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  西行辞典「後記」特集
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11号  2006年2月06日

「西行辞典」第11号をお届けします。

季節は移って節分も立春も過ぎ去りました。季節の移ろいとともに
少しずつ暖かくなるかと思えば決してそうではなくて、この二日
ほどは今冬一番の寒さのようでした。昨日の昼頃に外に出てみて、
水溜りの氷が二センチほどの厚さになっていたのには驚きました。
まだまだ寒さの最中です。
ことに寒さのきびしい地方にお住まいの方は、お気をつけてくだ
さい。

新年早々に患った風邪がまだ抜けません。山家集の200ページにも
風邪のために寝込んだという詞書と歌があります。インフルエンザ
はともかくとして、風邪は大昔からあったものでしょう。
皆様も風邪を引かないよう、ご自愛願いあげます。

12号  2006年2月11日
京都では、幾分、日も長くなったように感じます。暖かいと思う
日もあって、浅いけれども春の息吹を感じます。春はすぐそこに
まで訪れていることを実感させます。
でも北の地方ではまだまだ冬のさなかでしょう。激しい吹雪に
見舞われ、虎落(もがり)の笛が荒涼とした光景の中で、鳴り
渡っている日もあることでしょう。実際に生活するには過酷な
条件にあり、大変な日常であると思います。
他方、南の方からは緋寒桜が咲き始めたというニュースも入って
います。なんだか、うれしくなる便りです。
南の地方は春を先取りするということになり、同じ日時における
季節のありようの違いに、いまさらながら日本は南北に長い島国
であるということを思い起こさせます。

今年の冬は、しもやけと、いつまでたっても抜けない風邪に困り
ました。それだけに暖かくなることを待望しますが、とはいえ、
冬という季節の情趣もまた捨てがたいもの、とても魅力のある
ものだと自覚しています。

これから「西行の京師」10号に取り掛かります。「西行辞典」
13号の発行は三月に入ってからになります。

13号  2006年3月12日

13号をお届けします。
ずいぶんと暖かくなりました。梅も盛りを迎えています。
9日に梅で有名な梅宮神社に行きました。紅梅、白梅ともに満開の
木があり、楽しませていただきました。でもまだまだ蕾の木も
多くて、来月中ごろまでは楽しむことができるでしょう。

梅も品種改良が不断にされているのか、たくさんの種類がある
ことに驚きます。紅梅という言葉でひとくくりにしても、花の
色合いはさまざまですね。深紅、紅、茜色、エンジ色、緋色、
薄紅色と、木により種類により違いがあります。

梅宮神社の庭園はまだ冬枯れの渦中にあるという感じでした。
植物がいっせいに匂いたってくる来月初め頃になると、また
違った表情を見せることでしょう。桜の木もそこそこにあります
から来月の初め頃にも再訪してみるつもりです。

14号  2006年3月18日

先日15日は旧暦の2月16日。望月(満月)といえば、むろん西行忌
です。1190年没でしたから816年遠忌ということでしょうか。
桜が無いのが残念でしたが、いずれは桜のある西行忌もあることで
しょう。桜を手向けて、心ひそかに、弔いたいものと思います。

桜の前によく降る雨がしとしとと降っています。これも西行のいう
時雨でしょう。一雨ごとに春めいていくことが実感されます。
桜の枝もまだ枯れ枝のままの風情ですが、蕾は心なしか膨らんで
います。
高知県ではソメイヨシノの開花宣言も出ました。京都は28日という
ことです。それから一週間ほどで満開を迎えますから来月四日ごろ
が満開でしょうか。少しずれて9日頃に満開になってほしいものです。
ともあれ、今年も桜と出会えることを今から心待ちにしています。

今号はきわめて短いものになってしまいました。それもまあ仕方あり
ません。私にとっては楽と言えば楽でした。苦あり楽あり。いつも
その連続ですが、自分に課した責務ですから、今後も精一杯頑張り
ます。
次回15号は来月末頃の予定です。

15号  2006年4月22日

四月もすでに下旬。長く、カレンダーとは同調しない生活を送って
いると、ゴールデンウイークそのものにも疎くなってしまって、
つい先日、ああー、もうそんな季節だなーと、気が付く始末。

今年の桜の開花状況は良かったのかどうか・・・それぞれの桜の
樹がそれぞれに、この一春を精一杯に咲き誇るのを見ることが
できるのはうれしいことに違いありません。
西行の時代のように山桜が主な桜ではなくて、現在はさまざまな
種類の桜が楽しめます。京都では八重桜や黄桜は今が盛りでしょう。
仁和寺のお多福も顔を膨らませて、愛嬌を振りまいているはずです。
なんと、拙宅のすぐ近くの桜の樹はまだ蕾です。種類は分かりま
せんが花弁は普通の山桜に似ています。例年、遅い開花なのです
が、今年は開花が普通の年より10日は遅いでしょう。これも開花が
楽しみです。
今年は近くの桜、花園の法金剛院、そして御室仁和寺、思いがけず
も行った東京の上野あたりの桜・・・と、いろいろ私なりに今年の
桜を十分に楽しめたと思います。

薫風とか陽春とかいう言葉が似合う季節です。いい季節です。

16号 2006年4月26日

はじめから分かりきっていることですが、いちいち詞書や歌も合わ
せて紹介している以上は、重複する部分がたくさん出てきます。
一度紹介した言葉を何度も書くことにもなります。しかしながら
重複を恐れずに、必要がある場合は何度でも書くようにするという
姿勢で号を進める予定です。ご諒解願います。

できるだけわかりやすくなるような形での記述も心がけますが、
内容の性質上、これが限界かも知れません。

最近はめったにないことですが、文庫の小説を読みました。
「ワイルド・ソウル」垣根涼介氏著、幻冬舎発行です。
この4月15日に初版が発行されたばかりです。大藪春彦賞、吉川英治
文学新人賞、日本推理作家協会賞の三賞を受賞したそうです。
ブラジル移民政策というこの国の国家の犯罪を扱っていながら、
決して重いばかりではない構成であり筆致です。
久しぶりに時間を忘れて読了したという思いです。

17号の発行は来月末か6月に入ってからとなります。

17号  2006年5月23日

なんということでしょう。五月だというのに五月晴れの日は数える
ほどしかなくて、もう入梅したかのような天候です。
そんな日々にあって過日、21日は初夏の陽光でしたので、西山の麓
まで自転車を走らせました。

近くに「竹林公園」があり、これまでにも何度か訪ねているのです
が、今回はじめて「テイカカズラ」に気がつきました。白い花が
たくさんついていました。
白い花弁からは清楚な印象を受けます。藤原定家の、陰湿爺さん
みたいなイメージとは、あまりにもかけ離れている気がします。

金春禅竹によって室町時代中期に成立した能に「定家」があります。

式子内親王の墓所を覆い尽くすようにツタが絡まっていて、その
ツタは式子内親王を想う定家の情念が乗り移ったものとして、恋
物語とでもいうか、男女の妄執を演出した能です。この能が成立
した頃には、このツタは定家蔓と命名されていたものでしよう。
定家の明月記には晩年の式子内親王を見舞ったという記述があった
と記憶しています。だからそれなりに親しい間柄であったのは事実
でしようけど、実際には身を焼くような恋情に捉われていたはずも
ないと思います。

玉の緒よ絶えなば絶えねながらへば 忍ぶることの弱りもぞする
               (式子内親王 百人一首第89番)

久しぶりに大原野神社と勝持寺にも行きました。柔らかな緑の中で
のんびりとした時間を過ごしました。

18号  2005年5月31日

誘ってくれる人があって、28日の日曜日、バスツアーで福井県に
行ってきました。なんと午前5時半起床。いつもなら白河夜舟の高
いびきの時刻です。
四時間と眠らずに・・・ということは老境に指しかかった私には
少々きついことでしたが、久しぶりの非日常は新鮮でした。
20歳そこそこの頃に室生犀星の関係でしばしば金沢を訪ねました。
その延長で内灘、越前三国、東尋坊、越前岬、敦賀と海岸沿いを
旅したことがあります。35年も前のことです。内灘は五木寛之氏、
三国は三好達治氏、東尋坊は・・・、越前岬は・・・と、それぞれ
に若い時代の感慨を持って訪ねたものでした。

雨もよいの一日で、越前岬に着いた頃は雨足も激しくてバスの中
からの見物でした。
今回の合併で越前市となったらしい味真野に着いた16時頃には雨も
上がっていて、味真野苑を散策しました。思っていたよりも良い
所で楽しめました。万葉集の相聞歌で有名な中臣宅守が左遷(配流)
された所だとは知りませんでした。万葉集所収の宅守の歌を一首。

塵泥(ちりひぢ)の数にもあらぬ我ゆゑに思ひ侘ぶらむ妹がかなしさ

「味真野苑」で検索したら見つかりますので、興味のある方は、ご
自分でお調べ願います。
中学校名も、なんと万葉中学校。すごいネーミングです。やりすぎ
の感はありますが、中学生たちが和歌に興味を持っていただければ、
うれしいことに違いありません。

次号の19号は7月に入ってからの発行となります。

19号  2006年6月23日

「天の川」の歌は近衛家の陽明文庫の新潮版山家集には記載されて
いません。岩波文庫山家集と御裳濯川歌合にあります。この組み合
わせは私には不思議なことでしたので岩波文庫山家集の底本である
松本柳斎校訂の山家集類題を見ると、採録されていました。つまり、
類題(版本)にあって近衛本(写本)にない歌ということです。
これはどういうことなのか興味のあることです。歌自体は伊勢在住
時代よりもかなり以前に詠んでいて、それを御裳濯川歌合に採録
したもののはずです。

ちなみに少しではありますが、岩波文庫山家集と新潮版の山家集と
の比較をしています。

http://sanka05.web.infoseek.co.jp/sankasyu4/hikaku.html

いよいよ梅雨らしい気候になりました。
食中毒のシーズンでもあります。水害とともに気を配らなくては
なりませんが、なにごともなくこの季節をやり過ごせれば良いと
思います。
ちょっと時間的に余裕がなく、また体調面も勘案すれば、20号の
発行は来月になるだろうと思います。

20号 2006年6月30日

少し早いですが今号は天の川伝説を踏まえた「天の川・たなばた」
などに触れるという巡り会わせとなりました。
中国を発祥とする七夕伝説は600年代に日本に渡来して、天平の時代
(700年初期)には牽牛星と織姫星の二星を祀るようになったと
いうことです。734年7月には聖武天皇が七夕の詩を作らせる・・・
と、日本史年表にあります。

以来、いろいろと脚色されながら七夕の風習は現在にまで続いた
ものでしよう。仙台七夕などは有名なイベントですね。

7月7日当日には家々の門口に短冊の結ばれた竹を見かけることが
あります。私も幼年の頃に父が山から伐ってきた竹に、願い事の
言葉を何かしら書いて結びつけたことをかすかに覚えています。
さて何を書いたのか、もちろん覚えてはいません。「勉強ができる
ようになりますように・・・」などの類だろうと思います。
私の願い事は一つでもかなったのでしようか・・・?

本日6月30日は夏越、明けて7月2日は半夏生、11日は望月、17日は
祇園祭。祇園祭の頃には梅雨も明けて、暑い夏の到来です。

先回19号の「天野・能因」の項で記述ミスがありました。「小曾部」
は「古曾部」で、(小)は(古)の誤りです。お詫びして訂正します。
ご指摘していただいた方にお礼申し上げます。

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