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うえ〜うき うぐ〜うず うた〜うつ うな〜うの
うは〜うん


【うき草】

 浮いている草。水面に漂っている草のこと。根の無いことに
 よって、人生という海を漂白する人間を表す比喩表現。

【浮雲】

 空に浮かんでいる雲のこと。

【うき木】

 漂っている流木のこと。

 いずれも人生のはかなさのようなもの、不安定さのようなものを
 意味しています。

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1 花さへに世をうき草になしにけりちるを惜しめばさそふ山水
  (岩波文庫山家集38P春歌・西行上人集・宮河歌合・玄玉集)
               
2 さ夜ふけて月にかはづの聲きけばみぎはもすずし池のうきくさ
                (岩波文庫山家集270P残集)

3 月のためみさびすゑじと思ひしにみどりにもしく池の浮草
          (岩波文庫山家集61P秋歌・新潮1021番)

4 なかなかにうき草しける夏のいけは月すまねどもかげぞすずしき
               (岩波文庫山家集250P聞書集)

5 池にすむ月にかかれる浮雲は払ひのこせるみさびなりけり
          (岩波文庫山家集72P秋歌・新潮322番・
             西行上人集・山家心中集・夫木抄) 

6 浮雲の月のおもてにかかれどもはやく過ぐるは嬉しかりけり
           (岩波文庫山家集81P秋歌・新潮371番) 

7 過ぎやらで月ちかく行く浮雲のただよふ見ればわびしかりけり
           (岩波文庫山家集81P秋歌・新潮372番)
            
8 おなじくは嬉しからまし天の川のりをたづねしうき木なりせば 
           (岩波文庫山家集230P聞書集・夫木抄)  

9 昔おもふにはにうき木をつみおきて見し世にも似ぬ年の暮かな
    (岩波文庫山家集239P聞書集・西行上人集・新古今集・
               宮河歌合・玄玉集・西行物語)  

(その他)

10 いかにせむうき名を世々にたて果てて思ひもしらぬ人の心を
          (岩波文庫山家集158P恋歌・新潮1277番)  

11 恋ひらるるうき名を人に立てじとて忍ぶわりなき我が袂かな
          (岩波文庫山家集154P恋歌・新潮702番)
               
12 五月雨に小田のさ苗やいかならむあぜのうき土あらひこされて
            (岩波文庫山家集49P夏歌・新潮213番・
                西行上人集追而加書・夫木抄)  

13 河わだのよどみにとまる流木のうき橋わたす五月雨のころ
           (岩波文庫山家集50P夏歌・新潮228番・
          西行上人集・西行上人集追而加書・夫木抄)  

14 夕立のはるれば月ぞやどりける玉ゆりすうる蓮のうき葉に
           (岩波文庫山家集51P夏歌・新潮249番・
              西行上人集・山家心中集・夫木抄)  

15 今よりはあはで物をば思ふとも後うき人に身をばまかせじ
           (岩波文庫山家集158P恋歌・新潮1270番・
             西行上人追而加書・玉葉集・万代集)  

16 あはれあはれかかる憂き目をみるみるは何とて誰も世にまぎるらむ
            (岩波文庫山家集251P聞書集・夫木抄)
               
17 月やどるおなじうきねの波にしも袖しぼるべき契ありけり
            (岩波文庫山家集75P秋歌・新潮417番)
               
18 さみだれに佐野の舟橋うきぬればのりてぞ人はさしわたるらむ
        (岩波文庫山家集50P夏歌・新潮223番・夫木抄)

19 清見潟月すむ夜半のうき雲は富士の高嶺の烟なりけり
                 (登蓮法師歌の説あり)
           (岩波文庫山家集73P秋歌・新潮319番・
                     続拾遺集・玄玉集)  

20 こよひしも月のかくるるうき雲やむかしの空のけぶりなるらむ
               (氏良歌)
                (岩波文庫山家集240P聞書集)

○さ夜

 夜のこと。「さ」は接頭語。

○みさびすゑじ

 「水錆据えじ」で、この場合は水垢を発生させない、という意味。

○のりをたづねし

 仏法の教えを尋ねるということ。仏道の勉強をするということ。

○忍ぶわりなき

 堪え忍ぶのは本意でもなく道理にも合わないこと。
 そうではあるけれども、浮き名が立って貴女が困るといけない
 ので・・・という矛盾した心情を詠っています。

○河わだ

 河の流路が曲がっていること。その場所のこと。
            
○玉ゆりすうる

 「玉」は露のことです。蓮の葉の上で露の玉は揺れ動きはしても、
 葉に据え付けられたように葉から落ちない状態を指しています。

○まぎるらむ

 まぎれること。没頭すること。埋没すること。
 世の中の俗意にまぎれてしまって、仏の教えなどについては思う
 ことも無いだろうということの嘆息なり批判の言葉。

○佐野の舟橋                

 群馬県高崎市の烏川にかかります。小舟を並べてその上に板を
 渡して川越えできるようにした方法です。群馬県に佐野市があり
 ますが、佐野市ではなくて少し西方の高崎市にあります。
 万葉集にも詠われている古くからの歌枕です。

○氏良

 伊勢神宮内宮の禰宜の荒木田氏良のこと。
 
(1番歌の解釈)

 「私のみか花までもこの世をつらく思い、浮草のようになって
 しまったなあ。私が散るのを惜しむと、誘いかける山川の水に
 散り漂い流れ去るよ。」
                (和歌文学大系21から抜粋)

(9番歌の解釈)

 「昔を思う草庵の庭に年越しのため拾い集めた浮木を積んでおい
 て、かつて過ごした時に似もしない年の暮れだな。」
                (和歌文学大系21から抜粋)

 「在俗時のことがなつかしく思い出されるこの庭に、かつては
 正月の準備に薪を積んだのだが今は、薪ならぬ浮き木ー仏道
 修行を積んでいて、あの当時とはまったくちがう歳末である
 ことよ。」
                   (西行物語から抜粋)

(15番歌の解釈)

 「これからは、逢えなくてもの思いをしょうとも、逢ったあと
 つれなくするような人と契りをかわすようなことはするまい。」
            (新潮日本古典集成山家集から抜粋)

【鶯・うぐひす】

 ヒタキ科の小鳥。スズメよりやや小さく、翼長16センチメートル。
 雌雄同色。山地の疎林を好み、冬は低地に下りる。昆虫や果実を
 食べる。東アジアにのみ分布し日本全土で繁殖。
 春鳥、春告鳥、歌詠鳥、匂鳥、人来鳥、百千鳥、花見鳥、黄鳥
 など異名が多い。
              (講談社 日本語大辞典から抜粋)

 ホトトギスがウグイスの巣に卵を産みつけてウグイスに育て
 させる「託卵」でも知られています。

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1 うぐひすのこゑぞ霞にもれてくる人目ともしき春の山里
            (岩波文庫山家集21P春歌・新潮25番・
              西行上人集・西行物語)  

2 うぐひすの春さめざめとなきゐたる竹の雫や涙なるらむ
            (岩波文庫山家集21P春歌・新潮26番)                
3 古巣うとく谷の鶯なりはてば我やかはりてなかむとすらむ
      (岩波文庫山家集21P春歌・新潮27番・西行上人集・
             山家心中集・宮河歌合・御裳濯集)  

4 うぐひすは谷の古巣を出でぬともわが行方をば忘れざらなむ
            (岩波文庫山家集21P春歌・新潮28番)
                
5 鶯は我を巣もりにたのみてや谷の外へは出でて行くらむ
        (岩波文庫山家集21P春歌・新潮29番・夫木抄)
              
6 春のほどは我が住む庵の友になりて古巣な出でそ谷の鶯
            (岩波文庫山家集21P春歌・新潮30番)
                 
7 うき身にて聞くも惜しきはうぐひすの霞にむせぶ曙のこゑ
            (岩波文庫山家集21P春歌・新潮24番)
                
8 梅が香にたぐへて聞けばうぐひすの聲なつかしき春の山ざと
           (岩波文庫山家集22P春歌・新潮41番・
                 西行上人集・山家心中集)  

9 つくり置きし梅のふすまに鶯は身にしむ梅の香やうつすらむ
           (岩波文庫山家集22P春歌・新潮42番)
             
10 山ふかみ霞こめたる柴の庵にこととふものは谷のうぐひす
           (岩波文庫山家集22P春歌・新潮991番・
               西行上人集追而加書・玉葉集)  

11 すぎて行く羽風なつかし鶯のなづさひけりな梅の立枝を
           (岩波文庫山家集22P春歌・新潮994番・
                 西行上人集・山家心中集)  

12 鶯は田舎の谷の巣なれどもだみたる聲は鳴かぬなりけり
           (岩波文庫山家集22P春歌・新潮992番・
             西行上人集・山家心中集・夫木抄)  

13 雨しのぐ身延の郷のかき柴に巣立はじむる鶯のこゑ
             (岩波文庫山家集22P春歌・夫木抄)
              
14 鶯の聲にさとりをうべきかは聞く嬉しさもはかなかりけり
           (岩波文庫山家集22P春歌・新潮993番)
                
15 思ひ出でて古巣にかへる鶯は旅のねぐらや住みうかるらむ
       (岩波文庫山家集22P春歌・新潮1068番・夫木抄)
             
16 雪分けて外山が谷のうぐひすは麓の里に春や告ぐらむ
           (岩波文庫山家集22P春歌・新潮1065番)
               
17 花の色や聲に染むらむ鶯のなく音ことなる春のあけぼの
            (岩波文庫山家集28P春歌・新潮91番)
               
18 雪とぢし谷の古巣を思ひ出でて花にむつるる鶯の聲
            (岩波文庫山家集30P春歌・新潮61番)
              
19 鶯の聲に桜ぞちりまがふ花のこと葉を聞くここちして
           (岩波文庫山家集38P春歌・西行上人集)
              
20 ほととぎす花橘になりにけり梅にかをりし鶯のこゑ
           (岩波文庫山家集46P夏歌・西行上人集)
           
21 鶯の古巣より立つほととぎす藍よりもこき聲のいろかな
           (岩波文庫山家集47P夏歌、237P聞書集・
             西行上人集・御裳濯河歌合・夫木抄)  

22 世を出でて溪に住みけるうれしさは古巣に残る鶯のこゑ
           (岩波文庫山家集197P雑歌・西行上人集)
                
23 注連かけてたてたるやどの松に来て春の戸あくるうぐひすの聲
           (岩波文庫山家集233P聞書集・夫木抄)
               
24 鶯のなくねに春をつげられてさくらのえだやめぐみそむらむ
            (岩波文庫山家集243P聞書集・夫木抄)
                       
25 色つつむ野邊のかすみの下もえぎ心をそむるうぐひすのこゑ
      (岩波文庫山家集271P補遺・御裳濯河歌合・夫木抄)
              
26 われ鳴きてしか秋なりと思ひけり春をもさてやうぐひすの聲
           (岩波文庫山家集271P補遺・西行上人集)
              
27 うぐひすの聲を山路のしるべにて花みてつたふ岩のかけ径
           (岩波文庫山家集272P補遺・西行上人集)
             
28 色にしみ香もなつかしき梅が枝に折しもあれやうぐひすの聲
       (岩波文庫山家集271P補遺・宮河歌合・御裳濯集)
             
29 白河の春の梢のうぐひすは花の言葉を聞くここちする
         (岩波文庫山家集31P春歌・新潮70番・夫木抄)
               
30 子日しに霞たなびく野邊に出でて初うぐひすの聲をきくかな
            (岩波文庫山家集16P春歌・新潮16番)
              
31 櫻花ちりぢりになるこのもとに名残を惜しむ鶯のこゑ
    (岩波文庫山家集209P哀傷歌・新潮827番・西行上人集)  

○人目ともしき

 人の目が少ないということ。人を少ししか見かけないということ。
 「ともしき」は「乏しき」と書きます。
 「ともしき」が転化して「とぼしき」と読むようになりました。

○竹のしずく

 鶯は竹とともに詠まれることもあり、それをふまえた歌です。
 竹から落ちる雫は鶯の涙だろうか・・・と言っています。

○なづさひけりな

 「なずさわる」ことです。慣れ親しむ、なじむ、ことです。

○だみたる聲

 だみ声のこと。清らかな声ではなくて濁った声のこと。田舎風
 のなまりのある声のこと。
            
○身延の郷

 甲斐の国(山梨県)の地名。富士山の西側に位置します。

○外山が谷

 里の近くにある小山と小山の間の窪地、谷間を言います。

○藍よりもこき

 普通、藍は青よりは濃く、紺よりは淡い色を指します。この歌の
 場合は、中国の荀子の言葉が出典という「青は藍より出でて藍
 よりも青し」という言葉を意識された歌です。

○めぐみそむらむ

 「めぐみ」は「芽ぐむこと、芽を出すこと」です。
 「芽ぐみ初むらん」で、芽を出し始めることをいいます。

○岩のかけ径

 岩山の崖に作られて小道のこと。

○白河の

 福島県の白河ではなくて、京都東山の白川です。

○子日しに                

 古くは陰暦の正月を過ぎてはじめての子の日に小松を引いて、
 長寿を祈るという習わしがありました。そのことを指しています。

(3番歌の解釈)

 「鶯が谷の古巣から里へ移り、すっかり古巣と疎遠になって
 しまったら、今度は自分が鶯に代わってなこうとするだろう。」
           (新潮日本古典集成山家集から抜粋)

(8番歌の解釈)

 「梅の香を味わいながら鶯の声を聞くと、鶯の声まで香って、
 春の山里に愛着を感じる。」
                (和歌文学大系21から抜粋) 

(21番歌の解釈)

 「鶯の古巣から飛び立つ郭公は「青は藍より出でて藍よりも青し」
 の言葉通り、鶯よりもすぐれて濃い声の色だなあ。」
                (和歌文学大系21から抜粋)

(27番歌の解釈)

 「鶯の声を山路の道案内として、花を見ながら岩がちの桟道を
 伝い歩きするよ。」
                (和歌文学大系21から抜粋)

(31番歌の解釈)

 「散るのを惜しんで桜の木の下で鳴く鶯の声は、桜が散るように
 散り散りに別れてゆく人々に名残を惜しんでいるように聞える
 ことだ。」
            (新潮日本古典集成山家集から抜粋)

31番歌は藤原脩範との贈答歌です。藤原成範と藤原脩範は院の二位
の局と藤原信西との間の子供です。院の二位が身罷ってから77日後
の法要の時の歌です。

【鶯のたき】

 奈良県奈良市の三笠山山中にある小さな滝の名称です。

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1 三笠山春はこゑにて知られけり氷をたたく鶯のたき
        (岩波文庫山家集15P春歌、262P残集・夫木抄)
               
○三笠山

 奈良県奈良市の東方にある山。高円山と若草山の間にある山を
 指します。春日大社の後方にあります。安倍仲麿の歌によっても
 有名です。

 天の原ふりさけ見れば春日なる三笠の山に出でし月かも
         (安倍仲麿 百人一首第7番・古今集406番)

 三笠山の歌は西行に4首あります。

(歌の解釈)

 「三笠山では春の訪れを音で知らせたよ。それは今まで張りつめ
 ていた氷を叩く、(鶯の声を思わせる)鶯の滝の水の音。」
                (和歌文学大系21から抜粋)
 
【宇治川】

 宇治川は琵琶湖を水源とする川で、滋賀県内では瀬田川、京都
 府下に入って宇治川といいます。主に宇治市を流れている川です。
 宇治川は八幡市橋本で木津川及び桂川と合流して、淀川と名を
 変えて大阪湾に注いでいます。このうち、宇治川と呼ばれる部分
 の長さは約30キロメートルです。

【宇治橋】

 宇治川にかかる橋の一つです。宇治橋北詰に「橋寺」があります。
 ここには宇治橋が始めて架橋された時のことを記した石碑があり
 ます。
 1791年に上部三分の一が発見され、後年に下部が補刻されたもの
 で、「宇治橋断碑」といいます。それによると646年に奈良元興寺
 の僧の「道登」が架橋したという事です。
 その後、何度も流失して、その都度架けかえられました。現在の
 宇治橋は平成八年の完成。長さ155メートル、幅は25メートルあり
 ます。
 宇治橋には橋姫伝説があります。
 宇治橋の橋合戦、宇治川先陣争いでも有名です。
  
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1 五月雨に水まさるらし宇治橋やくもでにかかる波のしら糸
     (岩波文庫山家集49P夏歌・新潮208番・西行上人集
          西行上人集追而加書・山家心中集・夫木抄) 

   宇治川をくだりける船の、かなつきと申すものをもて鯉の
   くだるをつきけるを見て

2 宇治川の早瀬おちまふれふ船のかづきにちかふこひのむらまけ
       (岩波文庫山家集198P雑歌・新潮1391番・夫木抄)
     
○くもで

 蜘蛛の足のように放射状に分岐したもの。ここでは橋脚を補強
 する筋交い。

○かなつき

 魚を突いて捕らえる漁具。モリ、ヤスの一種。

○早瀬おちまふ

 「おちまふ」は「落ち舞う」のことであり、漁船が早瀬を
 舞い落ちるように下流に向かっている状態を言います。

○れふ船

 漁(りょう)船のこと。漁を(れふ)と言う用法はこの一例のみ
 です。

○かづき
 
 「かなつき」と同じ。ともに「金突」の漢字をあてています。
 潜水することも「かづき」と言いますが、ここではそれは関係
 ないようです。

○むらまけ

 語意不明。群れ、集団がばら撒けた状態を指す可能性もあると
 思います。鯉の群れが捉えられた意味か?とする説もあります。
 「むらまけ」の用例は248ページにもあります。

 余吾の湖の君をみしまにひく網のめにもかからぬあじのむらまけ

(1番歌の解釈)

 「五月雨のために水かさがまさったらしい。うち橋の蜘蛛手に
 川の水が当り、白糸をひいたごとくに白波をたてていることで
 ある」
            (新潮日本古典集成山家集から抜粋)

 新潮版では宇治橋は「うち橋」とあります。「うち橋」とは、
 簡単に板をかけ渡し、取りはずせるようにした橋を指すとのこと
 ですが、しかし「打ち橋」と表記する用例は無いそうです。 

(2番歌の解釈)

 「宇治川の急流に木の葉のように舞い落ちる漁船から、鯉の魚群
 に向けて銛の一突きが交差する。」
                (和歌文学大系21から抜粋)

 【宇治のいくさ】

 宇治川合戦は三度記録されています。

1 以仁王・源頼政軍と平氏との戦い。(1180年5月)
2 源義仲軍と源義経軍との戦い。(1184年1月)
3 北条泰時の幕府軍と後鳥羽院の朝廷軍との戦。(1221年6月)

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   武者のかぎり群れて死出の山こゆらむ。山だちと申すおそれ
   はあらじかしと、この世ならば頼もしくもや。宇治のいくさ
   かとよ、馬いかだとかやにてわたりたりけりと聞こえしこと
   思ひいでられて

1 しづむなる死出の山がはみなぎりて馬筏もやかなはざるらむ
               (岩波文庫山家集255P聞書集)
    
○死出の山

 死者が死後に越えるという冥土にある山のこと。

○山だち

 山賊のこと。似たような言葉に「山賎「がつ)」がありますが、
 山賎は山辺に住んできこりなどを生業とする人たちのことを言い
 ます。

○馬いかだ

 馬を組んで筏のようにして、川を渡るという方法。

○しずむなる

 罪を持ったまま死んで行った者達が沈むということ。

(詞書の解釈)

 「武者が戦いのためにたくさん命を落としていきます。あの世
 では山賊には合わないでしょうし、この世なら頼もしいばかり
 なのですが・・・。
                 
 宇治に戦があって、馬を筏のように組んで、宇治川の流れを
 渡ったということを聞き及んだのですが、そのことを思い出
 して・・・」
                      (私の解釈)
(歌の解釈)

 「馬筏を組んで早瀬を渡るという小ざかしいことをしても、
 死者がおぼれるという死出の山川の流れの前では、なんの意味も
 なかろうに・・・」
                       (私の解釈)
  
 この詞書は「頼もしくや、」までが前半部分で、前歌の注に相当
 します。「しずむなる」歌にかかる詞書は「宇治のいくさ・・・」
 からです。
 したがって「宇治のいくさ」とは1180年5月の宇治川の戦いの
 ことを指してのものです。
 1180年5月、後白河院の第二皇子である以仁王と源頼政は平氏に
 叛旗を翻して挙兵しましたが、宇治川の戦いで敗死しました。
 この時の橋合戦については「平家物語」巻八に詳述されています。

 ここでは西行の痛烈な批判精神が顕在化しています。源頼政とは
 親しく歌を詠みあった歌仲間でもあるのですが、頼政の壮絶な
 死に様については一言も触れていません。
 この歌の前後にある戦いに材を採った歌からみても、合戦で命を
 落とすという武士のありざまを、僧というよりも一人の人間と
 しての立場から、激しいいきどおりに根ざした皮肉の歌として
 遺しています。

 【宇治の里】

 三重県伊勢市の伊勢神宮内宮(皇大神宮)を含めた周辺の地名。
 伊勢湾に注いでいる五十鈴川(御裳濯川)にかかる宇治橋は内宮
 に参詣するための参道となっています。

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   内宮のかたはらなる山陰に、庵むすびて侍りける頃

1 ここも又都のたつみしかぞすむ山こそかはれ名は宇治の里
       (岩波文庫山家集125P羇旅歌・神祗百首引歌・
                  西行上人集追而加書)
        
○内宮のかたはら

 伊勢神宮内宮の側ということ。

○都のたつみ

 都の東南の方角のこと。平安京から見て東南にあたります。

○しかぞすむ

 原意は副詞の(然ぞ)と思います。(このように住む・・・)の
 意味です。動物の(鹿)を掛けていると思います。

(歌の解釈)

 「ここもまた昔喜撰法師がよんだように都のたつみ(東南)で
 何とか暮らしている。山こそかわっているが同じ名の宇治の里。
 そこに私は住んでいる。
         (渡部保氏著「西行山家集全注解」から抜粋)

 この歌は喜撰法師の歌を本歌としています。

わが庵は都のたつみしかぞ住む世をうじ山と人はいふなり
        (喜撰法師 百人一首44番・古今集983番)

西行の「ここもまた・・・」歌は、渡会元長(1392〜1483)の
神祇百首引歌を底本としていて、この底本は西行没後200年以上
を隔たって記述されたものです。
歌は蓮胤(鴨長明の法名)詠とも言われ、果たして西行の歌で 
あるのかはっきりしないということが実情のようです。
蓮胤(鴨長明)の「伊勢記日」にあるという歌。

「是も又都のたつみうぢの山やまこそかはれしかは住けり」

芭蕉の「野ざらし紀行」に

 『西行谷の麓に流れあり。をんなどもの芋あらふを見るに、
   「芋洗ふ女西行ならば歌詠まむ」』とあります。

芭蕉の時代には内宮の近くに西行の庵があったと信じられていた
ものでしょう。
目崎徳衛氏は「西行の思想史的研究」で次のように結んでいます。
「西行谷は室町時代に発達した西行伝説の所産として注目すべき
ものであって、西行が実際にここに草庵を結んだか否かは論証の
術がないとしなければならない。」

【うしまどの迫門】

 「うしまど」は備前の国の地名。現在の岡山県の南東部にある
 邑久郡牛窓町のこと。内海交通の要衝として栄えました。
 「迫門」は「瀬戸」の古い表記です。「せと」と読みます。
 尚、山家集に「せと」という言葉は10首近くあります。

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  うしまどの迫門に、海士の出で入りて、さだえと申すものを
  とりて、船に入れ入れしけるを見て

1 さだえすむ迫門の岩つぼもとめ出ていそぎし海人の気色なるかな
         (岩波文庫山家集116P羇旅歌・新潮1376番)

○出で入りて

 海中に潜ったり、浮かんだりして・・・ということ。

○岩つぼ求め

 海中の中の岩が自然にくぼんだところ。そういう所にさざえが
 多くいます。そういう所を捜し求めてということです。

○いそぎし

 急ぐこと。「磯」との縁語で使った言葉だと思います。

(歌の解釈)

 「さざえの棲んでいる瀬戸の岩のくぼみを探し出して、いそが
 しく潜っては採っている海士の様子であるよ。」
            (新潮日本古典集成山家集から抜粋)

 【氏良】

 伊勢神宮内宮(皇大神宮)の禰宜、荒木田氏良のこと。
 1153年〜1222年。70歳で没。

 西行は伊勢移住前にも何度か伊勢には行っていますので、氏良
 とは早くから面識があったものと思われます。1180年5月頃に
 居を伊勢に移してからは、伊勢神宮の神官と僧侶という立場を
 越えて盛んな交流があったと言えます。

 氏良の弟に「西行上人談抄」の著者である荒木田満良がいます。
 氏良は勅撰集歌人であり、新古今集に採られています。

 さみだれの雲のたえまをながめつつ窓より西に月を待つかな
              (荒木田氏良 新古今集233番)

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   伊勢にて神主氏良がもとより、二月十五の夜くもりたり
   ければ申しおくりける          

1 こよひしも月のかくるるうき雲やむかしの空のけぶりなるらむ
              (氏良詠歌)
              (岩波文庫山家集240P聞書歌)

○二月十五の夜

 釈迦の入滅した日は2月15日。その日の夜ということ。

○月のかくるる

 人間の世を照らすということで月は釈迦の象徴。それが隠れると
 いうことで入滅を指しています。
 自然の現象を歌う中で以上のことをも重ねています。

○むかしの空のけぶり

 死亡した釈迦を荼毘に付した時の煙。

(歌の解釈)

 「今夜よりによって月が隠れるいやな浮雲は、その昔の空の煙
 なのだろうか。」 
               (和歌文学大系21から抜粋)

 この歌は伊勢に居住していた西行との贈答歌です。下は西行の
 歌です。

 かすみにし鶴の林はなごりまで桂の影も曇るとをしれ
              (岩波文庫山家集240P聞書歌)

 【太秦】

 太秦は現在の京都市右京区にある地名です。古代は秦氏の本拠地
 でした。太秦には広隆寺などがあります。広隆寺は前身を蜂岡寺
 といい、聖徳太子の命により秦河勝の創建と言われます。
 同寺には国宝第一号指定の「弥勒菩薩像」があります。
 「太秦に籠もりたりける」で、広隆寺に籠もっての歌会であると
 解釈できます。
 
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   為忠がときはに為業侍りけるに、西住・寂為まかりて、
   太秦に籠りたりけるに、かくと申したりければ、まかり 
   たりけり。有明と申す題をよみけるに

1 こよひこそ心のくまは知られぬれ入らで明けぬる月をながめて
                 (岩波文庫山家集264P残集)  

○為忠

 藤原為忠。生年未詳。没年1136年。三河守、安芸守、丹後守など
 を歴任して正四位下。右京区の常盤に住みました。
 頼業(寂然)、為経(寂超)、為業(寂念)などの、常盤三寂
 (大原三寂とも)の父です。親しい人達と歌のグループを作って
 いて、為忠没後も歌会は為忠邸で開かれていたものと思います。
 この歌の場合は「太秦に籠もって」とありますから、常盤の
 為忠邸での歌会ではありません。常盤と太秦は近くです。

○ときは

 地名。右京区常盤。藤原為忠の屋敷が常盤にありました。

○為業(寂念)

 大原三寂の中で一番遅く出家。176Pに(為なり)名での贈答歌が
 あります。205ページの(三河内侍)は寂念の娘です。

○西住

 俗名は源季政。醍醐寺理性院に属していた僧です。西行とは若い
 頃からとても親しくしていて、しばしば一緒に各地に赴いていま
 す。西住臨終の時の歌が206ページにあります。

○寂為

 寂然の誤記です。
 寂然(頼業)。1155年頃の出家。西行ともっとも親しい歌人だと
 いえます。寂然22首、西行23首の贈答歌があります。
 尚、88ページの寂蓮も寂然の誤記です。
    
○心のくま

 心の奥底にじっと秘めている思いのこと。

(歌の解釈)

「今宵こそ心に秘めていたことはわかったよ。西の空に入らない
 うちに夜が明けてしまった有明の月をじっと見つめて。」
                (和歌文学大系21から抜粋)

【鶉・うづら】

 キジ科の小さな鳥。翼長約10センチ程度。全身褐色の地味な羽色。
 本州北部以北で繁殖し、冬、本州中部以南に渡来する国内での
 渡り鳥。江戸時代に家禽化して、肉、卵は食用。広くユーラシア
 大陸に分布する。
          (日本語大辞典を参考)

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1 鶉なく折にしなれば霧こめてあはれさびしき深草の里
           (岩波文庫山家集69P秋歌・新潮425番・
                  西行上人集・山家心中集)
        
2 うづらふす苅田のひつぢ思ひ出でてほのかにてらす三日月の影
        (岩波文庫山家集82P秋歌・新潮945番・夫木抄)
      
○折にしなれば

 頃になったら、ということ。鶉が深草に飛来してくる時節をいう。
 秋から冬にかけての季節です。

○深草の里

 現在の京都市伏見区深草のこと。

○苅田のひつじ

 稲を刈り取った田んぼに、稲の株からまた新芽が出ていること。
 その新芽を(ひつじ)といいます。(ひこばえ)のことです。

(1番歌の解釈)

 「鶉の鳴く頃ともなると、草深い深草の里に霧が一面にたち
 こめてあわれにも寂しいことだ。」
            (新潮日本古典集成山家集から抜粋)

(2番歌の解釈)

 「鶉が伏して鳴いている荒田にもほのかに稲のひこばえが芽吹い
 ている。そのようにほのかな光で三日月が照らしている。」
                (和歌文学大系21から抜粋)

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◎ 年を経て住みこし里を出でていなばいとど深草野とやなりなむ
               (伊勢物語123段 古今集971番)

◎ 野とならば鶉となりて鳴きをらむかりにだにやは君は来らざむ
               (伊勢物語123段 古今集972番)

◎ 夕されば野べの秋風身にしみて鶉鳴くなり深草の里
                 (藤原俊成 千載集259番)

鶉と深草の取り合わせは、古今集の贈答歌が先行します。
この贈答歌があることによって「深草」に込められた叙情性が醸成
されたともいえます。西行の1番歌には、古今集972番にある、鶉と
なった業平の愛した女人に対しての哀歓、男女の関係性に対しての、
ひいては人生そのものに対しての哀歓が「あはれさびしき」という
フレーズの中に込められています。
俊成の歌にしろ、西行の1番歌にしろ、歌の詠まれた背景には古今集
の二首が前提としてあって、イメージが明確で濃密な叙情性が展開
していると思います。