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西行辞典  あな〜あび

 あい〜あか   あき〜あこ   あさ   あし   あす〜あち  あな〜あび あぶ〜あめ あや〜あわ

項目
あなあやにくの・あやにくの・あなうの世・あなかしこ・あながち・あなかま・
あなくしたかの・あなさまにくの・
あなづりにくき・あなれ・阿鼻の炎

【あはぢ島】 (山、168) →淡路島
【あふさか】【逢坂=おうさか】参照


【あなあやにくの・あやにくの】 (山、36・150・158)

 【あなあやにくの】
(あな)(あやにく)(の)が接合した言葉。
(あな)は感動詞。喜怒哀楽の感情の高まりから発せられる言葉。
(あやにく)は現在の(あいにく)という言葉とほぼ同義。
(あや)自体も感嘆を表す(あ)と(や)の複合形であり、それに
(にく)の憎い・・・という感情が接合した言葉。
(の)は助詞。
 
総合して「ああ、憎らしいほどに、思う通りにならない」という、
作者の感情を表しています。
 
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1 惜しまれぬ身だにも世にはあるものをあなあやにくの花の心や
            (岩波文庫山家集36P春歌・宮河歌合)

2 あやにくにしるくも月の宿るかなよにまぎれてと思ふ袂に
             (岩波文庫山家集150P春歌・万代集)

3 あやにくに人めもしらぬ涙かなたえぬ心にしのぶかひなく
                 (岩波文庫山家集158P春歌)

○惜しまれぬ身
 いなくなっても惜しまれない存在という、そのままの意味。
 出家していることを意識した上での言葉とみられています。
 「数ならぬ身」と同じような遁世している者としての立場を表し
 ている言葉です。

○しるくも月の
 著しく月の・・・という意味。月が写っていることがはっきりと
 分かるということ。

 (1の歌の解釈)

 人には惜しまれない私でさえ、この世に生きながらえているのに、
 惜しまれながら散り急ぐ花の心は、どうしてこうも思い通りに
 ならないのだろう。
                  (和歌文学大系21から抜粋)

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◎ あやにくに焦がるる胸もあるものをいかに乾かぬ袂なるらん
                     (源雅光 金葉集)

【あなうの世】 (山、186)

 【あなうの世】
(あな)(う)(の)(世)が接合した言葉。
前号の(あなあやにくの)の項でも記述したように(あな)は
喜怒哀楽の感情が高まったときに発せられる感動の言葉です。
この古語は中世以降は次第に(あら)に変わって行きました。
(う)は(憂き)の(う)です。
総合すると(ああ、憂き世である)という意味です。

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 行基菩薩の、何処にか一身をかくさむと書き給ひたること、
 思ひ出でられて

 いかがすべき世にあらばやは世をもすててあなうの世やと更に思はむ
     (岩波文庫山家集186P雑歌・西行法師家集・新古今集)

○行基菩薩
 奈良時代の僧。和泉の国の生まれ。全国を経巡り民間布教、民衆
 救済に専念して、多数のお寺、橋、道路、堤なども作る。
 第45代聖武天皇の帰依を受ける。東大寺の建立に尽力。日本最初
 の大僧正。存命中から行基菩薩として称えられました。
 749年2月2日、82歳で没したと伝えられます。

 (歌の解釈)
「ああ、どうしようぞ。これがもし出家せずに俗世に居ったなら
 ば、世を捨てて、ああ、つらい世だよと更めて思いなげくで
 あろうに(すでに出家をしている身には、もうのがれ隠れること
 のできる所はない。)
          「渡部保氏著「西行山家集全注解」から抜粋)

  (「更めて」は用法の誤りではないかと思います。阿部)

詞書は、行基菩薩遺誡の中にある文言を指しているといわれます。
そういう書物をも西行は読んでいるという証明になります。

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◎ 然りとて背かれなくに 事しあればまづ嘆かれぬ あなう世の中
                  (小野篁 古今集936番)

【あなかしこ】

 【あなかしこ】
(あな)は前述の(あな)と同義。(かしこ)は(畏まる)という
気持を表すことば。(ああ、畏れ多い・恐縮です)というほどの
意味。
手紙では(敬具)などのように、末尾に書く挨拶の言葉。女性の、
または女性に贈る手紙の挨拶語として使われてきました。ただし、
いつごろからそのようになったのか確証がありません。性別に関係
なく、仮名書簡の末尾に形式的に書いていたとも思われます。
(卒爾ながら)や(失礼ですが)という言葉の用法と同様に、文章
のはじめに用いられている用例もあります。

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  聞書集の奥にこれ書き具して参らせよとて、人に申しつけて候
  へば、使の急ぎけるとて、書きも具し候はざりけると聞き候て、
  人に書かせて参らせ候。必ず書きぐして、申し候ひし人の許へ
  伝へられ候べし。申し候ひし人と申し候は、きたこうぢみぶ卿
  のことに候。そこより又ほかへもやまからむずらむと思ひ候へ
  ば、まからぬさきにとくと思ひ候。あなかしこ。兵衛殿の事
  などかきぐして候。あはれに候な。

                   (岩波文庫山家集残集)

○聞書集
 昭和4年に佐佐木信綱博士によって発見された西行の歌集。国宝。
 原本の扉には藤原定家が「聞書集」としたためていて、本文は
 寂蓮の筆と考えられています。今宮神社の「やすらい歌」の歌詞
 も寂蓮筆と伝えられますが、彼はとても美しい文字を書く人です。
 歌数は261首。他に連歌の付句が2句。
 聞書集は山家集とは一首も歌が重複していないという特徴があり、
 とても貴重な歌集です。

○きたこうぢみぶ卿
 北小路民部卿のこととも北小路壬生卿のこととも言われていて
 氏名の特定不可。北小路壬生卿として藤原家隆(伊藤嘉夫氏説)
 とみる説もありますが確定は出来ないようです。北小路民部卿
 として藤原成範説(和歌文学大系21)もありますが、こちらも
 確定は不可のようです。

○ほかへもやまからむずらむ
 先に送った聞書集が書写されて他の人々にも伝わるであろうか
 ・・・ということ。
 
○兵衛殿の事
 聞書集にある以下の兵衛の局のことを指しているとみられます。
 兵衛の局は1184年頃に没したとみられています。

 申すべくもなきことなれども、いくさのをりのつづきなれば
 とて、かく申すほどに、兵衛の局、武者のをりふしうせられ
 にけり。契りたまひしことありしものをとあはれにおぼえて

 さきだたばしるべせよとぞ契りしにおくれて思ふあとのあはれさ
                (岩波文庫山家集256P聞書集)

(詞書の解釈)
聞書集の奥に、これを書き添えて差し上げて下さいよと、人に申し
つけたのですが、使の人が急いだとて書き添えませんでしたという
ことを聞きましたので、あらためて人に書かせて差し上げます。必
ずこれは書き添えて、私の申した人の所へ伝えて下さい。私の申し
ました人というのは北小路みぶの卿のことであります。私の書いた
ものは、そこから又ほかの方へまいるだろうと思いますので、まい
らぬ前に早くと思います。あなかしこ。兵衛局のことなど書き添え
てあります。哀れなことです。
         (渡部保氏著「西行山家集全注解」から抜粋)

【あながち】(山、37・77)

【あながち】
(強ち)という言葉をあて、やむにやまれないさま、を言います。
相手の立場や考えを尊重せず、身勝手で強引なこと。一途、ひた
むき、という意味合いを持つ言葉です。
打ち消し、反語としての用法もあって(あながち・・・でない)
という使い方もされます。

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1 あながちに庭をさへ吹く嵐かなさこそ心に花をまかせめ
           (岩波文庫山家集37P春歌・西行法師家集)

2 あながちに山にのみすむ心かな誰かは月の入るを惜しまぬ
                  (岩波文庫山家集77P秋歌)

○さこそ
 然こそ。本当に、そのように、さぞ、さだめて・・・などの意味
 を持つ言葉。ここでは、庭にも吹きすさぶ強風・・・という情景
 表現を受けています。

○花をまかせめ
 庭に散り強いている花弁を、吹きすさぶ風のままに任せておこう
 という意味。

○山にのみすむ心
 人里を逃れて、心は一人住まいの山にあるということ。
 一人で山に住んでいることを考えると、もろもろの雑念が消えて、
 心が澄んでくるということ。

(1番の歌の解釈)

ただ桜の花を散らすだけでなく、その上庭に散り敷いた落花まで
をも、むやみと吹き払う嵐であることだ。どうしょうもないこと
だから、そのように嵐の心に花をまかせよう。
             (新潮日本古典集成山家集から抜粋)

【あなかま】

【あなかま】
(あな)と(かま)が接合した言葉であり、(あなかしがまし)の
略語。(あな)は前例と同様に感動詞。(かま)は(かまびすしい)
(かしましい)と同義。
人の話声のうるささや、話の内容の不快さが神経に触ったときに、
話をやめさせようとするための言葉。
(あなかま)で、静かにしなさい、黙りなさい、よしなさい・・・
という意味で用いられていました。

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 山ざくらまた来むとしの春のため枝をることはたれもあなかま
                (岩波文庫山家集249P聞書集)
(歌の解釈)

「山桜は、また来る年の春のため、その枝を折ることは誰もおやめ
 なさい。」
                 (和歌文学大系21から抜粋)

この歌の場合は、枝を折り取ったらいけないとする理由が、来年に
咲く花のためであるということが分かります。
しかし梅の場合は、むしろ花の付いている枝を折り取ることが当然
の行為であり、それは礼儀でもあり常識でもあると思わせる歌が
何首かあります。桜は折り取っては駄目で、梅は良いとする理由
はどこにあるのでしようか。

 とめこかし梅さかりなるわが宿をうときも人はをりにこそよれ
            (岩波文庫山家集233P聞書集・20P春歌)

上の歌の「をり」は(枝を折り取ること)と(近くに来る機会
(折り)があれば)ということの掛詞です。

園芸、造園関係では「桜切る馬鹿、梅切らぬ馬鹿」という言葉が
あります。「切る」と「折る」の違いはありますが、西行の時代
にも桜は折っては駄目、梅の枝は折るのが常識という考え方が
あったのかもしれないなーと思わせてくれます。桜の木は切断
した部分が腐りやすいとも聞きましたし、そういう植物相の違い
が背景としてある歌であるのかも知れません。
 
【あなくしたかの】 (山、163)

【あなくしたかの】
意味不明。新潮版では「あなくらたかの」となっています。「鷹」
と関係あるか?と、その可能性をいう説もありますが、はたして
どうなのでしよう。
この言葉は古語辞典にもありませんので、書写した人の誤写の可能
性が強いのではないかと思います。

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 とりのくし思ひもかけぬ露はらひあなくしたかの我が心かな
                (岩波文庫山家集163P恋歌)

○とりのくし
意味不明。新潮版では(とり残し)です。

 とり残し 思ひもかけぬ 露払ひ あなくらたかの われが心や
              (新潮日本古典集成山家集1341番)   

○露はらひ
涙を払って・・・というふうに解釈するべきかと思います。

 (歌の解釈)
「難解。思いもよらぬ涙(露)を払い、なんと恋の暗闇に閉ざさ
 れた自分の心だろうか、の意か。」
             (新潮日本古典集成山家集より抜粋)

「難解。鷹狩の縁語を綾なすとの一説もある。意外な涙から自分の
 心の意外な一面を知って驚く。」
                 (和歌文学大系21から抜粋)

【あなさまにくの】

【あなさまにくの】
(あなー様憎ーの)と解釈するのが良いようですが、それでは用語
として成立するのかどうか分かりません。
尾崎久弥氏の西行上人歌集新釈では、涙を流すという様、その状態
が憎いと解釈しています。恋の相手が憎いというのではなくて、
自己嫌悪とか自己憐憫の意味合いの強い歌であろうと思います。
和歌文学大系21では(あなさまにくの)を「なんとも体裁が悪い」
としています。

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 さもこそは人め思はずなりはてめあなさまにくの袖のけしきや
                 (岩波文庫山家集163P恋歌)

 さもこそは 人目思はず なり果てめ あなさま憎の 袖の雫や
              (新潮日本古典集成山家集1343番)

○さもこそは
 (然もこそは)で(そんなふうに)(そうであってみれば)
 (確かにそのように)(本当に)などのニューアンスで用いら
 れる言葉です。
 
○人め思はずなりはてめ
 人が見ていても気にしなくなって・・・。
 
○袖のけしき
 新潮版山家集では「袖の雫や」です。どちらにしても、墨染めの
 衣の袖で涙を拭き払っていて、袖が涙で濡れているということを
 表しています。西行歌には同様の表現がたくさんあります。

(歌の解釈)
「思う心の切なさゆえ、もう人目につくことなど気にもかけない
ようになってしまった・・・ああ、何と格好の悪い袖の涙なのだ
ろう。
            (新潮日本古典集成山家集から抜粋)

【あなづりにくき】

【あなづりにくき】
(侮り難き)ということ。軽く見てはいけないということ。たい
したことはないと思ってみくびり、馬鹿にしてはいけないという
戒めのための言葉です。

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おもはずもあなづりにくき小川かな五月の雨に水まさりつつ
                (岩波文庫山家集50P夏歌)

○おもはずも
 思いがけずも、思いもよらず・・・ということ。

(歌の解釈)

「五月雨に増水し、いつもは水の浅い小川が思いもよらず侮り難く
深くなっていることである。」
             (新潮日本古典集成山家集から抜粋)

【あなれ】
 
【あなれ】
(ありーなり)が変化して(あんーなり)となったもの。(あん)
は(有り=あり)の音便形。(なれ)は(なり)の活用形。
(あなれ)は(あんなれ)の(ん)を表記しない形です。
意味は「有る=ある」「あるだろう」と同義に考えていいと思います。
「あなれ」という言葉は源氏物語をはじめ、徒然草などにも用例が
多数あります。

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 寂蓮、人々すすめて、百首の歌よませ侍りけるに、いなびて、
 熊野に詣でける道にて、夢に、何事も衰へゆけど、この道こそ、
 世の末にかはらぬものはあなれ、猶この歌よむべきよし、別当
 湛快三位、俊成に申すと見侍りて、おどろきながら此歌をいそ
 ぎよみ出して、遣しける奧に、書き付け侍りける

末の世もこの情のみかはらずと見し夢なくばよそに聞かまし
          (岩波文庫山家集187P雑歌・新古今集1844)

この詞書と歌は新古今集にしかありません。岩波文庫の山家集に
○印があるのは新古今集からの転載を意味しています。以下は
新古今集からです。新古今集では(あなれ)ではなく(あれ)です。

 寂蓮法師、人々勧めて、百首歌よませ侍りけるに、否び侍りて
 熊野に詣でける道にて、夢に、何事も衰へ行けど、此の道こそ
 世の末に変らぬ物はあれ、猶この歌よむべきよし、別当湛快三位
 入道俊成に申すと見侍りて、驚きながら、この歌を急ぎ詠み出し
 て遣はしける奧に、書き付けて侍りける

末の世もこの情のみ変らずと見し夢なくばよそに聞かまし
                 (岩波文庫新古今集1844番)

新古今集と山家集では語句に微妙な違いがあります。両方ともに
佐佐木信綱氏の校訂によります。山家集は1928年10月、新古今集は
1929年7月の第一刷発行です。新古今集の底本までは調べていません
が当該箇所は「あなれ」になっていたものと思われます。

山家集では(別当湛快三位、俊成)と三位の後に読点がつけられて
います。読点の位置の誤りのため、湛快は三位であったと受け取れ
ます。正しい位置は(別当湛快、三位俊成)となります。

それにしても、佐佐木博士は山家集と新古今集の校訂作業をほぼ
同時に進めていながら、どうして語句の隔たりを出したのか、それ
が不思議です。

○寂蓮
 生年は未詳、没年は1202年。60数歳で没。父は藤原俊成の兄の
 醍醐寺の僧侶俊海。俊成の猶子となります。30歳頃に出家。
 数々の歌合に参加し、また百首歌も多く詠んでいます。御子左家
 の一員として立派な活動をした歌人といえるでしょう。
 新古今集の撰者でしたが完成するまでに没しています。家集に
 寂蓮法師集があります。

○いなびて
 拒絶、否定を表すことば。
 (いな)は否。(び)は接尾語。(て)は助詞。

○熊野
 和歌山県にある地名。熊野三山があり修験者の聖地ですが、特に
 平安時代には皇室をはじめ庶民も盛んに熊野詣でをしました。
 京都からは約20日間かかります。

○別当
 官職の一つで、たくさんの別当職があります。さまざまな職掌に
 おける長官が別当です。
 寺社で言えば、東大寺、興福寺、法隆寺、祇園社、石清水八幡宮
 などの最高責任者を別当といいます。醍醐寺や延暦寺は別当の
 変わりに「座主」という言葉を用いていました。
 熊野別当は熊野三山(三社)を管轄していました。

○別当湛快(べっとうたんかい)
 第18代熊野別当。1099年から1174年まで存命と見られています。
 1159年の平治の乱では、熊野参詣途上の平清盛に助勢しており、
 平治の乱で清盛が勝利した原因の一つでもありました。
 21代熊野別当となる湛快の子の湛増は、初めは平氏の味方でした
 が、後に源氏側について熊野水軍を率いて平氏追討に活躍して
 います。
 西行は熊野修行などを通じて湛快、湛増父子とは面識ができた
 ものと思われます。西行高野山時代に湛増も住坊を持っていた
 とのことですので、湛増とは親しくしていた可能性もあります。
 
○末の世
 仏教でいう末法の時代のこと。日本では1052年に末法の時代に
 入り、それが1万年続くといわれています。これにより浄土思想
 に基く、阿弥陀如来信仰が広がりました。

(詞書の解釈)

「寂蓮法師が人々にすすめて百首歌をよませた時に私はそれを
 ことわって、熊野へ参詣の旅の途中、夢のなかで、この世は何事
 も変わって行くけれど、和歌の道は末世にもかわらぬものである。
 やはり寂蓮の百首歌はよむべきであると熊野の別当湛快が三位
 俊成に申すと、夢の中で見て、目をさまして、この歌を急いで
 詠み出して、寂蓮のもとへおくったが、その奥に書きつけた歌」 
        (渡部保氏著「西行山家集全注解」から抜粋)

(歌の解釈)

「衰えて行く末の世でも、この風流の道のみは変らないと見た
 夢がなかったならば、この百首のこともよそ事に聞き流して
 しまっただろう。」
        
        (渡部保氏著「西行山家集全注解」から抜粋)

西行が寂蓮に書き送ったという百首歌は散逸したらしく、今日には
伝わっていません。

【あはぢ島】 (山、168) →淡路島

【阿鼻の炎】 (山、252)

【阿鼻の炎】
仏教用語。無間地獄の一つで阿鼻叫喚地獄のことです。
歌は聞書集釈教歌の中の一首です。

(無間地獄)
八大地獄の一つ。五逆罪を犯した者が、絶えず苦しみを受ける所。
阿鼻地獄。
(八大地獄)
熱によって亡者を苦しめる八種の地獄。等活・黒縄・衆合・叫喚・
大叫喚・焦熱・大焦熱・無間の八つの称。

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  こころをおこす縁たらば阿鼻の炎の中にてもと申す事を
  思ひいでて

 ひまもなきほむらのなかのくるしみもこころおこせばさとりにぞなる
               (岩波文庫山家集252P聞書集)

○こころをおこす縁
 心を改めて新しい境地に向かうための機縁ということ。

○ひまもなき
 隙間がないこと。ここでは火勢が衰えることがないこと。
 よって苦しみも衰えることがないということ。
 無間地獄ということを掛けています。
 
○ほむら
 炎、火炎のこと。

  (歌の解釈)

「絶えまない炎の中の苦しみも、それを機縁として仏道に発心すれ
 ば悟りになるのだ。」
             (和歌文学大系21から抜粋)

【あふさか】【逢坂】
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