しあ〜しか | しき〜しで | しな〜しほ | しま〜しも | しゃ | しゃ〜しゅ | しょ | しら〜しを | しん |
項目
信濃・しなの梨・しぬらむ・篠・しの・しのだの森・しののめ・東明・篠原・篠むら・
信夫・しのぶの里・しば・柴・しはくの島 ・しほさきの浦 ・しほなれし・しほひ・汐干・
汐ひる方・塩ふむきね
【しぶかはのうらた】→「四国」参照
【汐木】→「かけるたくも」参照
【しほしほ】→「唐衣」参照
【しほそむる】→「色の浜」参照
【しほ湯】→「大宮の女房加賀」参照
【汐わた】→「淡路島・淡路潟」参照
【信濃】
東山道の国で、現在の長野県のこと。長野市には善光寺があります。
信濃国の西行歌は「諏訪」「木曽」「風越の峰」「姨捨」「浅間」
があります。
【しなの梨】
信濃産の梨のようです。朝廷にも献上されていて、有名な梨だった
とのことです。
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をばすての嶺と申す所の見渡されて、思ひなしにや、
月ことに見えければ
01 をば捨は信濃ならねどいづくにも月すむ嶺の名にこそありけれ
(岩波文庫山家集121P羇旅歌・新潮1107番・
西行上人集・山家心中集・西行物語)
例ならぬ人の大事なりけるが、四月に梨の花の咲きたり
けるを見て、梨のほしきよしを願ひけるに、もしやと
人に尋ねければ、枯れたるかしはにつつみたる梨を、
唯一つ遣して、こればかりなど申したる返りごとに
02 花の折かしはにつつむしなの梨は一つなれどもありのみと見ゆ
(岩波文庫山家集199P哀傷歌・新潮1445番)
○をばすての嶺
長野県更埴市にある「冠着山」のことだと言われています。
標高1252メートル。
月の名所であり、また、棄老伝説のある山です。
ただし01番歌は信濃ではなくて大和の大峯山中、川上村にある
伯母が峰のことです。
○かしは
植物名。ブナ科の落葉高木。高さは10メートルほどにもなります。
柏は新しい芽が出てから古い葉が落葉することから、古来、縁起の
良いものとして信じられてきたようです。
五月の節句のお供え用に「柏餅」がありますが、これは餡の入った
餅を柏の若葉に包んだものです。
新潮版では以下のようになっています。
花のをり 柏に包む 信濃梨は 緑なれども あかしのみと見ゆ
○例ならぬ人の大事
病気の人が重篤な状態になったということ。
○ありのみ
梨のこと。梨は言葉が「無し、亡し」に通じるところから忌み
言葉となります。それを嫌って「ありのみ」としたものです。
(01番歌の解釈)
「姨捨山の月を見る、この姨捨は有名な信濃の歌枕ではなくても、
全国どこにあっても、月が美しく澄む峰だから付けた名前だった
のだなあ。」
(和歌文学大系21から抜粋)
(02番歌の解釈)
「花が咲く頃にはあるはずもない信濃梨を柏の葉に包んで保存
なさったのですね。一ついただくだけでも病人がどんなに喜び
ますか。」
(和歌文学大系21から抜粋)
「梨の花が咲く季節に、柏に包んで送って下さった信濃梨は、
緑色ですが、枯れた柏でつつまれた「赤しの実」、生きる証の
実と思われます。」
(新潮古典集成山家集より抜粋)
【しぬらむ】 (山、173)
「し」は、当時の「する」のサ行変格活用の連用形です。
「ぬ」は強意を表す完了の助動詞。
「らむ」は目前に見えない事象に対して、推し量る意味を持つ推量
の助動詞で、「きっと・・いるだろう」という意味になります。
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01 いつしかも初春雨ぞふりにける野邊の若菜も生ひやしぬらむ
(岩波文庫山家集15P春歌・新潮1063番)
02 おぼつかな春の日数のふるままに嵯峨野の雪は消えやしぬらむ
(岩波文庫山家集15P春歌・新潮1066番)
03 おぼつかないぶきおろしの風さきにあさづま舟はあひやしぬらむ
(岩波文庫山家集169P雑歌・新潮1005番・
西行上人集・山家心中集・夫木抄)
04 あさかへるかりゐうなこのむら鳥ははらのをかやに聲やしぬらむ
(岩波文庫山家集173P雑歌・新潮1012番)
○初春雨
詞書に「正月元日に雨降りけるに」とあり、年があけた元旦当日の
雨であることがわかります。
○おぼつかな
「覚束無し」のこと。
対象がぼんやりしていて、はっきりと知覚できない状態。また、
そういう状態に対して抱くおぼろな不安、不満などの感情のこと。
心もとなさを覚える感情のこと。
「おぼつかな」は西行の愛用句とも言えます。歌は11首、詞書に
一回あります。
○嵯峨野
京都にある地名。有名な観光地です。
東は太秦、西は小倉山、北は上嵯峨の山麓、南は大井川(桂川)
を境とするほぼ平坦な野。往古は葛野川(現桂川)の溢水による
沼沢地で、未墾地が大半を占めていたが、秦氏一族が川を改修し、
罧原堤(ふしはらつつみ)の完成によって田野の開拓が進み、
肥沃な地となった。
「三代実録」882年12月条には平安遷都後は禁野とされて、天皇、
貴族はここで遊猟し、若菜を摘んで遊楽をした、とある。
嵯峨天皇の嵯峨院(現大覚寺)、後嵯峨上皇の亀山殿(現天竜寺)、
檀林皇后の檀林寺などをはじめ、兼明親王の雄蔵殿(おぐらどの)や
歌人藤原定家の山荘など、貴神の邸館や大寺が営まれ、文学の舞台
ともなった。
(以上、平凡社刊「京都市の地名」より引用)
江戸時代の古地図を見たことがありますが、法輪寺あたりも「嵯峨」
と記載されていました。
法輪寺は「嵯峨虚空蔵」とも呼ばれています。
○いぶきおろし
近江(滋賀県)と美濃(岐阜県)の国境にある伊吹山から冬に吹き
降ろす冷たく強い風のこと。
○あさづま舟
朝妻港は琵琶湖の東岸の北の方にあった港です。現在の米原市です。
朝妻港から大津港などに往復して木材を運んだ舟ですが、遊女を
乗せていた舟でもありました。
○あさかへる
「朝、帰る」と「朝、孵る」説がありますが、特定できません。
○かりゐうなこ
不詳です。雁の子のことかと思われます。
○はらのをかや
不詳です。書写した人のミスの可能性も考えられます。
(01番歌の解釈)
「正月元日になったら、早くも初春雨が降ったことだ。野辺の
若菜もこの雨で生い出たことだろう。」
(新潮日本古典集成山家集から抜粋)
(02番歌の解釈)
この歌は嵯峨野の静忍法師との贈答の歌です。二人の関係が
偲ばれます。下は静忍法師の歌です。
立ち帰り君やとひくと待つほどにまだ消えやらず野邊のあわ雪
(靜忍法師歌)(岩波文庫山家集16P春歌・新潮1067番)
「どうなりましたか。春になってもう何日も経ちますから、
今年は深くなりそうだった嵯峨野の雪ももう消えてしまった
のではないですか。」
(和歌文学大系21から抜粋)
「嵯峨野を出てすぐにお帰りになるものと、あなたの来訪を
ずっと待っておりましたから、野原に降った淡雪もまだ消え
残っています。」
(静忍法師の返歌)(和歌文学大系21から抜粋)
(03番歌の解釈)
「心配だな。伊吹颪の吹きおろす矢面に、朝妻舟が
遭遇するのではないか。」
(和歌文学大系21から抜粋)
(04番歌の解釈)
「今朝孵化したばかりの雁の子たちは、今頃原の岡屋で鳴いて
いるのだろうか。」
(和歌文学大系21から抜粋)
「難解。朝帰ってゆく雁の(の子?)の群は、「はらのをか山」
越えたことであろうか、の意か。」
(新潮日本古典集成山家集から抜粋)
【篠・しの】
群がって生える細い竹のこと。
全体に細く小さい竹のことです。笹なども篠竹になるようです。
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01 春あさみ篠(すず)のまがきに風さえてまだ雪消えぬしがらきの里
(岩波文庫山家集15P春歌・新潮967番・
西行上人集・山家心中集・夫木抄)
02 夏の夜はしのの小竹のふし近みそよや程なく明くるなりけり
(岩波文庫山家集51P夏歌・新潮240番・万代集)
03 穗に出でてしののを薄まねく野にたはれてたてる女郎花かな
(岩波文庫山家集61P秋歌・新潮297番)
04 我なれや風を煩らふしの竹はおきふし物の心ぼそくて
(岩波文庫山家集189P雑歌・新潮1039番・夫木抄)
05 篠ためて雀弓はる男のわらはひたひ烏帽子のほしげなるかな
(岩波文庫山家集248P聞書集169番・夫木抄)
06 しのにをるあたりもすずし河やしろ榊にかかる波のしらゆふ
(岩波文庫山家集274P補遺・宮河歌合・夫木抄)
○篠のまがき
篠竹を用いて作られた垣のこと。
○しがらきの里
近江国の地名。歌枕。滋賀県甲賀郡信楽町のこと。
タヌキの焼き物の町として有名です。
聖武天皇の「紫香楽の宮」がありました。
春の訪れが遅い、冬は厳しく寂しいというイメージで歌に詠まれて
います。
○そよや
竹にそよ風が当たる情景を暗示しています。
歌では「そうそう、まもなく夜が明けるなあ」という意味で
使われています。
○穗に出でて
実際には穂は出ないけれども、穂が出たように想定しての言葉。
○しののを薄
篠竹が群がり生えていること。その状態。
また、まだ穂の出ないススキのこと。
女郎花の(女)との対比で、を薄の(を)は(男)を掛け合わせて
いて、そこにドラマ性を出しています。
○たはれてたてる
難解です。戯れて立っているという意味とのことです。
○風を煩らふ
自身が風邪を患って起きたり臥したりしていることと、細い
篠竹が吹き過ぎて行く風に煩わされているということを掛け
あわせています。
○おきふし
寝たり起きたりすること。
○雀弓
幼児、少年がおもちゃとして使う、小さな弓。
○ひたひ烏帽子
子どもが額につける烏帽子とのことです。
黒色の絹か紙を三角にして作って、髪を束ねるための実用性も
持つようです。
烏帽子は通常は元服した男子の略装用の被り物です。
○しのにをる
「篠に折る」です。伊勢神宮外宮の神楽歌に「河社、篠に折りかけ、
篠に折りかけ・・・」とありますので、神楽歌の言葉をそのまま
借用しています。
意味については良くわからないのですが、渡部保氏の「山家集全注解」
では「篠生ふる」の意としています。
○河やしろ
夏越の祓えの時に川のほとりに設置する仮の社のこと。
○波のしらゆふ
川の波を白木綿に見立てた言葉です。
(01番歌の解釈)
「(都はもうすっかり春なのに)ここ信楽の里は春の気配がまだ
浅いので、庵を囲う篠竹の籬に冷たい風が吹き付け、雪もまだ
消えない。」
(和歌文学大系21から抜粋)
(02番歌の解釈)
「篠の小竹の節と節の間が近いように、夏の夜は本当に短くて
すぐ明けてしまうことだ。」
(新潮日本古典集成山家集から抜粋)
(03番歌の解釈)
「穂の出ない篠薄が風になびくと、恋しい心もあらわな手招きに
見える。なぜならその野には女郎花が戯れて男に媚びるように
立っているから。」
(和歌文学大系21から抜粋)
(04番歌の解釈)
「吹く風に悩まされている篠竹は、風のまにまに起き伏しする
様がいかにも心細そうで、まるで風邪をわずらって心細い自分と
同じようだよ。」
(新潮日本古典集成山家集から抜粋)
(05番歌の解釈)
「篠竹をたわめ曲げて雀弓の弦を張っている男の子は、いかにも
額烏帽子を欲しそうな様子だよ。」
(和歌文学大系21から抜粋)
(06番歌の解釈)
「篠竹の生えているあたりも涼しい。六月の祓いに河社を立てて
(河辺に棚をつくり、榊を立て神を祭ること)神楽を奏している
時に、川波のたてる白波のように白木綿が榊にかかっていて
まことにすずしい感じがする。」
(渡部保氏著「山家集全注解」から抜粋)
◎ 河社しのに折はへほす衣いかにほせばか七日干ざらむ
(紀貫之 貫之集)
【しのだの森】
大阪府南西部の和泉市にある「葛葉稲荷神社」がその跡だとも
言われます。
「葛葉稲荷神社」から東南に2キロほど離れた位置に信太山があり、
そこに「信太の森鏡池史跡公園」もあります。
安倍保名と白狐の葛の葉の伝説は竹田出雲の浄瑠璃「葛の葉子別れ」
で有名です。しかし竹田出雲は1700年代の人ですから、話としては
古いものではありません。
「恋しくば訪ね来てみよ和泉なる信太の森のうらみ葛の葉」
境内には花山天皇(968〜1008)が命名したという「千枝の楠」の
巨木があります。
「和泉なる信太の森の葛の葉の千々に別れて物をこそ思へ」
(古今六帖)
花山天皇の言葉が関係しているはずですが、信太の森は「千枝」、
葛の葉の名詞がある場合は「千々」と、表現を変えている歌が
多く見受けられます。
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01 秋の月しのだの森の千枝よりもしげきなげきや隈になるらむ
(岩波文庫山家集150P恋歌・新潮651番)
02 もの思へばちぢに心ぞくだけぬるしのだの森の枝ならねども
(岩波文庫山家集152P恋歌・新潮676番)
03 時鳥信太の森の一声は夜だに明けばと思はれぬかな
(松屋本山家集)
○隈になるらむ
陰になる、照らし出されない部分がある、どんなにあからさまに
しょうとしてもできない部分があるという意味ですが、この歌は
結句の「隈になるらむ」は「秋の月」に照応していないと思います。
(01番歌の解釈)
「秋の月がくまなくすべてを照らし出すごとく、信太の森の千枝
よりも繁き恋の嘆きを、自分はくまなく味わうことであろう。」
(新潮日本古典集成山家集から抜粋)
(02番歌の解釈)
「あなたを思うと心は千々に乱れてこなごなに砕けてしまう。
信太の森の楠の千枝ではないけれど。」
(和歌文学大系21から抜粋)
(03番歌の解釈)
「ほととぎすが信太の森で鳴いた一声は、せめて夜が開けたならば
尋ねて聞こうとは思われない。今もっと聞きたいと思うよ。」
(和歌文学大系21から抜粋)
【しののめ・東明】
夜明け方、早朝のこと。暁闇の頃。東の空が少し白む頃の時間帯。
04番歌の岩波文庫山家集にある「東明」は「東雲」のミスと思いま
すが、これでも意味は通じますから良いのでしよう。
新潮版では「しののめ」と、ひらがな表記になっています。
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01 さらぬだに帰りやられぬしののめにそへてかたらふ時鳥かな
(岩波文庫山家集144P恋歌・新潮586番)
02 待つはなほたのみありけりほととぎす聞くともなしにあくるしののめ
(岩波文庫山家集237P聞書集77番)
03 有明は思ひ出あれやよこ雲のただよはれつるしののめのそら
(岩波文庫山家集277P補遺・新古今集)
04 よこ雲の風にわかるる東明に山とびこゆる初雁のこゑ
(岩波文庫山家集66P秋歌・新潮420番・西行上人集・
山家心中集・新古今集・御裳濯集・西行物語)
○さらぬだに
「然らぬだに」と書きます。
そうでなくとも、そうでなくてさえ・・・という意味。
ラ行変格活用「さり」の未然形「さら」に打ち消しの助動詞「ぬ」
が付いたことば。
「だに」は副助詞で「さえ、さえも」の意味です。
○有明
まだ明けきらぬ夜明けがたのこと。
また、夜が明けてくる頃に月がまだ空にあることを有明の月と
言います。月齢16日以後の夜明けの月のことです。
○よこ雲
横に広がっている雲。
(01番歌の解釈)
「そうでなくても後ろ髪をひかれる思いで、帰り難い後朝の別れ
なのに、東雲の空に一夜の思い出を添えて語りかけるごとくに鳴く
郭公によって、一層心残りが深まることだなあ。」
(新潮日本古典集成山家集から抜粋)
(02番歌の解釈)
「待つうちはなお望みがあった、郭公を聞くということもない
ままに明ける東雲よ。」
(和歌文学大系21から抜粋)
(03番歌の解釈)
「有明月を見ると、いろいろとその人のことについて思い出が
あるよ。夜明けの空に横雲がためらっていた時、その横雲の
ようにためらいながら起きて別れたあの時のことが。」
(渡部保氏著「山家集全注解」から抜粋)
(04番歌の解釈)
「横にたなびいた雲が風に吹き散らされる夜明け方、東山を
北から飛び越えてくる初雁の声が聞こえる。」
(和歌文学大系21から抜粋)
【篠原・篠むら】
01番歌と02番歌は三上岳があることによって固有名詞としての地名
と言えます。滋賀県野洲市の篠原だと解釈できます。
篠原には東山道の駅がありました。
岩波文庫山家集185P雑歌に「夜の鶴……」の歌がありますが、
平宗盛と清宗の親子は1185年6月21日に篠原で斬殺されました。
03番歌の「篠原」は地名ではなくて、普通名詞とも思われます。
篠竹の生えている原のことです。
【篠むら】
夫木抄に「しのはら」とあり、篠原の誤記説が有力です。
01番歌と02番歌は重出歌です。
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01 篠むらや三上が嶽をみわたせばひとよのほどに雪のつもれる
(岩波文庫山家集261P聞書集256番・
西行上人集追而加書・夫木抄)
02 しの原や三上の嶽を見渡せば一夜の程に雪は降りけり
(岩波文庫山家集97P冬歌・新潮欠番・
西行上人集追而加書・夫木抄)
03 篠原や霧にまがひて鳴く鹿の聲かすかなる秋の夕ぐれ
(岩波文庫山家集68P秋歌・新潮438番・
西行上人集・山家心中集)
○三上が嶽
近江平野にある三上山のことです。標高432メートルで、その優美
な山容から近江富士と呼ばれます。この山には藤原秀郷のムカデ
退治伝説があります。
○ひとよ・一夜
「ひとよ」は篠の縁語の(一節)と、一晩という意味の(一夜)を掛け
あわせています。
○まがひて
鹿の声も姿も霧の中に溶けこんでしまっていること。
霧と混ざり合って一緒になっていること。
(01番歌と02番歌の解釈)
「歌の自然詠は、把握のしかたが新しくて強い。初句は「夫木抄」
に「しのはらや」とあり、「三上が嶽」とともに近江であるから、
「夫木抄」のほうがいいであろう。一夜は一節(よ)に音が通って
篠の縁語、三上と一夜は、一と三の対照など、理知的な修辞が
用いられていて、いかにも歌会むきの作品であるけれども、それを
目立たぬまでに、強い調子で素朴に歌っているところに新しさが
ある。」
(窪田章一郎氏著「西行の研究」より抜粋)
「篠むら」は「篠群(しのむら)」でも良いですし、夫木抄の
「しのはら」でも差し支えないと思います。普通名詞として読めば、
「しのはら」も「しのむら」も篠が群生している場所を指します
ので、どちらであっても意味は通じます。「三上が嶽」があります
から地名の「篠原」と解釈した方が、歌の収まり具合が良いかとは
思います。
(03番歌の解釈)
「篠原では夕霧に姿が紛れて鳴く鹿の声がかすかに
聞えてくる秋の夕暮であるよ。」
(新潮日本古典集成山家集から抜粋)
【信夫・しのぶの里】
陸奥国の地名です。現在の福島県福島市にあります。歌枕としても
著名です。
古今集の河原左大臣源融の歌や伊勢物語によって信夫摺りが有名に
なりました。
みちのくのしのぶもぢずり たれゆゑに乱れんと思ふ我ならなくに
(かはらの左大臣 古今集724番)
春日野の若紫のすり衣しのぶのみだれかぎり知られず
(在原業平 伊勢物語・新古今集994番)
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01 さきにいりて、しのぶと申すわたり、あらぬ世のことに
おぼえてあはれなり。都出でし日数思ひつづくれば、
霞とともにと侍ることのあとたどるまで来にける、
心ひとつに思ひ知られてよみける
都出でてあふ坂越えし折までは心かすめし白川の関
(岩波文庫山家集130P羇旅歌・新潮1127番)
02 あづまへまかりけるに、しのぶの奧にはべりける
社の紅葉を
ときはなる松の緑も神さびて紅葉ぞ秋はあけの玉垣
(岩波文庫山家集130P羇旅歌・新潮482番)
03 ふりたるたな橋を、紅葉のうづみたりける、渡りにくくて
やすらはれて、人に尋ねければ、おもはくの橋と申すは
これなりと申しけるを聞きて
ふままうき紅葉の錦散りしきて人も通はぬおもはくの橋
しのぶの里より奧に、二日ばかり入りてある橋なり
(岩波文庫山家集130P羇旅歌・新潮1129番・夫木抄)
04 思はずは信夫のおくへこましやはこえがたかりし白河の関
(岩波文庫山家集244P聞書集139番・夫木抄)
05 東路やしのぶの里にやすらひてなこその関をこえぞわづらふ
(岩波文庫山家集280P補遺・新勅撰集)
○さきにいりて
新潮版では「関に入りて」となっています。1126番歌に白河の関の
歌がありますから、白河の関を越えて進んで行くと、という意味に
なります。
○わたり
信夫という土地、場所を言います。
○あらぬ世のことに
ここでは想像するしかなかった別世界を意味します。
能因法師の歌やその他の陸奥の歌で知っていただけの光景が
現実の物として眼前に立ち現れていることを指します。
○霞とともに侍る
能因法師の歌のフレーズです。
「都をば霞とともに立ちしかど秋風ぞ吹く白河の関」
(能因法師 後拾遺集518番)
○あふ坂
「あふ坂」は「逢坂山」のこと。
逢坂山は近江と山城の国境の山であり、関の設置は大化の改新の
翌年の646年。改新の詔りによって、関所が置かれました。平安
遷都の翌年の795年に廃止。857年に再び設置。
795年の廃止は完全な廃止ではなかったらしく、以後も固関使
(こかんし)が派遣されて関を守っていたと記録にあります。
尚、古代三関として有名な鈴鹿の関、不破の関、愛発の関は
長岡京時代の789年に廃止されています。
○白川の関
白河の関はいつごろに置かれて関として軍事的に機能していたのか、
明確な記録がなくて不明のままです。
陸奥の白河の関、勿来の関、そして出羽の国の「念珠が関」を含めて
古代奥羽三関といいます。
「白河の関は中央政府の蝦夷に対する前進基地として勿来関(菊多関)
とともに4〜5世紀頃に設置されたものである。」
(福島県の歴史散歩から抜粋)
ところが文献にある白河の関の初出は799年の桓武天皇の時代という
ことです。それ以前の奈良時代の728年には「白河軍団を置く」と
年表に見えますので、関自体も早くからあったものと思われます。
○しのぶの奥にはべりける社
福島県福島市信夫山に鎮座する羽黒神社と見られています。
この神社まで参詣したことがあります。境内には巨大な草履が
飾られています。
○ときはなる
(ときは)は(常盤)で、原意は(永遠に、しっかりと同一の性状を
保っている磐)のことです。
転じて、ここでは一年中色を変えない常緑樹のことをいいます。
○ふりたる
古いということ。
○たな橋
板を棚のように架け渡しただけの簡便な橋のことを言います。
○おもはくの橋
どこにあったか不明です。順路から見れば「武隈の松」を見て
から岩沼市を北上して、名取川の川幅の狭いところにかかる橋
(おもはくの橋)を渡って名取市に入ったものと思われます。
ところが芭蕉の「おくのほそ道」の曾良随行日記では
「末の松山・興井・野田玉川・おもハく□の橋、浮嶋等ヲ見廻帰」
とあります。
ここでは塩釜市の野田玉川にかかる橋と解釈されますので、西行
の歌にある橋とは位置が明らかに違います。
平安末期から江戸初期の間に「おもはくの橋」の架かる場所が
変わったものとも考えられます。
○ふままうき
踏みしめて進んで行くことが辛い・・・という気持のことです。
○なこその関
現在の福島県いわき市勿来にあった古代の関で、白河の関、
念珠が関とともに古代奥羽三関のひとつ。古称は菊多の関。
(01番歌の解釈)
「都を出立し逢坂山を越えて東国への旅路に付いた頃には、白河の
関はまだ霞の向こうで、漠然とした印象しかなかったよ。」
(和歌文学大系21から抜粋)
(02番歌の解釈)
「いつも常盤の色を見せる松の緑に、秋は紅葉した蔓草がからまっ
て、あたかも朱の玉垣を思わせ、一層神々しく見えることだ。」
(新潮日本古典集成山家集から抜粋)
この歌は新潮版では「秋歌」として採られています。
(03番歌の解釈)
「豪華絢爛な錦のような紅葉が橋板全体に散り敷いているので、
踏むのがもったいなくて渡れないまま、思惑の橋には人通りが
絶えてしまったよ。」
(和歌文学大系21から抜粋)
(04番歌の解釈)
「修行を思い願わなかったならば信夫の奥へ来なかっただろう。
越えがたかった白河の関を越えて。」
(和歌文学大系21から抜粋)
(05番歌の解釈)
「東路にある信夫の里(福島西北の高陵、歌枕)に休息して勿来の関
(福島県多賀郡関本村、歌枕)をその名のなこそのようになかなか
こえきらずにいる。(道のわるいのに苦しんでいるのか、それとも
次々に出てくる歌枕に感慨をおぼえて越えわずらっているのか。)」
(渡部保氏著「山家集全注解」から抜粋)
【しば・柴】
山野に生育する、丈の低い雑多な雑木の総称です。また、薪用や
生垣用に短く切り揃えた木も柴といいます。
「柴」という特定の植物名の樹木はありません。
「柴の庵」とは柴を用いた粗末な小屋のことであり、みすぼらしく、
わびしい住居の代名詞ともいえます。
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01 山ふかみ霞こめたる柴の庵にこととふものは谷のうぐひす
(岩波文庫山家集22P春歌・新潮991番・
(西行上人集追而加書・玉葉集)
02 柴の庵ときくはいやしき名なれども世に好もしきすまひなりけり
(岩波文庫山家集165P雑歌・新潮725番・夫木抄)
03 柴の庵はすみうきこともあらましをともなふ月の影なかりせば
(岩波文庫山家集82P秋歌・新潮950番・
西行上人集・山家心中集)
04 宿かこふははその柴の色をさへしたひて染むる初時雨かな
(岩波文庫山家集91P冬歌・新潮501番・夫木抄)
05 霰にぞものめかしくはきこえける枯れたるならの柴の落葉は
(岩波文庫山家集97P冬歌・新潮964番)
○山ふかみ
文字通り山が深いこと。人里を離れた山の中に庵を結んでいたことが
わかります。
138ページの寂然との贈答歌10首は初句が「山深み」で始まります。
これとは別に「山深み」歌は01番歌と189ページにあります。
○こととふ
訪ねていくこと。訪れること。訪ね問うこと。
○宿かこふ
宿を囲むこと。ここでは山の中にしつらえた庵を囲うこと。
○ははその柴
柞(ははそ)の木はブナ科のコナラの別称と言われます。
クヌギも(ははそ)というようです。
コナラやクヌギの丈の低い木のこと。
○ならの柴
「ははその柴」と同義。
ブナ科の落葉高木である楢の木のうち、まだ高木になっていないもの。
高木であっても、あるいはその小枝をもいうのでしよう。
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(01番歌の解釈)
「私の山家は山深くにあるので、春になっても霞に閉じ込められて、
訪ねてくるのは谷の鴬だけである。」
(和歌文学大系21から抜粋)
(02番歌の解釈)
「柴の庵に住んでいると聞くと、いかにも粗末なようで悔しい名前
であるが、実際に訪れてみるとまことに好ましい住居だよ。」
(新潮日本古典集成山家集から抜粋)
(03番歌の解釈)
「柴の庵は友とする月がなかったならば、住み憂いこともあろう
ものを、幸い月が友となってくれ、憂くつらいこともないよ。」
(新潮日本古典集成山家集から抜粋)
(04番歌の解釈)
「山家を囲っている丈の低い柞(ははそ)の木の葉までも初時雨は
慕って降り、紅葉させるのだなあ。」
(新潮日本古典集成山家集から抜粋)
(05番歌の解釈)
「霰が降った時だけは一人前に来訪者と勘違いしそうな音が
聞こえる。枯れた楢の柴垣の落ち葉は。」
(和歌文学大系21から抜粋)
「霰にぞ」は新潮版では「あはれにぞ」となっています。
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06 かきこめし裾野の薄霜がれてさびしさまさる柴の庵かな
(岩波文庫山家集93P冬歌・新潮505番・
西行上人集・山家心中集・夫木抄)
07 川わたにおのおのつくるふし柴をひとつにくさるあさ氷かな
(岩波文庫山家集94P冬歌・聞書集127番・新潮欠番・
西行上人集追而加書・夫木抄)
08 降る雪にしをりし柴も埋もれて思はぬ山に冬ごもりする
(岩波文庫山家集97P冬歌・新潮530番)
09 うの花の心地こそすれ山ざとの垣ねの柴をうづむ白雪
(岩波文庫山家集99P冬歌・新潮541番)
10 柴かこふいほりのうちは旅だちてすとほる風もとまらざりけり
(岩波文庫山家集103P冬歌・新潮965番)
○かきこめし
「かき」は接頭語。「垣根」の「かき」を掛けています。
「こめし」は、こもる、包み込む、閉じこもる、引きこもる、
などの意味があります。
ここでは「取り込んだこと」という解釈で良いと思いますが、庵と
薄の彼我の関係性が分りにくいです。
薄が庵の周りに群生して庵を包み込んだ状態を「かきこめし」と
言っていると解釈してもよく、同時に薄を垣根にするために取り
込んだことを言っているとも解釈できます。
○川わた
川筋の湾曲した部分のこと。
○ふし柴
植物の柴の異称です。柴も「ふし」と読んでいました。
09番歌は「柴漬け=ふしづけ」のことを詠んだものです。
柴漬けとは、冬に、束ねた柴の木を水中に漬けておき、そこに
集まってきた魚を春になって獲る仕掛けのことです。
以下の歌にある「ふしつけ」と同義です。
泉川水のみわたのふしつけに柴間のこほる冬は来にけり
(藤原仲実 千載集389番)
○ひとつにくさる
一つにつながること。鎖状になること、連鎖のこと。
○しをりし
枝を手折ること。往路に手折って帰路の目印とします。
○うの花
卯の花を雪に例えることは常態化しています。
卯の花はウツギの花のこと。ウツギはユキノシタ科の落葉潅木。
初夏に白い五弁の花が穂状に群がり咲く。垣根などに使います。
○卯の花腐しー五月雨の別称。卯の花を腐らせるため。
○卯の花月ー陰暦四月の称。
○卯の花もどきー豆腐のから。おからのこと。
(岩波書店 古語辞典から抜粋)
ウツギは枝が成長すると枝の中心部の髄が中空になることに由来し、
空木の意味。
硬い材が木釘に使われたので打ち木にちなむという異説があります。
花期は五月下旬から七月。枝先に細い円錐花序を出し、白色五弁
花が密集して咲くが匂いはない。アジサイ科。
(朝日新聞社 草木花歳時記を参考)
ユキノシタ科とアジサイ科の違いがあります。これは分類学上の
違いによるものであり、どちらでも良い物と思いますが、最近は
ユキノシタ科はアジサイ科に含まれるようです。
○○ウツギと名の付くものは他にたくさんあり、科も違います。
○すとほる風
「素通る風」です。
人が住んでいずに荒れている庵なので、風も自由に入ってきて、
そのまま吹きすぎて行くことを言っています。廃屋なのでしよう。
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(06番歌の解釈)
「私の山家は、垣根に山麓の薄を取り込んで、来ない客を空しく
招き続けたが、その薄も霜枯れて、秋の頃より一層寂しくなった。」
(和歌文学大系21から抜粋)
(07番歌の解釈)
「川の曲がった所に人が各々に漬ける伏し柴を
ひとつにつなげる朝氷だなあ。」
(和歌文学大系21から抜粋)
岩波文庫山家集ではこの歌は「冬歌」と「聞書集」の重出歌です。
(08番歌の解釈)
「下山時の道も入山時に折った道しるべの柴も、降ってきた雪に
埋もれてしまって、そのつもりはなかったが、春までこの山で
暮らすことになりそうだ。」
(和歌文学大系21から抜粋)
(09番歌の解釈)
「卯の花が咲いたようだ。私の山家では、柴垣を白雪が降り
埋めてしまったので。」
(和歌文学大系21から抜粋)
(10番歌の解釈)
「柴がとりまいている庵の中では、粗末な上に主人が旅に出て
おり、風も素通りして止まることはない。」
(新潮日本古典集成山家集から抜粋)
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11 身にしみし荻の音にはかはれども柴吹く風もあはれなりけり
(岩波文庫山家集103P冬歌・新潮983番)
12 あたらしき柴のあみ戸をたちかへて年のあくるを待ちわたるかな
(岩波文庫山家集104P冬歌・新潮573番)
13 柴の庵のしばし都へかへらじと思はむだにもあはれなるべし
(岩波文庫山家集109P羈旅歌・新潮1098番・
西行上人集追而加書・玉葉集)
14 柴の庵によるよる梅の匂い来てやさしき方もあるすまひかな
(岩波文庫山家集21P春歌・新潮40番)
15 ときは山しひの下柴かり捨てむかくれて思ふかひのなきかと
(岩波文庫山家集151P恋歌・新潮656番・
西行上人集・夫木抄)
○荻の音
「荻はイネ科の大形多年草。湿地に群生。高さ約二メートル。
ススキに似るが、より豪壮。葉は扁平な線形。秋に銀白色・穂状の
花序をつける。」
(日本語大辞典から抜粋)
薄に似た感じもするが、葉が大きく広く、下部はサヤとなって
棹(かん)をつける。万葉集にもよまれているが、平安時代にも、
その大きな葉に風を感じ、その葉ずれによって秋を知るという
把握が多かった。
いずれにせよ、荻は風に関連してよまれることが圧倒的に多い。
(片桐洋一氏著「歌枕歌ことば辞典」を参考)
○よるよる
夜々という解釈は少し不自然ですから「寄る寄る」の方が
ふさわしいものと思います。
新潮版では「よるよる」は「とくとく」となっています。
○やさしき方
雅やかな趣のあること。趣が、がさつでないことを言います。
○ときは山
常緑樹がたくさん繁っている山のこと。
地名としての「常盤」は、京都市右京区常盤のこと。
山城の歌枕の一つです。藤原為忠の屋敷がありました。
○しひの下柴
椎の木の下の方の小枝のこと。椎は常緑樹なので落葉しません。
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(11番歌の解釈)
「秋には荻吹く風の寂しさに馴染んでいたが、冬になると風は
激しくなった。和歌には詠まれないが、趣深い風だ。」
(和歌文学大系21から抜粋)
(12番歌の解釈)
「私の山家では、柴の網戸を新しく立て替えて、新しい年が
明けるのをずっと待っている。新年がその新調の網戸を開けて
訪ねてくる気がして。」
(和歌文学大系21から抜粋)
(13番歌の解釈)
「草庵にいればそれだけでも悲しくなるが、たとえまた戻って
来るにしても、しばらく君が都に帰ってひとりになると思うと
余計つらくなる。」
(和歌文学大系21から抜粋)
(14番歌の解釈)
「柴で葺いた粗末な庵に、疾く疾く梅が匂って来て、無縁と
思われる雅趣もある住居であるよ。」
(新潮日本古典集成山家集から抜粋)
(15番歌の解釈)
「常盤山の椎の木の下に繁る柴草を思い切って刈り捨てて明るく
しよう。そして同じようにあの人への恋心を明るみに出してみよう。
隠れて一人慕いつづけている甲斐はないかと思って……。」
(新潮日本古典集成山家集から抜粋)
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16 いづくにもすまれずばただ住まであらむ柴のいほりのしばしなる世に
(岩波文庫山家集189P雑歌・新潮欠番・
西行上人集・新古今集・西行物語)
17 さみだれて沼田のあぜにせしかきは水もせかれぬしがらみの柴
(岩波文庫山家集250P聞書集189番)
18 くらぶ山かこふしば屋のうちまでに心をさめぬところやはある
(岩波文庫山家集229P聞書集22番・
西行上人集追而加書・夫木抄)
19 下野の國にて、柴の煙を見てよみける
都近き小野大原を思ひ出づる柴の煙のあはれなるかな
(岩波文庫山家集128P羈旅歌・新潮1133番)
20 風あらき柴のいほりは常よりも寝覚めぞものはかなしかりける
(岩波文庫山家集132P羈旅歌・新潮1134番・
西行上人集追而加書・玉葉集)
○柴の庵のしばし
「しばし」につなげるために「柴」の言葉を用いています。
「柴の庵」とはまた、(かりそめの宿)を意味しています。
○沼田
沼のような、泥と水の多い田圃。
○せしかきは
「せし」はしていたこと。
田の占有の標識のために立てていた垣根のこと。
○しがらみの柴
田圃に水が入り込まなようにしていた柵(さく)のこと。
川の中に杭を打ち、それに柴などを取り付けて水が入らないように
していたものですが、五月雨で水量が多くて柵が柵としての役目を
しなくなったということ。
○くらぶ山
特定の山をさすのではなくて、「暗い山」という概念で詠まれる
歌語と言えます。
一説に実在する京都の鞍馬山の古名とも言いますが、くらぶ山は
想像上、概念上の山というしかないと思います。
だから鞍馬山とくらぶ山は別のものとして認識しています。
○かこふしば屋
作っている柴で葺いた小さな小屋のこと。
○下野の國
現在の栃木県の旧国名。初めの陸奥旅行の帰りに庵を結んで
しばらく滞在していたのかもしれません。
○小野大原
京都市左京区。平安時代は炭焼きが盛んでした。
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(16番歌の解釈)
「どこにも住むことができないのならば、いっそのこと住まずに
いよう。柴の庵のようにほんのしばしのこの世で。」
(和歌文学大系21から抜粋)
(17番歌の解釈)
「五月雨が降って、沼田の畔にしていた柴垣は、今は水も
せきとめられない柵の柴だよ。」
(和歌文学大系21から抜粋)
(18番歌の解釈)
「暗部山に囲う柴屋の内に至るまで、心を摂(おさめ)えない
所があろうか。」
(和歌文学大系21から抜粋)
(19番歌の解釈)
「ここ下野国で炭を焼く煙を見ると、都に近い小野大原の炭を焼く
煙が思い出され、しみじみと感慨がもよおされるなあ。」
(新潮日本古典集成山家集から抜粋)
(20番歌の解釈)
「風の荒い夜を旅先の草庵で送る。寝覚めのもの悲しさも
一入である。」
(和歌文学大系21から抜粋)
【柴のふたて】 (山、283)
21 雨しのぐ身延の郷のかき柴に巣立はじむる鴬のこゑ
(岩波文庫山家集22P春歌・新潮欠番・夫木抄)
22 あばれゆく柴のふたては山里の心すむべきすまひなりけり
(岩波文庫山家集283P補遺・西行上人集)
23 山里に心はふかくすみながら柴の烟の立ち帰りにし
(岩波文庫山家集176P雑歌・新潮737番)
24 立ちよりて柴の烟のあはれさをいかが思ひし冬の山里
(作者不詳歌)(岩波文庫山家集176P雑歌・新潮736番・西行物語)
25 山高み岩ねをしむる柴の戸にしばしもさらば世をのがればや
(岩波文庫山家集128P羈旅歌・新潮欠番・西行上人集追而加書)
26 熊野へまかりけるに、宿とりける所のあるし、夜もすから
火をたきてあたりけり。あたりさえてさむきに柴をたかせ
よかしとおもひけれとも、人には露もたかせすして、たき
あかしけり。下向しけるに、猶そのくろめに宿とらむと
申しけるに、あるしはやうなくなり侍りにき。ないり給ひ
そと申しけれは柴たき侍りし事おもひいてられて、いと
あはれにて
宿のぬしや野へのけふりに成にける柴たく事をこのみこのみて
(松屋本山家集)
(参考歌)
27 片岡にしばうつりして鳴くきぎす立羽おとしてたかからぬかは
(岩波文庫山家集24P春歌・新潮34番・
西行上人集追而加書・夫木抄)
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○雨しのぐ
雨をしのぐものは(蓑)であり、(雨しのぐ)で身延の地名を
想起させるように詠まれています。
○身延の郷
身延は甲斐の国(山梨県)の地名。富士山の西側に位置します。
身延で有名なお寺として日蓮宗総本山の「身延山久遠寺」があります。
このお寺は日蓮(1222〜1282)が、配流先の佐渡から許されて帰った
1274年に身延山西谷に草庵を結んだのが起こりと言われます。
1475年に諸堂を移転して現在の久遠寺の原型ができたようです。
(「山梨県の歴史散歩」を参考)
○かき柴
垣根を柴で作っていることをいいます。
○あばれゆく
「荒る=あばる」は(荒れ行く)こと。荒廃することを言います。
○柴のふたて
「ふたて」が意味不詳です。誤記ではなかろうかと思います。
○冬の山里
詞書によると仁和寺の奥に位置する所にあった庵です。
23番歌と24番歌は贈答の歌ですが、誰との贈答歌か判明していません。
兵衛の局説が有力です。
○熊野
和歌山県にある地名。熊野三山があり修験者の聖地ですが、特に
平安時代後期には皇室をはじめ庶民も盛んに熊野詣でをしました。
京都からは普通には往復で20日間以上かかりました。
○あたりさへて
今いる所がとても寒いということ。寒さが「冴える」こと。
厳しい寒さを言います。
○くろめに宿とらむ
不明です。菰にくるまっているような感覚をいうか?と和歌文学
体系21にはあります。
48ページ夏歌にある「こもくろめ」は宿の別称のようにも思えます
が、この「くろめ」は地名のようにも感じられます。
○やうなくなり
死亡したということ。
○ないり給ひ
和歌文学大系21では、「おはいりなさいますな」としています。
死亡時におけるお悔やみのことば、挨拶語のようにも思います。
○片岡
一方向になだらかに傾斜している小高い丘のこと。
○きぎす
野鳥のキジの古名です。
○しばうつりして
「しばしば」と雑草の「芝草」の掛けことばです。
芝草の中をうろちょろと動きまくっているということです。
○立羽おとして
「立つ羽音して」ということ。飛び立つ時の羽音のこと。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
(21番歌の解釈)
「身延の里(甲斐の国にあり)の垣根にしている柴の木に巣立ち
はじめる鶯の声がきこえるよ。」
(渡部保氏著「西行山家集全注解」から抜粋)
(22番歌の解釈)
「荒れてゆく柴のふたては山里で心も澄み、住むのに
ふさわしい住まいだよ。」
(和歌文学大系21から抜粋)
(23番歌の解釈)
「出家されたと聞いたあなたの住む奥深い山里に深く心をひかれ、
分け入りながら、あなたには逢えず、柴をたく煙の立つように
都へたち帰りました。」
(新潮日本古典集成山家集から抜粋)
(24番歌の解釈)
「自分の留守に訪れて下さり、冬の山里の庵に柴を折りくべてたく
煙のあわれさを、どのように思って下さったことでしょうか。」
(新潮日本古典集成山家集から抜粋)
(25番歌の解釈)
「高い岩山の上に立つ、柴で作られた簡素な庵に住みたいものだ。
少しだけのこの人生なのだから、世を逃れて孤高を保って。」
(阿部の解釈)
25番歌は西行上人集追而加書のみにあります。西行歌ではない
可能性が強いと思います。
(26番歌の解釈)
「この宿のあるじはなくなって野辺に送られ、なきがらは
荼毘に付されて煙となってしまったのか。柴を炊くことを
ひどく好んだ末に。」
(和歌文学大系21から抜粋)
(27番歌の解釈)
「片岡の芝草の中をしばしばあちらこちらへと所変えして鳴く
雉子だが、飛び立ってゆく羽音とても高くないことがあろうか、
高いことだ。」
(新潮日本古典集成山家集から抜粋)
この歌にある「しば」は樹木の「柴」ではなくて「草」の「芝」と
解釈できますが、参考歌として取り上げておきます。
【しはくの島】
塩飽諸島のことです。
岡山県と香川県の間の瀬戸内海にある群島を言います。
広島・本島・手島などの瀬戸中央大橋の両側に広がる28の諸島群
からなります。行政区としては香川県丸亀市です。
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まなべと申す島に、京よりあき人どものくだりて、
やうやうのつみのものどもあきなひて、又しはくの
島に渡りてあきなはんずるよし申しけるを聞きて
01 まなべよりしはくへ通ふあき人はつみをかひにて渡るなりけり
(岩波文庫山家集115P羈旅歌・新潮1374番)
○まなべ
岡山県笠岡市真鍋島のことです。瀬戸内海の真ん中にある小さな
島で、笠岡港から高速船で40分ほどかかるようです。
○あき人
あきんどのこと。あきない(商い)をする人。商売人のことです。
○やうやうのつみのもの
「やうやう」は(様々)のこと。「つみのもの」は船中に積み込んだ
積荷のこと。
海産物を中心にして行商をする人がいたとうことです。
○つみをかひにて
商売用の品物である、積荷を買い付けること。
「つみ」は「積み」と「罪」、そして船の「櫂」と積荷を買う
「買い」を掛けています。
(01番歌の解釈)
「真鍋島から塩飽諸島に通う商人は、罪深い積荷を買い付けて
航海しているので、人々に罪を犯させる張本人のようなものだ。」
(和歌文学大系21から抜粋)
【しほさきの浦】
淡路島の三原郡南淡町潮崎のこととみられています。
淡路島の南端の浦です。
和歌山県の南端の串本町潮岬という説もあります。
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01 小鯛ひく網のかけ繩よりめぐりうきしわざあるしほさきの浦
(岩波文庫山家集116P羈旅歌・新潮1378番)
○うきしわざ
「憂き仕業」のこと。かけ縄には浮きをつけていて、憂きは浮きを
かけています。
魚を獲ることは、つらく悲しく罪深いことだなーという意味です。
(01番歌の解釈)
「小鯛を引く網の、うきを付けた縄が次第に手繰り寄せられるようで
ある。殺生という憂い仕業の行われる塩崎の浦だよ。」
(新潮日本古典集成山家集から抜粋)
【しほなれし】
潮気が染み込んでいるほどに潮に馴れていること。涙を暗示させます。
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01 しほなれし苫屋もあれてうき波に寄るかたもなきあまと知らずや
(堀川局歌) (岩波文庫山家集178P雑歌・新潮744番・
西行上人集・山家心中集・西行物語)
苫のやに波立ちよらぬけしきにてあまり住みうき程は見えけり
(西行の返歌) (岩波文庫山家集178P雑歌・新潮745番・
西行上人集・山家心中集・夫木抄・西行物語)
○苫屋
苫(スゲやカヤなどを編んだもの)で葺いただけの非常に粗末な
住家のこと。
○寄るかたもなき
寄りかかるための存在、その相手が失われていること。
自分の心境、気持ということと、方法、方途ということをも重ね
合わせています。
○波立ちよらぬ
海辺の苫屋にかけて「波」としていますが、誰も訪れることの
ない寂しい生活ぶりを言う言葉です。
(01番歌の解釈)
「住み馴れた苫屋も荒れはててしまい、憂き波に寄るべもなく
漂う海女のように、心憂く住む尼とは御存じありませんか。」
(新潮日本古典集成山家集から抜粋)
この歌は堀川の局の歌とは明記されていませんが、西行上人集
などによって堀川の局の歌とわかります。西行との贈答歌です。
(西行歌の解釈)
「苫屋には波もうち寄せぬように誰もたち寄らない様子で、
あまりにも住みづらい様子がよく分かりました。」
(新潮日本古典集成山家集から抜粋)
(堀川の局と兵衛の局)
二人ともに生没年不詳です。村上源氏の流れをくむ神祇伯、源顕仲
の娘といわれています。姉が堀河、妹が兵衛です。二人の年齢差は
不明ですが、ともに待賢門院璋子(鳥羽天皇中宮)に仕えました。
堀川はそれ以前に、白河天皇の令子内親王に仕えて、前斎院六条と
称していました。
1145年に待賢門院が死亡すると、堀川は落飾出家、一年間の喪に
服したあと、仁和寺などで過ごしていた事が山家集からも分かります。
兵衛は待賢門院のあとに上西門院に仕えてました。1160年、上西門院
の落飾に伴い出家したという説があります。それから20年以上は生存
していたと考えられています。
上西門院は1189年の死亡ですが、兵衛はそれより数年早く亡くなった
ようです。
西行と堀川の局の贈答歌は今号分以外には以下があります。
◎ 此世にてかたらひおかむ郭公しでの山路のしるべともなれ
(堀川の局歌) (岩波文庫山家集137P羈旅歌・新潮750番・
西行上人集・山家心中集・新後撰集・玉葉集・西行物語)
◎ 時鳥なくなくこそは語らはめ死出の山路に君しかからば
(西行歌) (岩波文庫山家集137P羈旅歌・新潮751番・
西行上人集・山家心中集・西行物語)
◎ 尋ぬとも風のつてにもきかじかし花と散りにし君が行方を
(西行歌)(岩波文庫山家集201P哀傷歌・新潮779番・西行上人集)
◎ 吹く風の行方しらするものならば花とちるにもおくれざらまし
(堀川局歌)(岩波文庫山家集201P哀傷歌・新潮780番・西行上人集)
【しほひ・汐干・汐ひる方】
海水が引く事。干潮のことです。
「汐ひる方」は潮が引いてできた干潟のこと。その方面のこと。
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01 難波潟しほひにむれて出でたたむしらすのさきの小貝ひろひに
(岩波文庫山家集171P雑歌・新潮1190番・夫木抄)
02 あはぢ潟せとの汐干の夕ぐれに須磨よりかよふ千鳥なくなり
(岩波文庫山家集94P冬歌・新潮549番・
西行上人集・山家心中集)
03 やせわたる湊の風に月ふけて汐ひる方に千鳥鳴くなり
(岩波文庫山家集95P冬歌・新潮552番)
02 大海のしほひて山になるまでに君はかはらぬ君にましませ
(岩波文庫山家集142P賀歌・新潮1175番)
○難波潟
摂津の国の淀川の河口周辺を言います。現在と違って古代から
低湿地と言ってもよく、干潟は広範囲にあったものでしよう。
葦が生い茂り、物寂しい荒涼としたイメージで詠まれた歌が
多くあります。
○むれて出でたたむ
一緒なって出ていくこと。みんなで出発すること。
○しらすのさき
固有名詞としたら、どこにある地名なのか不詳のままです。
普通名詞としては「白州の崎」は「白砂の洲崎」のことと
解釈されています。
○あはぢ潟
淡路島にある干潟のこと。
○須磨
摂津の国の歌枕。古くは播磨の国との境界です。
現在は神戸市須磨区。千鳥の名所で源氏物語にも詠まれています。
古くは関があり、関の歌もよく詠まれています。
淡路島かよふ千鳥の鳴く声に幾夜寝ざめぬ須磨の関守
(源 兼昌 百人一首78番)
○やせわたる
「八瀬」で、たくさんの瀬を意味しています。
「瀬」は特に浅場でありながら流れの急な所を言います。
(01番歌の解釈)
「難波潟では潮が引いたら白州の崎の小貝を拾いに皆で出て
行こう。」
(新潮日本古典集成山家集から抜粋)
(02番歌の解釈)
「淡路島では、瀬戸の潮干で陸と陸の間が近くなった夕暮、須磨
から通って来るのだろう、千鳥の鳴く声が聞こえてくるよ。」
(新潮日本古典集成山家集から抜粋)
(03番歌の解釈)
「数多くの瀬を吹き越えてゆく川口の風に、月も夜の更けるに従って
冴えわたり、潮の引いた潟に千鳥が鳴いていることである。」
(新潮日本古典集成山家集から抜粋)
(04番歌の解釈)
「大海の潮がすっかり引いてやがて山になるという悠久の時が流れ
ても、今上天皇は変わらずに天皇のままでいらっしゃって下さい。」
(和歌文学大系21から抜粋)
【塩ふむきね】
巫覡(きね)とは神に仕える人をいいます。神官や巫女などです。
神楽を奏し、祝詞をあげ、神と人間双方の間で仲立ちをする人を
指します。
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01 浪につきて磯わにいますあら神は塩ふむきねを待つにやあるらむ
(岩波文庫山家集168P雑歌・新潮998番・夫木抄)
○磯わ
「磯曲=いそわ」で、普通は磯の湾曲している部分を指しますが、
この歌では歌意を考えると磯の岸壁、断崖当たりを指すようです。
○あら神
荒ぶる神のことですが、同時に霊験あらたかな神でもあるのでしよう。
(01番歌の解釈)
「磯に鎮座して波に洗われている荒神は、巫覡(きね)が難儀しな
がらも磐座に奉仕するのを待っているのだろう。」
(和歌文学大系21から抜粋)
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