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         も み の 木 歌 集   
                   2 0 0 5 年 度 
                   第 一 部

  
       2004年(4)  2004年(5)  2005年(2)


01  1/1
   いつの間にか初雪降りし大晦日
          新玉の年に祈りの雪降る

大晦日に初雪が降りました。関西地方も、一面真っ白になりました。
万葉集の最後を飾る家持の因幡の歌を思い出しました。

   新たしき年の始めの初春の今日降る雪のいや重け吉事  
            大伴家持 759年
(新しい年のはじめの、新春の今日をふりしきる雪のように、いっそう重なれ吉ことよ。)

春の歌をたくさん詠んでいる家持のこの歌には、春の訪れを待ち望んでいる様子が
窺われます。また、大伴氏の長としての決意も現われています。
新年の雪は豊穣のしるしと考えられていましたが、今年はよい年であって
欲しいと願っています。


02
   道端でちょっとはにかむ雪だるま
           大つごもりに燥(
はしゃ)ぐ声して

そういえば、雪が降った後、子ども達の喜ぶ声が聞こえていました。

03
   食卓に春呼ぶ赤い実を飾る
           もう咲きかけたグラジオラスと 

新しい魂を持つ新玉の年を迎えて、今年は赤い実の千両とピンクのグラジオラスを飾りま
した。
お正月休みが明けると、保育所でもお正月遊びをしますが、羽子板は厄を飛ばすとか、
門松は魔よけのためとか、調べて見るとそれぞれ意味があって面白いものです。  


04   1/08

   新春に大漁の旗なびかせて
           目出度くあれど閑かなる海


新春ハイキングがてらに、「泉州春木港」を歌った鳥羽一郎の記念歌碑を訪ねて
岸和田春木港へ行ってきました。歌碑の形は岸和田名物のだんじり、スクリュー型の
模様の所に歌詞が書かれていました。お正月の港は、舳先を並べた船が整列し
色とりどりの大漁旗がはためいていました。


05
   初詣こんなに願ふ人あらば
           平らかな日々叶はぬ筈なし

大鳥神社の境内は初詣で賑わっていました。

06
   松のうち兄弟の名を順に聞く
           グラジオラスは寛ぎ咲きて

いつか行く道なのかもしれませんが、年をとるということはこういうことなのかと思います。

07
   夜空より高く澄まれしもの想い
           憧れ歩く(
あくがれありく)冬のオリオン

「もの」について、「日本語のふしぎ」中西進著にこのように書かれています。
<「ものしずか」「もののけ」など、そこにあるのだけれども、これと指し示すことは
できないものを表すことばでしょう。「もの」とは、自然界も人間も含みこむ、
物であり霊である、存在の基本的なありかたを認める日本人の最も大切な
ターム(用語)でした。>


08                           
   子ども等の遊ぶ声して部屋ごとに
           香りやさしい水仙の花


玄関に保育室に事務所に保健室に洗面所に、いつも誰かの心を感じます。


09
  1/12
   店先の看板娘和泉式部に
            魅せられ百人連れ帰りたり


1月10日、橿原神宮、神武天皇陵にお参りして、今井町の街並みを訪ねてきました。
江戸時代にタイムスリップしたような歴史の残る町でした。今井町は、かつて
「大和の金は今井に七分」と言われたほどの在郷町。また「海の堺、陸の今井」
と言われ、堺と並び自治的特権が認められていた商業都市です。堺の豪商
今井宗久の出身地でもあります。
今井町で、ふと立寄ったお土産売り場で、明治時代に作られた百人一首を見つけました。
百人一首の看板娘役は2番の持統天皇ですが、今回は和泉式部でした。

10

   幻影と思ふ町なり今井町
            格子の中に栄華は眠る


今なお、町全体が戦国時代にできた寺内町の歴史の重さをずっしりと感じさせています。

11

   かんざしの細工みたいな蝋梅の
            写真撮るなり青空に挿し


山茶花、寒桜、栃の実、南天の実、蝋梅
時折降る小雪の中であざやかでした。

12

   ぽろぽろと涙こぼして泣いたって?
            予防接種は意地悪じゃないよ

13

   わがわれの娘に世話になるような
            錯覚がありわが孫見れば  

なんとなく私にも似ている孫の顔を見ていると、私が娘の世話になっているような感じになります

14  1/17

   近付けば灯りを点す街灯に
          「ありがと〜う」思わず呟く 


通るたびにぱっと明るくなる街灯に気付いたのは何回も通ってからでした。
初めは錯覚かと思いました。

15

   改札を通って振り向く街がある
           あの日に戻る切符ください

16

   木枯らしの吹く夕暮は寒鰤と
           大根コトコトやわらかに煮る


今、鰤も大根も美味しいです。

17

   新春の山橘のカレンダー
            雪消残
(ゆきけのこ)りて赤い実が照る

大伴家持の秀歌に(七百五十年 三十三歳の時に詠まれた)

    この雪の消残(けのこ)る時にいざ行かな山橘の実の照るも見む

 (この雪がまだらに残る時に、さあ行こうではないか。山橘の実が輝くのも見よう。)
という歌があります。今、わが家にかけてあるカレンダーを見るたびに、多分このような
情景だったのかと思いながら見ています。


18  1/21

   大寒の夕暮の道今日もまた
            ゴミ拾い行く老婆を見つめる

夕方、職場から自転車で駅に向かう途中、腰がひどく曲がり小さな車を杖代わりに
してほとんど直角の前かがみになって歩いているお婆さんによく出会います。
道路の右端を通り、手に届く範囲で落ちているゴミや缶を拾い、押している手車の
中に入れて歩いて行かれます。お婆さん自身の健康状態の方が心配なくらいの
様子なのですが、寒い今日も出会いました。先日、曲がった腰のせいで背中が
服から出てしまっていて、これでは寒いだろうなあと思いました。どんな生活を
されている人なのだろう。家人は居られるのだろうか?寒く暗い夕暮にこのように
出歩いて、誰も止めないのだろうか?暖かい服を買うことも出来ない人なの
だろうか?今度会ったら、服を用意しておいて、失礼かもわからないけど貰って
もらおうかなどと考えていました。そしてまた、今日、夕闇の中で見かけました。
自転車で近づいて様子を見ると、今日は暖かそうな上着を背中も出さずに着て
おられました。私は、よかったとほっとしました。もし、今日も背中が出てたとしても、
また声をかけれずに通り過ぎたかもしれなかった私ですので、よけいにほっとしました。
でもこのお婆さんは、すごい方だなあと思います。人の為に自分のできる範囲で
誠意一杯役に立とうと生きる意義を見つけられているのだと思います。見ていると、
心の糧というのかなあと感じます。

19

   「泣いている」「笑ってる」時と送りくる
          画像と同じ顔して見てるよ


20  1/23

   「解決したっぽいですよ」と走りきて
           報告する娘
(こ)と役割担う

21

   花束とパソコン抱え帰る背に
           お疲れ様と大阪の街


22、23日は、天満橋にある大阪ドーンセンターで研究大会がありました。
今回、パワーポイントで発表する人が多く、その係を一緒に担当してくださったのは、
20歳半ばの若い娘さんでした。
特別講演 「保育行政の展望」厚生労働省雇用均等・児童家庭局保育課長
     「こどもの叫びを受け止めて、今大人がすべきこと」汐見稔幸先生
その他虐待のシンポジウムもありました。全国から保育所保健の関係者が来てくださり、
おかげ様で無事に終りました。壇上に飾ってあったお花は、皆で分け合って持って帰りま
した。

22

   何となく終る気配の発表に
           花添えなばと問ふこともあり


23日の午後の発表は全国の保育所から6件ありました。スムースに発表が終わり、
質問の時間がたっぷりあるにもかかわらず、質問が出ないというのは、活気がなく
寂しいものです。関心をもてば質問も出てきますし、質問をすれば盛り上がります。
サクラではありませんが、質問をすることも大切だと思います。

23  1/28

   自由という言の葉創りし人なのかと
           改めて見る一万円札

             
1月27日は、放送大学の「近代の日本文学」の単位認定試験がありました。
一万円札の福沢諭吉や五千円札の樋口一葉についても一夜漬けで勉強しました。
福沢諭吉については、「学問のすゝめ」を書いた人、くらいは知っていましたが、
具体的な業績は知りませんでした。
舶来の思想を漢語に置き換え、読み替えていく形で次々に西洋文明が翻訳され、
日本語のうちに取り込まれていったこと。「社会」や「自由」といった和製漢語を
創った人であること。
また、「学問のすゝめ」を紐解くと、「天は人の上に人を創らず〜」という冒頭からわずか
数頁先には、三十一文字(和歌のこと)を学ぶ暇があったら糠袋の縫い方を学べという、
一節が記されていることなど、初めて知りました。

24

   奇跡起こせし一年
(ひととせ)
       口惜しさか情念なのかと後の他人
(ひと)言ふ

「奇跡の十四カ月」という形容がしばしばなされます。一葉は明治29年に25歳の若さで
短い生涯を終えますが、病没する十四カ月前に「大つごもり」を発表したのをきっかけに
「にごりえ」「たけくらべ」を始めとする名作を次々と発表します。
一葉文学の真髄は、「口惜しさ」「理不尽」の感覚にあるといってよい、と言われます。
一葉の「につ記」二十五年六月〜八月の中から
 
我はじめより、かの人に心ゆるしたることもなく、はた恋し床(ゆか)しなど思ひつること、
かけてもなかりき……ある時は厭(いと)ひ、ある時はしたひ、よ所(そ)ながらもの語り
ききて胸とどろかし、まのわたり文を見て涙にむせび、心緒みだれ尽して迷夢いよいよ
闇(くら)かりしこと四十日にあまりぬ……忘るるひま一時も非(あら)ざりし

25

   陸橋を上ればビルの合間にて
          山の端上りし朝陽と出会う 

 
26

   ほのちゃんの声をきかすといふけれど
          懸命なれど息づかひだけ


27  2/3

   夕風と街の灯見つめ帰る道
             あまき鯛焼しっぽより食む


28

   見なくとも心に浮ぶ街だから
             通り過ぎたり明日は立春 


2月2日の夜、我孫子観音の近くを通りかかると、たくさんの人で賑わっていました。
「節分とは」と調べると、
<元来、節分とは「季節を分ける」ことから「節分」です。現在では節分といえば立春の
前日だけを指すようになりましたが、季節の始まりを示す立春、立夏、立秋、立冬の
前日はいずれも節分なのです。> と書かれていました。
私の好きな西行の歌です。

          春立つ日よみける
    何となく春になりぬと聞く日より心にかかるみ吉野の山     西行

29  2/12

   向き合えば無限の寛さとやさしさで
             語ってくれる青という色

30

   木と生きるフォーラムなれどその木より
             永遠なるはDNAと言ふ


2005.2.11 ビジット・ジャパン・キャンペーン<日本、「木の文化の国」へようこそ!>
フォーラムの主催は、日本「木造の世界遺産」市町村連絡協議会(奈良市、姫路市、
斑鳩町、吉野町)と国土交通省近畿運輸局。
世界遺産を守り、次の世代に引き継ぐ。観光をはかり、地域の活性化を図っていく。
という目的だそうです。大阪国際会議場でありました。
記念講演「木と生きる文化」  中西進先生 (奈良県立万葉文化館館長)
特別講演「山伏の姿と心」   中井教善住職(吉野・大峰山護持院喜蔵院住職)

<中西先生のお話のメモです>
植物と人間は同じ。人間の養分を取り入れるのは歯。植物の葉も同じである。
儚いのは植物、永遠なのは人間。枯れても永遠なのは人間。
人間は、骨髄のDNAで受け継がれていく。
ライブインデックス(生命の指標)という考え方―自分と同じ木があの木だと思う。
木が元気だと自分も元気。昔は、子どもが生まれたら木を植える習慣があった。

31

   目を瞑りて笙の声聴く敦煌は
            遥かなれども今甦る


1900年に敦煌で発見された古文書に書かれてあった音楽を再現したものを、古くは
中国の「詩経」に記されている楽器を復元したもので演奏をして聞かせていただきました。
排しょう+う+げんかん――――正倉院復元楽器

32

   「山伏の姿と心」の講演を
            聞けば装束登山グッズなり


山伏の姿のまま、吉野の山から電車に乗ってこられたとのことで、着ておられる装束を
説明しながらのお話でした。法螺貝を吹くのも、検定試験があるそうで、合格すれば
法螺師という資格が与えられるようです。山伏の装束はとても機能的で、山で遭難して
も、杖と腰の綱(かいのお)で担架を作って、急な斜面でも運ぶそうです。また、後に
ぶら下げている獣の皮(鹿の皮)は、引敷と呼ばれ座布団の役割をするそうで、文殊
菩薩が獅子に乗っている姿を表したものだそうです。

33

   ほのちゃんは賢くなったと報告あり
            服の上からおっぱいがわかる


34  2/17

   差し入れのダンボール紙は暖かく
           盲導犬憩ふ万葉講座        
 

先日、奈良佐保短期大学にある奈良放送大学センターへ「万葉集をよむ」という面接
授業に行ってきました。一番前の席の床に盲導犬が寝そべっていたのですが、休憩
時間にどなたかが床の上にダンボール紙を持ってきてくださって敷いてくれました。
そして、また次の休み時間には、その上に古着を敷いてくれていました。暖房は入って
いるのですが、如月の教室は、寒さが堪えます。

35

   近寄れば「仕事中」だと背負いたる
           健気な君は同じ学友


大きな盲導犬の背中には、「仕事中」と書いてある札がリュックサックのように背負われ
ています。同じ教室の方が、「君も同じ学友だからねえ」と言われて、一緒に記念撮影を
されていました。

36

   古の言葉足らずを付け足せば
           玉の緒ばかり君にふれたし


宮川久美先生の「万葉集をよむ」という講座で印象に残ったのは、「「玉の緒」です。
玉の緒と言えば、式子内親王の歌(百人一首89番)

   玉の緒よ絶えなば絶えねながらへば忍ぶることのよわりもぞする

の歌を思い浮かべます。
万葉集の歌では、「玉の緒」は、長いにつながる例が十数例あるとのことでした。

なかなかに人とあらずは桑子にもならましものを玉の緒ばかり(万葉集3086)

(中途半端に人間でいるくらいならいっそうのこと蚕にでもなりたい。短い期間でも。)
従来の国文学者は、この解釈のように、「玉の緒ばかり」を「短い間でも」と解釈している
場合が多いのですが、宮川先生の解釈は、この歌は、言葉足らずの歌で、「玉の緒
ばかり」の後には、「君に触れなむ」という言葉が隠されており、「いっそうのこと蚕にでも
なりたい。そうすればやがて糸となり玉を貫く緒となって彼女の肌に触れることができる
かもしれない。」という解釈になるのだそうです。玉の緒は、形態上、ネックレスのような
ものと考えれば、長いものだと思いますが、式子内親王の玉の緒は、魂(命)の緒という
ことで、時代によって、歌う人によって異なるのだなあと思いました。


37 2/27

   白鷺城めざして行けば新しき
           土塀の内に枝垂れ梅咲く

38

   正面の鏡にさやぐ群竹に
           振り返り見たり風の戯れ

姫路文学館は安藤忠雄氏の設計です。講座を聴きに行くのも楽しみですが、はっとさせ
られる設計にも興味を奪われます。
廊下を歩いていると、真正面に笹がさやいでいるのですが、よく見ればそれは鏡に
映ってる笹なのです。エッと振り返ると、後には同じありさまのガラス窓で笹がさやいで
いるのです。かくれんぼの鬼が後を振り向くような気持になり、見つけた!と思います。
意表をついています。

39

   夕映えに小芋とわけぎ家持の
           春愁の歌携え帰る         
     

絶唱三首といわれる家持の卷十九4290〜4292の講座でした。中西進先生は、
二つの絶唱と一つの絶唱とされるそうです。前の二つの歌は、興によりて詠われて
いますが、三首目はそうではなく、時の政情を憂い、訴えている歌とのことでした。

4292
      うらうらに照れる春日に雲雀あがり情(こころ)悲しも独りしおもへば   
                  大伴家持

帰りには、駅前の改札口前で地元の野菜が売られていて、小芋とわけぎを買って帰り
ました。わけぎを酢味噌和えにしたのですが、お味噌をあえるときに柚子茶を少し
入れると美味しくできました。

40

   息を呑む空間なれど居住区と
           いう名やすらぐ艦内を見る


Yさんが潜水艦に乗っておられる友人の面会に行かれるということで、一緒に行かせて
いただきました。まず初めに垂直の入り口から入るという試練があり、もう今生では
初めで最後だと思いました。
手作りのお弁当には、ピンク色のおにぎり(鮭・紫蘇・ちりめんじゃこ・漬物etc)に酢漬け
の生姜を花びらで散らせたもの、葉牛蒡の肉巻き、小芋などのお煮しめ、タラの芽や
わかさぎの天ぷら、出汁巻、サラダなどたくさんご馳走になりました。天ぷらは、冷えても
カリッと仕上がっているので、秘訣を尋ねると、コンスターチが入っているそうです。


41 3/07

   わが家にも机上に咲けり桃の花
         真幸く春が綻びてゆく     


古いお雛様は、数年前に和歌山加太港にある淡島神社へ納め、今年は、新しい
お雛様を購入しました。百人一首の頃の平安朝様式にしました。

42

   出汁巻きは根気が要るねとほお張れば
         眼が笑ってた そんなはずないよって 

美味しい出汁巻きをいただきました。
眼は芽、鼻は花、耳は実実(二つ)、歯は葉。
中西進先生のお話によると、植物と体のパーツの呼び方が同じなのは、
偶然なことではなく根拠のあることだそうです。先日、ある保健関係雑誌から
「自分で本を選んで書評を書いてください。」という依頼があり、保健関係の本と
いっても思いつかなかったので受けようか断ろうかと考えたのですが、僭越なこと
ですが、中西進先生のご著書「ひらがなでよめばわかる日本語のふしぎ」(小学館)
について書かせていただきました。体のパーツ、なぜこうよぶの?などは、
保健関係者にも興味のあることだと思います。

43

   どうしても思い入れある白という
          白楽天の白牡丹かな


「白楽天の詩と生涯」奈良女子大学文学部松尾良樹教授の講義を受講しました。
白楽天(白居易)は自分の名前にある白という字に特別な思い入れがあったそうです。

44  3/12

   ため息が多くなったと同僚に
         言われる春日は暮れそうで暮れない


そういえば、
暮れそうで暮れない 黄昏どきは 暮れそうで暮れない 黄昏どきは〜
という歌謡曲が昔ありました。
夕方、職場を出るとき、日が長くなったと感じるこの頃です。

45

   春霞大気たゆとう
(揺蕩ふ)巷野には
           その白眩しき鶺鴒遊ぶ 


いよいよ花粉症の時期も本格的になりました。最近、大気の中で喘ぐマスクをした
人々も珍しくなくなりました。花粉症グッズで対応をするという消極的なものではなく、
これからの子ども達のために、皆で環境汚染対策をもっと真剣に考えなければと
痛感します。

46  3/20

   梅便りと書けば梅田よりとなる
           変換違いの春霞かな


JR駅の梅だよりのポスターがいつの間にか桜だよりに変わっています。
春は霞、秋は霧。そして清少納言は春はあけぼのです。
先日、白楽天の「重題その三」香炉峰の雪は簾を撥げてみる
の説明を読んでいますと、清少納言は簾を巻上げましたが、この「撥(かか)げてみる」
は、巻上げることではなく、「簾をはらう」「簾をはじきのける」ことだと書かれていました。
立ち上がって簾を巻上げたのではなく、寝そべったままではじきのけたのであれば、
また詩のイメージが変わってきます。

47
   ヨーグルトの日付を見れば近づきぬ
           兔にも角にもハッピバスデー


月末の日曜日には日帰りで東京へ行く予定です。東京駅にあるレンタルルームで
数時間会議をして帰るだけなのですが、東京の空も見ないで帰るかもしれません。

48
   ハイジの服着せられたほのちゃんの
           写真に囁く「お疲れ様」

49  3/27

   春間近一雨ごとに膨める
            桜の枝の薄明かり見る


最近は、できるだけ仁徳御陵前の桜並木を歩いて通勤しています。

50

   桜咲き桜散りゆくその課程を
            今年も見つめる雪柳咲く


桜が咲いて散ってゆく様を無常ととらえることがありますが、いつも同じ視野にある
雪柳もそういえば同じです。


                  以上、  2005年3月27日まで

    2004年(4)   2004年(5)


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