もどる

うえ〜うき うぐ〜うず うた〜うつ うな〜うの
うは〜うん


【植女】

 (うえめ)と読みます。田植えをする女性のこと、早乙女のこと。
 
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

1 ほととぎす聲に植女のはやされて山田のさなへたゆまでぞとる
             (岩波文庫山家集264P残集・夫木抄)
            
○たゆまでぞ

 気持を緩めることがない、なまけることがない・・・という意味。

 (歌の解釈)

 「ほととぎすのよい声にはげまされて、早苗を植える早乙女は
  精を出して、たゆまずに田を植えることである。」
         (渡部保氏著「西行山家集全注解」から抜粋)

【右衛門督】

 右衛門督は右衛門府の長官を指し、官の職掌名のことです。

 ここでは平宗盛の子供の清宗のことです。父親の宗盛と同日に
 近江(滋賀県)の篠原で処刑されました。15歳(17歳説もあり)
 でした。
 清宗の母は、西行とも親しかった平時忠の妹です。
 源平の争乱の時代に伊勢に居住していても、西行は都にいた歌人
 達だけでなく、様々な人たちとの交流が続いていたことを思わせ
 る詞書の内容です。
 いろんな情報が伊勢の西行の元に集まっていただろうと思います。
 
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

  八嶋内府、鎌倉にむかへられて、京へまた送られ給ひけり。
  武士の、母のことはさることにて、右衛門督のことを思ふにぞ
  とて、泣き給ひけると聞きて

1 夜の鶴の都のうちを出でであれなこのおもひにはまどはざらまし
            (岩波文庫山家集185P雑歌・西行上人集)

○八嶋内府

 平宗盛のことです。平清盛の三男で清盛死後に家督を継いで、
 平家の統領となりますが、凡庸と評される人物です。母は平時子。
 壇ノ浦の合戦で、息子の右衛門督(平清宗)とともに捕縛された
 平宗盛父子は、源義経に伴われて鎌倉に下向します。ところが
 義経は鎌倉に入ることを頼朝から拒絶されました。
 宗盛父子は鎌倉に入ったのですが、また京都に引き返すことに
 なります。帰京途中に、宗盛と清宗親子は近江の篠原で斬殺され
 ました。1185年6月21日のことです。
 内府とは内大臣の別称です。宗盛は1182年に内大臣になりました。
 1番歌は1185年6月21日以降に詠われた歌であり、伊勢時代の歌と
 みてよく、作歌年代が特定できます。

○鎌倉にむかへられ

 罪人として鎌倉に護送されたことをいいます。

○夜の鶴

 子供のことを思う親の気持ちの比喩表現といわれます。
 白楽天の詩句「夜鶴憶子籠中鳴」から採られた言葉とのことで、
 釈迦と関連する言葉である「鶴の林」とは関係ないようです。

 「夜の鶴都のうちにはなたれて子をこひつつもなきあかすかな」
                    (高内侍 詞花集)

 西行の歌は、上記歌を踏まえてのものでしょう。

○出でであれな

 (都のうちを出ないで欲しい)(渡部保氏著「西行山家集全注解」)
 という解釈と、(都のうちを出てあれよ)(和歌文学大系21)の
 両方の解釈が成立するようです。

 (詞書と歌の解釈)

 (詞書)
 「八嶋内府が鎌倉にむかえられて、京へまた送りかえされなさった。
 武士の母はこうしたもので、覚悟の前とは言いながら右衛門督
 のことを思うと悲しまずに居られぬと言ってお嘆きになったと
 きいて。」
        (渡部保氏著「西行山家集全注解」から抜粋)
 (歌)
 「夜の鶴は都の内を出ないで欲しい。そうしたら亡き子の悲しみ
 には迷わずには居られよう。
         (渡部保氏著「西行山家集全注解」から抜粋)

 「夜の鶴(親)は都(籠)の内を出てあれよ。そうしたらわが子
 への愛情に迷わないであろう。」
                 (和歌文学大系21から抜粋)

 【うかり】

 (うかりし)3首、(うかりける)が1首あります。

 品詞については良く理解できていないのですが、(うかり)は
 形容詞(憂し)の連体形(憂き)の語幹に、接尾語の(かり)が
 付いたものと思います。それで「憂くあり」ということが
 (うかり)という言葉になります。
 (うかりし)は強意を示す助詞(し)が付くことによって憂く
 あることを強調します。

 「うかりける」は先述の(うかり)に助動詞(けり)の終止形の
 (ける)が付いた形で断定を表します。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

1 ひきかへて嬉しかるらむ心にもうかりしことを忘れざらなむ
           (岩波文庫山家集157P恋歌・新潮1263番)
            
2 何ごとにつけてか世をば厭はましうかりし人ぞ今はうれしき
     (岩波文庫山家集164P恋歌・新潮1349番・西行上人集)
           
3 あらぬよの別はげにぞうかりける浅ぢが原を見るにつけても
          (岩波文庫山家集208P哀傷歌・新潮821番)
            
4 散りしきし花の匂ひの名残多みたたまうかりし法の庭かな
          (岩波文庫山家集219P釈教歌・新潮893番)
           
○あらぬ世

 現世ではないということ。死後世界のこと。

○浅ぢが原

 浅茅(背の低いチガヤ)が一面に茂っている野原のこと。
 人も住まず荒れ果てている場所を形容する言葉です。

○たたまうかりし

 文法についてはよく分かりません。(立たまう)と(憂かりし)
 が続いた言葉と思いますが(立たまう)の用法が分かりません。
 (たたまうかりし)で席を立つのが辛い、その場所から帰るのが
 辛いというほどの意味になるようです。

○法の庭

 仏法の教えのこと。教えが語られた場所としてインドの霊鷲山の
 ことも指します。

 (1番歌の解釈)

 「昨日までと打って変わって恋人に逢えてうれしいのでしょうが、
  逢えなかったつらい日々を忘れてはいけないと思う。」
                (和歌文学大系21から抜粋)

 (4番歌の解釈)

 「散り敷いた花の匂いの名残ともいうべき仏の説法の余韻が多く
  残っているので、聞法の衆の立ち去り難い法の庭であったよ。」
            (新潮日本古典集成山家集から抜粋)

 【うかる】

 (うかるらむ)3首、(うかるる)2首、(うかるべき)、(うか
 るべけれど)が各一首ずつあります。
 このうち、1番・2番・3番歌は(憂)ではなくて(浮)という文字
 を当てる(浮かるる)(浮かるらむ)です。

 (うかる)は先述した形容詞(憂し)の連体形(憂き)の語幹に、
 接尾語の(かる)が付いたものと思います。それで「憂くある」と
 いうことが(うかる)という言葉になります。
 要するに(うかり)とほぼ同義と捉えて良いでしょう。

 (うかるらむ)の(らむ)は推量、予想などを表していて、思い
 やる立場での「・・・なのだろう」という意味になるようです。

 (うかるる)の(る)は助動詞(る)の連体形です。(る)は
 動作や状態が自然に続くような意味を表します。
 
 (うかるべき)の(べき)は(べし)の連体形で(・・・そうで
 ある)という、きわめて強い意志を表します。

 (べけれど)は(べくあれど)という意味となり、助動詞(べし)
 の未然形として活用し、(・・・そうであるだろうけど)という
 意味となります。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

1 さかりなるこの山ざくら思ひおきていづち心のまたうかるらむ
                (岩波文庫山家集244P聞書集)

2 神無月木葉の落つるたびごとに心うかるるみ山べの里
            (岩波文庫山家集92P雑歌・新潮欠番)
              
3 あらし吹く峰の木葉にともなひていづちうかるる心なるらむ
         (岩波文庫山家集133P羇旅歌・新潮1082番・
      西行上人集・続拾遺集・万代集・玉葉集・西行物語)  

4 うたたねの夢をいとひし床の上の今朝いかばかり起きうかるらむ
           (岩波文庫山家集157P恋歌・新潮1262番)
               
5 思ひ出でて古巣にかへる鶯は旅のねぐらや住みうかるらむ
          (岩波文庫山家集22P春歌・新潮1068番・
               西行上人集追而加書・夫木抄)
                
6 うかるべきつひのおもひをおきながらかりそめの世に惑ふはかなさ
            (岩波文庫山家集251P聞書集・夫木抄)
            
7 あふと見しその夜の夢のさめであれな長き眠りはうかるべけれど
           (岩波文庫山家集1P恋歌・新潮1350番・
         西行上人集・山家心中集・千載集・宮河歌合)  

○思ひ出でて

 新潮版では「おもひ果てて」となっています。
 和歌文学大系21では「思ひ出でて」です。
 この歌ではどの旅先にあっても都のことが常に脳裏に住み着いて
 いる西行自身のことが投影されています。

○いづち

 どちらの方角、どちらの方向・・・という意味です。
 方角における不定称で副詞的に用いられ(いづく)よりも漠然と
 方角を指す言葉です。
                  (岩波古語辞典を参考)

○夢をいとひし

 夢を嫌だなーと思う気持のこと。

○つひの思ひ

 臨終の際の思いのこと。あるいは死後のことについて思うこと。

○かりそめの世

 実際に生きている現世を言います。

 (3番歌の解釈)

 「峰の木の葉が嵐に吹かれて飛んで行く。そのように私の心も
  どことあてもなくさまよい出て行くようです。」
                (和歌文学大系21から抜粋)

 (5番歌の解釈)

 「あきらめて古巣へ帰った鶯は、旅のねぐらが住み憂かったの
  であろうか。」
            (新潮日本古典集成山家集から抜粋)

 (6番歌の解釈)
 
 「つらいに違いない臨終の思いをさておいて、仮初めの世に
  惑うはかなさよ。」
                (和歌文学大系21から抜粋)

 【うかれ】

 (うかれ)歌は合計10首、詞書に二回あります。
 (うかれて)(うかれし)(うかれそめ)(うかれ出で)など、
 たくさんの用例があります。

 (うかり)(うかる)(うかれ)は西行が好んで用いた言葉です。
 しかし(うかり)(うかる)が主に(憂し)の気持を表すことに
 対して、(うかれ)は(浮く)いう気持の弾むようなことを主に
 表しています。
 (うきよ)が「憂き世」と「浮き世」を同時に表すように、
 (うかれ)も、単に(浮く)だけでなくて、(憂く)との両方の
 意味を重ね合わせて使った歌が多いともいえそうです。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

1 さらぬだにうかれて物を思ふ身の心をさそふ秋の夜の月
           (岩波文庫山家集77P秋歌・新潮404番)
              
2 月を見て心うかれしいにしへの秋にも更にめぐりあひぬる
    (岩波文庫山家集80P秋歌・新潮349番・西行上人集・
      山家心中集・新古今集・御裳濯河歌合・西行物語)  

3 かげさえてまことに月のあかきには心も空にうかれてぞすむ
           (岩波文庫山家集81P秋歌・新潮365番)
            
4 おぼつかな春は心の花にのみいづれの年かうかれそめけむ
           (岩波文庫山家集33P春歌・新潮149番・
                   新続古今集・万代集) 

5 世のうさに一かたならずうかれゆく心さだめよ秋の夜の月
      (岩波文庫山家集83P秋歌・西行上人集・西行物語)
            
6 月をこそながめば心うかれ出でめやみなる空にただよふやなぞ
          (岩波文庫山家集172P雑歌・新潮1550番)
             
7 うかれ出づる心は身にもかなはねばいかなりとてもいかにかはせむ
           (岩波文庫山家集188P雑歌・新潮912番)
              
8 雲につきてうかれのみ行く心をば山にかけてをとめむとぞ思ふ
           (岩波文庫山家集191P雑歌・新潮1507番)
             
9 数ならぬ身をも心のもりがほにうかれては又帰り来にけり
            (岩波文庫山家集196P雑歌・新古今集)
              
10 ここを又我が住みうくてうかれなば松はひとりにならむとすらむ
          (岩波文庫山家集111P羇旅歌・新潮1359番・
             西行上人集・山家心中集・西行物語)  

11 高野山を住みうかれてのち、伊勢國二見浦の山寺に侍りけるに、
  太神宮の御山をば神路山と申す、大日の垂跡をおもひて、よみ
  侍りける

  ふかく入りて神路のおくを尋ぬれば又うへもなき峰の松かぜ
     (岩波文庫山家集124P羇旅歌・千載集・御裳濯河歌合)
             
12 ゆかりなくなりて、すみうかれにける古郷へ帰りゐける人の
  もとへ

  すみ捨てしその古郷をあらためて昔にかへる心地もやする
          (岩波文庫山家集174P雑歌・新潮801番)
            
○さらぬだに

 そうでなくとも・・・という意味。

○世のうさ

 憂き世の憂さのこと。生きていくうえで心を惑わせる諸々の事々
 に対して辛いと思う気持。憂鬱に思う気持ちのこと。

○心は身にもかなはねば

 心は身体では制御できないという意味。心身は別のものとして
 考えていることがわかります。

○数ならぬ身

 社会にあってはものの数にも入らない身のこと。当時の貴族社会
 にあっては員数外ということ。僧侶としての階級などを求めない
 西行の立場を言っています。

○もりがほ

 不明です。守顔と解釈するほうが自然です。
 新古今集では「もちがほ」となっています。

○神路山

 伊勢神宮内宮の神苑から見える山を総称して神路山といいます。
 標高は150メータから400メータ程度。

○大日の垂跡

 (垂迹と垂跡は同義で、ともに「すいじゃく」と読みます。)
 本地=本来のもの、本当のもの。垂迹=出現するということ。

 仏や菩薩のことを本地といい、仏や菩薩が衆生を救うために仮に
 日本神道の神の姿をして現れるということが本地垂迹説です。
 大日の垂迹とは、神宮の天照大御神が仏教(密教)の大日如来の
 垂迹であるという考え方です。

 本地垂迹説は仏教側に立った思想であり、最澄や空海もこの思想
 に立脚していたことが知られます。仏が主であり、神は仏に従属
 しているという思想です。
 源氏物語『明石』に「跡を垂れたまふ神・・・」という住吉神社に
 ついての記述があり、紫式部の時代では本地垂迹説が広く信じら
 れていたものでしょう。
 ところがこういう一方に偏った考え方に対して、当然に神が主で
 あり仏が従であるという考え方が発生します。伊勢神宮外宮の
 渡会氏のとなえた「渡会神道」の神主仏従の思想は、北畠親房の
 「神皇正統記」に結実して、多くの人に影響を与えました。

 (2番歌の解釈)

 「月を見て心が身を離れあくがれ出て行った昔―まだ世にあった
  あの頃の「心うかれた」秋のような気持に、再びめぐり
  あったよ。)
             (新潮日本古典集成山家集から抜粋)

 (4番歌の解釈)

 「よくわからない。一体いつからなのか。春になると花に心を
  奪われて落ち着かなくなったのは。」
                 (和歌文学大系21から抜粋)

 (10番歌の解釈)

 「私は一所不住の遁世生活なので、こんなに住み心地のよい草庵
  も住みづらくなって出ていくかも知れない。そうしたら松は
  またひとりになってしまうんだろうか。」
                 (和歌文学大系21から抜粋)

(その他)

1 待ちかねて寢たらばいかに憂からましやま杜宇夜を残しけり
 
2 とふ人も思ひたえたる山里のさびしさなくば住みうからまし

3 よるの床をなきうかされむ時鳥物思ふ袖をとひにきたらば
 
4 よしさらば誰かは世にもながらへむと思ふ折にぞ人はうからぬ

5 かかりける涙にしづむ身のうさを君ならで又誰かうかべむ

6 うけがたき人のすがたにうかび出でてこりずや誰も又しづむらむ

7 世の中のうきもうからず思ひとけば浅茅にむすぶ露の白玉

【うき】

形容詞「憂し」の連体形です。連用形は「憂く」、終止形は
「憂し」巳然形は「憂けれ」となっています。
「憂さ」は「憂し」に接尾語の「さ」が結合して名詞化したものの
はずですが、少し自信がありません。
いずれにしても自分の望むようにはならず、そのことによって苦痛
を感じる状態を指します。悲しく、苦しく、つらいことの意味です。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

1 うきことも思ひとほさじおしかへし月のすみける久方の空
           (岩波文庫山家集85P秋歌・新潮1481番)
            
2 うきによりつひに朽ちぬる我が袖を心づくしに何忍びけむ
          (岩波文庫山家集162P恋歌・新潮1326番)
            
3 うきたびになどなど人を思へども叶はで年の積りぬるかな
          (岩波文庫山家集151P恋歌・新潮664番)
             
4 うきふしをまづ思ひしる涙かなさのみこそはと慰むれども
    (岩波文庫山家集152P恋歌・新潮674番・西行上人集)
          
5 世のうきをおもひし知ればやすきねをあまりこめたる郭公かな
          (岩波文庫山家集46P夏歌・西行上人集)
           
6 世のうきにひかるる人はあやめ草心のねなき心地こそすれ
           (岩波文庫山家集47P夏歌・新潮721番)
            
7 世のうきを昔がたりになしはてて花橘におもひ出でばや
           (岩波文庫山家集188P雑歌・新潮722番)
              
8 みな人の心のうきはあやめ草西に思ひのひかぬなりけり
           (岩波文庫山家集48P夏歌・新潮206番)
              
9 五月雨は行くべき道のあてもなしを笹が原もうきに流れて
           (岩波文庫山家集50P夏歌・新潮226番・
               西行上人集追而加書・夫木抄)

10 世の中のうきをも知らですむ月のかげは我が身の心地こそすれ
     (岩波文庫山家集77P秋歌・新潮401番・西行上人集・
         山家心中集・玉葉集・宮河歌合・御裳濯集) 

11 世の中のうきもうからず思ひとけば浅茅にむすぶ露の白玉
         (岩波文庫山家集213P哀傷歌・西行上人集)
             
12 よしの山花をのどかに見ましやはうきがうれしき我が身なりけり
      (岩波文庫山家集34P春歌・西行上人集・御裳濯集)
          
13 棚機は逢ふをうれしと思ふらむ我は別のうき今宵かな
          (岩波文庫山家集158P恋歌・新潮1264番)
              
14 しをりせで猶山深く分け入らむうきこと聞かぬ所ありやと
         (岩波文庫山家集140P羇旅歌・新潮1121番・
      西行上人集・新古今集・御裳濯河歌合・西行物語) 

15 とはれぬもとはぬ心のつれなさもうきはかはらぬ心地こそすれ
          (岩波文庫山家集159P恋歌・新潮1279番)
            
16 とへかしななさけは人の身のためをうきものとても心やはある
          (岩波文庫山家集159P恋歌・新潮1285番・
              西行上人集・続古今集・万代集) 

17 今は我恋せん人をとぶらはむ世にうきことと思ひ知られぬ
          (岩波文庫山家集161P恋歌・新潮1313番)
         
18 死なばやと何思ふらむ後の世も恋はよにうきこととこそきけ
          (岩波文庫山家集161P恋歌・新潮1318番)
           
19 まどひてし心を誰も忘れつつひかへらるなることのうきかな
         (岩波文庫山家集221P釈教歌・新潮1533番)
             
20 塵灰にくだけはてなばさてもあらでよみがへらすることのはぞうき
               (岩波文庫山家集252P聞書集)
              
21 小鯛ひく網のかけ繩よりめぐりうきしわざあるしほさきの浦
          (岩波文庫山家集116P羇旅歌・新潮1378番)
         
22 世の中をそむく便やなからましうき折ふしに君があはずば
      (岩波文庫山家集182P雑歌・新潮1230番・西行物語)
           
23 思ひ出づる過ぎにしかたをはづかしみあるにものうきこの世なりけり
           (岩波文庫山家集192P雑歌・新潮719番)
              
24 見るもうきは鵜繩ににぐるいろくづをのがらかさでもしたむもち網
           (岩波文庫山家集199P雑歌・新潮1395番)
            
25 君がため秋は世のうき折なれや去年も今年も物を思ひて
          (岩波文庫山家集203P哀傷歌・新潮787番)
            
26 柴の庵はすみうきこともあらましをともなふ月の影なかりせば
           (岩波文庫山家集82P秋歌・新潮950番・
                  西行上人集・山家心中集) 

27 苫のやに波立ちよらぬけしきにてあまり住みうき程は見えけり
           (岩波文庫山家集178P雑歌・新潮745番・
         西行上人集・山家心中集・夫木抄・西行物語) 

28 ちりそむる花の初雪ふりぬればふみ分けまうき志賀の山越
           (岩波文庫山家集38P春歌・新潮105番・
          西行上人集・山家心中集・玉葉集・夫木抄) 

29 ふままうき紅葉の錦散りしきて人も通はぬおもはくの橋
      (岩波文庫山家集130P羇旅歌・新潮1129番・夫木抄)
              
30 夏山の夕下風のすずしさにならの木かげのたたまうきかな
           (岩波文庫山家集54P春歌・新潮233番・
              西行上人集・山家心中集・夫木抄) 

31 目のまへにかはりはてにし世のうきに涙を君もながしけるかな
                  (讃岐の院の女房)
           (岩波文庫山家集182P雑歌・新潮1235番)
            
32 いとどしくうきにつけても頼むかな契りし道のしるべたがふな
                  (讃岐の院の女房)
          (岩波文庫山家集184P雑歌・新潮1138番・
                 西行上人追而加書・玉葉集) 

○うきことも

 新潮版では「憂き世とも」となっています。「世」と「こと」
 の違いがあるだけで、意味はそれほど変わりません。

○思ひとほさじ

 思ったことを頑固に押し通すことはない、ということ。

○おしかへし

 押し返すこと。自己の方にかかる力に対して、戻すために力を
 加えるということ。逆に、反対に・・・の意味です。

○うきふし

 憂き節のこと。悲しくつらいことが起きた時。

○さのみこそは

 然のみこそは。副詞(然=さ)に副助詞(のみ)、副詞の
 (こそ)、副助詞(は)の連結した言葉。
 ただそのようにあることだが・・・そうであるばかりだが・・・
 という意味合いになります。
 (さのみこそはと)と、格助詞(と)が付くことによって、弱い
 否定の意味が入って(ただそのようにあることだけど・・・)と
 いうニューアンスになります。
 ここでは(そんなに悲しんで泣くものではないよ)という意味に
 なります。

○やすきね

 安らかな音色。楽観的と感じさせる音色のこと。憂きに対して
 郭公の音色の「安き」を対比させています。

○心のねなき

 心根がはっきりとしていないこと。仏教修行の信念が座って
 いないこと。

○西に思ひの

 浄土教のいう西方浄土の思想に拠っています。浄土思想による
 阿弥陀仏信仰を言っています。

○うきもうからず

 (憂き)ことも実際には(憂き)ことではないという意味。

○うきがうれしき

 矛盾した表現を取ることによって、憂きことという自身の煩悩の
 ありようを肯定しています。

○しをりせで

 枝を折って目印とすること。「せで」で目印はつけないでおこう
 という意味になり、なお山中深くに入ることの決意を表して
 います。

○ひかへらる

 19番歌の解釈の項で記述。
 新潮の山家集と和歌文学大系の解釈に多少のずれがあります。

○塵灰にくだけはてなば

 塵や灰のように細かく砕けてしまえば・・・。

○うきしわざ

 鯛を採るということは殺生をすることであり、それはそのまま
 憂き仕業であることだよ。

○しほさきの浦

 淡路島の三原郡。淡路島の南西端の浦。

○うき折ふし

 悲しくつらい出来事が起きた時、という意味。

○いろくづ

 原意は魚の鱗(うろこ)のことです。転じて魚類全般、魚の総称
 としての言葉です。

○したむもち網

 四方の形の網の四隅に竹をしばりつけていて、その三方を閉じて
 魚を追い込み、魚がかかっていると手で手繰り上げて魚を取り込む
 漁法です。これが持ち網です。
 (したむ)は、網が海水を滴らせている状態をいいます。
            
○苫のや

 この歌は堀川の局との贈答歌です。
 苫とは菅や茅などを編んで、雨露を防ぐために小屋の屋根の覆い
 などに利用するもの。苫葺きの粗末な家のこと。  

○志賀の山越

 京都の北白河から近江の坂本に抜ける往還道のことです。
 現代は山中越えと言います。
 織田信長が上洛の時にも、この道を使ったという記録があります。

○ふままうき

 踏み分けまうき=踏み分けま憂き=踏み分けることが憂く思わ
 れる。「ま憂き」は「まく憂き」の約。
                (新潮日本古典集成から抜粋)

 踏み分けまうき=踏み分けむあくうき=踏み分け(動詞の未然形)
 む(助動詞連体形朧化用法)あく(古代の名詞)うき(形容詞
 連体形)のつづめた形。また「ふみわけまくうき」の略された
 形で、「く」が上の動詞を体言化する接尾辞で、それが省略され
 たと考えてもよい。
          (渡部保著「西行山家集全注解」から抜粋)
 
 踏みしめて進んで行くことが辛い・・・という気持のことです。

○おもはくの橋

 どこにあったか不明です。順路から見れば「武隈の松」を見て
 から岩沼市を北上して、名取川の川幅の狭いところにかかる橋
 (おもはくの橋)を渡って名取市に入ったものと思われます。
 
 ところが芭蕉の「おくのほそ道」の曾良随行日記では
 「末の松山・興井・野田玉川・おもハく□の橋、浮嶋等ヲ見廻帰」
 とあります。
 ここでは塩釜市の野田玉川にかかる橋と解釈されますので、西行
 の歌にある橋とは位置が明らかに違います。
 平安末期から江戸初期の間に「おもはくの橋」の架かる場所が
 変わったものとも考えられます。

○たたまうき

 立ち去るのが憂きこと、立ち去りがたい気持を表します。

 (1番歌の解釈)

 「この世を憂いつらい世と思い通すことはするまい。憂き世とは
 反対に、大空には月が美しく澄んでかかっているのだから。」
            (新潮日本古典集成山家集から抜粋)

 (7番歌の解釈)

 「憂き世のことはすっかり昔の話にしてしまって、いつか花橘の
 香りによって思い出せたらいいな。」
 ○昔語りー昔の話。思い出話。○なしはてー(本当は違うが)
  すっかりそのようにみなして。
                (和歌文学大系21から抜粋)
 
 (8番歌の解釈)

 「皆の人のうとましい、いとわしいことは西方浄土へ心の向かぬ
  ことであるよ。」
 ○うきー憂き(いとわしい、気の毒だ)と「うき」をかける。
  また菖蒲の縁語。
  この「うき」は泥の文字の下に土の部首が付く漢字です。
 ○ひかぬー菖蒲草の根を引く、から(ひく)のかけことば。
  「あやめぐさ」はひくの枕詞。縁語。
         (渡部保氏著「西行山家集全注解」から抜粋) 

(12番歌の解釈)

 「吉野山の花をのどかに見るだろうか。のどかになど見られない
 から憂くつらい、しかしそのことがうれしい私なのだ。」
 ○下句ー矛盾した表現で花への愛執とという自身の煩悩を肯定する。
                (和歌文学大系21から抜粋)

(14番歌の解釈)

 「思いがけないことを思い立った旨を知らせてきた人のところ
 へ、高野山から贈った歌で、つらいことをあなたから今お聞き
 しましたが、こういうつらいことを聞かずにすむところがある
 かと、しおり(枝などを折って帰る時の目じるしにすること)を
 しないでもっと山深く分け入ろうと思いますよ、というのである。
 ふるさとを捨てて高野にいた西行に(しをりせでなほ山深く分け
 入らむ)と思わせるような「憂きこと」とは何であったか、また、
 その人は何ものであったか、その正確なことはもとより不明という
 ほかはないのであるが、私にはやはり、この(人)は女性であり、
 「思はずなること」は私的なことではないかというように思わ
 れる。」
             (安田章生氏著「西行」から抜粋)

 尚、この歌には「思はずなること思ひ立つよしきこえける人の
 もとへ、高野より云ひつかわしける」という詞書があります。

 (19番歌の解釈)

 「釈迦の教えを聞くまでは惑っていた心を誰もが忘れてしまい、
 その入滅後、異議をたて互いに衣を引かれて争ったということの
 憂く、つらいことよ。」
 ◇ ひかへらるなる (らる)は受身、(なる)は伝聞で、衣を
  引っ張られたという、の意。
            (新潮日本古典集成山家集から抜粋)

 「父母妻子を捨てて出家した時のことは誰もが忘れてしまって、
 名利を思う心によって結局大象が小窓に引き留められてしまう
 ように、完全な出家を遂げられないのはつらい。」
 ◇ 訖栗枳王の夢ー倶舎論にいう「訖栗枳王十夢」を指す。その
  第一「大象」を詠む。大象の小窓からの脱出を出家に喩え、
 身体は出て尾がつかえるのを父母妻子は捨てられても名利は捨て
 きれなかった寓意とする。
 ◇ 控えらるなるー象の尾が窓につかえるように煩悩によって
  俗世に引き留められる。
                (和歌文学大系21から抜粋) 

 (22番歌の解釈)

 「このような憂い折節にお逢いにならなかったら、仏の道にお入
 りになる機縁はなかったことでありましょう。」
            (新潮日本古典集成山家集から抜粋)

 この歌は保元の乱に敗れて讃岐に配流となった崇徳院にあてて
 西行が贈った歌です。このような歌を書き贈るだけの親しい
 関係性が西行と崇徳院の間にはありました。

 (27番歌の解釈)

 「お住まいと聞いておりました草庵には人の立ち寄った気配も
 なくて、なんだかとっても住みにくそうな尼のお宅と拝見しま
 した。同情を禁じえません。」
 ○波立ちよらぬー(人はおろか)波も立ち寄ることがない。
 ○あまり住みうきーいかにも住みづらそうな。苫の屋・波の縁語
  である「海人」(尼)を言い掛ける。
                (和歌文学大系21から抜粋)

 この歌は堀川の局の詠と思われる下の歌に対しての西行の返歌
 です。

 しほなれし苫屋もあれてうき波に寄るかたもなきあまと知らずや
          (岩波文庫山家集178P雑歌・新潮744番・
            西行上人集・山家心中集・西行物語) 

(32番歌の解釈)

 「ますます憂くつらく思われるにつけても、あなたをお頼みする
 ことです。前々から約束しました死後の道しるべを、どうか忘れ
 ないで下さい。」
            (新潮日本古典集成山家集から抜粋)

 「以前からあなたを頼りにしておりましたが、このような事態と
 なって讃岐に下りましてからはいよいよあなたしかいません。お
 約束下さったように間違いなく私を後世に導いてくださいませ。」
                (和歌文学大系21から抜粋)

 この歌は讃岐の院の女房の詠歌という形を採ってはいますが、
 崇徳院と西行との贈答歌とみなしていいと思います。

【うさ】

 名詞の(憂さ)のことです。形容詞「憂し」に接尾語の「さ」が
 接続して名詞化した言葉です。
 意味はつらいと思う気持、悲しい気持、物憂いということなどで
 あり、他の憂き関連の言葉と同様の意味合いです。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

1 身のうさを思ひ知らでややみなましそむく習のなき世なりせば
           (岩波文庫山家集188P雑歌・新潮908番・
              西行上人集・新古今集・西行物語)  

2 身のうさの隠家にせむ山里は心ありてぞすむべかりける
      (岩波文庫山家集188P雑歌・新潮910番・西行上人集) 
              
3 身のうさの思ひ知らるることわりにおさへられぬは涙なりけり
           (岩波文庫山家集152P恋歌・新潮668番・
          西行上人集・山家心中集・玉葉集・万代集)  

4 あひ見ては訪はれぬうさぞ忘れぬるうれしきをのみまづ思ふまに
           (岩波文庫山家集155P恋歌・西行上人集)

5 世のうさに一かたならずうかれゆく心さだめよ秋の夜の月
      (岩波文庫山家集83P秋歌・西行上人集・西行物語) 
              
6 かかりける涙にしづむ身のうさを君ならで又誰かうかべむ
                  (讃岐の院の女房歌)
           (岩波文庫山家集184P雑歌・新潮1139番)

○やみなまし

 (やみ)と(なまし)が接続したことば。(やみ)は(止み)、
 (なまし)は完了の助動詞(ぬ)の未然形(な)と、推量の助動
 詞(まし)が結合したことば。
 一生が終わるということ。生の活動が終わるということ。

○そむく習の

 出家遁世ということ。若者の一途さが表れている表現だと思い
 ます。

○心ありてぞ 

 心があってということ。決心して、初めてできるということを
 言っています。              

○ことわりに
            
 理(ことわり)のこと。道理に合うということ。

○一かたならず

 ひととおりのことでは無いということ。うわべだけのことでは
 ないということ。
 ここでは一ヶ所だけではなくて、他の場所にも行くということ。

○君ならで

 西行を指しています。

 (1番歌の解釈)

 「わが身の憂さを思い知ることなく生涯を終わってしまったこと
 だろうか。もし遁世して出家するという習わしのない世であった
 ならば。」
             (新潮日本古典集成山家集から抜粋)

 (3番歌の解釈)

 「思うにまかせない逢う瀬ゆえにわが身の憂さがつくづく思い
 知られることであるが、それも道理と思うにつけ、とどめる
 ことのできない涙だなあ。」
             (新潮日本古典集成山家集から抜粋)

 (4番歌の解釈)

 「恋人と逢い見ると訪れなかったつらさも忘れてしまった。
 逢えた嬉しさだけをまず思ううちに。」
                 (和歌文学大系21から抜粋)

【うし】

 憂いことです。形容詞「憂し」の終止形です。
 意味は他の「憂」のつく言葉とほぼ同義です。

 世の中を憂しとやさしと思へども飛び立ちかねつ鳥にしあらねば
                (山上憶良 万葉集巻五893)

 山上憶良の歌にもあるように古くから使われていた言葉ですが、
 この用い方は鎌倉時代の初期頃には日常使われる語彙からは消滅
 して、「つらし」に併合されたとのことです。
                  (小学館 古語辞典参考)

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

1 世をうしと思ひけるにぞなりぬべき吉野の奧へ深く入りなば
          (岩波文庫山家集282P補遺・御裳濯河歌合)
            
2 かぐら歌に草とりかふはいたけれど猶其駒になることはうし
          (岩波文庫山家集220P釈教歌・新潮899番)
             
3 法しらぬ人をぞげにはうしとみる三の車にこころかけねば
          (岩波文庫山家集218P釈教歌・新潮880番)
          
4 月をうしとながめながらも思ふかなその夜ばかりの影とやは見し
          (岩波文庫山家集165P恋歌・新潮1500番)
               
5 いひ立てて恨みばいかにつらからむ思へばうしや人のこころは
       (岩波文庫山家集162P恋歌・新潮1329番・夫木抄)
           
6 人はうし歎はつゆもなぐさまずこはさはいかにすべき心ぞ
           (岩波文庫山家集153P恋歌・新潮682番・
                  西行上人集・山家心中集)  

7 見るも憂しいかにかすべき我がこころかかる報いの罪やありける
                (岩波文庫山家集251P聞書集)
                  
○かぐら歌

 神楽とは神を祀る神社などで神前に奏される舞楽のことです。
 現在でもたくさんの地域で神楽が行われています。九州の高千穂
 神楽などが有名です。
 神楽歌は神楽舞のときに奏でる音曲です。

○いたけれど

 ここでは「すばらしいこと」「感銘すべきこと」という意味で
 用いられています。
 
○猶其駒になることはうし

 「その駒ぞや我に我に草乞ふ草は取り飼はむ水は取り草は取り
 飼はむや」という神楽歌を指しているそうです。
 来世に畜生道に落ちて駒(馬のこと)になることは嫌だなーと
 いう意味です。
 
○人をぞげには

 (げには)は(異には)と表記します。
 際立って、いっそう、甚だしく・・・という意味ですが、仏法を
 知らない人はとても残念だ、情け無いことだという意味合いに
 なります。
 新潮版では「人をぞ今日は」となっています。

○三の車に

 譬喩品(ひゆぼん)にある羊車、鹿車、牛車を指すとのことです。
 迷いの世界から衆生を救う仏法で、羊車、鹿車、牛車はそれぞれ、
 声聞、縁覚、菩薩の受ける教えの譬喩ということです。
 
○こはさは

 (こは)は代名詞(此=こ)に、助詞(は)の結びついた言葉。
 「これは」という意味。
 (さは)は副詞(然=さ)に、助詞(は)が結びついた言葉。
 「そうは、そのようには」という意味。

 (1番歌の解釈)

 「あの人はこの俗世間を全くいやなもの、つらい悲しいものと
 思った人ということになってしまうのであろう。私が吉野の
 山奥ふかく入ったならば。(実際は恋の惹みからのがれるためで
 あるのに)」
         (渡部保氏著「西行山家集全注解」から抜粋)

 (4番歌の解釈)

 「月をながめてあの人との昔を思い起し、つらい気持で思うこと
 であるよ。昔一緒に月を仰いだ時、その夜限りの月影とは思って
 もみたであろうか。」
             (新潮日本古典集成山家集から抜粋)

 (6番歌の解釈)

 「恋しい人はつれなく、恋の嘆きは少しも慰められることはない。
 さてこれはいったいどうしたらよいわが心であろうか。」
             (新潮日本古典集成山家集から抜粋)

 (7番歌の解釈)

 「見るのもつらい。どうしたらよいのか、つらく思う私の心を。
 このような報いの因となる罪があっただろうか。」
                 (和歌文学大系21から抜粋)

【うき島が原】

 静岡県東部、愛鷹山南麓の低湿地。砂州で生じた海跡湖の跡で、
 沼はほとんど消失。干拓が進む。
                 (日本語大辞典から抜粋)

 浮島が原は江戸時代東海道の原宿の北側に広がる沼沢地を言い
 ます。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

1 いつとなき思ひは富士の烟にておきふす床やうき島が原
           (岩波文庫山家集161P雑歌・新潮1307番)
      
 (歌の解釈)

 「いつまでも思い焦がれ続けるあの人への思いは富士の噴煙の
 ように絶える時がないが、起き伏しする私の寝所は山麓に広がる
 浮島が原のように、涙に濡れて浮いたように見える。」
                 (和歌文学大系21から抜粋)

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
 
◎ つれなきをおもひしづめる涙にはわが身のみこそうきしまがはら
                     (肥後 肥後集)

◎ さみだれは富士の高嶺も雲とぢて波になりゆくうきしまのはら
                   (藤原家隆 壬二集)

【うき身】

 つらく悲しいことの多い身の上のこと。
 「憂き身をやつす」という言葉も派生しています。身体に影響が
 出るほどに心配したり熱中したりすることを言います。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

1 うき身にて聞くも惜しきはうぐひすの霞にむせぶ曙のこゑ
           (岩波文庫山家集21P春歌・新潮24番)
                
2 うき身知りて我とは待たじ時鳥橘にほふとなりたのみて
          (岩波文庫山家集46P春歌・西行上人集)
                
3 うき身こそいとひながらもあはれなれ月をながめて年をへぬれば
      (岩波文庫山家集83P秋歌・新潮欠番・西行上人集・玉葉集・
     万代集・玄玉集・御裳濯歌合・御裳濯集・西行物語)  
          
4 うき身知る心にも似ぬ涙かな恨みんとしもおもはぬものを
          (岩波文庫山家集155P恋歌・西行上人集)

5 うき身とて忍ばば戀のしのばれて人の名だてになりもこそすれ
           (岩波文庫山家集157P恋歌・新潮1250番・
              西行上人集追而加書・続拾遺集)
               
6 露けさはうき身の袖のくせなるを月見るとがにおほせつるかな
         (岩波文庫山家集110P羇旅歌・新潮1411番)
              
7 山深く心はかねておくりてき身こそうきみを出でやらねども
          (岩波文庫山家集191P雑歌・新潮1504番)
              
8 ながめこそうき身のくせとなり果てて夕暮ならぬ折もわかれぬ
          (岩波文庫山家集161P恋歌・新潮1314番・
                   西行上人集・万代集)  

9 ながらへむと思ふ心ぞつゆもなきいとふにだにも足らぬうき身は
           (岩波文庫山家集191P雑歌・新潮718番)

10 うき身こそなほ山陰にしづめども心にうかぶ月を見せばや
                (慈円詠)
           (岩波文庫山家集181P雑歌・続後撰集)

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
              
○人の名だてに
 
 人に噂されて評判になるということ。いくら忍んでも噂が立って
 しまって、相手に申し訳ないという、恋の相手を慮っての歌です。

○露けさは 

 露っぽいこと。「袖のくせ」にかかる言葉で、涙を暗示しています。

○月見るとが

 (とが)は「咎」のことです。月に罪は無いのに、月を見て涙ぐ
 むのを月のせいにしてしまった。月が人に涙を流させるので、
 それを月に咎があるように詠じた歌です。
 
○おほせつるかな

 (負わせつる)ということ。わざと月に咎があるように、月に
 罪を背負わせたということ。

○おくりてき

 (おくりて)に、回想(過去)の助動詞(き)が結びついた言葉
 です。実際の出家前に、すでに出家したものとして気持は山深く
 に置いているということの回想の歌です。

○山陰にしずめども

 叡山での修行生活を指しています。

(1番歌の解釈)

 「世を遁れ住み、鶯などに心を動かされるはずもない憂き身で
 聞くのは惜しいほどあはれ深いのは、春の曙、山にたなびく
 霞にむせぶように忍び音でなく鶯の声である。」
            (新潮日本古典集成山家集から抜粋)

 新潮版では「曙のこゑ」は「あけぼのの山」となっています。

(3番歌の解釈)

 「この憂き身こそ厭わしく思いながらもしみじみといとおしい
 なあ。月をみつめながら幾年も送ってきたのだ」
                (和歌文学大系21から抜粋)

(5番歌の解釈)

 「恋のかなわぬ憂きわが身というので堪え忍ぶならば、恋心も
 忍ばれようが、その忍ぶ様子が自然に外にあらわれ、恋しい人
 に浮き名を立てることになってしまうのだなあ。」
            (新潮日本古典集成山家集から抜粋)

(10番歌の解釈)

 「つらい悲しいことの多い身こそは、なお山かげにひそみ沈んで
 いるけれども沈む身とはちがって心に浮かぶ月を見せたいもの
 である。」
        (渡部保氏著「西行山家集全注解」から抜粋)

 「迷い、悩み、悲しみに満ちていて憂きことの多い身は、山の
 陰に沈潜している感じですが、けれども沈潜している身とは
 違って、心の中の月は澄んで浮かんでいます。それをお見せ
 したいものです。」
                      (阿部の解釈)

 この歌は西行との贈答歌です。西行の以下の歌に慈円が返した
 ものです。

 いとどいかに山を出でじとおもふらむ心の月を独すまして
           (岩波文庫山家集181P雑歌・続後撰集)

【うき世】

 生きていくのがつらい世の中のこと。

(浮世)
 『仏教的な生活感情からでた「憂き世」と、漢語「浮世」の混淆
 した語。』
 無常の世、この世の中、世間、人生。
 他の語に冠して現代的・当世風・好色の意をあらわす。
                (岩波書店 広辞苑から抜粋)

(憂き世・浮世)
 『平安時代には(憂き世)で生きることの苦しいこの世、つらい
 男女の仲、また、定めない現世。後には単に此の世の中、人間
 社会をいう。「憂き」が同音の「浮き」と意識されるように
 なって、室町時代末頃からうきうきと浮かれ遊ぶ此の世の意にも
 使うようになった。』
               (岩波書店 古語辞典から抜粋)
 
 西行歌に見る「憂き世」は(俗世間)や(俗現世)という意味
 合いが強くでていると思います。そしてそれを否定するところ
 から出発していると言えます。
 浮き浮きと浮かれるような、そういう意味合いの「うき世」の
 用例はありません。
 
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

1 うき世厭ふ山の奧にも慕ひ来て月ぞすみかのあはれをぞ知る  
          (岩波文庫山家集275P補遺・西行上人集)
                
2 うき世にはとどめおかじと春風のちらすは花を惜しむなりけり
 (岩波文庫山家集36P春歌・新潮117番・御裳濯歌合・御裳濯集・
  西行上人集・山家心中集・玉葉集・玄玉集・月詣集・夫木抄)  

3 もろともに我をも具してちりね花うき世をいとふ心ある身ぞ
          (岩波文庫山家集36P春歌・新潮118番・
             西行上人集・山家心中集・夫木抄)
           
4 うき世おもふわれかはあやな時鳥あはれもこもる忍びねの聲
     (岩波文庫山家集47P夏歌・西行上人集・御裳濯歌合)
      
5 うき世とて月すまずなることもあらばいかがはすべき天の益人
           (岩波文庫山家集84P秋歌・238P聞書集)
           
6 うき世とし思はでも身の過ぎにける月の影にもなづさはりつつ
          (岩波文庫山家集191P雑歌・新潮1506番)
                
7 うき世をばあらればあるにまかせつつ心よいたくものな思ひそ
     (岩波文庫山家集196P雑歌・西行上人集・続古今集)
                
8 うき世にはほかなかりけり秋の月ながむるままに物ぞ悲しき
       (岩波文庫山家集269P残集・宮河歌合・玄玉集)
               
9 若菜おふる春の野守に我なりてうき世を人につみ知らせばや
           (岩波文庫山家集18P春歌・新潮23番・
            西行上人集・山家心中集・宮河歌合)  

10 月のため心やすきは雲なれやうき世にすめる影をかくせば
          (岩波文庫山家集83P秋歌・西行上人集)

11 すつとならばうき世を厭ふしるしあらむ我には曇れ秋の夜の月
     (岩波文庫山家集84P秋歌・宮河歌合・西行上人集・
               新古今集・玄玉集・西行物語)
  
12 鈴鹿山うき世をよそにふりすてていかになり行く我身なるらむ
          (岩波文庫山家集124P羇旅歌・新潮728番・
             西行上人集・新古今集・西行物語)  

13 いづくにか身をかくさまし厭ひてもうき世にふかき山なかりせば
          (岩波文庫山家集188P雑歌・新潮909番・
                   西行上人集・千載集)  

14 我が宿は山のあなたにあるものを何とうき世を知らぬ心ぞ
      (岩波文庫山家集191P雑歌・新潮716番・宮河歌合)
               
15 深く入るは月ゆゑとしもなきものをうき世忍ばむみよしのの山
    (岩波文庫山家集192P雑歌・新潮1422番・西行上人集・
   山家心中集・新古今集・宮河歌合・御裳濯集・西行物語)  

16 山里にうき世いとはむ友もがなくやしく過ぎし昔かたらむ
          (岩波文庫山家集196P雑歌・西行上人集・
                   新古今集・西行物語)  

17 こりもせずうき世の闇にまよふかな身を思はぬは心なりけり
    (岩波文庫山家集218P釈教歌・新潮879番・西行上人集)
              
18 ありとてもいでやさこそはあらめとて花ぞうき世を思ひしりぬる
            (岩波文庫山家集273P補遺・月詣集)
               
19 ながらへて誰かはつひにすみとげむ月隠れにしうき世なりけり
           (岩波文庫山家集275P補遺・宮河歌合)
                
20 捨てていにし憂世に月のすまであれなさらば心のとまらざらまし
  (岩波文庫山家集77P秋歌・新潮405番・西行上人集・玉葉集)

21 君はまづうき世の夢のさめずとも思ひあはせむ後の春秋
               (藤原定家歌)
           (岩波文庫山家集282P補遺・宮河歌合)

22 うき世をばあらしの風にさそはれて家を出でぬる栖とぞ見る
(待賢門院兵衛歌)
         (岩波文庫山家集135P羇旅歌・新潮747番・
            西行上人集・山家心中集・西行物語)  

23 風もよし花をもちらせいかがせむ思ひはつればあらまうき世ぞ
  (岩波文庫山家集38P春歌・西行上人集・玄玉集・宮河歌合)  

24 なさけありし昔のみ猶しのばれてながらへまうき世にもあるかな
          (岩波文庫山家集194P雑歌・新潮713番・
             西行上人集・新古今集・西行物語)  

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

○われかはあやな

 (あやな)は「文無=あやなし」のこと。形容詞のク活用で、
 (あやな)は語幹用法。
 (あや)は紋様・筋目のこと。(なく・なし)は(無)で否定
 の言葉。
 模様がない、筋が通らない、訳が分からない、意味がない、わき
 まえが無い・・・などの意味合いで用いらていた言葉です。
 (われかは)は(我かは)で(我か人か)の略語で(は)は助詞。
 続けると「私であろうか、いや、私ではない」というほどの意味
 となります。
                      (広辞苑を参考)

○天の益人(あまのましひと)

 古来から宮廷などで6月と12月の晦日の日に行われていた大祓えの
 時の祝詞に出てくる言葉です。「ますひと」とも言います。

 この大祓えの儀式は戦国時代には廃絶したそうです。
 ただし現在は多くの寺社で6月晦日の夏越の祓い、年末晦日の大祓え
 の行事が行われています。

 (「神の恵みを受けてふえていく人の意。一説にはマスはすぐれた
 人の意」人間の美称。)(岩波古語辞典から抜粋)

 すぐれた我々日本人、という意味でも受け止めていいと思います。

○なづさわり

 馴染みになること、親しくなることを表す(なずさう)の活用形。

○あらまうき世

 (在る・有る)の否定の言葉に(憂き世)が接続した言葉。
 「この世にはいたくないなあー」という意味になります。

○鈴鹿山             

 滋賀県と三重県の県境となっている鈴鹿山脈にある峠。山脈の最高
 峰は御池岳(1241メータ)ですが、鈴鹿峠の標高は357メートル。
 高くはないのですが、前を歩く人の足先を後ろの人は目の高さに
 見ると伝えられているほどに急峻で、東海道の難所の一つでした。

 この鈴鹿峠は古代から東海道の要衝でした。ただし鎌倉時代から
 戦国時代は東山道の美濃路が東海道(鎌倉街道)でした。江戸
 時代になって、鈴鹿越えのルートが再び東海道のルートに組み
 込まれました。
 東海道と関係なく、伊勢と京都をつなぐ交通路ですから、重要で
 あることに変わりはありません。
 山賊が横行する山として有名でした。

○あらめとて

「有る・在る」に推量の助動詞の已然形「らめ」が結合した言葉。
 「・・・そのようにあるだろう」という意味です。

○ながらへまうき 

 「ながらえる」「まく」「憂き」の結合した言葉です。
 「ながらえる」は生きつづけること。
 「まく」は推量の助動詞(む)の(く)語法で・・・しょうと
 すること。・・だろうということ。「く」は省略された使い方
 です。「うき」はつらいこと。悲しいこと。ものういこと。
 要約すると「生きつづけることは、ものういことだなー、気持が
 進まないなー」という意味になります。    

(2番歌の解釈)

 「憂いことの多いこの世には留めておくまいと、春風が桜の花を
 散らすのは、ひとえに美しい花をこの世の憂さにさらすまいと
 惜しむあまりのことなのだ。」
             (新潮日本古典集成山家集から抜粋)

 高橋庄次氏は「西行の心月輪」の中で、この歌を含めて「花の心」
 4首連作とされています。36ページの
 「惜しまれぬ身だにも世にはあるものをあなあやにくの花の心や」
 の歌からの連作で、「美しいまま散るのは惜しいが、もし散らな
 かったら花のためにもっと惜しい・・・花が美しい清浄の姿と心
 で散るように、我もそういう身と心で死にたい・・・待賢門院の
 姿が二重写しになっていた・・・」と書き継がれています。

(3番歌の解釈)

 「散るのなら私も一緒に連れて散ってしまえ。花よ。私にはこの
 憂き世を厭離する心がある。お前と生死をともにする資格がある
 のだ。」
                 (和歌文学大系21から抜粋)

(5番歌の解釈)

 「憂き世だといって月が澄まず、この世に住まなくなることも
 あったならば、いかにしたらよいか、天下の人々よ。」
                 (和歌文学大系21から抜粋)

(12番歌の解釈)

 「憂き世を捨てるというのならばその世を厭っているということ
 を証明する験があるだろう。その験として、わたしが見たならば
 曇っておくれ、秋の夜の月よ。」
                 (和歌文学大系21から抜粋)

(16番歌の解釈)

 「吉野山に深く分け入るのは、仏道修行のためであって、決して
 月をながめるためではないが、月を仰いで、捨て去った憂き世の
 ことを偲ぼう。」
             (新潮日本古典集成山家集から抜粋)

 「吉野の山深く大峯まで入山したのは、その月の美しさに惹かれ
 ただけではない。私なりに仏道修行も考えてであったが、月を
 見るとかえって俗世が恋しくなってしまう。」
                 (和歌文学大系21から抜粋)

(21番歌の解釈)

 「捨てて出て来た俗世に月のこのように澄まないでほしい(住む
 をかける)そうだったなら、俗世に心はとどまらないであろう。
 (しかし実際は月澄む故に心が浮世にとどまるのである。)
         (渡部保氏著「西行山家集全注解」から抜粋)

(23番歌の解釈)

 「お住まいを拝見いたしまして、待賢門院の崩御がどんなに
 つらく悲しい出来事であったか、ご出家はそのつらさに堪えかね
 てのこと、お察しいたします。同情を禁じえません。」
 
○待賢門院兵衛が待賢門院中納言に贈った歌。西行が直接関わら
 ないのに山家集に掲載されるのは、待賢門院女房たちとの親密さ
 を裏付けるもので、中納言局=西行妻(伝)説の契機となり
 うるか。
○同僚であった姉の待賢門院堀川や中納言局とは一緒に出家せず、
 待賢門院の娘である上西門院に仕えた。
                (和歌文学大系21から抜粋)

 (25番の歌の解釈)

 「温かな情けのあった昔の妻との生活だけが
  今もなお偲ばれて
  こうして独り生きながらえていることが
  つらい世と思われるようになった」
         (高橋庄次氏著「西行の心月輪」から抜粋)

 「ものごとに情趣があった昔のことばかりが思い出され、生き
 永らえることの心憂く思われる世であるよ。」
            (新潮日本古典集成山家集から抜粋)

【右京太夫俊成】 (山、180)  藤原俊成の項参照