しあ〜しか | しき〜しで | しな〜しほ | しま〜しも | しゃ | しゃ〜しゅ | しょ | しら〜しを | しん |
項目
しまき・しまく・しまぬ・しまはし・清水谷=しみずたに・注連「しめ」・しめおき・しめる・
霜・しも・下野=しもつけ・しもと
【しまき・しまく】
(しまく)は(風巻く)の文字をあてています。
(し)は(風)の古語です。「雪しまく」で雪と風が激しいさま
を表し、吹雪のことです。
(しまく)は(風巻く)の文字をあてています。
(し)は(風)の古語です。「雪しまく」で雪と風が激しいさま
を表し、吹雪のことです。
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01 せと渡るたななし小舟心せよ霰みだるるしまきよこぎる
(岩波文庫山家集96P冬歌・新潮544番・
西行上人集・山家心中集)
02 くれ舟よあさづまわたり今朝なせそ伊吹のたけに雪しまくなり
(岩波文庫山家集169P雑歌・新潮1006番・夫木抄)
○せと
瀬戸のこと。狭い海峡を言います。
○たななし小舟
舟べりに棚のない小さな舟のこと。大型船と違って舷側に波を防ぐ
為の棚板や、人がもたれかかる為の柵もない小さな舟です。
○くれ舟
「榑=くれ」とは山出しの木材を指します。平安時代の規格では
長さ十二尺、幅六寸、厚さ四寸と決まっていました。
山から切り出したばかりの材木との説(新潮版山家集)もあります。
その「くれ」を積んで運ぶ舟のことです。
(広辞苑 第二版を参考)
○あさづまわたり
琵琶湖東岸の朝妻港を起点にして他の港に舟で渡るということ。
○今朝なせそ
(今朝な寄せそ)の略で、今朝は寄港したらダメです、という
希望なり警告なりの言葉。
○伊吹のたけ
岐阜県と滋賀県の県境になる伊吹山のことです。伊吹山地の
主峰が伊吹山。標高1377メートル。
伊吹山には日本武尊受難の伝説があります。高山植物や薬草が
多いこと、降雪の多さなどで知られています。
山中のヨモギの葉から製造した「もぐさ」は(伊吹もぐさ)と
して古くから有名です。
行政区としての伊吹町は伊吹山西麓、滋賀県坂田郡にあります。
(01番歌の解釈)
「瀬戸をわたる棚無小舟よ。用心するがよい。海上は霰が乱れ
飛び、暴風も横なぐりに突っ切り吹いていることだ。」
(新潮日本古典集成山家集から抜粋)
(02番歌の解釈)
「榑(くれ)舟よ。朝になっても朝妻港付近にはくれぐれも寄港
しないがいい。伊吹山が吹雪いている。きっと時化になる。」
(和歌文学大系21から抜粋)
【しまぬ】
「染む」の活用形です。「しまぬ」で色が染みこまないことを
指しています。
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01 藤衣かさぬる色はふかけれどあさき心のしまぬばかりぞ
(藤原公能の返歌)(岩波文庫山家集203P哀傷歌・新潮786番・
山家心中集・月詣集)
この歌は下の西行の歌に対しての返歌です。
かさねきる藤の衣をたよりにて心の色を染めよとぞ思ふ
(西行歌) (岩波文庫山家集203P哀傷歌・新潮785番・
西行上人集・山家心中集・玉葉集・月詣集)
○藤衣
喪服のことです。
○かさぬる色
藤原公能の父である藤原実能は1157年9月没。その喪が明けない
うちに母親も死亡しましたので、喪服を重ね着ると表現しています。
その公能も4年後の1161年8月、47歳で没しています。
この贈答歌は1157年から1161年の間に詠まれたものです。
○あさき心
出家に対しての情熱は、いまだに乏しいということ。
(01番歌の解釈)
「重なる両親の死による悲しみが服喪の色を深くいたしましたが、
私の心はまだ浅くて、仏道に専念する決心はつきません。」
(和歌文学大系21から抜粋)
(西行歌の解釈)
「ご両親を相次いで失われた御不幸をお見舞申し上げます。喪服を
重ねてお召しなのを機縁にそのまま僧衣をお召しになりませんか。
仏縁に従って出家なさるのがよろしいかと存じます。」
(和歌文学大系21から抜粋)
【しまはし】
「為設く=しまうく」の活用形で、施設を造ること、完成させる
ことを言います。
01番歌については垣根で外周りを囲んでいる状態と解釈できます。
02番歌では、衣川の館は城構えのため、城壁なども完成していて、
城としての完成度は高いということのようです。
【しまはり】
03番歌は新潮版では「し廻りて」、和歌文学大系21では「しめぐりて」
となっています。
「して回って」という意味となり、01番・02番歌とは意味が異なり
ますが、ここで紹介します。
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01 大師の生れさせ給ひたる所とて、めぐりしまはして、
そのしるしの松のたてりけるを見て
あはれなり同じ野山にたてる木のかかるしるしの契ありけり
(岩波文庫山家集112P羈旅歌・新潮1369番)
02 十月十二日、平泉にまかりつきたりけるに、雪ふり嵐
はげしく、ことの外に荒れたりけり。いつしか衣川見ま
ほしくてまかりむかひて見けり。河の岸につきて、
衣川の城しまはしたる、ことがらやうかはりて、ものを
見るここちしけり。汀氷りてとりわけさびしければ
とりわきて心もしみてさえぞ渡る衣川見にきたる今日しも
(岩波文庫山家集131P羈旅歌・新潮1131番)
03 承安元年六月一日、院、熊野へ参らせ給ひけるついでに、
住吉に御幸ありけり。修行しまはりて二日かの社に参り
たりけるに、住の江あたらしくしたてたりけるを見て、
後三條院の御幸、神も思ひ出で給ふらむと覚えてよめる
絶えたりし君が御幸を待ちつけて神いかばかり嬉しかるらむ
(岩波文庫山家集118P羈旅歌・新潮1218番・
西行上人集・山家心中集)
○大師の生れさせ給ひたる所
大師は弘法大師空海。空海の生誕地は香川県善通寺市です。
誕生院があります。
○十月十二日
京都を春頃(2月から3月頃)に旅立って、方々に寄り道しながら
旅を続けて、平泉には10月12日に到着したということです。
何年のことかは確定できません。1144年頃から1149年頃までの
うちではなかろうかと見られています。
○平泉にまかり
奥州の平泉に行ったということ。現在の岩手県西磐井郡平泉町。
この歌は始めての奥州行脚のときの歌と見られています。
(西行の研究189・190ページ、窪田章一郎氏)
この頃の平泉は藤原氏第二代の基衡が治めていました。西行は
この時に藤原氏三代となる秀衡とも面識ができたはずです。
○衣川
陸奥の国の歌枕。(衣)を掛けて詠われます。
衣川は平泉の中尊寺の北側を流れていて、北上川に合流します。
○見まほしくて
「見て回りたくて」の意味になります。川の衣川ではなくて、
藤原氏の衣川城の結構、完成度などについてです。
○ 院
山家集の中の、一院は鳥羽院、新院は崇徳院、院は後白河院を
指します。「院の小侍従」といえば「後白河院の小侍従」のこと
であり、後白河院に仕えていた女房の「小侍従」を言います。
ただし岩波文庫山家集110ページにある
「讃岐にまうでて、松山と申す所に、院おはしましけむ」の院は
崇徳院を指しています。
○承安元年
1171年のことです。この年、嘉応の元号は1171年4月21日まで、
同年同日から承安元年となります。第80代高倉天皇の治世に
あたります。高倉天皇は後白河天皇の皇子です。
後白河院は5月29日に京都を立ち、6月1日に住吉大社に詣で、
熊野に向かい、京都に帰りついたのは6月21日ということです。
西行は1171年6月2日に住吉大社に参詣したことになります。
○住吉
摂津の国の歌枕。住吉大社をいいます。摂津の国の一宮です。
西行の時代は海に面していたものと思われます。
○あたらしくしたてたり
社殿が新しく造りかえられたことをいいます。
○後三條院
第71代天皇。1034年〜1073年。40歳で崩御。
1073年2月、後三條院のは母の陽明門院と岩清水・住吉・天王寺に
御幸しています。同年5月、後三條院没。
(01番歌の解釈)
「深く感動してしまった。同じように野や山に生えている木であり
ながら、この松だけは大師誕生を記念して特別の目印が付けられる
とは、それ相応の仏縁がそもそもあったことになる。」
(和歌文学大系21から抜粋)
(02番歌の解釈)
「衣河を見に来た今日は今日とて、雪が降って格別寒いうえ、
とりわけ心にまでもしみて寒いことである。」
(新潮日本古典集成山家集から抜粋)
(03番歌の解釈)
「後三條院の親拝以来絶えていたが、この度の後白河院の御幸を
待ち迎えられ、住吉明神はどんなに嬉しく思っておいでのこと
だろうか。」
(新潮日本古典集成山家集から抜粋)
【清水谷=しみずたに】
場所の特定はできません。東山の山寺とありますので、京都市東山区
の、谷を見下ろす位置にある庵だろうと思います。
現在の国道一号線の通じている阿弥陀が峰と清水山の間は当時から
谷になっていたと考えられますので、庵の位置は阿弥陀が峰か
清水山にあったのではないかとも思います。
左京区の吉田山東麓の神楽岡という説もあります。
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01 東山に清水谷と申す山寺に、世遁れて籠りゐたりける
人の、れいならぬこと大事なりと聞きて、とぶらひにま
かりたりけるに、あとのことなど思ひ捨てぬやうに申し
おきけるを聞きてよみ侍りける
いとへただつゆのことをも思ひおかで草の庵のかりそめの世ぞ
(岩波文庫山家集241P聞書集114番)
○れいならぬこと大事なり
病気が重篤なこと。危篤状態にあること。
○あとのこと
死後のことです。
○思ひ捨てぬ
死の間際になっても死後のことが気がかりで、そのことを回りの
人に言ったということ。遺言に相当します。
○いとへただ
死の間際になれば、いまはただ懊悩することから自身を解放しなさい、
という助言のことば。
○つゆのことをも
(つゆ)は草の縁語としても使われています。
歌の本意は、少しも思い惑わないで、という意味になります。
○かりそめの世
命を持って生きている現世を言います。
(01番歌の解釈)
「この世のことはただ遠ざけなさい、露ほどのことも全く思い残さ
ないで、草の庵のように仮初めのこの世ですぞ。」
(和歌文学大系21から抜粋)
【注連・しめ】
一般的には土地や建物の領有を表し、立ち入り禁止区域であること
を示すために縄などで張り巡らした印のこと。他の場所と隔てる
ための標識です。
特に神社などでは聖域・霊域を示し守るために俗界と区切って、
結界とする意味があります。注連縄の略ともいえます。
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01 思ふことみあれのしめにひく鈴のかなはずばよしならじとぞ思ふ
(岩波文庫山家集222P神祇歌・新潮1022番・
西行上人集追而加書・夫木抄)
02 いつか又いつきの宮のいつかれてしめのみうちに塵を拂はむ
(岩波文庫山家集223P神祇歌・新潮1226番・夫木抄)
03 ながれいでて御跡たれますみづ垣は宮川よりのわたらひのしめ
(岩波文庫山家集279P補遺・宮河歌合・夫木抄)
04 神路山みしめにこもる花ざかりこらいかばかり嬉しかるらむ
(岩波文庫山家集280P補遺・夫木抄)
05 注連かけてたてたるやどの松に来て春の戸あくるうぐひすの聲
(岩波文庫山家集233P聞書集46番・夫木抄)
○みあれのしめ
(みあれ=御生)と表記します。
「人間をはじめ森羅万象すべてに生命が存在し、人間が呼吸して
いるように天地すべてが呼吸し、活動して相互に作用しあい、
作用しあうところから生命が誕生する。それを御生という。」
現在、5月15日に賀茂祭(葵祭)が行われますが、それに先駆けて、
5月12日に御蔭祭(御生神事)が行われています。
(賀茂御祖神社社務所発行「賀茂御祖神社」より抜粋)
賀茂祭の形態にもかなりの変遷があるようです。
「みあれ」そのものにも別の意味があります。賀茂祭は古くは
旧暦四月の中の酉の日に行われていましたが、その3日前の午の
日に御生神事が行われていました。
賀茂祭の酉の日の前夜に、賀茂社にある御生木(みあれぎ)に
神霊を移譲させて賀茂両社に迎えていたようです。
その御生木に注連縄を張って鈴をつけ、注連縄には鈴緒を結んで、
鈴緒を下に引いて鈴を鳴らすということのようです。
○ひく鈴
注連縄に付けられた鈴のこと。引くのは鈴を付けて下に垂らした
鈴緒という綱です。現在でも神社にあります。
○かなはずばよし
叶えられないならばそれも仕方ないということ。
「よし」は望みとは違っていても許容するしかない・・・という、
消極的な(あきらめ)の気持ちを表します。
○いつきの宮
この歌の場合は伊勢斎王の居住する施設である(斎宮御所)の
ことです。
○しめのみうち
注連縄の張られている、その内側のこと。斎宮御所内のこと。
○いつかれて
(斎かれて=いつかれて)であり、心身を清めて、敬虔な気持ちで
謹んで神に仕えることを指します。
○御跡たれます
本地垂迹のこと。仏や菩薩などが衆生を救うために、神という仮の
姿をして、この世に出現するということ。
○みづ垣
垣根のことです。「みづ」は美称で「瑞垣」と表記します。
玉垣の内側に設ける垣のことであり、神殿を囲んでいる木製の垣も
「瑞垣」と呼びならわされているようです。
○宮川
三重県の大台ケ原山に源流を発して東流し、伊勢市で伊勢湾に注いで
いる全長90キロメートルほどの川です。JR参宮線で言えば、宮川駅と
山田上口駅の間を流れています。伊勢両宮は山田上口駅よりは南に
なります。
尚、斎宮御所は宮川の北方に位置し、伊勢神宮外宮からでも10キロ
メートルは離れた斎宮駅の近くにあったことが確実です。
○わたらひのしめ
「度会の注連」です。
伊勢神宮のある所は度会郡でしたし、また渡会氏が伊勢神宮外宮の
代々の禰宜でした。
現在の伊勢市や伊勢山田市を含めた、旧の度会郡そのものを神域化
した表現です。
○みしめにこもる
「御注連にこもる」で注連に込められているということ。
または、注連の内側にあるということ。
○こら
こら=物忌の子を(小良)という。
物忌には大物忌、物忌父、小良があり、宮守、地祭りなどの
御用を勤めるもので、童男女を用いた。
(和田秀松著「官職要解」を参考)
(01番歌の解釈)
「御生(みあれ)の祭のしめ縄にかけた鈴を引いて、思いが叶えられ
るよう祈るが、叶えられないならば、よもや鈴も鳴るまいと思う。」
(新潮日本古典集成山家集から抜粋)
(02番歌の解釈)
「いつの日にかまた、斎宮が心身を清めて神に奉仕され、注連縄
の張られた聖域のなかの塵をはらうか、その日の一日も早く
来ることを願っている。」
(渡部保氏著「西行山家集全注解」より抜粋)
(03番歌の解釈)
「大日如来が、この地に本地垂迹として御跡をあらわされたこの
美しい神社の垣根は宮川からわたらい(外京より内京まで)にかけ
わたしたしめなわなのである。」
(渡部保氏著「西行山家集全注解」より抜粋)
(04番歌の解釈)
「神路の神域にこもり咲いている桜の花ざかり、御こらご
(大神宮の御供えのこと神楽などに奉仕する少女)たちも如何に
うれしいことであろうか。」
(渡部保氏著「西行山家集全注解」から抜粋)
(05番歌の解釈)
「注連飾りを掛けて立てた私の家の松に来て、春の戸を
開けるかのようにさえずる鴬の声。」
(和歌文学大系21から抜粋)
【しめおき】
「しめおき」は占有の(占=しめ)のことです。個人の所有だと
いう主張のことです。
もともとは「注連」と同根の言葉かと思いますが、別項とします。
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01 おなしさとにおのおの宿をしめおきてわかかきねとはおもふなりけり
(松屋本山家集)
○わかかきね
「我が垣根」のこと。自分の占有を示します。
(01番歌の解釈)
「同じ里にめいめいが自分の家の庭を占有して、ここが自分の
領地だと思っているのだ。」
(和歌文学大系21から抜粋)
【しめる】
水分が混じって湿ること。
静まること、勢いが衰えることなどをも指します。
「しめることがない」とは、燃え盛る炎が衰えない状態のこと。
勢いが沈静化することはないということ。
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01 いつとなく思ひにもゆる我身かな浅間の煙しめる世もなく
(岩波文庫山家集154P恋歌・新潮696番)
02 さまざまの歎を身にはつみ置きていつしめるべき思ひなるらむ
(岩波文庫山家集165P恋歌・新潮1495番)
六道の歌よみけるに、地獄
03 罪人のしめるよもなく燃ゆる火の薪とならんことぞ悲しき
(岩波文庫山家集220P釈教歌・新潮897番)
○浅間
群馬県吾妻郡と長野県北佐久郡にわたる標高2588メートルの
浅間山のことです。現在も活火山として知られています。
西行の時代も噴煙は立ち昇っていたものでしよう。
信濃の国の歌枕。
浅間は西行にはこの一首のみですが、恋の思いを噴煙にたとえて
詠った恋歌もあり、他方、浅間から(あさまし)の言葉を引き
出して詠まれた歌もあります。
○歎きを身にはつみ置き
「つみ置き」は「歎き」の縁語です。
煩悩から逃れることのできない人間の宿痾ということを感じ
させます。
○六道
仏教にある地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上の六世界のこと。
想像上の世界、架空の物語の世界です。
○薪とならん
死後に地獄に落とされた罪人が身体を燃やされるという阿鼻地獄説
に拠るようです。
(01番歌の解釈)
「浅間山の噴煙が衰える時代が来ようとは思われないように、
あなたに逢いたい思いが火になって私はいつも燃えている。」
(和歌文学大系21から抜粋)
(02番歌の解釈)
「様々の「なげき」という木をわが身に積んでおいて、その木を
燃やすわが「思ひ」の「火」は、いつしずまることであろうか。」
(新潮日本古典集成山家集から抜粋)
(03番歌の解釈
「永遠に燃え続ける地獄の業火の薪として、罪人が焼かれるのは
本当に悲しいことだ。」
(和歌文学大系21から抜粋)
【霜】
大気中や地中の水分が地上にある物体の表面に付着し、凍りついた
ものです。気温がマイナスになると、できることが多いです。
本質的に雪の結晶と同一です。
歌では晩秋から初冬にかけて木の葉や草を枯らすものとして捉えて
詠まれたり、あるいは、その白さから白髪や鶴に例えられたりして
詠まれてきました。
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01 なつの夜も小笹が原に霜ぞおく月の光のさえしわたれば
(岩波文庫山家集51P夏歌・新潮245番)
02 秋ふかみならぶ花なき菊なれば所を霜のおけとこそ思へ
(岩波文庫山家集86P秋歌・新潮468番)
03 をしめども鐘の音さへかはるかな霜にや露の結びかふらむ
(岩波文庫山家集89P秋歌・新潮490番・
西行上人集・山家心中集)
04 難波江の入江の蘆に霜さえて浦風寒きあさぼらけかな
(岩波文庫山家集92P冬歌・新潮510番・新拾遺集)
05 こぬ夜のみ床にかさねてから衣しもさえあかすひとりねの袖
(岩波文庫山家集260P聞書集254番)
○霜ぞおく
実際の霜ではなくて、冴え冴えとした月の光が降り注いでいて、
光に照らされている情景を「霜」に例えています。
○所を霜のおけ
「おけ」は「置け」ではなくて、惜しむの「惜け」で、差し置くの
意味です。
○ならぶ花なき
晩秋なのでもう殆どの秋の花がなくなって、菊くらいしか残って
いないということ。菊の花の素晴らしいことをも合わせ言います。
○霜にや露の
これも倒置法でしようか。詞書に「終夜、秋を惜しむ」とあります
から、秋の露が冬の霜にとって代わり、季節が静かに移ろいゆく
ことに対しての哀惜を込めています。
○難波江
淀川と大和川に囲まれて大阪湾に面していた一帯を難波といい、
そこの海辺を難波江と言います。
○蘆
イネ科の多年草で、水辺に群生する植物。蘆、芦、芦の文字を当て
ます。高さ約二メートル。根は漢方薬、茎は「すだれ」などに用い
られます。「あし」という言葉は忌み言葉ということで、「ヨシ」
とも言われます。
「難波の葦は伊勢の浜荻」という言葉もあります。
ヨシ、ハマオギ、ナニワグサなどは蘆の別名です。
津の国と葦はセットになっているとも思えるほどに多く
詠まれています。
○あさぼらけ
朝、空が白々と明るくなる頃のこと。夜明け頃。
○しもさへあかす
たくさんの涙を流したということ。霜は涙を暗示しています。
○から衣
中国風または韓国風の衣服のこと。袖は大きく丈はくるぶしまで
あり、左前と右前を深く打ち合わせて着用します。
歌では美しい衣服の意味です。衣の美称として使われています。
万葉集にも詠まれていて、「韓衣」とも表記されています。
(01番歌の解釈)
「夏の夜でも小笹のあたりは霜が置いたようだ。冷たいほどの月の
光が夜を通して冴え続けているので。」
(和歌文学大系21から抜粋)
(02番歌の解釈)
「秋も深まって他の花はすでに枯れ、並ぶ花もない菊だから、種々
の花を枯らせた霜であるが、菊に対しては遠慮して、置かないで
ほしいと思うことだ。」
(新潮日本古典集成山家集から抜粋)
(03番歌の解釈)
「ゆく秋をいくら惜しんでも、鐘の音まで秋とは異なり冬の到来を
告げるかのように聞こえる。暁には秋の露も冬の霜にかわって
結ぶことであろう。」
(新潮日本古典集成山家集から抜粋)
(04番歌の解釈)
「難波江の入江は、夜明け方になると、群生する蘆の葉に霜が
冷たく凍りついて、浦風が寒々と吹きつける。」
(和歌文学大系21から抜粋)
(05番歌の解釈)
「あの人の来ない夜だけを寝床に重ねて、唐衣に置く霜が
冷えて夜を明かす独り寝の袖よ。」
(和歌文学大系21から抜粋)
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06 庭さゆる月なりけりなをみなへし霜にあひぬる花と見たれば
07 片そぎの行あはぬ間よりもる月やさして御袖の霜におくらむ
08 玉かけし花のかつらもおとろへて霜をいただく女郎花かな
09 霜うずむ葎が下のきりぎりすあるかなきかに聲きこゆなり
10 霜にあひて色あらたむる蘆の穗の寂しくみゆる難波江の浦
11 露おきし庭の小萩も枯れにけりいづち都に秋とまるらむ
12 霜かづく枯野の草は寂しきにいづくは人の心とむらむ
13 霜がれてもろくくだくる荻の葉を荒らく吹くなる風の色かな
14 霜さえて汀ふけ行く浦風を思ひしりげに鳴く千鳥かな
15 霜さゆる庭の木葉をふみ分けて月は見るやと訪ふ人もがな
16 分けかねし袖に露をばとめ置きて霜に朽ちぬる眞野の萩原
17 玉まきし垣ねのまくず霜がれてさびしくみゆるふゆの山里
18 旅寝する草のまくらに霜さえて有明の月の影ぞまたるる
19 あはれみえし袖の露をばむすびかへて霜にしみゆく冬枯の野べ
20 月のすむみおやがはらに霜さえて千鳥とほたつ聲きこゆなり
21 われなれや松のこずゑに月かけてみどりのいろに霜ふりにけり
22 はつ霜の見えもわかれておきてけるうつろひやすきしら菊の花
23 かきこめし裾野の薄霜がれてさびしさまさる柴の庵かな
24 さまざまに花咲きたりと見し野邊の同じ色にも霜がれにけり
25 みちのくににまかりたりけるに、野中に、常よりもと
おぼしき塚の見えけるを、人に問ひければ、中将の御墓と
申すはこれが事なりと申しければ、中将とは誰がことぞと
又問ひければ、實方の御ことなりと申しける、いと悲しかり
けり。
さらぬだにものあはれにおぼえけるに、霜がれの薄ほのぼの
見え渡りて、後にかたらむも、詞なきやうにおぼえて
朽ちもせぬ其名ばかりをとどめ置きて枯野の薄かたみにぞ見る
26 しほ湯出でて京へ帰りまうで来て、古郷の花霜がれにける、
あはれなりけり。いそぎ帰りし人のもとへ又かはりて
言の葉の霜がれにしに思ひにき露のなさけもかからましかば
27 浅からず契りありける人の、みまかりにける跡の、をとこ
心のいろかはりて、昔にも遠ざかるやうに聞えけり。
古郷にまかりたりけるに、庭の霜を見て
をりにあへば人も心ぞかはりけるかるるは庭のむぐらのみかは
【しも】
副助詞「し」に、副助詞「も」が接続した言葉です。
現在では受ける言葉を強調しますが、平安時代当時は「しも」の
前の言葉を強調する役割で使われました。
(必ずしも)のように部分否定をも表しますが、平安時代はこの
作用は無いようにも思います。
どうも西行法師はこの言葉を使いたいらしくて、安直に使っている
ケースもあるのではないかと思います。
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01 なにとかくあだなる花の色をしも心にふかく染めはじめけむ
(岩波文庫山家集33P春歌・新潮153番・
西行上人集・山家心中集・新後撰集)
02 つれなきを花によそへて猶ぞまつさかでしもさてやまじと思へば
(岩波文庫山家集236P聞書集66番)
03 郭公ききにとてしもこもらねど初瀬の山はたよりありけり
(岩波文庫山家集44P夏歌・新潮199番・
西行上人集追而加書・夫木抄)
04 かげさえて月しも殊にすみぬれば夏の池にもつららゐにけり
(岩波文庫山家集51P夏歌・新潮247番)
05 分けて出づる庭しもやがて野邊なれば萩のさかりをわが物にみる
(岩波文庫山家集58P秋歌・新潮271番)
○あだなる花
新潮版では「あだなる春」となっています。
花に心を委ねて、とても深く執着するけれども、その私の花に
対しての気持ちを汲み取ることもなく、薄情にもすぐに散って
しまうことを「あだなる」という言葉で表しています。
○つれなき
冷淡である、薄情だ、よそよそしいという意味のある形容詞です。
○花によそへて
あるものを何かに見立てること。なぞらえること。
ここでは花に見立てています。
○やまじと思へば
花は咲かないままに終わるのではなくて、必ず咲いてから終わる
ということ。自身を納得させるための言葉です。
○初瀬の山
大和国の歌枕で初瀬山のこと。泊瀬山とも表記して、奈良県桜井市
初瀬町にあります。
こもりく「隠国」という言葉が用いられた歌が多くあります。
長谷寺があり、平安時代にはこのお寺の観音信仰が盛んでした。
○つららゐにけり
氷が張っていること。その状態。
(01番歌の解釈)
「どうしてこんなにはかない花の色を、どうしてこんなに心の
奥深くまで染め初めてしまったのだろう。」
(和歌文学大系21から抜粋)
(02番歌の解釈)
「あの人が冷淡なのを、なかなか咲かない花によそえてなおも待つ
ことだ。花は咲かないでそのまま終わるまいと思うので。」
(和歌文学大系21から抜粋)
(03番歌の解釈)
「時鳥を聞くために長谷寺参籠に来たつもりは全くないが、
この寺で修行すると初瀬山の時鳥を聞くには大変好都合だ。」
(和歌文学大系21から抜粋)
(04番歌の解釈)
「光が冴えわたって、月が格別に澄んで池にうつっているので、
夏でありながら氷が張ったように感じられるよ。」
(新潮日本古典集成山家集から抜粋)
(05番歌の解釈)
「野中の庵では、分け入る庭がそのまま野辺なので、萩の盛りを
わがものとしてめでることである。」
(新潮日本古典集成山家集から抜粋)
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06 時鳥人にかたらぬ折にしも初音聞くこそかひなかりけれ
07 色にしみ香もなつかしき梅が枝に折しもあれやうぐひすの聲
08 夜もすがらささで人待つ槇の戸をなぞしもたたく水鶏なるらむ
09 こよひしもあまのいはとをいつるよりかけくまもなくみゆる月かな
10 月やどるおなじうきねの波にしも袖しぼるべき契ありけり
11 雲にただこよひの月をまかせてむ厭ふとてしも晴れぬものゆゑ
12 折しもあれ嬉しく雪の埋むかなきこもりなむと思ふ山路を
13 とりわきて心もしみてさえぞ渡る衣川見にきたる今日しも
14 くまもなき折しも人を思ひ出でて心と月をやつしつるかな
15 うき身知る心にも似ぬ涙かな恨みんとしもおもはぬものを
16 などか我つらき人ゆゑ物を思ふ契をしもは結び置きけむ
17 いむといひて影にあたらぬ今宵しもわれて月みる名や立ちぬらむ
18 浅ましやいかなるゆゑのむくいにてかかることしもある世なるらむ
19 何ごとにとまる心のありければ更にしも又世のいとはしき
20 深く入るは月ゆゑとしもなきものをうき世忍ばむみよしのの山
21 さてもこはいかがはすべき世の中にあるにもあらずなきにしもなし
22 雲の上の楽みとてもかひぞなきさてしもやがて住みしはてねば
23 こよひしも月のかくるるうき雲やむかしの空のけぶりなるらむ
24 もの心ぼそう哀なる折しも、庵の枕ちかう
虫の音きこえければ
その折の蓬がもとの枕にもかくこそ虫の音にはむつれめ
25 後の世のこと無下に思はずしもなしと見えける
人のもとへ、いひつかはしける
世の中に心あり明の人はみなかくて闇にはまよはぬものを
26 花まゐらせける折しも、をしきに霰のふりかかりければ
しきみおくあかのをしきにふちなくば何に霰の玉とまらまし
27 一院かくれさせおはしまして、やがて御所へ渡しまゐらせ
ける夜、高野より出であひて参りたりける、いと悲しかり
けり。此後おはしますべき所御覽じはじめけるそのかみの
御ともに、右大臣さねよし、大納言と申しけるさぶらはれ
ける、しのばせおはしますことにて、又人さぶらはざりけり。
其をりの御ともにさぶらひけることの思ひ出でられて、
折しもこよひに参りあひたる、昔今のこと思ひつづけ
られてよみける
今宵こそ思ひしらるれ浅いからぬ君に契のある身なりけり
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◎ 以下にある「しも」などは、この項目には該当しません。
001 菅の根のながく物をば思はじと手向し神に祈りしものを
002 こぬ夜のみ床にかさねてから衣しもさえあかすひとりねの袖
003 好み見し剣のえだにのぼれとてしもとのひしを身にたつるかな
【下野=しもつけ】
現在の栃木県の旧国名です。下野以前は「下毛野=しもつけの」国と
呼ばれていました。古代東山道の国の一つです。
陸奥の国の南にあたり、陸奥、常陸、下総、武蔵、上野の国と
接しています。
明治の廃藩置県では栃木県と宇都宮県に分割されていました。
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01 下野武藏のさかひ川に、舟わたりをしけるに、
霧深かりければ
霧ふかき古河のわたりのわたし守岸の船つき思ひさだめよ
(岩波文庫山家集70P秋歌・新潮欠番・
西行上人集・万代集)
02 下野の國にて、柴の煙を見てよみける
都近き小野大原を思ひ出づる柴の煙のあはれなるかな
(岩波文庫山家集128P羈旅歌・新潮1133番)
○武蔵
武蔵の国とは現在の東京都と埼玉県及び神奈川県の一部を合わせた
広大な地域でした。武蔵の国の国府は東京都府中市にありました。
○さかひ川
場所と場所を隔てる境界となる川のことです。
この歌では利根川のことであり、詳しくは利根川の支流の
渡良瀬川の事だとみられます。
利根川は西行時代は荒川などと合流して江戸湾に流入していま
した。江戸期の大改修によって下総の銚子から太平洋に流れ込む
ように流路が変わりました。改修以降は下流では武蔵と下総の境、
上流では武蔵と下野及び下総の境となります。
○古河のわたり
「古河(こが)」は歌では(けふ)と読みます。
場所は現在の茨城県古河市のことと見られています。
古河市は下野の国ではなくて下総の国です。
だから「古河の渡り」は正確には下野と武蔵の境ではなくて、
下総と武蔵の国の境ということになります。
一字違いですし、書写した人のミスの可能性もあります。
とはいえ、「古河の渡り」のある利根川の上流は下野と武蔵の
境になりますから、詞書を必ず「下総武蔵のさかひ川」としな
ければならないほどのミスでもなかろうと思います。
○小野大原
京都市左京区にある地名です。京都市の北東部に位置し、市街地
とは離れています。炭の生産地でした。
小野は左京区八瀬付近から大原にかけての大雑把な呼び方です。
大原については以下の記述もあります。
「平安時代初期に慈覚大師円仁が天台声明の根本道場として、
魚山大原寺を開いて以来、比叡山を取り囲む天台仏教の中心地の
ひとつとなった。男女を問わずこの地に出家隠棲する人々は多く、
また比叡山の修行僧が遁世する地ともなった。」
(三千院発行「三千院の名宝」から抜粋)
○柴の煙
炭を作るときの煙のこと。
(01番歌の解釈)
「霧が深く立ちこめる今日のこの渡りの渡し守よ。対岸の船着き
場に舟をうまく着けるよう決意しておくれ。」
(和歌文学大系21から抜粋)
(02番歌の解釈)
「ここ下野国で炭を焼く煙を見ると、都に近い小野大原の炭を
焼く煙が思い出され、しみじみと感慨がもよおされるなあ。」
(新潮日本古典集成山家集から抜粋)
【しもと】
普通は木の枝で作った刑罰用の笞(むち・しもと)のことです。
丈の低い木の、長く伸びた細い枝も(しもと)と言います。
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01 好み見し剣のえだにのぼれとてしもとのひしを身にたつるかな
(岩波文庫山家集251P聞書集202番・夫木抄)
02 かくて地獄にまかりつきて、地獄の門ひらかむとて、罪
人を前にすゑて、くろがねのしもとを投げやりて、罪人
に対ひて、獄卒爪弾きをしかけて曰く、この地獄いでし
ことは昨日今日のことなり。出でし折に、又帰り来まじ
きよしかへすがへす教へき。程なく帰り入りぬること人
のするにあらず、汝が心の汝を又帰し入るるなり、人を
怨むべからずと申して、あらき目より涙をこぼして、地
獄の扉をあくる音、百千の雷の音にすぎたり
ここぞとてあくるとびらの音ききていかばかりかはをののかるらむ
(岩波文庫山家集254P聞書集219番)
○好み見し剣
武士が常に刀を携行していたことを暗に批判的にいう言葉でしよう。
武者の殺生による罪業の救い難さを言っていると解釈する方が自然
かと思います。
○剣のえだにのぼれ
地獄の各所には剣の形をした木の枝があるそうです。
罪人はその木に登るように命じられていることを指します。
○ひし
武具の一つで、二股、または数本に分かれた刃を言い、それに柄を
つけて用いるようです。
○くろがねのしもと
「くろがね」は鉄。「しもと」は笞(むち)のこと。
鉄で作った笞(むち)をいいます。
○対ひて
「対ひて」は「対して」のことです。相対することです。
和歌文学大系21では「対ひて」は「むかひて」と読ませています。
○爪弾きを
指鳴らしのことです。親指の腹に中指をあてて強く弾けば大きな
音がします。不平不満や非難を表しているそうです。
○あらき目
獄卒自体は容貌怪異なのかどうか分かりませんが、地獄の役人で
あり、(鬼)とも解釈される以上は、もとから荒く猛々しい目を
しているのかもしれません。
(01番歌の解釈)
「生前好んで見た剣、その剣の枝に登れといって、獄卒は笞(むち)
に付いている鉄びしを罪人の身に打ち立てることだよ。」
(和歌文学大系21から抜粋)
(02番歌の解釈)
「ここが地獄だぞと言って開ける扉のはげしいすさまじい音を
きいて、どんなに、そのおそろしさにおのずからおびえおのの
かれることであろうか。」
(渡部保氏著「山家集全注解」から抜粋)
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