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○ 掛川市内
○ 事任八幡宮と日坂宿
○ 日坂から中山峠まで 1
○ 日坂から中山峠まで 2
○ 中山峠
○ 中山峠から菊川まで
○ 菊川から島田まで
○日坂宿から小夜の中山峠まで 1
日坂の中山峠上り口から峠までは3キロ弱。現在は生活道路として、また農道として
舗装されています。江戸時代の東海道は石畳製と義務付けられていましたので、
江戸時代は石を敷き詰めていました。西行の時代は土だけの地道だったでしょう。
東海道はもともと6メータの幅の道路と決められていましたので(延喜式)、人一人が
通れるような狭い道ではありません。結構道路幅はあるのですが、それでも、この道は
3メータ程度の道幅のところもあります。
画像は峠道を登り始めてすぐのところです。
上の撮影場所あたりから見た国道一号線。民家は日坂です。この街道は当日は私の
専用街道みたいなものでした。
道なりに登っていくと曲がりくねった急坂となります。沓掛の坂です。画像は上から下に
向かって撮影。画像では傾斜のきつさが分かりにくいです。
下の広重の絵碑はこの坂にあるものです。当時でも店があったものでしょう。
何の花か知りませんが葉がピンクと緑にくっきりと分かれていました。路傍にありました。
道の左右はお茶の畑が延々と続きます。この地にお茶が植えられたのは明治になって
からです。武士たちが職を失って刀を鍬に持ち替えて、開墾したもの。また、大井川の
川渡しの人足たちも茶の栽培を始めました。初期はきついものだったようです。
茶畑になる以前は自然のままの手付かずの森だったのでしょう。
下の画像は茶の樹の下側です。農家の方々のご苦労が偲ばれます。剪定を繰り返して、
丈の低い、しかし樹勢の良いお茶の樹ができているのでしょう。
広重の絵碑は二幅しかありませんでした。この絵のある地点は、こんなには坂はきつくは
なかったので、おそらくは近年になって道路は改造されたものと思います。
小夜の中山には「夜泣き石伝説」があって、それにちなんで建てられた石碑。
芭蕉の句碑です。野ざらし紀行にあります。
「馬に寝て 残夢月遠し 茶のけぶり」
こんな平坦な道がしばらく続きます。歩きやすいです。民家も所々にあって、山の中を
歩いているのか?と戸惑うほどです。
これも芭蕉の句碑です。「涼み松」というのがありました。
「命なり わづかの笠の 下涼み」
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