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         も み の 木 歌 集   
                  2 0 0 4 年 度 
                  第 五 部

  

          以上、2004年12月17日まで

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201 12/17

   山代の古墳の上を歩く朝
           わが足元から霧は上りて


山代双子塚古墳は、島根県最大、日本でも最大級の前方後方墳で、出雲国造の墓とも言われています。松江県立博物館へ行くと、寂蓮法師の歌集があり、出雲大社にお参りした時の歌が載っていました。    

 やはらくる光りや空にみちぬらん雲にわけ入ちきのかたそき   寂蓮法師
                            
202

   菜の花と五重塔と柿木は
           大和と同じ吉備の小春日


吉備路にある備中国分寺の五重塔は、大和の景色を見るようでした。
吉備といえば吉備真備を思い浮かべます。
吉備真備は、二度、唐に渡り幸運にも二度とも日本に戻って来られた奈良時代の大秀才です。学者から右大臣にまで出世したのは、近世以前では吉備真備と菅原道真です。
二度目に唐に渡ったときは、鑑真を伴って帰国されています。

203

   誰もいない厨で独り煮立っている
           吉備津の釜の託宣を聞く


吉備津彦神社の宮司さんにうかがいますと、桃太郎のモデルは吉備津彦命だということでした。近くにある吉備津神社には、400mもある回廊があり、鳴釜神事で有名な吉備津の釜がありました。

204

   朝靄のカーテンいくつもかき分けて
           青空広がる山陽へ行く


205  12/25

   十二月の空気響かすサン・サーンス
           机上の年賀も羽根を広げる 

206

   青春の彷徨う日々を過ごしたかも
           しれぬ街にて熱き蕎麦食む


先月は、どうしても都合がつかなくて万葉集の講座へは出席出来ませんでした。
今月は行くことが出来ました。あと何回、中西先生の講座を聞かせていただくことが
できるのだろうかと思います。姫路は、もしかしたら、私の二十歳前後を過ごす
ことになったかもしれない街です。白鷺城が街を見下ろして建っていました。
バスには乗らないで約30分の道のりを楽しんで歩きました。

207

   果されぬ「かぬ」は「かなし」「悲し」「哀し」と
           「愛しき」ことを知る人が言ふ  


「日本語のふしぎ」中西進著 小学館 を読んでいます。ことばの奥深い成り立ちを
感じます。その本の中から一部抜粋しました。

「かなし」ということばがあります。子に先立たれて悲しいなど、心が痛むことに
使われます。(略)「かなし」のもととなったことばは「かぬ」で、これは力が及ばなくて、
果すことが出来ないという意味。(略)ですから、絶望を表すことばが「かなし」ですが、
そこに悲しみを感じるとは、相手を愛しているからです。愛していないものに悲しいと
思うことはありませんね。「かなし」は、せつなる悲哀を示すことばです。そのため

「かなし」には、「悲し」「哀し」「愛し」などの漢字があてられます。


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