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   「小夜の中山」 写真集

   ○ 掛川市内              小夜の中山(マガジン)
   ○ 事任八幡宮と日坂宿
   ○ 日坂から中山峠まで 1
   ○ 日坂から中山峠まで 2
   ○ 中山峠
   ○ 中山峠から菊川まで
   ○ 菊川から島田まで

    撮影日 2006年9月21日(木)

 自宅→史跡公園前バス→JR向日町→京都駅→掛川駅→駅前バス→事任八幡宮
 (徒歩)→日坂→小夜の中山→菊川→金谷駅前バス→島田駅JR→掛川駅→
 (徒歩)掛川城→掛川駅→京都駅→向日町駅→バス物集女→自宅

 ○ 6時起床。6時44分発のヤサカバスでJR向日町まで。58分着。
   掛川までの新幹線往復切符購入。この時間でも駅には人が多い。

 ○ 7時07分発の普通電車で京都駅。14分着。7時26分発「のぞみ」乗車。
   名古屋着8時04分。「ひかり」乗り換え。名古屋発8時13分。
   浜松着8時44分。「こだま」乗り換え。浜松発8時53分、掛川着9時05分。

 ○ 駅前のコンビニで弁当などを調達してから付近を探検。9時40分発の掛川
   バスサービスの東山行きに乗車。事任(ことのまま)八幡宮には10時着。
   バスの便数が少ない。

 ○ 事任八幡宮で20分ほど。古びた社である。以後、旧東海道を歩いてすぐの
   日坂まで。街道沿いの家はほとんどが旅籠だったという宿場町の面影を今に
   強く残している。

 ○ 日坂宿を抜けて、ほぼ11時から「小夜の中山」に取り付く。上り口の沓掛の坂が
   少しきつい。汗が噴出する。しかしその坂を上りきれば道は平坦なところが多くなる。
   道沿いには所々民家も建っている。道は生活道路、農道として全面が舗装されて
   いて、車にも出会う。道幅は多くのところで3メータ程度。延喜式では道幅は
   6メータと定められていたはずだが、それほど広くは取れなかったものだろう。
   道の両側は茶畑がとても多い。

 ○ かなりの歌碑、句碑、絵碑がある。歌碑11、句碑4、絵碑2とのこと。
   ほぼ12時に小夜の中山峠に着く。

 ○ 峠に作られている「小夜の中山公園」で食事。御影石(?)に彫られている西行の
   「風になびく・・・」の歌碑が建っている。眺望が良い。富士山が見えるかと思ったが
   分からない。少し西の袋井市には「見付」があって、それは富士山が見えるから
   付けられた地名。このあたりにも「富士見」の地名があったはずなので、期待したの
   だが・・・私の視力が弱いために見えないのかもしれない。
   「年たけて・・・」の歌碑は特別製のもの。やるなーと思う。
   久延寺拝観。ここも古い社。伝説の「夜泣き石」「二宮金次郎像」、山内一豊が
   家康をもてなした茶亭などがある。
   すぐ隣に小夜の中山名物「子育て飴」を売っていた「扇屋」があるが、あいにくと
   店を閉めている。

 ○ 12時45分、峠を出発して菊川に向かう。ほぼ平坦だった道は、程なく急な
   下り坂となる。箭置(やおき)坂という。(青木坂とも)ちょっと躓けばそのまま
   逆落としに転がり落ちるような急坂である。
   登るにしろ下るにしろ、これはきついと思う。小夜の中山道が難所であった
   ことを実感する。坂道の勾配のきつさによって難所と言われたものだろう。

 ○ 下りきるとそこは菊川の里。民家も少ない。金谷と日坂の中間の「間の里」である。
   なんとしたことか、ここで道に迷う。30分ほどのロス。ちゃんと分かるような標識を
   もう少しつけて欲しいものです。違う道を大分行ってから、おかしいと思って
   引き返して正しいルートと遭遇。
   道は石畳になっている。かえって歩きにくい。腰と膝を痛めそうな感じで足先に
   注意を払う。全長611メータの登り道。菊川坂石畳と言って、5年前に住民の
   手で作られたとのこと。
   登りきった所に休憩所がしつらえてあって15分ほど休憩。ガイドブックを見たり、
   少しメモを取ったりする。
   
 ○ 休憩所のすぐそばに「諏訪原城跡」がある。武田勝頼の城でしたが家康に
   攻められて落城。450年ほど昔の話。
   現在は一部茶畑などになり、樹木も生い茂っていて、その遺構ははっきりとは
   わからないというのが実情です。国の指定の史跡との事。

 ○ 諏訪原城跡をさっと見てから道なりに進んで行くと、金谷にと向かう下り坂。
   ここでも石畳の道です。江戸時代の東海道は原則として石畳道であることを
   義務付けられていましたので、当時の旅人も歩くのはずいぶんときつかった
   のではなかろうかと想像します。
   でも降雨の場合は土道では難渋を極めたはずですし、石畳の道のほうが
   いいのかも知れません。足先に気を配りながら430メーターの急坂を下りました。
   この道も金谷町の人々によって平成3年から4年間をかけて作られた道との
   事です。

 ○ 下りきると金谷の町。この町は西行時代にはなかったものと思います。平安時代の
   東海道は金屋の町を通らなくて菊川の里から南に向かっていたようです。
   江戸時代は金屋の町の少し東にある大井川は、幕府によって舟での渡川を禁止
   されていました。旅人は川越え人足によって大井川を渡されていました。
   大井川の水嵩が増えれば何日も川止めされますので、その期間は金谷の宿に
   逗留するしかなくて、そのためにこの宿場は発展したそうです。

 ○ 14時に金谷駅着。駅前に島田駅行きのバスが止まっていたので、良く
   考えないままに飛び乗る。10分ほどしてバス発車。大井川を越える。
   島田駅下車。ここから歩いて金屋に戻ろうかと思ったが結局はJRで
   掛川駅まで戻る。島田発14時52分、掛川着15時11分。

 ○ 駅から掛川城まで歩く。この城は1994年(平成六年)に木造で復元された
   もの。小さな山城なので、縮小されていると思うが確認できない。山内一豊が
   10年間城主をしていた城。
   テレビドラマ「功名が辻」の関連で、「千代と一豊・掛川館」というのを
   やっていたので見物。
   少し歩いたり買い物をしたりして掛川からの(こだま)乗車は16時41分。
   名古屋乗換え、京都着18時33分。自宅に帰り着いたのは19時20分。
   朝が早かったので少し疲れた感じもする。

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