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京都写真集    マガジン15号   16号
  
   伏見区西部   城南宮 鳥羽離宮跡  安楽寿院 西行寺
   伏見区中部   御陵参道 藤森神社 伏見稲荷大社
   伏見区東部   醍醐寺 上醍醐

  (年ごろ申されたる人の、伏見に住むと聞きて尋ねまかりたりけるに
   庭の道も見えず繁りて虫なきければ)
◎ 分けて入る袖にあわれをかけよとて露けき庭に虫さへぞ鳴く
                               (66ページ)

 ふしみ過ぎぬをかのやに猶とどまらじ日野まで行きて駒こころみむ
                               (198ページ)

◎ 鶉なく折にしなれば霧こめてあはれさびしき深草の里
                         (69ページ)

 なにとなくくるるしずりの音までも雪あわれなる
深草の里
                         
(新潮山家集)
伏見桃山御陵参道

この伏見桃山御陵は西行とはまったく関係ないといえます。
伏見という土地を愛した明治天皇と昭憲皇太后の陵墓があります。
天皇は旧伏見城本丸跡、皇太后は少し離れた名護屋丸跡に祀られて
います。
下の画像は参道です。伏見城の歴史と共にあった道です。





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 伏見稲荷大社

この大社は全国4万社ほどの稲荷社の総本社です。
古代豪族の秦氏の創建、農耕の大社として知られています。
上の画像は楼門です。下の画像は山頂まで続いている丹塗りの鳥居
のトンネルです。この稲荷山は山自体が信仰の対象となっています。           






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藤森神社

◎  鶉なく折にしなれば霧こめてあはれさびしき深草の里

藤森神社は深草にあります。創建年代はつまびらかではありません。
社伝では神功皇后の時代とあります。深草における代表的な神社です。
下の画像は本殿です。端午の節句の武者人形はこの神社の祭事から、
全国に広がったもののようです。



藤森神社の鳥居です。



下の小侍従の歌は西行とも親しかった小侍従ではありません。
康平の年号は1058年から1065年までですので、その時代には藤森神社は
あったのでしょう。当然に当時のこのお寺を西行も見ているはずです。