もどる

うえ〜うき うぐ〜うず うた〜うつ うな〜うの
うは〜うん


【うばめ媼】 (山、260)

 うばめは「姥女」ということでしょう。年配の女性のことです。
 嫗(おうな)も年配の女性のこと。翁(おきな)は年配の男性。

 なぜ(うばめ)と(嫗)という同じ意味を持つ言葉を連続させて
 用いたのか私にはわかりません。「いちごもる」という初句の
 こともあって、不可解さの強い一首です。
 和歌文学大系21では「姥女神・姥神といわれた老巫女のことか」
 とあります。

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  としたか、よりまさ、勢賀院にて老下女を思ひかくる恋と
  申すことをよみけるにまゐりあひて

1  いちごもるうばめ媼のかさねもつこのて柏におもてならべむ
           (岩波文庫山家集260P聞書集・夫木抄)

○としたか

 不明。「としただ」の誤写説もあります。醍醐源氏の「源俊高」
 説が有力です。

○よりまさ

 源頼政(1104〜1180)のこと。摂津源氏、多田頼綱流、仲政の子。
 1178年従三位。1180年、以仁王を奉じて反平氏に走りますが、
 同年、宇治川の戦いで敗れて平等院で自刃。
 西行とも早くから親しくしていたようです。頼政が敗死した宇治川
 合戦のことが聞書集に「しづむなる死出の山がは・・・」の歌と
 してあります。
 家集に「源三位頼政集」があります。二条院讃岐は頼政の娘です。
 
○勢賀院

 せが院と読み、清和院のことです。
 清和院とは現在の京都御宛の中にありました。
 もともとは藤原良房の染殿の南にありました。良房の娘の明子は
 第56代、清和天皇の母であり、明子は清和天皇譲位後の上皇御所
 として染殿の敷地内に清和院を建てました。
 ちなみに清和天皇の后となった藤原高子はこの染殿で第57代、
 陽成天皇を産んでいます。
 高子は在原業平との関係で有名な女性です。
 清和院は清和上皇の後に源氏が数代続いて領有し、そして白川
 天皇皇女、官子内親王が伝領しています。清和院の中に官子内親王
 の斎院御所があり、そこで歌会が催されていたということです。
 その後の清和院は確実な資料がなく不詳ですが、1661年の寛文の
 大火による御所炎上後、現在の北野天満宮の近くの一条七本松北
 に建てかえられたそうです。
 「都名所図会」では1655年から1658年の間に、現在地に移築され
 たとあります。現在は小さなお寺です。

○いちごもる

 よくわかりません。
 「市児(町民の小ども)の子守りをする年配の女性のこと」と
 あります。       (渡部保氏著 西行山家集全注解)
 
 「いちこ」とは巫女のことでもありますので、あるいは宗教的な
 意味合いがあるのかもしれません。 

○このて柏

 ヒノキ科の常緑樹。小枝全体が平たい手のひら状であり、葉は
 表裏の区別がつかないところから、二心あるもののたとえと
 された。
              (講談社「日本語大辞典」を参考)

 児の手柏の木は一般には江戸時代に中国から移入されたという
 ことですが、万葉集にも「児の手柏」の歌がありますから、大変
 古くから児の手柏は日本にあったものと思います。ただ、現在の
 児の手柏と西行の歌にある児の手柏が同じ種目の木であるのか
 どうかはわかりません。

(1番歌の解釈)

 「市児(町家の子)の子守りをする年老いた子守り女が重ねて
 持っているこのてがしは(柏の一種とも女郎花とも)それは表裏
 の別がなく、「このでかしはの二面」と言われている通り、私も
 同じく顔を並べよう。(他の人と同じく老下女に思いをかけよう。)
 (このてがしはは児の手柏とかけている。)」
        (渡部保氏著(西行山家集全注解)から抜粋)

 「巫女がまつる姥神の老巫女が手に重ね持つ児手柏の面に私の
 顔を並べよう。」
                (和歌文学大系21から抜粋)

【うべき・うべく】

 得るべきこと。
 (得る)に(べき)(べく)が接合した言葉です。

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1 あらたなる熊野詣のしるしをばこほりの垢離にうべきなりけり
         (岩波文庫山家集225P神祇歌・新潮1530番)

2 鶯の聲にさとりをうべきかは聞く嬉しさもはかなかりけり
           (岩波文庫山家集22P春歌・新潮993番)  
 
3 まどひきてさとりうべくもなかりつる心を知るは心なりけり
          (岩波文庫山家集217P釈教歌・新潮875番)  

○あらたなる

 この場合は、新しいことという意味ではなくて(験)のことです。
 (験)は(あらた)と読みます。
 神仏の霊験、効能が現出することを指します。

○熊野詣でのしるし

 熊野三山(本宮・しんぐう・那智大社)の霊力のこと。

○こほりの垢離

 普通は聖地参拝は水垢離します。ここでは水も凍る厳寒の頃の
 参拝であることを言っています。

(1番歌の解釈)

 「いつ参詣しても、熊野詣の霊験はあらたかであるが、厳冬期に
 氷の垢離を取れば、格別の霊験が得られるであろう。」
 ○氷の垢離ー寒垢離をいう。神仏に参詣する際、心身を清める
  ことを垢離、水垢離というが、寒中に取る垢離をいう。熊野詣
  は何度も垢離を掻きながら行われるので、特に厳冬期の参詣を
  いうか。
                (和歌文学大系21から抜粋)

(2番歌の解釈)

 「鶯を聞きなして、一緒に法華経なんか読んだりするものか。
 都から来た同行が来た、と思ってうれしかったが、ぬか喜びと
 知ったむなしさも孤独の身にはつらいのである。」
                (和歌文学大系21から抜粋)

 「鶯の声を聞いたからといって悟りの境地に入れようか。入る
 ことはできない。だから鶯の声を聞くのは嬉しいけれど、はか
 ないことだよ。」
            (新潮日本古典集成山家集から抜粋)

(3番歌の解釈)

 「煩悩に悩まされて来て、とうてい悟ることができそうもなかった
 自分の心を知るのは、それもまたわが心であったよ。」
            (新潮日本古典集成山家集から抜粋)

【馬いかだ】 (山、255) 「宇治のいくさ」25号参照

馬を組んで筏のようにして、川を渡るという方法。

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   武者のかぎり群れて死出の山こゆらむ。山だちと申すおそれ
   はあらじかしと、この世ならば頼もしくもや。宇治のいくさ
   かとよ、馬いかだとかやにてわたりたりけりと聞こえしこと
   思ひいでられて

1 しづむなる死出の山がはみなぎりて馬筏もやかなはざるらむ
               (岩波文庫山家集255P聞書集)
    
○死出の山

 死者が死後に越えるという冥土にある山のこと。

○山だち

 山賊のこと。似たような言葉に「山賎「がつ)」がありますが、
 山賎は山辺に住んできこりなどを生業とする人たちのことを言い
 ます。

○宇治のいくさ

 宇治川合戦は三度記録されています。

1 以仁王・源頼政軍と平氏との戦い。(1180年5月)
2 源義仲軍と源義経軍との戦い。(1184年1月)
3 北条泰時の幕府軍と後鳥羽院の朝廷軍との戦。(1221年6月)

○しずむなる

 罪を持ったまま死んで行った者達が沈むということ。

(詞書の解釈)

 「武者が戦いのためにたくさん命を落としていきます。あの世
 では山賊には合わないでしょうし、この世なら頼もしいばかり
 なのですが・・・。
                 
 宇治に戦があって、馬を筏のように組んで、宇治川の流れを
 渡ったということを聞き及んだのですが、そのことを思い出
 して・・・」
                      (私の解釈)
(歌の解釈)

 「馬筏を組んで早瀬を渡るという小ざかしいことをしても、
 死者がおぼれるという死出の山川の流れの前では、なんの意味も
 なかろうに・・・」
                       (私の解釈)
  
 この詞書は「頼もしくや、」までが前半部分で、前歌の注に相当
 します。「しずむなる」歌にかかる詞書は「宇治のいくさ・・・」
 からです。
 したがって「宇治のいくさ」とは1180年5月の宇治川の戦いの
 ことを指してのものです。
 1180年5月、後白河院の第二皇子である以仁王と源頼政は平氏に
 叛旗を翻して挙兵しましたが、宇治川の戦いで敗死しました。
 この時の橋合戦については「平家物語」巻八に詳述されています。

 ここでは西行の痛烈な批判精神が顕在化しています。源頼政とは
 親しく歌を詠みあった歌仲間でもあるのですが、頼政の壮絶な
 死に様については一言も触れていません。
 この歌の前後にある戦いに材を採った歌からみても、合戦で命を
 落とすという武士のありざまを、僧というよりも一人の人間と
 しての立場から、激しいいきどおりに根ざした皮肉の歌として
 遺しています。

【うまごまうけて】

 (うまご)は孫の古形。実際の発音は(むまご)。
 初孫の意味ではない。(まうけて)は儲けて、の意味。
 孫ができて・・・ということ。

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  うまごまうけて悦びける人のもとへ、いひつかはしける

1 千代ふべき二葉の松のおひさきを見る人いかに嬉しかるらむ
          (岩波文庫山家集141P賀歌・新潮1183番)  

○悦びける人

 歌を贈った相手は誰か不明。

○千代ふべき

 千年は長く続くことを願って。

○双葉の松

 若い松。幼子のたとえ。芽を出したばかりの松で孫の成長と重ね
 合わせています。

(1番歌の解釈)
              
 「お孫さんはこれから千年の未来を生き抜く二葉の松とお見受け
 しました。その栄えある将来をお見届けになられるのはさぞ
 お幸せでしょう。」
                 (和歌文学大系21から抜粋)

 【梅・むめ】

 植物の梅のこと。
 バラ科の観賞用の落葉高木。早春に白・淡紅色の花が葉のでる
 前に咲く。果実は六月中旬頃から収穫し、梅干、梅酒、梅酢など
 に、樹皮は染料、材は床柱、櫛などに利用。300以上の園芸品種
 がある。
                (日本語大辞典から抜粋)

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   梅を
01 香にぞまづ心しめ置く梅の花色はあだにも散りぬべければ
                (岩波文庫山家集19P春歌)
       
02 梅をのみわが垣ねには植ゑ置きて見に来む人に跡しのばれむ
          (岩波文庫山家集19P春歌・西行上人集)
     
03 とめこかし梅さかりなるわが宿をうときも人は折にこそよれ
    (岩波文庫山家集20P春歌・233P聞書集・西行上人集・
   新古今集・玄玉集・御裳濯河歌合・御裳濯集・西行物語)  

   山里の梅といふことを
04 香をとめむ人をこそまて山里の垣根の梅のちらぬかぎりは
      (岩波文庫山家集20P春歌・新潮35番・西行物語)
        
05 心せむ賤が垣ほの梅はあやなよしなく過ぐる人とどめける
           (岩波文庫山家集20P春歌・新潮36番・
             西行上人集追而加書・西行物語)  

06 この春はしづが垣ほにふれわびて梅が香とめむ人したしまむ
       (岩波文庫山家集20P春歌・新潮37番・夫木抄)
        
   旅のとまりの梅
07 ひとりぬる草の枕のうつり香は垣根の梅のにほひなりけり
           (岩波文庫山家集20P春歌・新潮43番・
      西行上人集・山家心中集・新拾遺集・西行物語)  

   古き砌の梅
08 何となく軒なつかしき梅ゆゑに住みけむ人の心をぞ知る
           (岩波文庫山家集20P春歌・新潮44番)
        
   嵯峨に住みけるに、道を隔てて坊の侍りけるより、
   梅の風にちりけるを
09 ぬしいかに風渡るとていとふらむよそにうれしき梅の匂を
          (岩波文庫山家集20P春歌・新潮38番・
            西行上人集・山家心中集・雲葉集)  

   庵の前なりける梅を見てよめる
10 梅が香を山ふところに吹きためて入りこん人にしめよ春風
       (岩波文庫山家集20P春歌・新潮39番・夫木抄)
      
   伊勢のにしふく山と申す所に侍りけるに、庵の梅かうばしく
   にほひけるを
11 柴の庵によるよる梅の匂い来てやさしき方もあるすまひかな
           (岩波文庫山家集21P春歌・新潮40番)
        
   梅に鶯の鳴きけるを
12 梅が香にたぐへて聞けばうぐひすの聲なつかしき春の山ざと
          (岩波文庫山家集22P春歌・新潮41番・
                西行上人集・山家心中集)  

13 つくり置きし梅のふすまに鶯は身にしむ梅の香やうつすらむ
         (岩波文庫山家集22P春歌・新潮42番)
        
14 すぎて行く羽風なつかし鶯のなづさひけりな梅の立枝を
         (岩波文庫山家集22P春歌・新潮994番・
               西行上人集・山家心中集)  

15 ほととぎす花橘になりにけり梅にかをりし鶯のこゑ
         (岩波文庫山家集46P夏歌・西行上人集)
       
16 まがふ色は梅とのみ見て過ぎ行くに雪の花には香ぞなかりける
        (岩波文庫山家集112P羇旅歌・新潮1363番)
      
    寄梅恋
17 折らばやと何思はまし梅の花めづらしからぬ匂ひなりせば
         (岩波文庫山家集146P恋歌・新潮595番)
       
18 行きずりに一枝折りし梅が香の深くも袖にしみにけるかな
         (岩波文庫山家集146P恋歌・新潮596番)
        
19 心にはふかくしめども梅の花折らぬ匂ひはかひなかりけり
         (岩波文庫山家集157P恋歌・新潮1255番)
        
20 折る人の手にはたまらで梅の花誰がうつり香にならむとすらむ
          (岩波文庫山家集157P恋歌・新潮1261番)
        
   古今梅によす
21 紅の色こきむめを折る人の袖にはふかき香やとまるらむ
          (岩波文庫山家集172P雑歌・新潮1167番)
        
   梅薫船中
22 匂ひくる梅の香むかふこち風におしてまた出づる舟とももがな
               (岩波文庫山家集233P聞書集)
        
   雪紅梅をうづむ
23 いろよりは香はこきものを梅の花かくれむものかうづむしら雪
         (岩波文庫山家集243P聞書集・西行上人集)
      
24 雪の下の梅がさねなる衣の色をやどのつまにもぬはせてぞみる
           (岩波文庫山家集243P聞書集・夫木抄)
        
25 色にしみ香もなつかしき梅が枝に折しもあれやうぐひすの聲
      (岩波文庫山家集271P補遺・宮河歌合・御裳濯集)
        
   梅
26 とめ行きて主なき宿の梅ならば勅ならずとも折りてかへらむ
          (岩波文庫山家集272P補遺・西行上人集)  

(参考歌)

  やう梅の春の匂ひはへんきちの功徳なり、紫蘭の秋の色は
  普賢菩薩のしんさうなり

  野邊の色も春の匂ひもおしなべて心そめたる悟りにぞなる
         (岩波文庫山家集222P釈教歌・新潮1542番)
       
  (やう梅=楊梅)とは「ヤマモモ」のことです。

○とめこかし

 「とめこかし梅さかりなる」という言葉の使い方は倒置法という
 表現上のテクニックの一つです。
 様々なものを表す固有名詞や普通名詞ではありません。

 「とめ」は「尋(と)む・求(と)む」のこと。尋ねる、求める
 という意味。
 「く」は「来」のこと。「来る」の意味。
 「かし」は平安時代によく使われていた助詞です。強調する意味で
 用いられます。現在でも「幸いあれかし」という使い方をされます。
 以上が合わさって「とめこかし」となります。
 この歌は特定の個人を想定してのものではなくて、梅の盛りを見に
 「誰かきてほしいなー」という作者の素朴な感情を歌にしたもの
 だと思います。
 平安時代は梅の枝を折り取るのは礼儀のひとつだったようです。

○心せむ賤が垣ほの梅

 心しょう(注意しょう)、ひなびた家の垣根の梅には・・・。
 梅を見て立ち止まる人が単に梅を見ているだけであって自分を
 尋ねてきたわけではない、そのことに思いをいたそう・・・と
 いう歌です。 

○ひとりぬる

 「ぬる」は「寝る」のこと。一人での就眠をいいます。

○伊勢のにしふく山

 場所不明。新潮版山家集では「もりやまと申す所」となって
 います。「もりやまと申す所」の所在も不明です。
 三重県鈴鹿市石薬師町と三重県三重郡菰野に歌碑があります。

○たぐへて聞けば

 (たぐへて)は(類=たぐい)の他動詞形。
 1 似つかわしいもの、同質のものを一緒にそろえる。
 2 合わせる。
 3 真似る、習う。
 4 ならべる。ひきくらべる。

 と、岩波古語辞典にありますが、梅の香を楽しみながら鶯の声
 を聞けば・・・という意味です。

○なづさひけりな

 「なずさわる」ことです。慣れ親しむ、なじむ、ことです。

○梅がさねなる

 梅の襲(かさね)のことです。襲とは着用する衣と衣の配色の
 総称としても言いますが、一枚の衣の表地と裏地の配色のこと
 をも指しています。
 平安時代の梅襲は表地は白色、裏地は蘇芳色のことを言っていた
 ようです。表は濃い紅、裏地は薄紅として広辞苑にはあります。
 
○勅ならずとも

 勅とは天皇の命令のこと。天皇の命令ではなかっても、という
 こと。
 
(1番歌の解釈)

「梅の花はまず香を心に染みこませて、満喫しておこう。花が
 散ると、見た目の美しさもはかなく消えてしまうであろうから。」
                (和歌文学大系21から抜粋)

(3番歌の解釈)

 「尋ねていらっしゃいよ。梅が盛りに咲いている私の家を。うと
 うとしいのも人は時節によるものだよ。」
                (和歌文学大系21から抜粋)

(8番歌の解釈)

 「何となく昔の人を懐かしく思い出させて軒端に香る梅によって、
 かつて住んでいた人の心のゆかしさを知ることだよ。」
            (新潮日本古典集成山家集から抜粋)

(10番歌の解釈)

 「春風よ、お前の運んでくる梅の香を、自分の庵のある谷ふと
 ころに吹きためて、訪れて来る人の衣にしみこませてくれ。」
            (新潮日本古典集成山家集から抜粋)

(17番歌の解釈)

 「梅の花を手折るごとく、あの人と契りを結びたいなどとどうして
 思おうか。もし梅の花の香のように心ひかれる人でなかったら。」
            (新潮日本古典集成山家集から抜粋)

(21番歌の解釈)

 「色濃く美しい紅梅を手折った人の袖には、やはり深く濃い
 香が残ることであろう。」
 ○(色濃きむめ)の(濃きむ)に古今を詠みこんでいます。
                (和歌文学大系21から抜粋)

(26番歌の解釈)

 「尋ねていって主のいない家の庭の梅ならば、勅命でなくても
 折って持ち帰ろう。」
                (和歌文学大系21から抜粋)

【うらうら】 (山、213)

 陽射しが暖かく穏やかに差している状況のこと。
 一番歌では、後顧の憂いもなく心穏やかに、ごくごく自然に命の
 終りを迎えられれば良いなあ・・・というほどの意味です。

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1 うらうらとしなんずるなと思ひとけば心のやがてさぞとこたふる
         (岩波文庫山家集213P哀傷歌・新潮1520番)

 苗代にせきくだされし天の川とむるも神の心なるべし
 
2   かくかきたりければ、やがて西の風吹きかはりて、忽ちに雲
   はれて、うらうらと日なりにけり。末の代なれど、志いたり
   ぬることには、しるしあらたなることを人々申しつつ、
   信おこして、吹上若の浦、おもふやうに見て帰られにけり。
          (岩波文庫山家集137P羇旅歌・新潮749番) 

○しなんずる

 命が終わろうとする、その時のこと。

○思ひとけば

 思いが理解できるということ。自分で納得できるということ。

○末の代なれど

 仏教でいう末法の時代のこと。日本では1052年に末法の時代に
 入り、それが1万年続くといわれています。これにより浄土思想
 に基く、阿弥陀如来信仰が広がりました。

○吹上

 「吹上」と言えば現在では鹿児島県が有名ですが、ここでは紀伊
 の国の地名の吹上です。紀ノ川河口の港から雑賀崎にかけての
 浜を「吹上の浜」として、たくさんの歌に詠みこまれた紀伊の
 歌枕ですが、今では和歌山市の県庁前に「吹上」の地名を残す
 のみのようです。
 天野から吹上までは単純計算でも30キロ以上あるのではないかと
 思いますので、どこかで一泊した旅に西行は随行したものだろう
 と思われます。
 吹上の名詞は136ページの詞書、171ページの歌にもあります。

○若の浦

 紀伊の国の歌枕。和歌山市の紀の川河口の和歌の浦のこと。
 片男波の砂嘴に囲まれた一帯を指します。
 和歌の神と言われる「玉津島明神」が和歌の浦にあります。和歌
 に関しての歌で、よく詠まれる歌枕です。

(1番歌の解釈)

 「よくよく考えてみて、うららかに死ぬのがいいな、と思い至る
 やすぐさま、心が、その通りだと合意する。
                (和歌文学大系21から抜粋)

(2番の詞書の解釈)
 
「このように書きつけたところが、すぐに風は西の風に吹き
 かわって、たちまち雲はれ、雨やんで、うららかなよい日よりに
 なった。今の世は末法の世で正しい法が行われぬ時であるが、
 一生懸命になったことには神の霊験もあらたであったことに
 対して人々も信心の心をおこして、吹上の浜、和歌の浦を思う
 ように見てかえって行かれた。」
          (渡部保氏著「山家集全注解」から抜粋)

 【うらこき恋】

 藍染めの裏が濃いことと、逢うことを繰り返したはてに、心の中
 まで濃き恋になってしまっている、ということを掛けている言葉。
 恋の心模様を歌にしています。

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1 あひそめてうらこき恋になりぬれば思ひかへせどかへされぬかな
                (岩波文庫山家集260P聞書集)

○あひそめて

 藍色を染めて、ということ。逢い染めてを掛けています。逢い
 初めて、から時間的推移を感じさせる逢い染めて、で真剣な恋、
 深みにはまった恋を言います。

○思ひかへせどかへされぬ

 染色で、脱色させたいけどもうすでにできないということ。
 恋の深みにはまってしまって、もはや引き返すことはできないと
 いうこと。

(1番歌の解釈)

 「逢いはじめて心の内側を濃い藍色に染めた恋になってしまった
 ので、思い返すけれど元へ返すことができないなあ。
                (和歌文学大系21から抜粋)

 「逢いはじめて、段々と深くなり、心の思いの濃い恋になって
 しまうと、いくら思い返しても、その恋をやめようとしても、
 かえされぬ、やめられぬことである。」
          (渡部保氏著「山家集全注解」から抜粋)

 【浦島・浦島の子・浦島の筥】

 浦島太郎が亀を助けて竜宮城に行ったという説話のこと。西行の
 時代にはすでに浦島太郎のお話はできていました。浦島の物語は
 日本書紀や万葉集にも記述があるそうですから、古いお話です。
 原典は「丹後国風土記」ではなかったかと思います。
 「筥」は箱のことで、玉手箱を指します。

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1 郭公きかで明けぬる夏の夜の浦島の子はまことなりけり
           (岩波文庫山家集43P夏歌・新潮187番)  

2 いひすてて後の行方を思ひはてばさてさはいかにうら嶋の筥
         (岩波文庫山家集213P哀傷歌・新潮1521番) 
 
   伊勢より、小貝を拾ひて、箱に入れてつつみこめて、
   皇太后宮大夫の局へ遣すとて、かきつけ侍りける

3 浦島がこは何ものと人問はばあけてかひある箱とこたへよ
   (49号既出)(岩波文庫山家集184P雑歌・西行上人集・
                    殷富門院大輔集)

○浦島の子はまこと

 開けてみれば悔しいことであった、それは本当のことだ、という
 こと。
 浦島太郎の玉手箱は人生を指しますが、ここでは一夜の短さを
 言っています。

○さてさはいかに

 はてさてどうしたらいいか・・・という結論を出したくても
 出せない状況にあることを言います

○かひある箱

 開けてみれば「貝のある箱」と「甲斐のある箱」をかけて
 います。
 私自身の感覚では、こういう掛けことば、言葉遊びは品がないと
 思います。文学的にというには余りにも遊び過ぎです。
 歌として当時はそれで良かったのかもしれません。
 和歌が文学としてというよりは、他者との意志の疎通という面に
 も重きを置かれていたという当時の状況が理解できます。

○皇太后宮

 天皇の后が皇后、先帝の后が皇太后です。皇太后の住む所が
 皇太后宮。そこの事務などの一切を統率するのが皇太后宮太夫。
 この場合は(だいぶ)と読みます。
 この時、藤原多子(まさるこ=1142〜1201)が1158年から皇太后、
 藤原忻子(よしこ=1155〜1209)も1172年に皇太后となっています。

○皇太后宮太夫の局

 皇太后宮太夫は誤りで、正しくは皇后宮太夫です。
 殷富門院大輔集に西行の(浦島が・・・)歌と、殷富門院大輔
 の返歌があります。
 殷富門院大輔の仕えていた亮子内親王は皇太后になってはいま
 せんから(皇后宮)で間違いありません。

(1番歌の解釈)

 「郭公の鳴く声を聞くこともなく、夏の短夜ははかなく明けて
 しまったが、まことに浦島の子の玉手箱のように、あけてくや
 しいことであった。」
(新潮日本古典集成山家集から抜粋)

(2番歌の解釈)

 「後世のことは知らないと言い捨てていて、いざ死を迎えてから
 死後の行方を思い始めても、さてどうでしょうか。開けて悔しい 
 浦島の箱、後悔は必至です。」
                (和歌文学大系21から抜粋)
   
(3番歌の解釈)

「浦島がこは(これはと籠とをかける)何ですかと(これは何が
 入っているのですか)人が聞いたならば、開けてみて、浦島の
 もらった玉手箱とはちがって、開けがいのある(かひに貝と甲斐
 をかける)(貝の入っている)箱だとこたえてくださいよ。」
          (渡部保氏著「西行山家集全注解」から抜粋)

 いつしかもあけてかひあるはこみればよはひものぶる心ちこそすれ
               (殷富門院大輔 殷富門院大輔集)

 殷富門院大輔の返歌ですが、この時、殷富門院大輔は相当の高齢
 であったことが歌からも伺えます。

【恨み・うらみ】

 相手の仕打ちに不満を持ちながら、表立ってやり返せず、いつ
 までも執着して、じっと相手の本心や出方をうかがっている意。

 いつまでも不満に思って忘れない。相手の気持を不満に思い
 ながらじっと忍んでいること。
                 (岩波古語辞典から抜粋)

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

01 なかなかになるるつらさにくらぶればうとき恨はみさをなりけり
          (岩波文庫山家集153P恋歌・新潮681番) 

02 なかなかになれぬ思ひのままならば恨ばかりや身につもらまし
          (岩波文庫山家集152P恋歌・新潮665番・ 
            西行上人集・山家心中集・宮河歌合)

03 日にそへて恨はいとど大海のゆたかなりける我がなみだかな
          (岩波文庫山家集152P恋歌・新潮683番・ 
             西行上人集・山家心中集・万代集)

04 難波潟波のみいとど数そひて恨のひまや袖のかわかむ
          (岩波文庫山家集153P恋歌・新潮686番・ 
                 西行上人集・山家心中集)

05 磯のまに波あらげなるをりをりは恨をかづく里のあま人
          (岩波文庫山家集154P恋歌・新潮693番) 

06 いかにせんこむよのあまとなる程にみるめかたくて過ぐる恨を
          (岩波文庫山家集155P恋歌・新潮708番) 

07 いつかはとこたへむことのねたきかな思ひもしらず恨きかせよ
          (岩波文庫山家集158P恋歌・新潮1271番) 

08 夜もすがら恨を袖にたたふれば枕に波の音ぞきこゆる
          (岩波文庫山家集159P恋歌・新潮1287番) 

09 いひ立てて恨みばいかにつらからむ思へばうしや人のこころは
      (岩波文庫山家集162P恋歌・新潮1329番・夫木抄) 

10 天雲のはるるみ空の月かげに恨なぐさむをばすての山
         (岩波文庫山家集219P釈教歌・新潮886番・ 
                 西行上人集・山家心中集)

11 今朝よりぞ人の心はつらからで明けはなれ行く空を恨むる
          (岩波文庫山家集144P恋歌・新潮584番・ 
                 西行上人集・山家心中集)

12 なにとこはかずまへられぬ身の程に人を恨むる心ありけむ
           (岩波文庫山家集152P恋歌・新潮673番) 

13 まどひつつ過ぎけるかたの悔しさになくなく身をぞけふは恨むる
          (岩波文庫山家集216P釈教歌・新潮867番) 

14 うらみじと思ふ我さへつらきかなとはで過ぎぬる心づよさを
     (岩波文庫山家集161P恋歌・新潮1306番・西行上人集) 

15 つらからむ人ゆゑ身をば恨みじと思ひしかどもかなはざりけり
           (岩波文庫山家集159P恋歌・新潮1280番) 

16 つらくともあはずば何のならひにか身の程知らず人をうらみむ 
           (岩波文庫山家集144P恋歌・新潮590番) 

17 数ならぬ心のとがになしはてじ知らせてこそは身をも恨みめ
     (岩波文庫山家集151P恋歌・新潮653番・新古今集・ 
     西行上人集・山家心中集・御裳濯河歌合・西行物語)

18 うき身知る心にも似ぬ涙かな恨みんとしもおもはぬものを
          (岩波文庫山家集155P恋歌・西行上人集) 

19 恨みてもなぐさめてまし中々につらくて人のあはぬと思へば
          (岩波文庫山家集163P恋歌・新潮1346番) 
            
20 うらみてもなぐさみてましなかなかにつらくて人のあはぬと思はば
  (岩波文庫山家集156P恋歌・西行上人集追而加書・玉葉集) 

21 思ひしる人あり明のよなりせばつきせず身をば恨みざらまし
      (岩波文庫山家集151P恋歌・新潮652番・新古今集・ 
        西行上人集・山家心中集・宮河歌合・西行物語)

22 何せんにつれなかりしを恨みけむあはずばかかる思ひせましや
           (岩波文庫山家集152P恋歌・新潮666番) 

23 うとくなる人を何とて恨むらむ知られず知らぬ折もありしを
          (岩波文庫山家集155P恋歌・新古今集・ 
                  西行上人集・西行物語)

24 我からと藻にすむ虫の名にしおへば人をば更にうらみやはする
          (岩波文庫山家集163P恋歌・新潮1336番) 

25 いかさまに思ひつづけて恨みましひとへにつらき君ならなくに
           (岩波文庫山家集163P恋歌・新潮1345番) 

26 別れにし人のふたたび跡をみば恨みやせましとはぬ心を
           (岩波文庫山家集210P哀傷歌・新潮835番) 

27 中々にとはぬは深きかたもあらむ心浅くも恨みつるかな
           (岩波文庫山家集210P哀傷歌・新潮837番) 

28 あらはさぬ我が心をぞうらむべき月やはうときをばすての山
           (岩波文庫山家集84P秋歌・西行上人集・
                  御裳濯河歌合・新勅撰集)

29  ゆかりにつけて物をおもひける人のもとより、などか
   とはざらむと、恨み遣したりける返りごとに

  哀とも心に思ふ程ばかりいはれぬべくはとひもこそせめ
     (岩波文庫山家集205P哀傷歌・新潮803番・新古今集・ 
         西行上人集・山家心中集・治承三十六人歌合)

30 谷ふかく住むかと思ひてとはぬ間に恨をむすぶ菊の下水
                 (覚堅阿闍梨)
           (岩波文庫山家集87P秋歌・新潮1080番) 

○うとき恨は

 (うとき)は疎いこと、疎遠であること、関係性がないことを
 言います。
 ここでは逢いたくても全く逢って貰えないために起きる、自分
 の中での恨みには耐えることができるという意味です。

○みさを
 
 (操=みさお)のこと。志操という言葉が思われますが、
 (みさお)には、いつもと変わらない気持や態度のことも
 指します。

○恨をかづく

 恨は「浦回=うらみ=浦の周り、浦の湾曲した所)と「恨み」を
 掛け、かづくは「かづく=潜く」で、もぐることと、「被く」
 ことを掛けています。
 「被く」は、頭からすっぽりと被ること、とともに、責任を
 取らされる事、騙されること、という意味もあります。

○みるめかたくて

 「逢うことが難しい」という意味。
 「みるめ」は海草の「ミルメ」と見ることの「見る目」の
 掛けことばです。

○ねたきかな

 (妬=ねた)妬し、の語幹で「ねたましこと」を意味します。
 憎らしいこと、癪であると思うこと。 

○をばすて山

 長野県更埴市にある「冠着山」のことだと言われています。
 標高1252メートル。
 月の名所であり、また、棄老伝説のある山です。
 10番歌は棄老伝説に拠っています。

○なにとこは

 「何と此は」ということ。

○かずまへられぬ

 数のうちに入れられない身分ということ。
 身分的な階級社会を表しています。

○我からと

 「われから=自分から」ということと「われから=海生の生物」
 とを掛け合わせています。
 「割殻」とは海藻などに付着している甲殻類節足動物の一種で
 体長は1〜4センチ。

○菊の下水

 菊の露が流れ落ちて地中に沁み込んだという意味です。
 
 菊と「聞く」を掛けている言葉です。西行と覚堅阿闍梨との贈答
 の歌ですが、西行歌にある「菊の下水」は(風の便りに聞いて
 いないでしょうか・・・)というほどの意味になります。
 下は西行の歌です。いずれにしても気を使う必要の無い友達感覚
 での、縁語を交えての洒脱な贈答の歌です。

 汲みてなど心かよはばとはざらむ出でたるものを菊の下水
           (岩波文庫山家集87P秋歌・新潮1079番) 

○覚堅阿闍梨

 生没年及び俗名不詳。院の少納言の局の兄弟とのことですが、
 院の少納言の出自については諸説あり、覚堅についてもよく
 わかりません。院の二位の局の葬儀の時の少納言の局の歌が
 209ページにあります。それで少納言の局は藤原信西と院の二位
 との間の子であるとみなされますが、そうではなくて院の二位の
 局は少納言の局の義母に当たるようです。(和歌文学大系21)
 覚堅について、新潮版では藤原信西の子としていて仁和寺僧綱、
 1189年に大僧都としています。

(02番歌の解釈)

 「馴れうちとけることのない思いのまま過ごすならば、かえって
 恋しい人を恨む心ばかりが身に積ることであろう。」
             (新潮日本古典集成山家集から抜粋)

(03番歌の解釈)

 「逢うことのできない日が続くにつれ、叶わぬ恋の恨みはいや
 まさり、大海がゆたかに水をたたえるごとく、自分の思いも
 いやまさるばかりだな。」
             (新潮日本古典集成山家集から抜粋)

(10番歌の解釈)

 「見捨てられたかと仏を一時は恨んだ叔母たち尼僧も、成仏の
 約束をもらって心が慰められたというが、それはまるで、雲が
 晴れて姥捨山の空一面を明るく照らす月光を見ているうちに、
 自分達を見捨てた子供たちへの恨みが慰められるのに似ている。」
                 (和歌文学大系21から抜粋)
              
(11番歌の解釈)

 「あなたを初めて抱いた今朝、もうあなたの冷たさはつらくは
 ないが、今度はあまりにも早く夜が明けるのが恨めしくなった。」
                 (和歌文学大系21から抜粋)

(14番歌の解釈)

 「自分の恋心に対し何の音沙汰もないままにすましているあの
 人の情の剛(こわ)さを恨むまい、と思って耐えている自分の
 ことまでも、薄情に思われるよ。」
             (新潮日本古典集成山家集から抜粋)

(17番歌の解釈)

 「とるに足りない自分の心のせいにはしてしまうまい。心のうち
 を知らせてなを思いが叶わなければ、その時初めてわが身を恨む
 ことにしょう。」
             (新潮日本古典集成山家集から抜粋)

 「あなたが私に冷たいのを、すべて私の思いが足りないせいに
 するのはやめにしよう。この思いをまず打ち明けて、それから
 我が身の取るに足りなさを嘆けばいいじゃないか。」
                 (和歌文学大系21から抜粋)

(21番歌の解釈)

 「有明の月を今日も空しく見た私の切なる思いを、あなたが少し
 でもわかってくださるのなら、この世ではもうこの身などどう
 でも構わないと自分を恨んだりしなかったでしょうに。」
                 (和歌文学大系21から抜粋)

(29番歌の解釈)

 「(あはれ)とだけでも、あなたの悲しみに対する私の気持を
 言葉に出していうことができたら、弔問いたしましたでしよう
 に。(自分の気持に見合う言葉を探している内に弔問が遅れて
 しまいました。)」
                 (和歌文学大系21から抜粋)

 「ああお気の毒にと心に思うほどのことをすっかり言うことが
 できるのなら、すぐに弔問申し上げたでしょうに。」
             (新潮日本古典集成山家集から抜粋)

(19番歌と20番歌について)

19 恨みてもなぐさめてまし中々につらくて人のあはぬと思へば
          (岩波文庫山家集163P恋歌・新潮1346番) 
            
20 うらみてもなぐさみてましなかなかにつらくて人のあはぬと思はば
  (岩波文庫山家集156P恋歌・西行上人集追而加書・玉葉集) 

同じ歌であり重複掲載ですが、ここにも出しておきます。20番歌は
山家集恋歌では無くて「補遺」に補入するべき歌であり、編集ミス
だろうと思われます。

【恨みがほ】

 恨みに思っているような顔のこと。「・・・顔」は西行の愛用語。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

1 身をしれば人のとがとは思はぬに恨みがほにもぬるる袖かな
     (岩波文庫山家集153P恋歌・新潮680番・西行上人集・ 
         山家心中集・新古今集・宮河歌合・西行物語)

○身をしれば

 自分の分をわきまえているということ。

○人のとが

 人の罪ということ。人の責任ということ。(思はぬに)という
 否定語が接続していて、人の罪や責任ではないという意味に
 なります。

(1番歌の解釈)

 「自分の身のほどを知っているので、恋しいあの人のせいとは
 思わないけれども・・・それでもあの人を恨むかのごとくに涙に
 濡れる袖だよ。」
             (新潮日本古典集成山家集から抜粋)

 「(がほ)歌について」(40号既出)

(がほ)のフレーズの入った歌は西行が好んで詠んだ歌とも言え
ます。
                  
いひがほ・恨みがほ・嬉しがほ・かけもちがほ・きかずがほ・
たより得がほ・つけがほ・告げがほ(2)・所えがほ・ぬるるがほ・
見がほ・見せがほ・もりがほ・わがものがほ、かこち顔。

以上15種類、16首あります。源氏物語にも「○○がほ」という記述
はありますから、西行の「がほ」歌はあるいは源氏物語の影響なの
かもしれません。

【うらめしきかな】

 (恨み)の形容詞形。
 相手の態度が不満なのだが、その相手の本当の心持を見たいと
 思い続けて、じっとこらえている気持。
 心の底で不満である。
                (岩波古語辞典から抜粋)

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

1 なかなかに思ひしるてふ言の葉はとはぬに過ぎてうらめしきかな
          (岩波文庫山家集153P恋歌・新潮688番) 

2 梢ふく風の心はいかがせんしたがふ花のうらめしきかな
     (岩波文庫山家集37P春歌・新潮122番・西行上人集) 

3 あふことを夢なりけりと思ひわく心のけさは恨めしきかな 
                (岩波文庫山家集143P恋歌) 

4 きし近みうゑけん人ぞ恨めしき波にをらるる山吹の花
           (岩波文庫山家集41P春歌・新潮165番) 

   世の中に大事出できて、新院あらぬさまにならせおはしまして
   御ぐしおろして、仁和寺の北院におはしましけるに参りて、
   けんげんあざり出であひたり。月あかくてよみける

5 かかる世に影もかはらずすむ月をみる我が身さへ恨めしきかな
     (12号既出)(岩波文庫山家集182P雑歌・新潮1227番・ 
       西行上人集・山家心中集・拾遺風体集・西行物語)

○思いしるてふ

 「てふ」は連語で(と言う)の約として用いられます。
 「思い知ると言う」ことになります。くだけて言えば相手からの
 「分った」「了解した」という意志を伝える言葉になります。

○とはぬに過ぎて

 彼我の関係性がよく分らない言葉であり、解釈は別れると思い
 ます。
 どちらにしても、問うこと、つまりは質問することをしなくて、
 そのことが恨めしいという意味となります。
 
○思ひわく
 
 和歌文学大系21では「思ひ分く」の文字をあて、分別するという
 意味としています。

○兼堅(けんげんあざり)

 生没年、俗名不詳。「源賢」とも「兼賢」とも表記されていま
 すが、仁和寺の文章では「兼賢」です。
 藤原道隆の孫で顕兼の子供といわれます。
 1164年、崇徳院が讃岐で没した年に法橋に任ぜられたようです。
 87ページの「覚堅阿闍梨」とは別人です。

○仁和寺

 右京区御室仁和寺のこと。
 仁和寺の北院とは、現在もある「喜多院」のことと言われます。

○新院

 崇徳院のこと。一院は鳥羽院、院は後白河院のことです。

○あらぬさま

 1156年、保元の乱で敗れて、仁和寺に入って出家したこと。

○御ぐし

 (おぐし・みぐし)と読み、頭髪のこと。

○かかる世

 このようになった世の中。保元の乱が起こり、新院が敗北した
 状況を指します。月がかかるということも掛けています。

(1番歌の解釈)

 「なまじ(わかった)などとことばかけて下さった分、かえって
 何も聞いて下さらない以上に、あなたがうらめしくなります。」
                (和歌文学大系21から抜粋)

(2番歌の解釈)

 「梢を吹く風の心は、どうすることもできはしない。でもその
 風の心のままに散ってゆく花は何とも恨めしく思われるよ。」
            (新潮日本古典集成山家集から抜粋)

(3番歌の解釈)

 「あなたを抱いた。それが夢だったとわかってしまう自分の心が、
 今朝は恨めしいのです。」
                 (和歌文学大系21から抜粋)

 この歌は岩波文庫山家集の底本である流布本(板本)の山家集
 にしかありません。

(5番歌の解釈)

 「いたましくも新院がご出家になるようなこんな世の中が恨めし
 いばかりか、常に変ることのない光りを放っている月が、そして
 それを見ているわが身までもが恨めしく思われるよ。」
            (新潮日本古典集成山家集から抜粋)

【うらやむ・うらやましき】

 羨ましいこと。
 人を自分と比べてみて、人が環境や能力や結果などが優れている
 場合に、その人のそれらにあこがれ、自分もそのようになりたい
 と思う気持のこと。
 同時に、自分が劣っていることを認めて、人をねたましく思う
 気持のこと。
              (講談社 日本語大辞典を参考)

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

1 秋暮るる月なみわかぬ山がつの心うらやむ今日の夕暮
           (岩波文庫山家集89P秋歌・新潮489番) 

2 つま恋ひて人目つつまぬ鹿の音をうらやむ袖のみさをなるかな
          (岩波文庫山家集147P恋歌・新潮602番) 

3 我が袖の涙かかるとぬれであれなうらやましきは池のをし鳥
          (岩波文庫山家集148P恋歌・新潮608番)

○月なみわかぬ

 (月なみ)は月次、月波のこと。
 (わかぬ)で、月の推移など関係なく・・・という意味になり
 ます。秋が終わって冬が始まろうが、これまでと同じように自然
 な気持で生活するということです。
 新潮版では「月なみ分くる」となっています。(わかぬ)の方が
 ふさわしい気がします。

○人目つつまぬ

 (つつまぬ)は(包む)ではなくて(慎む)のこと。
 (つつまぬ)で、人の目もはばからず、気にすることもなく
 という意味になります。

○みさをなるかな (66号既出)

 (操=みさお)のこと。志操という言葉が思われますが、
 (みさお)には、いつもと変わらない不変の気持や態度のことを
 も指す意味もあります。

○ぬれであれな

 濡れないで欲しいということ。

○をし鳥

 カモ科の水鳥。翼長20センチほど。雌は地味な暗褐色であるが、
 雄の冬羽はとても美しい。水辺の森に住み、カシ・シイなどの
 実を好む。繁殖期には雌雄つがいで生活。仲の良いことで有名。
             (講談社 日本語大辞典を参考)

(1番歌の解釈)

 「今日のこの夕暮れで秋が終わる。この悲しさと無関係に生きて
 いる山人の心が今日はとっても羨ましい。」
                (和歌文学大系21から抜粋)

(2番歌の解釈)

 「牝鹿を恋い人目もはばからず鳴く鹿の音を聞くにつけ、羨まし
 く思う自分の袖はいつもと同じでおられようか、とても無理で
 涙に濡れることである。」
       (新潮日本古典集成山家集から抜粋)

(3番歌の解釈)

 「私の袖には涙がこのようにあると言わんばかりに濡れるなんて
 いやだな。同じ濡れても池の鴛鴦のようなら仲がよくて羨ましい
 のだが。」
                 (和歌文学大系21から抜粋)

【うれ】

 植物の枝の先端のこと。(末)の字を当てて(うれ)と読みます。
 「末葉」で(うれは)または(うらは)と読みます。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

1 山里の人もこずゑの松がうれにあはれにきゐる時鳥かな
          (岩波文庫山家集46P春歌・新潮1448番)
    
2 誰がかたに心ざすらむ杜鵑さかひの松のうれに啼くなり
  (岩波文庫山家集263P残集・西行上人集追而加書・夫木抄)
      
○人もこずゑの

(人が来ず)と(梢)を掛けています。私見ではちょっと不自然
 な、洗練されていない掛けことばだと思います。

○きゐる

 (来て居る)を縮めた言葉。

○誰がかたに
 
 「たがかたに」と読みます。どちらの方に・・・という意味。

○心ざす

 「心指す」で、心を向けること。好意を示すこと。

○杜鵑

 (ほととぎす)と読みます。郭公、子規、呼子鳥、死出の田長、
 時鳥などと漢字表現はいくつかありますが、すべて(ほととぎす)
 と読みます。
 これは松本柳斎の(山家集類題)でも上記の漢字表現をとって
 おり、岩波文庫山家集は類題本にほぼ忠実といえます。
                     (62号既出)

(1番歌の解釈)

 「誰も来てくれないのに待っている山里の松の梢に、あわれ深い
 ことに来て鳴いている郭公であるよ。」
(新潮日本古典集成山家集から抜粋)

(2番歌の解釈) 

 「時鳥は一体誰の方に心を寄せているのだろうか。隣り合う家の
 境の松の梢で鳴く声が聞える。」
                (和歌文学大系21から抜粋)

【嬉しがほ】

 いかにも嬉しそうな顔のこと。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

1 ま菅おふる山田に水をまかすれば嬉しがほにも鳴く蛙かな
     (岩波文庫山家集39P春歌・新潮167番・西行上人集・
      山家心中集・風雅集・御裳濯集・月詣集・宮河歌合)  

○ま菅

 (ま)は(真)の字を当てます。本当の、本物のという意味を
 表します。真砂、真弓などと同じ用い方です。
 (菅)はカヤツリグサ科のスゲの総称です。高さは1メートル
 程度。葉は細長いために笠や蓑の材料として使われてきました。
 近年、班入りのスゲを見かけますが、それは観賞用としての園芸
 種です。

○おふる

 (生ふる)で菅が生えているということ。

(1番歌の解釈)

 「真菅が生えた山田に水を引いたので、蛙がうれしそうに鳴いて
 いる。」
                 (和歌文学大系21から抜粋)

 「(がほ)歌について」(40号・66号既出)

(がほ)のフレーズの入った歌は西行が好んで詠んだ歌とも言え
ます。
                  
いひがほ・恨みがほ・嬉しがほ・かけもちがほ・きかずがほ・
たより得がほ・つけがほ・告げがほ(2)・所えがほ・ぬるるがほ・
見がほ・見せがほ・もりがほ・わがものがほ、かこち顔。

以上15種類、16首あります。
源氏物語にも「○○がほ」という記述はたくさんありますから、
西行の「がほ」歌はあるいは源氏物語の影響なのかもしれません。

【雲林院】 (山、235)

 西行の見た雲林院は現在はありません。現在、大徳寺の少し東南
 の北大路大宮下るにある雲林院は、1700年始め頃に大徳寺の塔頭
 (たっちゅう)の一つとして建てられたものです。

 もとの雲林院の創建は830年以前と伝えられ、823年に即位した
 第53代天皇の淳和帝の離宮としてのものです。その頃は紫野院と
 呼ばれていましたが、832年に雲林亭と改称され、歴代天皇の行幸、
 遊園の記録が残されています。
 次いで仁明天皇の第七皇子の常康親王に伝領されて雲林院と改め
 ました。この常康親王は雲林院の皇子(みこ)と呼ばれ、古今集
 に一首のみ入集しています。
 親王は869年2月に出家して同年5月に没しています。出家を機に
 寺に改めて、僧正遍昭が管理するようになりました。
 この頃の雲林院の寺域は船岡山の東一帯を占め、東西、南北とも
 に73丈(220メーターほど)と記録されています。
 
 その後の雲林院は900年末に境内に念仏寺が建てられ、菩提講が
 盛んになりました。西行の時代に東山鹿ケ谷事件に連座した大納言
 成親卿の北の方が隠棲したと平家物語巻の一に記述のある場所も、
 この雲林院の菩提院です。1177年のことです。菩提院は現在の
 大徳寺の敷地内にあったということであり、大徳寺そのものが
 雲林院の中に建てられた一院でした。
 その後の雲林院は応仁の乱ですべて灰燼に帰したということです。
             (平凡社「京都市の地名」を参考)

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1 これや聞く雲の林の寺ならむ花をたづぬるこころやすめむ
            (岩波文庫山家集235P聞書集・夫木抄) 

○これや聞く

 かねてから聞き及んでいた、ということ。

(1番歌の解釈)

 「これがかねて聞く雲林院という寺なのだろう。花の名所のこの
 古寺で花を尋ねて焦慮する心を休めるとしよう。」
                (和歌文学大系21から抜粋)

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◎ この世をば雲の林に門出してけぶりとならんゆふべをぞ待つ
                 (良暹法師 千載集1124番)

◎ むらさきの雲の林を見わたせば法にあふちの花咲きにけり
                  (肥後 新古今集1930番) 

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