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いく〜いす いせ〜いそ いた〜いと いな〜


【伊勢・いせ】 (山、19・41・77・95・120・124)

【伊勢】

伊勢の国のこと。孝徳天皇の大化の時代から明治時代までの国名。
現在の三重県。
明治に入って、それまでの伊賀の国・伊勢の国・志摩の国は渡会県
と安濃津県とに変わり、安濃津県は明治五年に三重県と改称。
三重県は明治九年に渡会県を吸収合併して現在の三重県となります。

現在の三重県伊勢市に伊勢神宮があります。伊勢神宮とは内宮の
皇大神宮と外宮の豊受太神宮を合わせた呼称です。

西行はしばしば伊勢にまで行きました。晩年の1180年春頃から
1186年7月頃までは伊勢に居住していました。
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1  おなじこころを、伊勢の二見といふ所にて

  波こすとふたみの松の見えつるは梢にかかる霞なりけり
        (岩波文庫19P春歌・新潮13番・西行上人集・
              山家心中集・夫木抄・西行物語)

2  伊勢のにしふく山と申す所に侍りけるに、庵の梅かうばしく
  にほひけるを

  柴の庵によるよる梅の匂い来てやさしき方もあるすまひかな
              (岩波文庫21P春歌・新潮40番)

3  伊勢にまかりたりけるに、みつと申す所にて、海辺の春の暮
  といふことを、神主どもよみけるに

  過ぐる春潮のみつより船出して波の花をやさきにたつらむ
              (岩波文庫41P春歌・新潮170番)

4  伊勢にて、菩提山上人、対月述懷し侍りしに

  めぐりあはで雲のよそにはなりぬとも月になり行くむつび忘るな
     (岩波文庫山家集77P秋歌・西行上人集・西行物語)

5  新宮より伊勢の方へまかりけるに、みきしまに、舟のさたし
  ける浦人の、黒き髮は一すぢもなかりけるを呼びよせて

  年へたる浦のあま人こととはむ波にかづきて幾世過ぎにき
            (岩波文庫120P羇旅歌・新潮1397番)

6  世をのがれて伊勢の方へまかりけるに、鈴鹿山にて

  鈴鹿山うき世をよそにふりすてていかになり行く我身なるらむ
 (岩波文庫124P羇旅歌・新潮728番・西行上人集・新古今集・西行物語)

7  高野山を住みうかれてのち、伊勢国二見浦の山寺に侍りけるに、
  太神宮の御山をば神路山と申す、大日の垂跡をおもひて、よみ
  侍りける

  ふかく入りて神路のおくを尋ぬれば又うへもなき峰の松かぜ
        (岩波文庫124P羇旅歌・千載集・御裳濯河歌合)

8  伊勢にまかりたりけるに、太神宮にまゐりてよみける

  榊葉に心をかけんゆふしでて思へば神も佛なりけり
 (岩波文庫124P羇旅歌・新潮1223番・西行上人集追而加書・西行物語)

9  伊勢の月よみの社に参りて、月を見てよめる

  さやかなる鷲の高嶺の雲井より影やはらぐる月よみの森
    (岩波文庫125P羇旅歌・新古今集・玄玉集・御裳濯河歌合)

10 修行して伊勢にまかりたりけるに、月の頃都思ひ出でられて
  よみける

  都にも旅なる月の影をこそおなじ雲井の空に見るらめ
             (岩波文庫125P羇旅歌・新潮1094番)

11 伊勢のいそのへちのにしきの嶋に、いそわの紅葉のちりけるを

  浪にしく紅葉の色をあらふゆゑに錦の嶋といふにやあるらむ
 (岩波文庫125P羇旅歌・新潮1441番・西行上人集追而加書・夫木抄)

12 伊勢のたふしと申す嶋には、小石の白のかぎり侍る浜にて、
  黒は一つもまじらず、むかひて、すが嶋と申すは、黒かぎり
  侍るなり

  すが島やたふしの小石わけかへて黒白まぜよ浦の浜風
            (岩波文庫126P羇旅歌・新潮1382番)

13 伊勢の二見の浦に、さるやうなる女の童どものあつまりて、
  わざとのこととおぼしく、はまぐりをとりあつめけるを、いふ
  かひなきあま人こそあらめ、うたてきことなりと申しければ、
  貝合に京よりひとの申させ給ひたれば、えりつつとるなりと
  申しけるに

  今ぞ知るふたみの浦のはまぐりを貝あはせとておほふなりける
        (岩波文庫126P羇旅歌・新潮1386番・夫木抄)

14 伊勢より、小貝を拾ひて、箱に入れてつつみこめて、皇太后宮
  大夫の局へ遣すとて、かきつけ侍りける

  浦島がこは何ものと人問はばあけてかひある箱とこたへよ
      (岩波文庫184雑歌・西行上人集・殷富門院大輔集)

15 福原へ都うつりありときこえし頃、伊勢にて月の歌よみ侍りしに

  雲の上やふるき都になりにけりすむらむ月の影はかはらで
             (岩波文庫185P雑歌・西行上人集)

16 伊勢に斎王おはしまさで年経にけり。斎宮、木立ばかりさかと
  見えて、つい垣もなきやうになりたりけるをみて

  いつか又いつきの宮のいつかれてしめのみうちに塵を払はむ
      (岩波文庫223P神祇歌・新潮1226番・夫木抄)

17 海上明月を伊勢にてよみけるに

  月やどる波のかひにはよるぞなきあけて二見をみるここちして
            (岩波文庫238P聞書集・夫木抄)

18 五條三位入道のもとへ、伊勢より浜木綿遣しけるに

  はまゆふに君がちとせの重なればよに絶ゆまじき和歌の浦波
               (岩波文庫239P聞書集)

19 伊勢にて神主氏良がもとより、二月十五の夜くもりたり
  ければ申しおくりける          氏 良

  こよひしも月のかくるるうき雲やむかしの空のけぶりなるらむ
            (荒木田氏良)(岩波文庫240P聞書集)

     かへし
  かすみにし鶴の林はなごりまでかつらのかげもくもるとを知れ
               (西行)(岩波文庫240P聞書集)

20 伊勢にて

  波とみる花のしづ枝のいはまくら瀧の宮にやおとよどむらむ
            (岩波文庫279P補遺・夫木抄)

21 伊勢に人のまうで来て、「かかる連歌こそ、兵衛殿の局せられ
  たりしか。いひすさみて、つくる人なかりき」と語りけるを
  聞きて

  こころきるてなる氷のかげのみか
               (岩波文庫256P聞書集)

22 塩風にいせの浜荻ふせばまづ穂ずゑに波のあらたむるかな
  (岩波文庫168P雑歌・新潮999番・西行上人集・山家心中集)

23 伊勢嶋や月の光のさひが浦は明石には似ぬかげぞすみける
            (岩波文庫84P秋歌・新潮1473番)

24 いせじまやいるるつきてすまうなみにけことおぼゆるいりとりのあま
       (岩波文庫118P羇旅歌・新潮1451番・夫木抄)

* 風さむみいせの浜荻分けゆけば衣かりがね浪に鳴くなり
         (岩波文庫95P冬歌・西行上人集追而加書)

* 伊勢の海人もなぎさをながめやりて君来たらばと思ふなにごと
                    (西行四季物語)

◎ 「風さむみ・・・」歌は新古今集945番に中納言匡房の歌と
  して出ています。
  したがって西行の作品ではないと解釈できます。

◎ 「伊勢の海・・・」歌は、西行作ではなくて「伝西行」歌だと
  思えます。

◎ 今回から新潮日本古典集成山家集の歌番号を記載します。

◎ 今回は「伊勢」の固有名詞の記載されている詞書と歌を紹介
  しています。詞書の場合は、5、8、12、20番に複数歌があり
  ますが、先頭の歌のみの紹介にとどめました。

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○伊勢の二見

 三重県伊勢市(旧度会郡)にある地名。伊勢湾に臨んでおり、
 古くからの景勝地として著名です。伊勢志摩国立公園の一部で、
 あまりにも有名な夫婦岩もあります。日本で最初の公認海水浴場
 としても知られています。

○にしふく山

 場所不明。新潮版山家集では「にしふく山」は「もりやまと
 申す所」となっています。「もりやまと申す所」の所在も不明
 です。三重県鈴鹿市石薬師町と三重県三重郡菰野に歌碑があり
 ます。

○みつと申す所

 二見にある地名です。三重県伊勢市(旧度会郡)二見町三津の
 ことです。「満つ」と掛けていて、春という季節は、潮が満ち
 てきてから船出する(始まる)という感じを表しています。

○菩提山上人

 菩提山神宮寺の良仁上人のことと言われています。神宮寺は
 伊勢市中村町にありました。
 西行より4.5歳年長で、1209年没です。
 歌は再度の陸奥旅行の前に詠まれたものと推定できます。

○新宮

 地名。現在の和歌山県新宮市のこと。

○みきしま

 どこを指すか不明。三重県尾鷲市三木崎、あるいは紀伊にある
 二木島などの説があります。

○鈴鹿山

 滋賀県と三重県の県境となっている鈴鹿山脈にある峠。山脈の最高
 峰は御池岳(1241メータ)ですが、鈴鹿峠の標高は357メートル。
 高くはないのですが、前を歩く人の足先を後ろの人は目の高さに
 見ると伝えられているほどに急峻で、東海道の難所の一つでした。

 この鈴鹿峠は古代から東海道の要衝でした。ただし鎌倉時代から
 戦国時代は東山道の美濃路が東海道(鎌倉街道)でした。江戸
 時代になって、鈴鹿越えのルートが再び東海道のルートに組み
 込まれました。
 東海道と関係なく、伊勢と京都をつなぐ交通路ですから、重要で
 あることに変わりはありません。
 山賊が横行する山として有名でした。

○太神宮
 伊勢神宮のことです。天皇家の氏神社でした。

○神路山

 伊勢神宮内宮の神苑から見える山を総称して神路山といいます。
 標高は150メータから400メータ程度。

○大日の垂跡

 (垂迹と垂跡は同義で、ともに「すいじゃく」と読みます。)
 本地=本来のもの、本当のもの。垂迹=出現するということ。

 仏や菩薩のことを本地といい、仏や菩薩が衆生を救うために仮に
 日本神道の神の姿をして現れるということが本地垂迹説です。
 大日の垂迹とは、神宮の天照大御神が仏教(密教)の大日如来の
 垂迹であるという考え方です。

 本地垂迹説は仏教側に立った思想であり、最澄や空海もこの思想
 に立脚していたことが知られます。仏が主であり、神は仏に従属
 しているという思想です。
 源氏物語『明石』に「跡を垂れたまふ神・・・」という住吉神社に
 ついての記述があり、紫式部の時代では本地垂迹説が広く信じら
 れていたものでしょう。
 ところがこういう一方に偏った考え方に対して、当然に神が主で
 あり仏が従であるという考え方が発生します。伊勢神宮外宮の
 渡会氏のとなえた「渡会神道」の神主仏従の思想は、北畠親房の
 「神皇正統記」に結実して、多くの人に影響を与えました。
 
○月よみの社

 伊勢市中村町にある内宮の別宮。月読宮のこと。外宮にも
 月夜見宮がありますが、この歌は御裳濯河歌合にある歌です
 から内宮の月読宮の歌だとわかります。

○鷲の高嶺

 釈迦が修行し、説法したというインドの霊鷲山のこと。岩波文庫
 山家集では「鷲の山・鷲の高嶺」の歌は十三首あります。

○にしきの嶋

 伊勢に「錦島」はないようですが、度会郡紀勢町に「錦」という
 海に面した町があります。「錦の島」はここだろうとみられて
 います。

○たふしと申す嶋

 伊勢湾にある答志島のことです。鳥羽市に属しています。

○すが嶋

 伊勢湾にあり答志島の西に位置する菅島のことです。鳥羽市に
 属しています。

○貝あはせ
 
 貝合わせは「物合わせ」のひとつで平安時代に始まったといわれる
 女性たちの遊びです。
 二枚貝の殻を二つに分け、それぞれの殻の内側に絵や和歌を書き
 込んで、同じ図柄や、和歌の上句と下句を合わせます。ばらばら
 にした貝殻の中から、同じ貝の上下の貝殻を取り合うという遊び
 です。この遊芸は廃れることなく続いてきました。
 鎌倉時代には伊勢のハマグリがよく用いられたということです。
 藤原定家の冷泉家に伝わる貝を見ましたが、貝殻の内側に描かれて
 いる図柄は芸術品としても見事なものだと思いました。

○皇太后宮太夫の局
  
 現天皇の后が皇后、先帝の后が皇太后です。皇太后の住む所が
 皇太后宮。そこの事務などの一切を統率するのが皇太后宮太夫。
 この場合は(たゆう)ではなく(だいぶ)と読みます。
 この時、藤原多子(まさるこ=1142〜1201、近衛帝及び二条帝皇后)
 が1158年から皇太后、藤原忻子(よしこ=1155〜1209、後白河帝
 皇后)も1172年に皇太后となっています。

 この歌からは局の個人名が不明です。局とありますので皇太后宮
 太夫俊成のことではなく、皇太后宮に勤仕する女房のことです。
 和歌文学大系21では皇太后宮太夫を皇后宮太夫として、皇后とは
 殷富門院(亮子内親王)、局とは殷富門院大輔のこととしています。
 殷富門院大輔集にこの贈答歌がありますので「皇太后宮太夫の局」
 はミスであり、正しくは「皇后宮太夫の局」です。

○福原

 摂津の国。現在の兵庫県神戸市兵庫区の東部にある地名。
 1180年6月、平清盛は強引に京都から福原に遷都しましたが、
 福原京は急ごしらえのために都として機能しなくて同年11月には
 再び京都に都を戻しています。
 この遷都の様子は平家物語に詳しく書かれています。

○斎王

 伊勢の斎宮と賀茂社の斎院を総称して斎王といいます。斎宮及び
 斎院は斎王の居住する施設の名称ですが、同時に人物名として
 斎王のことも斎宮・斎院と呼びます。
 「平安時代以降になると、斎王のことを斎宮というようにもなる。」
     (「」内は榎村寛之氏著「伊勢斎宮と斎王」7ページ)
 斎宮は伊勢の斎王のこと、斎院は賀茂の斎王のこととして区別
 されます。

○五條三位入道(1114〜1204、藤原俊成、顕廣、釈阿と同一人物)

 藤原道長六男長家流、御子左家の人。定家の父。俊成女の祖父。
 三河守、加賀守、左京太夫などを歴任後1167年、正三位、1172年、
 皇太后宮太夫。
 五条京極に邸宅があったので五條三位と呼ばれました。五条京極
 とは現在の松原通り室町付近です。現在の五条通りは豊臣時代に
 造られた道です。
 1176年9月、病気のため出家。法名「阿覚」「釈阿」など。
 1183年2月、後白河院の命により千載集の撰進作業を進め、一応
 の完成を見たのが1187年9月、最終的には翌年の完成になります。
 千載集に西行歌は十八首入集しています。
 1204年91歳で没。90歳の賀では後鳥羽院からもらった袈裟に、
 建礼門院右京太夫の局が紫の糸で歌を縫いつけて贈っています。
 そのことは「建礼門院右京太夫集」に記述されています。
 西行とは出家前の佐藤義清の時代に、藤原為忠の常盤グループの
 歌会を通じて知り合ったと考えてよく、以後、生涯を通じての
 親交があったといえるでしょう。

○神主氏良

 伊勢神宮内宮祠官の荒木田氏良のこと。1153年生。1222年没。
 「西行上人談抄」の筆録者である荒木田満良(蓮阿)の兄に
 当たります。西行伊勢時代は荒木田氏たちとの濃密な交流が
 ありました。

○鶴の林

 釈迦が入滅した林のこと。沙羅双樹が鶴の羽のように変色した
 という言い伝えからきている言葉。

○瀧の宮

 内宮の別宮で、宮川の上流の三重県度会郡大宮町にある滝原宮の
 ことだと言われます。滝原宮そのものを「瀧の宮」と呼ぶよう
 です。   
       (目崎徳衛氏「西行の思想史的研究」395ページ)

○兵衛の局(生没年不詳、待賢門院兵衛、上西門院兵衛)

 藤原顕仲の娘で待賢門院堀川の妹。待賢門院の没後、娘の上西
 門院の女房となりました。1184年頃に没したと見られています。
 西行とはもっとも親しい女性歌人といえます。
 自選家集があったとのことですが、現存していません。

○伊勢嶋

 伊勢にある島々を総称して「伊勢嶋」と言っているようです。
 伊勢嶋の歌は二首あります。

○さひが浦
 
 紀伊にある雑賀浦といいますが、伊勢にも同じ地名の所があった
 と思えます。和歌文学大系では「さびる浦」として(古びて趣の
 ある浦)と注しています。

○明石

 兵庫県にある港湾都市。東経135度の日本標準時子午線が通って
 います。
 播磨の国の著名な歌枕です。明石に続き潟・浦・沖・瀬戸・浜
 などの言葉を付けた形で詠まれます。
 明石は万葉集から詠まれている地名ですが、月の名所として、
 「明石」を「明かし」とかけて詠まれている歌もあります。

○いるる

 この「伊勢嶋や・・・」の歌は書写した人のミスがあるとしか
 思えません、「伊勢嶋」の初句は「はらかつる」という伝も
 あるとのことですので、もともとは「筑紫に腹赤と・・・」の
 詞書につづく三首連作のものなのでしょう。
 和歌文学大系21では「いるるつきて」を「入るる継ぎて・・・」
 として「(次々に入ってくる)意か?」ともしていますが、
 私には判断ができません。

○けことおぼゆる

 (けごと)であれば、晴れの事の対語の(け)を表し、(けごと)
 とは(け事)として普通のこと、日常のことという意味を持ちます。
 (けことおぼゆる」は、日常の生活を繰り返す中で覚えたこと、
 という意味なのかもしれません。
 また(けごと)は食事のことをも意味します。

○いりとりのあま

 分かりません。(入り取りの海人?)とは?
 (網の中に入って腹赤という魚を取り上げる海人)と解釈する
 べきなのでしょうか?

(3番歌の解釈)

 「過ぎて行く春は、潮の満ちる三津の浜から、波の花ともいう
 べき白波を舳先に立てて、舟出していくことであろう。」
             (新潮日本古典集成山家集から抜粋)
 
こういう歌と詞書によって、西行は伊勢移住前から伊勢神宮の神官
達との交流があったことが分かります。

(9番歌の解釈)

 「明らかな霊鷲山(印度、釈迦の法華経を説いた所)の空の月で
 ある。仏の位置から、光を和らげて月読の森(月読の社のある森)
 の神としてあらわれている。その月読の神の尊さよ。」
          (渡部保氏著「西行山家集全注解」から抜粋)

 御裳濯河歌合では2番右となっていて、2番左は下の歌です。

 (神風に心やすくぞまかせつるさくらの宮の花のさかりを)

 俊成の判は
 「左の桜の宮、右の月よみの社、勝劣なし、猶持とす」です。

(14番歌の解釈)

 「(これは何)と人が尋ねたならば、(浦島の子の玉手箱と
 違って、開けてその甲斐のある箱)とお答えください。」
                (和歌文学大系21から抜粋)

 西行のこの歌に対して殷富門院大輔の返歌が殷富門院大輔集に
 あります。

 (いつしかもあけてかひあるはこみればよはひものぶる心ちこそすれ

(19番歌の解釈)

 「今夜、よりによって月が隠れるいやな浮雲は、その昔の空の
 煙なのだろうか。」

 「煙でかすんでしまった鶴の林は、その名残として今夜まで
 月の光も曇ると知ってください。」
                 (和歌文学大系21から抜粋)

 上が氏良の歌、下が西行歌の解釈です。
 「2月15日の夜」とは無論釈迦入寂を指しています。両首ともに
 仏教の創始者である釈迦を偲んでのものです。

【伊勢嶋】 (山、84・118) 「伊勢」の項、参照。

 伊勢にある島々を総称して「伊勢嶋」と言っているようです。
 伊勢嶋の歌は二首あります。
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 いせじまやいるるつきてすまうなみにけことおぼゆるいりとりのあま
       (岩波文庫118P羇旅歌・新潮1451番・夫木抄)

 伊勢嶋や月の光のさひが浦は明石には似ぬかげぞすみける
            (岩波文庫84P秋歌・新潮1473番)

○けことおぼゆる

 (けごと)であれば、晴れの事の対語の(け)を表し、(けごと)
 とは(け事)として普通のこと、日常のことという意味を持ちます。
 (けことおぼゆる」は、日常の生活を繰り返す中で覚えたこと、
 という意味なのかもしれません。
 また(けごと)は食事のことをも意味します。

○いりとりのあま

 分かりません。(入り取りの海人?)とは?
 (網の中に入って腹赤という魚を取り上げる海人)と解釈する
 べきなのでしょうか?

○さひが浦
 
 紀伊にある雑賀浦といいますが、伊勢にも同じ地名の所があった
 と思えます。和歌文学大系では「さびる浦」として(古びて趣の
 ある浦)と注しています。

○明石

 兵庫県にある港湾都市。東経135度の日本標準時子午線が通って
 います。
 播磨の国の著名な歌枕です。明石に続き潟・浦・沖・瀬戸・浜
 などの言葉を付けた形で詠まれます。
 明石は万葉集から詠まれている地名ですが、月の名所として、
 「明石」を「明かし」とかけて詠まれている歌もあります。

「伊勢の海人は活気に満ちあふれていて、次々に襲いかかってくる波にも
 すっかり慣れているようだ。」
              (和歌文学大系21から抜粋)

「伊勢の国の狭目鹿浦は、あの「月明かし」といわれる明石の浦とは
 異なった冴えた月の光が澄みわたっているよ。」
               (新潮日本古典集成山家集から抜粋)

【伊勢のにしふく山】 (山、21)「伊勢」の項、参照。

 場所不明。新潮版山家集では「にしふく山」は「もりやまと
 申す所」となっています。「もりやまと申す所」の所在も不明
 です。三重県鈴鹿市石薬師町と三重県三重郡菰野に歌碑があり
 ます。

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  伊勢のにしふく山と申す所に侍りけるに、庵の梅かうばしく
  にほひけるを

  柴の庵によるよる梅の匂い来てやさしき方もあるすまひかな
              (岩波文庫21P春歌・新潮40番)

「柴で葺いた粗末な庵に、疾く疾く梅が匂って来て、無縁と思われる
 雅趣もある住居であるよ。」
                (新潮日本古典集成山家集から抜粋)

【いせぎ】 (山、34)

原意的には(塞き)のことであり、ある一定の方向へと動くものを
通路を狭めて防ぐ、という意味を持ちます。
「井堰」とは、水の流れをせきとめたり、制限したり、流路を変え
たりするために土や木材や石などで築いた施設を指します。現在の
ダムなども井堰といえます。
今号の西行歌は、当時の大井川や立田川でも井堰の設備が施されて
いたことの証明となります。

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1 谷風の花の波をし吹きこせばゐせぎにたてる嶺のむら松
          (岩波文庫山家集34P春歌・西行上人集)

2 立田川きしのまがきを見渡せばゐせぎの波にまがふ卯花
   (岩波文庫山家集43P春歌・新潮176番・西行上人追而加書・
                         夫木抄)

3 大井河をぐらの山の子規ゐせぎに聲のとまらましかば
           (岩波文庫山家集45P夏歌・新潮191番)

  秋の末に法輪寺にこもりてよめる

4 大井河ゐせぎによどむ水の色に秋ふかくなるほどぞ知らるる
           (岩波文庫山家集89P秋歌・新潮484番)

5 つつめども人しる恋や大井川ゐせぎのひまをくぐる白波
          (岩波文庫山家集158P恋歌・新潮1268番)

○立田川

 奈良県の北西部、生駒山の東を南流して大和川に注いでいる川
 です。小流です。立田は山、川ともに詠まれていて、在原業平の

 「ちはやぶる神代も聞かず竜田川からくれないに水くくるとは」
              (在原業平 百人一首・古今集)

 の歌で有名です。
 生駒郡三郷町の竜田神社は(竜田姫)を祭神としています。
 (竜田姫)は秋をつかさどる神であり、春をつかさどる(佐保姫)
 と対になっていて、和歌ではともに多く詠まれています。

○まがき

 垣根のことです。垣の種類はたくさんありますが、特に目を荒く
 造った竹や木の簡便な垣根を指すようです。

○卯の花

 春に咲く花の名前。ウツギの別称です。
 また(憂き)にかかる枕詞としても用いられます。
 この歌では卯の花を波に見立てています。

○大井河

 京都市西部を流れる川です。丹波山地に源流を発し、亀岡市、
 京都市西部、八幡市、そこから淀川と名を変えて大阪湾に注いで
 います。現在ではこのうち、京都市の嵐山までを(保津川)、
 嵐山付近を(大井川)、渡月橋下流を桂川と言います。

○をぐらの山

 京都市右京区嵯峨野にある山です。山としての嵐山の対岸に位置
 します。麓に二尊院などがあります。
 小倉山の歌は8首、詞書では3回記述されています。

○子規

 鳥の名前で「ほととぎす」と読みます。春から初夏に南方から
 渡来して、鶯の巣に托卵することで知られています。鳴き声は
(テッペンカケタカ)というふうに聞こえます。
 岩波文庫山家集の(ほととぎす)の漢字表記は以下の種類があり
 ます。 
 
 郭公・時鳥・子規・杜鵙・杜宇・蜀魂

 別称として「呼子鳥」「死出の田長」があります。

○法輪寺

 京都市西京区にあるお寺です。虚空蔵山法輪寺といい、渡月橋の
 西詰めからすぐの所に位置します。713年、元明天皇の勅願寺と
 して行基の開基によると言われますから、京都でも有数の古刹
 です。十三参りで有名なお寺です。

(2番歌の解釈)

 「竜田川の岸辺に並んだ籬(まがき)を見渡すと、卯の花が咲き
 連なっているので、井堰にかかる波に見間違えるよ。」

 (卯の花の咲ける盛りは白波の竜田の川の井堰とぞ見る)
                (伊勢大輔 後拾遺集)
                (和歌文学大系21から抜粋)

(5番歌の解釈)

 「人目につかないようにいくら隠しても、自分の恋が人に知ら
 れることは多い。ちょうど大堰川の井堰の隙間を白波がくぐり
 ぬけるように。」
            (新潮日本古典集成山家集から抜粋)

【いそしく】 (山、116)

 形容詞「勤(いそ)し」のシク活用。
 勤勉である・精出している・頑張っている・・・という意味。
 和歌文学大系21では「いそしく帰る」は「磯して帰る」として、
 (磯で収穫して・・・)という意味を当てています。
 (あま人)の縁語として(いそ)の言葉が使われています。 

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1 あま人のいそしく帰るひしきものは小にしはまぐりからなしただみ
          (岩波文庫山家集116P羇旅歌・新潮1380番)

○あま人

 海人のこと。海に出て海産物を獲って生計を立てている人。

○ひしきもの

 不明。「引き敷きもの」で敷物の意味とみられています。

 思いあらば葎の宿に寝もしなん ひしきものには袖をしつつも
                     (伊勢 伊勢集)

 海草の(ヒジキ)を掛け合わせるために用いた言葉でしょう。

○小にし

 巻貝の一種。磯の岩に付着して生息しています。食用です。
 「しただみ」と同義ではないかと思います。

○はまぐり

 二枚貝の一種。主に砂地の中で生息。食用として有名な貝です。

○からな

 寄居子(がうな)=ヤドカリのこと。ヤドカリはカニミナという
 古名があり、それが転じた言葉が(がうな)です。
 「からな」は「がうな」のこととみられています。

○しただみ

 小螺・細螺をいい、小さな巻貝類の総称です。

 (歌の解釈)

 「海人が磯で採って持ち帰る収穫物といえば、底にひじきを引敷
 いて、小螺があり蛤あり寄居子あり、細螺もあり。」
                 (和歌文学大系21から抜粋)

【いそのかみ】 (山、57・283)

奈良県天理市にある地名です。
天理市布留に石上神宮があります。「七支刀」でも有名な古い神社
です。この神社は古代には物部氏が管轄していました。
和歌では「布留の社」として詠まれています。
第50代の桓武天皇が784年に長岡京に遷都してから、平城京は寂れ
ていく一方でした。

歌では石上の「布留」から「古」「降る」という語を導くための
枕詞として機能していて、実際の石上(いそのかみ)とは関係なく
詠まれるようになります。
西行歌にある「いそのかみ」もすべて枕詞としてのものです。  

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1 いそのかみ古きすみかへ分け入れば庭のあさぢに露ぞこぼるる
            (岩波文庫山家集57P秋歌・新潮1024番)

2 いそのかみ古きをしたふ世なりせば荒れたる宿に人住みなまし
     (岩波文庫山家集283P補遺・西行上人集・山家心中集)

3 いそのかみあれたる宿をとひに来てたもとに雨ぞさらにふりぬる
                    (松屋本山家集67番)

○古きすみか

 (古きすみか)とは「大和布留の石上」ではくて、自身が実際に
 住んでいた旧居を指す言葉です。西行の出家前の住居は油小路
 二条南西にあったとみられています。「古きすみか」はこの住居
 を指しているとも受け止められます。

○あれたる宿
 
 時代の変遷にしたがって人が離れて行って、荒れたる場所になる。
 荒れたる場所には、なおさら人は住み着かない・・・。
 昔を慕う風潮があれば、人々は住み続けているだろう・・・と
 いう、かすかな希望をもちながら、しかし諦観に根ざした歌
 とも言えます。

○たもとに雨

 西行歌によくみられるように(袂に雨)とは涙の比喩表現です。

 (1番歌の解釈)

「生い茂った草を踏み分けて、すっかり古びてしまった住居へ
 入って行くと、庭一面に生えた浅茅に露がこぼれるよ。」
            (新潮日本古典集成山家集から抜粋)

 (3番歌の解釈)

「昔住んでいた荒れた家を訪れようとやって来て、袂には更に涙の
 雨が降ったよ。」
               (和歌文学大系21から抜粋)

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◎ 石上布留の神杉ふりぬれど色にはいでず露も時雨も
                 (藤原良経 新古今集)

◎ 石の上布留の山辺の桜花植えけむ時を知る人ぞなき
                    (遍昭 後撰集)

◎ 石上古き都の時鳥声ばかりこそ昔なりけれ
                (詠み人知らず 古今集)

【いそのへち】 (山、125)

(いそ)については(磯)を意味するということで間違いありませ
んが、(へち)がよく分かりません。
(磯の辺の路)(磯の辺地)(熊野、伊勢往還の参宮路)などの
各説があるようです。ちなみに「辺路」は(へち)と読みます。
和歌文学大系21では「伊勢の磯の辺路ー熊野街道の伊勢路をいう。」
とありますが、伊勢路は「大辺路」「中辺路」「小辺路」のように
「伊勢辺路」とは言わずに単に「伊勢路」と言っていたようです
ですが、この歌の場合は「伊勢路」と解釈する以外にないでしょう。

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1  伊勢のいそのへちのにしきの嶋に、いそわの紅葉のちりけるを

  浪にしく紅葉の色をあらふゆゑに錦の嶋といふにやあるらむ
 (岩波文庫125P羇旅歌・新潮1441番・西行上人集追而加書・夫木抄)

○にしきの嶋

 伊勢に「錦島」はないようですが、度会郡紀勢町に「錦」という
 海に面した町があります。「錦の島」はここだろうとみられて
 います。

○いそわ

 (磯回=いそわ・いそみ)と読みます。
 (磯に沿って巡り行くこと、海辺の入り込んだ所)という意味が
 あります。
 「いそわ」を(海辺の入り込んだ所)として解釈するなら度会郡
 紀勢町の錦湾であっても不自然ではないでしょう。

○浪にしく

 浪の上に紅葉が散り敷いているということ。

(歌の解釈)

 「海面に錦のように散り敷いた紅葉を、波が色美しく洗っている
 から、ここを錦の嶋というのであろうか。」
                (和歌文学大系21から抜粋)

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