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私家集 02
横断歩道という歌誌に載せていただいた歌をここに発表します。
自分で詠むようになって、歌はやはり難しいと思います。言葉が
立ち上がらないことにいつも往生しています。
111 朝ごとに奇跡のように目覚めいる飲む水うまし年はふれども
112 しんとして淡き声聞く暁闇に今日もまた過ぐ秋の愛しさ
113 ひたひたと足音高く迫り来るしばし待て我が命運の刻
114 籠もれいる熱をも継ぎて解き放ちしどろに乱る恋などをして
115 彼岸花咲ける盛りの頃なれや思いも赫し長月の日々
116 道の辺に焔の如き花ありてあやかしの夢まどろみて見る
117 姨捨の田ごとの実りきらめきて姥ひとりなく月も眠れり
118 秋の日は秋をはるかに晴れ渡れ黄金の稲穂さやかに揺れる
119 雨雲の晴れぬみ空の姨捨よ恨み買いしか我が来し方に
120 ひととせをまたひととせを生きぬらん香りも高く雄々しくあれと
121 凡庸もまた中庸も我が物と重ね来たりて六十路になりぬ
122 紅の深きもみじに言とはんひととせ閲す重さ軽さを
123 もみじ葉は秋の終りの晴れ舞台あまくせつなくただにいとしく
124 はつふゆにおちこち訪ね紅葉見る務めのように習いのように
125 ふつふつとたぎる思ひをあらはして木々のまにまに紅こぼれおり
126 この年も樹々は色づく我が内の深き緑の湖沼の中に
127 渡猿橋異界に続く橋渡り険しき道を愛宕の嶺に
128 垢離もせで年に一度の愛宕さん旅の重さを思いては行く
129 木洩れ日の差しくる道をゆるゆると歩けば時もゆるやかに過ぐ
130 山道は枯葉の色に埋もれてひそけく過ぐる秋の足音
131 日めくりを破り続けて年終わる想いを乗せて一年が行く
132 つごもりの日の一枚を破る身に慙愧の獣押し寄せてきて
133 常の日と変わりなき日の一日を元旦ゆえに寿ぎてみる
134 新しき年も中古の気さえしておぼつかなくはわが寿命かな
135 宙も地もすでに色あせかしらには薄き衣の雪しありなば
136 冬の日を引き篭もりおり我が庵に集金人が訪ねてくるよ
137 空の青まぶしくありて人々の行く道の辺も時は流れて
138 慟哭を秘めて楽しく語りおり病みいる父は余命二か月
139 南天の赤き写真を病床に終りに臨む心満たせと
140 日めくりは悲しみに満ち充ちていて破れば重く我が身に届く
141 淡き陽の光とどめるひつじ田に青き草々競いて茂る
142 群青の海の匂いを身に宿し明日なき日々を戦う彼は
143 ほころびる紅き飛梅海越えて菅公に往け紅きほむらよ
144 濃い赤の血の橋ありて歩きおり古き橋をば踏み台にして
145 ひたすらに黄色に身をば染め上げて紋黄蝶飛ぶけだるき午後に
146 菜の花の黄のいろどりに酔いもせず急いで人は黄泉路をたどる
147 夏の日は意識さえをも溶かしおり溶かされてある白い寧日
148 白き身に黒き衣を重ね着て列なし行くか群れに混じって
149 籬にて咲けるサザンカうす紅のひとひらごとに落ちる不思議さ
150 酒飲みてほんのりピンクのかんばせに常世の国の安逸想う
151 立ち枯れていそうな冬のはだか木の寂寥虚空に満ち充ちてある
152 氷雨打つ裸の幹に手を添える花のいとなみ指に感じて
153 虫も出る陽もさんざめくこんな日は花の知らせを待ちこがれけむ
154 桜咲く便りを受けば血が騒ぐたかが花にと自嘲しつつも
155 かねて見し花を偲びて暮らしおり待たれる花に心浮かれて
156 爛漫の春に心を預けおり酔いのまにまにおちこちの花
157 ひらひらと梢離れて舞いおれり吉野の奥のひとひらの魂
158 ひとひらに終わりつつある命の火父よあなたを思いては見む
159 我がせなに父を背負いて歩き来て共に見たしや吉野の花を
160 浮遊するただ浮遊する人と花わずかの刻を空を埋めて
161 連休は帰って来いよのメールあり八十六歳の父のシグナル
162 浦々を架け渡したる橋通り列車に乗せて心が走る
163 医師の言う三月までにを裏切りて父は笑顔を振りまいていて
164 郷里にも郷里の緑あふれおりなじんだ緑妙にまぶしく
165 若葉萌え沸き立つ命そのままの樹々の緑を我が内に汲む
166 こいのぼり天(あま)と海(あま)とのあわいより生まれ出で来て碧空泳ぐ
167 共に行く祖先の墓に参りいて父も私も言葉忘れて
168 係累は海と空とに抱かれおり永久(とわ)の眠りを墓石に閉じて
169 父よあああなたもすぐにここに入る深い皺にも悩み見えねど
170 我もすぐここに入るよ次の世も父よあなたは私の父だ
171 病むことに疲れ果てしか昏睡の君を照らして陽射しの豪奢
172 水無月の陽はさんさんと輝きて君は今際のきざはし登る
173 六月の十九の日にて終りなむ海の男の君の一期が
174 潮焼けのかんばせかたもなきままに閉じいる口に飲み水受ける
175 温かな白き骨をば拾いおり命を脱いだ君の真実
176 補陀落を目指して艪をば漕ぎ出でぬ君は旅立つ常世の国へ
177 一人乗る波のまにまを行く舟はやがては沖のしじまに消えて
178 潮騒を聞いて生まれてたまさかを生きて潮騒聞いて終わりぬ
179 ありし日のほほえむ遺影語りおり走馬の灯り飛び過ぎて行く
180 君が逝き我は命を呼吸するうしろめたきは我が命かな
181 漆黒の闇のまにまに揺られおり眠れるカモメほのかに白く
182 東雲の空に光のきざしして陸風淡く闇を剥ぎゆく
183 山の端に出でる朝陽は海を染め光の道は慈愛に満ちて
184 夜さり舟なぎたる海を切り開き朝日従え港に帰る
185 青きまま静まりわたる海原を影絵のように舟は過ぎ行く
186 午後七時灯もなく邑は沈み行く明け暮れ過ぎる無期の営み
187 過疎進み山は里にと降りてきて媼翁を捕まえてある
188 椎の実を拾う子もなく炒る母もなくなり邑は過疎のただなか
189 寒村に道路ばかりは都会風行き交う車まばらなれども
190 都会には満ちあふれする人の波邑は少子化先取りをして
191 ぼくに今日見えない橋ができていた渡らなくてはならないようだ
192 何故に橋疑念が渦を巻くけれど命じる声にせかされてある
193 ためらいの気持を抑えこころ決め身を乗り出してこの橋を行く
194 常にする覚悟が人を造るものそれでも胸に不安がよぎり
195 生かされてあるまま生きるその中で行くことのわけ問いつつ渡る
196 眼を上げる風と触れ合うこれまでと違った風景が見えてきて
197 なんとなく一つのことが過ぎ去ってあとで気がつく新しい意味
198 旅立った人を柱に掛け渡す見え隠れする係累の顔
199 長い橋有像無像の一切を知らしめ過ぎる走馬のように
200 渡るごとあふれしみ入り判りえるぼくだけの橋渡る定めの