だい | たいら | たえ〜たが | たき〜たづ | たつ〜たら |
立田山・立田姫・立田川・たな心 ・たはしね山・玉がき・たまさく萩・たましひ・
玉づさ・玉章・たゆる・たゆみ・たゆまで・ たより得がほ・たらちね・たらちを
玉かけし→第102号「かつら」参照
玉かけて→第24号「あやめ草・花あやめ・あやめ・菖蒲」参照
たまだすき→第06号「あこめの袖」参照
玉ぬきかくる→第38号「糸・糸すすき・糸水・いと世」参照
玉のあみ→第150号「ささがに」参照
玉の緒ならむ→第145号「小侍従」参照
玉の声→第49号「院の少納言の局」参照
玉の栖→第140号「近衛院のお墓」参照
玉の床→第184号「白峰」参照
玉まきし→第118号「葛の葉・葛まき・まくず」参照
玉ゆりすうる→第55号「うき草、他」参照
だみたる声→第55号「鶯・うぐひす」参照
為忠・ためただ→第178号「寂超長門入道・隆信」参照
為業(寂念)→第178号「寂念(為業)・三河内侍」参照
たもとに雨→第32号「いそのかみ」参照
たるひ→第191号「すがり・すがる」参照
誰なづさへと→第81号「おふしたて・おほし立つ」参照
湛海→第18号「あなれ」参照
談義→第178号「寂超長門入道・隆信」参照
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【立田】
現在の住所表記は奈良県生駒郡斑鳩町瀧田です。
岩波文庫山家集にある「立田」という表記は、校訂者の佐佐木信綱
博士が底本の「山家集類題」本の表記を踏襲したものです。
現在では行政上の表記では「瀧田」、川名は「竜田川」ですが、
古い時代は「立田」とも表記されていたそうですので、「立田」でも
間違いではありません。
【立田山】
奈良県と大阪府を隔てる生駒山地の最南端で、信貴山の南に連なる
連山を言うようです。竜田山という固有の山名の山はなくて、大和川
北岸にある山々の総称とのことです。
大和川の水路とともに竜田山の山裾の陸路も河内国と大和国を結ぶ
交通路として古代から開けていました。
大伴の御津の泊に船泊(は)てて瀧田の山を何時か越え往かむ
(作者不詳 万葉集巻一五3722)
【立田姫】
奈良県生駒郡三郷町に鎮座する「瀧田大社」に祀られている女神です。
ただし瀧田大社の祭神の龍田彦は風の神であり、瀧田姫は摂社の龍田
比古龍田比売神社の女神です。
竜田の地は平城京の西にあたり、五行説では西は秋を意味しますので、
立田姫は秋を司る神とされました。春を司るという「佐保姫」と対と
なっていて、紅葉や秋という言葉と共に多くの歌に詠まれてきました。
滝田姫たむくる神のあればこそ秋の木の葉のぬさと散るらめ
(かねみの王 古今集298番)
【立田川】
生駒郡瀧田地域を流れる川で、現在は「竜田川」と表記します。
奈良県生駒市、平群郡を貫流していて、上流を生駒川、中流を平群川
ともいうようです。立田川は大和川と合流して大阪湾に注いでいます。
「竜田川」は万葉集にはありませんが、古今集から頻出すように
なります。立田姫の場合と同じく、紅葉が詠みこまれている歌が
多くあります。
ちはやぶる神代も聞かず竜田川からくれなゐに水くくるとは
(在原業平 古今集294番・百人一首17番)
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01 立田山月すむ嶺のかひぞなきふもとに霧の晴れぬかぎりは
(岩波文庫山家集72P秋歌・新潮399番)
02 立田やま時雨しぬべく曇る空に心の色をそめはじめつる
(岩波文庫山家集90P冬歌・新潮欠番・西行上人集)
03 立田姫染めし梢のちるをりはくれなゐあらふ山川のみづ
(岩波文庫山家集92P冬歌・新潮497番)
04 立田川きしのまがきを見渡せばゐせぎの波にまがふ卯花
(岩波文庫山家集43P夏歌・新潮176番・
西行上人集追而加書・夫木抄)
○時雨しぬべく曇る
「死ぬべく」であれば分かりやすいのですが、そうではなくて名詞、
助詞、助動詞の続いた言葉なので、少し分かりにくい表現です。
(時雨+し)+(ぬ)+(べく)+(曇る)の接続した言葉です。
このうち(し)は副助詞で強調する役割があります。
しかし必ずしも強意を表すわけではなくて、この歌の場合は語調を
整える役割が強いと思われます。
(ぬ)は打消しの助動詞「ず」の連体形です。
(べく)は推量の助動詞「べし」の連体形です。「べし」は(べき)
(べけ)などと変化します。
(時雨しぬべく曇る)で、「今にも時雨が落ちてきそうな、どんよりと
曇っている空に」となります。
○心の色をそめ
時雨が紅葉の色を深めると、それに照応して心も紅葉の色に染め
たいということですが、この歌の場合は涙を暗示させにくい表現
です。下の歌のように心象を(紅葉)や(時雨)に託している詠い方
ではありません。
わが涙しぐれの雨にたぐへばや紅葉の色の袖にまがへる
(岩波文庫山家集147P恋歌・新潮605番)
○くれなゐあらふ
紅葉が川に落ちて、流れのままに流れて行くことを意味します。
○きしのまがき
ここでは(まがき)は岸の両岸の自然の茂みのことを言います。
○卯花
卯の花を雪に例えることは常態化しています。
卯の花はウツギの花のこと。ウツギはユキノシタ科の落葉潅木。
初夏に白い五弁の花が穂状に群がり咲く。垣根などに使います。
○卯の花腐しー五月雨の別称。卯の花を腐らせるため。
○卯の花月ー陰暦四月の称。
○卯の花もどきー豆腐のから。おからのこと。
(岩波書店 古語辞典から抜粋)
ウツギは枝が成長すると枝の中心部の髄が中空になることに由来し、
空木の意味。
硬い材が木釘に使われたので打ち木にちなむという異説があります。
花期は五月下旬から七月。枝先に細い円錐花序を出し、白色五弁
花が密集して咲くが匂いはない。アジサイ科。
(朝日新聞社 草木花歳時記を参考)
ユキノシタ科とアジサイ科の違いがあります。これは分類学上の
違いによるものであり、どちらでも良い物と思いますが、最近は
ユキノシタ科はアジサイ科に含まれるようです。
○○ウツギと名の付くものは他にもたくさんあり、科も違います。
(01番歌の解釈)
「立田山は麓にたちこめる霧の晴れぬかぎりは、せっかく峯に
美しく月が澄んでいても、その甲斐がないよ。」
(新潮日本古典集成山家集から抜粋)
(02番歌の解釈)
「立田山の今にもしぐれが降り出しそうに曇る空を見て、
わたしは心の色を紅葉の色に染めはじめたよ。」
(和歌文学大系21から抜粋)
(03番歌の解釈)
「秋の女神である立田姫が染めた梢の紅葉が散る時は、その落葉の
ために山川の水は紅のくくり染めをさらすかとばかりに思われるよ。」
(新潮日本古典集成山家集から抜粋)
(04番歌の解釈)
「神社の瑞垣の近くに咲くのも何かの縁なのだろう。ここに咲く
卯の花は木綿をかけたように見える。」
(和歌文学大系21から抜粋)
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【たな心】
「掌=たなごころ」のこと。手の平、掌中(たなうら)のこと。
(た)は手のこと。(な)は接続助詞の(の)と同様の働きをします。
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01 さまざまにたな心なる誓をばなもの言葉にふさねたるかな
(岩波文庫山家集221P釈教歌・新潮1541番)
○なもの言葉
「なも」は「なむ」とも言い、「南無」と表記します。
「南無」は「南無阿弥陀仏」や「南無妙法蓮華経」などの経文で我々
にもおなじみの言葉だと思います。
「南無」の意味は、仏や菩薩や経典の教えを心から信じ切り、
疑いを持つことなく恭順し従うことです。
○ふさねたる
「ふさね」は他動詞ナ行下二段活用「総ぬ=ふさぬ」の命令形との
ことです(大修館書店の古語林)。しかし動詞化した「総=ふさ」に
助動詞連用形の「ぬ」が付いた形ではなかろうかと思います。
「ふさねたる」は、まとめた、束ねた、集約させたという意味です。
(01番歌の解釈)
「千手観音のさまざまの掌にこもる誓いをば、「南無」という
言葉で総括したことだ。」
(新潮日本古典集成山家集から抜粋)
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【たはしね山】
岩手県東磐井郡東山町にある束稲山のこと。標高595.7メートル。
北上川を挟んで南側に平泉町があります。
西行の時代とは違って現在の束稲山に桜は少ないとのことです。
現在は躑躅の名所とのことですが、桜も植林しているそうです。
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みちのくにに、平泉にむかひて、たはしねと申す山の
侍るに、こと木は少なきやうに、櫻のかぎり見えて、
花の咲きたるを見てよめる
01 聞きもせずたはしね山の櫻ばな吉野の外にかかるべしとは
(岩波文庫山家集132P羈旅歌・新潮1442番)
○みちのくに
「道の奥の国」という意味で陸奥の国のことです。陸奥(むつ)は
当初は(道奥=みちのく)と読まれていました。
927年完成の延喜式では陸奥路が岩手県紫波郡矢巾町まで、出羽路
が秋田県秋田市まで伸びていますが、初期東山道の終点は白河の関
でした。白河の関までが道(東山道の)で、それよりも奥という
意味です。
大化の改新の翌年の646年に陸奥の国ができました。
陸奥は現在の福島県から北を指しますが、その後、出羽の国と分割。
一時は「岩城の国」「岩背の国」にも分割されていましたが、
西行の時代は福島以北は陸奥の国と出羽の国でした。
陸奥の国は現在で言う福島県、宮城県、岩手県、青森県を指して
います。出羽の国は山形県と秋田県を指します。
○平泉
現在の岩手県西磐井郡平泉町のこと。清原(藤原)清衡が1100年
頃に岩手県江刺郡から平泉に本拠を移して建設された仏教都市
です。清衡が建立した中尊寺の金色堂は1124年に完成した時の
ままで、一度も焼失していません。奇跡的に残りました。
金色堂には清衡・基衡・秀衡の三代の遺体(ミイラ)があります。
○聞きもせず
これまで聞いたことがなかった、ということ。
○かかるべし
これほどまでに素晴らしいものとは、という意味。実際に束稲山
の桜を眼にしての感嘆の言葉です。
(01番歌の解釈)
「聞いたこともなかった。束稲山は全山が桜の満開でとても
美しい。吉野山以外にもこんなところがあったなんて。」
(和歌文学大系21から抜粋)
「はじめて束稲山の桜を見た第一印象の驚異感を、素朴に歌った
ものとしてとるのが妥当である。」
(窪田章一郎氏著「西行の研究」から抜粋)
「(ききもせず)と初句切れでうたい出し、(よしののほかに
かかるべしとは)と、感嘆符で止めたところに、西行の驚きと
悦びが感じられ、詠む人を花見に誘わずにはおかぬリズム感に
あふれている。」
(白州正子氏著「西行」から抜粋)
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【たふし(答志島)】
伊勢湾にある答志島のことです。鳥羽市に属しています。菅島の
少し北(東)寄りに位置していて、鳥羽市佐田浜港から船で10分
ほどの距離にあります。
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伊勢のたふしと申す嶋には、小石の白のかぎり侍る濱
にて、黒は一つもまじらず、むかひて、すが嶋と申すは、
黒かぎり侍るなり
01 すが島やたふしの小石わけかへて黒白まぜよ浦の濱風
(岩波文庫山家集126P羈旅歌・新潮1382番)
02 さぎじまのごいしの白をたか浪のたふしの濱に打寄せてける
(岩波文庫山家集126P羇旅歌・新潮1383番)
03 あはせばやさぎを烏と碁をうたばたふしすがしま黒白の濱
(岩波文庫山家集126P羈旅歌・新潮1385番・夫木抄)
○むかひて
対面すること。向かい合うことです。答志島の西に菅島があります
○すが島
答志島の南に位置する「菅島」のことです。
○さぎじま
新潮版山家集では「崎志摩」としていて、三重県志摩郡波切付近
とあります。西行山家集全注解では(志摩の国波切西南にある島)
と明記されています。歌の感じと海流の関係をみれば、それで
良いのかもしれません。
○さぎを烏と
サギとカラスで白黒の色の対比を言います。
新潮版では「鷺と烏と」となっています。「を」は類題本でも「を」
のように見えますが、変体カナは「と」との判別は難しく、岩波文庫
版のミスとまでは言えないように思います。
(01番歌の解釈)
「菅島の黒ばかりの小石、答志島の白ばかりの小石を分けかえて、
黒石と白石と両方をまぜてくれ、浦の浜風よ。」
(新潮古典集成山家集より抜粋)
(02番歌の解釈)
「鷺を思わせる崎志摩の白い小石を、高く激しい波が
答志の浜に打寄せたことだよ。」
(新潮日本古典集成山家集から抜粋)
(03番歌の解釈)
「合わせてみたいものだ。鷺と烏とがもし碁を打ったならば、
どうなるだろう。答志の浜の白石と菅島の浜の黒石とを使って。」
(和歌文学大系21から抜粋)
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【玉がき・玉垣】
「玉」は多くの場合、美称の接頭語として用いられます。
山家集では神社の神域を示す垣の場合は「玉垣」「神垣」と用いて、
民家の垣などの場合は「垣根」「まがき」などと使われています。
02番歌には詞書があり、福島県の信夫山に鎮座する羽黒神社での
歌と思われます。
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01 玉がきはあけも緑も埋もれて雪おもしろき松の尾の山
(岩波文庫山家集99P冬歌・新潮537番・夫木抄)
02 ときはなる松の緑も神さびて紅葉ぞ秋はあけの玉垣
(岩波文庫山家集130P羈旅歌・新潮482番)
○あけも緑も
神社の神域を示す朱に塗られた垣も、松尾山の緑も、ということ。
松尾大社本殿は神域である松尾山の麓にあります。
○松の尾の山
京都市西京区にある松尾山のことです。
松尾山には磐座があります。また、清泉の「亀の井」は元号の
「霊亀」(715年〜717年)のもととなったようです。
○ときはなる
(ときは)は(常盤)で、原意は(永遠に、しっかりと同一の性状を
保っている磐)のことです。
転じて、ここでは一年中色を変えない常緑木のことをいいます。
松は代表的な常盤木です。
○神さびて
大変厳かであること。敬虔さを感じさせるような雰囲気のこと。
(01番歌の解釈)
「玉垣の朱色も御山の緑も雪にすっかり埋もれて、松尾山は神域
全体が白一色に美しい。」
(和歌文学大系21から抜粋)
(02番歌の解釈)
「いつも常盤の色を見せる松の緑に、秋は紅葉した蔓草がからまって、
あたかも朱の玉垣を思わせ、一層神々しく見えることだ。」
(新潮日本古典集成山家集から抜粋)
02番歌は新潮版では「秋歌」として採られています。
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【たまさく萩】
「たまさく」は上句の「露」にかかっている言葉です。萩の枝に
付いている露の玉を植物に見たてて「玉咲く」と表現しています。
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01 秋の野をわくともちらぬ露なれなたまさく萩のえだを折らまし
(岩波文庫山家集238P聞書集93番)
○わくともちらぬ
「わく」は(分ける)のことで秋の野を分け進んで行くことを言い、
「ちらぬ」は露の玉が枝から落ちてほしくないという願望を
表しています。
(01番歌の解釈)
「秋の野を分けて行くとも散らない露であってほしいよ。そうだった
なら花が咲くように露の玉が置く萩の枝を折っただろうに。」
(和歌文学大系21から抜粋)
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【たましひ】
(魂=たま・たましい)のこと。
肉体と共に、人に内在していて心の働きを司ると考えられている、
眼に見えないもの。仏教的には死後も肉体から遊離して存在すると
考えられているもの。霊・霊魂のこと。個人の全人格的なもの。
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01 澤水にほたるのかげのかずぞそふ我がたましひやゆきて具すらむ
(岩波文庫山家集250P聞書集192番・夫木抄)
02 おぼえぬをたがたましひの来たるらむと思へばのきに螢とびかう
(岩波文庫山家集250P聞書集191番・夫木抄)
○ほたる・螢
昆虫の「蛍」のこと。日本には20種類ほどが棲息しており、ゲンジ
ボタル、ヘイケホタルなどが代表的な蛍です。
蛍は万葉集にも一首詠まれていますが、広く詠まれるようになった
のは平安時代になってからです。
「ほたろ」という言葉も使われます。
01番歌は蛍の光を「遊離魂」に見立てて詠んでいます。和泉式部の
下の歌の本歌取りとまでは言えませんが、参考にして詠んだ歌で
あると思います。
もの思へば沢の蛍もわが身よりあくがれ出づる魂かとぞみる
(和泉式部 後拾遺集1162番)
○かずぞそふ
数を添えること。複数のものが寄り集まって一緒になること。
(01番歌の解釈)
「沢水に蛍の光の数が加わる、私の魂が行って伴うのだろうか。」
(和歌文学大系21から抜粋)
(02番歌の解釈)
「覚えがないので、誰の魂が来たのかと思っていると、
軒に蛍が飛び交う。」
(和歌文学大系21から抜粋)
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【玉づさ・玉章】
「玉梓=たまあずさ」の略語で、手紙や文章のことです。
「玉」は美称の接頭語です。
伝言などを伝える時に、使者は梓の木で作った杖を用いたので、
「玉梓」とは本来は文章などを届ける使者の事なのですが、転じて
手紙や文章そのものを指すようになりました。
07番歌の場合は西行の詠んだ歌を指しています。
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01 玉づさのはしがきかとも見ゆる哉とびおくれつつ帰る雁がね
(岩波文庫山家集24P春歌・新潮48番・
西行上人集・山家心中集・言葉集・夫木抄)
02 からす羽にかく玉づさのここちして雁なき渡る夕やみの空
(岩波文庫山家集67P秋歌・新潮421番・西行上人集・
山家心中集・宮河歌合・新拾遺集・御裳濯集)
03 玉づさのつづきは見えで雁がねの聲こそ霧にけたれざりけれ
(岩波文庫山家集67P秋歌・新潮423番)
04 帰る雁にちがふ雲路のつばくらめこまかにこれや書ける玉づさ
(岩波文庫山家集271P補遺・西行上人集)
05 空色のこなたをうらに立つ霧のおもてに雁のかくる玉章
(岩波文庫山家集67P秋歌・新潮424番)
06 思ひかね市の中には人多みゆかり尋ねてつくる玉章
(岩波文庫山家集145P恋歌・新潮610番)
07 巻ごとに玉の聲せし玉章のたぐひは又もありけるものを
(院少納言歌)(岩波文庫山家集180P雑歌・新潮1351番)
○はしがき
本文の端に書き添えた言葉。手紙の余白などに書かれた添え
書きのこと。
○雁がね
渡り鳥の雁のこと。カモ科の水鳥です。カモよりは大きく
ハクチョウよりは小型です。
マガン・ハクガン・ヒシクイ・カリガネなどに分類されます。
雁の足に手紙を結び付けて送ったという古代中国の故事から、
「雁の使い」「雁の便り」として、手紙や文章を表す「玉梓」と
結びつけて詠まれることがあります。
「雁がね」は本来は「雁が音」として雁の鳴き声のことですが、
雁と同義でも詠まれるようになりました。
山家集にある「雁がね」は狭義に「カリガネ」という種名を指す
ものではなくて広義に雁全般を指しているものと思います。
○からす羽
文字通り鳥の「烏の羽」のことです。
日本書紀に第30代敏達天皇の時代に高麗から烏の羽根に墨で
書かれたものを献じてきたという記述があります。
この烏の羽根を湯気で蒸して紙に押しつけると、書かれた内容が
読み取ることができたといわれます。
○けたれざりけれ
(ざり)は否定、打消しの言葉ですから、(けたれないこと)(消えない
こと)を意味しています。
新潮日本古典集成山家集では「消たれざりけれ」となっています。
和歌文学大系21では「乱れざりけれ」となっています。
平安時代においても「消たれ」という用法はあったようです。
源氏物語の葵の帖に「おしけたれたる有様」とあります。
○つばくらめ
燕の異称です。
○こまかにこれや
雁と燕の個体の大小を比較したとき、雁よりは小さい燕を細かい
文字に例えています。
○こなたをうらに
「こなた」はこちら側、こちらの方向という意味です。
「あなた」「かなた」の対義語です。
「うらに」は表裏の片方のことです。
○巻ごと
山家集の各巻を指しているものと思います。
○玉の聲
美しく、大切な言葉であり、すばらしい歌であるということ。
(01番歌の解釈)
「手紙の追記のようにみえた。群から何度も遅れて飛ぶ帰雁の
孤影は。」
(和歌文学大系21から抜粋)
(02番歌の解釈)
「烏の真黒な羽に墨で記した玉章は文字が判読し難いけれど、
それと同じような気持になるよ。夕闇の空を鳴きながら
わたってゆく雁は、手紙の文字を思わせるその列(つら)なり
飛ぶ姿も見えないで・・・。」
(新潮日本古典集成山家集から抜粋)
(03番歌の解釈)
「霧が濃くて、雁の群は見えず、列が乱れたように声が聞えてくる。」
(和歌文学大系21から抜粋)
(04番歌の解釈)
「北国に帰ってゆく雁と行き違う空の燕、それは細かに書いた
手紙の文字だろうか。」
(和歌文学大系21から抜粋)
(05番歌の解釈)
「大空を色紙に見立てるならば、紙の裏にあたるこちら(地に面した
側)には霧がたち、空色の、表にあたる霧の上(大空)を、あたかも
手紙の文字を連ねたかのように雁は飛んで行くことだよ。」
(新潮日本古典集成山家集から抜粋)
(06番歌の解釈)
「恋しいあの商人への思慕の情を抑えかねて、市の中には大勢人が
いるので、縁故のある人を求めて恋文を託すことだよ。」
(新潮日本古典集成山家集から抜粋)
(07番歌の解釈)
「拝見した山家集はどの巻からも金玉の如き美しい和歌が見出さ
れます。現代にもこんな素晴らしい歌集があったのですね。もっと
早く気付くべきでした。」
(和歌文学大系21から抜粋)
07番歌は院少納言との贈答の歌です。下は西行の返しの歌です。
よしさらば光なくとも玉と云ひて言葉のちりは君みがかなむ
(西行歌)(岩波文庫山家集180P雑歌・新潮1352番)
「拙い私の歌をご覧になられ、光りなどありませんのに玉とお褒め
いただけるのでしたら、いっそのこと、拙い所々をあなたの手で
お直しになり、本当の光になるように磨いていただけませんか。」
(和歌文学大系21から抜粋)
【院少納言の局】
少納言信西の女。建春門院(後白河天皇女御)に出仕。「建春門院
中納言日記」によれば阿闍梨覚堅の妹。
(新潮日本古典集成山家集から抜粋)
生没年未詳。建春門院少納言。この時点では後白河院女房。少納言
藤原実明(季仲男)女。「言葉集」に左京太夫修範とのと恋の贈答
があり、紀伊二位没時には修範室として服喪したか。但し、保延
元年(1135)より待賢門院女房であり、紀伊二位と同世代か。祖父
と推定される季仲と夫(恋人)の修範とは生年に百年ほどの差が
ある。一説に少納言通憲(信西)女ともいう。
(和歌文学大系21から抜粋)
院少納言の局との贈答歌は合計二度あります。もう一度は院二位の局
の菩提を弔った時の歌です。
01 哀しる空も心のありければなみだに雨をそふるなりけり
(西行歌)(岩波文庫山家集209P哀傷歌・新潮829番)
02 哀しる空にはあらじわび人の涙ぞ今日は雨とふるらむ
(院少納言局歌)(岩波文庫山家集209P哀傷歌・新潮830番)
(01番歌の解釈)
「空もあわれを知る心があるので、別れの涙に添えて雨まで降ら
せることであるよ。」
(新潮日本古典集成山家集から抜粋)
(02番歌の解釈)
「あわれを知る空が雨を降らせたとのことですが、そうではあり
ますまい。亡き人を偲び嘆きに沈んだ私達の涙が、今日の雨と
なって降ったのでありましょう。」
(新潮日本古典集成山家集から抜粋)
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◆ たゆる・たゆみ・たゆまで ◆
現在も用いられている「弛む=たゆむ」という言葉とほぼ同義です。
「弛む」は(気がゆるむ・なまける)などの意味を持ちます。
西行の時代はもっと広義な言葉として使われていました。
身体が疲れてだるい、心の動きがのろくて鈍い、たるんでいる、緊張
がゆるむ、油断する、勢いが弱い状態、などについていう言葉です。
【たゆる】
01番歌は、凍った川を竿で氷を割りながら下るのも、しんどいし、
疲れることを考えると億劫なことだというほどの意味。
ここでは体がだるいというよりも、気持ちが乗らない、億劫で
ある、という心の状態の方を感じさせます。
【たゆみ】
たゆむこと。紐などがピーンと張っていないで、緩んでいる状態
のこと。02番歌では気持が冗漫になっていて、緊張感が無いという
状態が続いていること。油断していたということ。
【たゆまで】
03番歌は気持を緩めることがない、なまけることがない、という意味。
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01 氷わる筏のさをのたゆるればもちやこさましほつの山越
(岩波文庫山家集94P冬歌・新潮556番・
西行上人集追而加書・夫木抄)
02 たゆみつつそりのはや緒もつけなくに積りにけりな越の白雪
(岩波文庫山家集99P冬歌・新潮529番・夫木抄)
03 ほととぎす聲に植女のはやされて山田のさなへたゆまでぞとる
(岩波文庫山家集264P残集・夫木抄)
参考歌の「たゆる」は「絶ゆる」であって、03番歌までの「たゆる」
とは意味が異なります。読みは同じですから参考までに出します。
(参考歌)
04 なほざりのなさけは人のあるものをたゆるは常のならひなれども
(岩波文庫山家集152P恋歌・新潮672番・
西行上人集・万代集)
○もちやこさまし
「持ちや越さまし」で、持って越えること。
実際には筏になる木を人が持って山越えして移動することなど、
不可能であり、それが分かった上でなお、希望的な思いを述べた
言葉です。冬場は川が凍結してもおり、春まで仕事ができない
哀感のようなものをユーモアを交えて表現しています。
○ほつの山越
亀岡市から京都市の嵐山に流れる「保津川」沿いの山を越える
ということを言います。
○そりのはや緒
「はや緒」は、橇(そり)を早く進ませるために用いる綱のこと。
橇を漕ぐときに橇の腕にかける綱のこと。
この歌は越の国のどこで詠まれたものかわかりません。岩波文庫
山家集では近江の国から越前の国に入ってすぐの有乳山の歌の次に
配されていますから、越前の国での歌の可能性もあると思います。
○植女
(うえめ)と読みます。田植えをする女性のこと、早乙女のこと。
(01番歌の解釈)
「筏を下すために、保津川に張りつめた氷を棹で割るのも
疲れることであるから、いっそ保津川の山越えの道を通って
持って行ったらどうだろうか。」
(新潮日本古典集成山家集から抜粋)
(02番歌の解釈)
「まだつけなくてもよいだろうと油断して、橇を引く綱もつけて
いなかったのに、早くも越路には真白に雪が積もったよ。」
(新潮日本古典集成山家集から抜粋)
(03番歌の解釈)
「ほととぎすのよい声にはげまされて、早苗を植える早乙女は
精を出して、たゆまずに田を植えることである。」
(渡部保氏著「西行山家集全注解」から抜粋)
(参考歌の解釈)
「あなたにも人並みの情愛はあるのだろうに(なぜ私にかけて下さら
ないのですか)。逢った後に縁が絶えてしまうのはよくあること
だけれど(逢ってもいないのに縁がないなんて言わないで下さいよ)。」
(和歌文学大系21から抜粋)
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【たより得がほ】
(たより)は「頼り」と解釈するのが自然です。しかし実際的に力に
なってくれる存在、拠り所となってくれる存在を得たというわけ
ではありません。
ここでいう(たより)は自分を納得させるだけの理由づけができた
ような、言い訳をできる恰好のもの(心)があって、それを(たより)
としています。自分の心に責任を転嫁しているような意味合いで
使われている言葉です。
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01 月を見る心のふしをとがにしてたより得がほにぬるる袖かな
(岩波文庫山家集149P恋歌・新潮625番)
○心のふし
その時々の心のありようのこと。月を見て感じる、その時の気持ち。
○とがにして
(とが=咎・科)は罪のこと。わざと心のありようを理由にして、
涙が出るのを納得させているという深層心理を言います。
(01番歌の解釈)
「涙が出るのは月を仰いで嘆く心の状態のせいにして、これ幸いと
ばかり、叶わぬ恋ゆえの涙で濡れるわが袖だよ。」
(新潮日本古典集成山家集から抜粋)
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【(がほ)歌について】
(がほ)のフレーズの入った歌は西行が好んで詠んだ歌とも言え
ます。
いひがほ・恨みがほ・嬉しがほ・かけもちがほ・きかずがほ・
たより得がほ・つけがほ・告げがほ(2)・所えがほ・ぬるるがほ・
見がほ・見せがほ・もりがほ・わがものがほ、かこち顔。
以上15種類、16首あります。源氏物語にも「○○がほ」という記述
はありますから、西行の「がほ」歌はあるいは源氏物語の影響なの
かもしれません。
後深草院二条の「とはずがたり」にも「○○がほ」の言葉は頻繁に
出てきます。
以下に「がほ」歌を記しておきます。歌意については順に説明します。
01 たちかはる春を知れとも見せがほに年をへだつる霞なりける
(岩波文庫山家集14P春歌・新潮04番・西行上人集・
山家心中集・御裳濯河歌合)
02 よしの山人に心をつけがほに花よりさきにかかる白雲
(岩波文庫山家集32P春歌・新潮143番・西行上人集・
山家心中集・新後撰集)
03 ま菅おふる山田に水をまかすれば嬉しがほにも鳴く蛙かな
(岩波文庫山家集39P春歌・新潮176番・西行上人集・
山家心中集・風雅集・月詣集)
04 かり残すみづの眞菰にかくろひてかけもちがほに鳴く蛙かな
(岩波文庫山家集40P春歌・新潮1018番・夫木抄)
05 時鳥なかで明けぬと告げがほにまたれぬ鳥のねぞ聞ゆなる
(岩波文庫山家集43P夏歌・新潮186番・
西行上人集・山家心中集)
06 里なるるたそがれどきの郭公きかずがほにて又なのらせむ
(岩波文庫山家集44P秋歌・新潮181番・西行上人集・
山家心中集・玉葉集・万代集)
07 をみなへし池のさ波に枝ひぢて物思ふ袖のぬるるがほなる
(岩波文庫山家集59P秋歌・新潮284番・万代集・夫木抄)
08 きりぎりす夜寒になるを告げがほに枕のもとに來つつ鳴くなり
(岩波文庫山家集64P秋歌・新潮455番)
09 こよひはと所えがほにすむ月の光もてなす菊の白露
(岩波文庫山家集85P秋歌・新潮379番・西行上人集・
山家心中集・夫木抄)
10 月を見る心のふしをとがにしてたより得がほにぬるる袖かな
(岩波文庫山家集149P恋歌・新潮625番)
11 よもすがら月を見がほにもてなして心のやみにまよふ頃かな
(岩波文庫山家集150P恋歌・新潮640番)
12 身をしれば人のとがとは思はぬに恨みがほにもぬるる袖かな
(岩波文庫山家集153P恋歌・新潮680番・西行上人集・
山家心中集・宮河歌合・新古今集・西行物語)
13 数ならぬ身をも心のもりがほにうかれては又帰り来にけり
(岩波文庫山家集196P雑歌・新古今集)
14 誰ならむ吉野の山のはつ花をわがものがほに折りてかへれる
(岩波文庫山家集247P聞書集)
15 あたりまであはれ知れともいひがほに萩の音する秋の夕風
(岩波文庫山家集57P秋歌・新潮288番)
16 なげけとて月やはものを思はするかこ顔なる我が涙かな
(岩波文庫山家集149P恋歌・新潮628番・西行上人集・
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【たらちね】
「垂乳根」と書き、本来は母親のことです。しかし母親だけでなくて
父親も指します。「親」のイメージを引き出すための枕詞です。
母親のみを指す場合には「垂乳女=たらちめ」とも使われます。
【たらちを】
父のことです。「垂乳男」と表記して「たらちね」から派生して
できた言葉とのことです。
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01 たらちねのおふしたてたるすかたにてさとりはやかてありける物を
(松屋本山家集)
02 かかる身におふしたてけむたらちねの親さへつらき恋もするかな
(岩波文庫山家集152P恋歌・新潮677番・
西行上人集・御裳濯河歌合・万代集)
03 たらちねの乳房をぞ今日おもひ知るかかるみ法をきくにつけても
(岩波文庫山家集245P聞書集143番)
04 たらちをのゆくへを我も知らぬかなおなじほのほにむせぶらめども
(岩波文庫山家集252P聞書集212番)
○おふしたて
現代的な言葉ではありません。
辞典によると、「おほ」は「生ひ=おひ」の連体形とのことです。
「生ひ」は(生ひたち)(生ひ出で)などと用い、「生ほし」は
「生ひ」の他動詞形。
「生ほし立て」は(育て上げる)こととあります。
(岩波古語辞典を参考)
源氏物語、若紫の段に「生ほし立てて」と記述されています。
新潮版では「おふし」は「おほし」となっています。
「おふし」と「おほし」は同義です。
○かかる身
つらい恋の悩みに懊悩する身のこと。
○親さえつらき
産み育ててくれた親さえも恨めしく思う気持ちのこと。
西行の恋歌の多くは女性の立場に立っての創作とも言えるのですが、
こういう表現に西行その人の出自を考えさせられます。
○かかるみ法
優れていると思った仏典のこと。「通達菩提心」という仏典です。
○おなじほのほ
父はどの辺にいるか分からないけれども、地獄の業火の中に自分も
父も共にいるという意味。炎熱の阿鼻地獄を指しているようです。
(01番歌の解釈)
「悟りの境地は親が育て上げてくれたそのままの姿であったのだ。」
(和歌文学大系21から抜粋)
(02番歌の解釈)
「恋の思いに悩みに悩む、そんな身に育てあげてくれた親さえもが
恨めしく思われるような、たいそうつらい恋をすることだなあ。」
(新潮日本古典集成山家集から抜粋)
(03番歌の解釈)
「母の乳房の恩を今日まさに思い知ることだ。このようなすぐれた
仏法を聞くにつけても。」
(和歌文学大系21から抜粋)
(04番歌の解釈)
「父の行方を私も知らないことだな、私と同じ炎の中にむせび
泣いているだろうけれども。」
(和歌文学大系21から抜粋)
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