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西行辞典  あさ

 あい〜あか   あき〜あこ   あさ   あし   あす〜あち   あな

項目
朝がほの花・朝がほの露・あさくら山・浅茅・あさぢふの露・あさづま舟・
あさひこの玉・朝日山・あさぼらけ・浅間・


【朝がほの花】 (山、189)【朝がほの露】 (山、212)

1 つゆもありかへすがへすも思ひ出でてひとりぞ見つる朝がほの花
            (岩波文庫山家集 189P 雑歌)

2 はかなくて行きにし方を思ふにも今もさこそは朝がほの露
           (岩波文庫山家集 212P 哀傷歌)

○つゆもあり
 朝顔の花に露が留まっている実景表現と、露が象徴する
 「はかなさ」を同時に表しています。
 新潮版では「つゆもありつ」と初句字余りです。
 
○朝がほの花
 朝に咲いて夜には萎むところから、人生の無常観を仮託させる
 ための代表的な花。
      
○行きにし方
 新潮版では「過ぎにし方」と表記。過去のこと。来し方。たどって
 きた人生のこと。

○朝がほの露
 朝顔の花にある朝露のこと。朝顔も露も共に人生の短さ、
 はかなさの例えとして用いられている言葉です。
        
 (2の歌の解釈)

「はかなく行ってしまった過去を思うにつけても、この現在もまた
 同じように無常である。はかなく消える朝顔の露のように。」
               (和歌文学大系21から抜粋)

 (朝顔)

現在の朝顔は平安時代に中国から渡来したものと言われます。平安
末期の歌人である西行の朝顔歌は現在の朝顔を詠んだものと考えて
差し支えないと思います。それ以前の、たとえば万葉集などにある
朝顔はキキョウとかムクゲのことだと言われています。

◎ ありとても頼むべきかは世の中の知らするものは朝顔の花
                 (和泉式部 和泉式部集)

◎ はかなさをまづ目の前に知らするは籬の上の朝顔の露
                     (相模 相模集) 

「知らず、生れ死ぬる人、何方より来たりて、何方へか去る。
また、知らず、仮の宿り、誰が為にか心を悩まし、何によりてか
目を喜ばしむる。その主と栖と、無常を争ふさま、いはば朝顔の
露に異らず。或は露落ちて、花残れり。残るといへども、朝日に
枯れぬ。或は花しぼみて、露なほ消えず。消えずといへども、夕
を待つ事なし。」
             (鴨長明「方丈記 三」から抜粋)

【あさくら山】 (山、224)

1 めづらしなあさくら山の雲井よりしたひ出でたるあか星の影
             (岩波文庫山家集 224P 神祇歌)

この歌は「あか星」の項ですでに記述していますが「あさくら山」
について少し詳述するために再度取り上げます。

○あか星
 あけの明星のこと。金星を指しています。

○あさくら山
 九州筑前の国の歌枕。朝が暗いという意味で朝倉山の名詞が
 使われています。

○雲井
 空のこと。雲のあるあたりという意味。

○したひ出で
 神楽歌を慕って金星が姿を見せたかのように。

朝倉山とは九州にある山を指す場合と、神楽歌の「朝倉」を指す
場合とがあります。この歌にある詞書は「神楽歌二首」ですので、
神楽歌の「朝倉」を念頭にしているといえます。
神楽歌には別に「明星」もあり、この西行歌は「朝倉」よりも
「明星」に拠っていると言えるでしょう。「明星」は夕方から
始まる神楽が次第に進行して、実際の明星が出る頃に奏される
とのことですから、歌意と合致します。

   (歌の解釈)

「珍しいことよ、朝倉山の雲の辺から神楽歌にひかれ慕い出たかと
 思われる明星の姿が見える。」
                (新潮日本古典集成から抜粋)

◎ 朝倉や木のまろ殿にわがをれば名のりをしつつ行くは誰が子ぞ
                   (天智天皇 新古今集)

◎ ほととぎす雲のよそにや過ぎぬらむ朝倉山の夜半の一声
                    (俊成女 俊成女集)

【浅茅・あさぢふの露】 (山、40、52、74、193他)

1 あとたえて浅茅しげれる庭の面に誰分け入りて菫つみけむ
                 (岩波文庫山家集 40P 春歌)

2 かき分けて折れば露こそこぼれけれ浅茅にまじる撫子の花
                 (岩波文庫山家集 52P 夏歌)

3 浅茅はら葉ずゑの露の玉ごとに光つらぬる秋のよの月
                 (岩波文庫山家集 78P 秋歌)

4 秋の色は枯野ながらもあるものを世のはかなさやあさぢふの露
                 (岩波文庫山家集 192P 雑歌)

「浅茅」の歌はたくさんあります。上の四首のみ紹介して、以下は
岩波文庫山家集からページのみを抜粋します。

浅茅  40、52、74、78、185、186、213、85(詞書)

あさぢ 57、186、241

浅ぢ  208

茅   40、52、248(茅巻馬)

かや  97

をがや 49、173(?)

苅萱  63、147 

かるかや 61

つばな 40(二首)
   
○あとたえて
 普通は継承する血筋の人がいなくなって・・・と思わせますが、
 ここでは、訪れる人もいなくなって・・・という意味。

○浅茅
 イネ科チガヤ属。丈の低いチガヤ(茅萱)のこと。または、まばらに
 生えているチガヤのこと。

○あさぢふ
 浅茅生。チガヤの生えているところ。チガヤが茂っている状態のこと。

○をがや
 小さい茅のこと。173ページ歌の「をかや」についてはよくわかりません。
 「岡屋」という地名説もあります。

○かや
 ススキの別名。チガヤ、スゲ、ススキなどの屋根葺きの材料とした
 植物の総称。

○かるかや
 イネ科の植物でメガルカヤ、オガルカヤ、メリケンカルカヤがあります。

○つばな
 チガヤの花穂のこと。

山家集に登場するイネ科の植物は笹、竹、篠、稲、麦、蘆(芦、葦)
ヨシ、荻、茅、苅萱、薄などがあります。
このイネ科の植物については、どの植物がどういう名称なのか、
私には具体的によく分かりません。
それでも私の中ではススキとカヤは別物ですが、辞書によると
ススキはカヤの別名とのことです。

浅茅は万葉集にも詠まれていますが、多くの場合、秋が深くなって
チガヤの色の変わる頃に詠まれました。つまり、秋歌としてです。
秋とは関係なく、「浅茅原」「浅茅生」と詠まれる時は、荒れ果て
た、うら寂しい光景の意味で用いられ、「浅茅が露」では、細い葉
にかろうじて露が留まっていることの不安定さ、落ちやすく、消え
やすく、はかないものということで、人生のたとえとして詠まれて
います。

(3番の歌の解釈)

 浅茅原 葉末の露の 玉ごとに 光つらぬく 秋の夜の月

「浅茅原では、葉末に結ぶ露の玉ひとつひとつに秋の月が宿り、
 その光は露を貫いているように見えるよ。」
              (新潮日本古典集成から抜粋)

◎ 浅茅原見るにつけてぞ思ひやるいかなる里にすみれ摘むらん
                 (和泉式部 和泉式部集)

◎ あと絶えて浅茅が末になりにけりたのめし宿の庭の白露
                 (二條院讃岐 新古今集)

◎ たのめこし言の葉ばかり留め置きて浅茅が露と消えなましかば
                (よみ人知らず 新古今集)

◎ いとどしく虫の音しげきあさじふに露おきそふる雲の上人
                    (源氏物語 桐壺)

【あさづま舟】 (山、169二首)

1 おぼつかないぶきおろしの風さきにあさづま舟はあひやしぬらむ
               (岩波文庫山家集 169P 雑歌)

2 くれ舟よあさづまわたり今朝なせそ伊吹のたけに雪しまくなり
               (岩波文庫山家集 169P 雑歌)

○いぶきおろし
 伊吹山地(主峰は伊吹山)から吹き降ろす風のこと。伊吹山の標高は
 1377メータ。現在の滋賀県の北東部にあります。

○あさづま舟
 朝妻舟。古代から近世初頭まで琵琶湖北東岸の朝妻港(現在の滋賀県
 米原町付近)と大津港を結んだ渡し舟をいう。東国と畿内を行き来した
 旅人が、陸路をとらない時に利用したもの。実際に遊女を乗せた朝妻舟も
 あったらしいです。
 「妻」という名詞があることによって、謡曲の「室君」では、遊女を乗せる
 舟とされています。
  
○あひやしぬらむ
 遭うのかも知れないなーという想像、推量の言葉。
 「・・・しぬらむ」は西行歌に四首あります。新潮版では「・・・しぬらん」です。

○くれ舟
 「榑=くれ」とは山出しの板材を指します。平安時代の規格では長さ十二尺、
 幅六寸、厚さ四寸と決まっていました。(広辞苑 第二版)
 山から切り出したばかりの材木との説(新潮版山家集)もあります。
 その「くれ」を積んで運ぶ舟のことです。

○あさづまわたり
 朝妻港を起点に他の港に舟で渡るということ。

○今朝なせそ
 (今朝な寄せそ)の略で今朝は寄港したらダメです、という希望なり
 警告なりの言葉。

○雪しまく
 (しまく)は(風巻く)の文字をあてています。新潮版では(し)は(風)の
 古語とあります。「雪しまく」で雪と風が激しいさまを表し、吹雪のことです。

  (2の歌の解釈)

「くれ舟よ(皮付きの材木、榑を積んだ舟)朝妻の渡りを今朝は
 渡るなよ。伊吹山に雪が激しく吹きまくるようだ。その風で航海
 は危険だよ。(くれ と あさ と対照させている。)
         (渡部保氏著「西行山家集全注解」から抜粋)

◎ 子らが名にかけのよろしき朝妻の片山崖に霞たなびく
                 
という柿本人麻呂詠という歌が万葉集巻十にあります。この歌は現在
の奈良県御所市の「朝妻」と見られています。近江の「朝妻」も
古く、日本書記に記述のある地名です。
米原町には朝妻神社があります。

◎ 恋ひ恋ひて夜はあふみの朝妻に君もなぎさといふはまことか
                 (藤原為忠 新続古今集)

【あさひこの玉】 (山、82)

1 光をばくもらぬ月ぞみがきける稲葉にかかるあさひこの玉
               (岩波文庫山家集 82P 秋歌)

(あさひこの玉)
新潮版では「朝日子の玉」という文字をあてています。そして
「子」は親愛の情を示す接尾語とのことです。
朝日子とは朝日のことであり、玉とは露を意味します。
稲の葉に宿り、朝日を浴びてきらきらと輝いている露を「あさひこ
の玉」という、しゃれた呼び方をしています。 

  (歌の解釈)
「清澄な月が一晩中照らし続けて光を磨きあげたのである。稲葉
 の上に朝日を浴びて煌く露が白玉のように美しい。」
                (和歌文学大系21から抜粋)

「朝日子の玉」は古くには二首のほど用例があるようですが、歌人
たちが普通に用いていた言葉ではないようです。
(稲葉)は因幡の国を掛けた掛詞という説もあります。

◎朝日子や今朝はうららにさしつらん田面の鶴の空に群れ鳴く
                (藤原顕仲 堀川百首)

◎わたの原豊さかのぼる朝日子のみかげかしこき六月の空
                     (賀茂真淵)

【朝日山】 (山、80)

1 天の原朝日山より出づればや月の光の昼にまがへる
              (岩波文庫山家集 80P 秋歌)

○天の原
 高天が原。大空の意味。広々とした場所をいう。 普通は「富士」「空」
 などにかかる枕詞。

○朝日山
 山城の歌枕。「朝日山」という山は多いのですが、この歌では京都府
 宇治市。平等院の対岸にある山のことです。

 (歌の解釈)

「朝日の名を持つ朝日山から出たからであろうか、月の光が昼に
 まがうばかりに明るいことである。」
              (新潮日本古典集成から抜粋)

朝日山は宇治市の歌枕です。この歌は宇治市にある朝日山と
断定していいでしょう。日本古典全書山家集でも新潮版の
山家集でも宇治市の朝日山の歌と明記されています。
  
朝日山には恵心僧都源信(942〜1017)の建立による恵心院が
あります。この恵心院の本尊は弘法大師空海作と言われる
大日如来です。そういう事を考えあわせたら、恵心僧都や
弘法大師、そして仏教なりが、解脱や涅槃に向かって導いて
くれる真如の月の光は燦然と輝いていて、その輝きは昼の太陽の
光にも劣らないことだよ・・・というふうに解釈できます。
おそらくはこの解釈の方が西行がこの歌を詠んだ時の気持に
近いでしょう。
歌自体に非常に重たいものを感じることができます。ですが、
無理にこじつけたりしないで、歌は歌として自然な味わい方を
する方が良いと思います。

◎ 朝日山のどけき春のけしきより八十うぢ人もわかな摘むらし
                 (藤原為家 風雅集)

◎ 紅葉散る山は朝日の色ながら時雨てくだるうぢの川波
               (西園寺公経 続古今集)

◎ ふもとをば宇治の川霧たち籠めて雲居に見ゆる朝日山かな
                 (藤原公実 新古今集)

◎ あさ日山まだ影くらき曙に霧の下行くうぢの柴ふね
                  (柳原資明 風雅集)

【あさぼらけ】 (山、92)

1 難波江の入江の蘆に霜さえて浦風寒きあさぼらけかな
             (岩波文庫山家集 92P 冬歌)

○難波江=淀川と大和川に囲まれて大阪湾に面していた一帯を
     難波といい、そこの海辺を難波江と言います。     

○蘆
 蘆の項で記述。

○あさぼらけ
 朝、空が白々と明るくなる頃のこと。夜明け頃。

 (歌の解釈)

 「難波江の入江は、夜明け方になると、群生する蘆の葉に霜が
 冷たく凍りついて、浦風が寒々と吹きつける。」
               (和歌文学大系21から抜粋)

◎ 明けぬれば暮るるものとは知りながらなほ恨めしき朝ぼらけかな
            (藤原道信 百人一首52番・後拾遺集)

◎ 朝ぼらけ荻のうは葉の露みればややはださむし秋のはつかぜ
                   (曽禰好忠 新古今集)

◎ 朝ぼらけ有明の月と見るまでに吉野の里に降れる白雪
             (坂上是則 百人一首31番・古今集)
   
◎ 朝ぼらけ宇治の川霧たえだえにあらはれわたる瀬々の網代木
             (藤原定頼 百人一首64番・千歳集)

 【浅間】

 群馬県吾妻郡と長野県北佐久郡にわたる標高2588メートルの
 浅間山のことです。現在も活火山として知られています。
 西行の時代も噴煙は立ち昇っていたものでしょう。
 信濃の国の歌枕。恋の思いを噴煙にたとえて詠った恋歌もあり、
 他方、浅間から(あさまし)の言葉を引き出して詠まれた歌も
 あります。

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1 いつとなく思ひにもゆる我身かな浅間の煙しめる世もなく
           (岩波文庫山家集154P恋歌・新潮696番)

○しめる世

 「湿る世」のことです。火山活動が沈静化することなく、という
 意味になります。

(歌の解釈)

 「浅間山の噴煙が衰える時代が来ようとは思われないように、
 あなたに逢いたい思いが火になって私はいつも燃えている。」
                (和歌文学大系21から抜粋)
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