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         も み の 木 歌 集   
                  2 0 0 4 年 度 
                  第 四 部

          以上、2004年12月17日まで

  2003年(5)   2004年(1)  2004年(2)  2004年(3)


151
   醤油豆は醤油豆であるべきと
           あらためて思う醤油豆ソフト


醤油豆ソフトクリームは、薄茶色で、中には小さく潰した豆が入っていました。
好みは様々ですが。

152

   たくさんの感謝の思いと白菊に
           送られ逝きし義姉の待つ空


80歳になる義兄が亡くなりました。突然のことでした。
棺を送り出すとき、葬儀を進行されている方が、

ついに行く道とはかねて聞きしかど昨日今日とは思わざりしを 
と昔の歌にもあります。
と言われました。どこかで聞いた歌だと思いました。
この歌は、在原業平の辞世の歌です。

153

   秋空に碧き蜜柑に赤とんぼ
           深き天までひびく鉦の音  


斎場の側の小高い丘には、見上げると、蜜柑の木があり、赤とんぼが
たくさん飛んでいました。義兄の生家と同じ景色です。

154

   まだ有ると思わなかった風すさぶ
           船のデッキは満天の星


葬儀からの帰りは、松山観光港から大阪南港までフェリーで帰ってきました。
夜の港には、小倉行きのフェリーが停泊していました。
この港近くに昔の熟田津はあったのだなあと思いました。

巻第一 八
熟田津に船乗りせむと月待てば潮もかなひぬ今は漕ぎ出でな

中西先生のお話によると、
〜船出は満潮時、満潮時は潮が止まっているので準備しやすい。
潮が引きはじめた時に船出をする。当時の船の漕ぐ早さ3ノットくらい。
引き潮の速さは3.5ノット位であるから、6.5ノット(3+3.5)位の速さで行ける。
潮の満ち引きの変わり目は6時間毎であるから、熟田津から潮に乗って、
上関まで行って停泊し、また潮の流れを待ったのではないか。
上関まで約5kmあるが、潮の変わる6時間で行ってしまわないといけない。
そこから九州までは周防灘があり、佐婆の海と呼ばれている難所である。
そして長洲、宇佐まで行き、下関、娜大津(福岡)まで行く。〜
というお話を聴かせていただいたことがあります。

大阪南港行きのフェリーの甲板から見る星空はプラネタリウムに負けない位でした。
肉眼で見えるこんな空がまだ有るとは思いませんでした。

154
 9/19
   倒れても倒れても曳くだんじりの
           心にひびく鉦というもの      
      

岸和田祭りは9月14日・15日でした。知人の息子さんもだんじりを曳かれたのですが、
試験曳きの時とお祭りの当日とあわせて3回熱中症で病院へ運ばれて点滴を受けた
そうです。でも少し元気を取り戻すとまただんじりのところへ駆け戻るのだと
心配していました。

155

   あやとりの人形前で待ち合わせ
           人は往くなり糸も取らずに


奈良県立万葉文化館で「万葉の日」記念フォーラムがあります。
今年は、講師梅原猛氏 演題「万葉集と政治」です。
近鉄阿倍野橋駅構内にある「あやとり人形」前で待ち合わせて行きます。
いつもの待ち合わせ場所です。

156

   万葉集全巻リュックに詰め込んで
           家持講座は越中へ行く


万葉集の講座へ行くときは、単行本ですが4冊持って行きます。

卷第十八 4074
桜花今そ盛りと人は云えどわれはさぶしも君としあらねば   大伴池主
(桜は今こそ花盛りだと人は言いますが、わたしは寂しい。あなたと一緒ではないので。)

返し
卷第十八 4077
わが背子が古き垣内の桜花いまだ含めり一目見に来ね     大伴家持
(あなたの旧宅の垣根の中の桜の花は、まだつぼみです。一目見にいらっしゃい。)

157

   呪縛から逃れるように駆け抜けて
           辿り着けれど涙こぼるる


イザナギもオルペウスも後を振り向いて妻を失ってしまいます。
イザナギは号泣し、その涙から泣沢女の神を生みます。

158
 9/27
   万葉のフォーラムだから若き日の
          瞬時に永久
(とわ)を見しこと語る 

9月20日(祝)に、奈良県立万葉文化会館で万葉フォーラム「万葉と政治」
梅原猛氏の講演がありました。戦争に行くとき、万葉集を1冊持っていったこと。
初恋のお話もありました。恋は相手を理想化し、自分を成長さす。純粋な恋は
失敗する等。万葉の里のフォーラムだから、若き日の思い出を話されたのかも
しれません。

159

   明日香にて心に納めし萩の花
          うす紫にいにしえのまま


160

   亡き人の心の痛み語るなり
          水の底より歌が響きて


<梅原先生のお話の中より
柿本朝臣人麿の死(みまか)りし時、妻依羅娘子の作る歌二首

今日今日とわが待つ君は石川の貝に交じりてありといはずやも (卷二・二二四番)

直の逢ひは逢ひかつましじ石川に雲立ち渡れ見つつ偲はむ   (同 ・二二五番)

丹比真人柿本朝臣人麿の意に擬へて報ふる歌一首

荒波に寄りくる玉を枕に置きわれここにありと誰か告げなむ   (同 ・二二六番)

これらの歌を読んでいるとき、これは、人麿の死体が水底に沈み、妻が探し
あぐねているという風にしか解釈できないと思った。そうすれば人麿は刑死
したことになる。万葉集には、「人麿死す」と書かれている。人麿は、少なくとも
五位以上であった。「死す」と書かれるのは、身分の低い人である。これは
藤原氏のために流罪になり刑死したためではないか。>
中でも印象に残ったお話は
<万葉という言葉の中には永遠という、たとえ滅ぼされても永久に光り輝くと
いう意味を秘めている。人麿は刑死したが、その文学は永遠である。人麿の
鎮魂を考えたのは家持ではないだろうか。人麿、家持は政治的には藤原氏には
負けたが歌は永遠に残った。文学こそ、永遠の栄光であるという考えがある。>
何も言えないで亡くなった人たち(聖徳太子、人麿他)の心の痛みを代弁されて
いるように感じました。「水底の歌」「隠された十字架」読んでみたいと思います。

161
 10/05
   中秋に名月はなく雲間より
           覗いたような月見だんご買う  
  
      
162

   ぬばたまの闇に静かな虫のこえ
           瞼を閉じれば眠りの森まで


163

   秋風は写せないけど瓢と立つ
           コスモスの花写メールで撮る  
         

10月3日、河内長野にある府立花の文化園へ行ってきました。
白、ピンク、赤、オレンジ、八重のコスモスもありました。

164

   指先でローズマリーの小
(ち)さき葉を
           潰せば碧き海甦る


165
   天使
(10月4日)でも鰯(10月4日)でもいい
            出ておいで人生最初の試練の日だね
  
 
10月4日は、テンシの日ともイワシの日とも言われるそうです。

166 10
/15
   飲みて寝てひとり微笑む赤ちゃんは
            どこを彷徨う夢と現
(うつつ)

167

   子ども等の声が斜面を駆けおりて
            蜜柑は急に輝きを増す


10月12日は雨で順延になっていた運動会、翌日の13日は戸外保育で蜜柑狩りに
行ってきました。秋晴れの日でした。

168

   背伸びして蜜柑を摘めば手の上に
            こよなく澄んだ秋の空あり


169

   捕まえた虫を惜しんで放すなり
            蜜柑狩りより虫狩りの子等 


虫にとても興味を持っている5歳児がいます。いつも虫探しをしているので、先日は、
保育所の庭の隅からセアカゴケグモの子どもを枝に這わせて持ってきました。早速、
保健所に連絡しました。でも、手で触らなかったことを「さずが虫博士だ。」と皆で
ほめました。
蜜柑狩りに行ったときにも、すぐに虫を捕まえてビニール袋に入れていましたが、
帰りには持っていなかったので尋ねると、クラスの先生が、「K君は、虫博士だから
観察したら逃がしてやるのよね。虫博士は虫は持って帰らないと本に
書いていた。」と、本人の前で説明してくれました。「K君はやっぱり虫博士やね。」
と私も合わせてほめました。
本人は複雑な、でもほめられてうれしそうな顔をしていました。
3歳児の頃は、物を扱うように蝉を友人と取り合っていましたので、大きな進歩です。
次の日、各クラスで皆で蜜柑狩りの絵を描いた後、K君に会ったので、
「K君は蜜柑狩りの絵ではなくて、虫の絵を描いたでしょう。」と私が言うと、
「どうして知ってるん!!」と驚いていました。見なくてもわかります。

170

   煙突の煙が真直ぐのぼる朝
           くじらも浮ぶ秋の中空


171 10/26

   雨の中鳥飛び急ぐ空の下に
            梢も深く息づきはじめる


雨の日、バスを待ちながら駅前広場の景色を見ていました。バスは、40分
遅れで来ました。延着です。

172

   雑言を親しき友に言ふように
            苦しめると詠む秋の夜の月 
            

電車の中で「西行」安田章生著をみていると、下記の歌がありました。

心をば見る人ごとに苦しめて何かは月のとりどころなる  西行 

今月末、盛岡で学会があるのですが、帰りに中尊寺へ行くことになりました。
西行は陸奥へ二度訪れています。平泉の秋の月が見えるかもしれません。  

173

   世の中を二十日も歩めば変わるなり
            自己主張する赤ちゃんの声

産声だった赤ちゃんの声が、だんだんと日々、自己主張する泣き声に変わっていきます。
おなかがすいた泣き声、眠たい泣き声etc.
成長したということでしょうが、この世の中で生きていくための方法を模索
しているのだと思います。

174
 11/02
   終点は銀河と答えてみたくなる
            盛岡駅発銀河鉄道


10月28日〜30日まで、日本小児保健学会が盛岡でありました。 
「いわて銀河鉄道」という名前の鉄道を見つけました。
一緒に行った友人が、「どこまで行くんやろ?」と言われたので、
「やっぱり銀河まで行くんでしょうね」と言ってしまいました。

175

   紅のナナカマドの実秋冷に
            燃立ちており北国の街

盛岡の駅前の街路樹は、ナナカマドが多かったのですが、あかい実がたくさん
繁っていました。紅い実。赤い実。可愛い元気のでる色です。

176

   啄木に会えないけれど駅前に
            岩手の山を望む歌碑あり


盛岡の駅を出ますと、向かって右側に啄木の歌碑が建っています。
その歌碑は、岩手山に向かってあります。

ふるさとの山に向かいて言うことなしふるさとの山はありがたきかな  
               石川啄木

177

   啄木の新婚家の四畳半
            訪ね行きたり断りもせず


早朝の散歩で啄木の新婚当時の家を見に行きました。まだ鍵がかかっていたのですが、
中で掃除をされていた方が、鍵を開けてくれました。啄木が新婚当時に暮らした四畳半を
見ました。四畳半の隣の六畳の部屋には、啄木の父母と妹さんが住まわれ、その他の
部屋には、別所帯の方が住んでおられたと説明してもらいました。

178

   早朝の材木町の賢治像と
            ひとときなれど語りて来たり


材木町の歩道の脇には、宮沢賢治の像が座っています。

179

   大切な刻であったと今思ふ
            戻れない日は輝きており


学会の講演の後、質問や感想など述べる時間があるのですが、来年1月に大阪である
保育所保健大会の宣伝をするべきだったと、後で同僚と話しました。
公園の歌碑にあった啄木の気持と同じでした。

かの時に言ひそびれたる大切の言葉は今も胸にのこれど   啄木

180

   西行も受けた風浴び眠るなり
            黄金の里平泉に来て


30日で研修は終わり、同日の夕、盛岡から各駅停車で、平泉まで行きました。
所要時間1時間30分。16の駅がありました。盛岡駅で電車に乗ろうとすると、
ドアが閉まって乗れません。よく見ると、ドアの横に「開く・閉じる」というスイッチがあって、
自分で開け閉めして乗るのです。あいにく小雨で平泉の月は見えませんでした。
平泉は、奥州藤原三代の栄華を刻んだ古都です。奥州藤原家は、西行の一族であったので、
西行は69歳(1186年)の時に、焼亡した東大寺再健のために重源上人の依頼により
藤原秀衡に砂金の勧進を願うために訪れています。

181

   尋ね人訪ねるように探したり
            秋雨に煙る束稲の山


31日は雨の中、毛越寺をゆっくり観てまわり、郷土資料館を見学し、土日にだけ
走っているルンルンバス(どこまででも100円)に乗って中尊寺へ行きました。
西行の歌碑と、金色堂は観たのですが、本堂に寄らないで帰るところでした。
小雨に濡れた紅葉がしっとりときれいでしたが、雨に煙って束稲山がなかなか
見えませんでした。帰り道に、やっと、霧が晴れて、衣川、束稲山が見えました。

182

   そう言えば西行歌碑は束稲の
            山に向きおり桜花見て


中尊寺の月見坂を登って行くと、西行の歌碑が二ケ所にあります。
売店の横にある歌碑は古いほうで、本堂や金色堂に向かって建っています。
今は桜の時期ではないのですが、そう言えば新しい歌碑は、束稲山に向かって建っています。

聞きもせず束稲山の桜花よしののほかにかかるべしとは   西行

183  11/13

   ほのちゃんがオムツを出して寝てるって
            叫んでいるよ夜朱の風たち


184

   働くは傍楽
(はたらく)だったと思いつつ
            家事を済ませる秋の夜長に


185

   赤い傘は中尊寺に白い傘は仙台に置き
            晴れ晴れ帰り来


赤い傘が壊れてしまって中尊寺の境内にあるおみやげ売り場で新しい傘を買いました。
新しく買った傘は、仙台空港に置いてきました。

186

   この瞬時長く続けと祈るなり
            幸せを撮る記念撮影


13日はお宮参りへ行き、スタジオへ記念撮影に行きました。
ちょうど、七五三の時期でスタジオは賑わっていました。

187
 11/24
   音に聞く明石の浦に沈む陽は
            遥かに架かる大橋の下     
         

舞子ビラ神戸で姪の結婚式がありました。
砂浜の海岸線などは、ほとんど見えませんでしたが、ここが源氏物語にも
出てくる明石なのだと思いながら海を見つめました。小春日和でした。
夕方には、明石大橋の遥か向こうに太陽が落ちはじめ、大橋の下へと
沈んでいきました。

188

   微笑めば微笑みかえす赤ちゃんは
            一月半なり我と相見て


いつもではありませんが、最近、あやすと笑うことがあります。
確かに微笑みかえしています。

189

   み吉野の奥千本の苔清水
            とくとく汲みてコーヒーとなる


11月23日、関西での西行オフ会が吉野でありました。
西行庵の前で、皆で昼食をとりました。
思ってもいなかったのですが、苔清水の水を汲んできて、ミニガス
ボンベで沸かし、コーヒーをいれてくれました。西行、芭蕉で詠まれた
苔清水のコーヒーが飲めるなんて思ってもいませんでした。苔清水は
いまも清らかに澄んでいます。やまとの水31選のひとつだそうです。

とくとくと落つる岩間の苔清水汲みほすまでもなき住居かな   西行

Yさんが、1年間ラム酒に漬けたクリをまるごと入れた贅沢なマロンケーキと
生クリームの美味しい洋ナシケーキを作って持ってきてくださいました。
桜の吉野は勿論素敵ですが、赤黄緑の葉が織り成す秋のステージもまた
格別でした。
額田王の「秋山ぞわれは」という万葉集の歌を思い出しました。

天智天皇が春山のすべての花が咲き乱れるあでやかさと、秋のさまざまな
葉の紅葉の美しさを争わせなさった時、額田王が和歌で判定されました。
「秋の山である、私は。」

190

   葛といふ駅の名もあり風すさぶ
           吉野の冬も暖かきかな


吉野も、もうそろそろ冬支度です。衣を打つ音が聞こえてきそうです。
 
み吉野の山の秋風小夜ふけてふるさと寒く衣打つなり  
          参議雅経(94番) 『新古今集』

191

   紅葉が空一杯に広がって
           集うわれ等を秋色に染む


192  12/01

   嬉しくてきっと泣くだろう清少納言は
           本意を語る講演ならば       


中宮定子のサロンに勤めていた清少納言の本当の思いはどうだったのでしょうか。
林先生の講義が楽しみです。

193

   ゆっくりとドアを閉めたり広すぎて
           君帰りたり雪待つ町へと


194

   わが心半分以上持ち帰りし
           テレビの上で微笑む幼児


195

   紅葉の御陵の上なる残月は
           流れる季節を今日も見ていた


今朝は、仁徳御陵の前の道を通ってきました。紅葉が輝いていました。

196 12/08

   忘れたら年が無くなる幼子が
           マツケンサンバ踊る師走日 
         

今年の忘年会は、やはりなんといってもマツケンサンバでしょうか。先日の
職場の忘年会でも踊りました。そう言えば、ある保育士さんが、「このテープ
また貸してね。うちのクラスの子、この踊が好きでいつも踊っているから。」
と言っていました。今は、3歳児も4歳児も踊っています。

197

   撮影は従来禁止の忘年会
           騒いでみたけどまだ忘られず


今年は、年末になっていろいろなことが出来沸きました。伝統のある(?)
職場の賑やかな忘年会ですが、まだまだ年の方が忘れさせてはくれません。

198

   ほのちゃんの壁になれよと諭したり
           インフルエンザ予防接種で


インフルエンザワクチンの予防接種は、6ヶ月未満の乳児は対象になって
いません。
赤ちゃんの場合は、家族が家の中にインフルエンザを持ち込まないように、
予防接種をしておくことが大切です。

199

   京都駅はもうクリスマスもみの木に
           希望の星を高く掲げて        

階段の上を見上げるともうクリスマスツリーが置かれ、梢の天辺には
大きな星が飾られていました。大きな星は、見上げる人に「みんな
がんばろう!」と呼びかけるように輝いていました。穏やかな年末年始で
ありますようにと。

200

   やはらかな陽射しを浴びて息ふなり
           田畑は雪の大山を見て


12月11日、松江に向かう途中で見た大山は雪を被っていました。


          以上、2004年12月17日まで

  2003年(5)   2004年(1)  2004年(2)  2004年(3)


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