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 つ〜つゆ  つゆ〜つる


            「露+命」・露草・鶴・みな鶴・鶴の林
 
【「露+命」】

短くはかないこと、消えてしまう存在であることから人の命を
露に見立てています。常套的な比喩表現です。

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01 はかなしやあだに命の露消えて野べに我身の送りおかれむ
           (岩波文庫山家集193P雑歌・新潮764番・
             新古今集・新続古今集・西行物語)

02 あだに散る木葉につけて思ふかな風さそふめる露の命を
          (岩波文庫山家集200P哀傷歌・新潮925番)

03 のへの露草のはことにすかれるは世にある人のいのちなりけり
                      (松屋本山家集)

     秋頃、風わづらひける人を訪ひたりける返りごとに

04 消えぬべき露の命も君がとふことの葉にこそおきゐられけれ
 (作者不詳歌)(岩波文庫山家集199P哀傷歌・新潮920番・覚綱集)

○送りおかれむ

死者の遺体を葬送地に持って行って埋葬すること。
自身の死後のことを詠んでいます。

○風さそふめる

自然現象としての「風」と病気の「風邪」を掛け合わせています。
当時から「風邪」という言葉があり、そして風邪は命を脅かす病気
であったことが分かります。

○風わづらひ

風邪を引いたということ。

○消えぬべき

死亡する可能性を強く自覚していた表現です。

○おきゐられけれ

起きて居ること。病臥していて命の危険もあったけど、床上げして
起きて生活できるようになったということ。

(01番歌の解釈)

「はかないことだよ。命は野辺に置く露のように消え、自分の
亡骸は野辺に送り置くことになるだろう。」
            (新潮日本古典集成山家集より抜粋) 

(02番歌の解釈)

「風にさそわれてはかなく散る木の葉につけて思うことである。
同じように風が誘って散らす露のごとく、風邪のためはかなく
なろうとする命を。」
               (和歌文学大系21から抜粋)

(03番歌の解釈)

「野辺の露がどの草の葉にもすがりついている有様は、この世に
生きている人の命を表しているのだったよ。」
                (和歌文学大系21から抜粋)  

(04番歌の解釈)

「本当に死にそうでした。でもあなたが言葉をかけて下さった
おかげでもう元気です。」
               (和歌文学大系21から抜粋)

「04番歌と覚綱集」

04番歌は誰の詠歌かわかっていません。「覚綱集」にありますので、
覚綱の歌の可能性はあります。しかし山家集にも覚綱の名前はなく、
覚綱と西行の交流は認められていません。
覚綱は生没年不詳ですが、出自は藤原氏で天台僧です。
賀茂重保の「寿永百首歌」の作者の一人でもありますし、また、
俊恵との交流があったということが分かっていますので西行とも
面識があったということ、および覚綱の風邪見舞いに行った可能性も
否定はできません。

04番歌の詞書は覚綱集では以下のようになっています。

 わづらひ侍しころ、ある官ばらより、御とぷらひのありしかば(覚綱集)
                      
 秋頃、風わづらひける人を訪ひたりける返りごとに (山家集)

もちろん西行自身は「宮ばら」「官ばら」などではありませんし、
官職にも就いていませんから、覚綱集を信じるならば04番歌は西行に
宛てたものではないと解釈されます。
仮に04番歌が西行との贈答の歌でないのであれば、同時に04番歌の
返しとしての下の西行歌も西行の詠ではない可能性もあります。
ともかく「覚綱集」記載の「官ばら」という文言によって、この
贈答歌は他者詠が山家集に混入したという疑念を強く持たせます。

 吹き過ぐる風しやみなばたのもしき秋の野もせのつゆの白玉
          (岩波文庫山家集199P哀傷歌・新潮921番)

【露草】
    
ツユクサ科の一年草を言います。夏頃から秋にかけて開花している
のを山地や路傍でよく見かけます。小型の花が一個ずつ付いています。
花弁は三枚ですが、団扇型をした上側の二枚だけが青色で、この
二枚の花弁が青色の染料として用いられてきました。しかしすぐに
退色しました。
花は夜明け頃には開いて昼頃にはしぼむという半日花で、いかにも
はかなくて、その意味でも露草という名にふさわしい気もします。

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01 うつり行く色をばしらず言の葉の名さへあだなる露草の花
       (岩波文庫山家集61P秋歌・新潮1027番・夫木抄) 

○うつり行く色

露草の花は染色に用いられてきましたが、色がすぐに褪せてしまい
ます。その褪せやすいことが、人の気持ちの移ろいやすいこと、
変りやすいことの比喩として用いられています。

○言の葉

直接的には「露草」という花の名前を言います。
恋愛において互いに交わした約束事めいた言葉をも含ませています。

○あだなる

はかないことを象徴する「露草」という言葉自体が、好ましいもの
ではないということ。

(01番歌の解釈)

「染色が褪せやすいのはともかく、露草に託して愛を誓っても、
はかない「露」の語を持つだけに、愛もはかなくて、露草の
評判は散々である。」
                (和歌文学大系21から抜粋)

【鶴】

タンチョウツル・ナベツル・マナヅルなど世界に15種ほどあるツル科
の鳥の総称です。
種類によって大小がありますが大きいものは全長150センチです。
頸と足と嘴が長く、湿地や平原に棲んで、食性は雑食性です。
一部を除いて渡り鳥とのことです。

【みな鶴】

岩波文庫本では「みな鶴」ですが、新潮版では「まな鶴」となって
います。「みな鶴」はおかしいので、「まな鶴」の誤写でしょう。
「まな鶴」は背と腹が灰色で足は暗赤色の大型の鶴です。
アジア北東部で繁殖して、日本には越冬のために飛来します。越冬地
として鹿児島県出水市が知られています。

「夜の鶴」と「たづ」は、205号「平清宗・平宗盛・平清子」と、
212号「たづ」に記述済みですが再掲します。

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01 澤べより巣立ちはじむる鶴の子は松の枝にやうつりそむらむ
    (岩波文庫山家集142P賀歌・新潮1174番・御裳濯河歌合)

02 みな鶴は澤の氷のかがみにて千歳の影をもてやなすらむ
           (岩波文庫山家集167P雑歌・新潮1433番)
    
○うつりそむらむ

(うつりそむらん)は新潮版では(移り初むらん)、和歌文学大系21では
(移り住むらん)としています。
どちらでも良いように思います。
常盤木である「松」や「巣立ち」という言葉に祝意を持たせています。

○千歳の影

千歳(ちとせ)はそのまま千年のことです。
平安時代でも「鶴は千年、亀は万年」という長寿伝説が知られて
いたことが分かります。

○もてやなすらむ

(もてやなすらむ)を(持っている)の形で解釈すると「氷のかがみ」の
意味がなくなってしまいます。
従ってここは千年生きたことを客観視して、自身で自身を称賛する
というほどの意味になります。自分を(もてはやす)ということです。

(01番歌の解釈)

「沢辺から巣立った鶴の幼鳥は、皇室に千歳の栄華を予祝するために
松の枝に移り住むのであろう。」
                (和歌文学大系21から抜粋)

(02番歌の解釈)

「真鶴は沢辺に張った氷を鏡に使って、千年もの歳月を生き抜いた
自分の姿を惚れ惚れと見るのだろうか。」
                (和歌文学大系21から抜粋)

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     八嶋内府、鎌倉にむかへられて、京へまた送られ給ひ
     けり。武士の、母のことはさることにて、右衞門督の
     ことを思ふにぞとて、泣き給ひけると聞きて

01 夜の鶴の都のうちを出でであれなこのおもひにはまどはざらまし
     (岩波文庫山家集185P雑歌・新潮欠番・西行上人集)

02 むれ立ちて雲井にたづの聲すなり君が千年や空にみゆらむ
          (岩波文庫山家集142P賀歌・新潮1173番)

03 澤の面にふせたるたづの一聲におどろかされてちどり鳴くなり
          (岩波文庫山家集171P雑歌・新潮1543番)    

○八嶋内府

平宗盛のことです。1147年〜1185年。39歳で没。
清盛の三男で母は平時子。兄弟に重盛、重衡、徳子などがいます。
重盛は清盛の嫡男として清盛の専横をいさめた人でもありますし、
重衡は興福寺や東大寺を焼いた武将。徳子は高倉天皇のもとに入内
して第81代安徳天皇の母となります。
清盛が1181年に没後、宗盛は平氏の家督を継ぎました。一族を率いる
人でありながら暗愚な人であったようです。

壇ノ浦で捕えられた宗盛父子は義経に護送されて鎌倉に入ったのですが、
また京都に引き返すことになります。帰京途中に、宗盛と清宗親子は
近江の篠原で斬殺されました。1185年6月21日のことです。

内府とは内大臣の別称です。宗盛は1182年に内大臣になりました。
1番歌は1185年6月21日以降に詠われた歌であり、西行最晩年の伊勢
時代以降の歌とみてよく、作歌年代が特定できます。

○鎌倉にむかへられ

1185年5月、平宗盛らが罪人として鎌倉に護送されたことをいいます。

○武士の、母のこと

とても分かりにくいセンテンスです。もう少し具体的な記述がなけ
れば解釈は困難です。

○右衞門督

右衛門督は右衛門府の長官を指し、官の職掌名のことです。

ここでは平宗盛の子供の清宗のことです。父親の宗盛と同日に
近江(滋賀県)の篠原で処刑されました。15歳でした。
(平家物語は17歳としています。享年と満年齢の違いなのでしょう)
清宗の母は、西行とも親しかった平時忠の妹の清子です。

源平の争乱の時代に伊勢に居住していても、西行は都にいた歌人
達だけでなく、様々な人たちとの交流が続いていたことを思わせる
詞書の内容です。
いろんな情報が伊勢の西行の元に集まっていただろうと思います。

○夜の鶴

子供のことを思う親の気持ちの比喩表現といわれます。
白楽天の詩句「夜鶴憶子籠中鳴」から採られた言葉とのことです。
釈迦と関連する言葉である「鶴の林」とは関係ありません。

 夜の鶴都のうちにはなたれて子をこひつつもなきあかすかな
                  (高内侍 詞花集)

西行の歌は、詞花集の上記歌を踏まえてのものでしょう。

○雲井

大空のこと。雲のある場所のこと。はるかな遠方のこと。
転じて、内裏や宮中をも指す言葉です。

○たづ

「田鶴」と書き、歌の場合の「鶴」を指す言葉です。
普通に「鶴」とするよりは敬意を込めた表現です。寿命が長く縁起の
良いと思われていた鳥で、賀歌によく詠われています。

○君が千年

「鶴は千年、亀は万年」という言葉もすでに当時から知られて
いました。実際はともかく、長寿を象徴する生物ですし、賀歌
としてよく詠みこまれています。             

(01番歌の解釈)

「夜の鶴は都の内を出ないで欲しい。そうしたら亡き子の悲しみ
には迷わずには居られよう。」
       (渡部保氏著「西行山家集全注解」から抜粋)

「夜の鶴(親)は都(籠)の内を出てあれよ。そうしたらわが子
への愛情に迷わないであろう。」
              (和歌文学大系21から抜粋)

(02番歌の解釈)

「群れて飛び立った鶴の鳴く声が空に聞こえます。今上天皇の
千年の弥栄は最早自明のことでありましょう。」
               (和歌文学大系21から抜粋)

(03番歌の解釈)

「沢の面で、夜更けに鳴く鶴の一声に眠りを覚まされて、
千鳥が鳴いているよ。」
            (新潮日本古典集成山家集から抜粋)

【鶴の林】

仏教創始者の釈迦の臨終の場所にあった沙羅双樹の林のこと。
その沙羅双樹が釈迦死亡に合わせて、鶴の羽根のように白く変色
したためにこの名称があるとのことです。

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01 かすみにし鶴の林はなごりまでかつらのかげもくもるとを知れ
             (岩波文庫山家集240P聞書集106番) 

02 花さきし鶴の林のそのかみを吉野の山の雲に見しかな
          (岩波文庫山家集284P補遺・御裳濯河歌合) 

○かすみにし

釈迦入滅の悲哀そのものを「かすみにし」の言葉に込めています。
同時にどんなに時代が過ぎようと、その悲哀は続いているという
意味も持っていると思います。

○なごりまで

沙羅双樹の樹が白く変色した現象の影響が続いているということ。
釈迦の教えがいつまでも続いているということ。

○かつらのかげ

(かつら)は植物の(桂)のことですが、月にある伝説上の木
です。転じて、月光を指す言葉です。
日本のウサギのように、中国では月の中に大きな桂の樹があると
信じられていたようです。

○そのかみを

釈迦死亡に合わせて、沙羅双樹の林が鶴の羽根のように白く変色
した時代のことを言います。

(01番歌の解釈)
 
「煙でかすんでしまった鶴の林は、その名残として今夜まで月の
光も曇ると知って下さい。」
                (和歌文学大系21から抜粋)

(02番歌の解釈)

「吉野山に桜の花が咲いて、その奥の峯の花は雲のように見えるの
だが、花の咲いた紗羅林のその昔のこと(紗羅林が皆枯れて白鶴の
ようになった釈迦入滅の日のこと)を私は吉野の山の花の白雲に
ありがたく尊く思い見たことであった。」
         (渡部保氏著「山家集全注解」から抜粋)

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