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西行辞典  あい〜あか

 あい〜あか   あき〜あこ   あさ   あし   あす〜あち  あな〜あび あま〜あめ あや〜あわ


項目

あひの中山・あをね山・青柳の糸・あかいの水・あかのをしきに・銅の湯・明石・明石の浦・あかずのみ・
あかずしぐるる・あかでやみぬる・赤染・あがた・あかぬ梢・あかぬ心・あかれざりけれ・あか星

【あひの中山】 (山、154)

1 東路やあひの中山ほどせばみ心のおくの見えばこそあらめ
                (岩波文庫山家集 154P 恋歌)

(歌の解釈)

 あづまの国(東国)に向う道の道中にある「あひの中山」の
 その間が狭くてものの見えないように、恋人の心が見えない
 のだが、その見えない恋人の心のおくが見えたら、それこそ
 うれしいのだが、見る方法もない。
        (西行山家集全注解 渡部保氏著から抜粋)

「あひの中山」とは、どこにあるのか定かではありません。
相模の国の歌枕(和歌文学大系21)ということですが、西行の歌の
場合はどこなのか特定はできません。「東路や・・・」とあります
ので、下の2番か3番と解釈していいと思います。ただし「おく」が
陸奥の掛詞と解釈するなら、陸奥にあるという「あひの中山」
かもしれません。
「あひの中山」は固有名詞であるのか普通名詞であるのかも判然
としない言葉です。山家集では「・・・中山」という言葉は他に
「小夜の中山」が二首、「越の中山」が二首あります。

1 伊勢の国 

 伊勢市の古市、内宮間にある長峰のこと。長峰は間山
 (あいのやま)とも呼ばれるそうです。
 古市には江戸期の五大遊郭の一つがありました。伊勢神宮
 参拝後の精進落としのために発展したそうです。
 哀調に富んだ「間の山節」で有名とのことです。

2 駿河の国

 現在のところ、私には所在地が確認できていません。具体的な
 地名はどの資料にもありません。
       
3 相模の国

 神奈川県津久井郡相模湖町の正覚寺に伝承されているようです。
 間の山は「嵐山」と呼称されています。
 下は正覚寺の案内ページ。

  http://www2u.biglobe.ne.jp/~shgkj-hk/shousai2.htm

4 陸奥の国

 岩手県二戸郡一戸町の中山峠という説もあります。
 しかし当時、一戸までの東山道は通じていませんから、西行は
 実際には一戸までは行っていないと思います。題詠としても、
 陸奥の中山峠が著名な歌枕とはいえませんので、陸奥の国の
 可能性はほぼないと思います。

 伊勢物語十五段にある下の歌が本歌といえるでしょうか。

 しのぶ山忍びて通ふ道もがな人の心の奥も見るべく

【あをね山】 (山、99)

 1 あをね山苔のむしろの上にして雪はしとねの心地こそすれ
              (岩波文庫山家集 99P 冬歌)

○ あをね山
 青根山=青根が嶺=奈良県吉野山の主峰。山頂付近に金峯神社がある。

○ 苔のむしろ
 万葉集以来、青根山は「苔のむしろ」の言葉が詠みこまれている。
 
○ しとね
 敷物のこと。転じて寝床のこと。「雪のしとね」で雪深いところであると
 いうことを表している。

(歌の解釈)

 苔がさ筵のように一面に生えた青根山のまさにその上に
 雪がふれば、まさに真っ白い布団のような感じだね。
              (和歌文学大系21から抜粋)

◎ 美吉野の青根が峯の苔筵誰か織りけむ経緯なしに
             (万葉集 巻七 作者不詳)

◎ 今朝はしも青根が峯に雪積みて苔の狭筵敷き返つらん
               (源俊頼 散木寄歌集)

【青柳のいと】 (山、23・33・39)

1 見渡せばさほの川原にくりかけて風によらるる青柳の糸
            (岩波文庫山家集 23P 春歌)

2 なかなかに風のおすにぞ乱れける雨にぬれたる青柳のいと
            (岩波文庫山家集 23P 春歌)

3 風ふくと枝をはなれておつまじく花とぢつけよ青柳の糸
            (岩波文庫山家集 33P 春歌)

4 吹みだる風になびくと見しほどは花ぞ結べる青柳の糸
            (岩波文庫山家集 39P 春歌)

5 青柳のいとをしきけのしたるかなむすぼほれたるうぐひすの声
                  (山家集 松屋本)

○青柳の糸
 春になって芽吹いて、黄緑色に繁る枝先を垂れているさまに
 生命力の旺盛さとか、強靭さ、しなやかさを感じることが
 できるでしょう。「青柳の糸」はまた春を象徴する表現でも
 あって、古来、たくさんの歌に詠まれてきました。
 
○さほの川原
 大和(奈良県)の佐保川のことです。歌では「佐保姫」は
 春を象徴していて、対になっている「立田姫」は秋を象徴
 しています。

○くりかけて
 糸の縁語。紡いだ糸をかけて巻く工具と、そのありさまを指す。

○風のおすにぞ
 「風の乾すにぞ」の意味。風が水分を取り払って、かえって
 乱れるという状態をいいます。

○おつまじく
 「落ちまじく」の意味。青柳の糸を裁縫の糸に見立てていること
 が分かります。この歌にある「花」は柳の花ではなくて、桜の
 花びらのことです。
 詞書が「花のうた十五首よみけるに」ですから、この場合は
 「柳の枝にふりかかる桜の花びらを落ちないように閉じつけて
 ほしい」という願望を詠っています。

(4の歌の解釈)

青柳が吹きみだす風になびくのだと見ていると、そうではなくて、
その柳の糸で花を結んだ青柳の糸であったよ。
         (西行山家集全注解 渡部保氏著から抜粋)

◎ 青柳の糸のくはしさ春風に乱れぬい間に見せむ子もがも
                    (万葉集 巻十)

◎ 青柳の糸よりかくる春しもぞ乱れて花のほころびにける
                   (古今集 紀貫之)

◎ 花見にはむれてゆけども青柳の糸のもとにはくる人もなし
                  (拾遺集 読人不知)

【あかいの水・あかのをしきに】 (山、112・112)      

1 岩にせくあか井の水のわりなきは心すめともやどる月かな
             (岩波文庫山家集 112P 羇旅歌)

2 しきみおくあかのをしきにふちなくば何に霰の玉とまらまし
             (岩波文庫山家集 112P 羇旅歌)

○せく
 堰くのこと。水などが堰き止められていること。 

○わりなきは
 普通には(道理に合わないこと)を意味します。この言葉の解釈は
 むつかしく、「格別にすばらしいこと」という説もあるそうです。

○しきみおく
 (樒置く)という意味。樒とはシキミ科の常緑樹。
 枝を仏事に用います。用具の上に樒を置くこと。

○あかの
 (閼伽の)という意味。閼伽水を入れた容器をも指しています。

○をしき
 閼伽水を入れた容器を載せる為のお盆のこと。縁のついている
 お盆なので、霰が転がり落ちないということです。

(あか井の水)
閼伽井の水。閼伽とは仏教用語で(貴重な)とか(価値あるもの)
という意味を持ち、普通には仏前に供える清らかな水のこと。
あか井とは、仏前に供えるための水を汲むための井戸。その井戸
から汲まれた水が「あか井の水」。

2番の歌には以下の詞書があります。

「花まゐらせける折しも、をしきに霰のふりかかりければ」

(1番の歌の解釈)
「岩に堰かれて溜まっている閼伽の水を汲む井は、おかしなことに
一方では、妨げられることなく心を澄ませよ、とばかりに澄んだ
月が姿を映しているよ。」
                (新潮日本古典集成から抜粋)

【銅の湯】 (山、251)

1 わきてなほ銅の湯のまうけこそこころに入りて身をあらふらめ
              (岩波文庫山家集 251P 聞書集)

○わきてなほ
 (わきて)は、とりわけ、格別に、という意味。(なほ)で強調表示する。
 (沸く)をかけていて、湯の縁語。

○銅の湯=(あかがねのゆ)
 金属の銅を熱して液状化させた状態のものを指します。職業柄、プラチナや
 金を酸素ガスで溶解しますが、それらの金属の場合も「お湯」といいます。

○まうけ
 (設け)と書き、饗応とか洗礼ということ。
 「この世の設けに、秋の田の実を刈りをさめ・・・」(源氏物語(明石)から抜粋) 

○あらふらめ
 (洗う)に推量の助動詞終止形の(らむ)が付く。洗うでしょう・・・という
 ほどの意味。湯の縁語。

 (歌の解釈)

「とりわけやはり、溶けた銅の湯のもてなしこそは、罪人の心に
 沁み入って身の内を洗い流すだろう。」
                (和歌文学大系21から抜粋)

 銅の湯の責め苦は、恵心僧都源信の往生要集などに見えます。
 阿鼻叫喚地獄の諸相のうちのひとつの表現です。

【明石・明石の浦】 (山、72・81・108、84・247)

1 なべてなき所の名をや惜しむらむ明石はわきて月のさやけき
               (岩波文庫山家集 72P 秋歌)

2 月さゆる明石のせとに風吹けば氷の上にたたむしら波
               (岩波文庫山家集 81P 秋歌)

3 伊勢嶋や月の光のさひが浦は明石には似ぬかげぞすみける
               (岩波文庫山家集 84P 秋歌)

4 月を見て明石の浦を出る舟は波のよるとや思はざるらむ
               (岩波文庫山家集 84P 秋歌)

5 夜もすがら明石の浦のなみのうへにかげたたたみおく秋の夜の月
             (岩波文庫山家集 247P 聞書集)

6 たたへおく心の水にすむ月を明石の波にうつしてぞ見る
                     (松屋本山家集)

  (詞書)
  明石に人を待ちて日數へにけるに

7 何となく都のかたと聞く空はむつまじくてぞながめられぬる
              (岩波文庫山家集 108P 羇旅歌)

○明石
 兵庫県にある港湾都市。東経135度の日本標準時子午線が通って
 います。後述。

○なべてなき
 普通ではない、並ではない。他にはない。

○月さゆる
 月冴えるの意。月光が煌々として鮮やかな様をいう。

○伊勢嶋
 伊勢の国にある島を総称していう。特定の島ではない。

○さひが浦
 紀伊にある雑賀浦といいますが、伊勢にも同じ地名のところがあったと
 思えます。和歌文学大系では「さびる浦」として(古びて趣のある浦)と
 注しています。

○心の水
 仏教でいう悟りということを、心の水にたとえています。

(1番の歌の解釈)

「おしなべて月もやはり「明かし」の心を持つ明石の名を汚す
 まいとするのであろうか、明石浦では格別月の光がさやかな
 ことである。」
           (新潮日本古典集成山家集から抜粋)

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5番歌の「たたたみおく」は岩波文庫山家集の校正ミスです。
「影たたみ置く・・・」の意味です。「た」は一字不用です。

7番歌の詞書の「明石にひとを・・・」は、新潮版では以下の
詞書になっています。

「津の国にやまもとと申す所にて、人を待ちて日数経ければ」

【明石】

播磨の国の著名な歌枕です。明石に続き潟・浦・沖・瀬戸・浜
などの言葉を付けた形で詠まれます。
明石は万葉集から詠まれている地名ですが、月の名所として、
「明石」を「明かし」とかけて詠まれている歌もあります。
西行歌の場合は6番までは、すべて月の歌です。こうしてみると、
7番歌の詞書は「明石」ではなくて「津の国やまもと」の詞書が
妥当かと思います。

◎ あまさかる鄙の長道ゆ恋ひくれば 明石の門より大和島見ゆ
              (万葉集 巻三 柿本人麻呂)

◎ ほのぼのとあかしの浦の朝霧に 島がくれゆく舟をしぞ思ふ
                (古今集 よみ人しらず)

◎ 嘆きつつあかしの浦に朝霧の たつやと人を思ひやるかな
                 (源氏物語 「明石」)

【あかずのみ・あかずしぐるる・あかでやみぬる】 (山、107、88、84)

1 あかずのみ都にて見し影よりも旅こそ月はあはれなりけれ
             (岩波文庫山家集 107P 羇旅歌)

2 限あればいかがは色もまさるべきをあかずしぐるる小倉山かな
               (岩波文庫山家集 88P 秋歌)

3 來む世には心のうちにあらはさむあかでやみぬる月の光を 
               (岩波文庫山家集 84P 秋歌)

○あかずのみ
 (飽きることのない)の意味。

○あかずしぐるる
 (飽きない)の意味。雨が降り続くことをいい、時雨の擬人化表現。

○あかでやみぬる
 (飽きない)+(止む・止まる)+助動詞(ぬる)が付く。
 (やみぬる)は人生の終わりをも意味している。

 (3番の歌の解釈)

 「来世にはわたしの心の中に真如の月として輝かそう。この世で
  飽きることなく眺めて終わった月の光を。」
                (和歌文学大系21から抜粋)

「來む世には・・・」の歌は西行法師歌集と御裳濯河歌合におさめ
られています。御裳濯河歌合では七番の右で、左の歌は「願はくは
花の下にて・・・」の歌です。俊成の判は「持」です。「持」とは
(じ)(もち)と読み、優劣がつかず引き分けのことをいいます。

飽きることなく月を眺めたままで今の人生を終えるけれども、来世
には真如の月の光を体現したいものだという希求なり願望なりを
表現しています。仏道の永久不変の真理で、世にある闇を照らす
ために光り輝く存在になりたいものだということであり、月と、
そして自身の人生に対しての西行の思いが、ここにこそ凝縮されて
いると言って良いでしょう。

【赤染】 (山、195)

  (詞書)
 大覺寺の瀧殿の石ども、閑院にうつされて跡もなくなりたりと
 聞きて、見にまかりたりけるに、赤染が、今だにかかるとよみ
 けん折おもひ出でられて、あはれとおもほえければよみける
               (岩波文庫山家集 195P 雑歌)

  (歌)
 今だにもかかりといひし瀧つせのその折までは昔なりけむ
               (岩波文庫山家集 196P 雑歌)

(歌の解釈)
「今でさえもこんなに見事に滝がかかっている、と赤染が詠んだ
名こその滝は、もう今は立石に至るまで跡形もない。あの歌の頃
はまだ面影が残っていたんだな。全く惜しいことをした。」
                (和歌文学大系21から抜粋) 

(大覺寺)
真言宗大覚寺派の総本山です。仁和寺と並び第一級の門跡寺院。
第50代桓武天皇の子で52代嵯峨天皇の離宮として造営され、嵯峨
御所ともいわれました。嵯峨天皇は834年から842年まで檀林皇后
(橘嘉智子)と、ここで過ごしています。
後にお寺となり、後宇多法皇はここで院政を行っています。
また、1392年の南北朝の講和はこの寺で行われました。

(閑院)
現在の二条城の東あたりにあった藤原氏北家流の邸宅のこと。
もともとは藤原冬嗣の私邸。後三条天皇、堀川天皇、高倉天皇
などの里内裏として、臨時の皇居になっていました。たびたびの
火災にあっています。
1259年に放火のため焼亡してからは、再建されていません。

(赤染=赤染衛門)
平安時代中期の歌人で、生没年は未詳です。
父は赤染時用(ときもち)という。一説に平兼盛とも。
大江匡衡(まさひら)に嫁し、藤原道長の妻倫子に仕ています。
1041年曾孫の大江匡房の誕生の時には生存していましたが、その後
まもなく80歳以上で没したものと見られています。 
藤原氏全盛期の道長時代に活躍した代表的な女流歌人で、中古
三十六歌仙の一人として知られています。家集に「赤染衛門集」
があり、また、「栄花物語」の作者と見られています。

 「あせにけるいまだにかかる瀧つ瀬の早くぞ人は見るべかりける」
            (赤染衛門 後拾遺集 1058番)
 
 「やすらはで寝なましものを小夜更けて かたぶくまでの月を見しかな」
            (百人一首第59番)

【あがた】 (山、104)

 (詞書)
 年の暮に、あがたより都なる人のもとへ申しつかはしける
              (岩波文庫山家集 104P 冬歌)

 (歌)
 おしなべて同じ月日の過ぎ行けば都もかくや年は暮れぬる

○あがた
 県のこと。ここでは、田舎、地方という意味。
 「昔、県へ行く人に、むまの餞せむとて・・・」(伊勢物語第四十四段。 )

○おしなべて
 全体に同じ傾向である、どこも同じである・・・
       
この詞書は新潮版山家集では、以下のようになっています。

「年の暮に、高野より都なる人の許に遣わしける」

「あがた」と「高野」の違いがありますが、詞書に続く下の歌の
意味には違いがありません。

(歌の解釈)
どこで過ごしていても、同じように月日は流れ過ぎ去るものです。
都もここと同じようにして、年末の日々が過ぎているのでしょう。
                       (阿部)

年末にあたって「私は元気でやっていますよー」というほどの挨拶
文のような歌です。歌としての感興はありませんが、歌を贈る人が
いて、そして贈ったということに、西行の生活ぶりなり、人間性
などが、ほの見えることかも知れません。
なお、歌は誰に贈ったのかは分かりません。

【あかぬ梢・あかぬ心・あかれざりけれ】 (山、28、37、86)

 1 年を經ておなじ梢に匂へども花こそ人にあかれざりけれ
           (岩波文庫山家集 28P 春歌)

 2 木のもとの花に今宵は埋もれてあかぬ梢を思ひあかさむ
           (岩波文庫山家集 37P 春歌)

 3 月みれば秋くははれる年はまたあかぬ心もそふにぞありける
           (岩波文庫山家集 86P 秋歌)

○あかれざりけれ
 あかーれーざりーけれ。飽きられることがないという意味。
 あか=(飽きる・飽かぬ)
 れ=自発・可能・受身の助動詞「る」の未然形・連用形。
 ざり=助動詞。「ずあり」の約。「けり」などの前に使う。
 ける=助動詞。文の終止の形で使う。「けり・ける・けれ」と活用。  
         
○あかぬ梢
 飽かぬ梢=梢を見飽きることはないということ。

○秋くははれる年
 詞書によって閏九月のことだと分かります。

○あかぬ心
 飽きることのない心。いつまでたっても満足しないという気持。

 (2番の歌の解釈)
「今宵は桜の木の下にあって、散ってゆく花に埋もれて、なお
 見あきることのない梢の花を思いつつ一夜を明かそう」
           (新潮日本古典集成山家集から抜粋)

(閏月)
平安時代の暦は月の周期の29.5日を29日と30日に分けて一年と
していました。29日が六箇月間、30日が六箇月間です。これでは
一年が354日になってしまって、実際の季節と暦の間にずれが
できてしまいます。たとえばまだ12月なのに立春が来たりします。

年の内に春はきにけりひととせを こぞといはんことしとやいはん
                 (在原元方 古今集)
という歌にもあるとおりです。   
そこで、ずれを調整するために三年に一度ほどの割合で閏月が
作られました。閏月のある年は、一年は13箇月になります。
実際の九月の後に同じ九月がつけば、後のほうの九月を閏九月
といいます。西行在世中の閏九月のある年は1137年、1156年、
1175年の三回があります。
3番の歌は1156年か1175年に詠まれたものと思われます。

 1 よひのまに入りにし月の影までも あかぬ心やふかきたなばた
                (建礼門院右京太夫集 301)

 2 よとともにちらずもあらなさくら花 あかぬ心はいつかたゆべき
                  (平兼盛 後拾遺集133)

 3 見てだにも飽かぬこころを玉鉾の みちの奥まで人の行くらむ
                  (紀貫之 新古今集861) 

 4 花にあかぬ歎きはいつもせしかども今日のこよひに似る時はなし
                (在原業平? 伊勢物語29番)
【あか星】 (山、224)

 1 ふけて出づるみ山も嶺のあか星は月待ち得たる心地こそすれ
           (岩波文庫山家集 224P 神祇歌)

 2 めづらしなあさくら山の雲井よりしたひ出でたるあか星の影
           (岩波文庫山家集 224P 神祇歌)

○み山
 深山のこと。深い山。外山の対語。

○あか星
 あけの明星のこと。金星を指しています。

○あさくら山
 九州筑前の国の歌枕。

○雲井
 空のこと。雲のあるあたりという意味。

○したひ出で
 神楽歌を慕って金星が姿を見せたように。

  (1番の歌の解釈)
「夜が更けてから深山の峰に金星が出る。いつもは暗い深山が
 明るく見えるほどで、待っていた月が出たのかと思い誤った。」
           (明治書院 和歌文学大系21から抜粋)

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