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 だい たいら たえ〜たが  たき〜たづ   たつ〜たら


  滝の白糸・たぐひ・たぐふ・たぐへ・たけくまの松・たたふ・たたま・たちゐ・たちばな・たづ

       立石崎→第148号「逆艪」参照 
       立ちもはなれず→第163号「しげめゆひ」参照
       立羽おとして→第169号「しば・柴 (2)」参照 
       たちはなれにし→第107号「唐衣」参照 
       たつきうつべし→第134号「苔」参照 
       たとへむ方→第135号「心地(01)」参照
       たなうの社→第163号「四国」参照
       田仲荘→第206号「平清盛及び西行と社会関係年表」参照 
       たななし小舟→第170号「しまき・しまく」参照 
       たな橋→第167号「信夫・しのぶの里」参照 
       たなばた・棚機→第150号「ささがに」参照 
       谷のかけひ→第94号「霞(1)」参照 
       手ぬきれ→第99号「かたみ・籠・かたみ」参照 
       たねつくる→第70号「えぶな」参照 
       たのめし人→第174号「寂然 01」参照 
             たはぶれ歌→第147号「嵯峨・嵯峨野」参照 
    たはぶれられし→第40号「いはけなき身・いはけなかりし」参照
    たはれてたつる→第166号「篠・しの」参照 
    たひらかに過ぎ→第98号「かため・かたく・かたき」参照
      たぶさの玉→第173号「釈迦・世尊・大師の御師」参照 
    たふしと申す島→第149号「さぎしま」参照 

【滝の白糸】

滝の落下する水を糸に見立てています。白糸のような滝であり、
落下する水の比喩表現です。
幅の広い滝では、滝そのものを細い「白糸」に例えるのは無理が
ありますから、「滝の白糸」は滝および水が形容された言葉だと
理解できます。

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01 雲消ゆる那智の高峯に月たけて光をぬける瀧のしら糸
           (岩波文庫山家集72P秋歌・新潮382番・
              西行上人集追而加書・夫木抄)

02 こがらしに峯の紅葉やたぐふらむ村濃にみゆる瀧の白糸
          (岩波文庫山家集91P冬歌・新潮500番)

03 水上に水や氷をむすぶらんくるとも見えぬ瀧の白糸
    (岩波文庫山家集94P冬歌・新潮555番・西行上人集)

○那智の高峯

熊野三山の一つである那智山のことです。
ただし一つの山を指すのではなくて那智連山の総称です。

○月たけて

「月長けて」であり、満月かそれに近い月齢の月の煌々とした光が
降り注いでいる情景が想像できます。
秋の夜の静謐で厳かな情景を詠った歌です。

○光をぬける

(貫ける)(抜ける)の両方の解釈が成立します。
光と水のたわむれる情景を想起させます。

○たぐふらむ

伴うこと。一緒であること。

○村濃にみゆる

所々は濃く見えること。

○くるとも見えぬ

滝のために水が流れて来るとは思えない状況を言います。

(01番歌の解釈)

「那智山に雲が消えると月は天高く昇り、白糸のように美しい
滝の飛沫の一つ一つに月光が映って、光の玉を滝の糸が
貫いたかに見える。」
                (和歌文学大系21から抜粋)

(02番歌の解釈)

「木枯に峯の木の葉が伴われて散ってくるのであろう。普段は白糸と
なって落下する滝の水なのに、紅葉が交ってまだらに見えるよ。」
               (新潮日本古典集成から抜粋)

(03番歌の解釈)

「水源の水が凍ったのであろう。滝まで水が来ない。普段は糸を
引き寄せるように水を手繰り寄せている滝が、今は糸を結ぶように
山水を凍結させてしまったのであろう。」
                (和歌文学大系21から抜粋)

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【たぐひなき・たぐひ】

「類・比=たぐひ」は、複数の事々が存在する時に用い、同じような
物事、同類、類似などについて言います。
一つと、そしてもう一つの事柄、及び多数の事々と比較対照させる
という前提的な条件のもとで用いられます。
並ぶもの、匹敵するもの、同道・同行するものなどをも意味します。

「たぐひなき」はその反対で、比べるものがない、並ぶものがない、
匹敵するものがない、際立っているという意味で使われる言葉です。

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01 たぐひなき花をし枝にさかすれば櫻にならぶ木ぞなかりける
           (岩波文庫山家集31P春歌・新潮73番)

02 たぐひなき花のすがたを女郎花池のかがみにうつしてぞ見る
           (岩波文庫山家集59P秋歌・新潮283番・
                西行上人集・山家心中集)

03 たぐひなき心地こそすれ秋の夜の月すむ嶺のさを鹿の聲
          (岩波文庫山家集74P秋歌・新潮397番)

04 むま玉のよる鳴く鳥はなきものをまたたぐひなき山ほととぎす
            (岩波文庫山家集237P聞書集75番)

     又の年の三月に、出羽の國に越えて、たきの山と申す
     山寺に侍りける、櫻の常よりも薄紅の色こき花にて、
     なみたてりけるを、寺の人々も見興じければ

05 たぐひなき思ひいではの櫻かな薄紅の花のにほひは
        (岩波文庫山家集132P羈旅歌・新潮1132番)

06 たぐひなき昔の人のかたみには君をのみこそたのみましけれ
  (藤原成通遺族歌)(岩波文庫山家集207P哀傷歌・新潮811番)

07 巻ごとに玉の聲せし玉章のたぐひは又もありけるものを
  (院の少納言の歌)(岩波文庫山家集180P雑歌・新潮1351番)

○花をし

「し」は「たぐひなき花」を強調する副助詞です。
語調を整える作用もあると思われます。

○女郎花

植物名。オミナエシ科の多年草。高さは1メートル程度。
夏から秋に淡黄色の小花を傘状にたくさんつけます。
秋の七草の一つです。オミナメシの別称もあります。

○むま玉

「うばたま」「ぬばたま」「むばたま」とも言います。
本来はヒオウギという植物の真っ黒い実を指すようですが、
それから転じて枕詞的に「闇」「黒」の言葉やイメージを引き出す
ために用いられます。
04番歌には「闇」「黒」の言葉は使われていませんが、漆黒の闇を
イメージさせるための言葉として機能しています。

○よる鳴く鳥

郭公は夜にも鳴く習性があります。

○又の年の三月

初めての陸奥行脚の時に陸奥で一冬を過ごしてから出羽の国に
廻ったということを示しています。
具体的には何年のことかわかりません。
おそらくは1147年の春の事ではないかと思います。

○出羽の國

奥羽地方の羽の国で、現在の秋田県と山形県をあわせて出羽の国
と言っていました。
出羽の国は明治になって羽後(秋田県)と羽前(山形県)に分割
されました。
現在では(では)と発音するのが普通ですが、それは(いでは)
から転じた呼び方です。(出(い)でて)が(出(で)て)に変化
したのと同様です。

○たきの山
 
山形市にある霊山寺のある山をいいます。平泉からの帰路に立ち
寄った事になります。

○薄紅の色こき花

大山桜・江戸山桜・紅山桜・香山桜などが想定されています。
「薄紅」「にほひ」は普通は梅にかかる言葉です。
しかしここでは桜と明記しており、かつ、「にほひ」も嗅覚とし
てのものではなくて、視覚的な意味合いで用いられています。

○なみたてる
 
風が吹いていて、桜が波のように見える光景のこと。 

○昔の人

死亡した人の事を言います。ここでは藤原成道のこと。

○巻ごとに

山家集の各巻ごとにということ。山家集は上中下の三巻で構成されて
いますが、院の少納言の局が見た時には三巻のすべてができていた
ようです。

○玉の聲

美しく、大切な言葉であり、すばらしい歌であるということ。

○玉章

「玉梓=たまあずさ」の略語で、(たまずさ)と読みます。
伝言などを伝える時に、使者は梓の木で作った杖を用いたので、
そこから来た言葉です。
手紙や優れた文章のこと。ここでは西行の歌を指します。

○藤原成通

06番歌は1162年に66歳で没した藤原成通の遺族との贈答歌の1首
です。この時、西行45歳でした。西行のかえし歌は以下です。

 いにしへのかたみになると聞くからにいとど露けき墨染の袖
         (岩波文庫山家集207P哀傷歌・新潮812番)

藤原成通は1097年誕生。1162年没。権大納言藤原宗通の子。
侍従・蔵人・左中将を経て1143年に正二位。1156年に大納言。
1159年に出家。法名は栖蓮。家集に成通集があります。
詩歌、蹴鞠に秀でていたことが「今鏡」に記述されています。
蹴鞠は「鞠聖」とも言われ「成通卿口伝日記」に蹴鞠のことが
書かれているそうです。蹴鞠の名手と言われた西行も成通から
蹴鞠を習っており、以後、親交のあったことがわかります。
成通は1160年に藤原隆信とともに美福門院の遺骨を高野山に
持って行って納めています。その時に西行も立ち会ったことが、
204ページの哀傷歌からもわかります。

成通と西行には二度の贈答の歌が残されており、作歌年代は両作
ともに成通が大納言となった1156年以降のものです。

○院の少納言の局

少納言信西の女。建春門院(後白河天皇女御)に出仕。「建春門院
中納言日記」によれば阿闍梨覚堅の妹。
            (新潮日本古典集成山家集から抜粋)

生没年未詳。建春門院少納言。この時点では後白河院女房。少納言
藤原実明(季仲男)女。「言葉集」に左京太夫修範とのと恋の贈答
があり、紀伊二位没時には修範室として服喪したか。但し、保延
元年(1135)より待賢門院女房であり、紀伊二位と同世代か。祖父
と推定される季仲と夫(恋人)の修範とは生年に百年ほどの差が
ある。一説に少納言通憲(信西)女ともいう。
                (和歌文学大系21から抜粋)

「西行の研究」の窪田章一郎氏も院の少納言の局は藤原信西と
二位の局(紀伊二位)の間に生まれたとしています。
藤原信西(藤原通憲)は1159年の平治の乱で没したのですが、院の
二位との間に藤原茂範(しげのり)、藤原修範(ながのり)、
阿闍梨覚堅などがいます。仁和寺の明遍や建礼門院に仕えた阿波
内侍なども二人の子供です。
少納言の局は信西と院の二位とのあいだの子供ではなくて、二人の
子である藤原修範の妻であったものと思われます。
阿闍梨覚堅は修範の兄ですから、少納言の局は実妹ではなく義妹に
当たるのかもしれません。 

(01番歌の解釈)

「比類なく美しい花を枝に咲かせるので、桜にならぶ
木はないことだ。」
            (新潮日本古典集成山家集から抜粋)

(02番歌の解釈)

「女郎花は池のさざ波に枝をひたして、あたかももの思う人の
涙に濡れているごとき風情である。」
            (新潮日本古典集成山家集から抜粋)

(03番歌の解釈)

「こんなに美しい秋夜はない。空には月が澄み続け、峰に鳴く
牡鹿の澄んだ声も聞えてくる。」
                (和歌文学大系21から抜粋)

(04番歌の解釈)

「夜に鳴く鳥はないものなのに、夜に鳴くとは他に並ぶ
ものがない山郭公よ。」
                (和歌文学大系21から抜粋)

(05番歌の解釈)

「比類のない思い出となる出羽の国の桜であることよ。
普通よりも紅色の濃い花の美しさは。」
               (新潮日本古典集成から抜粋)

(06番歌の解釈)

「亡くなった人の、他に比べようのない形見としては、
あなただけをお頼み申すことでございます。」
               (和歌文学大系21から抜粋)

(07番歌の解釈)

「拝見した山家集は、どの巻からも金玉の如き美しい和歌が
見出されます。現在にもこんな素晴らしい歌集があったのですね。
もっと早くに気付くべきでした。」
               (和歌文学大系21から抜粋)

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      たすきのおひめ→第156号「三位」参照 
      尋ねてしがな→第107号「唐国・唐土」参照 
      ただの松をひきそへて→第130号「ごえふ」参照 
      忠盛の八条→第129号「高野」参照 

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【たぐふ・たぐへ】
    
自動詞ハ行四段活用及び他動詞ハ行下二段活用です。
「たぐふ」は連体形と終止形、「たぐへ」は未然形と命令形です。
「類ふ・比ふ」「類へ・比へ」と表記し、並ぶ、一緒になる、共に
行動する、合せる、などの意味合いを持つ言葉です。

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01 山おろしに鹿の音たぐふ夕暮を物がなしとはいふにやあるらむ
           (岩波文庫山家集69P秋歌・新潮433番)

02 暁の嵐にたぐふ鐘の音を心の底にこたえてぞきく
          (岩波文庫山家集170P雑歌・新潮938番・
     西行上人集・山家心中集・千載集・御裳濯河歌合)

03 梅が香にたぐへて聞けばうぐひすの聲なつかしき春の山ざと
           (岩波文庫山家集22P春歌・新潮41番・
                西行上人集・山家心中集)

04 かきくらす雪にきぎすは見えねども羽音に鈴をたぐへてぞやる
          (岩波文庫山家集102P冬歌・新潮524番)

05 こがらしに峯の紅葉やたぐふらむ村濃にみゆる瀧の白糸 
          (岩波文庫山家集91P冬歌・新潮500番)

06 かさねてはこからまほしきうつり香を花橘に今朝たぐへつつ
           (岩波文庫山家集144P恋歌・新潮587番)

07 わが涙しぐれの雨にたぐへばや紅葉の色の袖にまがへる
          (岩波文庫山家集147P恋歌・新潮605番)

08 よだけだつ袖にたぐへて忍ぶかな袂の瀧におつる涙を
      (岩波文庫山家集162P恋歌・新潮1325番・夫木抄)

     五條三位入道、そのかみ大宮の家にすまれけるをり、
     寂然・西住なんどまかりあひて、後世のものがたり申し
     けるついでに、向花念浄土と申すことを詠みけるに

09 心をぞやがてはちすにさかせつるいまみる花の散るにたぐへて
           (岩波文庫山家集259P聞書集244番)

10 心ざし深くはこべるみやだてを悟りひらけむ花にたぐへて
    (みやだて歌)(岩波文庫山家集134P羈旅歌・新潮1072番)
 
11 分けて行く山路の雪は深くともとく立ち帰れ年にたぐへて
    (平時忠歌)(岩波文庫山家集134P羈旅歌・新潮1058番)

○山おろし

山から吹きおろす風の事ですが、普通は冬季の強く冷たい
風を指します。

○かきくらす

(掻き=かき)は接頭語。引っかく、掻き回すの意味がある。
(くらす)は(暮らす)ではなく、「暗し」のこと。

かき乱したようにあたり一面が暗くなること。
心をかき乱すように暗くすること。

○きぎす

野鳥の「キジ」の異名です。

○鈴をたぐへて

鷹狩りの時に鷹を見失わないように鈴をつけたそうです。
(たぐへて)は、一緒にする、付き添わせる、付ける、という
意味です。
新潮版では「鈴をくはへてぞやる」となっています。

○こがらし

「木を吹き枯らす風」の意。(木嵐=こあらし)の転とも。
晩秋から冬にかけて吹く冷たい北寄りの季節風。
            (講談社「日本語大辞典」から引用)

○村濃(むらご)にみゆる

濃く薄くのこと。濃い部分と淡い部分があるということ。
濃さが一定していないこと。

○瀧の白糸

瀧から落ちてくる白く見える水の筋を糸にたとえて表現した
ものです。

○こからまほしき

和歌文学大系21では「濃からまほしき」と表記されています。
「濃からまほしき」の文法については、手持ちの古語辞典では
分からず、図書館に行って調べましたが、それでも分かりません
でした。
「濃く」+「からむ?」+「まく」+「ほし」だとは思いますが、
確信がもてません。
意味は「濃くあってほしい」ということです。

(まほし)

平安時代になって用いられだした希求の助動詞。
「○○してほしい」という希望を表します。動詞の未然形を受け
て、形容詞のシク活用と同等の活用をします。「まほしき」は
「まほし」の連体形の活用です。

○よだけだつ

衣服の丈に余裕を残して裁断するという衣服制作上の方法をいう
そうです。

○袂の瀧

涙を袂で拭くことによって、その涙が衣に染みこんではいるけれ
ども、それでもあふれた涙が滝のように激しく流れ落ちるという
誇張表現です。

○五條三位入道

藤原俊成のこと。1176年に出家して釈阿と号します。
五条は五条東京極に住んでいたため、三位は最終の官位を
指しています。

○大宮の家

藤原俊成が葉室顕廣と名乗っていた時代に住んでいた家のことです。
俊成は1167年12月に葉室顕廣から藤原俊成にと改名しています。
大宮の家は俊成の家ではなくて葉室家の邸宅のあった場所ではない
かとも思えます。歌も1167年12月以前のものと考えられます。

俊成の家としては「五条京極第」が知られています。五条とは現在
の松原通りのこと。京極とは東京極で今の寺町通りのことです。
だから五条京極第は寺町松原あたりにあったとみるのが妥当です。
大宮とは離れています。
現在、烏丸松原下る東側に「俊成社」という小さな祠があります。
このあたりが三位入道時代の俊成の住居があった所です。

○西住

俗名は源季政。生没年未詳です。醍醐寺理性院に属していた僧です。
西行とは出家前から親しい交流があり、出家してからもしばしば
一緒に各地に赴いています。西行よりは少し年上のようですが、
何歳年上なのかはわかりません。
没年は1175年までにはとみられています。
千載集歌人で4首が撰入しています。
「同行に侍りける上人」とは、すべて西住上人を指しています。
没後、西住法師は伝説化されて晩年に石川県山中温泉に住んだとも
言われています。現在、加賀市山中温泉西住町があります。

○後世のものがたり

死後のことを話し合ったということ。極楽浄土の話題のこと。
「ものがたり」は話し合うこと。雑談です。

○はちすにさかせつる

浄土の蓮華のように心の花を咲かせるということ。

○いまみる花の散る

無常感からの開放をいう。死を賛美しているようにも取れます。

○みやだて

「みやだて」という身分の低い女性が出家して吉野に住んでいました。
その女性から花という名のくだもの(お菓子)を送ってきたので、
そのお礼として西行は歌を託したのです。
西行とは何かしらの関係のあった人物のようです。
「みやだて」からの返し歌が11番です。西行の歌は以下です。

 をりびつに花のくだ物つみてけり吉野の人のみやだてにして
    (西行歌)(岩波文庫山家集133P羈旅歌・新潮1071番)

(01番歌の解釈)

「山おろしの風に伴って鹿の哀音の聞えて来る夕暮にこそ、
他はものの数でなく、もの悲しいとはいうのであろう。」
           (新潮日本古典集成山家集から抜粋)

(02番歌の解釈)

「暁の嵐に伴って聞えてくる風の音を、心の底から無常の
響きとして聞くことである。」
           (新潮日本古典集成山家集から抜粋)

(03番歌の解釈)

「梅の香を味わいながら鴬の声を聞くと、鴬の声まで香って、
春の山里に愛着を感じる。」
               (和歌文学大系21から抜粋)

(04番歌の解釈)

「雪が降りしきって、雉の姿は見えないが、羽音のする方向に
合わせて鷹の鈴の音を放ち遣る。」
               (和歌文学大系21から抜粋)
          
(05番歌の解釈)

「木枯に峯の木の葉が伴われて散ってくるのであろう。普段は
白糸となって落下する滝の水なのに、紅葉が交じってまだらに
見えるよ。」
           (新潮日本古典集成山家集から抜粋)

(06番歌の解釈)

○新潮版歌

新潮版では以下のように「こからまほしき」は、「乞ひえまほしき」
となっています。

 かさねては 乞ひえまほしき 移り香を 花橘に 今朝たぐへつつ
             (新潮日本古典集成山家集587番)

「袖を重ねての共寝を重ね、染みこませようと思う移り香を、
今朝は花橘の香をその移り香にたぐへつつ、逢った折のことを
懐かしむことだ。」
           (新潮日本古典集成山家集から抜粋)

「何度もあなたに逢って、あなたの移り香をもっと濃く身につけ
たい。そう思っていたら、今朝強く香った花橘にあなたの匂いが
した。」
               (和歌文学大系21から抜粋)

(07番歌の解釈)

「雨のように流れる私の涙を時雨になぞらえたいものだ。
なぜなら、時雨で染まった紅葉の色が、恋の涙で赤く染まった
袖に見間違える程似ているから。」
                (和歌文学大系21から抜粋)

(08番歌の解釈)

「たっぷりと大きめに裁った袖に堪えて人目を忍ぶことにしょう。
涙の量は半端でなくて、滝のように流れ落ちているものだから。」
                (和歌文学大系21から抜粋)

(09番歌の解釈)

「私の心をそのまま浄土の蓮に咲かせたことだよ。今見る花が
散るのに連れ添い行かせて。」
                (和歌文学大系21から抜粋)

(10番歌の解釈)

「後世安楽を願い、供養を願う深い志で花をお送り致しました
私を、花の開く春になぞらえて、どうか悟りを開かせて下さい。」
           (新潮日本古典集成山家集から抜粋)

(11番歌の解釈)

「分けて行く山路の雪はどんなに深かろうと、たちかえる
年と共に早く都へ帰りなさい。」
           (新潮日本古典集成山家集から抜粋)

この歌は中宮太夫平時忠との贈答の歌です。西行の歌は以下です。

 雪分けて深き山路にこもりなば年かへりてや君にあふべき
    (西行歌) (岩波文庫山家集134P羇旅歌・新潮1057番)
  
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【たけくまの松】

陸奥の歌枕の一つです。「たけくま」は古い地名。「武隈」と書き、
現在の宮城県岩沼市の古称です。
岩沼市の「竹駒神社」のすぐ近くに「二木の松史跡公園」があり、
この公園には現在も「たけくまの松」は茂っています。
「たけくまの松」は「二木の松」とも言われています。根元は一本
ですが、幹はすぐに二本に分かれているからこの呼称があります。
ここの公園には幹を二本にした木ばかりが多数ありました。人為的に
二本にしたものかとも思いましたが、そうではなくて自然に二本に
分かれている木を探し出してきて育てているようです。
現在の「たけくまの松」は七代目で150年ほどの樹齢になるそうです。

松は常盤木で主に賀歌として詠まれますが、ここでは逆に枯れて
しまった松を詠んでいて、そのことが珍しくもあります。

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       たけくまの松は昔になりたりけれども、
       跡をだにとて見にまかりてよめる

01 枯れにける松なき宿のたけくまはみきと云ひてもかひなからまし
         (岩波文庫山家集130P羈旅歌・新潮1128番)

○昔になりたり

歌にも歌われて知られていた「武隈の松」が茂っていたのは過去の
事だということ。

○みきと云ひても

(みき)は「幹」「見き」「三木」を掛けています。
枯れてしまって跡形もない状態では「幹・三木・見き」と言っても、
もはやどうにもならないということ。
 
○かひなからまし

「二木の松」が無いのであれば、わざわざ行って見るだけの甲斐も
ないということ。

(01番歌の解釈)

「枯れてしまって松の姿の跡形すらない武隈は、「見き」といっ
ても、「みきとこたへん」と詠まれたその幹はなく、甲斐のない
ことであろう。」
            (新潮日本古典集成山家集から抜粋)

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◎ たけくまのまつはふたきをみやこ人いかがとはばみきとこたへむ
                 (橘季通 語拾遺集1041番)
                
◎ たけくまのまつはこのたびあともなしちとせをへてやわれはきつらん
                (能因法師 後拾遺集1042番)

◎ 桜より松は二木を三月越
                   (芭蕉 おくのほそ道)

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【たたふ・たたひ他】
    
自動詞ハ行四段活用、または他動詞二段活用で、たたふ・たたへ・
たたひ、などと用います。
満ちる、満たす、いっぱいになるという量的なことを表します。

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01 たしろみゆる池のつつみのかさそへてたたふる水や春のよの為
          (岩波文庫山家集39P春歌・新潮1436番)

02 水たたふ入江の真菰かりかねてむな手にすつる五月雨の頃
      (岩波文庫山家集49P夏歌・新潮207番・宮河歌合)

03 結び流す末をこころにたたふれば深く見ゆるを山がはの水
       (岩波文庫山家集281P補遺・風雅集・拾遺愚草)
     
04 忍びねのなみだたたふる袖のうらになづまず宿る秋の夜の月
           (岩波文庫山家集149P恋歌・新潮631番)

05 夜もすがら恨を袖にたたふれば枕に波の音ぞきこゆる
          (岩波文庫山家集159P恋歌・新潮1287番)

06 世の中にすまぬもよしや秋の月濁れる水のたたふ盛りに
           (岩波文庫山家集180P雑歌・新潮720番)

○たしろみゆる

「たしろ」は「田代」と表記します。「田」は農作物(主にイネ)を
人為的に栽培する場所、その土地を言い、「代」も同様に田地を
意味する言葉です。「苗代=なえしろ・なわしろ」という言葉が
ありますが、この場合の「代」の意味も同様です。

○かさそへて

嵩が高くなること。量が多くなること。

○春のよの為

(新潮版)では「春の夜の為」として自然現象を詠ったものと解釈して
います。(和歌文学大系21)では前歌の「君が住む……」との関連で、
「君」は鳥羽院とし、その春宮である近衛院の成長を予見するような
「春の世の為」としています。賀歌であると言えると思います。

○むな手にすつる

「むな手」は「空手」と書きます。道具を持ったとしても真菰を
刈り取ることはできないので、刈ることはあきらめて、見捨てた
ままに何の収穫もなく空しく帰るしかない…ということです。

○忍びね

人に知られないように忍んで出す涙声のこと。

○袖のうら

出羽の国の歌枕。現在の山形県酒田市の海岸あたりを言うようです。
他の歌人には「袖の浦」という固有の地名を意識して詠んだ歌も
ありますが、西行のこの歌の場合は歌枕としての「袖の浦」とは
直接的な関係はありません。

尚、千葉県に袖ヶ浦市がありますが、歌枕の地としては能因歌枕も
初学和歌抄も出羽の国の「袖の浦」としています。

○なづまず

「なずむ」の反語です。
「なづむ」は魅力ある事々に対して執着する、固執する、捉われる
などの意味があります。
行き悩むこと、苦しむこと、こだわる事なども意味しています。
「なづまず宿る」で、何もこだわらずに、何思うことなくごくごく
自然に月は袖の浦にあると解釈できます。

○濁れる水

汚濁に満ちた世の中という意味です。そういう解釈は時代性にも
拠りますが、仏教者の独善性みたいなことも感じさせます。

(01番歌の解釈)

「水田が見える池の堤は水嵩が増し、水をいっぱいに湛えているが、
それは一夜明けて春となり氷や雪が解けたためであろうか。」
            (新潮日本古典集成山家集から抜粋)

「水田が見渡せる池の堤にはいつもより水量も多く満々と水を
湛えている。春宮の御代を予祝するかのように。」
                (和歌文学大系21から抜粋)

(02番歌の解釈)

「降り続く雨で水が一ぱいになった岩間の真菰を刈りかねて、
なすこともなく過ごす五月雨の今日この頃である。

◎新潮版では「すつる」は「過ぐる」となっています。
            (新潮日本古典集成山家集から抜粋)

(03番歌の解釈)

「あなたがむすび(すくうこと)流す山川の水を一ところにあつめると
深く見えるように、あなたが約束して流すものを心のうちにあつめ
たたえると、とても深く見えますよ。山川の水は。(契りを結ぶため
とて書いて下さる御文は、それをかみしめてみれば深いものがある。」
         (渡部保氏著「山家集全注解」から抜粋)

(04番歌の解釈)

「人目を忍んで泣いた私の涙は袖の浦まで染み通っていたが、出羽の
国袖の浦では、秋の夜の月が人目も憚らず、悠々と宿っている。」
                (和歌文学大系21から抜粋)

(05番歌の解釈)

「訪れてもらえない恨みの涙を夜通し袖にたたえているので、その
涙がやがて海のようになり、枕には波の音が聞こえることであるよ。」
            (新潮日本古典集成山家集から抜粋)

(06番歌の解釈)

「澄んだ秋の月にも比すべきあなたーー秋の月が姿を宿すのに
ふさわしくない濁った水がいっぱいに湛えられている俗世に身を
置かれないのもよいことですよ。」
            (新潮日本古典集成山家集から抜粋)

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07 浅く出でし心の水やたたふらむすみ行くままにふかくなるかな
          (岩波文庫山家集214P釈教歌・新潮914番・
                 西行上人集・山家心中集)

08 秋の野のくさの葉ごとにおく露をあつめば蓮の池たたふべし
          (岩波文庫山家集227P聞書集7番・夫木抄)

09 さみだれの頃にしなれば荒小田に人にまかせぬ水たたひけり
           (岩波文庫山家集49P夏歌・新潮214番)

10 たたへおくこころの水にすむ月をあかしのなみにうつしてそ見る
                     (松屋本山家集)

11 河になかす涙たたはむみなと川あしわけなして舟をとほさむ
                     (松屋本山家集)

○心の水

信仰心の深さを言い、自身の心の状態を水に例えています。自己
凝視のはての言葉ですが、多少の自負心があると思います。

○荒小田

荒れた田圃の事で、手入れされないままに放置されていることを
意味しています。

○あかしのなみ

月の名所である「明石」と「明かし」を掛けています。
「あかし…」からの下句がそぐわないような気もします。

○みなと川

摂津の国の歌枕ですが、固有名詞としてというよりも普通名詞と
して使われているように思います。「みなと川」歌は二例あります。
もう一例は以下です。

 みなと川苫に雪ふく友舟はむやひつつこそ夜をあかしけれ
           (岩波文庫山家集100P冬歌・新潮1486番)

○あしわけなして

河に茂る蘆を掻き分け掻き分けして進んでいきたいという
願望の言葉。

(07番歌の解釈)

「仏道に帰依する心の水も、最初は浅かったけれど、俗世を離れて
住むにつれ心も澄んでゆき、深くたたえるようになったことだ。」
            (新潮日本古典集成山家集から抜粋)

(08番歌の解釈)

「秋の野の草の葉ごとに置く露を集めたなら、蓮の池の水を
満たすことができよう。」
                (和歌文学大系21から抜粋)

(09番歌の解釈)

「五月雨の頃ともなれば、荒れた田に人が引いたのでもない
水が満々と湛えられることだよ。」
            (新潮日本古典集成山家集から抜粋)

(10番歌の解釈)

「湛えておいてある心の水に住み澄みみゆる月を明石の浦の
波にうつしてみることだ。」
         (渡部保氏著「山家集全注解」から抜粋)
          
(11番歌の解釈)

「河に流すほど多量の涙、その涙をたたえているみなと河、その河に
生え茂っている葭(あし)を分けて行くようにして舟を通そう。」
         (渡部保氏著「山家集全注解」から抜粋)
          
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【たたまうき・たたまうかり】

席を立つのが辛い、その場所から帰るのが辛いという立ち去り
がたい気持を表します。
下の文章の「踏み分け」の部分が「立つ」の動詞未然形「立たむ」に
変った言葉です。

(踏み分けまうき)

 踏み分けまうき=踏み分けむあくうき=踏み分け(動詞の未然形)
 む(助動詞連体形朧化用法)あく(古代の名詞)うき(形容詞
 連体形)のつづめた形。また「ふみわけまくうき」の略された
 形で、「く」が上の動詞を体言化する接尾辞で、それが省略され
 たと考えてもよい。
          (渡部保著「西行山家集全注解」から抜粋)

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01 夏山の夕下風のすずしさにならの木かげのたたまうきかな
           (岩波文庫山家集54P夏歌・新潮233番・
             西行上人集・山家心中集・夫木抄)
 
02 散りしきし花の匂ひの名残多みたたまうかりし法の庭かな

           (岩波文庫山家集219P釈教歌・新潮893番)

○夕下風

夕方になって木の下を吹き渡って行く風。

○なら

植物の「楢」のことです。ミズナラ、コナラなどの種類があります。
「ドングリの実」をつける落葉高木です。

○花の匂ひ

仏法を賛美する言葉です。法華経が素晴らしい教えである事の
例えです。

○法の庭かな

詞書によって法華経の説かれた霊鷲山の説法の場であると言えます。
「散りしきし」ということは教えが広く行きわたったとも受け止め
られますので、ここでは仏法を信じることから立ち去ることは
できない、という解釈でも良いでしょう。

(01番歌の解釈)

「夏山に吹く夕下風のあまりの涼しさに、楢の木陰は
立ち去り難いものがある。」

                (和歌文学大系21から抜粋)
(02番歌の解釈)

「散り敷いた花の匂いの名残ともいうべき仏の説法の余韻が多く
残っているので、聞法の衆の立ち去り難い法の庭であったよ。」
            (新潮日本古典集成山家集から抜粋)

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【たたみ・たたむ=畳み・畳む】

「畳」だけなら名詞ですが、04番歌以外は動詞として使われています。
「たたむ」とは布製品などを小さく折り重ねることです。
西行歌では「波」や「袂」を畳むという言葉によって、その情景や
作者の心理状態を表現しています。

【たたむ=立たむ】

11番歌は「畳む」と「立たむ」のどちらでも通じるように表現
されています。

12番歌は「畳む」ではなく、「立たむ」です。場所の移動をする
ために行動を起こすことをいいます。

13番歌の「たたむ」は新潮版山家集でも和歌文学大系21でも
「絶えん」となっています。

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01 月さゆる明石のせとに風吹けば氷の上にたたむしら波
    (岩波文庫山家集81P秋歌・新潮376番・西行上人集・
              山家心中集・玉葉集・夫木抄)

02 瀧にまがふ峯のさくらの花ざかりふもとは風になみたたみけり
            (岩波文庫山家集235P聞書集60番)

03 波あらふ衣のうらの袖貝をみぎはに風のたたみおくかな
         (岩波文庫山家集171P雑歌・新潮1192番・
            西行上人集・山家心中集・夫木抄)

04 夏山の木蔭だにこそすずしきを岩のたたみのさとりいかにぞ
        (岩波文庫山家集228P聞書集16番・夫木抄)

05 よろづ世を衣のいはにたたみあげてありがたくてぞ法は聞きける
        (岩波文庫山家集229P聞書集21番・夫木抄)

○明石

現在の兵庫県にある港湾都市。東経135度の日本標準時子午線が
通っています。
播磨の国の著名な歌枕です。明石に続き潟・浦・沖・瀬戸・浜
などの言葉を付けた形で詠まれます。
明石は万葉集から詠まれている地名ですが、月の名所として、
「明石」を「明かし」とかけて詠まれている歌もあります。

○たたむしら波

風が白波を折りたたんで、波が折り重なっているように見える情景。

○瀧にまがふ

(まがふ)は、入り乱れること、入り乱れて区別ができないこと。
間違えるほど良く似ていること、を言います。
満開の桜の花の咲き誇る様が瀧に似ていて、見分けが付かない
ようなことを言います。

○衣のうら

愛知県知多半島東側の入り江にある地名です。衣浦漁港があり
ます。西行の歌では(ころものうら)と読みますが、固有名詞と
しては(きぬうら)と読みます。
平安時代は(ころもうら)か(きぬうら)か、それとも両方の
呼称なのか判然としません。

○袖貝

マキガイの一種。本州中部以南に分布しているようです。殻の
外唇が外部に向かって張り出しています。
スイショウガイ科の巻貝の総称で、約40種類があります。
            (講談社「日本語大辞典」を参考)

しかし不思議なことに袖貝はアコヤ貝の異称とか、アコヤ貝も
袖貝の一種という資料もあります。アコヤ貝はウグイスガイ科の
二枚貝でありスイショウガイ科の袖貝は巻貝ですから、まったく
別種のものだと思われますが、なぜ同一視されるのか私にはよく
分かりません。
ネットで検索しても「トヤマソデガイ」のような二枚貝もあり、
「日本語大辞典」の説明とは異なっています。

「畳む」という、歌から受ける印象では巻貝ではなくて二枚貝
だと思われます。

○たたみおく

衣類を畳むことと同義で、畳んでいる状態のこと。衣の縁語です。

○岩のたたみ

岩を積み重ねたように、どっしりと重く、しっかりとした揺るぎない
悟りということの比喩表現です。

○衣のいは

「衣」と「岩」は結びつきにくく、ちょっと解釈に戸惑います。
堅固な意志を衣のように畳みあげるということだと思います。

(01番歌の解釈)

「月の光が冴えて海面が氷のように明るく輝く明石の瀬戸に風が
吹くと、白波が氷の上に畳み重なったように立つことだよ。」
            (新潮日本古典集成山家集から抜粋)

(02番歌の解釈)

「滝に見まがう峰の桜の花盛りだ。麓では風に散り敷いた花が
波のように幾重にも積み重なっているよ。」

(03番歌の解釈)

「衣の浦ゆかりの袖貝は、波にも洗われ、風に打ち寄せられても
波打ち際に袖を畳んだようにきれいに並んでいたりする。」
                (和歌文学大系21から抜粋)

(04番歌の解釈)

「夏山の木陰でさえ涼しいのに、まして岩の畳のように堅固な
悟りはどれほど涼しいだろうか。」
                (和歌文学大系21から抜粋)

(05番歌の解釈)

「常不軽菩薩は多くの年を、忍辱の衣のうちの岩のように
固い意志の上に積み重ねた。それでいま珍しくもこの法華経を
聞けるのだよ。」
                (和歌文学大系21から抜粋)

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06 瀬にたたむ岩のしがらみ波かけてにしきをながす山がはの水
         (岩波文庫山家集276P補遺・西行上人集)

07 はやせ川なみに筏のたたまれてしづむなげきを人しらめやは
            (岩波文庫山家集242P聞書集121番)

08 池の上にはちすのいたをしきみててなみゐる袖を風のたためる
        (岩波文庫山家集246P聞書集151番・夫木抄)

09 夜もすがら明石の浦のなみのうへにかげたたたみおく秋の夜の月
            (岩波文庫山家集247P聞書集158番)

◎この歌は「た」が三字並んでいて、明白な校正ミスですが、
 そのまま掲載します。                 

10 ほととぎすなきわたるなる波の上にこゑたたみおく志賀の浦風
           (岩波文庫山家集273P補遺・夫木抄)

○岩のしがらみ

(しがらみ=柵)とは本来は川の中に杭を打ち込んで、流れをせき
止めるために木の枝や竹を渡した構造物のことです。
岩を柵にみたてています。この歌は情景歌であり、柵に人間関係の
微妙な意味を持たせてはいません。

○にしきをながす

紅葉の色が映りこんでいる川の水が流れている情景を言います。

○はやせ川

普通名詞としては流れの速い川のことです。
固有名詞のしての川名はないようです。

○はちすのいた

「蓮の板」とは奇妙な表現ですが、仏典から採られた用語ですから、
このように表現するしか無かったものでしよう。
和歌文学大系21では「宝池の上の蓮華座を表すか?」としています。

○なみゐる袖

聖衆の人数分だけの多くの袖のこと。並びいる人達の袖で、
「なみいる」は、池の縁語としての「波」を響かせています。

○明石

前出、参照。

○こゑたたみおく

風が吹けばさざ波が立ち、その波に、ほととぎすの声がこもって
いるように感じられるということ。

○志賀の浦風

志賀の里に吹いている風。比叡山から吹き下ろす風という意味が
込められているようです。

(06番歌の解釈)

「瀬にたたみかけてある柵をなしている岩に波をかけて美しい
紅葉の色を流す山の川の水よ。」
          (渡部保氏著「山家集全注解」から抜粋)

(07番歌の解釈)

「瀬の流れの早い川では浪に筏が折り畳まれて沈む。そのような
私の歎きは人は知るまいよ。」
               (和歌文学大系21から抜粋)

(08番歌の解釈)

「池の上に蓮の板を一面に敷いて、並んで座る聖衆の袖を
風が畳むように吹いている。」
               (和歌文学大系21から抜粋)

(09番歌の解釈)

「一晩中明るい、明石の浦の波の上に、光を幾重にも折り
重ねておく秋の夜の月よ。」
               (和歌文学大系21から抜粋)

(10番歌の解釈)

「ほととぎすが鳴いてわたると言われている波の上に、
声をたたんで置く志賀の浦風よ。」
         (渡部保氏著「山家集全注解」から抜粋)

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11 思ひ出でよみつの濱松よそだつるしかの浦波たたむ袂を
         (岩波文庫山家集165P恋歌・新潮1498番)

12 難波潟しほひにむれて出でたたむしらすのさきの小貝ひろひに
     (岩波文庫山家集171P雑歌・新潮1190番・夫木抄)

13 ながらへて人のまことを見るべきに恋に命のたたむものかは
         (岩波文庫山家集159P恋歌・新潮1288番)

○みつの濱松

琵琶湖の湖西の比叡山東麓にあたる大津市下坂本の湖岸を「御津」と
言います。「唐崎」からは2キロほど北に位置します。
御津の浜に生えている松のことです。

他には摂津国の歌枕としても「御津」があり、「大伴の御津」
「難波の御津」の形で多くの歌が詠まれています。

○よそだつる

「よそよそしく見える」ということと、他所(よそ)という意味の
「遠く離れて立っている」ということを掛けています。

○しかの浦波

滋賀県の琵琶湖の汀に寄せては返す波をいいます。 

○たたむ袂

袂を畳むこと。嘆きが次々と押し寄せてきて涙に濡れている袂を
言います。

○難波潟

摂津の国の淀川の河口周辺を言います。現在と違って古代から
低湿地と言ってもよく、干潟は広範囲にあったものでしよう。
葦が生い茂り、物寂しい荒涼としたイメージで詠まれた歌が
多くあります。

○しほひ

海水が引く事。干潮のことです。

○むれて出でたたむ

一緒なって出ていくこと。みんなで出発すること。

○しらすのさき

固有名詞としたら、どこにある地名なのか不詳のままです。
普通名詞としては「白州の崎」は「白砂の洲崎」のことと
解釈されています。

(12番歌の解釈)

「思い出して欲しい。志賀の浦波が打ち寄せてもよそよそしい
御津の浜松のようなあなたのために、私の袖は波が立つほどに
涙で濡れていることを。」
                (和歌文学大系21から抜粋)

(12番歌の解釈)

「難波潟では潮が引いたら白州の崎の小貝を拾いに皆で出て
行こう。」
            (新潮日本古典集成山家集から抜粋)

(13番歌の解釈)

「生きながらえてあの人の心の誠を見るべきであるのに、恋ゆえ
命が絶えてよかろうか、そんなことがあってはならないのだ。」
            (新潮日本古典集成山家集から抜粋)

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【たちゐ】
    
手持ちの古語辞典二冊に「立ち居」はありませんが、現在でも使わ
れる「立ち居振る舞い」などの「立ち居」と同義です。
立ったり座ったりすること。動作のひとつひとつ。身のこなし、
などについて用いられる言葉です。
「たちゐ」の用例は山家集ではこの一例のみしかありません。

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01 たちゐにもあゆぐ草葉のつゆばかり心をほかにちらさずもがな
          (岩波文庫山家集229P聞書集18番・夫木抄)

○ あゆぐ

「揺ぐ」と表記して(あゆぐ)と読みます。「揺がす」は(あゆがす)
と読みます。(ゆらぐ・ゆれうごく)の意味です。

(01番歌の解釈)

「人の立ち居につけても揺れ動く草葉の露ほども、ほんの少しも
心を外に散らしたくないものだなー。」
                (和歌文学大系21から抜粋)

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【橘・たちばな】

日本原産の柑橘類の一つで、6月頃に白色の五弁花を付けます。
芳香があります。冬に黄色い実を付けますが、酸味が強すぎて食用
には向きません。
歌は「花橘」として花を詠まれます。西行歌では14首中10首までが
ホトトギスと共に詠みこまれています。

 五月待つ花橘の香をかげば昔の人の袖の香ぞする
              (よみ人しらず 古今和歌集139番)

11.13.14番歌は古今集の上の歌を本歌としているとも言えます。

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01 たちばなのにほふ梢にさみだれて山時鳥こゑかをるなり
              (岩波文庫山家集263P残集7番・
               西行上人集追而加書・夫木抄)

02 あやめふく軒ににほへる橘にほととぎす鳴くさみだれの空
            (岩波文庫山家集237P聞書集73番)

03 あやめ葺く軒ににほへるたちばなに来て聲ぐせよ山ほととぎす
 (岩波文庫山家集263残集9番・西行上人集追而加書・夫木抄)

04 卯の花を垣根に植ゑてたちばなの花まつものを山ほととぎす
            (岩波文庫山家集250P聞書集188番)

05 ほととぎす花橘はにほうとも身をうの花の垣根忘るな
           (岩波文庫山家集45P夏歌・新潮196番)

○さみだれて

五月雨が降ることを「さみだれて」と動詞として用いていますが、
五月雨ではなく「然、乱れて」の可能性があると思います。

○卯の花

卯の花を雪に例えることは常態化しています。

卯の花はウツギの花のこと。ウツギはユキノシタ科の落葉潅木。
初夏に白い五弁の花が穂状に群がり咲く。垣根などに使う。

 ○卯の花腐しー五月雨の別称。卯の花を腐らせるため。
 ○卯の花月ー陰暦四月の称。
 ○卯の花もどきー豆腐のから。おからのこと。
               (岩波書店 古語辞典から抜粋)

ウツギは枝が成長すると枝の中心部の髄が中空になることに由来
し、空木の意味。
硬い材が木釘に使われたので打ち木にちなむという異説があります。
花期は五月下旬から七月。枝先に細い円錐花序を出し、白色五弁
花が密集して咲くが匂いはない。アジサイ科。
             (朝日新聞社 草木花歳時記を参考)

○身をうの花の

わかりにくい表現です。卯の花は春に咲き、橘は初夏の花です。
卯の花とホトトギスを組み合わせた歌も12首中4首あります。
橘が盛りになる頃には卯の花は終わり頃を迎えますが、卯の花が
盛りであった頃に卯の花と睦んだことを忘れるな…という意味の
ようです。

(01番歌の解釈)

「花がよい香りを放つ橘の梢にさみだれが降って、山時鳥の
声までも薫っているよ。」
                 (和歌文学大系21から抜粋)

(02番歌の解釈)

「菖蒲を葺く軒に匂っている橘に、郭公が来て鳴く五月雨の空よ。」
                 (和歌文学大系21から抜粋)

(03番歌の解釈)

「菖蒲を葺く軒先に薫っている橘にやって来て、お前の美しい
声を伴わせておくれ、山時鳥よ。」
                (和歌文学大系21から抜粋)

(04番歌の解釈)

「卯の花を垣根に植えて、橘の花が咲くのを待って
いるのになあ、山郭公よ。」
                (和歌文学大系21から抜粋)

(05番歌の解釈)

「郭公よ、花橘は香り高く匂おうとも、お前がもう宿らなくなる
ので身を憂く思っている卯の花の垣根のことを忘れないでほしい。」
            (新潮日本古典集成山家集から抜粋)

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06 ほととぎす花橘になりにけり梅にかをりし鶯のこゑ
     (岩波文庫山家集46P夏歌・新潮欠番・西行上人集)

07 わが宿に花たちばなをうゑてこそ山時鳥待つべかりけれ
    (岩波文庫山家集43P夏歌・新潮182番・西行上人集)

08 よそに聞くはおぼつかなきにほととぎすわが軒にさく橘に鳴け
            (岩波文庫山家集260P聞書集249番)

09 うき身知りて我とは待たじ時鳥橘にほふとなりたのみて
     (岩波文庫山家集46P夏歌・新潮欠番・西行上人集)

10 たちばなのさかり知らなむ時鳥ちりなむのちに聲はかるとも
            (岩波文庫山家集259P聞書集248番・
                  西行上人集・雲葉集)

○よそに聞く

他所に聞くこと。距離的な遠さをいいます。

○おぼつかなき

「覚束無し」のこと。
対象がぼんやりしていて、はっきりと知覚できない状態。また、
そういう状態に対して抱くおぼろな不安、不満などの感情のこと。
心もとなさを覚える感情のこと。
「おぼつかな」は西行の愛用句とも言えます。歌は11首、詞書に
一回あります。

○我とは待たじ

自分からは待たないでおこう、待とうとする気持ちを持たないで
おこう、いう決意めいた言葉。

(06番歌の解釈)

「時鳥がかぐわしい花橘に訪れて鳴く季節になったよ。
この間までは梅のかおりに鴬の声までもかおっていたのだが。」
               (和歌文学大系21から抜粋)

(07番歌の解釈)

「自分の家に花橘の木を植えてこそ、山郭公も待つことが
できるというものである。」
            (新潮日本古典集成山家集から抜粋)

(08番歌の解釈)

「離れた所に聞くので聞えたかどうかはっきりしないから、
郭公よ、私の家の軒に咲く橘に来て鳴けよ。」
               (和歌文学大系21から抜粋)

(09番歌の解釈)

「わが憂き身を知って自分からは時鳥がやって来て鳴くのを期待
するまい。橘がかおる隣に訪れるのをあてにして。」
               (和歌文学大系21から抜粋)

(10番歌の解釈)

「橘の盛りを知ってここへ来て鳴いてほしい。郭公よ、
花が散った後に声は枯れ、遠ざかるとしても。」
               (和歌文学大系21から抜粋)

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11 軒ちかき花たちばなに袖しめて昔を忍ぶ涙つつまむ
          (岩波文庫山家集194P雑歌・新潮714番)

12 ふかみどり人にしられぬあしひきの山たちばなにしげるわが恋
            (岩波文庫山家集242P聞書集116番)

13 かさねてはこからまほしきうつり香を花橘に今朝たぐへつつ
          (岩波文庫山家集144P恋歌・新潮587番)

14 世のうきを昔がたりになしはてて花橘におもひ出でばや
          (岩波文庫山家集188P雑歌・新潮722番)

○袖しめて

自動詞のように表記されていますが、匂いを袖に染みこませて…
という意味です。橘の匂いを発端として感傷に浸っています。

○ふかみどり

単純に春の野の植物の色彩を言うのではなくて、むせかえるような
圧倒的な生命体の息吹き込めているようにも思います。

○あしひきの

「山」という名詞を出すための枕詞。「あしひき」の解釈は諸説
あり、本居宣長の説を引くと、「あしひき」は「足引城」といい
ます。「足は山の脚の意味、引は長く引き延べたること、城は
山の一構えを指し一構えの中の平らな所」を指すようです。
本居宣長の説では説得力に欠けるような気がします。

○こからまほしき

和歌文学大系21では「濃からまほしき」と表記されています。
新潮版では「乞ひえまほしき」です。
「濃からまほしき」の文法については、手持ちの古語辞典では
分からず、図書館に行って調べましたが、それでも分かりません
でした。
「濃く」+「からむ?」+「まく」+「ほし」だとは思いますが、
確信がもてません。
意味は「濃くあってほしい」ということです。

(まほし)

平安時代になって用いられだした希求の助動詞。
「○○してほしい」という希望を表します。動詞の未然形を受け
て、形容詞のシク活用と同等の活用をします。「まほしき」は
「まほし」の連体形の活用です。

○たぐへつつ

「たぐへ」は並ぶ、一緒になる、連れ立つ、連れ添う、などの意味を
持つ言葉です。

(11番歌の解釈)

「軒近くに咲いた花橘の香を袖に染ませて、昔恋しさに
流す涙を袖で包んで隠そう。」
               (和歌文学大系21から抜粋)

(12番歌の解釈)

「人に知られない山の中の山橘の葉のように、人知れず深緑に
繁りゆく私の恋よ。」
               (和歌文学大系21から抜粋)

(13番歌の解釈)

「袖を重ねての共寝を重ね、染みこませようと思う移り香を、
今朝は花橘の香をその移り香にたぐえつつ、逢った折のことを
懐かしむことだ。」
            (新潮日本古典集成山家集から抜粋)

(14番歌の解釈)

「この世の憂さはすべて昔語りにしてしまって、花橘の香に
さそわれて懐旧の念にひたろうよ。」
            (新潮日本古典集成山家集から抜粋)

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【たづ】

「田鶴」と書き、歌の場合の「鶴」を指す言葉です。
普通に「鶴」とするよりは敬意を込めた表現です。
寿命が長く縁起の良いと思われていた鳥で、賀歌によく詠われてます。
    
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01 むれ立ちて雲井にたづの聲すなり君が千年や空にみゆらむ
          (岩波文庫山家集142P賀歌・新潮1173番)

02 澤の面にふせたるたづの一聲におどろかされてちどり鳴くなり
          (岩波文庫山家集171P雑歌・新潮1543番)

○雲井

大空のこと。雲のある場所のこと。はるかな遠方のこと。
転じて、内裏や宮中をも指す言葉です。

○君が千年

「鶴は千年、亀は万年」という言葉もすでに当時から知られて
いました。実際はともかく、長寿を象徴する生物ですし、賀歌
としてよく詠みこまれています。

(01番歌の解釈)

「群れて飛び立った鶴の鳴く声が空に聞こえます。今上天皇の
千年の弥栄は最早自明のことでありましょう。」
               (和歌文学大系21から抜粋)

(02番歌の解釈)

「沢の面で、夜更けに鳴く鶴の一声に眠りを覚まされて、
千鳥が鳴いているよ。」
           (新潮日本古典集成山家集から抜粋)

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◎ むれてゐる鶴(たづ)のけしきにしるきかな千歳すむべき宿の池水
               (修理太夫顕季 千載集631番)

◎ 住の江の浜の真砂をふむ鶴(たづ)は久しきあとをとむるなりけり
                  (伊勢 新古今集714番)

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