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うえ〜うき うぐ〜うず うた〜うつ うな〜うの
うは〜うん


【うなゐ子】 (山、248)

 子供の髪をうなじに垂らしてまとめた髪型のこと。
 また、その髪型にした子供のこと。12.3歳頃までの髪型で、それ
 以上の年齢になると髪をあげて「はなり」「あげまき」の髪型に
 したそうです。
                     (広辞苑を参考)

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1 いたきかな菖蒲かぶりの茅卷馬はうなゐわらはのしわざと覚えて
                (岩波文庫山家集248P聞書集)

2 うなゐ子がすさみにならす麦笛のこゑにおどろく夏のひるぶし
            (岩波文庫山家集248P聞書集・夫木抄)

○いたきかな

 ここでは感嘆のことば。すばらしいなーというほどの意味。

○菖蒲かぶり

 習俗の端午の節句を表しています。端午の節句に幼い子ども達が
 菖蒲で兜などの形に織ったものを被っていたということです。

 この歌の場合は茅で巻いた馬に菖蒲を被せたということです。
 この菖蒲は「あやめ」ではなくて「しょうぶ」と読みます。
 高橋庄次氏は「いたきかな菖蒲かぶりの・・・」歌は、前歌の

 高尾寺あはれなりけるつとめかなやすらい花とつづみうつなり

 との対詠と言い、以下のように解釈しています。

 「高尾寺は哀れ深い勤めなるかな
  やすらい花や、と鼓を打ち囃す
  女の童の愛らしさよ

  痛いことかな、石合戦は
  菖蒲兜の茅巻馬のしわざだろう
  男の童の勇ましさよ

 と、対詠の文脈で訳すとこうなるだろう。」
        (高橋庄次氏著「西行の心月輪」から抜粋)

○茅卷馬

 端午の節句の子供の玩具の一つです。茅や菰を利用して馬の形に
 かたどって作ったものです。

○すさみにならす

 気の向くまま、興に任せて鳴らすこと。

○ひるぶし

 昼に臥していたということで、昼寝とか昼寝から目覚めた状態。

 (1番歌の解釈)

 「すばらしいなあ。菖蒲をかぶせた茅巻馬は。うない髪の子供の
 したことと思われて。」
                (和歌文学大系21から抜粋)

(2番歌の解釈)

 「うない髪の子供が気ままに吹き鳴らす麦笛の声にはっと
 目覚める、夏の昼寝。」
                (和歌文学大系21から抜粋)

 【鵜縄】

 鵜飼の時に鵜につけて鵜匠が持つ縄のことです。
 ここでは、鵜の羽を縄にくくりつけて、魚を驚かせて網に追い込む
 漁具のことであり、漁法のことのようです。

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1 見るもうきは鵜繩ににぐるいろくづをのがらかさでもしたむもち網
           (岩波文庫山家集199P雑歌・新潮1395番)

○見るもうき

 見るのがつらいこと。殺生をすることに対しての言葉です。

○いろくづ

 原意は魚の鱗(うろこ)のことです。転じて魚類全般、魚の総称
 としての言葉です。

○のがらかさでも

 のがさないように・・・

○したむ

 しずくをしたたらせること。しずくが垂れるほどに水などを布類に
 しみこませること。
 ここではは、網が海水を滴らせている状態をいいます。

○もち網

 四方の形の網の四隅に竹をしばりつけていて、その三方を閉じて
 魚を追い込み、魚がかかっていると手で手繰り上げて魚を取り込む
 漁法です。こういう漁法が平安時代にも行われていたことが驚き
 です。

(1番歌の解釈)

 「見ていても憂くつらく思われるのは、鵜縄に驚いて逃げようと
 する魚を逃すことなく、しずくを滴らせながらすくいあげて捕え
 てしまう持網だよ。」
        (52号既出)(新潮日本古典集成山家集から抜粋)

 【卯の花】

 ウツギの花。ウツギはユキノシタ科の落葉潅木。初夏に白い五弁
 の花が穂状に群がり咲く。垣根などに使う。
 ○卯の花腐しー五月雨の別称。卯の花を腐らせるため。
 ○卯の花月ー陰暦四月の称。
 ○卯の花もどきー豆腐のから。おからのこと。
               (岩波書店 古語辞典から抜粋)

 ウツギは枝が成長すると枝の中心部の髄が中空になることに由来
 し、空木の意味。硬い材が木釘に使われたので打ち木にちなむと
 いう異説あり。
 花期は五月下旬から七月。枝先に細い円錐花序を出し、白色五弁
 花が密集して咲くが匂いはない。アジサイ科。
             (朝日新聞社 草木花歳時記を参考)

 ユキノシタ科とアジサイ科の違いがあります。これは分類学上の
 違いによるものであり、どちらでも良い物と思いますが、最近は
 ユキノシタ科はアジサイ科に含まれるようです。
 ○○ウツギと名の付くものは他にたくさんあり、科も違います。

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1 まがふべき月なきころの卯花はよるさへさらす布かとぞ見る
          (岩波文庫山家集42P夏歌・新潮177番)

2 立田川きしのまがきを見渡せばゐせぎの波にまがふ卯花
          (岩波文庫山家集43P夏歌・新潮176番・
              西行上人追而加書集・夫木抄)  

3 神垣のあたりに咲くもたよりあれやゆふかけたりとみゆる卯花
         (岩波文庫山家集43P夏歌・新潮178番・
                西行上人集・山家心中集)  

4 ほととぎす花橘はにほうとも身をうの花の垣根忘るな
          (岩波文庫山家集45P夏歌・新潮196番) 

5 うの花の心地こそすれ山ざとの垣ねの柴をうづむ白雪
          (岩波文庫山家集99P冬歌・新潮541番) 

6 折ならぬめぐりの垣のうの花をうれしく雪の咲かせつるかな
          (岩波文庫山家集99P冬歌・新潮542番・
              西行上人追而加書集・夫木抄)  

7 雪わけて外山をいでしここちして卯の花しげき小野のほそみち
              (岩波文庫山家集236P聞書集)

8 卯の花を垣根に植ゑてたちばなの花まつものを山ほととぎす
              (岩波文庫山家集250P聞書集)

9 こゑたてぬ身をうの花のしのびねはあはれぞふかき山ほととぎす
              (岩波文庫山家集237P聞書集)

10 うの花のかげにかくるるねのみかはなみだをしのぶ袖もありけり
              (岩波文庫山家集237P聞書集)  

11 待つやどに来つつかたらへ杜鵑身をうのはなの垣根きらはで
               (岩波文庫山家集263P残集)  

12 山川の波にまがへるうの花を立かへりてや人は折るらむ
                (岩波文庫山家集43P夏歌)

○まがふべき

 見分けがつかなくなること。見間違えること。

○立田川

 奈良県生駒市、平群郡などを貫流する川。生駒川の下流をいう。
 大和川に注いでいます。
 龍田彦は風の神、瀧田姫は秋の女神を言います。

○きしのまがき

 ここでは岸の両岸の自然の茂みのことを言います。

○ゆふかけたり

 木綿四手(ゆふしで)を架けたように、ということです。
 木綿はコウゾの木の皮を剥ぎ、その繊維を蒸して水にさらし、
 細かに裂いて糸状にしたもの。神事に用いられる。
               (岩波書店 古語辞典を参考)

○外山

 人里に近い山のこと。里山、端山のこと。奥山、深山の対語。

○ねのみかは

 (音のみ)に、係助詞の(か)と、同じく係助詞の(は)が接合
 した言葉です。反語表現となります。

○杜鵑

 (ほととぎす)と読みます。郭公、子規、呼子鳥、死出の田長、
 時鳥などと漢字表現はいくつかありますが、すべて(ほととぎす)
 と読みます。
 これは松本柳斎の(山家集類題)でも上記の漢字表現をとって
 おり、岩波文庫山家集は類題本にほぼ忠実といえます。

(1番歌の解釈)

 「白い卯の花とも見まがうべき月の光のない夜は、卯の花を昼間
 だけでなく、夜までも晒してある真白な布かと見ることである。」
 ○卯の花が月光に照らされて美しい夜と、月はなく卯の花の白さ
  が月夜を思わせられる夜を「卯の花月夜」というが、ここは
  後者のような状況で、しかも一面に晒している布かと見まがわ
  れると詠じたもの。
             (新潮日本古典集成山家集から抜粋)

(3番歌の解釈)

 「神社の瑞垣の近くに咲くのも何かの縁なのだろう。ここに咲く
 卯の花は木綿をかけたように見える。」
                 (和歌文学大系21から抜粋)

(6番歌の解釈)

 「卯月でもない今、庵の周囲の垣根の卯の花を、うれしいことに
 雪が降って咲かせてくれたよ。」
             (新潮日本古典集成山家集から抜粋)

(10番歌の解釈)

 「卯の花の陰に隠れて鳴く音だけだろうか、いやこうして涙を
 こらえる袖もあるよ。」
 ○郭公の語を用いずにその音を表現。
                 (和歌文学大系21から抜粋)
  
(12番歌の解釈)

 「山間を流れる川の川波に見間違えそうな卯の花を、見過ごさず
 人が手折る様子は、まるで波が立ったり、寄せては返したり、
 するようだ。」
                 (和歌文学大系21から抜粋)
 
 この12番歌は佐佐木信綱氏校訂、岩波文庫山家集にあり、写本の
 陽明文庫本山家集を底本とする新潮日本古典集成山家集にはあり
 ません。
 岩波文庫山家集の底本は松本柳斉の山家集類題です。山家集類題
 は六家集版山家集を底本としています。

【うのひとはし】 (山、199)

 一箸食した鱸の食感のこと。
 夫木抄も(うのひとはし)ですが、新潮版では(そのひとはし)
 となっています。
 和歌文学大系21の解説を読むと(うのひとはし)は誤写であり
 (そのひとはし)が正しいものであると分ります。

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1 秋風にすずきつり船はしるめりうのひとはしの名残したひて
      (岩波文庫山家集199P雑歌・新潮1396番・夫木抄)
       
(1番歌の解釈)

 「秋風に鱸を釣る舟が走っているようだ。鱸が川にいる間の
 名残を慕って。」
 ○そのひとはしの名残慕ひてー意味不明。鱸は、夏は海から川へ、
  冬は川から海へと移動する。秋風の吹く頃はまだ川にいると
  いうのでそれを「ひとはし」(一方の、つまり川における)の
  名残りを惜しんで捕えようとする意と、仮に解釈しておきたい。 
            (新潮日本古典集成山家集から抜粋)

 「秋風に乗って走るように鱸釣舟が出て行く。一箸食した鱸の
 味がわすれられなくて。」
 ○その一箸ー「秋風一箸鱸魚膾」(新撰朗詠集・白居易)を踏む。
                (和歌文学大系21から抜粋)

 新撰朗詠集や白居易(白氏文集)に先行例があるのでしたら、
 「一箸」で間違いないものと思います。

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