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  西行辞典   いけ〜いす

いく〜いす いせ〜いそ いた〜いと いな〜 いら〜いん


【家成】【中納言家成】→【藤原家成】

【ゐがひ】 (山、127) 「あこやのむね」参照

「いらごへ渡りたりけるに、ゐがひと申すはまぐりに、あこやの
むねと侍るなり、それをとりたるからを、高く積みおきたりける
を見て」

あこやとるゐがひのからを積み置きて宝の跡を見するなりけり
            (岩波文庫山家集 127P 羇旅歌)

○いらご=伊良湖。愛知県の渥美半島の先端にある地名。

○ゐがひ=胎貝。イガイ科の二枚貝。

○あこやのむね=阿古屋の宗。阿古屋とはウグイスガイ科の二枚貝
        のアコヤガイのことで、真珠の母貝となります。
        宗とは主の意味で、本体とか中心を表します。
        したがって「あこやのむね」とは、真珠そのもの
        を指します。
         
  (詞書の解釈)
 
「伊良湖に渡った時に(い貝)というはまぐりにあこやが主と
 してあるのである。その真珠をとった後の貝殻を高く積んで
 おいてあるのを見て」
        (渡部保氏著「西行山家集全注解」から抜粋)

  (歌の解釈)

「真珠をとるい貝の、真珠をとったあとの貝殻を高く積んで
 おいて、宝のあとを見せるのであったよ。」
        (渡部保氏著「西行山家集全注解」から抜粋)

* (い貝)と(はまぐり)は別種の貝ですが、西行は(い貝)
  も(はまぐり)と認識していたようです。

真珠のことを古くは「阿古屋玉」とか「白玉」と言っていたそう
です。万葉集にも「白玉」の歌は多くあります。
古事記編纂者の太安万侶の墓から真珠4個が発見されましたが、
鑑定の結果、鳥羽産の阿古屋真珠とのことでした。
聖武天皇の愛用品にもたくさんの真珠が用いられていて、古代
から真珠は「宝」として珍重されていたことがわかります。
西行歌にも「白玉」歌は多くありますが、露とか涙にかかる言葉と
して用いられていて、真珠を表す「白玉」歌はありません。

【いくの】 (山、89)

 丹波の国にある地名。現在の京都府福知山市生野。国道9号線
 沿いにある地名です。福知山市市街地よりはかなり京都寄りに
 ある山間の地です。生野は、かつては山陰道(京街道)の宿場町
 として栄えました。
 和泉式部の娘である小式部内侍の歌で有名になりました。
          
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1 錦をばいくのへこゆるからびつに收めて秋は行くにかあるらむ
            (岩波文庫山家集89P秋歌・夫木抄)

○錦
 金糸銀糸などを用いて華麗に織り込まれた絹織物を指す言葉ですが、
 その豪華さゆえに、紅葉も錦に見立てられます。

○からびつ
 衣類などを収納する櫃のことです。足の付けられた櫃を「唐櫃」
 といいます。

(歌の解釈)
 
 「紅葉の錦を幾つもの野辺をこえて、生野へはこぶような大きな
 唐櫃におさめて秋は去りゆくのであろうか。」
           (渡部保氏著「山家集全注解」から抜粋)

この歌は新潮版の山家集にはありません。ただし岩波文庫山家集の
底本である山家集類題にはあります。

(小式部内侍)

生年不詳。没年は1025年頃、26.7歳で没のようです。陸奥の守橘道貞
と和泉式部の間に生まれた女性です。
関白の藤原教通との間に静円、滋井公成との間に頼仁を産みましたが、
まもなく病没。その早逝に対して、母の和泉式部の悲嘆は甚だしくて、
和泉式部集にたくさんの哀傷歌が遺されています。

 ひきかくる涙にいとどおぼほれて海人の刈りける物もいはれず
                (和泉式部 和泉式部集515番)

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◎ 大江山いく野の道の遠ければまだふみもみず天の橋立
            (小式部内侍 金葉集・百人一首60番)

◎ 大江山越えていく野の末とほみ道ある世にも逢ひにけるかな
                (藤原範兼 新古今集752番)

◎ 草枕夜半のあはれは大江山いくのの月にさを鹿の声
                 (後鳥羽院 後鳥羽院集)

【生駒のたけ】 (山、90)

 生駒山のこと。奈良県と大阪府の府県境にある山です。標高は
 642メートル。大和(奈良県)の歌枕。

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1 秋しのや外山の里や時雨るらむ生駒のたけに雲のかかれる
       (岩波文庫山家集90P冬歌・新古今集・宮河歌合)

○秋しの(秋篠)
 奈良市にある地名です。秋篠寺があります。
 西大寺の山号も「秋篠山」といいます。

○外山(とやま)
 人里に近い山のこと。里山、端山のこと。奥山、深山の対語。

この歌は山家集からは欠落しています。初出は宮川歌合。
山家集成立時には無く、晩年になってから詠んだ歌であると解釈
できます。
窪田章一郎氏は「西行の研究」の中で
「松にはふ正木のかづら散りにけり外山の秋は風すさぶらむ」
の歌と合わせた評の中で、

「外山の里人を、荒い秋風や時雨につけて偲ぶ心が対象となって
いて、そのような主観を通して、自然そのものの相もまた、現実感
がゆたかに表現されている。」

と記述されています。
それに違いはないのですが、情景表現に終始した描写から、もう
少し作者の心情を直裁に表す言葉が組み込まれていれば、ドラマ
チックな歌になったのではなかろうかと思います。
しかしこの歌のように、作者個人の存在感の希薄な歌も、また西行
歌らしいのかも知れません。

 (1番の歌の解釈)
「秋篠の外山の近くの里は今時雨が降っているのであろうか。
 向こうの生駒のたけには雲がかかっているよ。」
        (渡部保氏著「西行山家集全注解」から抜粋) 

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◎ ながきよのいこまおろしやさむからんあきしのさとにころもうつなり
                   (藤原家隆 壬二集)

◎ わが宿のこずゑの夏になるときはいこまのやまのみえずなりける
              (能因法師 後拾遺集・能因集)

◎ 妹こそはいまおきてゆけいこまやまうちこえくればもみぢちりつつ
                   (柿本人麿 人麿集)  

【いさご】 (山、248)

(石子=いさご)。微小な石や砂のことです。「すなご」とも
言います。

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1 我もさぞ庭のいさごの土遊びさて生ひたてる身にこそありけれ
 (岩波文庫山家集248P聞書集・西行上人集追而加書・夫木抄)

○生ひたてる
 生い立つこと。育つこと。成長すること。

この歌は二度目の陸奥までの旅から京に帰ってきて、河内の弘川寺
に移るまでの間に詠まれた歌です。嵯峨に庵を構えていて、歌人
たちと「たわぶれ歌」という題詠で詠みあった13首連作のなかの
一首です。

(歌の解釈)

「私もそのように庭の砂の土遊びをして、そうして生い育った身
 だったのだなあ。」
               (和歌文学大系21から抜粋)

【いささ】

古語。接頭語として用いられます。小さい、少ない、乏しいなどの
意味です。

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1 五月雨はいささ小川の橋もなしいづくともなくみをに流れて
                 (岩波文庫山家集49P夏歌)

○みおに流れて
 水脈(澪)に。水脈とは水路のこと。水路ができるほどに川は
 氾濫して大きな流れとなって・・・という意味。

この歌は新潮版山家集にはありません。類題本にはありますが、
類題本の当該箇所は、「いさら」と読めます。和歌文学大系21では
「いさら」の言葉を用いています。「いささ」よりは「いさら」の
方が、ふさわしい言葉のように思います。

 五月雨はいさら小川の橋もなしいづくともなく澪に流て
               (和歌文学大系21、215a)

(いさら)
 接頭語。水に関して、少し、小さいの意。

(いさら波)
 霧をさざなみに見立てていう語。

(いさら水)
 少しの出水。

(いさら井)
 ささやかな湧水。また、ちょっとした遣水。

(歌の解釈)

「梅雨時に小さな川は橋もない。どこへ流れてゆくのか、増水して
 水路ができたようだ。」
                 (和歌文学大系21から抜粋)

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◎ わがやどのいささ群竹吹く風の音のかそけきこの夕かも
                 (大伴家持 万葉集巻一九)

◎ 木の間ゆくいささ小川にもみち葉の深くも色を映しつるかな
                 (源顕仲 新千載集583番)

◎ 五月雨のいさら小川を頼りにて外面の小田を澪となしつる
                 (藤原実家 実家集)

【いささめ】 (山、249)

(いささめ)かりそめに・ふとしたこと・ひと時のこと、などを
       表す言葉。
(いささめ)スズキ目の淡水魚「イサザ」とも、シラウオの異名
       とも言われます。
      「イサザ」はハゼ科の淡水魚。琵琶湖特産で体長5センチ程度。
      とも言われます。

この言葉自体が趣向を凝らした掛詞と言ってよく、いささめの
(め)は(女)の読みでもあり、真剣に向かい合う女性では
なくて(かりそめの女性)という意味も重ねています。

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1 いまゆらも小網にかかれるいささめのいさ又しらず恋ざめのよや
     (さで)        (岩波文庫山家集249P聞書集)

○いまゆら
 語意不明です。(まゆら)(ゆら)などを調べてみても分かり
 ません。和歌文学大系21では(たまゆら)に関係する言葉か?
 とあります。

○いさ又しらず
 (いさ)は古語。(ええーと)、(さあーどうか)(うーん)
 などのように、会話の中で質問に対して明確に返答できない場合
 に、とりあえず言う言葉。否定的な気持ちで適当に受け流す状況
 下で、よく用いられます。
 (いさ又しらず)と、(知らず)という否定語と結びついて使わ
 れる場合の(また)は(同じことが再び)という意味よりも、
 あれもこれも・・・というニューアンスで用いられるようです。
 「さあ、どうだろうか。そのことについても私は全く知らない)
 と、いうほどの意味になります。

 「人はいさ心も知らずふるさとは花ぞ昔の香ににほひける」

 (いさ)については上記の百人一首35番の紀貫之の歌に、似た
 ような用例があります。

○恋ざめのよや
 (よや)は和歌文学大系21でも、渡部保氏の全注解でも(世や)
 としています。(夜や)とするなら、リアルさが伝わってきそう
 ですが、どうなのでしょう。難解な歌だと思います。
 (恋ざめの世や)で、(世)とすることによって、恋愛感情の
 終焉に至る彼我の関係を冷静に、そして客観的に見られる立ち
 位置にあることを示していると思います。実際にそういう体験が
 あったということを偲ばせてくれます。

(歌の解釈)

 「いまゆらも(語義不明)小さい網にかかっているいささめ
 (魚の名)のように(ここまでいさを言うための序)いさしらず
 (全く知らず)恋のさめてしまった世(男女の仲)よ。」
        (渡部保氏著「西行山家集全注解」から抜粋)

【いさや・いさしら雲・いさ又しらず】
   
(いさや)
 いさ+や(助詞)の結びついた言葉。
 (どんなものなのだろうな)(どんなことかは知らないが)など
 の意味を持ちます。

(いさしら雲)
 (知らず)と(白雲)は掛詞です。かつ(白雲)は花(桜)の
 比喩表現です。桜の花が満開である状況を白雲の言葉に託して、
 「さあ、それはどうだか知らないよ」と、機智的に表現されて
 います。もちろん(白雲)は桜の満開の状態を表す言葉であると
 いう共通認識によって成立している表現です。

(いさ又しらず)
 上記ご参照願います。

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1 頼むらんしるべもいさやひとつ世の別にだにもまよふ心は
   (岩波文庫山家集184P雑歌・西行上人集追而加書・玉葉集)

2 山人に花さきぬやとたづぬればいさしら雲とこたへてぞゆく
          (岩波文庫山家集249P聞書集・西行上人集)

3 いまゆらも小網にかかれるいささめのいさ又しらず恋ざめのよや
                (岩波文庫山家集249P聞書集)

○ひとつ世の別
 三世説にある前世、現世、来世ということ。ここでは現世という
 (ひとつ世)の中での距離的及び心理的な隔たりを(別)と
 言っています。
 
(1番歌の解釈)

「後世の道案内を私に、ということですが務まりますでしょうか。
 後世どころか同じ現世にあってさえ、このように離れ離れで
 お会いできないことに戸惑い気味の私です。」
                 (和歌文学大系21から抜粋)

この歌は、保元の乱で敗れて讃岐に配流された崇徳上皇の女房との
贈答歌の中の一首です。体裁としては女房との贈答歌となっていま
すが、歌の内容をみれば崇徳院その人との贈答歌であることがわか
ります。崇徳院の下の歌に対しての返歌です。

 いとどしくうきにつけても頼むかな契りし道のしるべたがふな
   (岩波文庫山家集184P雑歌・西行上人集追而加書・玉葉集)

尚、岩波文庫山家集では「頼むらん」の歌で贈答歌は終わっていま
すが、陽明文庫版では「頼むらん」の次にもう一首の西行歌があり
ます。新潮日本古典集成山家集の中にあって、岩波文庫山家集には
ない歌、五首の中の一首です。

 ながれ出づる 涙に今日は 沈むとも 浮かばん末を なほ思はなん
              (新潮日本古典集成山家集1141番)
 
【いさよふ・いさよはで】 (山、70、78、)
      
(いさよふ)
 (いさよう)のこと。
 古語。中世以降は(いざよう)。進もうとして進まない。定まら
 ない。ためらう。たゆとう。
                 (日本語大辞典から抜粋)
(いさよはで)
 (いさよう)に否定形が結びついた用法。(いさよわないで)
 のこと。

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1 秋の月いさよふ山の端のみかは雲の絶間に待たれやはせぬ
                 (岩波文庫山家集70P秋歌)

2 いさよはで出づるは月の嬉しくて入る山の端はつらきなりけり
                 (岩波文庫山家集78P秋歌)

○山の端はつらき
 月に対しての格別の思い込みがあって、月が山に隠れて見えなく
 なることの残念さを言っています。
 これはおそらくは月齢は15日以前の月を指しているのではない
 かと思いますが、この歌からだけでは結論がでません。

(1番歌の解釈)

「秋の月がなかなか出てこないのは山の端からだけではない。雲の
 絶間からだって随分待たされるよ。」
(反語を二回(かは・やは)重ね、月を待つ切実さを強調。)
                 (和歌文学大系21から抜粋)
                   
(2番歌の解釈)

「ためらうことなく直ぐ出てくる月は嬉しいが、また山の端にため
 らうことなく入ってゆくのは、まことにつらいものだなあ。」
             (新潮日本古典集成山家集から抜粋)

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◎ いさぎよき玉を心にみがき出でていはけなき身に悟をぞえし
               (岩波文庫山家集218P釈教歌)

◎ 竹の戸を夜ごとにたたく水鷄かなふしながら聞く人をいさめて
               (岩波文庫山家集260P聞書集)

上記二首の中の(いさぎよき)(いさめて)については、ここで
取り上げるほどのことでもありませんから割愛します。

【石ずゑの跡】 (山、186)

(石ずゑ)は(礎=いしずえ)のことです。石を据えることが原意
であり、建物の基礎となる柱の下の土台の石のことをいいます。
転じて、物事の基礎となること、または、それ相当の人を指します。
西行歌にある(石ずゑ)は、建物にかかる基礎としての意味である
ことは確実です。

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1 野べになりてしげきあさぢを分け入れば君が住みける石ずゑの跡
     (岩波文庫山家集186P雑歌・西行法師家集・西行上人集)

  やがてそれが上は、大師の御師にあひまゐらせさせおはしまし
  たる嶺なり。わかはいしさと、その山をば申すなり。その辺の
  人はわかいしとぞ申しならひたる。山もじをばすてて申さず。
  また筆の山ともなづけたり。遠くて見れば筆に似て、まろまろ
  と山の嶺のさきのとがりたるやうなるを申しならはしたるなめ
  り。行道所より、かまへてかきつき登りて、嶺にまゐりたれば、
  師に遇はせおはしましたる所のしるしに、塔を建ておはしまし
  たりけり。塔の石ずゑ、はかりなく大きなり。高野の大塔ばか
  りなりける塔の跡と見ゆ。苔は深くうづみたれども、石おほき
  にしてあらはに見ゆ。筆の山と申す名につきて

2 筆の山にかきのぼりても見つるかな苔の下なる岩のけしきを
                (岩波文庫山家集114P羇旅歌)

○野べになりて
 (野辺になりて)のこと。住む人がいなくなって、かつてあった
 住居の周辺が自然のなすがままの野にもどっている、そういう
 光景を言っています。

○しげきあさぢ
 浅茅(チガヤ)の繁茂していること。

○大師の御師
 シャカ(仏陀)のことです。

○筆の山
 香川県善通寺市の我拝師山のこと。標高481メートル。
 麓に曼荼羅寺があります。

○かきつき登り
 (掻き付き登り)、しがみつくように、よろぼうように登ると
 いう様を言います。筆の山の(筆)と(かき)は縁語です。

○高野の大塔
 高野山金剛峰寺の中央にある宝塔のこと。
 平安時代でも高さ48.5メートル、本壇回り102.4メートルという
 巨大な規模の建物でした。現在の大塔は昭和12年の建築といわれ
 ます。

 (2番歌の解釈)

 「我拝師山に登る。筆の山というだけあって、かきつくように
 して登ってみると、そこには大塔の礎石が苔の下に埋まっていた。
 その大きさは大師の慈悲の大きさを語るようだった。」
                 (和歌文学大系21から抜粋)

【石なご】 (山、249)

 (石な=石の意味)(石なーご)女児の遊戯の名称。
 石をまいて、その中の一つを空中に投げ上げ、落ちて来ぬ前に、
 下の石を拾って、ともにつかみとり、早く拾い尽くすことを競う
 もの。いしなどり、いしなんご、なないし。
                  (広辞苑第二版から抜粋)

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 石なごのたまの落ちくるほどなさに過ぐる月日はかはりやはする
           (岩波文庫山家集248P聞書集・夫木抄)

○かはりやはする
 (やは)は反語として機能する言葉です。
 「(やも)は(や)に終助詞(も)の添った形で、活用語の未然
 形を承けて反語に使う。多くは奈良時代に使われ、平安時代にな
 ると(やは)がこれに代わって使われた。文末の(も)が用いら
 れなくなったので、(やも)が衰亡し、(やは)が代わったもの
 である。」
                  (岩波古語辞典から抜粋)

 投げ上げた石が落ちてくるだけの時間と、人の上に流れ行く月日
 の長さにどれほどの違いがあろうかということを表しています。
 どちらにしても瞬間のものとして同義と捉えています。人生の
 終焉に近い西行の、示唆に富む感慨の言葉でしょう。

(歌の解釈)

「石なごの玉の落ちてくる間もなさと、過ぎてゆく月日は何ら
 変わりはしない。」
                 (和歌文学大系21から抜粋)

この歌は二度目の奥州への旅から京に帰ってきて、嵯峨野に庵を
結んでいた時に詠んだ「たはぶれ歌」13首の中の一首です。歌会
の席で詠まれた歌ですが、参加者の氏名は分かっていません。

【五十鈴】 (山、261)

伊勢神宮内宮を貫流する五十鈴川のことです。
五十鈴川は賀歌や神祇歌に詠まれていますが、しかし、別称の御裳
濯川の方がはるかに多くの歌に詠み込まれている川名です。
西行歌の場合でも「五十鈴」の名称はわずかに下の詞書に見える
ばかりです。

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  公卿勅使に通親の宰相のたたれけるを、五十鈴の畔にて
  みてよみける

1 いかばかり凉しかるらむつかへきて御裳濯河をわたるこころは
                (岩波文庫山家集261P聞書集)

○公卿勅使
 天皇の意向を伝えるために使わした公卿の使者のことです。
 公卿とは大臣、納言、参議及び三位以上の官職の人を言います。
 
○通親の宰相
 源通親が公卿勅使として都を立ったのが寿永二年(1183年)4月
 26日のこと。通親35歳。西行66歳。通親の官職は参議。
 この月、伊勢神宮の主な祭りもなく、皇室にも特に慶事もあり
 ませんでしたので、何のための勅使であるか不明です。源平の
 争乱期でもあり、国家安泰の祈願のためであるのかもしれません。

○宰相
 宰相は中国などでは大臣に付けられる名称ですが、日本では参議
 を指す名称です。正式な文書に自署する場合は「参議」、他者
 から呼ばれる場合は「宰相」と呼ばれたそうです。
             (和田英松氏著「官職要解」を参考)

○御裳濯川
 伊勢神宮内宮を流れる五十鈴川の別名。伝承上の第二代斎王の
 倭姫命が五十鈴川で裳裾を濯いだという言い伝えから来ている
 川の名です。

(歌の解釈)

「どれほど涼しいことだろう、廷臣として仕えてきて今、御裳濯川
 を渡る勅使の心のうちは。」
                 (和歌文学大系21から抜粋)

この詞書による歌は二首あります。もう一首は以下です。

 とくゆきて神風めぐむみ扉ひらけ天のみかげに世をてらしつつ
               (岩波文庫山家集261P聞書集)

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◎ 五十鈴川空やまだきに秋の聲したつ岩ねの松のゆふかぜ
               (大中臣明親 新古今集1885番)

◎ 神風や五十鈴の河の宮ばしら幾千世すめとたてはじめけむ
                (藤原俊成 新古今集1882番)

◎ やはらぐる光にあまる影なれや五十鈴河原の秋の夜の月
              (前大僧正慈円 新古今集1880番)