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西行辞典 あや〜あわ
あい〜あか | あき〜あこ | あさ | あし | あす〜あち | あな〜あび | あま〜あめ | あや〜あわ |
項目
あやし・あやむる・あやめて・あや杉・あやな・あやなく・あやひねる・あやめ草・
花あやめ・あやめ・菖蒲・嵐の山・あらじ・あら田・あらち山・有明・有明の月・
ありす川・ありてのみやは・ありのとわたり・淡路島・淡路潟
【 あやし・あやむる・あやめて 】
【あやし】
1番歌から3番歌までにある、(あやしや、あやし、あやしき)
は形容詞として使われています。(怪し=あやし)で、奇怪な
ことである、いぶかしいことである、不思議なことである、と
いう意味合いで用いられています。
【あやむる】
(怪む=あやむ】の下二段活用連体形と思いますが自信がありま
せん。(怪しまれる)と同義です。他人から(あやしいなーと
思われるほどに)というほどの意味です。
4番から7番までも他動詞ですから(あやむる)の場合とほぼ同じ
意味と解釈して良いと思います。
【あやめて】
現在は(あやめる=殺める)が一般的な用法だと思います。
西行歌の場合は(殺める)という意味とは違って、6番歌の
(あやめつつ)も含めて(怪めて)(怪めつつ)の文字を当て
ます。
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1 虫のねにさのみぬるべき袂かはあやしや心物思ふらし
(岩波文庫山家集64P秋歌・西行上人集・山家心中集)
みたけよりさうの岩屋へまゐりたりけるに、もらぬ岩屋
もとありけむ折おもひ出でられて
2 露もらぬ岩屋も袖はぬれけると聞かずばいかにあやしからまし
(岩波文庫山家集121P羇旅歌・西行上人集・山家心中集)
3 今よりは昔がたりは心せむあやしきまでに袖しをれけり
(岩波文庫山家集194P雑歌・西行上人集・山家心中集)
4 親におくれて歎きける人を、五十日過までとはざりければ、
とふべき人のとはぬことをあやしみて、人に尋ぬと聞きて、
かく思ひて今まで申さざりつるよし申して遣しける人にかはりて
なべてみな君がなさけをとふ数に思ひなされぬことのはもがな
(岩波文庫山家集205P哀傷歌・西行上人集追而加書)
5 おぼつかないかにも人のくれは鳥あやむるまでにぬるる袖かな
(岩波文庫山家集143P恋歌)
6 あやめつつ人知るとてもいかがせん忍びはつべき袂ならねば
(岩波文庫山家集151P恋歌・西行上人集・山家心中集・
御裳濯河歌合・夫木抄)
7 気色をばあやめて人のとがむともうちまかせてはいはじとぞ思ふ
(岩波文庫山家集156P恋歌)
○さのみぬるべき
副詞の(さ=然)に副助詞(のみ)が接合し、それに(濡るべき)
が付けられた言葉です。
(さのみ)は(むやみと、やたらと、それほどに)などの意味
合いで用いられ、(濡るべき)が付く事によって(たくさん涙が
出て、涙をぬぐう袖が濡れる)という意味になります。
○岩屋
岩窟のこと。大峯修行のときの歌です。
○なべて
おしなべて、ひっくるめて、一般的には、普通には、という意味
合いをもつ言葉です。
○とふ数
詞書にある(とふべき人)の人数のこと。弔問客の人々。
○くれは鳥
(鳥)という名詞が入っていますが正しくは(呉織)という文字
をあてて(くれはとり)と読みます。したがって鳥類の固有名詞
ではなく(くれは鳥)という名称の鳥はいません。
(くれはとり)の(くれ)は古代中国の国名。(はとり)は機織
の約。
飛鳥時代に中国から帰化した機織職人を(くれはとり)と言い
ます。また呉の国の織物の織り方で織った綾織りを同様に
(くれはとり)と言います。
○2番歌関連の行尊の歌
草の庵をなに露けしと思ひけんもらぬ窟(いはや)も袖はぬれけり
(行尊 金葉集 雑上)
(2番歌の解釈)
「笙の窟は雨露がまったくもれないはずなのに、私の袖は法悦
の涙の露で濡れてしまった、と詠んだわが敬愛する行尊の歌を
知らずにこの地に立っていたら、私のこの涙をどう説明したら
いいのかわからなかったよ。」
(和歌文学大系21から抜粋)
(5番歌の解釈)
「おかしいぞ、どうしたのかと人があやしむほどに君恋うる
涙にぬれるわが袖よ。」
(渡部保氏著「西行山家集全注解」から抜粋)
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【 あや杉 】
【あや杉】
植物の杉の一種。綾杉。神事にも用いられていたようです。
広辞苑では「ヒムロ」の異称とあり、「ひむろ=姫榁」は、
「ヒノキ科の小喬木。高さ3〜4メートル。サワラの園芸変種で、
枝は繁く葉は線形で軟かい。庭木として用いる」と記述されて
います。
九州などで植栽されているアヤスギは高木で建築材として用いら
れていますので「アヤスギ」と「綾杉」は別種だろうと思います。
(西行山家集全注解)では「イワネスギ」のこととありますが、
「イワネスギ」そのものが分かりません。
西行歌の「あや杉」も、どちらの「アヤスギ」か断定はできない
と思います。植物学上の固有名詞ではなくて、宗教上の意味を付託
された特別な杉という意味ではないかと愚考します。
詳しくご存知の方は御教示お願いします。
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1 よろづ代を山田の原のあや杉に風しきたててこゑよばふなり
(岩波文庫山家集279P補遺・宮河歌合・夫木抄)
○山田の原
伊勢神宮外宮のある一帯の地名。外宮の神域。古代から山田の町
の人たちと外宮は密接に結びついてきました。
○風しきたてて
(しきたてて=敷き立てて)と解釈するには無理があり、この
部分が難解だと思います。岩波文庫山家集124Pと261Pにある次の
歌の(しきたてて)とは明白に意味が異なると思います。
宮ばしら下つ岩根にしきたててつゆもくもらぬ日のみかげかな
(岩波文庫山家集124P・261P・新古今集・西行上人集追而)
あたらしき年の初めの初春の今日降る雪のいや重(し)け吉事
上の歌は万葉集の巻末を飾る大伴家持の歌です。
ここにある(重け=しけ)は重なること、繰り返されることを
指します。頻繁の頻も(しき)と読み(頻り)と用います。
また(強いて)を(強く=しく)と用いたのかもしれないと思い
ます。もしも(重き立てて)(頻き立てて)(強き立てて)など
であるなら、歌意は通じるのではないでしょうか。
(歌の解釈)
「よろず代を思わせて山田の原(外宮に近い地)にあるあや杉
(杉の一種イワネスギ)の梢に風がしきりに吹きたてて(外宮
近くの老杉、風が常にひびきを立て、万代までつづくことを思
わせていること)大声を出して、よびつづけているのである。」
(渡部保氏著「西行山家集全注解」から抜粋)
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◎おひしげれ平野の原のあや杉よこき紫にたちかさぬべく
(清原元輔 拾遺集593番)
◎ちはやぶる香椎の宮の綾杉は神のみそぎに立てるなりけり
(よみ人知らず 新古今集1868番)
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【 あやな・あやなく 】
【あやな・あやなく】
「文無=あやなし」で、(あやな)は語幹用法。
(あや)は紋様・筋目のこと。(なく・なし)は(無)で否定。
模様がない、筋が通らない、訳が分からない、意味がない、わき
まえが無い・・・などの意味合いで用いらていた言葉です。
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1 心せむ賤が垣ほの梅はあやなよしなく過ぐる人とどめける
(岩波文庫山家集20P春歌)
2 うき世おもふわれかはあやな時鳥あはれもこもる忍びねの聲
(岩波文庫山家集47P夏歌・御裳濯河歌合・西行法師家集)
3 芦の家のひまもる月のかげまてばあやなく袖に時雨もりけり
(岩波文庫山家集264P残集)
○心せむ
(心する)のサ行変格活用。心得る、心おく、心する、などと
同義。気にとめておくこと、心得ておくこと、注意しておくこと
などのニュアンスです。
この歌では、人が立ち止まるのは梅の花の魅力によってこそで
あって、決してそれ以外のものではない・・・ということを心得
ておくこと、として(心せむ)が使われています。
○賤が垣ほ
(賎が)は自身の庵を卑称して使っている言葉。(垣ほ)は垣根
のこと。
○よしなく過ぐる
関係なく過ぎていくこと。私(西行)とは無縁の人たちが、立ち
止まる理由は決して私にあるのではなくて庵に咲き誇る梅の花に
あるということ。
○時鳥
(ほととぎす)と読みます。郭公、子規、呼子鳥、死出の田長、
時鳥などと漢字表現はいくつかありますが、すべて(ほととぎす)
と読みます。
これは松本柳斎の(山家集類題)でも上記の漢字表現をとって
おり、岩波文庫山家集は類題本にほぼ忠実といえます。
○忍びねの聲
普通はひそひそ声、しのび声を言います。ここでは陰暦四月頃に
啼き始めたばかりで、うまく鳴くことのできないホトトギスの声
を(忍びねの聲)と言っています。
○芦の家
「芦の家」歌については「蘆」の項を参照願います。
(2番歌の解釈)
「憂き世のことを思うわたしだろうか。そんなことはないのに、
おかしな時鳥よ、情感の籠もった声で鳴いて。」
(和歌文学大系21から抜粋)
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【あやひねる】
【あやひねる】
○綾織のごとくひねり編む。(新潮日本古典集成山家集から抜粋)
○綾織物のように編むこと。(和歌文学大系21から抜粋)
【綾】紋様を織り出した絹。織り目がななめ線の織物。綾織り。
【綾織物】綾を織り出した美しい絹織物。
(日本語大辞典から抜粋)
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1 あやひねるささめのこ蓑きぬにきむ涙の雨を凌ぎがてらに
(岩波文庫山家集161P恋歌)
新潮版では以下のようになっています。
綾ひねる ささめの小蓑 衣に着ん 涙の雨も しのぎがてらに
○ささめ
「ささめ=莎草」。チガヤに似たイネ科の野草の名。しなやかで、
編んで蓑・筵などに作る。ささのみ。 (広辞苑第二版から抜粋)
○きぬにきむ
衣のようにして着る、衣のつもりで着るという意味。
○涙の雨
涙を雨に見立てています。深い悲しみをいうための誇張表現です。
(歌の解釈)
「綾織物の衣ではなく、茅織りの蓑を着ることにしよう。あんまり
泣いて涙は雨のように滂沱と流れたので、蓑でもないと凌げそうに
ないから。」
(和歌文学大系21から抜粋)
「ささめを綾織のように編んだ小蓑を衣として身につけよう。恋の
悲しみゆえの涙の雨をもしのぎがてらに。」
(新潮日本古典集成山家集から抜粋)
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【あやめ草・花あやめ・あやめ・菖蒲】
【あやめ草・花あやめ・あやめ・菖蒲】
(あやめ=菖蒲)。アヤメ科の多年草。山野に自生。観賞用にも
栽培される。高さは約50センチ。葉は細長く直立。初夏に紫色の
花が茎頂に咲く。白色や紅紫色の栽培種もある。
ハナアヤメ。菖蒲の古名。
山家集にある(あやめ草)はアヤメのこと。(菖蒲)はアヤメの
ことだろうとは思いますが、サトイモ科の菖蒲の場合もあるはず
と思います。古称、俗称、自生種、栽培種入り乱れていて、私も
的確に言い当てることができません。
【菖蒲】
サトイモ科の多年草。高さ約80センチで水辺に群生。葉は長い
剣状。花茎の中ほどに淡黄色の肉穂花序をつける。全草に芳香が
あり、根茎は薬用に、葉は端午の節句の菖蒲湯に使う。観賞用の
ハナショウブとは別種。ノキアヤメ。アヤメグサ。フキグサ。
ハナショウブの俗称。
(日本語大辞典を参考)
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5日、さうぶを人の遣したりける返事に
1 世のうきにひかるる人はあやめ草心のねなき心地こそすれ
(岩波文庫山家集47P夏歌)
高野に中院と申す所に、菖蒲ふきたる坊の侍りけるに、
櫻のちりけるが珍しくおぼえてよみける
2 櫻ちるやどにかさなるあやめをば花あやめとやいふべかるらむ
(岩波文庫山家集48P夏歌・夫木抄)
3 ちる花を今日の菖蒲のねにかけてくすだまともやいふべかるらむ
(稚児詠歌 岩波文庫山家集48P夏歌)
4 空晴れて沼のみかさをおとさずばあやめもふかぬ五月なるべし
(岩波文庫山家集48P夏歌・夫木抄)
5 みな人の心のうきはあやめ草西に思ひのひかぬなりけり
(岩波文庫山家集48P夏歌・夫木抄)
5月5日、山寺へ人の今日いるものなればとて、さうぶを遣し
たりける返亊に
6 西にのみ心ぞかかるあやめ草この世はかりの宿と思へば
(岩波文庫山家集48P夏歌・夫木抄)
7 あやめ葺く軒ににほへるたちばなに来て聲ぐせよ山ほととぎす
(岩波文庫山家集263P残集・西行上人集追而・夫木抄)
8 あやめふく軒ににほへる橘にほととぎす鳴くさみだれの空
(岩波文庫山家集237P聞書集)
9 五月雨の軒の雫に玉かけて宿をかざれるあやめぐさかな
(岩波文庫山家集48P夏歌)
さることありて人の申し遣しける返ごとに、五日
10 折におひて人に我身やひかれましつくまの沼の菖蒲なりせば
(岩波文庫山家集47P夏歌・夫木抄)
五月会に熊野へまゐりて下向しけるに、日高に、宿にかつみを
菖蒲にふきたりけるを見
11 かつみふく熊野まうでのとまりをばこもくろめとやいふべかるらむ
(岩波文庫山家集48P夏歌・西行上人集)
12 今日の駒はみつのさうぶをおひてこそかたきをらちにかけて通らめ
(岩波文庫山家集225P神祇歌)
13 いたきかな菖蒲かぶりの茅巻馬はうなゐわらはのしわざと覚えて
(岩波文庫山家集248P聞書集)
○心のねなき
「心のね」とは、人間として備わっているべき基本的な性情の
こと。それが欠如しているということでしょう。
ここでは、仏教を信じる心がしっかりと根付いていないことを
批判的に詠っていると解釈するべきだと思います。
誰かは分からない人が西行に菖蒲を贈った時のお礼としての歌
です。当時は菖蒲を贈ったり贈られたりするという習慣があった
ものと思えます。
○花あやめ
邪気を払う効用があるという菖蒲を屋根に葺いた坊が高野山に
あって、屋根の上に桜の花が散り敷く光景を詠った歌です。
したがってこの歌にある「花あやめ」はハナアヤメとは違います。
花は桜であり、しゃれで「花あやめ」という言葉を使った歌です。
○くすだま
五月の節句の日に用いる作り物のこと。邪気を払うために香料や
薬草を丸くして菖蒲などで飾り付けたものが「薬玉」。それを柱
などに掛けておくという風習がありました。
○みかさ
(み)は(み吉野)(み山)などのように接頭語かとも思わせ
ます。しかし「嵩」に(み)の使用はないでしょう。
ここでは、水嵩のことを(みかさ)と読みます。
他に(みかさ)の用例は次の歌と二首のみです。
ひろせ河わたりの沖のみをつくしみかさそふらし五月雨のころ
(岩波文庫山家集48P夏歌・西行上人集追而・夫木抄)
○西に思ひのひかぬ
(西に)は西行歌にたくさん出てきますが、阿弥陀仏信仰の西方
浄土のことを指します。(思いをひかぬ)で興味がないということ、
関心が乏しいということを表し、信仰心の薄い人々を批判的に
詠っています。1番歌と似た詠みぶりです。
○5月5日
菖蒲の節句の日のことです。邪気を払うという菖蒲を軒先に吊る
したり、菖蒲の葉を入れた湯に浸かるという風習があります。
あやめの節句、端午の節句とも言います。
○聲ぐせよ
(声具せよ)で、鳴きなさい・・・ということ。橘の香りに合わ
せて美しい音色を響かせて欲しいという願望のことば。
○玉かけて
玉は雫の形状を表していて、宝玉などの尊いものの例えでしょう。
ここではもっと深い宗教的な境地を暗示しているとも言えます。
○つくまの沼
近江の国の歌枕。筑摩江は菖蒲の名所です。
○日高
紀の国にある地名。
○かつみ
(まこも=真菰)の別称とみられています。
○こもくろめ
不明。菰にくるまっているような感覚をいうか?
○駒
馬のこと。
○みつのさうぶ
美豆の菖蒲。美豆は男山の少し北に位置する地名。男山にある
岩清水八幡宮の五月節句の日の行事に競馬があって、片方の馬は
背に美豆産の菖蒲を付けているということ。菖蒲は勝負に掛けて
います。
○かたきをらちにかけて
(かたき)は勝負の相手方のこと。(らち)は競馬用の馬場の
柵のことです。相手を柵のあたりに押し付けるようにして・・・
立ち往生させるようにして・・・一方的にということを意味
しています。
○茅巻馬
端午の節句の子供の玩具の一つです。茅や菰を利用して馬の形に
かたどって作ったものです。
○うなゐわらは
(うなゐ)は子供の髪型のこと。髪をうなじで束ねた髪型。または
うなじの辺りで切り下げておく髪型。(うなゐ)は(うなじ)に
通じるものでしょう。
(わらは)は童のことであり(うなゐわらは)は、うない髪にした
幼い子供という意味です。
(1番歌の解釈)
「菖蒲の節句の今日、泥の中から菖蒲を根のままひくごとく、憂き
世の俗事に心のひかれる人は、逆に根のない菖蒲のように心も
根のない心地がすることですよ(そのようになりたくないもの
です)。
(新潮日本古典集成山家集から抜粋)
(6番歌の解釈)
「心の方は西方浄土ばかりが気にかかって、軒に掛ける菖蒲
なんて忘れていたよ。菖蒲を刈ったの葺いたのといっても、
所詮は仮の宿、現世は虚仮である、と観念して修行する身です
から。」
(和歌文学大系21から抜粋)
(13番歌の解釈)
「すばらしいなあ。菖蒲をかぶせた茅巻馬は。うない髪の子供の
したことと思われて。」
(和歌文学大系21から抜粋)
【嵐の山】
【嵐の山】
京都市を代表する景勝地(嵐山)のこと。
保津川、大堰川、桂川、淀川と名を変えて大阪湾に注ぎ込む川が、
嵐山を流れています。渡月橋上流が大堰川、下流が桂川と呼ばれて
います。
山としての(嵐山)は大堰川西側にあり標高382メートル。嵐山と
対し合って東側には小倉山があります。
こんにちでは渡月橋周辺一帯を嵐山と呼称しています。渡月橋は
平安時代初期には今より少し上流に架けられていたそうであり、
(法輪寺橋)と呼ばれていました。法輪寺橋は(渡月橋)と名を
変えたのですが、渡月橋の橋名は亀山上皇の命名によります。
橋の位置が現在地になったのは1606年に大堰川を開削した角倉了以
が架橋してからのことです。
渡月橋がコンクリート製の橋になったのは昭和九年のことです。
それまでの渡月橋は、大堰川の氾濫のために何度も流失しています。
嵐山はたくさんの歌に詠まれてきました。紅葉、月、ホトトギス
などのほかに、大堰川、小倉山、戸無瀬の滝などの歌枕を詠み込ん
だ歌も多くあります。
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1 よもすがら嵐の山は風さえて大井のよどに氷をぞしく
(岩波文庫山家集102P冬歌・西行上人集・山家心中集・夫木抄)
かく申しつつさし離れてかへりけるに、「いつまで籠りたる
べきぞ」と申しければ、「思ひ定めたる事も侍らず、ほかへ
まかることもや」と申しける、あはれにおぼえて
2 いつか又めぐり逢ふべき法の輪の嵐の山を君しいでなば
(岩波文庫山家集268P残集・夫木抄)
○大井のよど
大堰川の淀みのこと。
西行の時代には、川の水があまり動かない淀みには氷が張ったの
かもしれないと思わせる歌です。
○法の輪
法の輪とは「世の中の悪を打ち砕くための輪法」ということと、
桂川右岸にある「法輪寺」を掛けています。
西行時代の法輪寺は現在よりは広い寺領だったようです。虚空蔵
菩薩や十三参りは当時から有名だったようです。
枕草子にも記述されているお寺です。詳しくは「法輪寺」の項に
詳述します。
○君し
(君)は法輪寺に籠もっていた空仁法師を指します。(し)は
(君)を強調し歌の調べを整えるために使われています。同様の
(君し)の用い方は山家集には次の歌があります。
時鳥なくなくこそは語らはめ死出の山路に君しかからば
(岩波文庫山家集137P羇旅歌・西行上人集・山家心中集)
(2番歌の解釈)
「今度いつまた、法輪が転ずるように、あなたとめぐり逢うこと
ができるでしょうか、ここ嵐山の法輪寺をあなたがお出になった
ならば。」
(和歌文学大系21から抜粋)
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◎ ふもとゆくゐぜきの水やこほるらんひとりおとするあらしやまかな
(藤原良経 秋篠月清集)
◎ 朝まだきあらしのやまのさむければもみぢの錦きぬ人ぞなき
(藤原公任 拾遺集)
◎ 大井川いくせのぼればうかひ船あらしの山のあけわたるらん
(藤原家隆 壬二集)
◎ おほゐ川ふるき流れをたづねきてあらしのやまの紅葉をぞみる
(白河天皇 後拾遺集)
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以下の歌にある(嵐・あらし)は、明らかに嵐山との関連で使わ
れています。ただし明白に嵐山を詠んだ歌ではありません。
参考までにここに補記しておきます。
待賢門院の中納言の局、世をそむきて小倉の麓に住み侍りける
頃、まかりたりけるに、ことがらまことに優にあはれなりけり。
風のけしきさへことにかなしかりければ、かきつけける
1 山おろす嵐の音のはげしきをいつならひける君がすみかぞ
(岩波文庫山家集137P羇旅歌・西行上人集・山家心中集)
哀なるすみかをとひにまかりたりけるに、此歌をみてかきつけける
同じ院の兵衞局
2 うき世をばあらしの風にさそはれて家を出でぬる栖とぞ見る
(岩波文庫山家集137P羇旅歌・西行上人集・山家心中集)
【あらじ】
特殊な活用をする古語です。(じ)は助動詞で、打消しの推量と
して作用します。また、否定の意志を表します。
「在る・知る」などと結びついて、「在らじ」「知らじ」などと
変化して、元の語を否定する形で用いられます。
(用例)
さる目見て世にあらじとや思ふらんあはれを知れる人の問はぬは
(和泉式部 和泉式部集235番)
・・我を除きて人は在らじと誇ろへど 寒くしあれば麻衾・・・
(山上憶良 万葉集巻五)
・・京にはあらじ、あづまの方に住むべき国求めに・・・
(伊勢物語第九段)
かくとだにえやはいぶきのさしも草さしも知らじな燃ゆる思ひを
(藤原実方 百人一首51番)
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世にあらじと思いける頃、東山にて、人々霞によせて思ひを
のべけるに
1 そらになる心は春の霞にてよにあらじとも思ひたつかな
(岩波文庫山家集19P春歌)
2 今さらに春を忘るる花もあらじやすく待ちつつ今日も暮らさむ
(岩波文庫山家集25P春歌・西行上人集・山家心中集・夫木抄)
3 年の内はとふ人更にあらじかし雪も山路も深き住家を
(岩波文庫山家集98P冬歌)
4 さらばたださらでぞ人のやみなましさて後もさはさもあらじとや
(岩波文庫山家集144P恋歌)
5 いざさらば盛おもふも程もあらじはこやが嶺の春にむつれて
(岩波文庫山家集190P雑歌)
6 三熊野のむなしきことはあらじかしむしたれいたのはこぶ歩みは
(岩波文庫山家集225P神祇歌)
7 谷のまも峯のつづきも吉野山はなゆゑ踏まぬ岩根あらじを
(岩波文庫山家集249P聞書集)
8 死出の山越ゆるたえまはあらじかしなくなる人のかずつづきつつ
(岩波文庫山家集255P聞書集)
武者のかぎり群れて死出の山こゆらむ。山だちと申すおそれ
はあらじかしと、この世ならば頼もしくもや。宇治のいくさ
かとよ、馬いかだとかやにてわたりたりけりと聞こえしこと
思ひいでられて
9 しづむなる死出の山がはみなぎりて馬筏もやかなはざるらむ
(岩波文庫山家集255P聞書集)
10 哀しる空にはあらじわび人の涙ぞ今日は雨とふるらむ
(院の少納言 岩波文庫山家集209P哀傷歌)
○世にあらじ
世(俗世)にいないでおこう・・・という意志を込めています。
俗世から離れること、つまりは、出家の意思表示です。
○東山
京都の東山のことです。山家集には東山にある双林寺、長楽寺、
霊山などの名称が記述されています。
○そらになる心
うつろになること、空になること。
(世俗的なことごとの一切から解き放たれること)が(そらに
なる心)なのでしょうか。
下句によって、西行が出家を決意した時の歌とみなされます。
出家する(1140年10月15日)年の春に詠んだ歌といわれます。
○やすく待ちつつ
自然のままに心静かに花の咲くのを待とう・・・ということ。
○人のやみなまし
全体的によく理解できにくい歌です。
和歌文学大系21では(やみなまし)を
「終わって欲しい。(私に逢わないという)決意を変えないで
いて欲しい。」
と意訳しています。
○はこやが嶺
中国の神仙思想における想像上の山のこと。仙人が住む霊山と
言われます。
ここでは上皇の御所を「はこやが嶺」に見立てています。
鳥羽上皇の仙洞御所である鳥羽離宮を指しています。
○春にむつれて
春と睦みあうこと。春や春の花に馴れ親しんできたということ。
○三熊野
熊野三山のこと。熊野本宮大社、熊野速玉大社(新宮)、
熊野那智大社を総称しています。
○むしたれいたの
(むしたれ)
植物の(からむし)の繊維を用いて織った布。
(いた)
熊野神社では巫女のことを(いた)といいます。むしたれ衣を
着けた熊野神社の巫女という意味です。
○死出の山
死後の世界で死者が越えるという山。
○山だち
山賊のことです。山賎(やまがつ)と文字は似ていますが意味は
違います。
当時は街道などで旅人を襲う賊徒が多く、鈴鹿や奈良坂の山賊が
有名でした。
○宇治のいくさ
宇治川合戦のことです。1180年5月、平氏に叛旗を翻した以仁王
と源頼政の勢力が宇治で平氏方と戦った戦です。以仁王、頼政は
ともに敗死しました。頼政の自刃場所は宇治の平等院です。
○馬いかだ
渡川のために川の中に馬を並べて、筏代わりにして川を渡ること。
平家物語や太平記に記述されています。
○院の少納言の局について
10番歌の作者は「院の少納言の局」です。院とは後白河院を指し
ています。院の少納言の局は後白河院に仕えていたということ
です。
後白河院女御である建春門院に仕えて建春門院少納言の局とも
いいましたが、この時点では後白河院に仕えていたと思います。
後白河院の乳母であった院の二位の局が没したのは1166年正月
10日。船岡山での葬送のときに西行は哀傷歌10首を詠んでいます。
それから77日を過ぎての死後の弔いのときに、西行と院の少納言の
局は歌を贈り合っています。その贈答歌が10番歌です。
下は西行の贈った歌です。
哀しる空も心のありければなみだに雨をそふるなりけり
(岩波文庫山家集209P哀傷歌)
院の少納言との贈答歌は180ページにもあります。
巻ごとに玉の聲せし玉章のたぐひは又もありけるものを
(院の少納言 岩波文庫山家集180P雑歌)
院の少納言の局は1159年平治の乱で没した藤原通憲と院の二位の
局との間の娘といわれます。兄弟に藤原茂範(しげのり)、藤原
修範(ながのり)、阿闍梨覚堅などがいます。
少納言藤原実明の娘という説もあります。
(5番歌の解釈)
「さあ、別れの時がきた。仙洞御所の花に馴れ親しんだあの花盛り
の頃を、そして自分の盛りを思うのも、あと僅かである。」
(新潮日本古典集成から抜粋)
(10番歌の解釈)
「空に悲しみが通じたのではありません。私たちの悲しみの涙が
今日は雨となって降っているのでしょう。」
(和歌文学大系21から抜粋)
(あら田)
荒田のこと。耕すことをしなくなったために荒れている田。歌意
からみて(新田)ではなくて、荒れた田であると解釈できます。
(くろ)
田と田を区切っている畔(あぜ)のこと。あぜ道のこと。
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1 誰ならむあら田のくろに菫つむ人は心のわりなかりけり
(岩波文庫山家集40P春歌・西行上人集追而・夫木抄)
○わりなかりけり
ことわりが無いこと。道理に合わないこと。
新潮日本古典集成では(やるせない、並一通りではない、の意)
と記述。
この結句、及び第四句がいささか唐突の感じが否めず、わかり
にくい歌であると思います。
(歌の解釈)
「誰なのであろう。あの人の耕さぬ荒れた田の畦道にすみれを摘ん
でいる人は、あの人はきっと昔のことを思い出して心にたえきれ
ぬ痛切な思いがあるにちがいない。
すみれ摘むー懐旧の思いを伴う動作。」
(渡部保氏著「西行山家集全注解」から抜粋)
* 「くろ」の名詞のある歌は、他には下の一首があります。
こ萩咲く山田のくろの虫の音に庵もる人や袖ぬらすらむ
(岩波文庫山家集65P秋歌・西行上人集・山家心中集・夫木抄)
【あらち山】
越前の国と近江の国の境界付近にあった山。越前の歌枕。現在は
「あらち山」と呼ぶ山はありません。
滋賀県の琵琶湖北端の海津から福井県の敦賀の間に西近江街道が
通じています。この街道沿いにある敦賀市疋田から山中という町
の間の西側の山一帯が、「あらち山」と見られています。
疋田には「愛発小学校」「愛発中学校」があります。
ここには古代三関の一つである「愛発(あらち)の関」が設けら
れていました。しかし、長岡京時代の789年に廃止されています。
「あらち山」はたくさんの歌に詠まれています。歌の作者は
「あらち」とひらがなで表記したと思われますが、校訂者によって
(有乳)(新乳)などの文字が当てられています。
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1 あらち山さかしく下る谷もなくかじきの道をつくる白雪
(岩波文庫山家集99P冬歌・夫木抄)
○さかしく
険しいということ。山の勾配がきついということ。
○かじき
「かんじき」のこと。
【かんじき】
泥土、氷、雪上などの歩行に用いる特殊な履物の総称。足の埋没
や滑りを防ぐため履物の下に着ける。足裏より広い枠状や輪状の
もの。
(日本語大辞典から抜粋)
(歌の解釈)
「有乳山は険しくて、谷へ下る道もないほどだが、白雪が谷を
埋めて、かんじきで歩く道を造ってくれた。」
(和歌文学大系21から抜粋)
* この歌は新潮日本古典集成には採録されていません。
* 愛発山については「義経記」にも少し書かれています。
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◎ あらちやま雪ふりつもるたかねよりさえてもいづるよはの月かな
(源雅光 金葉集313番)
◎ うちたのむ人の心はあらちやまこしぢくやしきたびにもあるかな
(詠み人知らず 金葉集634番)
◎ 矢田の野に浅茅色づくあらち山嶺のあわ雪寒くぞあるらし
(柿本人麿 新古今集657番)
◎ けさみればやたののあさぢうづもれぬ風もあらちの峰の初雪
(後鳥羽院 後鳥羽院集874番)
* 八雲御抄では(矢田野)は「越前、あらち山のすそ」と
ありますが、別説もあるようです。
* 柿本人麿歌は、大伴家持の詠歌の可能性もあります。家持集
にもほぼ同じ歌があります。
【有明・有明の月】
(有明)
まだ明けきらぬ夜明けがたのこと。月がまだ空にありながら、
夜が明けてくる頃。月齢16日以後の夜明けをいう。
(有明の月)
夜明けがたにもまだ空に残っている月のこと。
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1 わけ入りし雪のみ山のつもりにはいちじるかりしありあけの月
(岩波文庫山家集228P聞書集・夫木抄)
2 むかしおもふ心ありてぞながめつる隅田河原のありあけの月
(岩波文庫山家集280P補遺・雲葉集)
3 鷲の山思ひやるこそ遠けれど心にすむはありあけの月
(岩波文庫山家集283P補遺・後裳濯河歌合)
4 わしの山くもる心のなかりせば誰もみるべき有明の月
(岩波文庫山家集283P補遺・219P釈教歌・続拾遺集)
5 有明は思ひ出あれやよこ雲のただよはれつるしののめのそら
(岩波文庫山家集277P補遺・新古今集)
6 花をわくる峯の朝日のかげはやがて有明の月をみがくなりけり
(岩波文庫山家集229P聞書集・夫木抄)
7 わしの山上くらからぬ嶺なればあたりをはらふ有明の月
(岩波文庫山家集220P釈教歌)
8 朝日まつほどはやみにてまよはまし有明の月の影なかりせば
(岩波文庫山家集216P釈教歌・西行上人集・閑月集)
9 見ればげに心もそれになりぞ行く枯野の薄有明の月
(岩波文庫山家集196P雑歌・西行上人集)
10 世の中に心あり明の人はみなかくて闇にはまよはぬものを
(岩波文庫山家集177P雑歌・西行上人集)
11 世をそむく心ばかりは有明のつきせぬ闇は君にはるけむ
(詠み人不明、岩波文庫山家集177P雑歌・西行上人集)
12 旅寝する草のまくらに霜さえて有明の月の影ぞまたるる
(岩波文庫山家集103P冬歌)
13 さびしさは秋見し空にかはりけり枯野をてらす有明の月
(岩波文庫山家集95P冬歌・西行上人集)
14 有明の月のころにしなりぬれば秋は夜ながき心地こそすれ
(岩波文庫山家集80P秋歌・西行上人集・山家心中集)
15 月影のかたぶく山を眺めつつ惜しむしるしや有明の空
(岩波文庫山家集80P秋歌)
16 木の間もる有明の月をながむればさびしさ添ふる嶺の松風
(岩波文庫山家集79P秋歌)
17 木の間もる有明の月のさやけきに紅葉をそへて詠めつるかな
(岩波文庫山家集74P秋歌)
18 をしむ夜の月にならひて有明のいらぬをまねく花薄かな
(岩波文庫山家集74P秋歌)
19 宵のまの露にしをれてをみなへし有明の月の影にたはるる
(岩波文庫山家集73P秋歌)
20 思ひしる人あり明のよなりせばつきせず身をば恨みざらまし
(岩波文庫山家集151P恋歌・西行上人集・山家心中集・
新古今集・宮河歌合)
21 為忠がときはに為業侍りけるに、西住・寂為まかりて、
太秦に籠りたりけるに、かくと申したりければ、まかり
たりけり。有明と申す題をよみけるに
こよひこそ心のくまは知られぬれ入らで明けぬる月をながめて
(岩波文庫山家集264P残集)
○隅田河原
関東平野を流れている荒川が、武蔵の国の東部を貫流する部分に
ついて付けられた名称が隅田川です。今日のこの川は流れている
区間によってさまざまな別称を付けられているようです。
平安時代は武蔵の国と下総の国を隔てる川でした。
「武蔵の国と下つ総との中にいと大きなる河あり。それをすみだ
河といふ。」
と、伊勢物語第九段に書かれています。
○鷲の山
インドにあって、釈迦が無量寿経、法華経などを説いた山とされ
ています。鷲の形をした山で原名「グリゾラ・クーター(鷲の峰)」
と呼ばれていたそうです。そこから、霊鷲山(りょうじゅせん)
とも言われます。
ブッダ(釈迦)が創始した仏教は、インドでは13世紀にほぼ消滅
しました。以来、霊鷲山も風化、荒廃して、その所在地さえも
分からなくなっていました。
1903年に日本の本願寺の大谷探検隊がジャングルに埋もれていた
山を発見して、その山を釈迦が説法していた霊鷲山と断定した
ものだそうです。
比叡山も鷲峰の別称がありますが、これもインドの霊鷲山から
名付けたものでしょう。また、東山三十六峰の「霊鷲山」は、
インドの霊鷲山をそのまま山号にしています。山の名前からで
さえも仏教的な背景を感じとることができます。
岩波文庫の山家集では「鷲の山・鷲の高嶺」の歌は13首あります。
○よこ雲
横に長くたなびいている雲のこと。
○為忠
藤原為忠。生年未詳。没年1136年。三河守、安芸守、丹後守など
を歴任して正四位下。右京区の常盤に住みました。
頼業(寂然)、為経(寂超)、為業(寂念)などの、常盤三寂
(大原三寂とも)の父です。親しい人達と歌のグループを作って
いて、為忠没後も歌会は為忠邸で開かれていたことがわかります。
為業=寂念。大原三寂の中で一番遅く出家。176Pに(為なり)
名での贈答歌があります。205ページの(三河内侍)は
寂念の娘。
為隆=(為経とも)寂超。西行より3年遅れて1143年の出家。
178Pと215Pに贈答歌があります。
藤原隆信の父。為隆の妻の(美福門院加賀)は後に藤原
俊成と一緒になって、定家を産んでいます。
頼業=寂然。1155年頃の出家。西行ともっとも親しい歌人だと
いえます。寂然22首、西行23首の贈答歌があります。
尚、88ページの寂蓮は寂然、264ページの寂為も寂然の
誤記です。
○ときは
右京区常盤。藤原為忠の屋敷が常盤にありました。
○西住
俗名は源季政。醍醐寺理性院に属していた僧です。西行とは若い
頃からとても親しくしていて、しばしば一緒に各地に赴いていま
す。西住臨終の時の歌が206ページにあります。
○寂為
寂然の誤記です。
○太秦に籠もりたり
太秦は現在の京都市右京区にある地名です。古代は秦氏の本拠地
でした。太秦には広隆寺などがあります。
「太秦に籠もりたりける」で、広隆寺に籠もっての歌会であると
解釈できます。
○心のくま
心の奥底にじつと秘めている思い。
(2番歌の解釈)
「昔のことをいろいろと思う心があって、特になつかしくながめた
ことだ。隅田河原のありあけの月は。(業平のことなど考えたの
であろう。)
(渡部保氏著「西行山家集全注解」から抜粋)
この歌は1253年頃に成立した藤原基家撰の雲葉和歌集にのみあり
ます。異本山家集や夫木抄にもありませんので、西行詠歌と
信じるだけの根拠は弱く、窪田章一郎氏の「西行の研究」でも
触れていません。
渡部保氏は「むかしおもふ」を、伊勢物語第九段に描かれている
昔のことと解釈されています。しかし初度の陸奥行脚の時に対し
て「むかしおもふ」であっても差し支えなく、その可能性も捨て
切れないと思います。そうであればそのまま、この歌は再度の
陸奥旅行の時の歌である可能性も捨てきれないと思います。
(4番歌の解釈)
「釈迦が法華経を説いた霊鷲山に照る有明の月(悟りの月、仏法
の真理)は、名利にくもる俗心を去って見るならば誰でも見る
ことができるものである。」
(渡部保氏著「西行山家集全注解」から抜粋)
(11番歌の解釈)
「世を背き出家する心だけはありますので、有明の月が底知れ
ない闇を照らすように、心の闇をあなたによって晴らしたい
ものです。」
(新潮日本古典集成山集から抜粋)
この歌は西行詠の10番歌に対しての返歌としてのものです。
詠んだ人の名前は不明ですが、相当の素養のある人だろうと
いうことが歌からも分かります。
【ありす川】
ここでいう「ありす川」は紫野の斎院御所付近を流れていた川の
ことです。
「京都市の地名」によると、有栖川はかつては紫野、賀茂、嵯峨
の3ヶ所にあったとの事ですが、現在は嵯峨の有栖川しかありま
せん。
ただし、本当に3ヶ所あったのかどうかは信用できない説のように
も思います。長い歴史の中で、いつのまにか紫野の有栖川以外
の川も「有栖川」として名付けられて、それが斎王と関連付け
られて伝えられたりすることもあろうかと思います。
嵯峨を流れる有栖川は斎川(いつきかわ)とも称されるという
ことですから、嵯峨の野宮の斎王との関係があるのかもしれま
せん。ただし右京区のこの川名の初出は吉田兼好の「徒然草」
のようですから、平安時代にも「ありす川」呼称していたかどう
かは不明です。
この小流は大覚寺の北、観空寺谷奥からの渓流と、広沢池から
流れ出る水源が合流、嵯峨野を南流して桂川に注いでいます。
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斎宮おりさせ給ひて本院の前を過ぎけるに、人のうちへ入り
ければ、ゆかしうおぼえて具して見まはりけるに、かくやあり
けんとあはれに覚えて、おりておはします所へ、せんじの局の
もとへ申し遣しける
君すまぬ御うちは荒れてありす川いむ姿をもうつしつるかな
(岩波文庫山家集223P神祇歌・西行上人集・山家心中集・夫木抄)
○斎宮
斎宮はミスです。賀茂斎院のことですから、ここでは「斎宮」
ではなくて「斎院」が正しい名詞です。
伊勢神宮の場合は「斎宮もしくは斎王」、賀茂社の場合は「斎院
もしくは斎王」と呼びます。
○おりさせ
(居りさせ)ではなく(降りさせ)のこと。斎院退下を言います。
○せんじの局
斎院に仕えていた女官の官職のひとつです。現在風言葉でいうなら、
斎院の広報官とも言えます。
参考までに斎院御所に勤仕していた人たちの官職名を記します。
(男性)
別当・長官・次官・判官・主典・宮主・史生・使部・雑使・舎人
(女性)
女別当・内侍・宣旨・命婦・乳母・女蔵人・采女・女嬬
○君すまぬ
(君)とは、鳥羽天皇皇女頌子内親王のことといわれます。第33
代斎院です。約1ヶ月半の短い斎院でした。病により退下。当時
27歳でした。後に五辻の斎院と言われました。
母は春日局といい、徳大寺実能の養女です。美福門院に仕えて
いた女房ですが、鳥羽天皇の寵愛を得て、頌子内親王を産みま
した。
頌子内親王は父の鳥羽天皇の菩提を弔うために、高野山に蓮華
乗院を建立したのですが、それに西行が協力しています。その
時の書状が今に残っています。「円位書状」と呼ばれています。
○いむ姿
僧体を指します。自発的な出家であり、西行自身ではむしろ薄墨
の衣の姿は誇りだったはずです。決して忌む立場、忌む姿では
ないはずですが、ここでは内親王に対して謙譲的に、自身を一段
低いものとして表現しているのでしょう。
(歌の解釈)
「斎院が今はお住みになっていない本院の内はすっかり荒れており、
かつて斎院が潔斎せられたお姿をうつした有栖川に、忌まれる
僧形のわが姿をうつしたことでありました。」
(新潮日本古典集成山家集から抜粋)
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◎ ちはやぶるいつきの宮の有栖川松とともにぞかげはすむべき
(京極前太政大臣 藤原師実 千載集)
◎ 有栖川おなじながれはかはらねど見しや昔のかげぞ忘れぬ
(中院右大臣 源雅定 新古今集)
【ありてのみやは】
不明です。
(ありてーのーみやーは)か(ありてーのみーやーは)かどうか
もわかりません。(みや)が、どこかの神社に掛けた名詞である
とするなら歌意は通りやすいか(?)と思います。
新潮日本古典集成山家集、和歌文学大系21、山家集全注解すべて
(みや)ではなくて(のみ)として解釈していますから(みや)
などというのは論外なのでしょう。
底本の類題本では以下のようになっています。
心さしのありてのミやハ人をとふなさけハなどと思ふ斗ぞ
(読解にミスがあるかもしれません。)
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心ざしのありてのみやは人をとふなさけはなどと思ふばかりぞ
(岩波文庫山家集153P恋歌・西行上人集)
新潮版山家集では以下のようになっています。
こころざし 有りてのみやは 人を訪ふ 情けはなどと 思ふばかりぞ
(歌の解釈)
「何か心ざすことのある場合にのみ人を訪れるのであろうか。そう
ではないであろう。恋の情けがなぜ訪れる理由にならないのかと
思うばかりだよ。」
(新潮日本古典集成山家集から抜粋)
「何か特に心ざし(目的)がある場合にのみ人を訪れるのであろう
か。そうではないのではないか。恋のなさけは何故に人を訪ねる
理由にならないのかと思うばかりだ。
(あなたはなぜ私を訪ねないのか。)
(渡部保氏著「西行山家集全注解」から抜粋)
「人は心の底からの愛情だけで、人を思うものだろうか。心からで
なくて構いません。あなたにわたしへのいたわりがあれば私の
思いは報われるのではないかと思ったりするのです。
(和歌文学大系21から抜粋)
なんだか理に走ったような、あるいは愚痴っぽい歌のような感じが
します。それはまあ良いのですが「ありてのみやは」の用い方に、
多少の疑問を感じたために、ここに取り上げてみました。
【ありのとわたり】
山の尾根の両側が切り立った崖となっている狭い尾根道のこと。
山岳修験者の修行の場として利用されてきました。長野県
戸隠山の「ありのとわたり」が有名です。
(日本語大辞典を参考)
ここでは大峯山中にある行場の(ありのとわたり)を指します。
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ありのとわたりと申す所にて
1 笹ふかみきりこすくきを朝立ちてなびきわづらふありのとわたり
(岩波文庫山家集123P羇旅歌・西行上人集追而加書)
○きりこす
霧が越すということ。山中なので霧が深く立ち込めたまま移動
している情景が想像できます。
○くき
山中の洞穴のある場所。
また、峰や山の頂のことも(くき)といいます。
○なびきわづらふ
なびく事。根本はしっかりと保っておきながら、先端にかけて、
たおやかに、しなやかに揺れる様が靡くということです。
「靡は路の義、一里をもいい、やがて行場の称となる」
(新潮日本古典集成山家集から抜粋)
「靡とは学説には距離から変じて道筋を表す言葉ともされるが、
信仰上は役の行者の法力に草木もなびいたという意味を持つ山中
の行所などを指し、修験道に関わる神仏の出現の地、あるいは居所
とされる。大峯修行の成立時、山中には100〜120の拝所や霊地が
定められていたようであるが、やがてそれは75靡としてまとめら
れていった。今日我々が言う大峯75靡である。」
(山と渓谷社刊「吉野・大峯の古道を歩く」から抜粋)
(なびきわずらふで)行くことが困難で難渋すること。
行きなやむこと。
(歌の解釈)
「蟻の門渡りは笹が深いので、朝になってから出発しても、霧に
巻かれて何も見えない尾根道は通り抜けるのに大変な難儀を
する。」
(和歌文学大系21から抜粋)
「笹が深いので、霧が越えてゆく洞穴の多い山を行くべく朝早く
出発しても、笹と霧のために行きなやむ蟻の門渡りだよ。」
(新潮日本古典集成山家集から抜粋)
大峰修行の時の一連の歌の中の一首です。
尚、人間の胴体の最下部にある会陰も、「ありのとわたり」と
言います。
【淡路島・淡路潟】
大阪府、香川県、及び兵庫県の明石市や神戸市に近接する瀬戸内
海東端の島。現在の行政区としては兵庫県に属します。島の中心
は洲本市。
本四連絡橋が通じてから、兵庫県から淡路島を通って香川県まで
車で通行できるようになりました。
記紀にある国作り神話で最初に作られた島が淡路島。和歌でも
万葉の時代から「淡路潟」「淡路の瀬戸」「淡路島山」などと
詠まれてきました。千鳥を詠み合わせた歌が多いのですが、
「淡」という文字に掛けて、あわあわとした情景を詠んだ歌も
あります。
95ページの「絵嶋の浦」と、116ページの「しほさきの浦」も
淡路島にある地名とみられています。
尚、新潮版の山家集では「あはぢ潟」はなく、すべて「あはぢ嶋」
として記載されています。岩波文庫の類題本とは伝わり方が違い
ますから、それが「潟」と「嶋」の違いの出た原因でしょう。
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1 あはぢ嶋せとのなごろは高くとも此汐わたにさし渡らばや
(岩波文庫山家集168P雑歌)
2 あはぢ潟せとの汐干の夕ぐれに須磨よりかよふ千鳥なくなり
(岩波文庫山家集94P冬歌・西行上人集・山家心中集)
3 淡路がた磯わのちどり聲しげしせとの塩風冴えまさる夜は
(岩波文庫山家集94P冬歌)
○せとのなごろ
(なごり=余波)
海上の風がないだ後、波のまだ静まらないこと。
(なごろ=余波)
風が荒く波が高く、潮のうねること。また、そのうねりのこと。
(広辞苑第二版から抜粋)
広辞苑第二版では「なごり」と「なごろ」の意味が違いますが、
1番歌は(なごり)の意味で用いられています。
風や波が最も強く荒れている状態から脱して、風はおさまった
けれども波はなお高いという情景を指しています。
(せと)とは明石海峡を指します。81ページに「月さゆる明石の
せとに風吹けば・・・」の歌があります。
○此汐わたに
(わた)は(わた=曲)のことで湾曲している所のことです。
(この潮曲に)は和歌文学大系21では
「塩曲ー海水が陸地に入り込んだ所。湾。」としています。
○せとの汐干
明石海峡の干潮のこと。潮が引いてくれば沖合いに向かって浜が
長くなります。
○須磨
神戸市の西部にある地名。瀬戸内海に面していて、淡路島とは
指呼の間にあります。古代は須磨に関がありました。須磨までは
摂津の国、それ以遠は播磨の国でした。
万葉集にも詠まれ、また源氏物語にも「須磨」の巻があって、
古い時代から有名な所です。
○磯わ
「磯回=いそみ・いそわ」で、磯に沿って行き巡ること。また、
磯が曲がり続いているような湾のこと。入り江のような場所。
(1番歌の解釈)
「ようやく風が静まった。淡路島の瀬戸はまだ名残の波が
治まっていないが、この湾曲に沿って一気に渡ってしまおう。」
(和歌文学大系21から抜粋)
(2番歌の解釈)
「淡路島と須磨との間の瀬戸(海峡)の潮が引いて、その間の
狭くなった夕暮に須磨から通うてくる千鳥が鳴いているよ。」
(渡部保氏著「山家集全注解」から抜粋)
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◎ あはぢしまゑじまがいそにあさりするたななしをぶねいくよへぬらん
(藤原師頼 堀川百首)
◎ あはぢしま千鳥しばなくあさぼらけのこれる月のかげぞさびしき
(慈円 拾玉集)
◎ 淡路島かよふ千鳥の鳴く声に幾夜寝覚めぬ須磨の関守
(源兼昌 金葉集・百人一首)
◎ 淡路にてあはとはるかに見し月の近きこよひはところがらかも
(凡河内躬恒 新古今集・源氏物語)
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