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         も み の 木 歌 集   
                  2 0 0 3 年 度 
                   第三部


101  5/04
   「頑張りや」と声かけし子に抜かれつつ
          頂上制覇へ一歩進める


家族づれで登っている人も多かったのですが、中には、4歳児くらいの子どもも
いました。追い越したり追い抜かれたりしながらでしたが、こちらが負けそうなくらい
元気でした。

102  5/04
   鶯の鳴き声上手と呟きて
          せせらぎ渡れば山振り返る


103   5/12
   正面へ左右に1.4Kなり
          仁徳御陵の後ろの正面


堺市にある仁徳御陵は、周囲2.8Kあります。先日、用事があって自転車で半周しました。後ろの正面辺りに、右へ1.4K、左へ1.4Kという標識が立っています。

104
   新緑の吉野の山に咲く花は
          さくら茶さくらソフトクリーム

4月下旬、吉野へ行ったとき、柿の葉寿司、桜茶、桜ソフトクリームを食べてきました。

105
   不可解な廊下に敷かれし新聞に
          笑みこぼれたりツバメの巣見れば

吉野中千本にある竹林院の庭園を見ました。
竹林院の廊下は、ピカピカに磨かれていましたが、廊下に敷いてある
新聞が不可解でした。
飛んできたツバメを見て、やっと気がつきました。梁の上にツバメの巣がありました。
庭園には、安田章生氏が書かれた西行の歌碑

     吉野山こぞのしをりのみちかへてまだ見ぬかたのみちをたづねむ

百人一首九十三番  藤原雅経

     みよしのの山のあきかぜさよふけてふるさとさむくころもうつなり

の歌碑がありました。

106
   カキツバタ煌く色を慎みて
          晩春に藍携えて咲く

(か)きつばた(き)らめくいろを(つ)つしみて(ば)んしゅんにあい(た)ずさえてさく
無理に五文字を入れてしまいました。
Aさんが大田神社のカキツバタの画像をアップしてくださいました。
カキツバタの青は、清涼感があります。昔から多くの歌に詠まれてます。
折句【おりく】―言葉遊びのひとつ。五文字の言葉の各文字を各句の頭に置いて
歌を詠むこと。「かきつばた」を詠み込んだ在原業平の歌は有名。

    唐衣きつつなれにし妻しあればはるばるきぬる旅をしぞ思ふ   

107  5/16
   三夕の歌詠われし夕暮は
          異界の神秘に触れあふ刻なり 


上代の日本文学を読んでいると、「夕」についてこのように書かれていました。
古代では、昼は人間の時間、夜は人間ならざるものの時間だった。そこで、昼と夜の
あわいである「夕」が異界の神秘と触れあうことの出来る時間として選ばれた。(略)
三夕の秋の夕暮も、夕をその様にとらえれば、神秘的に感じてきます。

   見わたせば花も紅葉もなかりけり浦の苫屋の秋の夕暮れ   藤原定家
   心なき身にもあはれは知られけり鴫立つ沢の秋の夕暮れ   西行
   寂しさはその色としもなかりけり槙立つ山の秋の夕暮れ    寂連

108     
   「雨降ってよかったねえ」と誰か言ふ
           遠足順延決定後の空  


春の遠足が雨で二回延期になりました。順延決定の難しい時もあります。
順延と決った後、お天気になれば後悔しますが、雨になれば納得します。

109
   街路樹に桐の木一樹見つけたり
           薄紫の花咲きし日に    


通勤途上の木に、山藤のような薄紫の花が咲きました。桐の花です。
桐の木の存在を認識しました。
 
110  5/19   
   枇杷の実の枝が塀よりこぼれおり
            百労の塊まだ青くして  


通勤途上、今、真緑の枇杷の実がたわわになっています。まだ、とても硬そうです。
百労というのは、肩こりの首のツボです。肩がこると硬くなります。枇杷の実の
硬さと百労の硬さは全然違うのですが、関連づけてしまいました。自分自身が肩が
こってるせいだからだと思います。

111
   すれ違いに肩ふれあひし春おもふ
            サヤエンドウの味噌汁食めば   

サヤエンドウの青く若い香りには、そのような気持がします。

112 5/22
   悽惆
(せいちゅう)の意(こころ)を晴らす家持の
            和歌観なれど紅
(くれなゐ)にほふ

   春の苑紅にほふ桃の花下照る道に出で立つ少女(おとめ)  大伴家持

この紅にほふ少女も家持の幻想なのでしょうか?

113
   八雲立つ出雲の国に新しき
            八重垣つくり吾子は住むなり
 

島根に転勤になりました。因幡へは家持も赴任しています。
遊びに行く楽しみが増えました。

114
   自転車の懐中電灯の薄明かりに
            今日の日浮び通り過ぎ行く 


会議があって残業になりました。駅までは自転車、今日も終わりです。

115 5/26
   睡蓮はモネというけど氷室にも
            西洋睡蓮赤く咲くなり      


Aさんが勧修寺・氷室の池の睡蓮の画像を載せてくださいました。
サイトで見ると、氷室池の睡蓮も西洋睡蓮と書かれてありました。

116
   草萌ゆる河川敷行く父子連れ
            虫あみ担ぎ何をか話して    
  

鉄橋を渡るとき電車から見ると、広い大和川河川を歩いていく
父子連れ(多分)を見ました。

117
   家持の春愁三首うら(裏)悲し
            表からでは見えない「ゆううつ」 


大伴家持の春愁三首

       春の野に霞たなびきうら悲しこの夕かげに鶯鳴くも
       わが屋戸のいささ群竹吹く風の音のかそけきこの夕べかも
       うらうらに照れる春日に雲雀あがり情(こころ)悲しも独りし思へば

万葉集の屈指の名歌として知られる「春愁三首」ですが、この歌を一番初めに
評価したのは、窪田空穂だそうです。
「それはおそらく近代人の普遍的な感性につよく訴えるものを持っているからで
あろう。家持の憂鬱は現代人の孤独に通じる、とする批評もある。」
と多田一臣氏は書かれています。外には現われない内面の憂鬱です。

118  5/31
   ささやきの声しか出ないわが咽に
           処方されたる金柑酒は甘し    


風邪をひいて声が出なくなりました。「声変わりの時期やねえ」とか
「今、カラオケ歌ったら低音のいい歌が歌えるよ」とか冗談を言う人もいますが、
さっそくお手製の金柑甘露煮と金柑酒を持ってきてくれた人がありました。
特に気持的には十分効きました。

119
   「狼の声になった」と言ふ我に
           百パーセントは笑わない子等 
   

「えーっ、声がちがうわ」という子ども達に、「狼の声になったのよ」と低音の
嗄れた声で言うと、怪訝な顔つきで聞いています。数パーセントはそうかも
しれないと思っているのでしょうか。

120
   見返りの謂われを聞けば直視して
           賛美して見む思い出なども    


先日、中西進先生の万葉集の講義を聴かせていただく機会がありました。
その中で「背向く」という言葉が出てきたとき、余談ですが、「見返りの美人」は
なぜ美人か?という話になりました。「こわいほど美しい」という言葉がありますが、
日本では美は怖さと関係があるようです。あるサイトに、「呪咀の美」か「直視の聖」
ということで書かれてありました。
下記のとおりです。

さて、それでは「振り返って見る」とは何なのか? 先の対象を正視することとは全く
逆であることから、それは呪咀を指すのではないだろうか。前述のイザナギ神も
ギリシャ神話のオルフェウスも黄泉国の妻を取り戻すことに失敗したのは
「振り返って見てしまった」ことによるのである。「そむく」とは「背を向ける」と書き、
もとは不吉な意味があることがわかるが、「見返り」はその上に「見る」のであるから
二重に呪咀しているといえよう。
(中略) いっぽう、日本では「呪咀」はやがて「美」となっていく。有名な菱川師宣の
「見返り美人」はその肢体の艶かしさもさることながら、その中に「美」をも見ている。

121 6/01
   天界より光の花束贈られて
          戸惑い受くる台風一過に 
 

5月に本土直撃の台風というのも珍しいのではないでしょうか。31日の朝は雲間
から澄みきった青空がのぞき、粉塵が飛ばされたせいか眩しい光が降り注いで
いました。

122
   「ももづたふ」辞世の歌が仮託なら

          祈りと思へり寂しき皇子
(みこ)への 

      ももづたふ磐余の池に鳴く鴨を今日のみ見てや雲隠りなむ 
                  大津の皇子
この歌は、「詩賦の興、大津より始れり」と評される大津の辞世の歌と思って
いましたが、ある本に「この一首は後人による仮託が有力である。大津の悲劇は、
死後ただちに物語化され、この一首はその過程で作られた可能性が高い〜」
と書かれてありました。そのような説もあるそうです。

123 6/03
   「食べへんとそのままの声やで」と咎められ
           御馳走いただくママゴトの子の


体調が悪くて、外遊びのできない4歳クラスの子どもを仕事をしながら看ていました。
机の上にままごとのキャベツ、人参、リンゴなどをたくさん並べ、風邪で声の
変わっている私に、「いっぱい食べへんかったらそのままの声やで」と勧めるので、
たくさんいただきました。

124
   手を伸べて「握手でバイバイ〜」の絶叫に
           母の代はりにひき返す我  


2歳クラスの部屋から出て行こうとすると、一人の男の子が、木の柵から手を出して、
「握手でバイバイバイ― ッ」と叫びます。振り返って、バイバイをして、また行こうとすると、絶叫します。ひき返して「握手でバイバイバイ、また後で、バイバイ」と握手して帰ってきました。

125
   朝毎の陽にいだかれしあの人が
           逝かれしことを昨日聞きをり    
    

家の近くにある公園に、お天気のいい日は、朝、時々一人のお年寄りが座って
おられました。通勤途上に通るので、挨拶だけは交していました。私のことは
どこの誰ともご存じなかったかもしれません。母が、その方は、先日亡くなられた
そうだと話していました。90歳を過ぎておられたようです。

126 6/5
   現世をひととき遁れ府民講座
           「大化の改新」聴きに行くなり


今週の土曜日に、府立図書館で 
「大化の改新の虚実」  講師 上田正昭氏(京都大学名誉教授)
がありますので、友人と行く予定です。

127
   紫陽花は好きではないと思ってた
          うつろぎやすきは時世に似ていて 
   

128
   平穏な一日終れり夕映えに
          飛び立ちかねつ鳥にしあらねば
   

129 6/09
   ヨーグルトの真白き海にスプーンで
          蓮華蜂蜜憩わす朝餉


友人からカスピ海ヨーグルトと天草の蓮華蜂蜜をいただきました。

130         
   会議延び古代史講座を欠席す
          現世の波高くうねりて   


一緒に出席する予定だった友人は会議が長引いて行くことが出来ず、
一人で行ってきました。

131
   公園の見知らぬ老女
(ひと)に挨拶す
          母に素直になれない分だけ     


歳をとると子どもにかえると言われますが、最近、わかるような気持がします。

132
   「日本国現報善悪霊異記」の
          景戒の危惧は今も変わらず


景戒が世相に対して深い危機意識を抱き、書かれたという説話集が「霊異記」ですが、
不安な世相は今も変わらずあります。         

133 6/11
   子にも似て母にも似てる地蔵尊
          拝む人にて七変化する


毎朝通勤途上で拝む六地蔵ですが、言うまでもないことですが、ふとそう思いました。

134
   四歳児に検査結果を報告す
          「お耳はちゃんと聴こえてました」


4、5歳児に、聴力検査機(オージオメーター)で検査をしました。
中には中耳炎の後遺症(滲出性中耳炎など)で耳が少し聞こえにくくなっている子が
あります。早く見つけないと言葉の発達にも影響します。4歳児は全員異常が
なかったのですが、クラスの先生は子ども達に、「みんなのお耳はちゃんと聴こえて
いるそうです。」と話していました。その言葉の中には皮肉が含まれています。

135
   雪柳の怖き白さは春ごとに
           過去完了の思い出告げる  


雪柳の時期ではありませんが、「見返りは呪詛」という話の中で、「怖いほど美しい」
という話が出ました。美しさと怖さは関連があるのかもしれないと考えたら、
こういう歌が出来ました。

136
   夕食の惣菜抱え乗る電車は
           背広の戦士も家路に向かふ
   

夕方、天王寺から少し贅沢に阪和ライナーに乗ってかえりました。喫煙車両の指定席
しかなく仕方なく乗ったのですが、背広姿の男性ばかりで、そういう感じでした。

137
   誰を待つでもなくいつも待つ老人
(ひと)あり
              
夕暮の駅に我も降りたつ

いつも夕刻、駅で壁にもたれて誰かを待っている風の老人に会います。 

138 6/19
   網走のわが身を映す鏡橋
           水面に紅き睡蓮が咲く  
          


約三十数年ぶりに、釧路、網走方面へ行ってきました。
原生花園にはハマナスやエゾキスゲが咲いていました。
網走監獄博物館へは初めて行ったのですが、もう一つの開拓史は印象に残りました。
今どこへ行っても、道東はルピナスが色とりどりに咲いていました。
博物館の前には、鏡橋という橋があるのですが、刑期を終えて出所していく人
たちが水面に自分の姿を映して見るということで、名づけられたそうです。
睡蓮が咲いていました。

139
   人が人を裁きし歴史の博物館
          その開拓史祈りて見るなり


140
   オホーツクの能取
(のとろ)岬の潮風は
          草を揺すりて子馬と遊ぶ


141
   蝦夷島の流刑の地なる網走に
          空に向かってルピナスが咲く


142 6/23
   山深く霧立ち昇る奥千本
          さみだれ白く西行庵あり

                         

昨日また、友人と吉野へ行ってきました。途中で雨になり谷間から霧が登ってきて、
足元がすべらないように、西行庵まで行ったのですが、緑に包まれた庵は寂しい
感じでした。
帰りは、紫陽花が色とりどりに咲いている山道を歩いて吉野駅まで降りてきました。
霧の歌で私の好きな歌に
万葉集卷第十五 3580
     君が行く海辺の宿に霧立たば吾が立ち嘆く息と知りませ
万葉集のお話を聞く機会があったのですが、
霧は息だと考えられていた。(嘆きの呼吸)
雲も雨に云うと書く。(これも呼吸音)
今は、メールもあり、携帯電話もありますが、「万葉集の頃は、お互いの別離の距離を埋めるものを探している」そう思えば、夢も霧も雲もまた違った意味があります。

143 6/28
   さみだれに蛙の合唱聴きながら
         庵に居られし西行像独り


雨の奥千本の道を歩いていると、蛙が2匹出てきました。大きな蛙でした。

144
   「階段を登れば駅です」と駆けて来て
         少女は追加す道問ひし我に  


6月26日河内長野市民交流センターで「南大阪子ども健康セミナー」がありました。
終わって駅までのバスの時間を見ると、1時間に1本くらいしかありません。
タクシーもありません。仕方なく約20分の距離を歩くことにしました。
夕方から会議なので急いでおり、時々、道を尋ねながら駆け足気味で駅へ向かった
のですが、途中で高校生くらいの女の子にまた道を尋ねました。信号を渡って右へ
行くといいと教えてくれたので、先に走って行ったのですが、次の道は小さな道でした。
それで、大分後ろにいた少女に振り返って、「この道でなく、あちらの道なの?」という
ように指をさすとうなずいてくれました。それから大分駆け足気味で行き、まっすぐの
道が終わりに近づき、もうすぐ駅だろうなあと思っていたとき、後ろから「あの―、
すみません。この道を出て、階段を上がったら駅ですから。」と言われたので振り
返ると、さっきの女の子でした。そして、駅ではない方向へ行かれました。

145
   食卓で心づかいを食べると言ふ
           子どもを育むビタミン愛とは  


6月28日、「ビタミン愛がいっぱいの食卓を囲んで」阿南泰子氏の研修を聴かせていた
だきました。長年保育所の調理員をされておられた方です。印象に残った言葉は、
・ 食物には凝縮した人間関係がある
・ 食物は、人の心くばり、人との関わり、愛情を食べているんだと思う
・ 食事によって、子どもは誇りやプライドを育てていく
(嫌いな物を食べれたらほめてあげる)
・ 字が読めない子ども達には、保育所ではそれぞれの子に、それぞれのマークを
決めていますが、野菜のマークで決めていて、新しい子が途中で入所してきたら、
今までいてる子のマークの野菜と新しく入ってきた子のマークの野菜を混ぜて、
皆で野菜炒めをして食べるとのこと。また、途中で退所していく場合も皆で野菜炒めを
作って食べてお別れをするとのこと
・ 家庭でも、美味しい料理を作っていると、ご主人や家族が早く帰ってくること
・ 料理屋の女将さんも、お客の好きな料理を覚えていて、その人が来ると、
その料理を一品出すとのこと
ビタミン愛の感じられるお話でした。

146 7/02
   早朝に携帯電話を取り出せば
                その夜想曲はテレビより出ずる    


147
   行き行けど終わりのない道山辺は
                 万葉人のアルカディアは遠く


148 7/07
   病室の真白き天井キャンバスに
          何を描けと我は言ふべき    
 

149
   笹竹を倒れぬように縛り付け
          七夕一夜宇宙を創る


今夜は、残念ながら曇っています。天の川は見えません。
    この夕(ゆうべ)降り来る雨は彦星の早漕ぐ船の櫂の散かも
            (万葉集卷10・2052)
7月6日の雨は彦星が7日に供えて、牛車を洗う洗車雨、7日は惜別の洒涙雨、
また急いで船を漕ぐ櫂のしぶき、七夕は想像を膨らませます。

150 7/9
   行間では読めないものあり宴の後
          追懐されたり枕草子は


清少納言の文芸作を綴った物が、「枕草子」であるが、この枕草子がまとめられた
頃は、定子サロンの栄華はもう終わっていた。清少納言はあくまでも明るく
書いているが・・・


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              以上、2003年07.09まで

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