典では「さがし」と、濁っています。

○とり所

「取り柄」のことです。
掴まるために手に握る場所という「取っ手」のことも同寺に意味
しています。

○をぐらはよその

「をぐら」はほの暗いことを意味しますが、夕日が当たって映えて
いるために明るくて、「をぐら」は別の場所のことのようだという
ことです。
京都市西京区の「小倉山」を掛けているものと解釈できます。

○神路山

伊勢神宮内宮の神苑から見える山を総称して神路山といいます。
内宮の南方にある連山とも言われます。
標高は150メートルから400メートル程度。

○こらがまそで

こら=物忌の子を(小良=こら)という。
物忌には大物忌、物忌父、小良があり、宮守、地祭りなどの
御用を勤めるもので、童男女を用いた。
            (和田秀松著「官職要解」を参考)
(こらがまそで)は(小良)の(真袖)のことです。

○色にふりつつ

ツツジの色が衣服の袖に染まっているように見えるということ。

(01番歌の解釈)

「岩を這い伝うような険しい山を登る時には、生えている躑躅を
力草にする。美しい躑躅を手折ることなく手に取れる、それが
険しい山路のいい所。」
                (和歌文学大系21から抜粋)

(02番歌の解釈)

「つつじが真赤に咲く小倉山の岩かげは、夕日の色に照りはえて
いっそうつつじの色に明るくなり、おぐらという名前は他所の
名前に過ぎないことだ。」
            (新潮日本古典集成山家集から抜粋)

(03番歌の解釈)

「神路の岩つつじの花が咲いた。大神宮に奉仕する少女らの着て
いるあこめの衣の袖の赤い色に染まって。」
          (渡部保氏著「山家集全注解」から抜粋)


【つぼ】

建物に囲まれた中庭のこと。建物だけでなくて垣根で囲まれている
場合も「つぼ」というようです。

「竹のつぼ」は竹の植えられている中庭のこと。
「桐壷」「梅壺」なども、桐や梅の植えられている中庭を指します。
   
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      京極太政大臣、中納言と申しける折、菊をおびただしき
      ほどにしたてて、鳥羽院にまゐらせ給ひたりける、鳥羽の
      南殿の東おもてのつぼに、所なきほどに植ゑさせ給ひけり。
      公重少將、人々すすめて菊もてなさせけるに、くははる
      べきよしあれば

01 君が住むやどのつぼには菊ぞかざる仙の宮といふべかるらむ
           (岩波文庫山家集87P秋歌・新潮466番)   
 
      加茂の臨時の祭かへり立の御神樂、土御門内裏にて侍り
      けるに、竹のつぼに雪のふりたりけるを見て

02 うらがへすをみの衣と見ゆるかな竹のうら葉にふれる白雪
     (岩波文庫山家集99P冬歌・新潮536番・西行上人集・
           西行上人集追而加書・言葉集・夫木抄)

      同じ折、つぼの櫻の散りけるを見て、かくなむおぼえ
      侍ると申しける

03 此春は君に別のをしきかな花のゆくへは思ひわすれて
     (西行歌)(岩波文庫山家集106P離別歌・新潮1143番)

      かへしせよと承りて、扇にかきてさし出でける
                     
04 君がいなんかたみにすべき櫻さへ名残あらせず風さそふなり
  (女房六角局歌)(岩波文庫山家集106P離別歌・新潮1144番)

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「つぼのいしぶみ」と「岩つぼ」は歌のみ紹介します。
すでに記述済みですから、それぞれ参照願います。
花がしぼむことの「つぼむ」は項目化するほどもないと考えます。

05 さだえすむ迫門の岩つぼもとめ出ていそぎし海人の気色なるかな
            (第57号「うしまどの迫門」参照)

06 むつのくのおくゆかしくぞ思ほゆるつぼのいしぶみそとの濱風
              (第200号「そとの濱」参照)

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○京極太政大臣

藤原氏。中御門宗輔のこと。生年1077年、没年1162年。86歳。
「中右記」の作者である中御門宗忠は兄にあたります。
菊やボタンの栽培に詳しく、また笛の名手ともいわれています。
宗輔が中納言であった期間は1130年から1140年ほどであり、西行で
言えば13歳から23歳頃までです。したがって01番歌は西行の出家前
の歌であると解釈されます。
宗輔は、保元の乱の時に死亡した藤原頼長とも親しかったようです
が、連座することはなくて1157年に太政大臣となりました。81歳と
いう高齢になってからです。
太政大臣と言っても、保元から平治にかけては藤原信西が独裁的に
政務を執っていましたから、お飾り的な太政大臣だったものでしょう。

○鳥羽院

ここでは鳥羽離宮のことです。城南(せいなん)離宮ともいい
ます。白河上皇と鳥羽上皇が院政を執った所です。
          
○鳥羽の南殿

白河天皇が造営した鳥羽離宮の南殿御所のことです。1087年に
初めて南殿御所に遷幸がありました。離宮の中でも最初に築造
されました。
鳥羽離宮には南殿のほかに泉殿、北殿、馬場殿、東殿が作られて
います。
鳥羽天皇は田中殿を作りました。院政を行った離宮です。
ちなみに、それぞれに配された侍の人数は北殿75人、南殿17人、
泉殿8人の合計100名です。1090年の記録ですから当然に佐藤義清
は入っていません。余談ですが平清盛が1179年の冬に後白河天皇
を幽閉したのもここでした

○公重少将

1117年か1118年出生。60歳か61歳で1178年没。   
徳大寺通季の子。徳大寺実能の猶子となっています。
この時の西行の年齢は19歳から22歳頃までの、まだ出家をして
いない時でした。
当時、公重は少将にはなっていないことが知られています。

あたら夜の月をひとりぞながめつる おもはぬ磯に波枕して
(藤原公重 風雅和歌集911番)

○君

鳥羽上皇のこと。第74代天皇。1103年生〜1156年没。54歳。

○仙の宮

「仙の宮」は、読みは(ひじりのみや)。退位した天皇が住む
ところを仙洞御所といい、菊の花の神仙の伝説とをかけている。

○加茂の臨時の祭

陰暦11月の下の酉の日に行われる賀茂社の祭りです。
889年より始められて、899年には「賀茂社臨時祭永例たるべし」
と定められています。
応仁の乱により中絶、江戸時代に復興。明治3年廃絶しています。   

○土御門内裏

鳥羽・崇徳・近衛三天皇の里内裏のこと。場所は現在の烏丸通り
西、上長者町通り付近。1117年新造。1138年と1148年に火災に
遭っています。1153年頃、方忌みにより廃絶しました。
西行の歌は1148年までのものと解釈できます。おそらくは出家前
の歌でしょう。

○おみの衣

小忌の衣。神事用の衣服のこと。

(01番歌の解釈)

「京極太政大臣、中御門宗輔が中納言であった頃に(1130〜1140)
多くの菊を鳥羽離宮に持ってきました。それを南殿の東の中庭
いっぱいに植えたのでした。
藤原公重少将が菊の歌を詠むようにと人々に勧めましたが、西行
にも加わるように言ったので・・・」以上が詞書の意味です。

「わが君(鳥羽院)がお住みになる宿の中庭を菊がいっぱい
かざっていることである。これこそまことに仙の宮、仙洞御所と
いうべきであろう。」
             (新潮日本古典集成山家集から抜粋)

(02番歌の解釈)

「前栽の竹の末葉に降った白雪は、舞人が着ている小忌衣を
ひるがえして舞っている、その袖のように見えるよ。」
            (新潮日本古典集成山家集より抜粋)

(03番歌の解釈)

「この春は内親王様にお別れすることがまことに名残り惜しゅう
ございます。いつもでしたら、散りゆく花に覚えます惜別の念も
忘れてしまいまして。」
            (新潮日本古典集成山家集から抜粋)

(04番歌の解釈)

「あなたが遠い修行の旅に出られたら、あなたの形見にしたいと
思っている桜の花までも、名残りを留めることなく風が誘って
散らしてしまうことです。」
            (新潮日本古典集成山家集から抜粋)
          
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       ◆ 露・つゆ ◆

【露・つゆ】

大気の状況によって大気中の水分が草木などに付着した状態、また
付着した水滴そのものを言います。

露に似たものの例えとしても用いられます。はかないもの、消え
やすいものとして「露の命」などという用例もあります。

下に打消しの言葉をともなって、少しも……、全然……という意味
も持ちます。

露・つゆの名詞のある歌は120首を越えます。そのすべてを紹介する
ことは無理ですので任意に15首を選んで記述します。
01番から05番までの歌は草木の葉などに付く水滴そのもののこと、
自然現象としての露の情景歌です。
06番から10番までは露になぞらえての心象の歌です。
11番以降は「少しも…ない」という意味で詠まれた歌を紹介します。

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01 露のぼる蘆の若葉に月さえて秋をあらそふ難波江の浦 
            (岩波文庫山家集51P夏歌・新潮242番・
             西行上人集・山家心中集・夫木抄)

02 をじか伏す萩咲く野邊の夕露をしばしもためぬ荻の上風 
           (岩波文庫山家集57P秋歌・新潮287番)

03 あはれいかに草葉の露のこぼるらむ秋風立ちぬ宮城野の原 
      (岩波文庫山家集58P秋歌・新潮欠番・西行上人集・
   御裳濯河歌合・新古今集・玄玉集・御裳濯集・西行物語)

04 けさみれば露のすがるに折れふして起きもあがらぬ女郎花かな 
           (岩波文庫山家集60P秋歌・新潮278番)

05 わづかなる庭の小草の白露をもとめて宿る秋の夜の月 
           (岩波文庫山家集62P秋歌・新潮304番)

○露のぼる

露が葉の末の方に下がることを、根から見ると上ったという風に
解釈できます。新潮版では「露の散る」とあります。

○蘆の若葉

イネ科の多年草で、水辺に群生する植物。蘆、芦、芦の文字を当て
ます。高さ約二メートル。根は漢方薬、茎は「すだれ」などに用い
られます。「あし」という言葉は忌み言葉ということで、「ヨシ」
とも言われます。
「難波の葦は伊勢の浜荻」という言葉もあります。
ヨシ、ハマオギ、ナニワグサなどは蘆の別名です。
津の国と葦はセットになっているとも思えるほどに多く詠まれて
います。
この歌では「蘆の若葉」と「秋」の組み合わせに違和感を覚えます。
蘆も青々と茂るのは春から夏ですから、秋口になっての「若葉」は
ありえないようにも思います。
あるいは誤写があるのかもしれません。

○難波江の浦

淀川と大和川に囲まれて大阪湾に面していた一帯を難波といい、
そこの海辺を難波江と言います。     

○をじか伏す

牡鹿が伏していること。

○萩咲く

多年草または落葉低木で、いくつかの種類があります。
マメ科萩属の総称です。秋の七草の一つでもあり、秋に蝶々に
似たピンク色や白色の小さな花をつけます。
萩の西行歌は20首あります。
多くは「露」や「鹿」の言葉と共に詠み込まれ、また萩の「上葉」
「下葉」という形で詠まれた歌も多くあります。

○荻の上風

イネ科の大形多年草。湿地に群生。高さ約二メートル。ススキに
似るが、より豪壮。葉は扁平な線形。秋に銀白色・穂状の花序を
つける。」
                (日本語大辞典から抜粋)
 
 草の名もところによりてかはるなり難波の芦は伊勢の浜荻
                      (つくば集)

オギとアシの区別は難しい。アシの茎は中空、葉は下からほぼ
均等に開き、花時の穂は紫褐色をおびているのに対し、オギの
茎は中空でなく、葉は下方寄りに出て、穂は真っ白であること。
ススキの仲間だが、ススキは株立ちになるし、小穂から長い芒
(のぎ)が出る。
          (朝日新聞社刊「草木花歳時記」を参考)

薄に似た感じもするが、葉が大きく広く、下部はサヤとなって
棹(かん)をつける。万葉集にもよまれているが、平安時代にも、
その大きな葉に風を感じ、その葉ずれによって秋を知るという
把握が多かった。
いずれにせよ、荻は風に関連してよまれることが圧倒的に多い。
        (片桐洋一氏著「歌枕歌ことば辞典」を参考) 

○宮城野の原

宮城野は仙台平野を指しています。この平野はとても広いもので
あり、一度、旅の途中に立ち寄って見ただけですが、京都の
平野部よりは広いと感じました。
「名取を越せば宮城野よ」という言葉もあったらしくて、その通り
だと思いました。

みちのくを代表する歌枕として、平安時代の歌人達には、あこ
がれめいた思いが強くあったでしょう。京都からは余りにも遠い
場所ですが、「みやぎの」と口ずさむだけで、何かしらの憧憬が
あったものだろうと想像します。白河の関でも都からは遠いのに
宮城野はそれよりもかなりの奥になります。

詳しくは仙台市宮城野区の榴ヶ岡という丘陵部から見ての東部の
平野部を指しています。榴ヶ岡は古来は躑躅の名所でしたが昨今は
桜で有名とのことです。ここは源頼朝との奥州合戦の時に藤原
泰衡が陣地を築いた場所でした。

宮城野と呼ばれる平野部に群生していた小萩は本荒「もとあら」の
小萩と言われていて、たくさんの歌に詠まれています。この本荒の
小萩が「宮城野萩」です。宮城野の原が宅地化されてしまった現在
では宮城野萩も自生種は殆ど姿を消したとの事です。

都名所絵図では「高台寺萩の花」として以下の記述があります。

 「西行法師、宮城野の萩を慈鎮和尚に奉りし、その萩いまに残り
 侍りしを、草庵にうつし侍りし。花の頃、その国の人きたり侍り
 しに、

 露けさややどもみやぎ野萩の花(宗祇)
 小萩ちれますほの小貝こさかづき(はせを)

この萩が青蓮院に残っていて、花の季節には咲いているそうですが、
西行が持ち帰った萩であるとは、にわかには信じられません。

○すがる 

「縋る」のこと。頼って、しがみつくこと。放されないように、
放さないように、しっかりとつかまること。
以下の歌にある「すがる」は鹿の異名です。

すがるふすこぐれが下の葛まきを吹きうらがへす秋の初風
      (岩波文庫山家集56P秋歌・新潮1013番・夫木抄)

○起きもあがらぬ

短夜を共に過ごして、夜明け方に帰っていく男との別れの悲しみに
打ちひしがれて起き上がることもできない女性ということを比喩的
に言います。

○女郎花

植物名。オミナエシ科の多年草。高さは1メートル程度。
夏から秋に淡黄色の小花を傘状にたくさんつけます。
秋の七草の一つです。オミナメシの別称もあります。

(01番歌の解釈)

「風に散る蘆の若葉の露に済みきった月が宿り、露と月とが秋の
訪れを思わせ、その趣を争っている難波江の浦であるよ。」
            (新潮日本古典集成山家集から抜粋)

(02番歌の解釈)

「牡鹿が臥床としている萩の咲き乱れる野辺の夕露を、僅かの間も
とどめることなく吹き散らしてゆく荻の上風よ。」
            (新潮日本古典集成山家集から抜粋)

(03番歌の解釈)

「秋風が吹き立った。ああ、宮城野の原ではどんなに草葉の
露がこぼれているのだろうか。」
               (和歌文学大系21から抜粋)

(04番歌の解釈)

「今朝見ると露がすがりつくように重く置いたために、女郎花は
折れ伏して起き上がれないようである。」
               (和歌文学大系21から抜粋)
          
(05番歌の解釈)

「庭の草にかすかに結んだ白露をわざわざ選んで秋の夜の
月は宿っている。」
               (和歌文学大系21から抜粋)

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06 よもすがら妻こひかねて鳴く鹿の涙や野邊のつゆとなるらむ  
           (岩波文庫山家集68P秋歌・新潮431番)

07 ながむれば袖にも露ぞこぼれける外面の小田の秋の夕暮
           (岩波文庫山家集63P秋歌・新潮464番)

08 あはれ知る涙の露ぞこぼれける草のいほりをむすぶちぎりは
           (岩波文庫山家集188P雑歌・新潮911番)

09 くさまくら旅なる袖におく露を都の人や夢にみるらむ
          (岩波文庫山家集109P羈旅歌・新潮1099番)

10 草の葉にあらぬ袂ももの思へば袖に露おく秋の夕ぐれ
           (岩波文庫山家集160P恋歌・新潮1299番)

○よもすがら

一晩中。夜通しのこと。

○外面の小田

「外面=そつおも」の変化した言葉で「そとも」と読みます。
後ろ側、背面、北側などを指すと同時に、外側、家の外、外周
などを意味します。
「外面の小田」は住いの外にある田のこと。

○むすぶちぎりは

他者との約束ごとではなくて、自身が感じているだけのことではある
けど、自身の意志を越えて、逆らいようもない天命的な約束事がある
ということ。

○袖におく露

衣類の袖に溜まる露ということで、たくさんの涙を言います。

○草の葉にあらぬ袂

衣類の袂は露が溜まる草の葉とは違うけど…露が溜まったように
濡れているということ。

(06番歌の解釈)

「妻恋しさに堪えられず一晩中鳴いている鹿の涙が野辺の露と
なったのだろうか。」
               (和歌文学大系21から抜粋)

(07番歌の解釈)

「外面に田があるので、秋の夕暮には庵を出なくても物思いに
耽ってしまう。田の稲に露がこぼれ落ちるのと同じ位は、私の
袖も寂しくて涙に濡れる。」
               (和歌文学大系21から抜粋)

(08番歌の解釈)

「山里の和歌的風情が感得されると、うれしくて涙がとまらない。
草葺きなので露はぼたぼた落ちてくるし、今にも音を立てて崩れ
そうだが、ここに住むのが私の因縁だった、と和歌が教えて
くれたのだ。」
               (和歌文学大系21から抜粋)
          
(09番歌の解釈)

「旅空にある自分の袖に置く露……都を懐かしんでこぼす涙……を、
自分の思いが通って、都の人には夢に見えることだろう。」
            (新潮日本古典集成山家集から抜粋)

(10番歌の解釈)

「露の置く草の葉末ではない袂なのに、もの思いをすると、袖に
露が置いたように涙でしとどに濡れる秋の夕暮れであるよ。」
            (新潮日本古典集成山家集から抜粋)

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11 なつかしき君が心の色をいかで露もちらさで袖につつまむ
          (岩波文庫山家集162P恋歌・新潮1322番)

12 あきの夜に聲も惜しまず鳴く虫を露まどろまず聞きあかすかな
           (岩波文庫山家集64P秋歌・新潮452番)

13 人はうし歎はつゆもなぐさまずこはさはいかにすべき心ぞ
           (岩波文庫山家集153P恋歌・新潮682番・
                 西行上人集・山家心中集)

14 ながらへむと思ふ心ぞつゆもなきいとふにだにも足らぬうき身は
           (岩波文庫山家集191P雑歌・新潮718番)

15 言の葉の霜がれにしに思ひにき露のなさけもかからましかば
          (岩波文庫山家集159P恋歌・新潮1286番)

○心の色

心の状態のこと。感情のこと。

○露まどろまず

少しも眠らないこと。徹夜で虫の声を聞いている状態。

○人はうし

この歌は恋歌ですから、ここでいう「うし」は人間全般を指して
そのありようを言っているのではなくて、ある特定の個人の心情を
言っています。人を「うし」言いながら、同時にその反照として
自身の心情も「うし」と言っているものでしょう。

○こはさは

そうしたらこれは一体どうしたら良いのだろう?ということ。

○言の葉の霜がれにし

言葉に誠意や熱意が失われているということ。
冷淡になったということを表しています。

(11番歌の解釈)

「美しい露のように慕わしく思われるあなたの心の色を、袖に
涙を包むごとく少しも散らすことなく、何とかして包み込み
たいものだなあ。」
           (新潮日本古典集成山家集から抜粋)

(12番歌の解釈)

「秋の長い夜に惜しみなく美しい声の限りを尽くす虫の音を、
私は一睡もしないで聞き明かしてしまった。」
               (和歌文学大系21から抜粋)

(13番歌の解釈)

「あなたはつれない。それを嘆いてみても少しも慰めにならない。
それならこの私の心を、さてどうしたらいいのだろう。」
               (和歌文学大系21から抜粋)
          
(14番歌の解釈)

「生き永らえようなどと思う心は少しもない。現世を厭うことに
さえ耐え得ない憂き我が身は。思い出す自分の過去は何事も恥ず
かしく思われるので、生きていることのもの憂く思われるこの
世であることよ。」
           (新潮日本古典集成山家集から抜粋)

(15番歌の解釈)

「あなたからの音信が、霜枯れの葉のように離れ離れになって
しまったことで思いました。あなたの露ばかりの情けもこの
ようであろうと。」
           (新潮日本古典集成山家集から抜粋)

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