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西行ゆかりの地 一覧
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京 都 市 東 部 |
今熊野観音寺 東山区今熊野
山家集にある「観音寺」は諸説あるようですが、ほぼ、この観音寺を指すと解釈されている
ようです。 弘法大師の創建という説もあります。
鳥辺野・鳥辺山 東山区
古代からの葬送地。現在、大谷本廟の墓苑になっている。
清水谷 東山区不明。
大谷墓苑の東方の谷、国道1号線の下あたりを指すようですが、よくわかりません。
清水 東山区清水
清水寺のことと特定していいと思います。清水寺には大晦日にこもる習慣があったと
いうことです。
音羽山 東山区
清水山の別称です。清水寺は清水山を借景にしてあるということです。山家集の音羽山は
ここではなく、逢坂にある音羽山と解釈して良いと思います。
霊山 東山区清閑寺
高台寺のある山で霊山は鷲峰山ともいいます。高台寺は豊臣秀吉の正室、、
北政所が住んだ寺です。その南に甥の木下長嘯が30年間住みました。
高台寺 東山区下河原通り
このお寺の地所がまだ双林寺のものだったときに、西行が宮城野から持ちかえった萩を
植えたそうです。高台寺完工後も萩は名物だったそうです。
双林寺 東山区鷲尾町
古くは大きなお寺でしたが、高台寺や円山公園のために地所を削られて、現在はごくごく
小さなお寺です。平康頼、頓阿、西行などが住みました。
西行庵 東山区
双林寺の飛び地にあると言うことです。芭蕉庵もあります。
長楽寺 東山区八坂鳥居前町
昔は紅葉の名所ということでした。このお寺も昔は広い地所でした。大谷御廟のために
削られたそうです。建礼門院が落飾したお寺と言われます。
東山 東山区
いわゆる東山のことです。東山36峰と言われて、叡山から数えて36の名前が峰に
ついています。現在の行政区分で判断してもいいと思います。
白川 東山区
西行のいう白河は白河御所のあったあたりを指すと思います。したがって、現在の
平安神宮から西にかけてでしようか。
白河殿 左京区
岩波山家集170Pにある白河殿は白河南殿のことです。現在の東大路の西、二条通りの
北側にありました。これとは別に白河北殿もありました。
北白河 左京区
大まかで場所を特定できません。現在の北白川と今出川通りの交差する以北と考えて
よろしいです。俊恵の「歌林宛」もありました。
北白河天神宮 左京区
794年以前からあったとみられる古い神社です。この神社には西行の「風あらみ梢の花の・・・」
の自然石に彫られた歌碑があります。付近に縄文遺蹟あり。
修学院 左京区修学院町
もともとは叡山三千坊の一つですが、後水尾上皇が1656年に離宮として完成させた
ものです。従って、西行時代は小野氏の所領にあった寺の一つです。
岩倉 左京区
古代の磐座信仰のままに、平安遷都の時に一切経を埋めたところとのことです。
国際会館のある宝ヶ池あたりも岩倉です。
長谷川 左京区岩倉長谷町
岩倉盆地の東北を流れる小川です。「ながたにかわ」と読みます。
八塩の丘 左京区岩倉長谷町瓢箪崩山(花園山)
楓の木が多くて、紅葉がみごとだったようです。
花園山 左京区岩倉花園
1100年初め頃に「花園村」という村名がついたようです。でも歌にある「花園山」は
特定不可です。右京区花園も含めて、よくわかりません。
逢坂の関 滋賀県
京都と滋賀県を隔てる関。滋賀県ですので、滋賀県の所に記述します。
音羽山 山科区
逢坂の関の南にある山です。古来、歌枕としてよく詠まれています。西行の歌にある
「音羽山」も清水ではなくてここの山なのでしょう。
京 都 市 北 部 |
大原 左京区大原
比叡山の西麓にあたる。叡山の俗化を嫌った多くの僧が住む。勝林院と来迎寺の
融通念仏が盛んであった。
小野 左京区
小野の地名は京都に何ヶ所もあって、ここだと特定することはほぼ不可能です。
左京区小野、山科区小野、北区小野などがあり、小野氏に関係しています。
せれう 左京区大原草生町
芹生は鞍馬山の奥の北桑田郡京北町にもありますが、歌の内容からみて、大原地内と
考えるのが自然です。ここでは左記地名の「せれう」と思います。
来迎院 左京区来迎院町
大原、三千院の東にある呂川に沿った坂道にあります。勝林院とともに融通念仏の
中心地です。西行も徳大寺実能とともにここに来ています。(続後撰集)
おとなしの滝 左京区来迎院町
来迎院の東(山の手)へ300メーターほど登った所にあります。西行の「おとなしの滝」の歌も
和歌山県ではなくて、ここであると特定していいと思います。
おぼろの清水 左京区大原草生町
三千院と寂光院の中ほどに位置します。建礼門院ゆかりの清水ということです。ちなみに
西京区大原野にも「おぼろの清水」があります。
しずはらの里 左京区静市静原町
鞍馬寺の東方に位置する山間の町です。後白河法皇の大原御幸は静原から江文峠を
越えて大原寂光院までのルートをとりました。
鞍馬 左京区鞍馬本町
鞍馬山中腹にある大きなお寺です。西行が落飾して「鞍馬の奥に侍る」は鞍馬山一僧坊を
指すのか、それとも鞍馬以北を指すのか、はっきりしていません。
くらぶ山 左京区
「くらぶ山」は古今集では場所特定不可とあります。都名所図会では貴船山と明記して
います。伊藤嘉夫氏は古典全書、山家集で鞍馬山と断定しています。
氷室 北区西賀茂氷室町
平安時代に氷室は京都で10ヶ所あったと記録にあります。西行の歌にある氷室は
西賀茂の氷室と断定できるのかどうかわかりません。
高尾寺 右京区梅が畑高雄町
高尾にある神護寺のことです。西行の時代は文覚が再興して住持していました。
出家したばかりの幼い明恵ともこのお寺で面識ができたのでしょう。
清滝川 北区及び右京区
小野郷の桟敷が岳を源として、中川高雄の集落を経て、保津川に注ぐ約20キロの川。
途中に槇尾、栂尾、高雄の三尾がある。