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西行ゆかりの地 一覧
 
                 (京都市及び京都府・滋賀県の一部)

   京都市西部・南部    京都市東部・北部
   京都市中心部      京都府下・滋賀県

  京 都 市 西 部    

勝持寺     西京区大原野南春日町     

    西行落飾のお寺と寺伝が伝える。「花の寺」ともいう。西行像、西行桜、他がある。

松尾大社   西京区嵐山宮町

    西行関係史跡なし。古来豪族秦氏の創建。お酒の神様として著名。
    霊亀の元号はこのお寺からのもの。

  ◎ 玉がきはあけも緑も埋もれて雪おもしろき松の尾の山

西光院     西京区松室山添

    西行の草庵「桜元庵」跡という
    室町時代作という横座りの西行像がある。

西行田     西京区。不明

    「桜元庵」の近辺にあった地名、もしくは田んぼの名称という。

法輪寺     西京区嵐山虚空蔵町

    古くからのお寺。貴顕の崇敬を受けてきた。十三参りで有名。
    「南、西行桜」と刻まれた石碑があります。

西山
    西京区右京区などの西の方にある山というほどの意味。
    仁和寺あたりでも西山と言われていました。

嵐山      西京区嵐山元録山町

    大井川右岸の山。景勝地。

   ◎  よもすがら
嵐の山は風さえて大井のよどに氷をぞしく

   ◎  いつか又めぐり逢ふべき法の輪嵐の山を君しいでなば

大井川    右京区        

    嵐山を流れる川。渡月橋より上流を指す。下流は桂川。
   
   ◎  
大井河ゐせぎによどむ水の色に秋ふかくなるほどぞ知らるる

   ◎  
大井川君が名残のしたはれて井堰の波のそでにかかれる

保津川    亀岡市

    右京区丹波山地に源を発して、亀岡市、嵐山を過ぎ、桂川、淀川と名称を変えて、
    大阪湾に注いでいる。

   ◎  氷わる筏のさをのたゆるればもちやこさまし
ほつの山越

亀山     右京区

    大井川左岸、渡月橋より上流の山を指す。小倉山の西南部分。

   ◎  萬代のためしにひかむ
龜山の裾野の原にしげる小松を

小倉山    右京区嵯峨亀の尾町

    大井川の北岸に位置し、標高283.7メーター。古来から多くの歌に詠まれている。

   ◎  
小倉山ふもとの里に木葉ちれば梢にはるる月を見るかな

   ◎ 
 をぐら山麓に秋の色はあれや梢のにしき風にたたれて

西行井戸   右京区嵯峨小倉山

    平成の時代になって新たに指定された西行関連史跡。信憑性に疑問。
    落柿舎の裏にある。

西行庵跡   右京区嵯峨二尊院門前

    二尊院を入ってすぐの左手に石碑あり。二尊院本殿前に「我がものと・・」の歌碑がある。

化野念仏寺  右京区嵯峨鳥居本

    弘法大師創建と伝えられる。化野は鳥邊野、船岡山とともに三大葬送地。

   ◎  誰とてもとまるべきかは
あだし野の草の葉ごとにすがる白露

大覚寺     右京区嵯峨大沢町

    嵯峨天皇の離宮として造営される。その後、門跡寺院となる。庭湖としての大沢池がある。

名古曽の滝  右京区嵯峨大沢町

    大覚寺の大沢の池の北側にあった滝。赤染衛門と藤原公任に滝名を詠みこんだ歌がある。

大沢池     右京区嵯峨大沢町

    大覚寺にある池。月見の名所として名高い。

広沢池     右京区嵯峨広沢町

    寛朝僧正が989年に遍照寺を建立した時に開削したと伝えられる人造池。月見の名所。

   ◎  やどしもつ月の光の
大澤はいかにいづこもひろ澤の池

   ◎  
廣澤のみぎはにさけるかきつばたいく昔をかへだて來つらむ

遍照寺     右京区嵯峨広沢西浦町

    もともとは広沢池の北西にあった大きなお寺。現在は池の東南にある小さなお寺。

嵯峨野     右京区嵯峨

    嵯峨にある野を指す言葉。一帯は歴史的遺蹟の保存区域で開発は制限されている。

   ◎  おぼつかな春の日數のふるままに
嵯峨野の雪は消えやしぬらむ

   ◎  此里や
さがのみかりの跡ならむ野山もはてはあせかはりけり

有栖川     右京区嵯峨

    嵯峨にある山から出る水と広沢池からの水が合流して、嵯峨を南流して桂川に
    注いでいる川。野宮にいた斎王は大井川で禊をしたといいます。

    ◎  君すまむ御うちは荒れてありす川いむ姿をもうつしつるかな

歌詰橋     右京区嵯峨

    天竜寺の東を流れる芹川にかかる竜門橋とのこと。西行伝説の一つ。

太秦      右京区太秦

    渡来系古代豪族の秦氏の本拠地。広隆寺は秦氏創建。

常盤      右京区常盤

    常盤の名は源常(みなもとのときわ)の山荘があったことに由来するそうです。
    大原三寂の父の為忠の邸がありました。

鳴滝の川   右京区鳴滝

    仁和寺の西方にあり、御室川ともいいます。天神川に合流しています。中世、
    洪水による被害が多く記録されています。

   ◎  しばしこそ人めづつみにせかれけれはては涙やなる瀧の川

  京 都 市 南 部  


鳥羽院     伏見区鳥羽

    白河天皇が退位後に離宮として造営したものです。白河天皇と鳥羽天皇はここで
    院政を執りました。平家物語などても、よく出てくる離宮です。

鳥羽の南殿  伏見区鳥羽

    現在は公園として整備されています。明治維新の鳥羽・伏見の戦いはこのあたりで
    ありました。清盛が後白河院を幽閉したのもここです。鳥羽離宮の紫宸殿のこと。

鳥羽田     伏見区鳥羽

    鳥羽にある田というほどの意味です。必ずしも田んぼということではなくて、
    鳥羽の平地というほどの意味でしょう。

   ◎ なにとなくものがなしくぞ見え渡る
鳥羽田の面の秋の夕暮

近衛天皇陵  伏見区竹田内畑町

    安楽寿院の南側にあります。美福門院が自分のために作った陵ですが、
    夭折した近衛天皇が葬られました。

鳥羽天皇陵  伏見区竹田内畑町

    1156年に鳥羽法皇が安楽寿院で崩御した時、西行も安楽寿院に行っています。
    そして絶唱調の歌を残しています。

安楽寿院   伏見区竹田内畑町

    鳥羽上皇の発願によって創建されたお寺。1137年の創建ですから西行も当然に見ています。
    見ているというより、鳥羽院の崩御の折に、たまたま都にいて、ここで読経しています。

城南宮    伏見区中島

    白河院の鳥羽離宮よりも古いお寺ですが、離宮の中に組み込まれてしまいました。
    城南寺と言っていました。「明月記」にも出てきます。

西行寺    伏見区

    白河天皇陵の北側に位置します。西行が剃髪、落飾した場所だと寺伝が伝えている
    そうです。江戸時代は残っていましたが、明治になっての廃寺です。

深草     伏見区

    伏見の西方に位置する地名です。鶉は深草の枕詞です。藤森神社あたりが中心地です。

    ◎  鶉なく折にしなれば霧こめてあわれさびしき
深草の里

伏見     伏見区

    古くから開けていました。紀氏、秦氏の本拠地になっていました。農耕の神、
    伏見稲荷大社があります。西行時代より古くからのものです。

    ◎ 
ふしみ過ぎぬをかのやに猶とどまらじ日野まで行きて駒こころみむ

醍醐の理性院   伏見区醍醐伽藍町

    「醍醐の東安寺の理性院」とありますが東安寺は理性院の支院とのことです。
    理性院は醍醐寺の塔頭の一つで西住法師がいました。

日野     伏見区醍醐日野

    醍醐寺の南にあります。日野氏は藤原氏の一流です。足利義政室の日野富子などが
    出ています。

   ◎ 
ふしみ過ぎぬをかのやに猶とどまらじ日野まで行きて駒こころみむ

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