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西行辞典  あし

 あい〜あか   あき〜あこ   あさ   あし   あす〜あち   あな

項目
蘆・あしがら山・味のむら鳥・あぢのむらまけ・あぢ群・あしひき・あしびきの山
あしよしを・芦や・阿闍梨覚堅・阿闍梨兼堅・阿闍梨勝命・網代・あじろの布


【芦の丸屋】 (山、102) → 「蘆・葦・芦」の項、参照。


【蘆】 (山、51 他)

1 舟とめしみなとのあし間さをたえて心ゆくみむ五月雨のころ
            (岩波文庫山家集50P夏歌・新潮220番・夫木抄)

2 露のぼる蘆の若葉に月さえて秋をあらそふ難波江の浦
              (岩波文庫山家集51P夏歌・新潮242番・
               西行上人集・山家心中集・夫木抄)

3 難波江の入江の蘆に霜さえて浦風寒きあさぼらけかな
         (岩波文庫山家集92P冬歌・新潮510番・新拾遺集)

4 津の國の難波の春は夢なれや蘆の枯葉に風わたるなり
       (岩波文庫山家集93P冬歌・新潮欠番・御裳濯河歌合・
                 新古今・玄玉集・自讃歌・物語)

5 霜にあひて色あらたむる蘆の穗の寂しくみゆる難波江の浦
   (岩波文庫山家集93P冬歌・新潮514番・西行上人集・山家心中集)

6 氷しく沼の蘆原かぜ冴えて月も光ぞさびしかりける
               (岩波文庫山家集95P冬歌・新潮520番)

7 津の國の芦の丸屋のさびしさは冬こそわきて訪ふべかりけれ
    (岩波文庫山家集102P冬歌・新潮559番・西行上人集・山家心中集)

8 芦の家のひまもる月のかげまてばあやなく袖に時雨もりけり
               (岩波文庫山家集264P残集02番)

9 いまもされなむかしのことを問ひてまし豊葦原の岩根このたち 
              (岩波文庫山家集261P聞書集263番)

10 波たかき芦やの沖をかへる舟のことなくて世を過ぎんとぞ思ふ
             (岩波文庫山家集172P雑歌・新潮1551番・夫木抄)

○蘆
 イネ科の多年草で、水辺に群生する植物。蘆、芦、芦の文字を当て
 ます。高さ約二メータ。根は漢方薬、茎は「すだれ」などに用いられます。
 「あし」という言葉が悪いということで、「ヨシ」とも言われます。
  「難波の葦は伊勢の浜荻」という言葉もあります。ヨシ、ハマオギ、
 ナニワグサなどは蘆の別名です。
 津の国と葦はセットになっているとも思えるほどに多く詠まれています。

○露のぼる
 露の水分が根から這い登って、葉に至って玉となるという捉え方を
 しています。

○津の国
 旧国名の摂津の国のこと。現在の大阪府の大部分と兵庫県南東部を
 占めていました。
     
○難波
 前述参照。
 淀川と大和川に囲まれて大阪湾に面していた一帯を難波といいます。
 古代は上町台地を除いて湿地帯でした。     

○芦の丸屋(あしのまろや)
 蘆で作った庵のこと。麻呂という一人称にかけていて、寂しさ、わびしさを
 強調しています。この歌から見れば西行は難波にも庵を構えていたのかも
 しれません。

○冬こそわきて
 冬が一番寂しさを味わえるので、冬にこそ訪ねてきてほしい・・・
 という願望。

○芦の家
 蘆で葺いた家(庵)のこと。

○ひまもる
 後述。
             
○豊葦原
 記紀神話にある日本の国名の美称。「豊葦原瑞穂の国」と言います。
 「豊葦原」の項で記述予定。

○岩根
 岩の根のこと。根本、大元の意味。

○このたち
 木の立ち。木立のこと。

○芦や
 地名。当時の摂津の国、現在の兵庫県芦屋市のこと。
 「芦や」の項で記述予定。

(ひまもる)
この恋歌の叙情性を理解するのは非常に難しいことだと思います。
(ひまもる=隙洩る)は、月の光が蘆葺きの蘆の隙間から差し込む
ということ。ただし蘆で葺いた家は隙間がないという意味です
から、それでもなおかつ洩れる・・・ということ。
「月のかげ」を許されぬ仲の恋人の暗喩とみれば、洩れるはずの
ない(差し込むはずのない)月の光が、差し込んできたという、
その感動ゆえに涙が出てきて袖も濡れるということかとも思い
ます。

「津の国のこやとも人をいふべきに隙こそなけれ蘆の八重葺き」
                 (和泉式部 和泉式部集)

いずれにしても8番の歌は、上の和泉式部の歌などを踏まえた上で、
詠まれていることは確実です。

4番の歌は御裳濯河歌合29番と新古今集に採録されています。
西行晩年の作とみられています。御裳濯河歌合での俊成の判は
「幽玄の体なり」と評価していますが、私も西行歌を代表する
傑作の一首だと思います。
後拾遺集にある能因法師の以下の歌が本歌と言われます。

「心あらむ人に見せばや津の国の難波わたりの春の景色を」
              
  (3番の歌の解釈)

「この歌の調子の豊かさは、直接に作者の気息に触れる味わいを
もっている。この気息は、本質的には独白である。そして、独白の
中に難波江の冬枯の自然が生き生きと表現され、髣髴としてくる
感銘が与えられる。人間と自然とが一体となる境地である。対象
として把握されているのは、自然を夢と見ている無常観である。
普遍の自然に季節の推移をみているのであるが、それを見ている
人間は、さらに無常な存在である。」
      (窪田章一郎氏著「西行の研究」569ページから抜粋) 

「やわらかくゆるやゆかにうねる上三句のなかで、ゆたかな過去が
観想され、するどくさびしい下二句のなかで、眼前のしょう状たる
風景が観照されている。各句の最後の音がo・a・a・i・iと
なっていることも、やわらかいうちにも強く沁みとおってくる一首
の調べを形成する上に役立っているであろう。一首全体、人生その
ものを象徴している趣が感じられるのである。」
         (安田章生氏著「西行」234ページから抜粋)
(しょう状の「しょう」は漢字ですが、使えません)

◎ 津の国の難波のあしの めもはるにしげき我が恋 人しるらめや
                     (紀貫之 古今集)

◎ 津の国の長らふべくもあらぬかな短き葦のよにこそありけれ
                    (花山院 新古今集)

◎ 難波江の蘆のかりねのひとよゆゑみをつくしてや恋わたるべき
               (皇嘉門院別当 百人一首88番)

◎ 難波潟短き蘆のふしの間も逢はでこのよを過ぐしてよとや
                   (伊勢 百人一首19番) 

◎ 津の国のまろやは人を芥川君こそつらき瀬々は見えしか
                  (詠み人しらず 金葉集)

【あしがら山】 (山、16)

1 雪とくるしみみにしだくから崎の道行きにくきあしがらの山
              (岩波文庫山家集 16P 春歌)

○雪とくる
 雪溶ける、という意味。

○しみみにしだく
 強く踏みしめながら、という意味。

○から崎
 琵琶湖西岸の地名。大津市唐崎のことと見られています。
 「から崎」は夫木抄では「かささき」となっています。地名
 ではなく「風先き」の意味です。

○あしがらの山
 神奈川県(相模)と静岡県(駿河)の県境にある足柄山のこと。
 箱根外輪山の金時山の北に位置します。更級日記に足柄山の
 遊女の記述があります。 
 松屋本山家集では「あしがらの山」は「しがらきの山」となって
 いて「から崎」とは同じ近江なので距離的に合います。

ゆきとつるしみみにしたくかささきのみちゆきにくきあしからのやま
                   (夫木抄7298番)

この歌は夫木抄にもある歌ですが、不可解な歌です。「から崎」を
滋賀県大津市の唐崎とすれば、神奈川県(相模の国)にある足柄山
とは距離的に整合しません。夫木抄にあるように「から崎」を
「風先」と解釈するのが自然かと思います。
「から崎」とするなら「しがらき(信楽)の山」が合いますが、しかし
唐崎と信楽も少し距離があります。
どちらにしても二つの地名を詠み込むことの必然なり、おもしろさ
なりを感じさせてくれません。

新潮版では以下のようになっています。

雪解くる しみみに拉(しだ)く かざさきの 道行きにくき 足柄の山

 (歌の解釈)
「解けかかった雪をぎしぎしと踏み固めながら足柄峠を越えて
行くが、風上に向かう道はとてもあるきにくい。」
               (和歌文学大系21から抜粋)

同書によると「生涯に二度足柄越えをした可能性があるが、
これは現地詠ではない。」と記述されています。
箱根を往還するには、坂がきついけど近道である南の箱根路と、
ゆるやかだけど遠回りになる北の足柄路があります。
二度の陸奥旅行の往路は冬の季節ではないですし、帰路は東海道
ではなくて東山道をたどった可能性が高いと思いますので、やはり
冬に足柄越えをした可能性はほぼないだろうと思います。

◎ 足柄の関を夜さへ越ゆるかな空ゆく月に駒をまかせて
                   (慈円 拾玉集)

◎ 足柄の山路や今はたえぬらし関の戸深くうづむ白雪
                 (藤原光経 光経集)

◎ 忘られぬ人の面影たちそへどひとりぞ越ゆるあしがらの山
                 (藤原為家 為家集)

◎ ゆかしさよそなたの雲をそばだててよそになしつる足柄の山
                (阿仏尼 十六夜日記)

【味のむら鳥・あぢのむらまけ・あぢ群】 (山、110・248・277)

1 しきわたす月の氷をうたがひてひゞのてまはる味のむら鳥
             (岩波文庫山家集110P羇旅歌・新潮1404番)
 
2 余吾の湖の君をみしまにひく網のめにもかからぬあぢのむらまけ
    (岩波文庫山家集248P聞書集163番・西行上人集追而加書・夫木抄)

3 とぢそむる氷をいかにいとふらむあぢ群渡る諏訪のみづうみ
              (岩波文庫山家集277P補遺・夫木抄)

○しきわたす
 敷き渡す、ということ。月の光が海面をあまねく照らしている
 光景のことです。

○月の氷
 月光を氷のように見立てて、冴え冴えとした光景であることを
 強調しています。

○ひびのて
 魚の捕獲などのために渚近くの浅い海に木材や竹を立て並べ
 ますが、その仕掛けのことを「ひび」といいます。
 「ひびのて」の「て」は仕掛けに用いる用材を指します。

○あぢ
 マガモより小さい「ともえ鴨」のことです。

○むら鳥
 「村鳥」の文字を使うこともありますが「群れ鳥」のことです。
      
○余吾の湖
 滋賀県にある余呉湖のことです。琵琶湖の北にあります。
 賎が岳の古戦場で有名。

○君をみしまに
 君を見ている間に・・・という意味です。「みしま」は
 「三島」の掛詞のようでもありますが、掛詞である理由が
  わかりません。
         
○むらまけ
 語意不明。群れている様を指すのでしょうか。群れがすばやく
 散る様を指すのでしょうか。198Pに以下の歌があります。

 宇治川の早瀬おちまふれふ船のかづきにちかふこひのむらまけ

○諏訪のみずうみ
 長野県にある諏訪湖のこと。

(1番の歌の解釈)
「海上一面に照り輝く月の光のために、氷が張ったのかと疑って
 海面におりずにひびの手の上を飛び廻っているあじ鴨の群よ。」
             (新潮日本古典集成山家集から抜粋)

この歌には下の詞書がついています。

 (讃岐の国へまかりて、みの津と申す津につきて、月のあかくて、
 ひびのてもかよはぬほどに遠く見えわたりけるに、水鳥のひびの
 てにつきて飛びわたりけるを)

「あぢ鴨」という鳥の歌は万葉の家持の歌にもありますが、それ
ほど多くの用例歌はありません。
「味鴨」とは別に「葦鴨」という名詞を使った歌もあります。
これは葦の間にいる鴨ということで使われていますが、「葦鴨」
は「味鴨」とは違う種類の鴨であるのかどうか私にはわかりません。

*蘆鴨のさわぐ入江の水の江の世にすみ難きわが身なりけり
                  (人麿 新古今集)

*あしがもの羽風になびく浮草の定めなき世を誰かたのまむ
             (大中臣能宣朝臣 新古今集)

【あしひき・あしびきの山】 (山、149、238) 

1 あしびきの山のあなたに君すまば入るとも月を惜しまざらまし
         (岩波文庫山家集149P恋歌・新潮627番・西行上人集)
    
2 あしひきのおなじ山よりいづれども秋の名を得てすめる月かな
             (岩波文庫山家集238P聞書集87番)

3 ふかみどり人にしられぬあしひきの山たちばなにしげるわが恋
             (岩波文庫山家集242P聞書集116番)
       
4 あしひきの山陰なればと思ふまに梢につぐるひぐらしの聲
     (岩波文庫山家集274P補遺・西行上人集・御裳濯河歌合・御裳濯集)

○あしひき
 「山」という名詞を出すための枕詞。「あしひき」の解釈は
 諸説あり、本居宣長の説を引くと、「あしひき」は「足引城」
 といいます。「足は山の脚の意味、引は長く引き延べたること、
 城は山の一構えを指し一構えの中の平らな所」を指すようです。

○山のあなた
 山の向こう側。この歌の場合は「憂世」のことであるとも考えら
 れます。

(1番の歌の解釈)
 月の入る西方の山のかなたに若しも君が住んでいるならば、
 たとえ、その山に月がかくれてしまっても、その月のかくれた
 あたりに、君がいる筈と思うから決して惜しいとは思わないだ
 ろう。(しかし、実際は君がいないから惜しいと思う。)
        (渡部保氏著 「西行山家集全注解」から抜粋)

 我が宿は山のあなたにあるものを何とうき世を知らぬ心ぞ
                    (191P 雑歌)

1番歌と良く似ていますが、上の歌にある「山のあなた」は西方
の浄土世界と解釈している書物がほとんどです。そうすると、
1番歌は屈折した表現であり、「君」が在俗の人であるのだろう
と想像させます。

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◎ あしひきの山の雫に妹待つとわれ立ち濡れぬ山の雫に  
                  (大津皇子 万葉集)

◎ あしひきの山道も知らず白橿の枝もとををに雪の降れれば
                  (柿本人麿 万葉集)
   
◎ あしびきの山のあなたに住む人は待たでや秋の月を見るらむ
                  (三條院 新古今集)

◎ あしびきの遠山鳥の一聲はわが妻ながらめづらしきかな
                (藤原経家 六百番歌合)  

【あしよしを】 (山、192)

1 あしよしを思ひわくこそ苦しけれただあらるればあられける身を
               (岩波文庫山家集192P雑歌・新潮1421番)

○あしよし
悪いことと良いこと。「善悪」という言葉のように通常は「あし
 よし」ではなく「良し悪し」と言うでしょう。「あし」を始めに
 使ったのは「悪し」を強調する意味があるとも言われます。

○思ひわく
 思慮があるということ。分別があるということ。

○あられける身
 自然のままにいることのできる身ということ。他者に対しての
 敬語表現とも、自身に対しての客観的な言葉とも受け取れます。
 他者に敬語を用いたとしたら、それは崇徳院を対象とした歌
 なのかもしれません。

 (歌の解釈)
「善悪を分別する心のあることが私の苦しみになった。無関心を
 装えばそれなりにそのまま生きていられたのであるが。」
                 (和歌文学大系21から抜粋)

この歌の作家年代がわかりません。高橋庄次氏は「西行の心月輪」
88ページに西行出家前後のこととして以下のように記述して
います。

「善悪にこだわるから苦しむ。そんなことにこだわりさえしなけ
 れば、それなりに生きて行ける身であるのに、なぜ」と。善悪の
 分別をするから出家せざるをえなくなった西行の苦渋がにじみ
 出ているような歌だ。後略)

高橋氏は西行が自分に対して詠った歌だと解釈なさっています。
その解釈の方がふさわしいと、私も思います。いずれにしても
いろんな解釈が成り立つ歌であると思います。

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◎ 浦々の波にも我は片寄らじ難波人こそ悪し善しは見め
              (伊勢大輔 伊勢大輔集)
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【芦の丸屋】 (山、102) → 「蘆・葦・芦」の項、参照。

【芦や】 (山、172)

1 波たかき芦やの沖をかへる舟のことなくて世を過ぎんとぞ思ふ
           (岩波文庫山家集172P雑歌・新潮1551番・夫木抄)

○芦や
 摂津の国、兎原郡の地名。現在の兵庫県芦屋市や武庫郡にあたる。
 今の芦屋市の市域より広大な範囲を「芦や」「芦の屋」と言って
 いました。

○ことなくて
 何事もないままに無事に・・・。

 (歌の解釈)

「波の高い蘆屋の沖を港にむけ懸命に走っている舟の無事が祈られ
 るように、憂きことの多いこの世ではあるが、無事に過ぎたい
 ものと思うよ。」
                (新潮日本古典集成から抜粋)

伊勢物語第八十七段に
「昔、男津の国むばらの郡芦屋の里にしるよしして行きて住み
けり。昔の歌に

 芦の屋のなだの塩焼きいとまなみ黄楊の小櫛もささず来にけり

とよみけるぞこの里をよみける。ここをなむ芦屋の灘といひける。」

とあります。この歌は新古今集では業平の作とあります。
伊勢物語のこの歌によって芦屋という地名は有名になったようです。
同じ八十七段に次の歌があります。新古今集にも採録されています。

 晴るる夜の星か河辺の蛍かもわが住むかたの海人のたく火か

この歌を本歌として藤原良経や後鳥羽院の歌があります。

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◎ 芦の屋の昆陽のわたりに日は暮れぬいづちゆくらむ駒にまかせて
                     (能因 後拾遺集)

◎ 葦の屋の灘の塩焼き暇なみ黄楊のをぐしもささず来にけり
           (在原業平 新古今集・伊勢物語第87段)

◎ いさり火の昔の光ほの見えて芦屋の里に飛ぶ蛍かな
                   (藤原良経 新古今集)

◎ 蛍とぶ芦屋の浦のあまのたく一夜も晴れぬ五月雨の空
                  (後鳥羽院 後鳥羽院集)
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【阿闍梨覚堅】 (山、87)

 高野より出でたりけると、覚堅阿闍梨きかぬさまなりければ、
 菊をつかはすとて

1 汲みてなど心かよはばとはざらむ出でたるものを菊の下水
             (岩波文庫山家集87P秋歌・新潮1079番)
 
 「かへし」として覚堅阿闍梨の次の歌があります。

2 谷ふかく住むかと思ひてとはぬ間に出でたるものを菊の下水
       (覚堅阿闍梨 岩波文庫山家集87P秋歌・新潮1080番) 

○覚堅
 生没年及び俗名不詳。院の少納言の局の兄弟とのことですが、
 院の少納言の出自については諸説あり、覚堅についてもよく
 わかりません。院の二位の局の葬儀の時の少納言の局の歌が
 209ページにあります。それで少納言の局は藤原信西と院の二位
 との間の子であるとみなされますが、そうではなくて院の二位の
 局は少納言の局の義母に当たるようです。(和歌文学大系21)
 覚堅について、新潮版では藤原信西の子としていて仁和寺僧綱、
 1189年に大僧都としています。

○阿闍梨 
 1 弟子の行いを正し、その規範となる師
 2 密教の秘法を伝授する僧
 3 僧の職官のひとつ

 と辞典にはあります。
 僧の位階もたくさんあり、阿闍梨もその内のひとつです。
 和田英松氏の「官職要解」によると、「僧の官位を総称して
 僧綱・有識・三綱といい、それに対して他の僧を凡僧という。
 有識はウシキと読み僧綱の次に職分ある義。これは己講・内供・
 阿闍梨の三官を総称したのである。」とあります。
 いずれにしても平安時代の阿闍梨は官から任じられた職掌なの
 ではないかと思います。自分で勝手に「阿闍梨」と名乗ること
 はできなかったでしょう。
 現在の比叡山では「千日回峰行の満行者に贈られる尊称」との
 ことです。

○菊の下水
 菊と「聞く」を掛けている言葉です。風の便りに聞いていない
 でしょうか・・・というほどの意味です。

 (1番歌の解釈)

 私のことを思いしのんで、私の上に心を通わせて下さるなら、
 どうして訪ねてくれませんか。高野山から出て来たことは菊の
 下水のように聞いている筈なのに。
       (渡部保氏著「西行山家集全注解」から抜粋)

 (2番歌の解釈)

 谷のおく深く住んで(澄んでをかける)いるかと思って、お訪ね
 もしないうちに恨みを結んで(掬んでにかける)しまった菊の
 下水でした。
       (渡部保氏著「西行山家集全注解」から抜粋)

この贈答歌は西行と覚堅との親密な関係がよく現れていると思い
ます。ほほえましい感じをさせる歌です。

【阿闍梨兼堅】 (山、178・181)

 阿闍梨兼堅、世をのがれて高野に住み侍りけり。あからさまに
 仁和寺に出でて帰りもまゐらぬことにて、僧綱になりぬと聞きて、
 いひつかはしける

1 けさの色やわか紫に染めてける苔の袂を思ひかへして
    (岩波文庫山家集178P雑歌・新潮919番・西行上人集・山家心中集)

 世の中に大事出できて、新院あらぬさまにならせおはしまして
 御ぐしおろして、仁和寺の北院におはしましけるに参りて、
 けんげんあざり出であひたり。月あかくてよみける

2 かかる世に影もかはらずすむ月をみる我が身さへ恨めしきかな
        (岩波文庫山家集181P雑歌・新潮1227番・西行上人集・
            山家心中集・西行物語・拾遺風体抄)

○阿闍梨
 11号を参照願います。
 覚堅がいつごろ阿闍梨の官職名を許されたのかわかりません。

 「阿闍梨は宣旨をもって補せられたのであるが、師僧たちより
 解文(げふみ)といって推選する申文を上(たてまつ)った
 のが多い。」(松田英松氏著、官職要解)
 ということですから、師の僧の推挙によって阿闍梨という官職が
 許されたものでしょう。
 他に伝法阿闍梨と、一身阿闍梨があります。後白河院も一身
 阿闍梨となっています。

○兼堅(けんげんあざり)
 生没年、俗名不詳。「源賢」とも「兼賢」とも表記されていま
 すが、仁和寺の文章では「兼賢」です。
 藤原道隆の孫で顕兼の子供といわれます。
 1164年、崇徳院が讃岐で没した年に法橋に任ぜられたようです。
 87ページの「覚堅阿闍梨」とは別人です。

○仁和寺
 右京区御室仁和寺のこと。詳しくは西行の京師第一部の43号と
 44号に触れています。
 仁和寺の北院とは、現在もある「喜多院」のことです。

○僧綱
 (そうごう)と読み、高い地位にある僧侶の官位の総称です。
 624年9月当時のお寺数46、僧侶816人、尼569人とあり、官による
 掌握、管理のために、僧正、僧都を置くことが定められました。
 682年3月にも「僧正、僧都、律師を任じて僧尼を統率させる」と
 あります。
 新潮版山家集では、この歌の場合は「僧都」とあります。

○けさの色
 僧侶の着る衣の上に左肩から右脇下に懸ける布のことを袈裟と
 いいます。僧侶の位階によって色が変わります。紫の色は禁色
 であり、禁じられた色の着用を天皇が認可したことを表します。  

○わか紫
 浅い紫色、薄い紫色のことですが、位階としてはわかりません。
 紫色は植物の紫草の根を用いて染めるのですが、根から染料を
 得がたく、かつ染めるのも大変難しくて、それゆえに高価でも
 あり、すべての色の中で最高の色とされていました。
 
○苔の袂
 官位のない、普通の僧の衣のこと。墨染めの衣の袂のこと。
 この歌では俗世間的な出世を望んでいないということ、むしろ
 拒んでいることの象徴として用いられています。

○新院
 崇徳院のこと。一院は鳥羽院、院は後白河院のことです。

○あらぬさま
 敗北してしまって、仁和寺に入ったこと。

○御ぐし
 (おぐし・みぐし)と読み、頭髪のこと。

○かかる世
 このようになった世の中。保元の乱が起こり、新院が敗北した
 状況を指します。月がかかるということも掛けています。

この歌については「西行の京師」第一部の43号と44号に記述して
います。参照してください。下は44号です。

  http://sanka05.web.infoseek.co.jp/sankasyu3/44.html

 (詞書)
 阿闍梨兼賢は出家して高野山に住んでいました。「ちょっと
 京の仁和寺まで」と、言って出かけて行ったのですが帰って
 来ません。やがて僧綱になったと聞き及びましたので、高野山
 から仁和寺の兼賢に歌を贈りました。

 (歌)
 若紫色に染めた袈裟を身につけることのできる僧綱の位に出世
 したのですね。
 粗末な墨染めの衣のままに修行するという思いを翻して・・・。
                 (西行の京師44号から転載)

【阿闍梨勝命】 (山、215)

 阿闍梨勝命、千人あつめて法華経結縁せさせけるに参りて、
 又の日つかはしける

1 つらなりし昔に露もかはらじと思ひしられし法の庭かな
       (岩波文庫山家集215P釈教歌・新潮860番・西行上人集)

○阿闍梨
 11号及び前述を参照願います。

○勝命
 俗名、藤原親重。1112年生まれといいますので、西行より年長
 です。この時の千僧供養はいつ、どこでしたのか不明のよう
 です。
 勝命は新古今集に一首撰入していて、67番歌です。

○千人あつめて
 千人の僧が合同で行う供養の儀式であり、千僧供養といいます。
 清盛は福原でも厳島でも千僧供養を執り行っています。大きな
 功徳があると考えられていました。

○法華経結縁
 法華経との縁を結ぶこと。法華経を信じることによって将来、
 成仏するための縁を作ること。

○つらなりし昔
 法華経という教義によって、釈迦がインドの霊鷲山で信者たちに
 説法した大昔と連なっている、というように解釈されています。

○法の庭
 法華経が語られた霊鷲山の教場とありますが(和歌文学大系21)、
 仏教精神に満ちた世界ということを表していると思います。
 
(歌の解釈)
 釈迦の説法を列座した仏弟子が聞いた昔を彷彿とさせる、すば
 らしい法会でした。
                 (和歌文学大系21から抜粋)

【網代・あじろの布】 (山、92) 

   落葉網代にとどまる

1 紅葉よるあじろの布の色染めてひをくるるとは見ゆるなりけり
           (岩波文庫山家集92P冬歌・新潮504番・
                 西行上人集追而加書・夫木抄)

○網代
 1 ヒノキ、竹、その他の植物を細長く加工して網状に編んだ
   もの。和風建築の随所に用いられる。
 2 川の瀬にならべ立てて魚を追い込んで獲るために利用する
   ための簾(す)。対岸に向かって打ち立ててある杭に簾を
   をつないで川魚を獲る仕掛けのこと。
   冬の景物で、宇治川の氷魚漁で有名。氷魚(ひお)は鮎の
   稚魚。
   氷魚を「ひを=日を」に掛ける歌が多く詠まれています。
  
  網代団扇・網代駕篭・網代笠・網代車・網代屏風などが
  あります。 

○網代の布
 網状に織った布という意味ですが、ここでは実際の布ではなく、
 氷魚を獲る網代を布に見立てたものです。
 散った紅葉が川面を染めて網代にかかっているという光景です。
 網代と布とは「編む」ということを通じての縁語です。
 
○ひをくるる
 「ひをくるる」は「ひをくくる」のことであり、それは「日を
  くくる」「緋をくくる」「氷魚くくる」と意味違いのことが
  が掛詞になっていることがわかります。

(歌の解釈)
川に散った紅葉が流し寄せられて、網代は緋のくくり染めの布の
よう・・・。とても氷魚を捕る網代とは見えなくなってしまったよ。
              (新潮古典集成山家集から抜粋)

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◎ もののふの八十うぢ川の網代木にいさよふ波の行方知らずも
             (柿本人麻麿 万葉集・新古今集)

◎ 数ならぬ身を宇治川の網代木に多くの日をも過ぐしつるかな
                 (詠み人しらず 拾遺集)

◎ 月影の田上川に清ければ網代に氷魚のよるも見えけり
                   (藤原元輔 拾遺集)
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