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         も み の 木 歌 集   
                   2 0 0 5 年 度 
                   第 二 部

  
       2004年(4)  2004年(5)  2005年(1) 2005年(3)


51  3/27
   一歩ずつ気負わず歩けばいいんだと
            思う異動の春訪れる


異動の時期です。中西進先生の「ひらがなで読めばわかる日本語のふしぎ」を読んで
いると、「おもふ」については、このように書かれています。

「おもふ」の「おも」は「おもい(重い)」の「おも」と同じで、心の中に重いもの感じる
ことが「おもふ」です。「あの人を想う」といえば、ずしりと心に抱いた重みが下がってくる、
何となく、晴れやかでない気持をいいます。

52

   この時期の雨が好きだと雨の中
           訪れし人は春を告げたり 

             
一雨ごとに春が近づいてきます。

53

   如月の望月なりと見る月は
           さやけき姿で西に行くなり


2005年3月25日は、旧暦の2月16日(如月の望月の頃)でした。
西行が弘川寺で亡くなった命日です。

願わくは花のもとにて春死なむその如月の望月のころ   西行

54

   名も知らぬ赤きジュースをかき回し
           見知らぬ町で時間を溶かす
     

3月27日(日)は、東京で会議があり、東京での滞在時間6時間、往復の電車の時間
8時間で行ってきました。八重洲口の改札口を出てから地下街を約3分歩くと行ける
レンタルルームでの会議でした。11時からの会議ですのに9時30分には着いて
いました。歩き回ると迷子になるので、近くの喫茶店で時間を潰し、ブラッド
オレンジジュースという飲み物をオーダーすると、真赤なジュースがでてきました。
帰りも、会議が終るとすぐに帰って来ました。本当は、一度もんじゃ焼きを食べて
みたかったのですが、お土産にもんじゃ焼き煎餅を買ってきました。

55

   弘川の桜に酔いて行き行けば
          修験の道なり葛城の峰


4月3日は、西行縁の弘川寺で西行MLのオフ会がありました。
西行MLが始まって約5年、主催者のTさんを東京からお迎えし、鹿児島からは
Oさんも来られました。当日は、弘川寺は桜祭りで賑わっていました。ただ、残念な
ことに、桜はまだ咲き始めたところでした。桜山の西行庵跡には、下記の歌が
書かれていました。

  麓まで唐紅に見ゆるかなさかりしぐるる葛城の峰    西行
  訪ね来つる宿は木の葉に埋もれて煙を立つる弘川の里  西行

56

   朝(あした)より桜咲きしと見る枝の
           木の間に暮るる弘川の里


帰りの車を待つ間に、夕ぐれが近づいてきました。
さくら坂の河内小学校から見る弘川寺は木々の中です。昔と同じ風景かも
しれないと思いました。

57

   あやとりの橋は覚えているけれど
           あやとる心我は忘れし

今、保育所の4歳児クラスでよくあやとりをやっています。
「次、取って。」と言ってきます。「あや」とは美しさ。あやとりは永遠に美を創っていく
ものだそうです。夢を追いかけることと似ているなあと思います。
今、通勤経路にあるお寺の前の掲示板には、下記の句が書かれています。

春愁や眼鏡は球をふけば澄み    上村占魚

58  4/14

   奉る今年の花と語るかな
          西行塚に春訪
(おとの)ふて 

先日の朝日新聞の天声人語に、西行法師の墓前で詠まれた良寛の歌が載って
いました。

手折り来し花の色香はうすくともあはれみたまへ心ばかりは   良寛

この歌は、西行が詠んだ
   仏には桜の花をたてまつれわが後の世を人とぶらはば
の歌に応じた歌だそうです。
弘川寺の西行塚の前にもこの歌碑があります。
そして毎年のことですが、今年も西行塚の前には、桜の枝が供えられていました。

59

   これだけはと願うことあり桜花
          花びらひとつの念
(おも)いなれども 

今、通勤途上のお寺の掲示板には、この歌が書かれています。
    さまざまのこと思ひ出す桜かな   芭蕉

60

   一陣の春風吹かし帰りたり
          寝顔がわれに似てるという児は  

61  4/21

    光源は夕陽丘の夕日なり
          終日
(ひねもす)集めて浄土へ沈む

4月16日(土)に、大阪国際交流センターで小児保健関係の研修がありました。
小児感染症関係でしたが、思ったより出席者が少なく資料がたくさん余りました。
会場を出ると、眩しい夕陽と対面しました。「これが夕陽が丘の夕日なんだ」と思い
ました。四天王寺の西門が浄土へ近い門と聞きますが、夕陽が丘には、
藤原家隆(ふじわらのいえたか:1158〜1237)の歌碑があります。
新古今集の撰者として知られる鎌倉時代の歌人藤原家隆は、晩年この地に住み、

契りあれば難波の里にやどり来て浪の入日を拝みつる哉    

と詠んだことにちなんで付近一帯が夕陽山と名づけられ、やがて現在の地名に
なったものだといわれています。

62

   選挙にでも出るのとちがう?と息子訊く
          他人
(ひと)の仕事を持ち帰る春に

63

   野の花も見つつ行きたし
          性急に衣更えする万障の中

桜木は、もう緑色になりました。

うきよには留めおかじと春風の 散らすは花を惜しむなりけり
諸共にわれをも具して散りね花 浮世をいとふ心ある身ぞ
わきて見ん老木は花もあはれなり 今いくたびか春にあふべき    西行

月末には職場の同僚と緑の吉野へ行きます。
天武天皇・持統天皇・西行・後醍醐天皇・義経の吉野です。
今、通勤途上のお寺の掲示板に書かれてある蕪村の俳句です。
    昼舟に狂女のせたり春の水  


64  4/28

   野崎にて思ひもよらぬ人と遇ふ
            江口の君はここにも居ませり


4月24日、5歳の頃に「野崎小唄」(唄・東海林太郎)の日舞を踊ってから、
ン十年ぶりに、初めて野崎まいり(野崎観音・慈眼寺)に行ってきました。
かつらに簪、振袖を着て、日傘をさして踊りましたが、多分お染の姿
だったのだと思います。

野崎まいりは〜 屋形船で参ろう どこを向いても菜の花盛り 
粋な日傘に 蝶々がとまる〜 呼んでみようか〜 土手の人〜

行く前は、川の側にあるのだろうと思っていましたが、近くには川らしきものはなく、
土手もなく、山の上の観音様でした。思いもよらなかったのは、西行の江口の里
でも有名な江口の君が同じ境内にまつられていたことです。
「平安時代に、摂津江口の長者(江口の君)が難病治癒の御礼に
この野崎観音を現在の地に移し再興(真言宗説)」
江口の君の命日にあたる毎月14日の午前に、婦人病、子授けのやいと(お灸)があり、
婦人の参拝が多い。と書かれていました。
浄瑠璃で有名な、お染、久松塚もありました。
〜観音様をかこつけて 逢いに北やら南やら お染は思い久松の 
あとを慕うて 野崎村〜

65

   菜の花を見れば日傘と振袖の
            姿をさがす野崎まいりよ    
           

66

   わが子ならと思う若者ひと言も
            告げずに逝きし晴天の朝


発生当初、ブルーシートに寝かされた若者達を見ていると、生存者ならあのような
寝かせ方はしないだろうと思われる人達も見られました。わが子なら、親の気持なら、
と察することしか出来ませんが、これ以上の哀しみはないだろうと思います。
(ご冥福をお祈り致します。)
JRで通勤していますが、事故後の車掌さんの車内放送も、暗く、重たい感じに
聞こえました。

67

   春風といえども愛
(かな)し和(やわ)に吹け
            皆がみんな親の子なれば


68  5/01

   晩春の御山の奥なる隠れ堂
           見送るような山桜あり


4月29日、吉野の西行庵まで行ってきました。奥千本の金峰神社、
義経の隠れ堂近くに西行庵はあります。今年は、NHKドラマ「義経」の
影響で義経ブームですが、帰り道で立寄った竹林院の縁起抄のなかに、
〜源義経が逃げてきたとき頼朝より追討の書が当院(竹林院)に
送られてきた。〜
と書かれてありました。

 吉野山峰の白雪踏みわけて 入りにし人のあとぞ恋しき
 静や静しずのおだ巻きくり返し 昔を今になすよしもがな-----

と静御前は謡ったそうですが、奥・上千本には、数本の山桜が静かに
咲いていました。

69

   その昔花を尋ねて来し人の
            面影想ふみ吉野の山


吉野の西行庵の中には、まだ若い頃の西行像が座っています。
桜の終った吉野は、祭日とはいえ、人出もあまり多くはなく、駅前からバスを
乗り継いで奥千本までスムースに行くことが出来ました。帰りの下り道は
ハイキングです。吉野の水で作ったざる豆腐、油揚げ、そして採れたての筍を
お土産に買って帰り、筍ご飯を炊きました。

70  5/10

   逆光の傘の陰なる顔仰ぐ
           西行といふ像なる人の


5月4日、和泉市から父鬼へと山を登り、西行の七越の峰の歌碑を見て、和歌山の
粉河寺の粉河町、華岡青洲の里である那賀町、西行の出身地である打田町へ行って
きました。打田町には、二宮金次郎の像風(立ち姿で本を手にしている)の西行像が
建っています。紀ノ川沿い平野にあります。今は苺の時期でした。

71

   天上に咲く花といふ曼荼羅華 
           春林軒に降りし時あり


華岡青洲の里には、春林軒(医聖華岡青洲が開いた住居兼病院・医学校である)と
黒川紀章氏設計によるフラワーヒルミュージアムがあります。
春林軒という名前は、春の日を浴びて若い塾生が育つようにという願いもあったそう
です。
華岡青洲(1760〜1835)は、曼荼羅華の茎や根を精製し、世界で初めて全身麻酔薬
「通仙散」を完成させ、この「通仙散」の人的効果を試すために、妻や母に用いたという
話は、有吉佐和子氏の「華岡青洲の妻」にも書かれています。
曼荼羅華(マンダラゲ) という花を調べてみますと、仏教でいう、四華(しけ)の一つ
だそうです。白い朝顔のような花です。
『四華(しけ)―〔仏〕 法華経が説かれるとき、めでたいしるしとして天から降るという
四種の蓮華(れんげ)花。曼荼羅華(まんだらげ)(白花)・摩訶曼荼羅華(まかまんだらげ)
(大白花)・曼珠沙華(まんじゆしやげ)(赤花)・摩訶曼珠沙華(大赤花)。四種の花。』

72  5/15

   誰がために写真撮らるる歌を詠む 
            楽しきことかと無常の風吹く


写真を撮ること、歌を詠むこと、刹那刹那の景色・心情です。
「無常なのに」と考えることもできますが、「無常だから」と考えることもできます。

73

   名を聞けば山吹ですよと吉野路で
            告げられし花 真白き花なり    
  

先日吉野へ行ったとき、葛屋さんのお店の前に鉢植えの白い花がありました。
お店の方に尋ねると、一重の白い山吹でした。
中西進先生の4月の講座では、万葉集巻一・一の雄略天皇の長歌について、
お話がありました。

  籠もよ  み籠持ち  掘串持ち  この岳に
  菜摘ます児  家聞かな  名告らさね  そらみつ
  大和の国は  おしなべて  われこそ居れ
  しきなべて  われこそ座せ  われこそは  告らめ
  家をも名をも

   「告る」とは、厳かに言う。重大なことを言うこと。
   名を聞くというのは、プロポーズすること。
この歌は、河内王朝(応神天皇から始まる。応神天皇の息子が仁徳天皇)最後の
天皇である雄略天皇を主人公とするオペラの一歌である。他

74

   かきつばた大田の沢を染めるなり 
             ひとつ一つの心の色して 


学生時代のゼミの仲間三人で、葵祭りを2日後に控えた上賀茂神社とカキツバタで
有名な大田神社へ行ってきました。恩師の國枝利久先生には、藤原俊成についての
講義を聴かせていただきましたが、大田神社には、大田の沢を詠んだ俊成の歌が
書かれていました。光によって彩られる濃淡紫色のカキツバタが一面に咲き
ほこっていました。

神山や大田の沢のかきつばた ふかきたのみは色にみゆらむ  
       藤原俊成 1190年 五社百首より

昼食は、その名のとおり錦市場の八百屋さんの2階にある「やおやの二かい」
というお店屋さんで、新鮮な野菜料理の定食をいただきました。

75  5/21

   このところ携帯電話を羅針盤に
            街行く人あり青空のもと

快速電車の通過を待つ間、普通電車の座席に座って、ホームを行き交う人の
姿を見ていますと、携帯電話を片手に持ち、覗きながら歩いている人が多い、
と感じます。
そういえば、私もそういう姿の時もあります。毎日の生活の羅針盤でしょうか。
76

   白雲は風吹くままの形して
            残月のこし空翔けるなり

白い雲の中に同じく白い残月。雲の中に紛れ込んでしまっていますが、
白い雲だけ風に吹かれて移動しています。今、通勤途上にあるお寺の
前に書かれている句です。

朝顔に われは飯くう 男なり   芭蕉

下記は、5月15日発行の「保育と保健ニュース」(日本保育園保健協議会)の
中に載せていただいた私が書いた書評です(僭越なことですが)。
中西進先生のご著書について書かせていただきました。

「ひらがなでよめばわかる日本語のふしぎ」著者:中西 進 小学館 
                          2003年7月20日発行
奈良県立万葉文化館長でもある中西進先生は、全国の学校に出向いて
子どもたちに『万葉集』を中心とした古代の心の豊かさを伝える
「万葉みらい塾」を開催されています。「ひらがなでよめばわかる日本語のふしぎ」の
ご著書の中で、“体のパーツ、なぜこうよぶの?”“どうして命は尊いのだろう”など、
本来の「やまとことば」は自然界から生まれたことばであるということを読者に
わかりやすく面白く解説されています。その一部を抜粋させていただきますと、
「め」「はな」「みみ」と、ひらがなでよくよく見てみると、身近にある、何かと
似ていることがわかります。植物です。芽、花、実、すべてがある。目は
「芽が出る」の芽、鼻は「花が咲く」の花と同じ音。では耳はどうかというと、
「実がなる」の「み」が二つくっついている。そいえば、耳は二つありますね。
それから「は(歯)」は「葉」と同じ音でしょう。(体のパーツ、なぜこうよぶの?)
「からだ」は、「から」に接尾語の「だ」がついたことばです。(略)「み」は、
果実の実と発音が同じです。「からだ」が具体的な肉体を指すのに対し、
精神的で象徴的な存在を「み」とよぶのです。(み からだ て) 
日本語のことばに込められた心の深さに触れることができる感動を覚える著書です。

77  6/6

   終点に着くころなればもう起きよ
         イヤホーン被り夢みる若者     


78

佐用までいつか行こうと思わせる
         武蔵のポスターまだ青年なり


姫路駅のホームに、佐用行きの小さな電車が止まっているのをよく見かけます。
佐用には一度行ったことがありますが、またいつかあの電車に乗って武蔵ゆかりの
里へ行きたいなあと思いながら通り過ぎています。

79

   今年こそ行こうと思う蛍川
          幼き心預けたままの 


蛍の時期になると、今年こそは蛍を見に行きたいといつも思います。
今年度前期は、放送大学の「日本の古典―古代編」という科目をとっているのですが、
和泉式部和歌の特徴(主情的な表現)について書かれています。その中の蛍の歌です。

物思へば沢の蛍も我が身よりあくがれ出づる魂(たま)かとぞ思ふ   和泉式部

蛍の歌といえば「西行の研究」を書かれた窪田章一郎氏のお父さんである窪田空穂の
歌も印象深い歌です。
其の子等に捕へられむと母が魂蛍と成りて夜を来たるらし       窪田空穂

80                

   寸劇の主役はむし歯ミュータンス
         今日は悲しい六
(む)(し)歯予防デー 

むし歯予防デーには、寸劇と歯磨き指導をしました。むし歯ミュータンスにとっては
悲しい日かもしれません。

81  6/13

   幾人の人に告げしか心余り
            昨夜蛍を見てきたことを


ネットで蛍観賞のスポットを調べると、意外にも隣の市にありました。
岸和田市にある相川です。棚田には水が張られ、蛙が鳴き、アメンボウが水面を
歩いていました。蛍の観賞用の遊歩道も作られていて、まだ明るい午後5時過ぎ
頃から車が集まってきました。待つこと約3時間、午後8時前にやっと見えました。
水面を飛び交う蛍、3〜4mの高さを飛ぶ蛍もいました。昼間の蛍は川沿いの樹木に
いたのです。

82

   遊歩道に数多の人々集まりて
            蛍に学ぶ生きるということ
   
        
蛍についての看板を見ますと、蛍の命は、約1週間だそうです。
短い青春を謳歌する蛍。観賞している人々が、生き方を学んでいるのではないかと
思いました。

83

   水流れ稲田に雲の影映る 
            停まらなければ見えない世界

84

   蛙鳴き棚田に水が満ちていく
            玩具じゃないけど子どもに見せたい

85

   微笑みに余裕をみたりメール画像 
            やったねほのちゃん お座り制覇 

86  6/20

   生活感ないからいいと発見す
           サツキとメイのピンクのお屋根 


6月18日(土)、愛知万博へ行ってきました。既に4,5回来ている妹の話によれば、
今までにない人出とのこと。(やはり次の日の新聞には入場者は、17万人との
ことでした。)
AM11時前からPM9時までの11時間の見物でしたが、一斉に帰る人が混みあう
リニモ待ちなどで、名古屋市にある最寄の駅まで帰るのに約2時間かかりました。
これから、夏休みになり、まだまだ人出が多くなるかもしれませんが、見物をするに
あたっては、時々休憩をし、水分を十分に摂るなど、熱射病にならないような配慮が
必要だと思います。赤ちゃん連れの方もいましたが、帰りの電車の中では、
眠ったり、泣いたり、出来れば人混みは避けた方がいいと思いました。交通機関の
混雑する時間帯も避けたいものです。

87

   メキシコ館 ナワトル語の詩のメモをとる
           時空超えても変わらぬ思いの 


詩は、人の心を動かせます。ナワトル語(メキシコ)の詩を思わずメモしました。
パビリオンの中で、万博のテーマソング「ココロツタエ」の画面が出たのですが、
このような詩を誰が作詞したのだろうと思いながら聞いていると、最後に
「作詞作曲谷村新司」と出ました。
嗚呼生まれ 生きて 生かされて伝える  人は小さく されども熱き 命を歌う旅人〜
                           (ココロツタエより)
わしらはみなはかない存在だ
みんないつかは逝ってしまう
だから尊重しあわねばならない
だからこそ人生の酸いも甘いも味わい
大切にとっておかなければならない   (ナワトル語の詩)
 
88

   手から手へ托されてきた古文書に
           生命に似た炎を見たり


19日(日)は、徳川美術館と蓬左文庫へ行ってきました。源氏物語絵巻の展示も
あり、隣にある蓬左文庫では、河内本源氏物語(重要文化財)の模写ですが、
見ることができました。蓬左は、江戸代の名古屋の別称で、家康の死去、御三家と
いった息子たちに分譲された御譲本も含めて、尾張徳川家の蔵書は「蓬左文庫」と
命名されたそうです。
いつかまたゆっくり訪れたいと思いました。

89  6/26


   理不尽なことが多いと慰める
           言の葉もなし梅雨の紫陽花


90

   千姫の小道歩けば背を正し
           微動だにせぬ青鷺に遇う


姫路城の横にある川沿いに千姫の小道があります。遠回りして歩いてみました。
青鷺ではないかと思う一羽の鳥が、浅瀬の中に造られた像のようにじっと立って
いました。私もじっと見つめると、眼が少しだけ動きました。やはり像では
ありませんでした。

91

   今は亡きわが師の風雅聴く午後は
           白き梢に風渡るなり


私は、いろいろな引き出しをもっています。西行関係、百人一首関係、
風雅和歌集関係等々です。引き出しを整理していますと、平成11年頃に
聴かせていただいた恩師國枝利久先生のテープが残っていました。久しぶりに、
聴いていると、その頃の思い出までが蘇ってきました。

  花しろき梢のうえはのどかにてかすみのうちに風ぞふけぬる 
                  風雅和歌集206 京極為子
92

   北斎は夏富士なれど逆さ富士に
           雪かぶせたり瞼の富士に   

 田児の浦ゆうち出でて見れば真白にそ不尽の高嶺に雪は降りける 
     万葉集318 山部赤人

この歌の中で一番心に感じるのは、やはり「真白にそ」です。中西進先生の
お話によると、葛飾北斎の富士山の絵には、夏富士を描いているものも
あるそうですが、実景は、雪は描かれていないのに、水に映った逆さ富士には、
ちゃんと白い雪が描かれているとのことでした。
帰って、ネットで見ますと、お話の通りでした。
富士といえば、真白き富士が心に浮かびます。水の中に写っている富士山は、
心で見ている富士山なのだそうです。


93  7/07

   ポケットから帽子取り出し視線寄せ
           話すことあり日射病予防 

保育所では、もうすぐ水遊び・プール遊びの時期になります。炎天下の戸外
遊びには、帽子は欠かせません。日焼けは火傷の一種です。毎月、子どもたちに
お話をしてから保健ニュースを掲示板に貼ります。

94

   小雨降る地蔵仏に足早に
           挨拶済ませて宿泊保育

7月2日(土)、3日(日)は、宿泊保育でした。夜は、一時雨が止んだので、キャンプ
ファイアーをすることができました。キャンプファイアーの後、子ども達が背をむけて
花火をしている間に、ファイアーの燃えカスを、星の形にしておいて見せると、
ほんとうに空の星が降りてきたように思ったようでした。
次の朝、外へ出て見ると、星のあった場所には、黒い跡が残っているだけでした。

95

   トトロにも遇える気がする御陵前
           梔子の香が雨に広がる

96

   うすはりのワイングラスは呑むたびに
            今が刹那とわれに呟く

97

   百舌鳥という町を歩けば雨上がりに
            だから百舌鳥だと百舌鳥集いおり


雨上がり、仁徳御陵前の道を歩いていると、大仙公園の青々とした芝生に
百舌鳥が十数羽集まっていました。

98   7/14
   七夕の歌を知らない子ども等の
            未来の橋はと天の川見る

99

   学校のチャイム聞こえる我が家に
            子等は巣立ちて夏の風吹く


閨怨詩(けいえんし)の影響は、すでに初期万葉の歌にも見られるそうです。

  君待つとわが恋ひおればわが屋戸の簾動かし秋の風吹く 
             (万葉集 額田王)

夜相思 風吹窓簾動 言是所歓来  (中国・南朝の呉地方で歌われた民歌)

100

   しばらくはプールを楯に諭すこと
            大人の手なり今知らずとも


「○○ちゃん、そんなことしてたら、あしたプールに入れへんよ。」
最近、保育所の中では、こんな会話をよく聞きます。


         以上、  2005年7月14日まで

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