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京都写真集
   マガジン37号  

 
  右京区西部   嵯峨 保津川 二尊院 化野念仏寺 大覚寺 広沢の池 遍照寺 
  右京区東部   源光寺 広隆寺 仁和寺 法金剛院 鳴滝 二條天皇陵 竜安寺
  右京区北部   清滝川 神護寺 高山寺 西明寺

 竜安寺(徳大寺の左大臣の堂)      

   徳大寺の左大臣の堂に立ち入りて見侍りけるに、あらぬことになりて、
   あはれなり。三條太政大臣歌よみてもてなしたまひしこと、ただ今と
   おぼえて、忍ばるる心地し侍り。堂の跡あらためられたりける、さる
   ことのありと見えて、あはれなりければ  185ページ
                           
  なき人のかたみにたてし寺に入りて跡ありけりと見て帰りぬる

龍安寺の前身は第64代円融天皇が983年に発願して建てられた「円融寺」
とされています。その後、円融寺が衰退した後に、藤原実能が山荘を営み、その
敷地内に「得大寺」を建てたようです。この寺は「得大寺」とも「徳大寺」とも表記
されています。
実能は徳大寺家の祖と言われています。落飾前に西行が仕えた人です。
この山荘は、1450年に細川勝元に譲り渡されて、「龍安寺」となったようです。

竜安1

この石庭はいつ頃、誰が作ったものかは明かではありません。
この庭の意味は、見る人が自分の思想、自分の信条で解釈していいものだそうです。
いかにも「禅」という感じがします。北斗七星を表したものだといわれます。

竜安2

「鏡容池」といいます。「京都市の地名」では「円融寺」時代からのものとありますが、
竜安寺発行のパンフレットでは、徳大寺家によって築かれたと明記されています。
岩波文庫「山家集」185Pに「徳大寺の左大臣の堂に立ち入りて・・・」というのは、
この竜安寺のことですから、西行もここにきたことがあるのは確実でしょう。
池は本当に鏡のようです。

竜安3

竜安4

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 二條天皇陵

鹿苑寺金閣の少し南にニ條天皇の香隆寺陵があります。
住宅街の中です。第78代、ニ條天皇は後白河天皇の子供で、1165年7月に
23歳で逝去しました。実はこの天皇の墓所は明確ではありません。
平家物語では「蓮台野の奥、船岡山」と記述されています。1889年に現在地に治定
されました。ニ條天皇陵は他に左京区に菩提樹院陵があります。
岩波文庫204Pにある「ニ條院のお墓・・・」はここかどうかわかりません。
                
二条院陵1

二条院陵2

二条院陵3

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