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  西行辞典「後記」特集
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01号  2005年8月10日

メールマガジン「西行辞典」を発刊いたします。不定期発行です。
マグマグの審査を受けるために出した第一号を若干加筆の上、
創刊号として発刊します。
刊行中の「西行の京師」の姉妹紙ともいえます。
私のページの「山家集の研究」にある西行辞典の「あ」から順番に
書き綴っていく予定です。かなりの時間を費やしそうです。
さらなる勉強を私は求められますが、私のライフワークのつもりで、
自分でも楽しみながら、発行を続けて行きたいと思います。

個人でやる限りは限界がありますので、どのようなことでも
よろしいですから、ご教示、ご助言をいただければとても
うれしく思います。

2005年8月10日、不安の強い航海ですが、まずは船出をしましょう。
これから、よろしくお願いいたします。
        
02号  2005年8月30日

八月もあと一日を残すのみ。さすがに暑さは峠を越し、幾分過ごし
やすくなりました。暑さ厳しき日常でしたのに、解散とか刺客とか、
なにやらきなくさい話題が続き、なおさら暑くなっていた今夏です。
それもまもなく収束するでしょう。
いや、やはり残暑は厳しいのでしょうか。

「紅旗征戎吾ガ事に非ズ」(明月記)と思う反面、知らず知らずの
内に、世の中の動きに熱くなっていた自身を発見して、すこし恥じ
ます。まだまだ血の気が多いということでしょうか。しかし、外部
の動きに無節操に我を忘れる年齢ではありません。すでに枯淡の
境地の部分がまさっていることは確実です。

さまざまな方に歌の真髄に触れて欲しいものだと思います。
とはいえ、私自身が歌の真髄などと言っても皆目分からないと
いうのが実情です。
急がずに、休まずに勉強を続けて行きたいものと思います。

03号  2005年9月17日

明日は旧暦の八月十五日。中秋の名月の日です。京都の各寺社でも
月見の宴が催されます。古来、月見の名所であった大覚寺の観月の
宴は有名です。西行にも以下の歌があります。

「やどしもつ月の光の大澤はいかにいづこもひろ澤の池」
               (岩波文庫山家集 72P 秋歌)

大澤とは大覚寺にある大澤の池のことです。大覚寺からほど近い
広沢の池も観月の名所です。ただ残念なことに、明日の京都は
曇り空のようです。

九月という月は、なぜか「月」の歌が似合いそうです。年間を通じ
て月がもっとも美しく見える季節だからでしょうか。
西行歌には、ことに多くの月の歌があります。西行ほど月の歌を
詠った歌人はいないのではないかと思うほどの歌数です。八月
十五夜の歌も71ページにあります。

月見とは単純に月の美しさを愛でるものであろうはずはありません。
自身の来し方を回顧し、これからの行く末に思いを馳せるという
ことと一体になったものだと思います。月を通して、敬虔な気持で、
自身の人生を通史として照射するということなのでしょう。

04号  2005年10月10日

暦とは同調しない生活をしていて、カレンダーを見ることも
ほとんどなく、曜日とか祝日には疎くなっています。にも
関わらず季節には敏感でありたいものだと思います。

季節がもたらせてくれるそれぞれの情趣の中で、私たちは生活
しています。見方を変えれば、季節に捉われて生きているのが
人間だともいえます。

それぞれの季節を楽しみたいと思います。
吹いて行く風の表情一つにしても季節ごとに違いがあります。
季節のもたらす情趣ということは、大げさな言葉を使えば
「恩恵」とも思えます。「恩寵」という言葉も思い浮かべます。

昨日、自転車を走らせて嵐山に行ってきました。人出が多く、
京都は秋の観光シーズンに入ったことがわかります。これから
紅葉の頃に向けて、ますます混雑するでしょう。
昨日は松尾大社、嵐山、天竜寺、常寂光寺、二尊院、祇王寺
だけの拝観でしたが、紅葉の頃に、また、訪ねたいものと
思います。

05号  2005年10月20日

今回取り上げた「安芸の一宮」である厳島神社には、30年ほども
前に行ったことがあります。その時の一度きりです。数葉の色
あせた写真が確かに行ったことを証明していますが、記憶はほと
んど残っていません。

『平清盛が篤く信仰して造営した平安末期の建築も部分的に現存
しているといわれ、いずれにしても様式的に、王朝時代の典雅が
大きな規模の隅々にまで滲みわたっていることは疑いない。本社
と客神社、どちらもほぼ同じ造型だが、大鳥が力強くしかも優美
に翼をひろげた姿の、入母屋造の祓殿の正面もさることながら、
前後に長く裾を引き、厚く檜皮を盛り上げた両流造の本殿の、宮廷
音楽の旋律のような屋根の曲線は、いくら見ていても見倦きない。
むしろ、聴きほれて時の経つのを忘れるといった方がよい。』
     (川本二郎氏著「日本廻国記 一宮巡歴 233ページ)

厳島神社のありようを川本氏の文章が雄弁に物語っていると思い
ます。

この斎(いつき)の島である厳島も、戦国時代は毛利氏と陶氏の
激戦地でもありました。戦いの島、惨劇の島でもあるのです。
どこの土地であるにしろ、連綿として続いている歴史を持って
いるということですね。
その歴史の重さを充分に掬いあげる形で歴史を勉強したいと
思いますし、かつ、私の発行するマガジンの基本的なスタンス
としたいと思います。

06号 2005年11月16日

昨日、愛宕山に登ってきました。愛宕山は京都の西の雄峰で、標高
は924メータ。清滝バス停から神社まで、距離にして約5キロです。
平日ですので一般の登山者は少なかったのですが、蜂が丘中学校
の全校行事として、たくさんの生徒達が登っていました。
後ろからくる生徒達に追い抜かれながら、マイペースで登り、神社
着までに約二時間三十分を要しました。
きつい思いをして登れば登ったで、そこそこの達成感も味わいます。

この愛宕神社は全国に分布する愛宕社の総本山です。役の小角が
開基とも伝えられますが、諸説があり、よく分かりません。
山岳修験道の道場ともされ、天狗が住むとも考えられていました。
江戸時代になって「愛宕山には月参り」といわれるほどに、庶民の
信仰をあつめていたのですが、明治の廃仏毀釈では山頂のお寺の
いくつかが破却されるなどの被害を受けています。名称も
「愛宕大権現」から「愛宕神社」にと改称されました。
「火の神」としても知られていて、一昔前ならどこの家庭でも、
愛宕社発行の「火迺要慎」のお札が貼られていたものです。

時雨つつ日数ふれどもあたご山しきみが原のいろはかはらじ
                 (藤原顕仲 堀川百首)

のように「あたご山」の名詞の入った歌も、いくつかあります。

さて、これまでに四回登ったことになりますが、来年はどうで
しょう。登るだけの元気さがあればと思います。

07号  2005年11月26日

最近読む本といえば、マガジンのための資料ばかりともいえます。
その中にあって月刊小説誌「小説スバル」はマガジンと関係の
ない、唯一の購読誌です。
ちょうど良い息抜きになっていると言えるでしょうか。
昔は「文学界」「小説現代」「歴史読本」など硬軟取り混ぜて
十誌ほど購読していました。現在は小説を多く読むだけの時間が
とれません。物を見る目の力そのものも衰えてきて、多くは読み
たくはないというのが本音です。読まなくてはならないものだけを
読んで、他は読まないという選択が必要です。

京都博物館で「古今集1100年、新古今集800年記念 和歌と美術」
展が開催中です。なんでも西行の「一品経和歌懐紙」が展示され
ているそうですので、行ってくるつもりです。
下は京都国立博物館のページです。

http://www.kyohaku.go.jp/jp/index_top.html

「山家集の研究」のアドレスが変更になりました。お気に入りに
入れていただいている方は、設定替えを御願いします。
ページアドレスは下にあります。
                                   
 http://sanka05.web.infoseek.co.jp/sankasyu4/magagin02.html

08号  2005年12月22日

予想に反して、とりわけ寒く、雪の多い冬となりそうです。
各地で積雪量の更新をしたとか・・・。雪害が深刻な地域も
あることと思います。
京都の市街地では、18日に初雪がありました。京都市は南にしか
開けていない盆地であり、寒さは厳しいものがありますが、例年、
降雪は多くはありません。むしろ生地の愛媛県西宇和郡のほうが、
雪は、はるかに多いでしょう。
ともあれ、寒さ厳しき年の暮れです。

西行法師の生きた時代のほうが寒さは厳しいものでした。

よもすがら嵐の山は風さえて大井のよどに氷をぞしく
                  (102ページ)

という歌も想像ではなくて実景描写のはずだと思います。防寒の
衣料もなく暖房器具もない。隙間風の吹きぬける粗末な庵で、一冬
を過ごすということは、当然に命がけだったでしょう。寒さは命を
削ります。
そういう環境で73歳まで生きたということは奇跡に近いともいえ
ます。西行法師は元来、身体が頑健だったものと思います。

この「西行辞典」は年内にもう一度出そうかと思っています。
師も走る気ぜわしい時ですが、何年かかるかわからない長い作業に
なりますので、出せるときに出しておきたいと思います。

09号  2005年12月28日

いよいよ本年も残り少なくなりました。私でさえ、あわただしい
日々です。
この号が本年最後の発行となります。

行く年を惜しみます。時間があまりにも早く過ぎ行きます。それも
まあ、自然の摂理と思えば納得のいくことです。誰の上にも時間は
容赦なく流れ、過ぎ、去ります。

新たなる年は今年よりもさらにダイナミックに、自身の充実を旗印
にして邁進したいと思います。
この西行辞典も私の責務として当然に続けます。意味のある営為で
あるかどうかの判断は私以外の方に委ねます。

「西行辞典」の発行は本年八月からですし、まだ五カ月を経過した
だけですが、発刊以来のご購読、ありがとうございました。
2006年もよろしくお願いいたします。
それでは皆様、良いお年をお迎えなさいますよう・・・。

10号  2006年1月10日

新年あけましておめでとうございます。
読者の方々、どなた様にも充実した良い一年となりますように
願いあげます。

舟とめしみなとのあし間さをたえて心ゆくみむ五月雨の頃
先号の「蘆」の歌の中で、50ページ春歌の歌が欠落していました。
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